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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ【その2】

  • パキスタン

2020.05.21 update

K2B.C.(5,100m)までは大きく分けると①~➂の3段階となります。

 

①アスコーレ(3,000m)からバルトロ氷河の末端部のパイユ(3,450m)まで<3日間>
酷暑からくる疲労と体調不良に注意しながら歩きます。パイユでは夕食後にポーター達が集まり恒例の宴(歌&踊)が始まります。参加型なので、手拍子を交えて全員で楽しみます。また、連れてきたヤギの解体が行われるのもパイユです。目を背けたくなる様な場面もあるでしょうが(希望者のみ見学可)、レバーの煮込みやお肉の炒めものは絶品です。感謝の念を込めながら頂き、エネルギーを蓄えます。

前方にバルトロ氷河付近に聳える高峰群が顔を出し始める

酷暑の日中はポーターも岩陰で休みます

パイユ(3,450m)のキャンプ地は緑も豊かでとてもリラックスできる

パイユ以降、ポーターは食料を各自で運ぶ、その為に配給がある

ポーター代わりの馬やロバもエネルギーを補充

パイユ(3,450m)にて、現地スタッフ達のパーティーナイト
注)お酒は入っておりません

長い腸の中を洗浄中

栄養たっぷりのヤギのレバー

チキンは今夜のご馳走へ様変わり

②パイユからコンコルディア(4,650m)まで<4日間>
バルトロ氷河の脇や上を歩いて、その四方に聳える名峰群に心が奪われます。K2はコンコルディア到着の約15分前からしか見えません。そのじれったさが溜まらず、期待に胸が高鳴ります。コンコルディアでは、北側にK2とブロードピーク(8,051m)、
東側にガッシャーブルム山群、南側にはバルトロカンリ(7,274m)、スノードーム(7,150m)、チョゴリザ(7,668m)、ミトレ(6,025m)等、360度のパノラマが広がっています。朝に夕に、たっぷりとのんびりと山岳展望をご満喫いただけます。

氷河上から振り返りパイユピーク(6,610m)を望む
※パイユから見上げた写真は下

トランゴ山群を眼前にバルトロ氷河を進む(白い氷河には氷河が削り取った黒い土砂が被っています)
※アップ写真は下

ウルドゥカス(4,050m)のすぐ先からガッシャーブルム山群が顔を出す。左端の山はブロードピーク主峰(8,051m)
※G山群のアップ写真は下

氷河上のキャンプ地(ゴレ)
氷河の上に土砂が被さっているだけでこの下は氷、気温はグッと下がる

ツアーを盛り上げてくれる愉快なポーター達

ポーター達は極寒の地でも工夫を凝らしてシェルターを作る

コンコルディア(4,650m)から望むK2(8,611m)とエンジェルピーク(左 6,805m)

コンコルディア到着日

コンコルディア到着日の翌日、一気に白銀の世界へ

➂コンコルディア~K2B.C.(5,100m)まで<2日間>
ゴッドウィン・オースティン氷河を遡って一気にK2の懐へ近付きます。ブロードピークは真下から見上げる様な角度になり、K2も眼前間近に迫ります。時期によっては登頂隊に出くわすこともあるでしょう。

ゴッドウィン・オースティン氷河の左岸モレーンを進みブロードピークB.C.(4,850m)へ

ブロードピークB.C.(4,850m)から望むK2(8,611m)とエンジェルピーク(左 6,805m)

チョゴリザ(左 7,668m)やミトレ(中奥 6,025m)を背後に望むゴッドウィン・オースティン氷河沿いの好展望地ブロードピークB.C.(4,850m)の南側展望

K2(8,611m)の懐にあたるベースキャンプへ

トレッキング中、特に有名な名峰達を一部ご紹介しましょう。

 

▲パイユピーク(6,610m)
巨大なパイプオルガンの管のような垂直の岸壁を周囲に張り巡らす岩峰です。パイユは現地バルティ語で“塩、岩塩”という意味があります。1976年、パキスタン隊により初登頂。

パイユ(3,450m)から望むパイユピーク(6,610m)

