秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

パピチャ 未来へのランウェイ

c782031dfd52874a(C)2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS – JOUR2FETE – CREAMINAL – CALESON – CADC

アルジェリア

パピチャ 未来へのランウェイ

 

Papicha

監督:ムニア・メドゥール
出演:リナ・クードリ、シリン・ブティラほか
日本公開:2020年

2021.9.22

アルジェリア「暗黒の10年」の渦中で、輝きを求めたファッション学生たち

90年代、アルジェリアの首都・アルジェ。内戦によるイスラム原理主義の台頭により、町中には女性のヒジャブ着用を強要するポスターがいたるところに貼りだされている。

ファッションデザイナーを夢みる大学生のネジュマは、ナイトクラブのトイレで自作のドレスを販売して自分の表現を追求している。現実に抗うネジュマは、ある悲劇的な出来事をきっかけに、自分たちの自由と未来をつかみ取るため、命がけともいえるファッションショーを、大学構内で開催することを決意する・・・

おそらく、日本の多くの観客にとって、本作は「初めて観たアルジェリア映画」となるのではないかと思います。最近デジタル・リマスターがなされた『アルジェの戦い』という1966年のイタリア映画があるにはあるのですが、アルジェリア人(ムニア・メドゥール監督は女性です)が監督した作品というのは、私は初めて観ました。文学でもフランツ・カフカの作品ぐらいでしか、「アルジェリア」という国名に遭遇したことはないかと思います。

1990年代アルジェリアの世界を旅できる本作ですが、先日ご紹介した隣国・モロッコの『モロッコ、彼女たちの朝』にそっくりな点があります。それは、カメラに映される場所がとても限られているという点です。主要なロケ地は、主人公たちの学校の構内・学生寮・ナイトクラブ、主人公の実家、車内、何箇所かの路上、ボーイフレンドの家ぐらいでしょうか。

もちろん、広い画角で撮ってしまうと1990年代らしからぬ物が映ってしまうという都合もあったかと思います。ですが、『モロッコ、彼女たちの朝』と同じく、女性の自由・権利が抑圧されている強さに合わせて、物語の中でカメラが行ける範囲も強く制限するという制作者の狙いを感じました。そして、物語の終盤に突如訪れる「ある事件」は、実際にあった出来事をモチーフにしています。その展開は正直なところ悲しいですが、本作の主題は「パピチャ」(アルジェリアのスラングで「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」の意味)です。

権力を回避しやすい車の中で「アルジェリアに住み続けたい人なんていない」「アルジェリアという国は巨大な待合所のようで、皆が何かを待っている」など、若者たちは不満を噴出させます。しかし、主人公のネジュマだけは「アルジェリアに住み続けて、夢を追いたい」とまっすぐな瞳で語ります。

2020年代に「暗黒の10年」「テロルの10年」とも呼ばれるアルジェリアの過去を、なぜ振り返る必要があるのか? 現在、アフガニスタンでもこの作品で描かれているような混乱が巻き起こっていますが、1990年代を描きながらも、とても現代的・普遍的なメッセージを持った作品に仕上がっています。アルジェリアの歴史・文化を何も知らないでも観れるように配慮がされているので、ぜひ身構えずご覧になってみてください。

アルジェリア探訪

ティムガッドも訪問 望郷のアルジェに計3泊と世界遺産ムザブの谷。

くじらびと

8963294def009790(C)Bon Ishikawa

インドネシア

くじらびと

 

Lamafa

監督:石川梵
出演:ラマレラ村の人々
日本公開:2021年

2021.9.15

「村の命運は 鯨が決める」―自然優位な流れの中で生きるインドネシアの漁村民たち

インドネシアの小さな島にある人口1500人のラマレラ村。住民たちは互いの和を何よりも大切にし、自然の恵みに感謝の祈りを捧げ、言い伝えを守りながら生きている。

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その中で、「ラマファ」と呼ばれるクジラの銛打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。彼らは手造りの小さな舟と銛1本で、命を懸けて巨大なマッコウクジラやマンタに挑む。

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「クジラが10頭獲れれば 1年過ごすだけの稼ぎとなる」というサイクルの中で暮らすラマレラ村の人々の生き方は、利便性・経済発展を軸に生きる人々とは全く異なる、非論理と畏怖心を基盤にしている。それゆえに、村でどんなに悲しい出来事起きようとも、伝承の力を借りて一丸となって対処していく・・・

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本作の舞台となるラマレラ村は、以前「旅と映画」でご紹介した『世界でいちばん美しい村』(2015年ネパール大震災震源地の村のドキュメンタリー)を監督された石川梵さんが、ライフワークとして約30年前から通い続けてきた場所です。

