秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

大阪支社 高橋です。
これまで2回に分けてご紹介した「日本屈指の景勝地・上高地」も今回が最終回です。

 

滞在3日目(最終日)は、徳沢から河童橋、上高地バスターミナルへ戻ります。
朝食前、徳沢園の周辺の散歩(散策)を楽しむと、梓川より前穂高岳と明神岳を望むことができ、さらに奥には朝靄のかかる幻想的な風景も楽しむことができました。

 

梓川に出ると幻想的な風景が広がります

 

朝食後、8時に徳沢園を出発し、まずは明神を目指すため、昨日と同じ梓川左岸の林間ルートを歩きます。同じ道なので淡々と歩くことも良いかもしれませんが、向いている方向が変わることで、昨日に見落としていた花や景観などを楽しむことができます。7月の時は、夕方から夜にかけて雨が降ったこともあり、林間ルート内の緑が洗われて非常に色鮮やかな林間ウォークを楽しむことができました。「同じ道を戻るというのはつまらない」という気持ちも判りますが、往路では気付かなかった植生や展望、自然を感じることができ、考え方1つで同じ道を戻るのも楽しいものです。

 

明神岳の変わりゆく山容を楽しんでいると、明神エリアに戻ってきました。

 

上高地を流れる美しい梓川の流れ
梓川は、信濃川水系犀川(さいがわ)上流域を示す別称で、長野県松本市の北西に位置する北アルプス・槍ヶ岳に源を発し南流します。流域は古くは「梓の産地」であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていたことが川の名の由来とされています。

 

水は本来無色透明です。
では、上高地を流れる梓川はなぜ美しい青色をしているのでしょうか。
太陽の光は虹の七色に代表される様々な色の光が集まっていますが、水は赤い光を吸収しやすい性質があり、深さがあるほど赤色が減り(吸収され)、その分青さが際立って見えます(反射)。
専門ガイドの解説では、上高地で特筆すべきは「砂の白さ」とのことでした。
上高地でご覧いただける白い砂(場所によっては砂浜のように溜まっている場所も)の正体は「花崗岩が砕けたもの」。花崗岩は⾧石(白い粒)、石英(透明な粒)、黒雲母(黒い粒)で形成されていますが、この3 種は熱膨張率が違い、隣り合った粒同士がそれぞれの比率で伸縮し、その結果隙間ができてバラバラに割れてしまいます。上高地はこの脆い花崗岩の砕けた砂が川床にあることで川の青さが際立つという効果もあるそうです。

 

美しい梓川の流れ(明神周辺)

 

明神エリアから梓川左岸ルートを歩く
明神エリアでの休憩後は、昨日とは別のルートである梓川右岸ルートを歩きました。
昨日歩いた左岸ルートと比べ、少しアップダウンがあり、時折木段などもありましたが、小さな沢の流れもあり、非常に印象的な風景でした。
足元に広がる笹の葉、針葉樹と広葉樹が混在する木々の緑も美しく、陽光が射し込むことで、色鮮やかな風景となり、上高地らしい風景の中、気持ちよく歩くことができました。

 

緑鮮やかな梓川右岸ルート

 

水の流れが美しい 岳沢湿原
色鮮やかな林床に陽光が射しこむ風景や、木々の間から大正池の畔に聳える焼岳の展望を楽しみながら、のんびりと歩いていると、岳沢湿原エリアに入ります。

 

岳沢湿原は、梓川左岸に位置し、岳沢より流れ来る筋と善六沢が合流するあたりに位置する湿原です。湿原上の展望ウッドデッキから正面に見える六百山(標高2,450m)と立ち枯れの木、澄んだ湧水が何とも趣のある風景を創り出しています。
岳沢湿原からの展望を楽しんでいると、上高地では年間を通じて棲息するマガモ(カモ科)をご覧いただけることもあります。

 

岳沢湿原の風景

岳沢湿原から六百山を望む

 