▲トランゴタワー群
圧倒なる花崗岩で造られたトランゴタワー群はロッククライマー達にとって憧れの地。トランゴとは、“羊の囲い場”という意味があります。ファスト・トランゴ(5,753m)、グレート・トランゴ(6,286m)、ネームレス・タワー(6,239m)。1977年、アメリカ隊によりグレート・トランゴが初登頂されて以来、多数のクライミングルートが敷かれています。

グレート・トランゴ(右 6,286m)とネームレス・タワー(左 6,239m)

▲ガッシャーブルム山群
ガッシャーブルムとは現地バルティ語で“輝く峰”という意味があります。GⅠ(8,068m)はバルトロ氷河最奥に位置し前衛峰に隠されているため、ヒドゥンピークと呼ばれています。1958年、アメリカ隊により初登頂が成されました。
GⅡ(8,035m)は1956年、オーストリア隊により初登頂が果たされました。B.C.はGⅠと同じところに設けられ、ブロードピーク(8,051m)と並んで、登りやすい8,000m峰として人気を集めています。しかしコンコルディアでは一番美しく輝くのは何といってもGⅣ峰(7,925m)。夕日には紅く染め上がります。

GⅣ峰(7,925m)の西壁の両脇にはひっそりとGⅢ(左 7,952m)とGⅡ(右 8,035m)

右奥にはヒドゥンピークといわれるGⅠ(8,068m)も見える
ウルドゥカス(4,050m)の先が唯一見えるポイント

▲マッシャーブルム(7,821m)
通称K1。パキスタンでは11位、世界では22位の標高を誇ります。1960年、アメリカとパキスタンの合同隊により初登頂。コンコルディア手前のゴレから鋭鋒の北面が綺麗に見えます。

ゴレⅡ(4,380m)から望む朝晴れのマッシャーブルム(7,821m)

▲K2(8,611m)
インドの測量局の測量番号がそのまま山の名前として残った山。中国名はチョゴリ(バルティ語で“大きい山”)です。コンコルディアからは西側に聳えるエンジェル・ピーク(6,805m)とセットで見るとより美しさが際立ちます。
1861年イギリスの陸軍大佐ゴッドウィン・オースティンが西部カラコルムを調査
(ゴッドウィン・オースティン氷河の命名由来)され、その後、1900年頃から登攀の可能性が探られる様になりました。初登頂は、1954年7月31日、イタリア隊。
以来66年を経てもなお、死亡率4分の1を越える難峰です。また8,000m峰で唯一、未だ冬季登攀は達成されていません。

Karakorum No.2。右の稜線(南東稜)が初登ルート兼ノーマルルート

▲ブロードピーク(8,051m)
現地語でファルチェン・カンリ。山頂の幅が広いことから、その名がつけられました。北峰(7,490m)、中央峰(8,011m)、前峰(8,035 m)の先に主峰が続きます。
初登頂は、1957年6月9日、オーストリア隊。パキスタンに鎮座する8,000m峰五座の内、GⅡ(8,035m)同様に、比較的登りやすい山とされています。

ブロードピークB.C.(4,850m)より登頂隊の様子を双眼鏡で望む
左から北峰(7,490m)、中央峰(8,011m)、主峰(8,051m)

上から見ると、氷河(バルトロとゴッドウィン・オースティン)の合流点(コンコルディアのキャンプ4,650m)がよく分かる
注)ツアーでは訪れません

(参考)ブロードピーク主峰と中央峰のコル(鞍部 7,878m)から望む主峰(8,051m)
注)ツアーでは訪れません

世界各地のトレッキングを経てきましたが、これだけの展望が揃うルートはなかなか珍しいです。長期間の高所トレッキングと厳しい条件もありますが、じっくりと計画的にトレーニングをすれば、決して夢ではありません。世界一といっても過言ではない黄金ルート。夢ではない現実の素晴らしい世界へご案内いたします。

 

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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ

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究極のK2展望トレッキング バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ【その1】

