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ペトルーニャに祝福を

PETRUNYA_B5_H1_N_ol(C)Sisters and Brother Mitevski Production, Entre Chien et Loup, Vertigo.Spiritus Movens Production, DueuxiemeLigne Films, EZ Films-2019 All rights reserved

北マケドニア

ペトルーニャに祝福を

 

Gospod postoi, imeto i’ e Petrunija

監督: テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演: ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカほか
日本公開:2021年

2021.4.7

ぽっちゃり女性の心の中にこそ、神あり ― 北マケドニアの伝統と現代化

北マケドニアの東部にある小さな町・シュティプに暮らす32歳のペトルーニャは、美人でもなく、太めの体型で恋人もおらず、大学で良い成績で歴史学を修めて卒業したのに、仕事はウェイトレスのアルバイトしかない。

ある日、親に促されて仕方なく受けた面接でセクハラを受けたうえに不採用になったペトルーニャは、惨めな気持ちで家路につく。

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そこで偶然、ペトルーニャは地元の伝統儀式に遭遇する。「司祭が川に投げ入れる十字架を手にした者には幸せが訪れる」という由緒を持つ、女人禁制の儀式を目の前にして、ペトルーニャは本能的に十字架を追い求める。

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いつの間にか十字架を手にしていたペトルーニャは、儀式に参加していた男たちから猛反発を受け、あろうことか十字架を持ったまま逃走してしまい、警察に追われる身となってしまう・・・

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北マケドニアの作品を観る機会はそうそうありません。私はマケドニアやバルカン半島の民族音楽に興味があったので大学のときにいくらかマケドニアについては調べたことがありましたが、初めてマケドニアの映画を観たのは2018年で、韓国・釜山で自分の作品が上映されたときに併映されていたマケドニア監督の作品でした。

マケドニアは2018年に北マケドニアと国名を変えましたが、ユーゴスラビアが解体し1991年にマケドニアとして独立した際には、旧ユーゴスラビア諸国の中で最貧国だったといいます。映画の冒頭では、依然として貧困が大きな社会問題であることが示されます。

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加えて、マケドニアでも「30代女性の考え方が、両親世代の保守的な価値観と対立する」というような女性の生きづらさは、議論が足りていない(それがゆえに映画になる)トピックであることが明らかになっていきます。

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ペトルーニャの振る舞いだけでなく、「ペトルーニャ騒動」の一件を熱意をもって取材し続ける女性記者からも、いわゆるウィメンズ・ライツ(Women’s Rights)が切迫した社会課題であることを感じ取れます。

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北マケドニアは国民の約7割がキリスト教徒(のこり約3割は主にイスラム教徒)だそうですが、旧来から地域社会を束ねてきたマケドニア正教会の伝統的価値観は変容を迫られているはずです。本作の英題 “God Exists, Her Name is Petrunya”(神は存在する、彼女の名前はペトルーニャ)が示す通り「ペトルーニャという一個人にも(ひいてはどんな個人にも)神は宿っている」という、北マケドニアにおける「神」の現代的な解釈が、作品まるごとを以って表現されています。

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知られざる北マケドニアの現在を見聞できる『ペトルーニャに祝福を』は、5月22日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

古代マケドニアと南バルカンの自然

マケドニア、ギリシャ、ブルガリアの3ヶ国を巡り、各地で数々の歴史遺産を見学。かつてアジアまでの東方遠征を行い歴史に燦然とその名を残したマケドニア王・アレキサンダー大王を輩出したペラ(ギリシャ)や、その父王で強国マケドニアの礎を築いたフィリッポス2世の墳墓が発見されたヴェルギナなど、古代マケドニアに残る史跡を訪ねます。

春江水暖~しゅんこうすいだん

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中国

春江水暖~しゅんこうすいだん

 

監督: グー・シャオガン
出演: チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエンほか
日本公開:2021年

2021.3.24

山水画で名高い景勝地・富陽―絵巻物のような中国若手監督の世界観

伝統的な景観の保全と再開発がしのぎを削るように並行して進む中国・杭州市 富陽地区。ある大家族が、年老いた母の誕生日を祝うため集まる。しかし、祝宴の最中に母は脳卒中で倒れてしまう。