河童橋周辺より最後の穂高連峰の風景を楽しむ
岳沢湿原より梓川右岸ルートの最後の区間を歩くこと10 分、穂高連峰の展望ポイントに到着します。さらに、そこから数分歩くと上高地のシンボル・河童橋となります。
前日に穂高連峰の景観を楽しめなかったとしても、このタイミングで再度穂高連峰の展望を楽しんでいただけるチャンスがあります。
7月のツアーでは、滞在1,2日目は雲がかかり、スッキリとした展望は楽しめませんでしたが、最終日に快晴の中で穂高連峰の風景を楽しむことができ、奥上高地自然探勝ハイキングが終了と同時に、心ゆくまで穂高連峰の風景を楽しみました。

 

穂高連峰と梓川の展望

河童橋から望む焼岳

 

ゴール後は、カフェで優雅にコーヒーとレアチーズケーキと共にのんびりと過ごしたり、土産店巡りを楽しんだり、それぞれの時間をお過ごしいただきます。その後、到着日にお世話になったホテル(西糸屋山荘)で預かってもらっていた荷物を受け取り、3日間に渡って堪能した上高地とお別れをします。

 

上高地からは乗合シャトルバスで松本駅へ向かいますが、バスに乗ったら終わりではありません。乗合シャトルバスは自由席のため、必ず「進行方向右側の席」を確保してください。出発直後は林間の車道を走行しますが、すぐに大正池や焼岳の風景が右側にご覧いただけます。さらに振り返ると、穂高連峰の風景もご覧いただけ、これが上高地との本当のお別れです。

 

車窓より大正池と穂高連峰を望み、上高地とお別れしました

 

3回に分けて「日本の名勝・上高地」をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
ツアーレポートの掲載しきれない上高地の見どころはまだまだ沢山ありますので、またの機会にご紹介したいと思います。

 

また、10月は上高地の紅葉シーズンとなります。
弊社でも「”清流の国” 岐阜から上高地へ 4つの自然探勝ハイキング」では奥上高地自然探勝ハイキング(徳澤園宿泊)を組み入れており、「秋の千畳敷カール・乗鞍・上高地を撮る」では、徳澤までは訪れませんが、上高地で1泊するため、朝夕など刻一刻と変化する上高地の風景の撮影を心ゆく間で堪能することができます。
このツアーレポートで上高地へ興味が湧いた方、また上高地へ再び訪れたいと思われた方も、是非上高地に訪れてみてください。

 

7月には、『上高地ネイチャーガイド FIVESENSE(ファイブセンス)』の専門ガイドさんにお世話になりました。各所で上高地の自然・植生・地勢など幅広く解説してくれ、何より上高地への愛情がこちらへも伝わってくる素晴らしいガイドさんでした。

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大阪支社 高橋です。
前回に引き続き、日本屈指の景勝地である上高地の見どころをご紹介します。

 

滞在2日目。上高地の専門ガイドと共に奥上高地・徳沢を目指す『奥上高地自然探勝ハイキング』(約7km)へ出掛けます。
朝9時にホテルで専門ガイドと合流し、朝の静けさの中で河童橋を渡り、梓川左岸ルートへ入りますが、天気が良ければ、スタート早々から穂高連峰、振り返ると焼岳の風景をご覧いただくことができます。

 

梓川の下流方向には焼岳も展望


<現地ガイド情報>

現地ガイドより、河童橋から望む焼岳は、天候の目安になるという解説がありました。
梓川下流に望む焼岳は、河童橋から見て西寄りとなるため、こちらの空に雲がなく焼岳がキレイに見えている時はその後も晴天が続きやすいそうです。
ただ、焼岳の硫黄の匂いが河童橋まで漂って来たりすると「西から湿った風が吹いている」ということで雨になりやすいそうです。

 

湧水口から梓川に合流するまで300mほどしかない透明度に驚かされる清水川などの風景を楽しみながら歩いていると、小梨平キャンプエリアに差し掛かります。

 

驚きの透明度を誇る清水川に陽光が射しこむ

 

河童橋近くのキャンプエリア 小梨平
上高地では、その昔リンゴ栽培が計画され、その際に接ぎ木としてコナシ(小梨)が植えられたことが、この地の名の由来です。コナシは一般的にズミ(酢実)の名で知られ、上高地ではよく似たエゾノコリンゴ(蝦夷の小林檎)も同じく「コナシ(小梨)」と呼ばれているそうです。現在の小梨平では、コナシの木はかなり減ってきており、大正期に植林されたカラマツが多く見られるキャンプエリアです。
キャンプをしなくても、賑やかな河童橋周辺から少し離れているため、静かに森で佇みたい方にはオススメのスポットです。

