画像

子どもたちはもう遊ばない

(C)Makhmalbaf Film House

イスラエル

子どもたちはもう遊ばない

 

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:エルサレムの人々
日本公開:2024年

2024.12.11

イランの巨匠、スマホを片手にエルサレムの町をゆく

イランの巨匠モフセン・マフマルバフ監督は、映画のロケハン(下見)のため聖地・エルサレムの町を巡る。

長年続くイスラエルとパレスチナの紛争の解決の糸口を探るため、監督はユダヤ・アラブ双方や世代を問わず様々な人々に出会い、ペンでメモをとるかのようにスマートフォンでその様子を記録していく⋯

『ギャベ』『独裁者と小さな孫』など、過去にも本コラムで作品を紹介してきたモフセン・マフマルバフ監督の最新作はスマートフォンの作品です。

誰でも撮れそうでありながら、でも映画監督的洞察・直感・忍耐力がないと収録できないフッテージが、さながらエルサレムの街をグルグルとさまようかのような不思議な構成で編集されています。

僕も実は町の動態をスマホで記録することを仕事にしているのですが、スマホの良い点はまずサッと構えることができて、何気ない人の動作や言葉が収録できること。

そして、カメラを構えても被写体があまり緊張しないことです。たとえば、頬杖をつくように片手でスマホを持ってカメラをまわして、インタビュー対象者とはちゃんと目を合わせて話すことがスマホでは簡単にできます(マフマルバフ監督がそうしているかはわかりませんが、そんなようなカメラの構え方をしているかもしれないシーンがいくつかありました)

そしてフィクションとドキュメンタリーの間を行き来することを得意とするマフマルバフ監督は、アラブ・パレスチナ間の偏見を取り去るワークショップ(おそらくこれは現地の人の既存のワークショップ)の様子を、ドキュメンタリー部分のランダムな感じから一転して、テレビドラマでもあるかのようなアングルで収録します。

こうした撮影スタンスによって、「ああエルサレムではそういうことがあるのか」という他所(よそ)のことではなく「これがエルサレムの日常なのか」と、あたかも眼前の光景かのようにエルサレムでの日常的なやりとりが観客の前に立ち現れてくることでしょう。

そしてやはりさすがだなと思ったのは、『子どもたちはもう遊ばない』(原題『Here Children Do Not Play Together』)という部分に関しては、直接的にあまり描写がない点です。おそらく、目の前に見えるものというよりも、見えないもの・無くなってしまったものについて描こうと監督はしたのでしょう。

『子どもたちはもう遊ばない』は、12月28日(土)より「特集上映 ヴィジョン・オブ・マフマルバフ」の1本としてシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。

お坊さまと鉄砲

(C)2023 Dangphu Dingphu: A 3 Pigs Production & Journey to the East Films Ltd. All rights reserved

ブータン

お坊さまと鉄砲

 

The Monk and the Gun

監督: パオ・チョニン・ドルジ
出演: シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップほか
日本公開:2021年

2024.12.4

ブータンらしいピースフル・クライム・サスペンス

2006年。長年にわたり国民に愛されてきた国王が退位し、民主化へと転換を図ることが決まったブータンで、選挙の実施を目指して模擬選挙が行われることに。

周囲を山に囲まれたウラの村でその報せを聞いた高僧は、なぜか次の満月までに銃を用意するよう若い僧に指示し、若い僧は銃を探しに山を下りる。

時を同じくして、アメリカからアンティークの銃コレクターが“幻の銃”を探しにやって来て、村全体を巻き込んで思いがけない騒動へと発展していく⋯

以前ご紹介した長編監督デビュー作『ブータン 山の教室』がアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされて、世界的に注目を集めた監督の第2作目。

100年以上国王を中心とする絶対君主制だったブータンが議会制民主主義へ移行し、憲法が公布され、首相が選出されるなど立憲君主制に移行したのは2008年のことでした。そのひとときを描いた映画です。

物語の中で、さりげなくチベット仏教国・ブータンならではの文化が紹介されていきます。映画をやっている僕からすると、物語本筋もさることながら、素晴らしくプロデュースされていて「上手いな」と唸ってしまいました。