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命は取り留めたものの認知症が進み、介護が必要になってしまった母。飲食店を営む長男。漁師の次男。ダウン症の息子を男手ひとつで育てる三男。気ままな独身生活を楽しむ四男・・・
それぞれの人生がゆるやかに交錯していく。

この映画のロケ地となっている富陽は、元代の著名な画家・黄公望(1269-1354)の水墨画『富春山居図』が描かれた地です。1988年生まれのグー・シャオガン監督は富陽で生まれ育ち、この地のリズムや風土を熟知していることが映像から見て取れる内容となっています。

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しばしば使われる長回しショットの雰囲気もあいまって、舞台はまぎれもなく現代中国ではありながらも、絵巻物の世界に入り込んだような感覚を本作は味わせてくれます。カラー作品ではありますが、「水墨画のような」という喩え方が本作にふさわしいと思います。

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絵画には必ずキャンバスがあり、どこからどこまで描けるかが決まっていて、当たり前ではありますがキャンバスの枠外に何かを描くことはできません。

映画にも縦横比で形成された枠(フレーム)がありますが、その枠はカメラの移動によって変容したり、音編集などによって枠の外側の物事や空間をグッと引き寄せることができます。

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縦横比で形成された映画のフレーム内をパン生地のようなものとして考えると、映画のオリジナリティというのはその生地をどれだけ捏ねて、どういう形にして、どういう焼き方にするかというひとつひとつの選択の総体のようなものです。

『春江水暖』はかなり柔らかく、ふんわりとしていて、でも後味は烏龍茶のように力強く残る。烏龍茶蒸しパン、といった感じでしょうか・・・・・・
なにはともあれ、映画にはそのような固有のキャンバスの形があるのかもしれないと鑑賞中に考えました。

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旅で色々な場所を訪れて、キャンバス・額縁・額縁の外の空間にはハッとさせられたことが、私は何度もあります。フェルメールの絵画や『モナ・リザ』を観たときは、「こんなに小さかったのか」と驚きました。

モネの『睡蓮』やレンブラントの『夜警』のダイナミックさには、圧倒させられ体の動きが止まったのをよく覚えています(きっと絵の世界に連れて行かれたのだと思います)。

マドリッドのソフィア王妃芸術センターでダリの『窓辺の少女』を鑑賞したときは、不思議な遠近感を持つ絵そのものも印象的でしたが、額縁の外の壁の白さと、周囲の作品との余白のとり方が鮮烈に記憶に残っています。

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同じくソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』をみていた時は、横にいた幼児が急に大泣きしはじめて、ピカソの意思が時空を飛び越えて額の外へ飛び出してきたかのような感覚を味わいました。

しかし不思議なことに、水墨画や山水画に関しては中国で鑑賞した瞬間の記憶が私にはあまりありません(たしかに鑑賞したはずなのですが・・・)。本作の中にも霧がかった景色や、ぼんやりとした景色が折にふれて映し出されますが、山水画というのは『ゲルニカ』とは全く違う形で、まるで昇華するようにキャンバスから展示空間に飛び出していき、鑑賞者の意識を連れ去っていこうとするのかもしれません。

オーソドックスな映画が四角いキャンバスにしっかり塗られた絵をじっと鑑賞するようなものだとしたら、本作は山水画のように、絵の中にこめられた意思がキャンバスから段々蒸発して昇華されていく様を目で追うようなテイストの作品だと思います。

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フレーム内の景観への没入感は、ぜひダイナミックなスクリーンで体感していただきたいところです。コロナ禍で海外に行くことが叶わない今、まさに本作は「海外に行った気持ちになる映画」といえるでしょう。

『春江水暖~しゅんこうすいだん』は2021年2月よりBunkamura ル・シネマほか全国公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

ブータン 山の教室

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ブータン

ブータン 山の教室

 

Lunana A Yak in the Classroom

監督: パオ・チョニン・ドルジ
出演: シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップほか
日本公開:2021年

2021.3.3

ヒマラヤの村にあって 都会にないものは?―ブータン映画新境地

標高約2300m、ブータンの首都・ティンプー。若い教師ウゲンは、ブータン最北端の標高 約4800mにあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけて歩いてたどり着いた村には、教育を施すことができるウゲンの到着を心待ちにしている人々がいた・・・