  • パキスタン

2020.05.15 update

アッサラーム・アレイクム(ウルドゥー語でこんにちは)。
今回は、世界第2位の高峰K2(8,611m)の懐、即ちベースキャンプ(以下B.C.)を目指すパキスタンの究極の展望トレッキングをご紹介いたします。

K2(8,611m)の懐にあたるベースキャンプへ

山岳天気というのは移り変わりが早い&大きいと言われるなかで、当コースでは、5泊6日のコンコルディア(4,650m)から先の行程において、山の様々な表情を見ていただくために、山までの直線距離を伸縮させながら、西遊旅行史上最長のK2展望時間を誇っています。

 

さて、そのK2が属すカラコルム山脈は「黒い砂利」という意味があり、パキスタン・インド・中国に500kmにかけて盛り上がっています。確かに歩いて目にする岩や氷河に被さった砂利には黒いものが多い気がします。

 

1856年カラコルム山系の測量が開始され、高峰群に頭文字の「K」をとった番号がつけられました。例えばK1がマッシャーブルム(7,821m)、K3がブロードピーク(8,051m)、K4がガッシャーブルムⅡ峰(8,035m、以下GⅡ)、K5がガッシャーブルムⅠ峰(8,068m、以下GⅠ)。全て、このトレッキングで目にすることが可能です。カラコルム山脈には4座の8,000m峰を含め60座以上の7,000mを超える高峰が聳えていて、極地を除けば世界最大の氷河地帯でもあります。

 

トレッキングの舞台はバルトロ氷河とゴッドウィン・オースティン氷河。数々の名峰が聳えるなか、テント泊を繰り返しながら前進します。

カラコルム山脈の重量級が揃うバルトロ氷河の山群

まずは首都イスラマバードから国内線又は陸路でスカルドゥ(2,500m)へ。天気がよければ、機内又は道路沿いから世界第9位峰ナンガパルバット(8,126m)をご覧いただくことができます(往復ともにチャンスが有ります)。

幹線道路よりナンガパルバット(8,126m)北面を望むことが可能

スカルドゥはかつて、チベットの一部としてカシミール地方への交易の中心だった街。その後イスラム化が進み、近代では1947年のインド・パキスタンの分離独立時にどちらに帰属するかが問題となり、3回の戦争を経てパキスタン領となっています。
カラコルム遠征の拠点地で、登山用品店(ただし正規店ではありません)も幾つかあり、専属の山岳コックは食材や調理器具を揃えて準備をします。

食料を選別する

調理に不可欠な灯油を入れるストーブ

何でも揃うスカルドゥのバザール

四輪駆動車に分乗して、147kmの移動を経て起点となるアスコーレ(3,000m)へ。

4WDでトレッキングの起点アスコーレ(3,000m)へ向かう

15泊のテント開始です。気になるテントですが、十分な広さがあるので、ご安心ください。別途マットレスをお持ちいただけると睡眠の質を高めて、長期間のトレッキングをさらに快適にお過ごしいただけるでしょう。

 

標高が上がると気温が下がるので、寝袋の内部に備えるインナーシュラフや、足元を温める湯たんぽもサービスとしてお配りしています。トイレは常設のものか建てたトイレテントをご利用いただきます。

ポーター達は入念に重量を確認

大切なタンパク質源①
チキンのみならず卵も別途荷上げしています

大切なタンパク質源②
概ねパイユ(3,450m)で捌かれます

宿泊高度4,000m以上のコースでは夜湯たんぽをお配りして快眠

常設が無いところではトイレテントを設置

 

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チュニジア周遊 後編:ローマ遺跡とバルドー美術館

2020.05.14 update

北アフリカというと、イスラームの生活や砂漠を一番にイメージされることが多い地域。意外かもしれませんが、チュニジアには多くのローマ遺跡が残されています。ヨーロッパと比べ湿度が低い乾燥した気候の為に保存状態が極めてよく、ヨーロッパの遺跡に比べると観光客も少ないのでゆっくりと観光できることも大きな魅力の一つです。

 