1980年代半ば以降に教育を受けた人々(2006年時点で20代後半〜30代前半)は、英語が公用語となった後なので、英語が流暢に喋れる点。

議会制民主主義が導入されようとも、秘密の任務をこなそうとしていようとも、お坊さんへの敬意や不徳を避ける精神が勝ってしまい「ブータンらしい葛藤」が生まれる点。

儀式・お祭りにおいて、男性器をかたどった祭具(家の壁にもときどき描いてあります)が使われたり大事にされていることを、映画の文法において男性性を象徴する「銃」という小道具が自然に引き出して終盤の展開に活きてくる点。

そして、そこまで計算していたかどうかわかりませんが、アメリカという国でドナルド・トランプが再選された直後にこの映画が公開になるというのは、タイミングが完璧すぎると思いました。

政治のことを描いているけれどもほのぼの平和すぎてブータンらしい映画『お坊さまと鉄砲』は、12月13日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

幸せの王国 ブータン

ヒマラヤ東端の小さな王国ブータン。インドやネパール、チベットとも全く異なった雰囲気を持ち、のんびりとしたやすらぎを与える国です。「おとぎの国」、「桃源郷シャングリラ」と呼ばれるブータンを知りつくした西遊旅行が自信をもっておすすめするコースです。
民族衣装の試着、焼き石のお風呂「ドツォ」の入浴、ブータン料理の試食など、実際の体験を通してより深くブータンの文化にふれることができるでしょう。また、ご希望の方はツアー期間中ブータン衣装ゴ(男性)・キラ(女性)を貸し出しいたします(無料)。伝統的な民家を訪問。ご希望の方は民家にご宿泊いただき、食事支度のお手伝いや本場の家庭料理、地酒アラに舌鼓を打つひとときをお楽しみください。

場所はいつも旅先だった

(C)Mercury Inspired Films LLP

日本(アメリカ・フランス・スリランカ・台湾・オーストラリア)

場所はいつも旅先だった

 

監督:松浦弥太郎
出演:世界各地の人々
日本公開:2021年

2024.11.27

生活習慣のように録画された5カ国の旅

文筆家、書店オーナー、雑誌「暮しの手帖」の元編集長などさまざまな肩書きを持つ松浦弥太郎が初監督したドキュメンタリー。サンフランシスコ(アメリカ)、シギリア(スリランカ)、マルセイユ(フランス)、メルボルン(スペイン)、台北・台南(台湾)と、世界5カ国・6都市を旅した松浦監督が、各地で体験した出会いとかけがえのない日々を、飾らない言葉でエッセイ集のようにつづっていく。

西遊旅行で旅する皆様には、旅行記や日記を付けている方も多いのではないかと思います。今でもあるかわからないのですが、ツアーに添乗すると添乗レポート(内部用)と旅の記録(お客様用)を必ず付けていました。

前者はいわば業務的な情報で、ツアー開発や同じツアーに行く添乗員のために書かれます。基本的に情感はあまり宿りません(でも西遊旅行のツアーに添乗される方はユニークな方ばかりなのでエモーショナルな添乗レポートもたくさんあります)。

後者は「記録」といいつつも「記憶」、つまり、思い出です。そのため、書き手それぞれの思い入れが入ったり、文体に特徴が出ます。余談ですが、僕が創作を志し始めたのは、添乗レポートや各種広報誌の文章が「上手い」「独特」と言われたときからでして本当に機会に感謝しています。

特に日記ですとか旅の記録というのは、期限や時間に追われて書くようなものではありません。「さあ、書こう」と思う前に、もう書いている。いわば「習慣」です。

この『場所はいつも旅先だった』は、そういう感じで、日々の習慣として撮影された主観的アングルの映像で、人々の習慣や都市に散りばめられた生活習慣の痕跡を巡っていく映画です。監督の語らい (声の主は監督本人ではなく小林賢太郎さん) をのせた映画は、車庫に入る回送車両のように緩やかに進んでいきます。