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ブータンの映画が、映画祭だけではなく劇場公開映画として日本で観られるようになってから数年経ちますが、本作は「ブータン映画は珍しい」というフェーズの終わりを感じさせてくれるハイクオリティな一作でした。

主人公のウゲンは首都・ティンプーに暮らす今風の(髪がピチっとセットされていて音楽バーに通うような)青年で、心の底ではミュージシャンを目指したいという思いが強く、音楽を聞いていないときでもヘッドフォンを常に首にかけています。実際ブータンに私が訪れたときもこういう青年はたくさん見た記憶があるので、とてもリアルに感じました。

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夜はロウソクの光で暮らすルナナ村でデジタル音楽プレーヤーの電源は切れ、充電はままならず、ウゲンはヘッドフォンを置くようになります。これは地理的特性をいかした「新しい地への順応」の映像表現なのですが、こうした言わば模範的な表現を、ブータンクルーは難なくこなしています。

そこに、仏教国・ブータンだからこそのユニークな点だと思うのですが、映像表現上テクニックが要求される「無」「非」「不」の表現が巧みに織り込まれます。たとえば「机の上にコップがない」というショットを撮る場合、「机の上にコップがある(あった)」ことをまず示さないと「コップがない」ことは表現できないように、「無」「非」「不」の表現は技量が問われます。

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「道先案内人の青年・ミチェンにglobal warming(地球温暖化)という英語が通じない」というシーン(知識の不在)で、ミチェンは「その言葉はわからないけど、周囲にそびえる山の冠雪から変化は感じてるよ」というような返答をします。ブータン中部のフォブジカという村では、ヒマラヤから冬季に飛来するオグロヅルを気遣って電線を引かない決断をしたというエピソードは有名ですが、ブータンでは自然と人々の感覚が密接にリンクしているのだろうということが、ウゲンと村長のちょっとしたやりとり一つで表現されているのはとてもブータン映画らしいポイントだなと思いました。

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バスケットリング・黒板・トイレットペーパーなど「無いもの」も多く登場しますが、この描き方もまた絶妙で全く押し付けがましさがなく、独特な「ある/なし」の表現はブータン映画の新次元と言ってもよいでしょう。

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同じ映画監督としては、この表現から学ばなければいけないと思うとともに、いつかブータンクルーと映画を撮ってみたいなとも思いました。

私は西遊旅行勤務時にブータンツアーの手配・営業・添乗を担当していたこともあり、こまかな描写のなかにブータン人独特の感性を見つけて、なんだか懐かしくなりました。

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さらに特筆すべき点は、「幸福の国・ブータン」の矛盾を指摘している点です。ブータンを旅すると人々の無垢な笑顔や、日本人なら誰しもが懐かしさをおぼえる田園風景に癒やされます。しかし、教育を施せない貧困家庭が一定数いるのも現状で、ポスタービジュアルでも印象的な女の子・ペムザムの家庭は崩壊していると知ると、なんだか複雑な気持ちになります。

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ピースフルでほっとするような雰囲気の中に、鋭い問題提起も含まれている『ブータン 山の教室』は4月3日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

僕が跳びはねる理由

401d2470330abfbe(C)2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute

イギリス、アメリカ、インド、シエラレオネ

僕が跳びはねる理由

 

The Reason I Jump

監督:ジェリー・ロスウェル
日本公開:2021年

2021.2.24

自閉症者の目線で感じる、人生という旅路

イギリス、アメリカ、シエラレオネ、インドに暮らす5人の男女たち。彼らは自閉症者と呼ばれている。当人や家族の証言を通して、彼らの感じている世界は「普通」と言われる人たちとどのように異なるのかが明らかになっていく。原作は2005年に作家・東田直樹が13歳の時に執筆し、世界30カ国以上で出版されたエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』。

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4カ国それぞれのエピソードのなかで私が最もグッときたのは、イギリスのパートで「(自閉症の)息子が感じている世界を、10秒だけでもいいから体験してみたい」と、世間から自閉症者とみなされている息子を持つ父親が語る場面です。なかば憧れに近いトーンで、その一言は発されます。