 

小梨平キャンプ場

 

溶結凝灰岩から噴き出す風穴
小梨平キャンプエリアを通過した後、梓川左岸の林間ルートを歩いていると、様々な見どころに出会います。
岩体や石積みなどの内外での温度差や気圧差によって風の流れが生じて出入口部を通じて大気が循環している穴を風穴(ふうけつ)と言います。
石積みの中に熱が蓄積されると、冷たい空気は下へ、暖かい空気は上へ移動します。春先に雪解け水が蓄冷熱した岩体を通過することで地下に氷の塊を作り出し、夏でも涼しさを保ち、天然の冷蔵庫とも言われています。上高地にもいくつか風穴があるそうで、河童橋のホテルでは食材の保管などで使われているそうです。
なお、梓川左岸の林間ルートにある風穴周辺の岩壁は、176万年前の大噴火で火山灰が圧縮された「溶結凝灰岩」と呼ばれています。

 

火山活動で形成された溶結凝灰岩から噴き出す風穴

 

 

ユニークな姿で成長する針葉樹
林間ルートを歩いていると、腰の曲がった姿から「黄門様」という別名を持つものや、ユニークな形に成長するカラマツやシラビソなどのマツ科の針葉樹も多く見られます。
専門ガイドの解説だと、カラマツは上に向けて成長する性質があり、枝の先端などが折れたり、枯れたりしてそれ以上伸びなくなると周辺の枝が変わって上に向けて成長を始めるため、様々な形状を見せるのだそうです。

 

黄門様のカラマツ

 

散策ルートに突如現れる登り坂
その後、林間ルートを歩いていると起伏のある道が続くことがあります(胸突き八丁のような坂ではないのでご安心を)。
梓川に流れ込む沢が雪解け水や雨水と共に大量の土砂を運び、長年にわたって堆積して丘のようになったことが要因だそうです。
大雨などによる増水時にできた激流の沢の跡は、上高地を散策していると至るところで遭遇し、改めて自然の驚異というものを感じる瞬間でもあります。

 

大雨などによる増水時にできた激流の沢の跡

 

 

明神岳の麓に鎮座する穂高神社奥社と明神池
穂高神社奥宮は、穂高見神(ほたかみのかみ)を祀る長野県松本市にある穂高神社の奥宮です。
太古の昔、奥穂高岳に天降ったと伝えられる穂高見神(ほたかみのかみ)は海神綿津見神(かいしんわたつみのかみ)の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄え信州の開発に功をたてた安曇族の祖神として奉斎されています。
上高地明神付近は古くから「神合地」、「神垣内」、「神河内」などとも呼ばれ、神々を祀るにふさわしい神聖な場所とされてきました。

 

穂高神社奥宮の鳥居

 

明神池は、針葉樹林に囲まれた穂高神社奥宮の境内にあり、穂高神社の神域で古くは「鏡池」とも称されていました。
梓川の古い流路に明神岳からの湧水が溜まってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しません。また、かつては一之池、二之池、三之池がありましたが、土砂崩れで三之池は埋まってしまいました。

 

明神池・一之池

 

因みに穂高神社は、長野県安曇野市穂高にある本宮(里宮)のほか、上高地・明神池に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから「日本アルプスの総鎮守」の通称があります。

 

明神エリアより望む明神岳

 

かつての上高地の入口は明神にあった
釜トンネルが開通されるまでは、松本市の島々(しましま)から徳本峠(2,135m)を越えて上高地へ、8時間ほど歩いて入るのが一般的なルートでした。徳本峠を越えて上高地への入口が明神エリアを出発してすぐの場所にあります。
因みに「徳本」と書いて「とくごう」と読み、専門ガイドの解説では、読み方と漢字にそれぞれ別の由来があるためだそうです。読み方の「とくごう」はかつて明神地区を指した地名「徳郷」や木こりの名前「徳吾」が由来とされ、漢字の「徳本」は医師または僧侶の名からとったと言われているそうです。

 