主に早朝や深夜など、何かと何かの区切れ目的な時間帯を。観光地(たとえばスリランカのシギリヤ・ロックのようなダイナミックな場所)よりもその界隈の名もなき人々の慎ましい生活を、カメラは追います。

もちろん旅先での様々な出会いは記録されていますが、あまり一人ひとりに入り込みすぎず、気球のようにフワフワと場から場へと周遊していく映画です。

エッセイ的なので、ご飯を食べながらなどゆるりと鑑賞したりするのにぴったりな作品です。

季節風とインド洋の恵みの島スリランカ
~5大世界遺産と高原列車の旅~

シギリヤロックをはじめ文化三角地帯を構成する4つの文化遺産と、大航海時代の要塞群ゴールにも訪問します。ヌワラエリヤのナヌオヤから、スリランカ中央山地のエッラ間は、近年欧米人旅行客を始め人気の絶景区間。車では通ることのできない茶畑の美しい景色を眺めながら進んでいく列車で、緑豊かなエッラの町を目指します。紀元前3世紀に遡る僧院跡が残るリティガラ遺跡は、まだ訪れる外国人観光客がほとんどいない知られざる遺跡です。 密林の中で自然と調和する様に佇む未知なる仏教遺跡の見学をじっくりとお楽しみください。シギリヤでは、プールの奥にシギリヤロックを望む「ホテルシギリヤ」または「シギリヤビレッジ」に2連泊。エッラでは町の中心に位置する「オークレイエッラギャップ」または「オークレイラエッラブリーズ」に宿泊。お土産店やカフェが軒を連ねる町の散策もご自由にお楽しみいただけます。

不思議の国のシドニ

(C)2023 10:15! PRODUCTIONS / LUPA FILM / BOX PRODUCTIONS / FILM IN EVOLUTION / FOURIER FILMS / MIKINO / LES FILMS DU CAMELIA

フランス

不思議の国のシドニ

 

Sidonie au Japon

監督: エリーズ・ジラール
出演: イザベル・ユペール、伊原剛志、アウグスト・ディール ほか
日本公開:2024年

2024.11.20

京都・奈良、そして直島へ―「光」を求める再生の旅

フランスの女性作家シドニは、自身のデビュー小説『影』が日本で再販されることになり、出版社に招かれて訪日することに。見知らぬ土地への不安を感じながらも日本に到着した彼女は、寡黙な編集者・溝口健三に出迎えられる。

シドニは記者会見で、自分が家族を亡くし天涯孤独であること、喪失の闇から救い出してくれた夫のおかげで『影』を執筆できたことなどを語る。溝口に案内され、日本の読者と対話しながら各地を巡るシドニの前に、亡き夫アントワーヌの幽霊が姿を現す。

旅の季節は春。今は紅葉でさぞかし人でにぎわっているはずの京都・奈良、そして直島をフランスの名女優イザベル・ユペールが旅していきます。京都・奈良は日本人でも時の流れの深遠さを感じますし、直島はまだ行ったことはないですが、島の暮らしやアートに触れて心洗われる体験ができると多くの知り合いに聞いてきました。内容もさることながら「いい旅をしているなぁ」と、ただただボーッと眺めていられる映画です。

そんな本作のテーマは「光」であるように僕には思えました。序盤から中盤にかけて亡き夫アントワーヌが描かれるとき、違和感があるくらいに強く光(照明)があたって、まだ生きているシドニとのコントラストが描かれます。

シドニと健三は伝統建築も含めてたくさんの場所を巡っていきますが、たとえば東大寺の場面でいかにも日本の伝統建築らしい自然光の差し込み方や外と中の曖昧さが、シドニたちの心理状態と呼応するシーンはとても印象的です。

そしてアートで有名な直島に訪れますが、今度は段々とシドニの心の中に光がさしてきて、色々な意味で明るくなってきます。対象的に「影」として描かれるのは健三になりますが、服の色などもかなり計算されているかと思うのですあ、主人公たちの「光の受け渡し」が特に中盤から終盤にかけて描かれています。

あとは、秋に春の映画を観るのもまたいいなと思いました。『不思議の国のシドニ』は12/13(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国劇場にて公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