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グッときたというよりも合点がいったという感じかもしれません。私自身の作品の上映が行われたときに、お子さんがダウン症だという方から「いつかダウン症当事者とその家族の映画を撮ってください。あなたならその辛さではなくて、普通さ、幸せが撮れると思いました」と声がけしてもらったことがあります。その方の気持ちは、「いつか息子の世界を体験してみたい」というセリフのトーンにかなり近いのではないかと本作を鑑賞しながら思いました。両者に共通しているのは、世間から障害とみなされている子どもが「普通」とは違う世界の美しさを見出していると信じていることです。

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「頭の中身は人によって全く違う」ということは、自分のつくった映画を人に観てもらう(いわゆる上映活動)をすると、とてもよくわかります。当然、知識としては映画制作者でなくても知れることではあるのですが、それを身にしみて実感できる機会が多いことは、映画制作者の特権だと思っています。

自分が当然伝わると思っていたシーンが、違うように解釈される(最初はその都度ドキッと、あるいはギクッとしていましたが、今ではその解釈の違いが楽しみです)。自分の描いたシーンが、他者の予想だにしない記憶を蘇らせる。そうした連鎖の中で「頭の中身は人によって全く違う」と確信していくのですが、実は西遊旅行での添乗業務と偶然の一致を感じていました。

添乗業務では同じツアーや同じ場所に何度も添乗するのですが、参加いただく方の興味・関心によって、行程が同じツアーでも全く別物に変身します。もう10年以上前のことなので書かせていただきますと、入社したての頃は「同じツアーだから今回はわりと気楽に行けるかも」という若干の慢心とともに添乗に臨み、ツアー序盤であまりの違いに慌てて緊張感を呼び戻したことがあります。

話を映画の感想に戻しますが、自閉症の人々というのは(もちろん医学的見地からみた症状や、当人が感じる不都合というのはあるのかと思いますが)、たとえるならば、旅をしているときの手段や着眼点が違うだけなのだと私は思います。この場合の「旅する」というのは、人生をすごすことです。

あるとき、なかなかの僻地を行くツアー添乗中に自然災害が起き、バス移動だったところを徒歩で移動することになり、途中で現地の軍用トラックに便乗させてもらうという経験をしたことがあります。トラックの上でふと我に返ったとき「大変だけどこれもまた旅なのだな」と思ったのを今でも覚えていて、ほかにもいろいろと本作を観ている間に旅の記憶が蘇りました。

自閉症と旅。一見するとまったく関連がないようですが、おそらく私の様々な旅の思い出が蘇ってきたのは偶然ではないと思います。

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『僕が跳びはねる理由』、4/2(金)より角川シネマ有楽町ほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。

モルエラニの霧の中

fb6ac652e1534d22(C)室蘭映画製作応援団2020

北海道

モルエラニの霧の中

 

監督: 坪川拓史
出演:大杉蓮、大塚寧々ほか
日本公開:2021年

2021.2.3

「鉄のまち」室蘭―柔らかな記憶と7つの季節

いままで「旅と映画」では映画紹介の際に必ずあらすじから入っていましたが、今回ご紹介する邦画『モルエラニの霧の中』は特殊な作品のため、かわりに制作経緯をご紹介します。

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本作全7編を制作した坪川拓史監督は、東日本大震災を機に東京から故郷・室蘭に家族で移住し、久しぶりに町を歩いてみたとき、記憶の中とは全く違う姿の室蘭に遭遇します。表向きは空き家が目立つさびれた町でしたが、昔の姿を知る坪川監督は、大事な点を見逃しませんでした。

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よくよく町を回ってみると、輝きが保たれている場所や面白いストーリーの種にたくさん出会ったのです。そして、脚本の舞台にしていた理髪店が入っているビルが解体されるのをきっかけに、5年にわたる制作に乗り出しました。

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このような経緯もあり、映画本編は春夏秋冬と晩夏・晩秋・初冬と細かく章立てされた全7話構成となっており、実話や実在の場所をモチーフに、時にはモデルになった本人も出演しながら撮影がなされています。私的な記憶に関する映画でありながら、壮大なスケールを保っているのは、北海道の自然の力に依るところが大きいでしょう。