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メインの撮影はコロナ前の2017年から2019年までですが、30年前のフッテージが不自然さゼロで引用されるシーンもあり、監督が長い時間をかけて被写体と築いてきた信頼関係が映画全編に浸透しています。

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話がそれるようですが、私はここ数年で(子どもを2人育てるようになってから)、食事の際の食器の並べ方・食べ物の食べ方に異様にこだわるようになりました。以前はあまりそういうことは気にしませんでしたし、むしろ小さい頃から高校ぐらいまで両親から食事マナーに関して怒られっぱなしでした。今は、5歳になっておしゃべりになってきた娘から聞かれる「何でそんなふうに食べなければいけないの?」「何でそう置かなきゃいけないの?」というような質問に答えを返す立場となりましたが、「食べ物は“物”じゃなくて“命”なんだから それを感じるためだよ」とか「肘つくな」「足組むな」「いただきます/ごちそうさま言った?」と、毎日のように言っています。

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幼稚園児には難しいかもしれないのですが、分からなくてもいいので、呪文のように言い聞かせています(いつかその意味を分かってくれるときが来るといいのですが。。。)

『くじらびと』に話を戻しますが、劇中で村人たちが語る「漁の最中きたない言葉は使ってはいけない」とか「漁の前日は喧嘩してはいけない」とか「銛を刺すときは狙う箇所だけ見て 決してクジラの目は見るな」という、都会人からすれば非論理的で因果関係も特定できなさそうな伝承のひとつひとつが、前述のように娘の教育に試行錯誤している私にとっては、とても響きました。

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思うに、「こうすれば こうなる」というような「確実さの担保」が、世の中の価値判断において重視されすぎているのです。私は「どうなるか皆目見当がつかない物事」に極力熱を注ぎたいと日々思っているのですが、映画の企画にしても、他分野の話を聞くにつけても、そういったスタンスというのは世の中であまりウェルカムではないようです。

「確実さ」のサイドにいたほうが楽なので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、私はどうしてもその流れの中に居続けることができません(おそらく秘境旅行・冒険旅行を好まれる西遊旅行のお客さまにはこの考えを理解して頂きやすいと、勝手ながら予想しています)。そういう意味で、ラマレラ村の人々が言い伝えを拠り所にして不確実さの中を力強く突き進んでいく様子を本作で観て、生活環境は全く違いますが、ある種の親近感を私は感じました。

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私は生まれ変わりでもしない限り、ラマレラ村の人々のような暮らし方をすることは無いと思います。しかし彼らのように、ギュッと身が詰まっている瑞々しい果実のような、規律・思想・言葉・作法を持った人物 になりたいという憧れがあります。これから折にふれて私の頭の中には、ラマレラ村の人々の表情や言葉の響きがフラッシュバックすることと思います。

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リーダーシップ論あり、教育・精神・家族論ありの『くじらびと』は、9/3(金)より新宿ピカデリー他にて全国公開中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

コロンバス

f463c62b9b66b0bd(C)2016 BY JIN AND CASEY LLC ALL RIGHTS RESERVED

アメリカ

コロンバス

 

Columbus

監督:コゴナダ
出演:ジョン・チョウ、ヘイリー・ルー・リチャードソンほか
日本公開:2020年

2021.9.1

人の心身に寄り添う建築がある アメリカの地方都市・コロンバスでの邂逅

講演ツアー中に倒れた高名な建築学者の父を見舞うため、モダニズム建築の街として知られるアメリカ・インディアナ州のコロンバスを訪れたジンは、父親との確執から建築に対しても複雑な思いを抱いており、コロンバスに留まることに乗り気ではない。一方、地元の図書館で働く建築好きのケイシーは、薬物依存症である母親の看病のためコロンバスに留まり続けている。ふとしたことから出会った2人が建築をめぐって語り合う中で、次第にひかれあっていく。

建築は映画ととても親和性があります。私は福岡で建築ファウンデーションというNPOに入っているのですが、実際、映画監督や脚本家になろうと思っていたという建築家の方や、映画好きの建築家の方は多いです。

建築というのは、ただ地面に建って居住や利便性のために使われるのではなく、人の記憶や土地の風土と密接に関わってストーリーを紡ぐ生き物のような存在です。本作では、登場人物たちがコロンバスの町のあちらこちらを訪れる中で、建築が人に寄り添うようなシーンが物語の随所にあらわれます。「建築が人の体に効いている」というのが私は一番適切な表現だと思うのですが、建築が醸し出す空間が、人の感情作用に強く影響しているということです。