ヒューマン・ポジション

(C)Vesterhavet 2022

ノルウェー

ヒューマン・ポジション

 

監督:アンダース・エンブレム
出演:アマリエ・イプセン・ジェンセン、マリア・アグマロほか
日本公開:2024年

2024.8.7

道具に使われやすい世の中で、道具から生気を得る―北欧のある夏の回復録

ノルウェーの港町・オーレスンで新聞社に勤める若き女性・アスタは、地元のホッケーチームやアールヌーボー建築を保存するための小さなデモ、クルーズ船の景気など、地元に関するニュースを取材して記事にしている。

プライベートではデザインチェアや音楽に興味があるガールフレンドのライヴと料理を作ったり、古い映画を観たり、 ボードゲー ムをしたりして穏やかな時間を過ごしている。

そんなある日アスタは、ノルウェーに10年間住み働いていた難民が強制送還されたという記事を目にする。その事件を調べていくについれてアスタは不思議と、病気だった自分が回復の道をたしかに歩んでいることを自覚していく・・・

スマートフォンやその中のアプリケーション、そしてAIなど、現代社会では道具(ツール)であるはずのものに逆に人間が振り回されてしまうことが少なくありません。

自分で決定していると思っていても、道具に決められてしまっている。「自分らしさ」を突き詰めても、敷かれたレールの上を歩いている感覚が拭えない。そんな現代的病理がノルウェーという北の果ての国に過ごす人々にも蔓延していることが、お腹に手術痕がある回復途上の主人公の様子から感じ取れます。

しかし、道具も捨てたものではありません。万年筆のように、道具というのは使う内に「癖(痕跡)」がつき、だんだんとそこから「馴染み」が生まれてきます。

家という空間に道具的性質が見出され、「ただの箱」ではなくなったとき、住人はそこから癒やしや生気を受け取ることができるようになる。日本でも人気の高い北欧家具の力も借りながら、アスタが一歩一歩回復の道を歩んでいく様子を、家の中でも屋外でも変わらぬ調子でカメラは静かに見守ります。

本作では、あまりあちこちをカメラは旅しません。限られた行動範囲の中で、ほんの少しカメラの置き場所や人物の立ち位置・仕草・表情を変えるだけで、町や家や空間の見え方がこんなにもガラッと変わるのかという形で「映画的旅」を演出してくれます。

ノルウェー・オーレスンを必ず旅してみたくなる『ヒューマン・ポジション』は、9月14日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。

恋の秋

© 1997 Les Films du losange

フランス

恋の秋

 

Conte d’automne

監督: エリック・ロメール
出演: マリー・リヴィエール、ベアトリス・ロマンほか
日本公開:1998年

2024.5.1

ワイン畑で人生談義―エリック・ロメール監督が描くロワールのテロワール

舞台は南仏のローヌ渓谷。小さな農園でワイン作りに勤しむ陽気な女性・マガリと、本屋を営むイザベルは親友同士で共に40代。

夫を亡くして以来独身のままでいるマガリを心配するイザベルは、マガリになりすまして彼女の再婚相手を探し始める・・・・・・

近年、デジタル・リマスターされた名作映画が多く公開となっています。2010年に亡くなったエリック・ロメール監督の作品も、ここ数年でリマスター化が進んでいます。日本の作家でも、『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ映画祭やアカデミー賞をとった濱口竜介監督や同世代の深田晃司監督は、共にロメールの演出に強い影響を受けています。

すごく大雑把にまとめると本作(および他のロメール作品)は、「登場人物たちがまとまりないことをうだうだと喋っている映画」です。いわゆるラブ・ストーリーを見慣れている方にとっては、何も起こらなさすぎて面食らう作品かもしれません。「ここからどうなるのだろう?」という類のドキドキ感はほとんどありません。

むしろ主人公のマガリは、ずっとウジウジしていて「純粋な友情なんてない」とか「結婚はしたいけどでも条件がないわけじゃないしねぇ、まあ難しいよね」と、どちらかというと悲観的。そしてとても自己中心的に描かれます。だからこそ、愛情の萌芽がほんの一瞬感じられたときに、とても顕著に観客はそれを目撃することができます。