かつて上高地の入口は明神にあったそうです

 

その後も静寂に包まれた林床内の植生を楽しみながら、徳沢を目指します。
上高地には様々な岩石があり、風穴のあった場所にあった溶結凝灰岩は176 万年前にできた岩で桁違いの古さですが、上高地で最も古いのが1 億5,000 年前にできた頁岩(けつがん)です。明神を通過して徳本峠への分岐点を過ぎたあたりに多く、海溝の底に泥が堆積してできた岩石とのことです。
専門ガイドより「上高地という山岳リゾートとして有名な景勝地に、かつては海だった名残があるというのも不思議なこと」というお話を伺った際、「海神の御子神である穂高見神が海神の宗族である安曇族とともにこの地に移ってきたことと、大昔この地が海だったこととは関係はないのか・・・」、そんなことを一人で考えて歩いていました。
私は各所に咲く花々に夢中になり過ぎてしまい、最も古い岩を見落としてしまいました。またの機会に写真は掲載します。

 

針葉樹と広葉樹が混在する林間ルートを歩く

 

かつては牧場だった 奥上高地・徳沢
13時過ぎ、標高1,550mの上高地の奥座敷・徳沢に到着。
今では信じられませんが、かつては牧場だったのです。
明治以前に上高地へ出入りしていたのは木こりたちだけだったそうですが、明治時代に入ると、地元島々の上條百次良氏は松本周辺で牛や馬を集め、徳本峠を超えて上高地に入り、許可を得て放牧を行っていたそうです。牧場は、小梨平、明神、徳沢の3ヶ所にあり、特に徳沢は『徳沢牧場』と呼ばれ、古きよき時代の牧歌的な光景の一部として訪れる登山者に親しまれていたそうです。昭和9 年(1934)北アルプス一帯が中部山岳国立公園に指定されると牧場は閉鎖されました。
当時、牧場の番小屋だった建物は山小屋となり、現在では「氷壁の宿 徳澤園」として営業しています。

 

かつて牧場だった徳沢の風景

 

どこからどこまでの範囲が上高地?
昼食後は徳沢で自由時間。ご希望の方と共にさらに先の横尾へ向かうこととしました。

 

上高地の範囲を調べてみると、資料によって様々。ガイドブックでは「上高地~河童橋まで」、上高地の散策マップも明神エリア、徳沢エリアまでを示すものが大半です。
自然公園法に基づいた管理計画の中で上高地は「中部山岳国立公園・上高地管理計画区」とされ、『釜トンネル~徳沢と横尾の間にある新村橋』とされています。
また、穂高連峰の麓、梓川沿いに開けた平地一帯いう点から『平地の終点・横尾まで』とする考えもあります。それ以降が本格的な涸沢や槍ヶ岳などを目指す登山道となることが要因かもしれません。
個人的には『梓川沿いの平地の始点~終点』という観点と観光客が問題なく歩ける(制限時間は別として)エリアという2 つの点から『上高地は大正池から横尾までの区間』と考えています。
自然探勝が目的のツアーでしたが、横尾へ向かった事で「上高地を端から端まで歩こう」という想いを達成することができました。中にはのんびりと新村橋までの散策を楽しまれ「自然公園法に基づいたエリアの最奥まで歩けた」と、参加された皆様が様々な思いを達成できたことが喜ばしいことでした。

 

徳沢から明神岳と前穂高岳を望む

 

この日は、井上靖の長編山岳小説『氷壁』の舞台となった『氷壁の宿 徳沢園』で宿泊
上高地・徳沢という静寂と自然に囲まれながら山小屋とは到底思えない徳澤園での宿泊は、非常に有意義なひとときでした。
翌日は、徳沢から再び河童橋へ戻ります。ただ戻るだけではなく、往路とは違う「梓川右岸ルート」を歩き、梓川の水の色に驚き、〇〇湿原を見学しながら歩いたのですが・・・、それは次回にご紹介。 つづく

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大阪支社 高橋です。
7月に「花咲く千畳敷カール・乗鞍・上高地を歩く」へ同行させていただき、その中で2泊3日に渡って上高地に滞在し、自然探勝ハイキングを楽しみました。西遊旅行へ入社前、さらには個人的に何度も訪れた上高地でしたが、改めてその素晴らしさを体感することができました。今回から数回に分けて『日本屈指の景勝地・上高地』についてご紹介します。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

