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コット、はじまりの夏

(C)Insceal 2022

アイルランド

コット、はじまりの夏

 

監督:コルム・バレード
出演:キャサリン・クリンチほか
日本公開:2024年

2024.1.17

1980年代初頭・アイルランド―“静かな女の子”の心を動かす「ささやかさ」

1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みの間、母親が出産するまでの時間をウォーターフォードという農村にいる親戚夫婦のもとで過ごすことになる。

夫婦はコットを優しく迎え入れ、一緒に食事をしたり、子牛の世話をしたりと、何気ない日常を重ねていく。

コットはそんな日々を送っていくうちに、今までに経験したことのなかった、暮らしの中のささやかな喜びを知っていく。

本作は二児(上が女の子で7歳半、下は男の子で3歳になったばかりです)の子育てをしている僕にとっては、色々と反省の念を抱いてしまう作品でした。

英題は”Quiet Girl”、「静かな女の子」という意味です。すこし変わり者で何を考えているのかよくわからない子、と解釈することもできるかと思います。しかしもちろん、子どもは大人が思いもよらぬ様々なことを頭の中で考えているものです。

主人公のコットは(おそらくそういう設定だと思うのですが)カソリック的な厳格な規律と、政治経済的に苦境に立たされていた1980年代初頭のアイルランドを象徴するような家庭で育っています。

現代のように大人も子どももスマートフォンに夢中で時間に追われているような慌ただしさはないのですが、ひと言でいうと、ギスギスしています。田舎のお父さんには、厳格な家庭のはずなのに「親のしつけがなっていないな」と指摘されてしまう始末です。

物語の中盤に、郵便受けに向かってコットが並木道を走るシーンがあります。スローモーションになるのですが、「ああやっぱり子どものこういう何気ない時間こそ大切にしなければいけないな」と、日々の自分の行動を省みました。

そのとき僕が思い出したのは、我が家でゴミ捨てに行くときのことです。福岡市はごみ捨てが夜なのですが、たかだか往復2, 3分なのでサッと行ってしまったほうが効率はもちろん良いです。

しかし上の子は特にコロナ禍であまり自由に外に出られなかったこともあり、だいたい「一緒に行く(でも抱っこで)」と言いました。ゴミ袋と娘を抱えて、月を見たり傘をさしたりしながら、暑さ・寒さについて話しながらゴミ捨てに行きました。

息子は息子で、「ストライダー(ランニングバイク)に乗る」好機とゴミ捨てをみなしていて、僕はいつも小走りで付いていきます。雨の日は「今日は雨だから」と数分かけて説得して、さらにまた数分かけてお気に入りのレインコートを着せて、ゴミ捨てに行きます。

こういうことを面倒に思ってしまうこともしばしばですが、そういう思いも含めて、自分の日々の葛藤や行いがなんだか報われるような気持ちにさせてくれるピュアな作品でした。

『コット、はじまりの夏』は1/26(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、渋谷ホワイトシネクイント他にて全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

アイルランド周遊

首都ダブリンから南北アイルランドをバスで周遊。雄大な景観と共に、人々の心に息づくケルト文化、今でも神聖な空気が漂う初期キリスト教会跡、中世の趣を今に伝える古城群にいたるまで南北アイルランドの自然、歴史、文化に深く迫る旅です。

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

フィリピン

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

 

監督:マルティカ・ラミレス・エスコバル
出演:シェイラ・フランシスコ
日本公開:2024年

2024.1.10

人ひとりの頭に宿る「歴史」―奇想天外なフィリピン映画

かつてフィリピン映画界で活躍した女性監督レオノール・レイエスは、引退して72歳になり、借金や息子との関係悪化に悩む日々を送っていた。

ある日、新聞で脚本コンクールの記事を目にした彼女は、未完だったアクション映画の脚本に取り組むことに。そんな矢先、レオノールは落ちてきたテレビに頭をぶつけてヒプナゴジアに陥り、脚本の世界に入り込んでしまう。

息子は必死に母を現実の世界へ引き戻そうとするが……。

面白い映画や奇想天外な映画を観たとき、純粋にストーリーを楽しむこととは別に「これを作った人の頭の中はどうなっているんだろうか?」と不思議に思ったことはないでしょうか。僕はスタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』を観た時にそう思いました。