「幸せがときめく瞬間」という公開当初のポスターに記載してあるコピーはまさにその通りで、ダイナミックさよりもそういう微細な心を描いているのです。

なぜそういう演出なのかというもうひとつの狙いは、ローヌ渓谷という場所の性質そのもの(ワインでいうところのテロワール)を監督が描きたいということもあったのではと思います。季節の移り変わりの中で、うつろう心。フランスの田舎を散歩しながら、人生談義をしているかのような気分になる作品です。

南仏・プロヴァンスの田舎道を歩く
リュベロン地方とローヌ渓谷の美しい村を訪ねて

オリーブの木立やブドウ園の広がる渓谷、色鮮やかに咲く野花、自然の景観に溶け込んだ美しい村にゆったり流れる時間。誰もが一度は憧れる陽光降り注ぐプロヴァンスの豊かな大地を巡ります。ゴッホが晩年を過ごし、作品にも描いたアルピーユ山脈、断崖に張り付く美しい村の点在するリュベロンの渓谷、ローヌ渓谷にブドウ畑の広がるダンテル・ド・モンミライユ山麓、プロヴァンス最高峰モン・ヴァントゥ、歩いて巡るプロヴァンスの魅力を余すことなく堪能いただきます。

ゴッドランド GODLAND

(C)2023 ASSEMBLE DIGITAL LTD. ALL RIGHTS RESERVED

デンマーク・アイスランド

ゴッドランド GODLAND

 

監督:フリーヌル・パルマソン
出演:エリオット・クロセット、イングバール・E・シーグルズほか
日本公開:2024年

2024.3.13

人生・地球全部盛り、静かなカオスーデンマーク牧師のアイスランド旅

デンマークの若き牧師ルーカスは、植民地アイスランドの辺境の村に教会を建てるため布教の旅に出る。

アイスランドの浜辺から馬に乗って遥か遠い目的地を目指すが、その道程は想像を絶する厳しさだった。デンマークを嫌うガイドの老人ラグナルと対立する中、思わぬアクシデントに見舞われたルーカスは狂気の淵へと追い込まれ、瀕死の状態でようやく村にたどり着く。

アイスランドを舞台にした映画というのは(アイスランド映画のすべてを知っているわけではないですがそれなりの数は観てきたうえで)、静かな映画、静かで風変わりな映画が多い印象があります。

本作も例に漏れず静かな映画で、自然、歌、馬・羊・犬などの動物といった牧歌的な要素が物語の主軸になっています。

しかし、本作は「激情」とでもいえるようなカオス、火山が爆発するような爆発性、そこから誘発されるような狂気が織り交ぜられている点です。

静かな荒涼とした大自然の中で、景観と反比例するように主人公・ルーカスの狂気はグツグツと沸き立っていきます。

ただ、本作は主人公が絶望に落ちていくような暗い映画ではなく、人生の悲哀や無常さを見つめているからこそ、慎ましい幸福も映し出している作品です。

ポスターに記載されているタイトルのフォントや赤い霞に着目していただくと、どんな映画か想像が膨らむのではないかと思います。『ゴッドランド GODLAND』は3月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。

アイスランド大周遊

レイキャヴィークから専用バスでアイスランドを周遊。アイスランド南部では、グトルフォスの滝や間欠泉ゲイシール・ストロックルなどの見どころに加え、氷河から崩れ落ちた氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖のクルーズや、氷河が迫りくるフィヤトルスアゥロン氷河湖へご案内します。ツアーでは、アイスランド北部の観光も充実しており、約2300年前の大噴火によってできたミーヴァトン湖周辺を観光。溶岩でできた奇岩が集中するディムボルギル、神々の滝と称されるゴザフォスの滝、デティフォスの滝などのみどころをしっかりと見学します。

瞳をとじて

(C)2023 La Mirada del Adios A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

スペイン

瞳をとじて

 

