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デブラ・ブラハン・セラシエ教会(エチオピア)

  • エチオピア

2023.07.26 update

今回はエチオピア北部、ゴンダールの町に残るデブレ・ブラハン・セラシエ教会をご紹介します。

 

ゴンダールはかつてエチオピア帝国の都が置かれた旧都。この教会は1674 年、イヤス王によって建設されました。長方形の形は旧約聖書に登場するノアの方舟を表していると言われています。教会を囲む壁には12 のドームがあり、これはイエス・キリストの12 使徒を表し、メインゲートはライオンを象っているとされます。教会の入り口は男性、女性によって分かれており、内部は旧約、新約聖書の物語を描いた壁画、天井は天使の壁画で埋め尽くされています。


教会外観  長方形の造りはノアの方舟を表している


教会を囲む壁には12 使徒を表す12 のドーム。


ライオンが座っている姿を模した門


屋根の上にはダチョウの卵をあしらったゴンダール式の十字架


天井には天使を描いた壁画。この教会で最も有名な壁画。木の上に直接描かれている。


教会内部の見学できるのは1 部屋のみと小さいが、壁画は素晴らしい。正面には十字架に張り付けられたイエスと、その上には三位一体(Trinity)を表す壁画。

 

三位一体とは:キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。「三位一体」は、正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントにおいてはキリスト教における中心的な教えの1 つであり、正統教義のひとつ。

北側の壁には聖母マリアの生涯を表す壁画。上段2 段はマリアとヨセフのエジプトへの逃避を表す。また、下段はキリスト教の戦士が異教徒と戦う姿を現す。キリスト教徒は正面から見た顔(両目)、異教徒は横顔(目がひとつ)で描かれる。

南側にはイエス・キリストの生涯が描かれる。左上はイエスのエルサレム入場、右下は最後の晩餐。


最後の晩餐の後、12 使徒のひとりユダに裏切られたイエスはヘロデ王につかまり、十字架にかけられ、再び地上に蘇る(レザリクション)までのお話が描かれている。

 

この様に、小さいながらに内部一面が壁画で埋め尽くされた、デブレ・ブラハン・セラシエ教会。ヨーロッパの教会とは異なるエチオピア独特のタッチで描かれています。その昔、字が読めない人々に聖書の教えを説くためにこの様に絵で表現したそうです。エチオピアを代表する歴史遺産に違いありません。

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パタゴニア
煙を吐く山・フィッツロイ展望ハイキング

  • アルゼンチン
  • チリ

2023.06.20 update

 

チリとアルゼンチンの2ヶ国にまたがるパタゴニア地方では、様々な大自然を肌で感じることができます。その中でも特別な魅力を持った山「フィッツロイ」。西遊旅行のパタゴニアツアーでは、本格的なトレッキングでフィッツロイの魅力を存分に体感できるものもありますが、今回は拠点の町となるチャルテンから往復4~5時間程度と、それほど体力を要さず手軽に楽しめる「カプリ湖までのハイキング」の様子をお伝えいたします。

 

フィッツロイとは

標高3,405メートル、別名「チャルテン」とも呼ばれます。チャルテンとは「煙を吐く山」という意味で、その名の通り煙(=雲)が山を覆っていることが多く、晴れていてもなかなかその全貌を拝むことができないのが特徴です。アウトドアブランド・パタゴニアのモチーフにもなった、鋭利な形が特徴的な山です。

世界遺産に登録されたロス・グラシアレス国立公園の一部で、4月下旬は周辺の南極ブナの紅葉が美しくなります。5月から10月は雪に閉ざされるため、1年の半分だけ周辺のハイキングやトレッキングを楽しむことができます。

 

フィッツロイ展望 カプリ湖までの往復ハイキング

世界の最果てパタゴニア」のツアーで、フィッツロイの好展望地であるカプリ湖までのハイキングに同行しました。ハイキングのスタートポイントであるチャルテンの町まで、宿泊地であるカラファテから日帰りの行程です。