実際、僕も脚本を書くことがありますが、現実と作り話の混同が起こることが時折あります。書き手はもちろん、現実で経験したことから多かれ少なかれ影響を受けるので、実際あったこと(もしくは少し脚色したこと)を書いたりします。

逆に、脚本に書いたことが実際に起きてしまう、脚本を知らない他者が「書いたセリフ」が実際に口にされる現場に遭遇してしまう。そんなことがしばしば起こります。そうすると書き手としては「あれ、今どっちだっけ?」という混乱に陥ります。これは本作のテーマになっている夢現な「半覚醒」の状態に似ています。

アカデミー賞で受賞をした『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督も、脚本執筆の際に「登場人物に会いに行ってインタビューする」という、ある種の儀式的プロセスを脚本執筆の際に踏むという記事を読んだことがあります。これはつまり、登場人物の声の「響き」を想像するということではないかと思います。

本コラムのテーマ「旅」に立ち返ってみると、旅の印象でより長く覚えているのは響き、香り、触感だったりするかもしれないと本作を観て思いました。

もちろんハイライト的な観光スポットを「見たこと」、それを写真や動画で「撮ること」などによって残る印象もあります。しかし僕がご一緒させてもらった西遊旅行の旅でいうと、ブータンやインドのチベット文化圏によく行かせてもらっていましたので、高度の高い平原の荒涼とした感じの音、星空をみているときの大地の音、バターランプの香り、僧院の床の感触や足音などなど・・・そんな物事のほうがよく思い出すことができます。

おそらく監督(30代前半の女性監督)の個人的な「響き」の記憶もかなり入っているのでしょう、フィリピンの数十年分の大衆文化を旅する気分も味わえる『レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)』。2024年1月13日(金)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

枯れ葉

フィンランド

枯れ葉

 

Kuolleet lehdet

監督:アキ・カウリスマキ
出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・バタネンほか
日本公開:2023年

2024.1.3

秋のヘルシンキに咲く、小市民たちのドラマ

フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、工事現場で働く酒好きのホラッパはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。映画を観たり、食事をしたりしながら仲を深める二人だが・・・

日本に一番近いヨーロッパ、日本人に一番気質が近いヨーロッパ人などと紹介されることが多いフィンランドですが、小津安二郎監督の大ファンを長らく公言しているアキ・カウリスマキ監督のこの作品を観れば、なんとなくそれも納得できます。カウリスマキ監督の作品は、「シグネイチャー(署名)」とも言えるいくつかの特徴があります。

まずは、小市民な主人公だけれどもスポットライトがあたって舞台の上に立っているかのような照明。

渋くて盛り上がりを演出する意図では全く無い、哀愁漂うバンド演奏シーン。

静かに淡々と無表情に、でもちゃんと進んでいくドラマ。

主人公たちがふと見せる優しさ。

世の中の厳しさ。

ユニークな脇役。

まだまだありますが本作が特にユニークなのは、こうした淡々としたドラマの背後で、地理的な近接性もあり、ロシア・ウクライナ紛争のニュースが飛び込んでくることです。

それに対し登場人物たちは何をするわけでもありませんし、何かをしようと立ち上がるわけでもありません。カフェでコーヒーを頼むのをためらうようなアンサは、いくらかの絶望も伴いつつ、あくまでも目の前の現実をひとつひとつ受け止めていきます。

しかし考えてみると、元旦に起こった能登半島地震にしても、イスラエル・ガザ戦争にしても、ロシア・ウクライナ戦争にしても、募金等の支援を除けば「何もすることができないで状況を見つめる」ということぐらいしかできないのが小市民としては当たり前です。

「何もしていない」からといって「何も思っていない」わけではない。いつでも小市民の味方のカウリスマキ監督は、そんな勇気づけをこのタイミングで観客に持ち寄ってくれているように感じました。