Cerrar los ojos

監督:ビクトル・エリセ
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナドほか
日本公開:2024年

2024.2.7

スペインを南へ北へ、過去から未来へ―内面世界への旅

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。

それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。


取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。

名匠スタンリー・キューブリックの映画で『アイズ・ワイド・シャット』という作品がありました。文脈によって翻訳は微妙に変わるかと思うのですが、「しっかりと目を閉じる」ですとか「目の前のことを受け入れない」といった感じに訳出できる、矛盾した含みを持った言葉です。

本作の題名とポスターを見た時に、題名とは矛盾するのですが「これは『見る』ことに関する映画だな」と予想しました。

予想は当たっていたと、鑑賞後に感じました。監督のビクトル・エリセは「スペインの映画監督といえば」といったとき真っ先に名前があがるぐらい有名ですが寡作な監督して知られています。

今までのほとんどの作品は幻想的な作品でしたが、本作はスペインの首都・マドリッドやテレビ番組など、とても現実的な設定ではじまっていきます。

でもやはりそこはビクトル・エリセ監督で、だんだんと記憶や幻想の世界に、あくまで序盤の現実的な世界に立脚したうえで入り込んでいきます。ロケーションも、南部のアンダルシアや北部のアストゥリアスなど、周縁部に移行していきます。

僕が特に印象的に感じたのは、映画の中で何度か繰り返される顔のクローズアップです。なんてことはない、よくあるアングルなのですが、役者さんは(目を開きまばたきを時折しながら)とても深い響きを以てセリフを話します。なんだかその言葉というのは「目を閉じて自分の内面を見つめて発されている」感じがすごくしました。

おそらく31年ぶりの長編作でビクトル・エリセが世界中の観客に訴えかけかったのは、そういった「内面への旅」が、いかに現代社会において尊いものであるかということと僕は感じ取りました。『瞳をとじて』は2024年2月9日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

バスクの巡礼路を歩く

フレンチバスクからのピレネー越えを経て、サンセバスチャンからゲルニカへ歩くコースです。サンティアゴ巡礼「北の道」の内、風光明媚なバスク地方に通る道に焦点を当てて楽しみます。ビスケー湾の真珠と称されるコンチャ海岸からスタートし、進行方向左手に山、右手に海を臨みながら歩くと漁師町・ゲタリアや美しい砂浜を持つデバなど美しき小さな町々が現れます。

コット、はじまりの夏

(C)Insceal 2022

アイルランド

コット、はじまりの夏

 

監督:コルム・バレード
出演:キャサリン・クリンチほか
日本公開:2024年

2024.1.17

1980年代初頭・アイルランド―“静かな女の子”の心を動かす「ささやかさ」

1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みの間、母親が出産するまでの時間をウォーターフォードという農村にいる親戚夫婦のもとで過ごすことになる。

夫婦はコットを優しく迎え入れ、一緒に食事をしたり、子牛の世話をしたりと、何気ない日常を重ねていく。

コットはそんな日々を送っていくうちに、今までに経験したことのなかった、暮らしの中のささやかな喜びを知っていく。

本作は二児(上が女の子で7歳半、下は男の子で3歳になったばかりです)の子育てをしている僕にとっては、色々と反省の念を抱いてしまう作品でした。

英題は”Quiet Girl”、「静かな女の子」という意味です。すこし変わり者で何を考えているのかよくわからない子、と解釈することもできるかと思います。しかしもちろん、子どもは大人が思いもよらぬ様々なことを頭の中で考えているものです。

主人公のコットは(おそらくそういう設定だと思うのですが)カソリック的な厳格な規律と、政治経済的に苦境に立たされていた1980年代初頭のアイルランドを象徴するような家庭で育っています。

現代のように大人も子どももスマートフォンに夢中で時間に追われているような慌ただしさはないのですが、ひと言でいうと、ギスギスしています。田舎のお父さんには、厳格な家庭のはずなのに「親のしつけがなっていないな」と指摘されてしまう始末です。

物語の中盤に、郵便受けに向かってコットが並木道を走るシーンがあります。スローモーションになるのですが、「ああやっぱり子どものこういう何気ない時間こそ大切にしなければいけないな」と、日々の自分の行動を省みました。