数万年前、人類は洞穴で暮らしていました。そこには、「洞穴絵画」(または「洞窟壁画」)と呼ばれる、旧石器時代の人の営みや動物を描いた天然のフレスコ画がいつしか描かれるようになりました。私はこの洞穴絵画が描かれた洞穴が「最初の建築」だと常々思っています(「最初のアート」は洞穴絵画のもっと前に記録に残らない形であったはずです)。

もちろん、もうすこし後になれば、ストーンヘンジやピラミッドなど今でも観覧可能なシンボリックでダイナミックな建築があります。しかしもっと前の太古の人類は、特に寒さや飢えをしのげるわけでもないのに、なぜ洞穴に絵を描いたのでしょうか? おそらく、狩猟等のサバイバルや自然との対峙の日々で疲れた心身に、絵を描いたり見たりすることは良く効いたのでしょう。そうした絵をいまだに私たちは、遺跡の一部として自分自身の目で確認でき、絵は彼らの記憶を現代人の心に甦らせてくれます。

本作の舞台となっているコロンバスのモダン建築は、旧石器時代の洞穴絵画のように主人公2人の喪失・不安を受け止め、内省のための時間や再生に向かわせるパワーを与えています。建築が「3人目の主人公」ともいえる珍しい作品で、空間・時間の見え方を変えてみてはいかがでしょうか。

緑の牢獄

5ad11c5d133af43d(C)2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.

日本(西表島)

緑の牢獄

 

Green Jail

監督:黄インイク
日本公開:2021年

2021.8.25

沖縄・西表島、熱帯林の奥深くに門を構える「記憶の牢獄」

沖縄県西表島に暮らす、90歳の橋間良子。彼女は植民地時代の台湾から養父とともにこの島に来て、人生の大半を島で過ごした。

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良子の養父は労働者の斡旋や管理をしていた炭鉱の親方で、彼女は今も炭鉱に後ろめたさを感じていた。

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炭鉱の暗い過去、島を出て音信不通となった子どもたち・・・
忘れることのできない数々の記憶が彼女の脳裏をよぎる。

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彼女はなぜ一人で島に残り続けるのか? 記録映像や歴史アーカイブ、再現ドラマなどが盛り込まれ、台湾から西表島に渡った一人の人間の過去と現在が描かれていく・・・

「西表島」と聞いて一般的に思い浮かべられるのは、おそらく自然・熱帯・イリオモテヤマネコといったようなイメージでしょう。私は八重山諸島(石垣島・竹富島・小浜島・黒島・新城島・西表島・由布島・鳩間島)には行ったことがないので、「一般」にかなり近いイメージを持っているのではないかと思います。

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西表島に住む人々が現在どのような暮らしをしているのについては、なかなか知る機会がありませんし、ましてや近代における台湾との関わりや炭鉱労働の歴史については、何かしらの巡り合わせがうまく働かないと、知るまでに至らないでしょう。

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本作を観ると、「自分の記憶」というのは自分の頭の中だけ存在するようなのですが、他者がいて初めて成立する(存在し得る)のだとわかります。

カメラがひたすら追う良子さんの頭の中にある記憶は、深く、暗い闇の底に沈んでいます。底の見えない井戸を何度も覗き込むように、物語は進んでいきます。

良子さんの言葉・過去の経験をインタビューや再現ドラマで引き出せば引き出すほど、良子さんの記憶と自分の距離が遠のき、「届かなさ」が増していくような心地がしました。これは、各シーンや再現ドラマの内容が伝わりにくいということではなく、良子さんの記憶が、あまりにも遠く奥底にあることが段々と浮き彫りになってくるということです。

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それに対して、良子さんから部屋を間借りをしているルイスさんという自分探し中のアメリカ人青年の言葉からは、彼がどんな人生を送ってきて、今何を考えているのかを、いくらかつかみ取ることができます。彼の記憶はまだ「届かない」というほどには奥底に沈んでいないからです。ルイスさんの存在によって、良子さんの記憶の「届かなさ」が、なおさら際立ちます。

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タイトルにある「牢獄」という言葉は、3つの意味があると私は思います。1つめは、炭鉱労働が盛んだった文明開化以降から第二次世界大戦にかけて、本当に牢獄(島から出られず 過酷な労働の日々を送る)のようだったという意味。