一見淡々とした演出から、人間心理の深遠さを映し出す熟練した演出が魅力の『枯れ葉』は、2023年末より全国上映中。詳細は公式HPをご確認ください。

秋のフィンランドをめぐる旅

フィンランドの秋は自然の色が変わりゆく季節で、フィンランド人が『ruska(ルスカ)』と呼ぶ紅葉の季節です。9月のラップランドは、ルスカの季節で緑から黄色に色づく森をお楽しみいただけます。ヘルシンキの2つの国立公園は、きのこなどいわゆる「隠花植物」の宝庫です。お昼は焚火を囲みフィンランド式バーベキューも楽しみます。

フジヤマコットントン

(C)nondelaico/mizuguchiya film

山梨

フジヤマコットントン

 

監督:青柳拓
出演:山梨県「みらいファーム」の人々
日本公開:2024年

2023.12.20

富士山のような眼差しで、障害者施設を優しく見つめるドキュメンタリー

山梨県中巨摩郡、富士山が見守る甲府盆地の中心部にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」。

静かで自然豊かな環境の中で、さまざまな障害を持つ人たちが思い思いの時間を過ごしている。

カメラは彼らが仕事に取り組む姿、花の世話をする姿、絵を描く姿、布を織る姿を見つめて「ありのまま」をとらえていく。

映画監督や映画製作者というのは、いわゆる「役得」で、普通は入れてもらえないような場所に入れさせてもらったり、機会がないとなかなか訪れない場所に招かれたりします。

もちろんそういう場所のことも「秘境」と呼ぶのは若干齟齬がありますが、「なかなか行か(行け)ない場所に行く」のが秘境旅行のエッセンスのひとつであることが確かなので、いくらかの共通項もあるはずです。僕が思うにそれは、「そのまんま」「ありのまま」で楽しめたり本質を享受させてもらえるということです。

そして、このドキュメンタリーで映し出される光景や映画のテンポは、まさにそういう感じです。「コットントン」という題名の響きにも、それは表れているように思います。

このドキュメンタリーの舞台になっている「みらいファーム」は、監督のお母さんの職場で、監督自身も幼い頃から親しんでいたといいます。人生まるごとな感じと、母と子の世代をまたいだ時間と、場のありのままとが掛けあわさって、「現在を旅する」タイムトラベルに観客を連れて行ってくれます。

重い描写や悲しい雰囲気は一切ない『フジヤマコットントン』は、2024年2月10日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

ポトフ 美食家と料理人

©2023 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 2 CINÉMA

フランス

ポトフ 美食家と料理人

 

La Passion de Dodin Bouffant (The Pot-au-Feu)

監督: トラン・アン・ユン
出演: ジュリエット・ビノシュ、ブノワ・マジメルほか
日本公開:2023年

2023.11.29

フランスの美食家・ドダンが感じていた「人生の愉しみ」

19世紀末、自然豊かなフランスの田舎で、美食家・ドダンは「食」を追求する生活を送っている。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

彼の閃めくメニューを完璧に再現するのは、料理人のウージェニー。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

ドダン・ウージェニーのタッグの評判は、ヨーロッパ各国に広まっていた。ある日、皇太子から晩餐会に招かれたドダンは、食の真髄を示すべく、一般的基準としては簡素すぎて晩餐向きではない料理・ポトフをメインに据えることに決める。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

時を同じくして、長らく結婚はしないままパートナーシップを貫いてきた2人は、結婚することになる。しかし、もともと体調が芳しくなかったウージェニーは倒れてしまう・・・

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

本作をつくったベトナム系フランス人のトラン・アン・ユン監督とは、2017年にベトナムのダナンで行われたマスタークラスでつながりがあり、その当時から本作のことは「フランスの食に関する映画にもうすぐ着手する」と聞いていて楽しみにしていました。

トラン・アン・ユン監督からは色々なことを教わりましたが、一言でまとめると、どのように映画を生活(人生)とをイコールにするかを教わりました。それゆえに、映画人、ひいてはアーティストの生活というのは、そうではない人と違わなければいけない(違うという自覚を持つ)ということでした。

本作はまさに、料理と生活(人生)がイコールになっている状態、そしてその時間の流れをそのままとらえた一作です。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