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私が北海道に一度訪れたときは9月の半ば(晩夏あるいは初秋)でしたが、新千歳空港に降り立ったとき、搭乗地の羽田のムワッとした残暑の空気とは全く違うカラッとした冷気に触れたのを今でもよく覚えています。海外旅行では訪れる国々の空港でその国の香りが感じられることがありますが、北海道は日本国内でありながら、空港で何かしらの違いが感じられる場所だと思います(私が最近撮影でよく訪れる奄美大島も同様です)。

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アイヌ語に由来する地名の響きも、北海道への旅が「遠くへ来た」と感じさせてくれる要素のひとつかと思いますが、室蘭という名前にもアイヌ語が関わっているのは本作で初めて知りました。題名に入っている「モルエラニ」が室蘭の地名の由来なのですが、どんな意味なのかはぜひ作品を観ながら想像してみてください。

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室蘭は鉄鋼業をはじめとした工業がさかんで「鉄の町」といういかにも固そうな通称が使われることもあるようですが、本作は色(カラー・モノクロ)やアスペクト比(画面の縦横比)を自由に行き来して、室蘭の風土の柔らかさのようなものが表現されているように感じました。

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7章の中で一番短い晩夏の章で朗読される、『名前のない小さな木』という、もの思いにふけっている崖っぷちの木に海鳥がとまる短い物語がとても印象的でした。

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記憶というのは一個人の頭の中(木の頭の中)にあるように思えますが、実は他者(海鳥)が何かしらの形で媒介して初めて存在し得るものなのではと度々思うことがあり、『名前のない小さな木』の話はそれを簡潔に言語化してくれていました。

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思うに、旅というのはこの映画のように様々な思考の色や枠を行き来して、「あ、いま鳥が自分の木にとまった」とか「ちょっと今日はこの木にとまってみようかな」とか思ったりするようなことなのかもしれませんね。

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最近亡くなった大杉漣さんや小松政夫さんの姿もおさめられている『モルエラニの霧の中』は2月6日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

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羊飼いと風船

66721017ef3833aa(C)2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

チベット

羊飼いと風船

 

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監督:ペマ・ツェテン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤン・シクツォほか
日本公開:2021年

2021.1.6

中国・青海省に暮らすチベット系家族に、一人っ子政策が与えた影響

1990年代後期、中国・青海省。省都・西寧のはずれにある青海湖のそばで牧畜をしながら暮らすチベット系の家族がいる。祖父・若夫婦・3人の子どもたち―三世代の家族で昔ながらのつつましい生活をしていて、子どもたちは一人っ子政策施行後に無料で配布されるようになったコンドームを、用途を知らないまま風船のように膨らませてのんきに遊んでいる。

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ある日若夫婦の妻が妊娠していることがわかる。子どもを産むことによる罰金や経済的負担を懸念して子どもを堕ろそうとする妻に対し、身内の生まれ変わりかもしれないと夫は反対して・・・

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私が本作の監督 ペマ・ツェテンの世界観を知ったのは2013年に出版された『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)という短編小説集です。2011年まで西遊旅行に勤務していたときにはチベット文化圏のツアーを担当していて、文化・歴史の本は読み漁ってきたものの、文学には全くノータッチでした。この短編集におさめられた11のストーリーの世界観に初めて触れたときの感覚はとてもよく覚えていますが、チベット文化圏を訪れたときの、ある種の不可解さを納得させてくれるものでした。

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心からカルマの倫理や輪廻転生を信じている人々にチベット文化圏で触れると、いわゆる現代社会の一般的な感覚では説明がつかない現象や行動に遭遇します。

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たとえばブータンで、不注意か何かで崖っぷちに落ちてしまった(ドライバーは亡くなった)現場に居合わせたときには、人々が崖下のトラックを覗きこみ、救援を呼ぶでもなく、淡々としばらく念仏を唱えてそのまま去っていってしまいました。死や悲惨な現場を目の前にしている状況にしてはあまりにあっけらかんとしていて拍子抜けしましたが、「事故に遭ったのはなにかしら業によるものだし、死者はそのうち生まれ変わるとみんな思っている」とガイドさんから説明を聞いたのをよく覚えています。

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『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』でもこうした円環的世界観は具現化されていますが、本作『羊飼いと風船』では、「暖炉 / ライター(原始 / 文明)」「羊 / 人間(畜生界 / 人間界)」など、シンボルや存在がマトリョーシカのように入れ子構造となり映像化されています。

最も重要なシンボルは、題名にもなっている「風船」とその赤い色です。劇中で空に舞っていく赤い風船は、何を象徴しているのか?