2つめは、日も入らないような地中深くにある独房のように、良子さんの心の奥底に記憶が沈んでしまっているという意味。

3つめは、「カギを開ける人」を暗示する意味合いです。撮影チームは、ありとあらゆるカギを使って、良子さんの「記憶の独房」の扉を開こうと試みています。しかし、どう頑張っても、扉は完全には開きません(ときどき思いもよらぬ瞬間に 半分ぐらい開くときもあります)。

データや情報にあふれた現代社会では、誰でも「記憶の牢獄」に閉じ込められてしまう可能性はあります。本作の雰囲気は若干重いのですが、私の心には観ているうちに「自分の記憶というのは大事に扱ってより良い形で残さなければいけないな」という前向きな気持ちが芽生えました(念のために補足しておきますと、本作は「西表島は牢獄のような島だ」というツラい内容の映画ではありませんので ご安心ください)。

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『緑の牢獄』は2021年4月より全国順次上映中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

8島巡る!自然と民俗の八重山諸島大周遊 8日間

石垣島から黒島、新城島、波照間島、西表島、小浜島、竹富島、そして与那国島へ。8日間で八重山諸島8島を周遊し、離島に残る沖縄の原風景とともに、亜熱帯の自然と歴史・文化にふれます。。

モロッコ、彼女たちの朝

2f79f1c9d18b00f3(C)Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artemis Productions

モロッコ

モロッコ、彼女たちの朝

 

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監督:マリヤム・トゥザニ
出演:ルブナ・アザバル、ニスリン・エラディほか
日本公開:2021年

2021.8.18

大都市・カサブランカの片隅で、傷を癒やしあう2人のムスリマ(ムスリム女性)

臨月のお腹を抱えてモロッコの大都市・カサブランカの路地をさまようシングルマザーのサミアは、美容師の仕事も住居も失い途方に暮れていた。

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めげずに必死で稼ぎ先を探すも断られ続けていたサミアに救いの手を差し伸べたのは、小さなパン屋を営む一児の母・アブラだった。

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アブラは夫を事故で亡くし、幼い娘との生活を守るため、粛々と働き続けていた。パン作りが得意でおしゃれなサミアの存在は、孤独だった母子の日々に変化をもたらしはじめる・・・

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もう13, 4年前のことですが、私はモロッコを縦断する旅をしたことがあります。当時はイギリスに留学中だったのですが、格安航空でロンドンから古都・マラケシュから入り、サハラ砂漠を体験したあと北上して迷宮のような王都・フェズと近隣の古都・メクネス、青の町・シャウエン、港町・タンジェからジブラルタル海峡を渡ってスペイン・アンダルシア地方に渡るという行程でした。

本作の舞台になっているカサブランカは詰め詰めの行程だったためスキップしてしまったのですが、北上するときに電車の車窓から町の様子を眺めて「大都市だな」という印象を持ったのをよく覚えています。しかし、サミアとアブラを中心に描かれる本作の世界(行動範囲)はかなり狭いです。一番距離的に遠い場所は、おそらく町外れにある長距離バスのバスターミナルではないかと思います。

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SNS映えするような観光名所が数多くあるカサブランカですが、本作に登場する観光スポットはカサブランカの旧市街のみです。モロッコの観光地となるような都市にはだいたいメディナと呼ばれる迷路のような旧市街があるのですが、サミアは映画の冒頭、メディナで文字通り路頭に迷っています。

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迷うサミアの姿の大部分は、かなり極端なクローズアップで映されます。つまり、移動距離だけではなく、登場人物たちが行動する空間も狭く見えるように演出されているということです。実際、ワイドショットやロングショット(遠くから撮った広いフレーミング)はほとんど無く、一番広がりを感じるショットはアブラの住居の屋上にある洗濯場だったように記憶しています。

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これらの演出はすべて、モロッコにおける女性の境遇を表現するためなのでしょう。全体を通じてとても静かで穏やかな映画なのですが、小さい、狭い、限られた裁量や権利しか女性に認められない現状に対する、作り手の強いプロテストがストーリー奥底にこめられていると私は感じました。

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タジンなどが一時ブームとなったモロッコ料理の、よりローカルなメニュー(クレープのようなムスンメン、パンケーキのようなルジザ)も知ることができる『モロッコ、彼女たちの朝』は、8月13日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか、全国公開中。その他詳細は公式HPをご確認ください。

サハラ砂漠と青の町シャウエン モロッコ周遊の旅

シャウエンやマラケシュでは旧市街の中、フェズでは全客室から世界遺産の旧市街ビューを、メルズーガでは砂漠を眺めるだけでなく、サハラの中で宿泊。観光だけでなく滞在にも趣向を凝らした西遊旅行ならではの旅をお楽しみください。