「5, 6年に1本しか自分は映画を作らない」「映画監督見習いのときは美術館で働いていて、毎日休み時間に絵を眺めていた」などという話も聞きましたが、鍛え抜かれた観察眼でじっくり熟成されるようにつくられた本作は、もちろんストーリーを追うという映画の慣例的な見方もさせてくれますが、いつの間にか「ただ観ているだけ」の、没入した状態になっていることに観客の多くは物語のどこかで気付かされるでしょう。

おそらく「美味しそう」「食べたい」というだけではなく、何と言えばいいかわからない(映画を観ていただくしかない)のですが、料理が人の姿や建物や自然造形のように見えてくる瞬間があると思います。その瞬間をぜひ楽しんでいただきたいです。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

ロケ地はフランス中西部・ロワールのようですが、西遊旅行にはそのもう少し西・南の地方を歩きつつ食を楽しむツアーがあります。あわせてぜひチェックしてみてください。

『ポトフ 美食家と料理人 』は、12/15(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

フランス・ペリゴールの田舎道を歩く
ヴェゼール&ドルドーニュ渓谷の美しい村を訪ねて

美しい田舎が多い南西フランスの中でも「最も美しい村」と称される村々が密集するドルドーニュ渓谷やヴェゼール渓谷を訪れ、農村風景の中を歩き、美しい村や中世の古城を訪れます。ゆったりと蛇行して流れるドルドーニュ川でのカヌー体験や、隣のケルシー地方まで足を延ばし、聖地ロカマドゥールや聖地サンティアゴの道を歩いたりと盛りだくさんの旅です。

旅するローマ教皇

(C)2022 21Uno Film srl Stemal Entertainment srl

バチカン・イタリア

旅するローマ教皇

 

In viaggio

監督:ジャンフランコ・ロージ
出演:ローマ教皇フランシスコ
日本公開:2023年

2023.10.4

世界を駆け巡る、ローマ教皇の旅を追体験

ローマ教皇フランシスコは、9年間で37回旅に出て、53か国を訪問した。

カメラは2013年のイタリア・ランペドゥーサ島から2022年のマルタ共和国まで、ローマ教皇の旅に密着する中で、さまざまな人に語りかけ、対話し、世に山積する問題と向き合う教皇の人間性を映し出していく。

もしも「自分たちの町にローマ教皇がやって来る」と聞いたら、どんな心地がするでしょうか。聞くだけでご利益があるような「ありがたいお言葉」を頂戴しに行くという印象を持たれる方も多いのではと思います。

実際、立ち会うことができませんでしたが、僕の母校・上智大学にローマ教皇が来たというニュースを見たときには、「ありがたい言葉を人々が聞いた」というように映像が仕上げられているように思えました。しかし、本作の切り取り方は、それとは少し違います。

本作ではローマ教皇の姿もさることながら、「まわり」に焦点があたっています。
ブラジル、キューバ、アメリカ、チリ、フィリピン、ケニア、イスラエル、パレスチナ、メキシコ、アルメニア、UAE、マダガスカル、日本、カナダ、イラク、マルタ・・・
教皇が訪問している場所はどういう場所で、どういう問題があるのかということが、簡潔でありつつも観客の心にグサッと刺さるような形で提示されていきます。

各地での人々の様子は、もちろん喜ぶ姿も多いですが、フッテージの多くは決して明るくはない内容です。特に、中央アフリカ共和国で、少年が慣れた様子で発砲する様子は衝撃的でした。

また、「訪問」ではないですが対話先として宇宙ステーションがあったのも、教皇だからこその「旅の形」を表していました。

僕は本作を観ながら、オバマ元大統領が2016年に広島を訪問した時のことを思い出しました。広島の歴史には、映画のテーマにしたほど思い入れがあるのですが、様々な歴史が文脈が渦巻く中で、オバマがどのように振る舞い、何を言うのか。テレビにかじりつくようにして様子を見守った記憶がよみがえりました。

ローマ教皇も、「世界を背負う」という重圧をしばしば感じながら旅しているのでしょう。にこやかに振る舞いつつも、時に重々しい表情をする姿が印象的です。

世界でたった1人だけに許された旅の形に触れられる『旅するローマ教皇』は、2023年10月6日(金)よりBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

ビー・ガン ショート・ストーリー

(C)Dangmai Films / ReallyLikeFilms

中国

Bi Gan A SHORT STORY ビー・ガン ショート・ストーリー

 

