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![]() 帽子が特徴的なフンザの民族衣装 フンザの民族衣装フンザの民族衣装は、男性・女性共に帽子が特徴的です。男性の帽子はウール製で丸いフォルムが特徴的です。フンザ帽子などと呼ばれて旅人にも親しまれています。女性は美しい刺繍の入った帽子をかぶります。(年配の方の着用率が高いです)服はシャルワールカミーズといって、ゆったりしたシャルワールというズボンと、裾が膝ぐらいまであり両側にスリットの入ったカミーズというシャツを着ています。婦人服の場合はさらに、ドゥバッタという大きな布を頭から腰にかけてかぶります。 |
長寿の里フンザの郷土料理自然から取れる小麦、果実、乳製品がたっぷりの食事。長寿の秘訣ともいえるフンザの食をご紹介します。
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![]() カリマバードのジュマットハナ イスラム教イスマイール派カリマバードに暮らす人々はイスラムの中でもイスマイール派を信仰しています。イスラムの戒律にあまり厳しくなく、アザーン(礼拝の呼びかけ)はなく、お祈りは個人がジュマットハナと呼ばれる集会所で行います。ラマダン(絶食)をする人も少なく、女性の教育、社会参加が熱心なのも特徴的です。他のムスリムの土地と違い、顔を隠さず外に出て、働く女性の快活な姿を見ることができます。 |
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フンザの踊りフンザの踊りは、兵が王様に自分の勇気を踊って見せる事が起源といわれています。刀を持って、音楽に合わせ体を動かして、王様に自分の体力をアピールしました。今はそれぞれの家族や民族が自分たちの特別なメロディや踊りを持ち、民族や家族の自慢として大切にされています。 |
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![]() ラテルネンデッケ構造の天井 フンザの民家の特徴多くの民家に見られる一番の特徴は、中央アジア西部が発祥と言われるラテルネンデッケ構造の天井です。板をずらして何段にも重ねて天窓がつくられており、排煙・採光の役割があります。一番大きな部屋には一般的に、絨毯がしきつめられ、リビング兼ベッドルームになっています。また、藩王国時代のなごりで、敵対する隣国との争いにそなえ、高くそびえる見張り台が併設されている民家も見ることができます。 |
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旅の思い出におすすめなおみやげのご紹介。 |

地図の上の地名にマウスオーバーするとみどころの詳細が表示されます。


![]() フンザの中心地カリマバード |
カリマバード
フンザの中心地。藩王国時代の藩主の居城バルチット・フォート(現在は博物館)、アルチット・フォート(現在は博物館)があり、谷には観光客のためのゲストハウス、土産物屋もあります。 カリマバードは山の展望も素晴らしく、天気が良ければラカポシ、ディラン峰、ウルタル峰、ゴールデン・ピーク等の高峰を望むことができます。 カラコルム・ハイウェイを移動してきた旅人が必ず滞在する、美しい谷です。 |
![]() バザールの帽子屋さん |
ギルギット
標高1,500m、ギルギット渓谷の東端に位置するギルギット・バルティスタン州の中心地。古くから交通の要衝として栄え、植民地時代はイギリスの駐屯地となりました。パキスタン独立後カシミール紛争発端の地となったこともありましたが、1978年のカラコルム・ハイウェイ完成後、町は急速に発展。空港もあり、イスラマバードからのフライトが1日2便運航しています。 |
![]() 峠にある国境の碑 |
クンジュラブ峠
標高4733mのパミール高原の峠がパキスタンと中国との国境です。峠の平らな部分には中国と・パキスタンの国境を分ける記念碑が建っており、中国の広く立派な道が検問(チェックポスト)を経てタシュクルガンまで続きます。 これまでパキスタンでの検問のフレンドリーな雰囲気や写真撮影の自由があるのに対して、中国の国境では、写真撮影の禁止や手荷物検査の厳しさなど、「違う国へ来た」ことを感じさせます。 |
![]() ススト村手前のカラコルム・ハイウェイからの景色 |
ススト
カラコルム・ハイウェイのパキスタン側の最後の村。標高2700m。 スストにはパキスタン側の出入国管理局と税関があります。町の中には輸出入の会社や、中国語の看板をかかげた店があり、「国境の町」情緒にあふれています。ここから、中国との国境・クンジュラブ峠まで82キロです。 |
![]() 名峰ウルタル |
ウルタル
フンザの象徴バルチット城の背景にそびえる名峰(7,388m)。ウルタルメドゥには、ウルタル峰登攀中に雪崩で亡くなった、登山家・長谷川恒男氏の墓標があります。 |
![]() パスー氷河 |
パスー
標高2540メートル、中国との国境まで115キロの上部フンザの村。150年ほど前から僅かな耕地を耕す農民と放牧をする人々が住むようになりました。 パスー氷河、バツーラ橋付近からの展望など高峰連なる景色が見られます。 |
![]() ワヒ族の少女 |
グルミット
ゴジャール地区(上部フンザ)の中心で、かつてバルチット・フォートが築かれる前にミールの別荘があった場所です。 村の歴史は古く、伝統的な家も多く残り、最も古いものは700年前にさかのぼります。標高2500mの平坦な肥沃な土地に、灌漑用水路、農地、ワヒ族の民家が点在しており、村では独特の建築様式を持つワヒ族の民家の訪問など村歩きが楽しめます。 現在グルミットは湖に囲まれ、陸の孤島となっています。 |