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カサブランカ

人口約320万人を擁する北アフリカ最大の商業都市カサブランカ。映画「カサブランカ」で一躍その名前が有名になりました。カサブランカの歴史は古く、12世紀のムワッヒド朝時代にはすでに貿易港として栄えていました。一時ポルトガルによって破壊されましたが、18世紀に再建され、スペイン商人らがこの町に住み着くようになりました。それまで町はアラビア語で「ダール・バイダ(白い家)」呼ばれていたのですが、それがスペイン語に翻訳されて「カサブランカ」と呼ばれるようになったのが町の名前の由来です。1907年のフランスによる占領後、外国人の住民が増え、ヨーロッパの影響を色濃く受けるようになりました。

テーラー 人生の仕立て屋

74c1661df18b217d(C)2020 Argonauts S.A. Elemag Pictures Made in Germany Iota Production ERT S.A.

ギリシャ

テーラー 人生の仕立て屋

 

Tailor

監督: ソニア・リザ・ケンターマン
出演:ディミトリ・イメロス、タミラ・クリエヴァほか
日本公開:2021年

2021.8.4

アテネの仕立て屋が真逆の人生見出す、「ニュー・ノーマル」発見の旅

中年のスーツ職人・ニコスは、アテネで36年間高級スーツの仕立て屋を父と営んできた。しかし、ギリシャを覆う不況はニコスの店にも影響し、店は銀行に差し押さえられ、ショックでニコスの父は倒れてしまう。

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途方に暮れたニコスは、手作り屋台で、移動式の仕立て屋を始める。しかし、ストリートマーケットでは高級スーツや仕立ての技術はまったくお金にならない。

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そんなある日、道端を歩くニコスを、「ウェディングドレスの注文がある」という女性が呼び止める。紳士服一筋だったニコスは躊躇しつつも、オーダーを受けて人生の新たな一歩を踏み出す。

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私は2008年にギリシャに一度訪れたことがあります。ほぼ何も下調べずにアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス空港というギリシャ皇帝のような名前(20世紀初頭の政治家だそうです)の空港に降り立ち、古代ギリシャ帝国の繁栄のイメージから豪華絢爛な都市を勝手に想像しつつホテルに向かう道すがら、落書きだらけの地下鉄(本作劇中にも映っています)に乗りながら、脳内のアテネのイメージがものすごい速度で書き換えられていったことが強く記憶に残っています。

当然、ソクラテス・プラトン・アリストテレスらが生きた「黄金時代」は2000年以上前ですし、神話の世界が息づいているのはどちらかというとクレタ・サントリーニ・ミコノスなどの島なので、アテネとしても「そんな栄華や神話のイメージを持たれても困る」と思ったかもしれません。

いわゆる「ギリシャ危機」は2009年に起きましたが、私が訪れた2008年にも、ツーリストが感知できるぐらいはっきりとした兆候が既にありました。なんとなく「状況が悪い」という雰囲気が都市に蔓延していて、「失業者が増加していてこのままではマズい」ということを地元の人が話していました。

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『テーラー 人生の仕立て屋』の話に戻りますが、本作は「ギリシャ危機」が過去に起こったことが大前提にあります。おそらく、「経済危機の嵐が吹きに吹き荒れて、分厚い雨雲からようやく陽光が差し始めた頃」という設定なのだと思います。

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主人公のニコスは、ある種の「ニュー・ノーマル」(コロナ以前に制作された映画ですが、多くの映画と同様に本作もコロナ後に意図せざる意味合いを持つことになった作品の一つだと思います)を強いられます。それは、彼が生業にしてきた「高級スーツの仕立て」という仕事の価値が、経済危機によって根こそぎ吹き飛ばされてしまったためです。

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それでもなんとか生きようと奔走するニコスは、自分の業務領域外である「ウェディングドレスの仕立て」のオーダーを受けます。最初は「そんなのは自分の仕事ではない」と思いつつも、背に腹は代えられないと思い直し、ニコスは仕事を受けます。

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このシーンから、昨年有田焼の職人さんを取材して「頼まれ仕事」に関して話してもらったことを、私は思い出しました。そのとき聞いたのは「自分が本当にやりたかったものをつくってみると、首をかしげられる。しかし、思いもよらぬ頼まれ仕事を受けて模索しながらつくったとき、想像以上の好評を得る。自分というのは自分が一番知らなく、他者のなかにこそ自分という存在はあるのかもしれない」ということだったのですが、これはまさにニコスの「進化」を解説するのにピッタリの言葉だと思いながら、本作を鑑賞していました(ポスターのキャッチコピーにもある「人生は測れないから面白い」というのとほぼ同義だと思います)

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仕立て屋・ニコスの「再生の旅」を描いた『テーラー 人生の仕立て屋』は9/3(金)より新宿ピカデリー、角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページよりご確認ください。

ギリシャ古代遺跡探訪
ギリシャの9つの世界遺産を巡る

歴史遺産と複合遺産を合わせて、ギリシャに登録された9つの世界遺産を巡ります。古代ギリシャ、マケドニア王国などの栄華を物語る遺跡群のほか、天に近づくために切り立った奇岩上に建てられたメテオラの修道院群など、ギリシャに残る歴史遺産の数々を訪問します。

明日に向かって笑え!