カラファテからチャルテンまでは、片道約3時間。道中、車窓からアルゼンチンで最も大きな湖であるアルヘンティーノ湖からカラファテの町を望んだり、グアナコの群れに遭遇しました。

アルヘンティーノ湖とカラファテの町を望む

グアナコの群れに遭遇

 

途中休憩で、ラ・レオナという場所に立ち寄りました。

ラ・レオナのカフェ

東京まで21,041kmの表示

 

チャルテンの町に入るすぐ手前に、フィッツロイの展望ポイントがあり車を止めました。この日は晴れていましたが、最初どの方角を見てよいのか分からないくらい、フィッツ・ロイは完全に雲に覆われていました。

雲に隠れているフィッツロイ

 

この後その姿を現すかどうか、少し不安な気持ちを抱えながらもスタート地点の登山口に到着。登山ガイドと合流し、各自ランチボックスを持って、服装を整え、軽い準備運動をしていざ出発です。

チャルテンの登山口

 

ハイキングスタート

 

ハイキングと言えど、初めの1時間ほどはずっと急な登り坂の道を行きます。途中、何か所か開けた場所があり休憩を多めに取りながら進みました。この時期はベストシーズンである1月。とはいえパタゴニアは天気が変わりやすく、天気が悪くなるととても寒いため上着は必須です。この日は風が強かったものの予想以上に気温が上がり、日差しも強烈だったため、途中上着を脱いでリュックにしまい、先を目指しました。

しばらく急な登り坂が続く

 

開けた場所で休憩

 

しばらくするとほとんど平坦な道になりました。ここで、フィッツロイの先端が徐々に姿を現し始めました。まだ完全に見えてはいませんでしたが、期待が高まります。

低木の緑が美しいコース

 

フィッツロイの先端が徐々にその姿を現す

 

途中、カプリ湖への分かれ道があり、そちらへ進みました。少し林を進み木々が開いた場所に出ると、先程の雲が完全に晴れてフィッツロイがその全貌を見せてくれ、皆さんの歓声が上がりました。とても良いタイミングでハイキングをすることができたと思います。

先を進むとフィッツロイの全貌が…!

 

 

さらに進んだところで、目的地であるカプリ湖に到着。登山ガイドおすすめのポイントに腰をかけ、フィッツロイのたくましい造形美を眺めながらボックスランチを食べました。何とも贅沢なひと時で、1時間ほど時間を取りましたがあっという間に過ぎてしまいました。

カプリ湖畔でフィッツロイを見ながらランチ

 

 

フィッツロイはそれぞれの峰に名前が付いており、左右のピークはそれぞれポインセノット(3,002m)、メルモーズ(2,732m)などとなっています。

各ピークの名称

 

帰りは周回して別の道を行き、途中フィッツロイが見える展望台に立ち寄りました。ここでは徐々に雲で覆われていく姿が確認でき、本当にちょうど良いタイミングで一瞬だけ姿を現したことに奇跡のようなものを感じ、感動的でした。

だんだんと雲に覆われてきたフィッツロイ

 

チャルテンの町に戻るまでの登山道で、登山ガイドが「静かに。」と言いながら木に近づいていきました。何事かと思ったら、マゼランキツツキの雄と雌の番いが木をつついているところでした。南米で最も大きなキツツキで、オスは鮮やかな赤い頭が特徴です。静かな森の中で嘴が木をつつく音が響き渡ったのが印象的で、何だか時間が止まっているようでした。

マゼランキツツキ(雄)

こちらは口の周りが赤い雌

 

写真で見るだけでも美しいパタゴニアですが、フィッツロイ展望の他にも風の強さ、氷河の上の冷たさ、氷河が崩れ落ちるときの轟音など、ぜひ現地に足を運び、五感で大自然を感じて頂ければと思います。

 

関連ツアーのご紹介

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ソグディアナからスルハンダリヤへ 
~タジキスタンとテルメズの遺産~