スフェチュラ遺跡

もともとはベルベル人によって始まった都市です。1世紀にローマ風の街として整備されました。5世紀にバンダル人に侵略されましたが、7世紀にはビザンツ帝国が支配しました。そのためチュニジアで最も新しいローマ遺跡と呼ばれているこのスフェチュラ遺跡。通常は一つしかない神殿が3つ横並びに建設されていることがこの遺跡の特徴です。極めて質の良いオリーブの産地であり、また東西南北の交易路の交差点にあったために非常に繁栄したのだそうです。

中心にゼウス、右にヘラ、左にミネルウァを祀る神殿

他にもオリーブ圧搾機やモザイクが各所に残ります。

スフェチュラの繁栄を支えたオリーブオイルの圧搾機

ローマ遺跡のモザイクでよく見かけるこのマークは「永遠」を意味し、英語圏で幸福を示すジェスチャー「クロスフィンガー」の起源だとか。

 

エル・ジェムの円形闘技場

世界で四番目に大きく、最も完全な形で残っているローマ帝国の円形闘技場です。約150m×120mの楕円形をし、高さは40mにもなります。

エル・ジェムの円形闘技場の外観。建設当初は大理石で覆われ、真っ白に光り輝いていたそうです。

チュニジアは大型の野生動物の生息地に近かった為、ここエル・ジェムではライオンや象、ヒョウ等と奴隷や剣闘士を戦わせるショーが多く開催されました。今はもう絶滅してしまいましたが、当時生息していたアトラスクマやアトラスオオカミも捕らえられ、連れてこられたそうです。

アリーナの地下には猛獣を閉じ込めておく檻が残ります。

一説には、「エル・ジェム」とはアラビア語で「なんて大きな!」という意味だとか。その名の通り見ごたえのある円形闘技場でした。

アリーナの近くからVIP席、一般市民席、女性と奴隷の席に分かれていました。

 

ドウッガ遺跡とブッラレージア遺跡

チュニジア北部の丘陵地帯に残る2つの遺跡の1つ、ブッラレージア遺跡の見どころは半地下式となった住居跡。ベルベル人の建築様式をローマの人々が取り入れた珍しい例となっています。ローマの様式を地下でもそのまま再現しようとしたのが良くわかります。

ローマのパティオ式住居を地下で再現しています。

当時のエアコン。壁にめぐらされたパイプには水が通り、気化熱で空気の温度を下げたそうです。

また、「アンフィトリテの家」に残された色鮮やかで生き生きとしたモザイクも見逃せません。ポセイドンがイルカを贈りアンフィトリテと結婚したという神話に基づき、イルカをはじめとする海の生物たちと神々が華やかに描かれます。

海の生物とアンフィトリテ、ポセイドンとトリトン

その横にあるモザイクはアンフィトリテとも、屋敷の女主人の顔とも言われています。当時は施工主がモザイクの登場人物を自分に似せることはよく行われたそうです。

アンフィトリテの家の女主人

 

ドウッガ遺跡には丘の上に建設された都市がまるまる残ります。特徴はベルベル人の王国ヌミディアの時代からローマ、イスラームと3つの様式が共存していること。まるでチュニジアに栄えた文化を象徴するような遺跡です。

上からエジプト、ギリシャ、フェニキアの様式を融合した霊廟。

 

額縁のように見える「無名の寺院」の門と、アントニウス・ピウスに捧げられたキャピトル

 

美術館

これらの遺跡から出土したモザイクやイスラーム建築の華麗なタイル、カルタゴの時代の石像などが一堂に会するのがチュニスで訪れるバルドー美術館です。

 

バルドー美術館のエントランス。

 

世界一とも言われるモザイクのコレクションはまさに圧巻。その大きさ、完成度、バラエティともに見ごたえたっぷりで全く飽きさせません。

 

「オデュッセイア」より、セイレーンの島を通過するシーン。オデュッセウスはマストに自身を縛り付け、水夫たちには耳栓をさせてセイレーンの歌が聞こえないようにしています。

 

ポセイドンと四季の女神たち。右下から、春、夏、秋、冬を擬人化しています。春が一番若く、徐々に年老いていきます。また、服装それぞれの季節に適したものになっています。