 

穂高連峰の裾野に広がる日本屈指の景勝地・上高地
上高地は、長野県の北アルプス南部の梓川上流部に位置し、長野県・岐阜県・富山県・新潟県の4県に跨る中部山岳国立公園の一部(上高地は全域が長野県松本市)であり、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されています。

 

①176万年前、火山活動によって現在の上高地の地にはカルデラが形成されたとされ、そのカルデラ内に火山灰がたまり、圧縮されて岩(地層)が形成されました。
②およそ6万年~2万年前、氷河時代だった頃には、山を覆っていた氷河の浸食作用によって紅葉の名所・涸沢カール(圏谷)などに代表される氷河地形を形成しました。
③1万2千年前、焼岳火山群の活動が梓川を堰き止め『古上高地湖』と呼ばれる湖ができ、湖底に堆積した土砂などが現在の上高地の地形の基盤となっています。

 

火山活動、氷河時代やその後の浸食作用など、途方もない時を経て形成され私たちを魅了し続ける上高地。
これから散策した経路に沿って、見どころをご紹介したいと思います。

 

活火山・焼岳と大正池
上高地へ通じる唯一の車道(県道)である釜トンネルを抜け、すぐ左手に見えるのが大正池、その畔に聳えるのが標高2,455mの活火山・焼岳。梓川右岸に聳え、現在も山頂から噴煙を上げ、活動を続けるトロイデ型(釣鐘を伏せたような形)の活火山です。
大正4年の大噴火で生じた泥流により梓川が堰き止められ、大正池が形成されました。
バスを降り、大正池の畔に出ると、大正池の水の美しさ、トロイデ型火山の焼岳が間近に迫る迫力など、到着直後から心奪われる上高地らしい景観が広がります。

 

上高地・大正池と焼岳(7月)

大正池から望む穂高連峰(10月)

 

上高地に点在する枯れ木
大正池をはじめ、上高地では水没した枯れ木に目が留まります。
これらはカラマツなどの針葉樹が水没して枯れ木となったものです。上高地の針葉樹は土砂崩れの起きにくい場所に増えることが多く、大正池周辺はある時から洪水・川の氾濫が発生しやすい土地となったため、周囲には湿った土地を好む広葉樹のハンノキの仲間などが生い茂るようになったそうです。大正池の枯れ木は幻想的な風景を演出する要因の1つですが、同時に「環境の変化を示す重要な痕跡」でもあります。

 

針葉樹の枯れ木は環境の変化を示す痕跡

 

伏流水によって養われる田代池
大正池より梓川左岸(下流の方を向き、左側の岸)に整備された遊歩道をしばらく歩くと、分岐点である田代湿原エリアに差し掛かります。
ここでは先を急がず、その先にある小さな田代池へ是非立ち寄ってみてください。

 

田代池は、大正池と共に大正時代の焼岳大噴火による影響で梓川左岸の支流の1つ千丈沢を堰き止めたことでできた池であり、正面に聳える霞沢岳などの砂礫層を経由した伏流水によって養われた池でもあります。大正4年の焼岳大噴火の際には最深5m余りあったとされていますが、枯れた水草や周囲から流れ込む土砂などが堆積し、徐々に小さくなり、長い年月をかけて湿原化してきており、それが田代湿原と呼ばれています。
田代湿原は穂高連峰の好展望地でもあり、秋になると湿原エリアが黄金色に染まり、撮影好きの方にとってはオススメのポイントでもあります。
田代湿原、田代池は、今後乾燥化が進行していくと樹木が進入し、やがては森へと移り変わっていくと言われています。

 

伏流水によって養われる田代池(7月)

田代湿原から望む穂高連峰(10月)

 

その後、梓川左岸の林間ルートをしばらく歩くと、梓川に架かる田代橋・穂高橋に差し掛かります。ここからは、橋を渡り梓川右岸ルートの散策を楽しみます。
ただ、田代橋からも美しい梓川の風景をご覧いただくことをお忘れなく。

 

梓川に架かる田代橋からの風景(7月)