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私には、近代化の荒波にもまれたチベット民族の精神、そして、先祖代々受け継がれてきた宗教的・経済的・ジェンダー的価値観が激変を強いられたという過去が凝縮されているように感じました。

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監督の故郷である青海省の景観も魅力の『羊飼いと風船』は1月22日(金)よりシネスイッチ銀座ほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

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青海湖

中国最大の塩水湖。 紺碧の水をたたえた湖は一周約360㎞、琵琶湖の六倍もの規模を誇り、ほとりに建つ遊牧民のテントが風情を添えています。湖畔には立派な宿泊施設が完備され、テント風の施設(張房式)や小さなホテルに泊まることができます。

ある女優の不在

3b3a5731d2386790(C)Jafar Panahi Film Production

イラン

ある女優の不在

 

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監督: ジャファル・パナヒ
出演: ジャファル・パナヒ、ベーナーズ・ジャファリ、マルズィエ・レザイほか
日本公開:2019年

2020.12.2

名匠ジャファル・パナヒが添乗する、イラン北西部・村文化ツアー

イランの人気女優ベーナーズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から動画メッセージが届く。その少女マルズィエは女優を目指して芸術大学に合格したが、家族の裏切りによって夢を砕かれ自殺を決意。動画は彼女が首にロープをかけ、カメラが地面に落下したところで途切れていた。ジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒが運転する車でマルズィエが住むイラン北西部の村を訪れる・・・

本作は文化人類学的ともいえるアプローチのストーリーです。筋書きは単純で、都会から来た映画人が人探しをする中で、田舎の慣習が織りなす世界に入り込んでいくというものです。

ロケ地はイラン北西部。イランの公用語であるペルシャ語はあまり通じず、トルコ語かアゼルバイジャン語のほうがよく通じるという山岳地域です。男性優位の様々な慣習がまだ残っており、女優志望の若者は変人扱いされ、役者は「芸人」と人々に揶揄されるような場所です。

車一台分しか通れない道でクラクションを鳴らしてコミュニケーションをとるシーンがあり、このシーンは西遊旅行のリピーターの皆様はおもわず「こういうこと よくある!」とニヤリとしてしまうのではないかと思います。フィクションとドキュメンタリーを巧みにミックスさせるのはイラン映画のお家芸のようなものですが、車のクラクションがモールス信号のように言語と化すというのは、おそらく実際どおりなのでしょう。

このように人々の中に息づいていて、つかもうとしても簡単につかめないものが真の伝統・歴史・文化なのだと、本作を観ると気付かされます。監督ジャファル・パナヒ自身が添乗する「映画ツアー」によって、観客は人里離れた村の時間・空間の中に、文化人類学者のように深く潜り込むことができるのです。

本作とよく似たアプローチの作品に、同じくイラン人監督のアッバス・キアロスタミ作『風が吹くまま』があるので、ぜひあわせてご覧ください。

GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生

b66e1cdd36b0cd6b(C)Ladybirds Cinema

ケニア

GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生

 

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監督:パスカル・プリッソン
出演:プリシラ・ステナイほか
日本公開:2020年

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千年杉のように気高く、優しく―94歳のケニア人小学生・ゴゴ

3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫に恵まれ、ケニアの小さな村で助産師として暮らしてきたプリシラ・ステナイ。愛称はゴゴ(ケニア西部・カレンジン族の言葉で「おばあちゃん」の意)。

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幼少期に勉強を許されずに、教育の大切さを痛感していたゴゴは、学齢期を迎えたひ孫たちが学校に通っていないことに気づき、周囲を説得して6人のひ孫たちとともに小学校に入学する。

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他の小学生たちと同じように寄宿舎で寝起きし、ゴゴは制服を着て授業を受ける。耳はすっかり遠くなり、目の具合も悪い中での勉強一筋縄ではいかないが、助産師として自分が取り上げた教師やクラスメイトたちに応援されながらゴゴは勉強に励んでいく・・・