『明日に向かって笑え!』ポスタービジュアル(c)2019 CAPITAL INTELECTUAL S.A./KENYA FILMS/MOD Pictures S.L.

アルゼンチン

明日に向かって笑え!

 

La Odisea de los Giles

監督:セバスティアン・ボレンステイン
出演: リカルド・ダリン、ルイス・ブランドーニほか
日本公開:2021年

2021.7.28

2000年代初頭・アルゼンチン金融危機のほろ苦くも忘れがたい記憶

2001年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス近郊の田舎町。元サッカー選手のフェルミンら住民たちは放置されていた農業施設を復活させるために、資金集めに奔走する。

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銀行の融資を取り付けるために手持ちの米ドルを全て預けた翌日、金融危機で預金が凍結されてしまう。さらに、状況を悪用した銀行と弁護士に預金を騙し取られて一文無しになったフェルミンたちは、奪われた夢と財産を取り戻すべく、破天荒な作戦を練りはじめる・・・

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私は2007年から2008年にかけてイギリスに留学していたのですが、生まれてはじめて南米出身の人と何人か知り合うことになりました。あるとき、コロンビア人の友人が「日本や欧米はとても安全だよ、なぜなら銀行に騙されることがないから」とサラッと言うので「銀行に騙されるなんていうことがあるのか」と驚きました。本作を観ながら最初に思い出したのは、その言葉です。

もちろんコロンビアと本作の舞台・アルゼンチンは、南米大陸の北端と南端でものすごく距離が離れていることは承知しています。正直、地球の裏側にある南米大陸の国々は、サッカー・コーヒー・ワイン・映画・文学など何かしら切り口がないと混同せざるをえません。逆に、南米大陸の人々には日本と韓国・中国あたりの文化・風習が混同して見えているでしょう。

それだけ距離が離れている国で起きている金融危機をテーマにした映画が、日本人に向けて上映されて成立する秘訣は、本作の持つコメディ要素です。

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作品を通して笑いを生むには、種々様々な前提を観客と共有しておく必要があります。本作で最も入念に表現されている前提は、アルゼンチンの大統領に2度選出されたファン・ペロン元大統領の存在であると思いました。軍人を経て1946年から1955年に大統領に就任したペロン(1970年代の2度目の就任期間は短命に終わりました)は、労働組合の保護や労働者の賃上げに力を入れました。

もちろん、ペロンは「独裁者」と呼ばれることもあり賛否両論で、本作は彼の功績を称賛する内容ではありません。しかし、それでもペロンが重要なモチーフであると感じる理由は、本作で描かれている2001年からの苦しい数年間というのは、1946〜1955年のペロン体制下のアルゼンチンを直接経験しなかった人々にとって、「復古」とでも言えるような不思議なエナジーが肌で感じられるひとときだったのではないかと思ったからです。

『明日に向かって笑え!』メイン

主演を務めるアルゼンチンの国民的俳優リカルド・ダリンは1957年生まれで本作のプロデューサーとしても名を連ねています(実際の息子さんが息子役を演じています)。監督・脚本を務めるセバスティアン・ボレンステインは1964年生まれです。おそらく1950年代後半から1960年代前半生まれの「アフター・ペロン」とでも言える世代にとって、自分が生まれる前の歴史が地中からシューッと蒸気のように湧き出てきたのが2000年代初頭だったのでしょう。私は、物語の本筋であるコメディの根底に、そういった強い憧憬の温度を感じました。

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旅先で偶然知り合った人から「あの頃は・・・」と懐かしい記憶を思いがけず聞いたような心地になる『明日に向かって笑え!』は、8/6(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

夢二

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日本

夢二

 