梓川に架かる田代橋からの風景(10月)

 

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストン
1888~94年、日本に3度長期滞在をしたイギリス人宣教師のウォルター・ウェストン
彼は滞在中、日本各地の山を登り、1896(明治29)年に著した『日本アルプス登山と探検』で、自らが訪れた上高地や穂高連峰などを広く世界へ紹介・賞賛しました。それまで日本では「山は信仰の対象、修行としての山登り」や「狩猟のための山行」でしたが、レジャーとしての登山を、また上高地を広く紹介した彼の功績は「日本近代登山の父」として今でも称えられています。
そのウォルター・ウェストンの登山案内を務めたのが、当時上高地に住み、地形などを熟知していた上條嘉門次氏でした。

日本近代登山の父 ウォルター・ウェストンのレリーフ

 

上高地のシンボル・河童橋
梓川の風景などを楽しみながら右岸ルートをしばらく歩くと、いくつかのホテルが並ぶエリアに差し掛かります。その先に待っているのが、上高地のシンボル・河童橋です。
1891年に初めて橋が架けられ、現在は5代目の吊橋です。
現在河童橋が架かるエリアは、古くは河童淵と呼ばれており、諸説ありますが、橋が架かっていなかった時代に衣類を頭にのせて川を渡る人々の姿が河童に似ていることがその名の由来と言われています。また1927年に芥川龍之介が小説『河童』で河童橋を搭乗させたことで広く知られるようになりました。
河童橋ではゆっくりとした時間を過ごし、梓川の美しさと共に、河童橋から望む穂高連峰の風景を是非堪能してください。また、橋上で梓川の下流方向を振り返ると、大正池の畔に聳える焼岳の姿もご覧いただけます。

 

上高地のシンボル・河童橋と穂高連峰(7月)

⑩梓川の下流方向には焼岳も展望

 

大正池から河童橋までゆっくりと時間をかけて散策する日帰り旅行でも十分に上高地の素晴らしさを体感していただけますが、西遊旅行がそのままで終わるはずがありません。河童橋付近のホテルに宿泊し、夜の上高地、早朝の上高地の風景を楽しんだり、さらに奥へ進む自然探勝ハイキングも楽しむ日程をご用意しております。

 

河童橋から先の見どころについては、次回にご紹介。 つづく。

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屋久島とともに日本で初めての世界自然遺産に登録された「白神山地」。東北の秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万haに及ぶ広大な山地帯に、ブナ林の原生林が残されています。
岳岱自然観察教育林のブナの森(秋田・藤里町)

世界遺産・白神山地

日本が世界遺産条約を批准したのは1992年で、翌年の1993年に調査委員が白神山地を訪れ、ペルーでの最終会議を経て、白神山地が世界遺産に登録されました。

苔や地衣類などに覆われたブナの森

白神のシンボル「400年ブナ」

この白神山地のブナの森が世界遺産に登録されたのは、手つかずの8,000年前の原生林が残されていることが大きな理由のひとつです。かつては、この森に青秋林道の建設計画がもちあがったそうですが、市民グループの反対によって道路建設はくい止められました。もし道路が作られていれば白神山地の世界遺産の登録はなく、同じように広大なブナの森が広がる十和田湖・奥入瀬渓流の周辺は、森林を切り開いて道路が作られたため、残念ながら世界遺産としての価値はなくなってしまったそうです。

ブナ林の木道沿いにあるモリアオガエルの池

7月はブナの芽吹きがみられるシーズン

秋田白神山地

秋田県の白神山地は、緩衝地域に位置する二ツ森やその周辺の岳岱自然観察教育林、藤里駒ヶ岳、留山などのブナやミズナラの天然林のほか、峨瓏大滝、銚子の滝など滝や天然の秋田杉が立ち並ぶ太良峡、ミズバショウやニッコウキスゲなどが一面に咲く田苗代湿原など見どころが満載です。

ブナ林で菌類に寄生して栄養を得るショウキラン(鍾馗蘭)

ブナの森のハイキング時のお弁当の一例

 