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旅先から持ち帰れるものといえば、お土産や思い出のほかに、出会いがあります。出会いというのは、旅をしたその場でのやりとりだけではなく、旅した地から離れたあとに「あのときあの場所で会ったあの人は 今なにをしているのだろうか」と思いを馳せる形で、数ヶ月・数年・数十年後にまで新鮮さが持続するものです。

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94歳で小学生として学ぶゴゴのような人に旅先で会ったとするならば、間違いなく折に触れてその面影を思い出すことでしょう。この映画を見ることで「今頃ゴゴはなにをしているのだろうか」と思うようになることは間違いありません。

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小学生に混じって瑞々しい日々を過ごすゴゴの微笑ましいシーンが続く本作には、ケニアにおける貧困・教育に対する問題提起も含まれています。

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ゴゴは英語や数学などの知識がなく、90代からそれを学び直すのはかなり無理があるという様が映し出されています。一転して、助産師としてのゴゴが映るシーンでは、彼女はエコーも使わずに胎児の性別を特定し、雄弁に妊婦に助言を伝えるという形で自分が会得した知識を惜しみなく共有しています。

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このコントラストを以って「貧困によって、学びの機会が失われることがあってはならない」と多くの観客は思うことでしょう。グサッと刺すような感じではなく、このようにしなやかなタッチの問題提起は、ゴゴが主役の本作だからこそ可能な表現だと思います。

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『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』、12/25(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。

異端の鳥

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チェコ

異端の鳥

 

The Painted Bird

監督: ヴァーツラフ・マルホウル
出演: ペトル・コトラール、ステラン・スカルスガルドほか
日本公開:2020年

2020.10.14

否定形で考える、ホロコースト・ポグロムの歴史

東欧のどこかで・・・。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、面倒を見てくれていた叔母が病死して家も焼け落ちたことで、孤独な長い旅に出ることになる。

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惨憺たる光景や人間の醜悪さだけでなく、時に人の慈悲深さや自然の美しさを体験しながら、少年はなんとか生き延びようと必死でもがき続ける。

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本作は、ポーランドの作家イェジー・コシンスキが1965年に発表した小説”The Painted Bird”(邦訳タイトル『ペイティッド・バード』 松籟社・刊)を原作に、チェコ出身の監督が映像化した作品です。私はジプシー音楽ゆかりの地を巡るために南仏・トルコ・ポーランドを含む東欧を旅したことがありますが、終始2つの記憶を往復しながらこの映画を鑑賞していました。

ひとつは、アウシュヴィッツで見たカバン・靴(遺留品)の山。もうひとつは、何かの写真集か本で見たイエドヴァブネ(1941年7月10日にユダヤ人の虐殺<ポグロム>があったとされるポーランドの町)の草原です。前者は「まだあって、見える」物事。後者は「かつてあったが、今は見えない」物事です。

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本作では冒頭に、通常の映画では夢の中の出来事であるかのような描写が続きますが、程なくして観客は「あ、これは夢の描写じゃないのか」と知り、その後起きることは全て現実だと理解し、圧倒的なリアリティの中に引き込まれていきます。

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ひとつ予備知識としてお伝えしておきたいのが、映画・映像演出をする際には否定形に注意する必要があるということです。たとえば、「机の上にコップがない」ことを示すには「机の上にコップがある」ことをまず示しておかなければありませんし、コップの中身が空っぽで水滴もついていないという描写だけでは「中身がない」のか「飲んだ後長い時間が経った」のかわかりません。必ず、前後の関係性の中で事実が立ち上がってきます。

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本作はフィクションなので実際にはなかった話が描かれています。そうではあるのですが、コップの例えを参考にしていただくと、「本当ではないこと」のまわりには「本当のこと」が必要であることがおわかりいただけるかと思います。

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言い換えるならば、この映画は否定形の構文で観客に語りかけているということになります。「このようなことは実際にはありませんでした」という否定から、肯定を伝える。このような伝達は映画だからこそ可能で、たとえば博物館・美術館で「あるもの」を見ること、そして人との関わりや自然・景観との関わりの中でわきおこってくる感情という「見えないもの」の尊さを、私たちに教えてくれるという波及効果があります。

The Painted Bird (23)