監督:鈴木清順
公開:1991年

2021.7.21

極彩色の紅葉―北陸の風土が彩る 画家・竹久夢二の迷宮的世界観

大正6年、石川県金沢。竹久夢二は悪夢に取り憑かれていた。駆け落ちを約束した恋人・彦乃とは、湖畔で落ち合う事になっていた。そこへ、隣の村で殺人事件があったという知らせを聞く。妻を寝取られた男が殺人鬼と化して、山へ逃げ込んだという。
女たちの間を行ったり、来たりする夢二。紅葉の金沢の湖はいつしか血に染まっていく・・・

「幻想的な」というキャッチフレーズがぴったりの『夢二』は、紅葉やススキがみたいとき(紅葉やススキをどのように撮ればいいのか考えを練るとき)に、私が折にふれて参考にする作品です。実在の画家・詩人の竹久夢二をモデルにした物語ですが、原作はなく、いくらかの史実をもとにして鈴木清順監督特有の映画言語が物語が展開されていきます。

物語の筋は途中何度も見失うタイプの観念的な作品ですが、紅葉の色彩の素晴らしさや、山水画のような浮遊感は唯一無二です。耳に残る不可思議さをもつサウンドトラックは、金沢とも竹久夢二とも全く関係ないけれども詩的なことで有名な香港映画『花様年華』(ウォン・カーウァイ監督)に全編に引用されました。

主なロケ地となった金沢の湯桶温泉についてですが、西遊旅行の国内ツアーの見出し写真の多くを見たときのように「日本にはこんな場所があったのか」と思わせてくれる光景の場所です(20年前の作品ですが 調べた限りでは今も景観が保全されていてそこまで変わっていないようです)。

北陸には3回行ったことがあり、毎回金沢を拠点にしましたが、一番昔ですが一番強く記憶に残っているのが、20年ほど前に真冬に金沢を旅したときのことです。東京で生まれ育った私にとって、その寒さは桁違いで、「横殴り」という言葉がぴったりの凍てつく風もかなり堪えて、完全に油断していた私は震えて観光もままなりませんでした(並んで入ったお寿司さんで生タコがとてつもなく美味しく、「タコ感」が覆されたときだけ寒さによる震えが止まったのをよく覚えています)。

テキスタイルや和紙など、北陸が誇る伝統工芸が劇中でどこまで使われているかは専門外でわからないのですが、「北陸」と聞くとまず最初に思い出すのがこの『夢二』です。ほかにも、鈴木清順監督の作品には鎌倉を中心に独特な世界観が展開される『ツィゴイネルワイゼン』(現在は立入禁止の釈迦堂切通がこの世とあの世の境目として使われています)や松田優作が出演を懇願したという『陽炎座』(琴弾橋という鮮やかな赤で飾られた欄干を持つ短い橋が 異界への入り口に化けます)もオススメなので、ぜひ『夢二』とあわせてご覧ください(大正三部作と呼ばれています)。

東京干潟/蟹の惑星

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日本

東京干潟/蟹の惑星

 

監督:村上浩康
公開:2019年

2021.7.13

満ち引きする小宇宙ー多摩川河口の干潟という秘境から望む、大都会・東京の眺望

しばらく海外の作品紹介が続きましたが、ふたたび邦画の紹介に戻ります。今回は多摩川河口という極めて限定された範囲を深く掘り下げた、同一監督による2作品です。

『東京干潟』
多摩川の河口で暮らす80代のホームレスの老人は、捨てられた十数匹の猫を殺処分から救うために日々世話をしながら、干潟を臨む小屋で10年以上生活している。生計の柱はシジミだが、近年は乱獲や環境変化によってシジミの数が減少してきているという。変わりゆく東京の姿を、老人は複雑な思いで干潟から日々眺めている。

『蟹の惑星』
多摩川河口の干潟で、15年にわたって独自にカニの観察を続けている吉田さんは、定年退職後にカニというライフテーマを自らの人生に添えた。干潟には狭い範囲に様々な種類のカニが生息しており、吉田さんはカニの生態記録に余念がない。その研究成果からは激変する東京にも適応ししっかりと生き残っているカニたちの、生命の神秘が明らかになる。

コロナ禍という状況がなければ、「旅」や「秘境旅行」というのは、多くの場合「遠くに行くこと」と関連深いと思います。ひとたび移動が制限されると、「近くて遠い旅」が注目されるようになりました。すぐ近くにあるけれども今まで自分が目を向けてこなかった、いわば「身近にある秘境」を旅することです。

『東京干潟』と『蟹の惑星』はまさにその「身近にある秘境」に一歩一歩深く踏み入っていく体験ができるドキュメンタリー映画です。そして、多摩川の河口で日々考えを巡らせながら探求者・探索者として生きる被写体は、西遊旅行のお客さまを想起させました(リピーターの皆様はきっと主人公たちに感情移入できるはずです)。