破碎太陽之心 A Short Story

監督: ビー・ガン
出演: タン・ジュオ、チェン・ヨンゾンほか
日本公開:2023年

2023.9.20

世界で最も期待されている監督の1人、中国・貴州省出身 ビー・ガンの世界観

孤独で変わり者の黒猫は、自由になりたいカカシに尋ねる。
「この世の中で、一番大切なものは?」
答えに困ったカカシは、黒猫に三人の奇人と会うように進言する。

​その三人の奇人とは、ほろ苦さと引き換えにめずらしい飴を配るロボット、愛する人を忘れるため「食すると記憶が短くなる」という麺をすする女、時間を操る魔法を使えるようになりたくて劇場に棲みついた悪魔。

観客は奇想天外な旅に導かれていく・・・

以前、本コラムでも『凱里ブルース』『ロングデイズ・ジャーニーこの夜の涯てへ』をご紹介したビー・ガン監督。今回の新作は15分の短編映画で、ワンコインで劇場公開されるという例外的な興行が行われます。世界で最も期待されている作家ゆえの、異例の興行形態に注目が集まっていますが、今回この記事では監督の出身地・貴州(中国南西部・山岳地域にある省)という場所と作品の関わりについて考えてみたいと思います。

この写真中で、線路の先の光景が貴州の都市なのかはわからないのですが、エンドクレジットには貴州、および州都の貴陽のクレジットが入っていたので、確実に本作の撮影は貴州のどこかで行われています。

ちなみに、ビー・ガンは題名に「凱里」(貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州の都市)とはっきり入っている『凱里ブルース』だけでなく、『ロングデイズ・ジャーニーこの夜の涯てへ』でも凱里を舞台にしていて、今はわかりませんが『ロングデイズ・ジャーニーこの夜の涯てへ』の制作の時は凱里にいまだに住んでいるという記事を見たことがあります。

ほぼ同じキャストでずっと撮り続ける監督、ほぼ同じようなストーリーを形を変えて撮り続ける監督など、監督にはそれぞれクセのようなものがありますが、ビー・ガンの場合は貴州という故郷の風土と作品は切っても切り離せないのでしょう。

おとぎ話のような導入から、夢想的空間だけでなく、いたって現実的な都市空間とを行き来したり、滞留してみたり、夢想と現実のボーダーラインに片足立ちする感じで立ってみたり・・・ビー・ガン独特の「ステップ」のようなものが、映画の流れを作り出しています。それゆえに、15分という短い時間でも、異次元に旅できる作品となっているのでしょう。

『Bi Gan A SHORT STORY ビー・ガン ショート・ストーリー』は、10/27(金)よりヒューマントラストシネマ​渋谷ほか全国順次公開。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

ミャオ族・トン族の里めぐりと春の恋愛祭り姉妹飯節
山深い貴州省に暮らす人々を訪ねて

この時期にのみ行われるミャオ族伝統の恋愛祭り「姉妹飯節」を見学します。村ごとに異なる意匠を凝らした銀装を纏い、シャンシャンと銀飾りの音を響かせながら歩く様子は、思わず目を奪われる光景です。貴陽では、アジア最大級の落差がある迫力の黄果樹瀑布を見学。風光明媚な雲貴高原の豊かな自然をお楽しみください。

バーナデット ママは行方不明

(C)2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

アメリカ・南極

バーナデット ママは行方不明

 

Where’d You Go, Bernadette

監督:リチャード・リンクレイター
出演:ケイト・ブランシェット、ビリー・クラダップほか
日本公開:2023年

2023.9.13

人はなぜ南極へ旅するのか?―頓挫中の天才建築家・バーナデットの場合

アメリカ・シアトルに暮らす専業主婦のバーナデットは、一流企業に勤める夫や親友のような関係の愛娘に囲まれ、幸せな毎日を送っているかにみえる。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

しかし彼女は極度の人間嫌いで、隣人やママ友たちと上手くつきあうことができない。かつて天才建築家として活躍しながらも20年前のある事件をきっかけに第一線から突如退いた過去を持つ彼女は、退屈な日々に息苦しさを募らせていく。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

そんなバーナデットを、南極へ向かわせた理由とは?
そして、そこで彼女は何を見出すのか?