そうした映画企画は常に困難・リスクが伴い昨今ではなかなか実現しにくく、本作も完成までに11年の歳月が費やされたといいますが、その意味でも尊く稀有で、旅のあいだや日常における感受性を豊かにしてくれる作品です。

TPB (17)

言語構造を引き合いに出しましたが、スラブ諸民族間の共通言語であるインタースラビック(メジュドゥススロヴャンスキー)が採用されているという言語的特徴も注目の『異端の鳥』は2020年10月9日からTOHOシネマズ シャンテほか全国公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

シリアにて

f34ee7b26847b626(C)Altitude100 – Liaison Cinematographique – Minds Meet – Ne a Beyrouth Films

シリア

シリアにて

 

Insyriated

監督:フィリップ・ヴァン・レウ
出演:ヒアム・アッバス、ディアマンド・アブ・アブード
日本公開:2020年

2020.8.5

戦争と日常―シリアのアパートの一室に覆いかぶさる 分厚い闇

シリアの首都ダマスカス。未だ内戦の終息は見えず、アサド政権と反体制派、そしてISの対立が続いていたが、ロシアの軍事介入により、アサド政権が力を回復しつつある。

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そんな中、戦地に赴いた夫の留守を預かるオームは、家族と共にアパートの2階にある一室にこもりながら戦況を見守っている。さらに、同じアパートの5階に住み幼子を持つハリマ夫婦を受け入れ(彼らの部屋は見晴らしがよいためにスナイパーに乗っ取られたと思われる)、戦火の中でぎこちない共同生活を送っていた。

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ある日、ハリマの夫がレバノンへの脱出ルートを見つけ、今夜こそ逃げようとハリマに計画を話していた。脱出する手続きをするために夫はアパートを出て行くが、外に出た途端スナイパーに撃たれて駐車場の端で倒れてしまう。ここから、オームやハリマたちにとって、とてつもなく長く苦しい1日が始まる・・・

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私はシリアに行ったことはないのですが、シリアに人一倍思い入れがあります。私が西遊旅行に勤めていた頃(2009-2011年)はまだシリアにツアーが出ていて、入社して初めて配属された手配の課の仕事で、よくシリアとのやりとりをしていました。シリア・ヨルダン・レバノン3カ国周遊のツアーなどでしたが、国境を越えるときの準備に関するやりとりなど、3カ国の中でも特にシリアのエージェントが丁寧だったのを覚えています。

2011年、私が映画を志すために西遊旅行を退職した後、シリアではどんどんと紛争が激化して旅行などとてもできない状況になり、「こんなことが起き得るのだろうか?」と長きに渡って驚愕しつづけました(ちなみに、リビアに対しても同様の思い入れがあります)。

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「新しい日常」あるいは「新しい生活様式」という言葉が、いま日本中に流布しています。英語では「ニュー・ノーマル」。そのほかの言語でも、おそらくそれに該当する言葉があることでしょう。

2011年以降、シリアという国の日常は、天地が逆転するほどに変化して、その後も地盤が安定することはなくグラグラと揺れ続けています。この「変わり果てた日常」が本作の軸となっています。

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ストーリーのほとんどがアパートの密室の中で展開され、約1日というごく短い時間が描かれますが、観客は映画で描写されていない約10年の間に、日常が絶えず揺れ動いていただろうことを痛感させられます。オームが淡々と料理をしているシーンでも、オームの息子が祖父に勉強をみてもらっているシーンでも、外からは絶えず銃声・爆撃音・救急車の音などが室内に攻め入ってきます。

映画制作当初の意図とは全く関係ありませんが、家族が戦火の中でアパートの一室にこもっているというストーリーは、どうしてもコロナ禍で「ステイホーム」していることと照らし合わせて考えてしまいます。

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今年のはじめまでは、ともすれば(時間とお金の工面さえできれば)世界のどんな場所でも、行きたいところにだいたいは行ける時代だったように思えました。しかし、自分だけではどうにもならない理由で、突如として旅が気軽にできなくなりました。そんな今、どのように世界と手を取り合い、そして異文化に対する想像を膨らませればいいのか? シリアの過酷な現実は、偶然にもコロナ以降の世界に関する洞察を私に与えてくれました。

以前ご紹介した『判決、ふたつの希望』のキャストも活躍している『シリアにて』、8/22(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。