  • タジキスタン

2023.05.15 update

今回は人気の「タジキスタンとテルメズの遺産」のコースから、タジキスタンの見どころをご紹介いたします。

 

タジキスタンは、国土の90%以上が山岳地帯という山岳国家です。そのため、かつてこのツアーではトルケスタン山脈、ザラフシャン山脈、ヒッサール山脈を越えて首都ドゥシャンベへ向かうために、二つの峠越えがありました。峠は標高3500mを超えるため、ゴールデンウィークでも雪が降り、秋も降雪のためにツアーを設定することができませんでした。しかし近年、中国・イランが峠にトンネルを造り、峠越えの必要がなくなったため、春や秋にもツアーを設定できるようになりました。

 

ペンジケントまでの道中は峻険な山脈を縫うようにザラフシャン川が流れていますが、添乗で訪れた10月は黄葉が始まり、美しい風景を見ることができました。

「金を運ぶ川」という意味のザラフシャン川の黄葉

次に、ツアーで訪れる「ドゥシャンベの国立博物館」の珍しいコレクションを紹介いたします。通常は写真撮影が禁止されている博物館ですが、はるばる日本から来たツアーということでお願いし、撮影を特別に許可していただきました。

まず、ソグド人の都市ペンジケントからの出土品。これはペンジケントにかつて存在したヒンドゥー寺院にあった、シヴァ神とパールヴァティーの像です。シルクロードを結ぶ交易ルート上の都市だったため、この街に滞在するインドから来たヒンドゥー教徒の隊商のために造られたと思われます。

実際に寺院の前でシヴァとパールヴァティーに扮してポーズをとるガイドさん

そしてこちらは、ペンジケント近郊に残るサラズムで発見された紀元前4000年紀の「サラズムの王妃」という女性です。サラズムはタジキスタンで最初に登録された世界遺産で、工房跡や神殿跡が発掘されています。かつてツアーでは訪問することはなかったのですが、現在のツアー日程ではペンジケント訪問の際にサラズムの遺跡も訪問します。

ドゥシャンベ国立博物館に眠るサラズムの王妃

発掘されたサラズム遺跡の拝火神殿跡

 

ここからの写真は、タジキスタン南部にあるグレコ・バクトリア時代のタフテ・サンギンからの出土品の数々です。アレキサンダー大王は、東方遠征の際にソグディアナとアフガニスタンを往復しています。大王がもたらしたギリシャの文化を色濃く残す、目を見張るような出土品がたくさん展示されています。

ギリシャ神話のキューピッド

アレキサンダー大王とされる像

インドに近かったこともあり象牙細工が多く、この「アキナケス剣の象牙の鞘」は素晴らしい傑作です。ガイドさんいわく、このような傑作は「後世の人にも見てもらう価値があるため出土される」のだそうです。

アキナケス剣の象牙の鞘

そのほかツアーでは、テルメズでクシャン朝時代の仏教遺跡や、アレキサンダー大王が建てたアムダリアのアレキサンドリアである「アレキサンドリア・オクシアーナ」だと比定されるカンプル・テパ、考古学者の加藤九祚先生が発掘に携わったクシャン朝の最初の首都ダルベルジン・テパ等も訪問。見どころの詰まったツアーです。春は野花が咲き秋は黄葉が美しい、自然も魅力のタジキスタン。皆さまをお待ちしています。

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インドネシア
世界遺産ボロブドゥールと天空の寺院を巡る

  • インドネシア

2023.04.12 update

インドネシアは言わずと知れた多民族国家で、複数の宗教が入り混じり独特の文化が形成されてきました。歴史、自然、文化とその魅力は多岐に渡りますが、その中でも世界遺産の仏教遺跡と、神秘的なパワースポットを中心とした弊社企画「天国の門ランプヤン寺院と世界遺産ボロブドゥール」の見どころをお届けします。

まずはジャワ島の遺跡群の見どころをご紹介。

 