2020年にアカデミー賞・作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』でポン・ジュノ監督は格差社会に関する様々なシンボルを作中に点在させていましたが、本2作はそれとは全く違う形で、日本社会の現状をシンボルとして表現しています。最も強いシンボルは「干潟」「河口」です。

東京オリンピックに向けて干潟には橋がかかり、沿岸には高層ホテルが建てられていく。しかし、河口に現れては消える干潟に立ってみると、格差社会・環境破壊・高齢化問題・ペット遺棄など、現代日本が抱えるさまざまな問題が見えてくる。私は東京で生まれ育ち多摩川を毎日渡って10代の多くの時間を過ごしましたが、このように東京を眺めることができる場所があることは完全に盲点でした。知られざる多摩川河口のルポルタージュであるだけでなく、「身近にある秘境」を探そうという意志(既に見つけられている方は もっと掘り下げようと思わせてくれる力)を観客に与えてくれる一作です。

大地と白い雲

c22748c9a7c94242(C)2019 Authrule (Shanghai) Digital Media Co.,Ltd, Youth Film Studio All Rights Reserved.

中国(内モンゴル)

大地と白い雲

 

Chaogtu with Sarula

監督:ワン・ルイ
出演:ジリムトゥ、タナ、ゲリルナスン ほか
日本公開:2021年

2021.7.7

モンゴルの果てしない大地と空―その「果て」が見えてしまった若い夫婦の選択

内モンゴルの草原に、ある若い夫婦が暮らしている。夫のチョクトは馬ではなく車を乗り回すような都会での生活に憧れているが、妻のサロールは昔ながらの暮らしに満足している。

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しかし、そんな2人の気持ちは、大小さまざまな出来事が要因で段々とすれ違うようになっていく・・・

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本作は大きく分けて2つの場、草原(雪に覆われているときもあるので、タイトルにある通り「大地」が妥当かもしれません)と都会で物語が展開されます。

近代化・グローバル資本主義の潮流の中で、伝統と革新の両方を知っている若い夫婦がどのような未来を選択をしていくかというのが物語の大枠ですが、序盤の草原のシーンを観ながら、私は森のことを考えていました。

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映画の中に森は一切出てこないのですが、タイを代表する映画監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン(作品の多くを森の中で撮っている監督)に関する評論を思い出していたからです。誰がどこに書いた評論かは忘れてしまったのですが、それはだいたいこのような内容でした。

森というのは、どっちの方向を向いても森だ。方角・方向の表現は限られ、画としてはやや単調になってしまう。しかし、森のカットが積み重なっていくと「森が森である」という事実は薄らいでくる。そして、唯一無二の「場」ができあがる。アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画は、そのようなキャンバス上に描かれている。

なぜこの評論を思い出していたかというと、物語のある時点で、雄大なはずのモンゴルの空が窮屈に思えてきたからです。評論の言葉を借りると、草原・空のカットが積み重なるにつれて「草原が草原で、空が空である」という事実が薄らいでくる感覚を味わったということです。

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これは、都会に憧れているチョクトの感覚に近いのではと思います。実際、物語がどちらかというとサロール側に傾いているときは、大地や空は広く感じました。

ちょうどその「狭さ」の感覚がピークに達しようかという頃に、チョクトとサロールは都会へと繰り出します。チョクトとサロールは別行動になり、チョクトは男友達とつるんでカラオケに行くのですが、そこで選曲されるのは大草原の雄大さがテーマの定番曲らしきナンバーで、大合唱となります。

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カラオケという閉鎖的・都会的空間と行為の団体性を以って、大草原(大地)と都会のどちらにも自身の所在を見出せないという葛藤は、チョクトだけではなく彼の世代全体のものなのだということが映像的に表現されているのですが、物語の本筋とは別に、このような社会的背景がしっかりと設定されている点が本作の見所のひとつだと思います。

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秘境を旅するにあたって、その旅先の人々が「伝統と革新」や「ローカルとグローバル」の狭間に立たされていることは、もはや前提条件といってもよいでしょう。

まるでVR作品かのように、秘境・モンゴルの若者たちが立っている「現在地」を体験させてくれる『大地と白い雲』は、8/21(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。

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西遊旅行退職後、2014年に初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」を監督。国内 外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。その後、国内外でフィ クション・ドキュメンタリーを監督・編集。最新作は日本・シンガポール・イラ ン・トルコ・ケニアでロケを行った"On the Zero Line"(2022年以降公開予定)。    HP: y-jimbo.com



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