そのとき僕が思い出したのは、我が家でゴミ捨てに行くときのことです。福岡市はごみ捨てが夜なのですが、たかだか往復2, 3分なのでサッと行ってしまったほうが効率はもちろん良いです。

しかし上の子は特にコロナ禍であまり自由に外に出られなかったこともあり、だいたい「一緒に行く(でも抱っこで)」と言いました。ゴミ袋と娘を抱えて、月を見たり傘をさしたりしながら、暑さ・寒さについて話しながらゴミ捨てに行きました。

息子は息子で、「ストライダー(ランニングバイク)に乗る」好機とゴミ捨てをみなしていて、僕はいつも小走りで付いていきます。雨の日は「今日は雨だから」と数分かけて説得して、さらにまた数分かけてお気に入りのレインコートを着せて、ゴミ捨てに行きます。

こういうことを面倒に思ってしまうこともしばしばですが、そういう思いも含めて、自分の日々の葛藤や行いがなんだか報われるような気持ちにさせてくれるピュアな作品でした。

『コット、はじまりの夏』は1/26(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、渋谷ホワイトシネクイント他にて全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

アイルランド周遊

首都ダブリンから南北アイルランドをバスで周遊。雄大な景観と共に、人々の心に息づくケルト文化、今でも神聖な空気が漂う初期キリスト教会跡、中世の趣を今に伝える古城群にいたるまで南北アイルランドの自然、歴史、文化に深く迫る旅です。

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

フィリピン

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

 

監督:マルティカ・ラミレス・エスコバル
出演:シェイラ・フランシスコ
日本公開:2024年

2024.1.10

人ひとりの頭に宿る「歴史」―奇想天外なフィリピン映画

かつてフィリピン映画界で活躍した女性監督レオノール・レイエスは、引退して72歳になり、借金や息子との関係悪化に悩む日々を送っていた。

ある日、新聞で脚本コンクールの記事を目にした彼女は、未完だったアクション映画の脚本に取り組むことに。そんな矢先、レオノールは落ちてきたテレビに頭をぶつけてヒプナゴジアに陥り、脚本の世界に入り込んでしまう。

息子は必死に母を現実の世界へ引き戻そうとするが……。

面白い映画や奇想天外な映画を観たとき、純粋にストーリーを楽しむこととは別に「これを作った人の頭の中はどうなっているんだろうか?」と不思議に思ったことはないでしょうか。僕はスタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』を観た時にそう思いました。

実際、僕も脚本を書くことがありますが、現実と作り話の混同が起こることが時折あります。書き手はもちろん、現実で経験したことから多かれ少なかれ影響を受けるので、実際あったこと(もしくは少し脚色したこと)を書いたりします。

逆に、脚本に書いたことが実際に起きてしまう、脚本を知らない他者が「書いたセリフ」が実際に口にされる現場に遭遇してしまう。そんなことがしばしば起こります。そうすると書き手としては「あれ、今どっちだっけ?」という混乱に陥ります。これは本作のテーマになっている夢現な「半覚醒」の状態に似ています。

アカデミー賞で受賞をした『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督も、脚本執筆の際に「登場人物に会いに行ってインタビューする」という、ある種の儀式的プロセスを脚本執筆の際に踏むという記事を読んだことがあります。これはつまり、登場人物の声の「響き」を想像するということではないかと思います。

本コラムのテーマ「旅」に立ち返ってみると、旅の印象でより長く覚えているのは響き、香り、触感だったりするかもしれないと本作を観て思いました。

もちろんハイライト的な観光スポットを「見たこと」、それを写真や動画で「撮ること」などによって残る印象もあります。しかし僕がご一緒させてもらった西遊旅行の旅でいうと、ブータンやインドのチベット文化圏によく行かせてもらっていましたので、高度の高い平原の荒涼とした感じの音、星空をみているときの大地の音、バターランプの香り、僧院の床の感触や足音などなど・・・そんな物事のほうがよく思い出すことができます。

おそらく監督(30代前半の女性監督)の個人的な「響き」の記憶もかなり入っているのでしょう、フィリピンの数十年分の大衆文化を旅する気分も味わえる『レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)』。2024年1月13日(金)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。