プランバナン寺院

碑文によると建立は856年。マタラム王国のピカタン王によって造られたと言われ、マタラム王国の王家の先祖を祀る霊廟だったとも考えられています。ヒンドゥー教の寺院ですが、ピカタン王の妻は仏教国シャイレーンドラ王朝の王女だったため、蓮の花のモチーフなど仏教建築の影響も見られます。このことから9世紀当時、ヒンドゥー教と仏教は対立せず共存していたことが分かります。マタラム王国は10世紀頃には消滅してしまい、それ以降、忘れ去られたプランバナン寺院は火山灰に埋もれて風化してしまいました。その後、700年近くが過ぎた1733年(ボロブドゥール遺跡の発見の80年ほど前)にオランダ人の探検家によってこの遺跡群が発見され、敷地では現在も発掘、修復作業が進められています。境内は222㎡、6つの堂と234の小祠堂があり、さらにその外側に390㎡の外苑があります。中央で一番高いのが主堂のシヴァ聖堂で、その両脇にブラフマー聖堂とヴィシュヌ聖堂。三堂の前にはそれぞれ対面に各神々の乗り物となる守護神のお堂が配置されています。この神様と乗り物を対面で置く様式は南インドのマハーバリプラムの石窟寺院などからの伝播とも言われ、ヒンドゥー寺院の根幹となっていく様式となっていきました。

今だ修復作業が進むプランバナン寺院

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥールが建設されたのは8世紀後半~9世紀中ごろの約75年かけて。発見された碑文によればシャイレーンドラ王朝のダルマトゥンガ王(在位775以前~782)、サングラーマナンジャ王(在位782~812)、サマラトゥンガ王(在位812~832)の三代の王の時代です。目的は霊廟という説が有力ですが、単純に霊廟だけではなく、参拝者に精神的な救いを得られるようにも建設されていることがうかがえ、そのような意味合いをもつ建築物は他国でもあまり見られない特徴的なポイントです。ボロブドゥールは自然の丘に盛り土をし、その上に安山岩のブロックを積んで造られています。全体の高さは42m。最下層の一辺が120m。参拝者たちが参拝することで精神的な安らぎを得るには、仏の教えを授けることが最善と考えられる為、ボロブドゥール自体が仏教の宇宙観を示す、曼荼羅的な意味合いを持っていると言われます。(真上からみると、遺跡全体が曼荼羅の様相を成している)

 

ボロブドゥールは大きく「基壇」「方形壇」「円壇」の3段で形成されていますが、それぞれが仏教界である「欲界」「色界」「無色界」に相当しています。例えば最も下層にある欲界の壇には、嫉妬や噂話に翻弄される人々の不穏な表情が描かれており、そのレリーフの表情ひとつひとつが興味深いものになっています。また、お釈迦様の出生~涅槃までの一生や、お釈迦様の前世のお話(ジャータカといいます)を描いた壇もあり、その緻密さには圧倒されます。ボロブドゥール遺跡にお越しの際は、ぜひお釈迦様の一生を学んでからいらしてください。面白さが倍増します。

不穏な表情の欲界のレリーフ

仏伝図が描かれた回廊と仏坐像

世界最高級のコーヒー「コピ・ルアク」

ジャワ島で有名なのがコーヒー。複数の種類がありフレーバーも多様ですが、「世界一高価なコーヒー」といわれるコピ・ルアクの生産も盛んです。コピはインドネシア語でコーヒー、ルアクはマレージャコウネコのことで、コピ・ルアクはなんとコーヒー豆を食べたジャコウネコの排泄物から取るもの!ジャコウネコの腸内で豆が発酵されることにより独特のまろやかな風味が生み出されます。腸内酵素の働きでカフェイン含有量も減り、成分としても飲みやすくなるそうです。もちろんお店では、キレイに精製されたものを販売していますのでご安心を。日本の喫茶店で飲むと一杯2,000円近くかかることもあるコピ・ルアクですが、現地なら日本で買うよりもかなり安くお買い求めいただけます。