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

ついにこの「旅と映画」のキーワード欄に、「南極」と書く日が来ました(実際、撮影はグリーンランドだったようですが、南極のフッテージも劇中に含まれているので、「南極」と書かせてください)。

正直な所、「南極と北極ってどう違うの?」と聞かれても、「場所が違って、生態系が違って、あとは氷の大地だからだいたい同じじゃない?」と答えられるほどの知識しか僕にはありません。もちろん、調べたところ全くそんなことは無かった(長くなるのでここでの詳述は避けます)のですが、南極に思いを馳せる瞬間というのは、日本に暮らしているとなかなか持ちにくいです。主人公のバーナデットの暮らすシアトルについても、それは同じでしょう。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

バーナデットはなぜ南極に旅することになったのか? 詳しくは映画を観てもらえればと思うのですが、最初のきっかけは向学心あふれる娘によってもたらされます。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

しかし、「南極に行きたい!」となったときに「じゃあ行きますか」と(金銭・時間的に)言える稀有な家庭にもかかわらず、バーナデットは「どうにか行けなくならないだろうか」と様々な理由を探し始めるひねくれ者です。ひねくれているというか、過去をこじらせてしまっている女性です。

原作小説「バーナデットをさがせ!」(彩流社/マリア・センプル)も素晴らしいのだと思いますが、僕はやはり監督・脚本を務めるリチャード・リンクレイター(『ビフォア・サンライズ』『6才のボクが、大人になるまで。』等)の手腕にうならされました。

脚本づくりにおいて、「主人公が考えるベストな出来事は、最悪な出来事」というセオリーがあります。これは言い方を変えると、「理想というのは自分で思い描ける範囲の外側にあり、自分の力だけでは叶えられない」ということです。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

バーナデットの心に約20年かけて宿った、本人自身も気付いていなかった理想は、娘・夫・大嫌いなママ友・旧友・南極関連の科学者など「様々な他者たち」が、バーナデットが考えてもなかったようなプロセスで順々に浮き彫りにしていきます。

そして、グチグチネチネチしていたバーナデットが、南極という氷の大地でパッと花開く(この「パッ」の瞬間が本当に上手い・・・)というシナリオ。これはもうさすがリチャード・リンクレイター監督としか言いようがありません。

© 2019 ANNAPURNA PICTURES LLC. All Rights Reserved. Wilson Webb / Annapurna Pictures

会話劇の名手が繰り広げるやりとりに引き込まれたらいつの間にか南極に着いている『バーナデット ママは行方不明』は、2023年9月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

熊は、いない

(C)JP Film Production, 2021

イラン

熊は、いない

 

Khers nist

監督:ジャファル・パナヒ
出演:ジャファル・パナヒ、ナセル・ハシェミ、バヒド・モバセリほか
日本公開:2023年

2023.9.6

「張子の熊」はどこにいる?―架空と現実をあべこべにさせるイラン映画の世界観

ジャファル・パナヒ監督は、トルコで偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしている若い男女を主人公にした映画を撮影するため、イランの国境近くの小さな村からリモートで助監督レザに指示を出す。

そんな中、イランの滞在先の村では古い掟のせいで愛し合うことが許されない恋人たちをめぐるトラブルが大事件へと発展し、パナヒ監督も巻き込まれていく。

架空のカップルと本当のカップル、2組の物語が不思議な形で絡み合い、イラン・トルコ、そしてさらにはヨーロッパの社会問題までを、限られたロケーションから浮き彫りにしていく。

イランの監督たちは「一体どうやってこの話を思いついたのだろう」「一体どうやってこの人たちに撮影交渉をしたのだろう」と、観る人に思わせるような映画を撮る名人たちが集結しています。それには映画をめぐる検閲・法律が関係しています。

専門家ではないのでトルコとイランの政治体制や、イスラーム法に関する詳述はここではしませんが、本作の冒頭で「ビールを飲む(EFESという銘柄)」というシーンがあります。これだけで「ああ、ここはイランではないな」とわかります。逆に、パナヒ監督が滞在するイランの村で出されるのは、「これは◯◯に効く」というエピソード付きの伝統的な飲食物です。