 

1週間の曜日(惑星)の擬人化と黄土12星座を描いたモザイク。中心が土曜日を意味するネプチューンなのは、土曜日が安息日であるユダヤ人の富豪の家に作られたからだとか。

 

奉納品を示す石像。上部に神、中部に供物、下部には奉納をした人物が描かれています。

カルタゴ時代のものは、ローマ軍がほとんど破壊してしまった為に現存するものは大変貴重。

 

また、バルドー美術館は建物自体も見事。オスマン帝国時代のベイ(総督)の宮殿の跡を改装しているためです。展示物以外にも各所に目を奪われます。

ヴェネツィア風の天井の装飾。地中海を中心に、チュニジアとイタリアは近しい関係にありました。

壁の美しいモザイク。イスラームで豊かさを表す緑色が多用されています。

 

それまでモザイクに興味が無くともその魅力に開眼してしまうような、素晴らしいコレクションの数々。ツアーの中で訪れる遺跡に鮮やかに色付けされてゆくようです。

 

街歩きに砂漠、遺跡に美術館と多様な魅力のあふれるチュニジア。

アフリカでもヨーロッパでも、イスラームでも無いようで全てを含むチュニジア。色々な文化を一度に味わえるこの国をぜひ1度訪れてみて下さい。

 

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チュニジア周遊

サハラのオアシス、山岳地帯の渓谷美、地中海沿岸のローマ遺跡群…各地のみどころを巡るチュニジア周遊の旅

 

チュニジア周遊 前編:海辺の街シディ・ブ・サイドと砂漠の暮らし 

  • チュニジア

2020.05.07 update

北アフリカに位置する小国チュニジア。「日の沈むところ」を意味するマグレブ地域の国々の一つです。北海道の約二倍の面積を持つこの国は、アルジェリアやリビアなどの大きな国々に囲まれて地図上ではあまり目立ちませんが、実はバラエティ豊かな見どころがあります。

 

シディ・ブ・サイド
チュニジアのガイドブックを開けば必ずと言っていいほど紹介されているのがこのシディ・ブ・サイドの街並み。白い壁に青い装飾が良く映え、多くの観光客でにぎわいます。

ここを訪れたらまずはカフェ・ド・ナットでミントティーを飲んで一息。ナットとは「ござ」という意味で、その名の通りカフェの中にはござが敷かれ、人々がおしゃべりに興じつつくつろぐ姿が。横に伸びる路地にはスイーツの出店が並びます。

世界で最も古いカフェの一つ、カフェ・ド・ナットの入り口

揚げドーナツ「バンベローニ」は家でも作れるよ!とガイドさんが教えて下さいました。

この町を19世紀末に整備したのは、チュニジア文化を愛したフランス人オルランジェ男爵。彼のはたらきかけで世界で初めて景観保護の条例が作られ、街は整えられてゆきました。扉に鋲で描かれている模様は装飾の他、魔除けや伝統的なベルベル人のマークだったりもするそうです。

伝統的な模様の描かれた扉

高い空、地中海と美しい街並みのコントラストが非常に印象的。街中にはリゾートらしいのびのびとした雰囲気が溢れています。

シディ・ブ・サイド

 

サハラ砂漠での宿泊

チュニジア旅行で特に楽しみにされる方も多いのが、砂漠の中のオアシスに作られたテント型ホテルでの滞在です。砂漠観光の拠点、ドウーズを出るとまずはチュニジア最大の塩湖、ショット・エル・ジェリド(ジェリド湖)に到着します。路肩の土産物屋さんに立ち寄り、おいしいデーツや塩をお土産に。

チュニジア最大の塩湖、ジェリド湖

途中、四輪駆動車に乗り換えてさらに南へ向かいます。周りの景色から徐々に緑が無くなってゆき、ごろごろとした石が転がる礫砂漠になってゆきます。少しおしりが痛くなってきたころ、クサールギレンのPansy Campに到着しました。