コーヒー豆を食べるジャコウネコ

続いて国内線でバリ島へ移動します。リゾート地としても世界中から人気のバリ島ですが、このツアーでは文化の街ウブドを中心とした寺院観光などをお楽しみいただきます。ウブトはガムラン音楽、バリ舞踊、バリ絵画など、芸術の村として有名です。地名の由来は薬草(現地語でウバド:Ubad)が訛ったもので、美しい水、空気とともに心身に栄養をもたらすというような意味合いを表すと言われています。

 

タマン・アユン寺院

17世紀、バリ島にはいくつもの王国があり、その中のムングウィ王国を守る鎮護寺として1637年に建立されました。「美しい庭」という意味を持ち「アユン」というのは歴代のムングウィ王が名乗った名前です。残念ながらムングウィ王国は、隣国との戦いに敗れ、国土は2つに分断、のちに消滅してしまいました。しかし、その後もムングウィ村の人たちはかつて栄えた王国を誇りにし、敗戦で荒廃したこの寺院も1937年に改修され、今も大切な憩いの場、祈りの場となっています。「バリ州の文化的景観」のひとつとして世界遺産にも指定されているこの寺院は、バリ島にある数多くの寺院の中でバリ・ヒンドゥー教の総本山・ブサキ寺院についで2番目に大きな寺院です。

神様が住むといわれる11重の塔(メル)

ランプヤン寺院

ランプは”光”、ヤンは”神様”、バリ・ヒンドゥー教の神「ヒャン・グニ・ジャヤ」を意味し、ランプヤン寺院はこの神の光やエネルギーが満ちている場所と考えられています。またその壮大な眺めから、天空の寺院という別名をもちます。セラヤの丘(ランプヤン山)にあり、建立された年代ははっきりわかりませんが(11世紀にはすでに存在していたとのこと)、バリ・ヒンドゥー教の9大寺院の1つで、実は7つの寺院から構成されています。信仰深い地元の人の中には、長時間かけてランプヤン山を登山して、その全ての寺院を巡礼する人もいます。最も有名なのが、アグン山を正面にして建てられた大きな割れ門。写真映えするので、インスタグラムなどが大好きな若者もこぞって写真を撮りにくるスポットです。割れ門は一般的に「良い考えだけを持って入り、悪いものは門の外へ出す」という意味が含まれていますが、ここでは「山を切り開いて神様の元に行く」という事も表しているそうです。

アグン山を正面にした天空の門

インスタ映えスポットとして人気上昇中

さらに、芸術の街ウブドでぜひ見ていただきたいものが、民族舞踊です。インドネシアには多数の舞踊があり、ウブドでは毎晩そこかしこで様々な演目が披露されています。今回のツアーではその中の「ケチャックダンス」を鑑賞しました。

腰布1枚で踊り歌う男性たち

ケチャックダンス

ケチャックダンスはモンキー・ダンスとも呼ばれる男声合唱劇(現在では女性の団体もあります)。松明の火を囲んで腰巻をつけた大勢の男性たちが輪になり、「チャッチャッ」と猿の鳴き声を元とした特徴的な掛け声を複雑なリズムで合唱します。原型はバリ島で古くから行われていた、神のお告げを聞くための降霊術のような儀式と言われており、トランス状態の人間が躍るための合唱だそうです。徐々に盛り上がり興奮状態になっていく合唱は、聞いている私たちをもその神秘的な世界に引き込みます。

ほとんどの演目では、このケチャックダンスはラーマーヤナの舞踏劇と共に披露され、ラーマーヤナの物語を民衆に広める役割も担いました。

ラーマーヤナ物語の舞踏

ご紹介したポイント以外にも、美味しくバラエティに富んだお食事や、連泊するこだわりのホテルなども当ツアーの魅力です。

ココナッツなどの葉を器にしたインドネシアプレート

パンダンという植物で色づけた緑色のお菓子はインドネシアでポピュラーなものです

リゾートでのんびり来るのももちろんいいのですが、ガイドさんのお話を聞きながら、遺跡や寺院をじっくり見学できるのはツアーならでは。様々な文化が入り混じる、歴史と神秘にあふれたジャワ島とバリ島にぜひお越しください。

