ブータン 山の教室

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ブータン

ブータン 山の教室

 

Lunana A Yak in the Classroom

監督: パオ・チョニン・ドルジ
出演: シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップほか
日本公開:2021年

2021.3.3

ヒマラヤの村にあって 都会にないものは?―ブータン映画新境地

標高約2300m、ブータンの首都・ティンプー。若い教師ウゲンは、ブータン最北端の標高 約4800mにあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけて歩いてたどり着いた村には、教育を施すことができるウゲンの到着を心待ちにしている人々がいた・・・

サブ1

ブータンの映画が、映画祭だけではなく劇場公開映画として日本で観られるようになってから数年経ちますが、本作は「ブータン映画は珍しい」というフェーズの終わりを感じさせてくれるハイクオリティな一作でした。

主人公のウゲンは首都・ティンプーに暮らす今風の(髪がピチっとセットされていて音楽バーに通うような)青年で、心の底ではミュージシャンを目指したいという思いが強く、音楽を聞いていないときでもヘッドフォンを常に首にかけています。実際ブータンに私が訪れたときもこういう青年はたくさん見た記憶があるので、とてもリアルに感じました。

サブ6

夜はロウソクの光で暮らすルナナ村でデジタル音楽プレーヤーの電源は切れ、充電はままならず、ウゲンはヘッドフォンを置くようになります。これは地理的特性をいかした「新しい地への順応」の映像表現なのですが、こうした言わば模範的な表現を、ブータンクルーは難なくこなしています。

そこに、仏教国・ブータンだからこそのユニークな点だと思うのですが、映像表現上テクニックが要求される「無」「非」「不」の表現が巧みに織り込まれます。たとえば「机の上にコップがない」というショットを撮る場合、「机の上にコップがある(あった)」ことをまず示さないと「コップがない」ことは表現できないように、「無」「非」「不」の表現は技量が問われます。

サブ5

「道先案内人の青年・ミチェンにglobal warming(地球温暖化)という英語が通じない」というシーン(知識の不在)で、ミチェンは「その言葉はわからないけど、周囲にそびえる山の冠雪から変化は感じてるよ」というような返答をします。ブータン中部のフォブジカという村では、ヒマラヤから冬季に飛来するオグロヅルを気遣って電線を引かない決断をしたというエピソードは有名ですが、ブータンでは自然と人々の感覚が密接にリンクしているのだろうということが、ウゲンと村長のちょっとしたやりとり一つで表現されているのはとてもブータン映画らしいポイントだなと思いました。

サブ3

バスケットリング・黒板・トイレットペーパーなど「無いもの」も多く登場しますが、この描き方もまた絶妙で全く押し付けがましさがなく、独特な「ある/なし」の表現はブータン映画の新次元と言ってもよいでしょう。

サブ2

同じ映画監督としては、この表現から学ばなければいけないと思うとともに、いつかブータンクルーと映画を撮ってみたいなとも思いました。

私は西遊旅行勤務時にブータンツアーの手配・営業・添乗を担当していたこともあり、こまかな描写のなかにブータン人独特の感性を見つけて、なんだか懐かしくなりました。

サブ4

さらに特筆すべき点は、「幸福の国・ブータン」の矛盾を指摘している点です。ブータンを旅すると人々の無垢な笑顔や、日本人なら誰しもが懐かしさをおぼえる田園風景に癒やされます。しかし、教育を施せない貧困家庭が一定数いるのも現状で、ポスタービジュアルでも印象的な女の子・ペムザムの家庭は崩壊していると知ると、なんだか複雑な気持ちになります。

メイン

ピースフルでほっとするような雰囲気の中に、鋭い問題提起も含まれている『ブータン 山の教室』は4月3日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。