宿泊地自体はオアシスの中に位置し、ナツメヤシに守るように囲われていますが、小道をたどってオアシスの淵まで歩けば目の前にはまるで海のように波打つサハラ砂漠が広がります。日が沈む時間に合わせてラクダに乗って夕焼けに桃色に染まる砂丘を楽しみに行きました。ラクダは案外背が高く、立ち上がるとき、降りるときにコツが必要です。

人間が夕日が落ちるのを待つ間、ラクダ達はひと休憩

砂に映る影

翌朝も早起きして朝日を望みました。

サハラ砂漠から見る初日の出

 

ベルベル人の洞窟住居

今も伝統的な生活様式を続けるベルベル人の人々の自宅訪問もユニークな体験のひとつです。現存する数少ない洞窟住居の一つにお邪魔しました。

入口の部分には色鮮やかな絨毯がひかれ、来客スペースとなっています。伝統的には、お客様が入れるのはここまでで、家の中は家族のスペースなので決して入れなかったとか。

お客様用の絨毯を織る機械

家は中心に大きな穴があり、そこから部屋として使われる小さな穴へと入るつくりになっています。台所や寝室、食糧庫をのぞかせてもらいました。1階部分が居住スペースで、2階部分は物置や倉庫として使われています。

家の中には様々な魔除けのモチーフが見られました。

魔除けのファティマの手と魚のマーク

魚の尾びれも邪気を追い払ってくれると信じられているそうです。

 

また、伝統衣装に身を包んだお母さんが、焼きたての伝統的なパンやはちみつ、オリーブオイルでもてなして下さいます。シンプルながらもじんわりとおいしい味わいで、いつもお土産に大人気です。はちみつはユーカリとローズマリー、2種類がありました。ここでしか買えないということで、お土産に買われる方も多くいらっしゃいました。

伝統衣装に身を包んだベルベル人の女性

手作りのはちみつとオリーブオイル

最後に丘を登り、家を上から覗かせてもらいました。

洞窟住居を上から眺める

 

海辺の街並も、南部の乾燥地帯での伝統的な生活の姿も知ることができるチュニジア周遊のツアー。後編ではチュニジアが誇るローマ遺跡やモザイクについてご紹介致します。

 

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エクアドルの名峰展望とアンデス山岳鉄道 その2

  • エクアドル

2020.04.30 update

エクアドルの中部に位置するキロトア湖(Quilotoa Lake)は火山活動によってできたカルデラ湖で、エクアドルアンデス山脈で最も西の火山です。 カルデラの幅は約3キロメートル。深さは最も深い所で90mにもなります。火山活動の影響により湖水には硫黄成分が多く含まれており、魚は生息していません。外周のクレーターは1周が約12km。歩くと4時間~6時間位かかります。天気が良いとここからコトパクシ火山も展望できます。近年はエクアドル人の旅行者も多く、キトから日帰りでやってくるそうです。ここでは午前中、クレーターの外輪を巡るハイキングをお楽しみいただきました。体力に自身のある方は湖畔までの往復にトライされました。往路が下り、復路が登りになるので意外と体力が必要です。

美しいエメラルドグリーンの水を湛えるキロトア湖

クレーター外輪のハイキングでは美しいキロトア湖の風景と共に、たくさんの野花を観察することができました。風景だけではなく、お花好きの方にもキロトア湖はお勧めです。

キロトア湖畔に咲くルピナス

小さな靴の様な形をしている所から名付けられたリトルシューズ Calceolaria perfoliata

Bomarea multiflor

ハイキングの後はバスにてキロトア湖を出発し、コトパクシ火山山麓へと移動しました。コトパクシ国立公園のゲートを越えて、公園内へと入り、リンピオプンゴ湖の湖畔をハイキング。天気が良いとコトパクシが綺麗に展望できるのですが、この日はあいにくの曇り空。ハイキングスタート時にはコトパクシはすっぽりと雲に覆われていましたが、最後の最後にその頂を少しだけ見せてくれました。また、湖岸のトレイル脇には野花が見られ、エクアドル固有のランを観察することができました。