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アルジェリア探訪 後編:ムザブの谷の生活

2023.03.22 update

旅といえば遺跡観光ばかりではなく、現地の人々の生活を知ることもその楽しみの一つです。

アルジェリアの中でも特徴的な暮らしが残るのがサハラ砂漠北部に位置するムザブの谷。観光ツアーの中で訪れる場所としてはもっとも南に位置します。北部の緑豊かな地域から、途中でデーツ屋さんや果物屋さんに立ち寄ったりしつつ丸一日かけ南下していきます。やがて緑が少なくなり、乾燥した大地がひろがるようになります。

ムサブの谷に住むのはイバード派の人々で、彼らは迫害から逃れこの地に流れ着き、11世紀頃に最初の村エル・アーティフを築きました。それ以降、今に至るまで伝統的な生活を守り続けています。

丘の上のモスク(中央やや左)を中心に街が作られます。

ムサブの谷の街はどこも丘の上に作られており、頂上のモスクを中心としてその周りに居住区、市場が回りに広がっていきます。平等性を重視する彼らは、どの家からもモスクが見えるように家々を作っているのだそうです。

遠目に見ると、街の家々の壁は素材そのままの茶色の他、薄い水色やグリーン、淡いピンクに塗られています。これらのパステルカラーは蠅や蚊などの虫が嫌う色として信じられているそうです。また、この町の建築様式は近代建築の父、ル・コルビジェにインスピレーションを与えた場所としても名を知られています。

街に入るにはその街の出身のガイドさんと一緒に入らなくてはなりません。入り口には「カメラ禁止」「女性のスカートやショートパンツ禁止」などの看板が。

左から「人物撮影禁止」「常にガイドと一緒に」「女性の肌が大きく見える服禁止」

街に入ると、いたるところに暑さ対策の工夫が見られます。例えば建物の壁はでこぼことして無数の影ができるようになっています。この影により壁の温度が下がり、室内でも快適に過ごせるようになるそうです。

また、路地が極端に狭いのも影を作り、日中でも外を歩けるようにするためです。

狭い路地での運搬にはロバが活躍します。

路地で所々見かけるフックは、昔ここに山羊の革袋に水を入れて下げ、気化熱で周囲の温度が下がるようにしていた残りだそうです。

道の両脇に並ぶ家々の扉は決して向かい合わせにはならず、互い違いになるような位置に設置されています。邪視、といって「他人から向けられた妬み嫉みなどの悪意ある眼差しが災いをもたらす」とする民間信仰があり、その邪視を避けるために容易に家の中が見えないよう、扉の位置が決められているのです。

影ができて日中でも歩きやすいつくりの路地。家の入口は互い違いになっています。

ムサブ族の人々は、地下水源を掘りあて、それを井戸でつなぐことで水資源を確保してきました。そんな大切な水を無駄にしないための工夫が街の中の井戸にも見られます。井戸のすぐそばにはナツメヤシの木が植えられ、こぼれてしまった水しぶきさえその成長に役立つようにされているのです。

住宅地の中にある井戸とヤシの木

栄養源にも、建築材にもなるナツメヤシの木は大切に育てられます。暑い時期には人々はナツメヤシ畑の中で涼むこともあるとか。日陰があり、またナツメヤシの他にも様々な植物がその木陰には育つのでとても快適なのだそうです。

厳しい自然の中で生きるために生み出された知恵は、どれも合理的で思わず納得してしまうものばかりです。何よりムサブの谷で今も伝統的な生活続けている人々の姿が印象的です。写真に撮れないのでその姿をご紹介することはできませんが、ぜひ、実際にその目でご覧になって頂きたいものでした。

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