岳岱自然観察教育林
標高620m、面積約12ha。コースを一周すると1.8km。岳岱自然観察教育林は、ブナを主とする冷温帯落葉広葉樹林の極林に近い林相で、昭和48年度レクレーションの森「岳岱風景林」に指定された後、平成4年4月現在の名前「自然観察教育林」に変更さました。ブナの寿命は300年前後と言われる中、それを遥かに超える老木・白神のシンボル「400年ブナ」と呼ばれる幹周り485cm、樹高26mの巨木は「森の巨人たち百選」にも選定されています。

白神のシンボル「400年ブナ」

森の巨人たち100選認定看板

 

田苗代湿原
面積約19ha。大昔は湖沼だったと言われる湿原。ここでは時期を変えてミズバショウやショウョウバカマ、ニッコウキスゲなど湿原に咲く高山植物を見ることができます。田苗代湿原は藤里駒ヶ岳登山の入口で、ここから頂上まで片道約70分~90分の行程です。湿原内は植物が踏み荒らされないよう木道が整備され歩きやすい散策ルートになっています。昨年はニッコウキスゲの花が例年より開花せず裏年と言われていたので、今年のニッコウキスゲの花シーズンは期待ができます。

ニッコウキスゲの花咲く湿原をハイキング

ニッコウキスゲの花

 

アクセスが便利な青森県側のブナの森が有名ですが、知られざる秋田県側の白神山地周辺の森のハイキングもおすすめです。
白神山地シリーズ②へ続きます!

 

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今回は「大山ブナの森ウォークと断崖の国宝・三徳山投入堂」のコースをご紹介します。

このコースでは伯耆富士と言われる大山を見ながら、鳥取の自然や歴史のある町を巡るコースです。

1日目

まず初日にご案内するのは奥大山にある「木谷沢渓流」。鳥取県内でも水が綺麗なことで有名な奥大山では、約1時間でまわることができる散策道をガイドとともに歩きます。目に映る自然をゆっくりとお楽しみください。

木谷沢渓流

2日目

大山は「神の居ます山」といわれ山岳信仰の霊場として入山が厳しく制限されてきたためブナの森が守られ西日本最大級とも言われています。2日目は朝からブナの森ウォークへご案内します。ガイドの方の話を聞きながらゆっくりと歩いていきます。道中ではブナの巨木を見たり、千年以上の歴史を誇る大山寺を参拝します。自然と大山の歴史に触れることができるでしょう。

 

午後からは大山をぐるっと車で眺めます。大山の絶景ポイントとして大山の山並みが見ることができる桝水高原や大山南壁を眺める一番のポイント鍵掛峠などを巡ります。


 

3日目

午前中に向かうのは琴浦町。荒神さんと地元の人から親しまれています神崎神社では本殿の大黒様や葡萄とリスや拝殿向拝の天井に彫られてい龍などその彫刻は必見です。

神崎神社 天井の龍

光町では左官職人が使う鏝で漆喰に様々な模様を描いた鏝絵を見学します。蔵にもよく見られるので、蔵飾りとも呼ばれていますが、光町のように密集しているのは全国的に珍しいことです。

光町鏝絵

午後は倉吉の白壁土蔵群を散策します。江戸時代から大正時代にかけて建築された古い所商家の町並みや南総里見八犬伝のモデルとなった忠義公と8人の家臣が葬られている大岳院などを巡ります。

倉吉 白壁土蔵群

4日目

国宝に指定されている三徳山投入堂登山へ向かいます。登山口では、靴チェックがあり、靴底に不備がある場合はぞうりの購入が必要になります。「さんげさんげ六根清浄」と唱えながら登っていきます。

三徳山文殊堂からの眺め

午後は三朝温泉を訪れます。約850年前に発見された古湯・三朝温泉。ラジウム温泉が湧出する手水舎がある三朝神社や株湯を訪れます。足湯もできますので、午前の三徳山投入堂の疲れを取るにもいいでしょう。

三朝温泉 (河原風呂)

5日目

最終日は羽衣伝説が残る湯梨浜町へ向かいます。天女が羽衣を掛けたという伝説が残る羽衣石や、羽衣山上にある羽衣石城跡、一之宮の倭文(しとり)神社を訪れます。

羽衣石城跡

国宝の三徳山投入堂、鳥取の自然や歴史を訪ねてみませんか。

 

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