リンピオプンゴ湖の湖畔をハイキング

エクアドル固有のラン

コトパクシとは、ケチュア語で「光る巨大なもの」を意味します。別名コトパヒ山。富士山に似ていることから、「エクアドルの富士山」と日本人の間では呼ぶれることもしばしば。チンボラッソに次ぐエクアドル第二の高峰で標高は5,897 m。火口は東西500m以上、南北700mと推定されています。標高5000m以上の部分は氷河となっており、1872年に初登頂されています。

本日の宿はタンボパクシロッジ。コトパクシ国立公園内唯一の宿泊施設で、ロッジからコトパクシ火山の全容を眺める事ができる好ロケーションに位置しています。

タンボパクシロッジから眺めるコトパクシ火山

翌日はキトへと向かう一日。ロッジを出発してから間もなく、念願のコトパクシの全容が目の前に広がりました。まさにエクアドル富士というにふさわしい姿。何度も写真ストップをとり、しっかりとコトパクシの姿を刻み込んでいただきました。

エクアドル富士とも呼ばれるコトパクシ

コトパクシ山頂の様子

コトパクシ国立公園からキトまでのルートはパンアメリンカンハイウェイの一部で、別名火山アベニューと呼ばれています。東西両側に数多くの火山が聳え、道中にもイリニサ(5,267m)、エルゴラッソ(4,790m)、ウミニュイ(4,350m)などの山々を眺めながらのドライブ。天気が良いと非常に気持ちの良いルートです。キトに近づくとパソチョア(4,200m)もご覧いただけます。

キト到着後は市内観光。キトの旧市街も世界遺産に登録されている歴史ある町です。最初の見学はバジリカ教会。この教会は1883年に当時の大統領ガブリエル・ガルシア・モレノが建設を指示したカトリック教会で、フリオ・マトベージェという建築家が建てたものです。この建築家はパリのノートルダム教会やニューヨークの聖パトリシオ教会も建設された方で、ここではエクアドルの自然にちなんでカメやイルカ、リャマ、コンドルなどの彫刻が施されています。

キトのバジリカ教会

教会内部

その後、徒歩でキト旧市街の散策しました。キトは1534年12月6日に設立。聖フランシスコ教会から派遣されたセバスチャン・デ・ベルナール・カサがその中心人物です。彼の名前が付いたベルナール・カサ広場近くでバスを下車し、徒歩観光をスタートし、歩いて独立広場へ。独立広場の真ん中には自由の女神の様なモニュメント。また、コンドルとライオンの像が見られます。コンドルはエクアドル、ライオンはスペインを表わし、コンドルがライオンを追いやっている様に描かれているそうです。広場周囲にはカテドラル、旧大統領官邸、ホテル、市役所、市長の家、司祭の家などの歴史ある建造物が並んでいます。

独立広場にあるコンドルとライオンの像

キト市内で最後の見学は聖フランシスコ教会。インカ帝国からスペインが奪った黄金の装飾が素晴らしい教会でした。この教会はキトで最も威風を放つ教会で、別名「エル・エスコリアル宮殿」と呼ばれています。1535年に建立され、南米でも最も古い部類の教会です。

荘厳な聖フランシスコ教会

エクアドルの見どころはガラパゴス諸島だけではありません。アンデス山脈が作り出した荒々しい火山の数々、火山活動によって生み出されたクレーター湖、スペイン人の入植によって造られたコロニアルな街並みなど人間が歩んだ歴史と豊かな自然を同時に楽しむことができるのです。

 

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「エクアドル三大名峰展望とアンデス山岳鉄道」
各地の好展望地からエクアドルに聳える3つの名峰の展望を楽しむ旅

南米7ヶ国に跨り7,500㎞にも及ぶアンデス山脈。エクアドルではアンデス地域はシエラ(山地)と呼ばれ、数々の名峰が聳えます。エクアドル最高峰チンボラソ(6,310m)、「エクアドルの富士山」と称されるコトパクシ(5,897m)、赤道上の世界最高地点が通過することで有名なカヤンベ(5,790m)の山麓ロッジに宿泊し、エクアドル・アンデスの名峰を心ゆくまでご堪能いただきます。

 

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