一方、パナヒ監督の滞在先のホテルは土壁で、典型的な「中東」というイメージに反しない、土埃舞うゴツゴツした岩がならぶ道を車が行きます。

こうした対比で幕を開ける本作ですが、イラン側(本当のカップル側)では「映らないもの・こと」(例えばタイトルにも入っている「熊」など)が多く、段々とそれがトルコ側(架空のカップル側)に伝染していくような構成になっています。

検閲・政治的理由でたどり着いた表現ですが、これは図らずも(あるいは図っているのかもしれません)、「映っていることが全て(映っていないことは読み取れない)」というファスト消費状態のメディア・コンテンツのあり方に対する強烈なアンチテーゼになっていると感じました。

また、映画監督はコミュニケーションが大事なのですが、イランの村で多くのアマチュアキャストに演出する上で、きっと監督は「映らないこと」まで詳しく説明したのだと思います。村のしきたりについて、村人たちが大揉めに揉める迫真の演技が収録されています。

パナヒ監督の不思議で魔法のような旅に同行して、「じゃあ自分はどう考え、どう行動を起こすか」と考えさせてくれる、普遍的な一作です。

『熊は、いない』は9/15(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次上映。そのほか詳細は公式HPをご確認ください。

イラン北西部周遊

ザグロス山脈とアララト山の山岳風景、ウルミエ湖とカスピ海が広がる肥沃な大地。
荒々しくも変化に富んだ雄大な自然を満喫する陸路の旅。

燃えあがる女性記者たち

(C)BLACK TICKET FILMS. ALL RIGHTS RESERVED

インド

燃えあがる女性記者たち

 

Writing with Fire

監督:リントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ
出演:新聞社「カバル・ラハリヤ」のメンバーたち
日本公開:2023年

2023.8.30

不可触カーストの女性によるニュースメディア「カバル・ラハリヤ」の勇姿

インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、「不可触民」として差別を受けるダリトと呼ばれるカーストの女性たちによって設立された新聞社カバル・ラハリヤ(「ニュースの波」の意)は、紙媒体ではなく、SNSやYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして新たな挑戦を開始する。

スマートフォンを武器に、女性記者たちは、夫や家族から反対を受けつつも、粘り強く取材して独自のニュースを伝え続ける。彼女たちのチャンネルの再生回数は何千万・億単位となり、反響はどんどん大きくなっていく。

「インドにはカーストがある」という事実は、特に「言ってはいけない」ことではなく、むしろインドを旅するほとんどの旅行者は知っている周知の事実かと思います。

でも、それが一体どういうことであるかというのを、旅行者が体験・目撃することは非常に難しいと思います。なぜなら、カーストを形作る出自(ジャーティ)というのは、簡単に表出してくるものではなく、歴史・文化・習慣の中に深すぎるぐらい根を張っているからです。

その膠着状況を切り拓いていくのは、当事者であり「今」を生きる女性たち自身です。「撮影」は英語で“shooting”といいますが、まさにスマートフォンで彼女たちは自分たちの興味関心を「狙い撃ち」していきます。僕がもし取材者だったら遠慮して、まず関係性を構築してからインタビューするだろうという場面でも、彼女たちは臆せずガンガンとスマートフォンを被写体に向けて質問を投げかけていきます。

なぜ、そうできるのか? それは「待ったなし」「これ以上失うものは何もない」という状況だからなのでしょう。そして彼女たちや支持者たちの団結は、カバル・ラハリヤのメンバーをジャンムー・カシミール州のシュリーナガルやスリランカに旅させる力を生み出すに至ります。

僕は「“母なるインド”というフレーズがよく使われるけれども、なぜ母にたとえられるのかに疑問を感じる」という、何気なくにこやかに発話されつつも、強烈に現状を批判する投げかけが印象に残りました。女性記者たちがメラメラと、でも静かに燃えあがる様子から、転機や「何かが変わるとき」というのはダイナミックに訪れるというよりは、意外と何気ない小さいことから訪れるものだと感じました。

アカデミー賞にもノミネートされた『燃えあがる女性記者たち』は、2023年9月16日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。