![]() アッタバード湖から見るカテドラル |
アッタバード湖
2010年1月にゴジャール地区(上部フンザ)で発生した地滑りは土砂でフンザ川を堰き止め、「湖」を発生させました。地滑りの起こった場所「アッタバード Attabad 」の名がついたこの湖、川を堰き止め始めて5ヶ月後の6月には雪解け水の流入が増え、全長21km、深さ100mを越す湖となりました。 多くの村人が非難を余儀なくされ、家を捨て、一時は中国との交易も絶たれ大きな被害が出ましたが、現在は人も物資も船を利用して湖を渡ることが定着しています。 |
![]() ナガールの村から展望するゴールデンピーク(7,027m) |
ナガール
フンザ川の対岸に始まる渓谷とその奥にある村がナガールです。中心にあるナガールの要塞化された村は15世紀後半に作られ、長年の王国間の戦争を耐え抜きましたが、20世紀初頭に地盤が崩れ崩壊してしまい、現在は昔の支配者の家が岩の上に残されているのみです。ナガール王国とフンザ王国は1700年ごろから戦争を繰り返し、19世紀まですべての村人が「要塞村」に暮らしていましたが、その後の人口の増加により渓谷沿いに新しい村が築かれました。 渓谷の一番奥に位置するホーパル村からはディラン峰から落ちるホーパル氷河を望むことができます。 |
![]() ラカポシ(7,788m) |
ラカポシ
フンザのほとんどの場所から展望することができるカラコルム山脈西部の山。 歩かなくてもカラコルム・ハイウェイ沿いの村から展望することができる7,000m峰です。 麓のミナピン村からは高所順応を含めて1泊2日でミナピン氷河広がるベースキャンプへ行くことができます。 |
![]() ディラン(7,257m) |
ディラン
ラカポシ山脈のバグロット山塊に属し、ラカポシの東15㎞に位置します。北杜夫著『白きたおやかな峰』によって日本では良く知られた山で、美しい三角形を描いた見事な姿は深く印象に残ることでしょう。 |
![]() 花咲く道を行くデコトラ |
スカルドゥロード
スカルドゥとギルギットをインダス川に沿うように走る道。春スカルドゥロード沿いの村には、杏やアーモンドの花々が咲きほこります。 |
![]() シガール村の子供たち |
シガール
シガール川に沿った渓谷で、K2トレッキング・バルトロ氷河への道の入り口となる渓谷。杏、桑、桃、ナッツ類の林が多い肥沃な谷は大変美しく、伝統的な建物・生活が残されています。現在はアガ・ハーン財団によりチベット文化の影響が見られる建築の保存が行われ、かつての藩主の居城を改造したホテル"シガール・フォート"があり、パキスタン国内の観光客も訪れます。 |
![]() 修復を終えたカプルーの王宮 |
カプルー
スカルドゥよりインダス川に沿って35キロ地点のショク川との合流地点へ。ここからインドへは95キロ(現在は閉鎖)の道程で、古のカシミール・シュリーナガルへの交易路にあたる道です。 そして、ここからショク川沿い60キロ先にあるフーシェ川(谷)との合流点にあるのがカプルー村です。村は山の斜面に広がり、村を見下ろす位置にかつての「カプルー王国」の藩主の王宮跡があり、アガ・ハーン財団による復興を終え、ホテルとして営業を開始しています。 |
![]() スカルドゥ渓谷 |
スカルドゥ
標高2,500mのスカルドゥはバルチスタンの中心地でイスラマバードから毎日国内線も就航する町。長さ40キロ、幅10キロのスカルドゥ渓谷の端、インダス川とシガール川の合流地点にあります。 周囲を高峰に囲まれポプラ、果樹が茂り、映画「草原の椅子」のロケが行われたことでも話題となった山岳砂漠の砂丘がところどころに顔をのぞかせる独得の景観を持ちます。 そしてK2展望トレッキングでバルトロ氷河やフーシェ谷方面を目指す人々の拠点となっています。6~8月のトレッキングシーズンはスカルドゥのホテルはトレッカーで賑わいます。 |
![]() ナンガパルバット世界第9位(8,126m) |
ナンガパルバッド
名前の由来はサンスクリット語で「裸の山」という意味で、その近辺に他の山がない独立峰ゆえに付けられた名前です。北面の有名な展望地はフェアリーメドウ(別名メルヘンビーゼ)。 眼前にライコット氷河とナンガパルバットを展望するわずか3時間ほどのハイキングで到着できる展望地です。南側のルパール壁は、標高差4,800mと世界屈指の難所壁で登頂も難しいことから「魔の山」として登山家からも恐れられています。また、天気が良ければ自動車道のカラコルム・ハイウェイからも壮大な展望を望める8,000峰mです。 |
![]() カラコルムハイウェイを行くデコトラ |
カラコルムハイウェイ
"カラコルム"は突厥語で「黒い礫」という意味です。カラコルム山脈を貫くこの道は、7,000m級の山々をバックに、間近に迫る氷河を避けるように河沿いに建設された、パキスタンと中国を結ぶ道路です。「世界の屋根」と言われるパミール高原を横切る険路でありながら、古くから主要交通路として法顕や玄奘をはじめ多くの求法僧や隊商が通りました。このカラコルム・ハイウェイを自動車通行可能にした工事は、中国・パキスタン両国の国家事業として20年がかりで行われ、1978年に完工しました。終点は中国・新疆ウイグル自治区のカシュガルで全長1300キロのアドベンチャー・ロードです。 |
![]() 谷底を流れるインダス川 |
インダス川
インダス川の長さは3,180Kmで、パキスタン最大の河川であり、インダス文明繁栄の源。現在もパキスタンの重要な水源であり、乾いた大地に恵みをもたらしています。地図を見ての通りカラコルムハイウェイはインダス川に沿うように走り、その水源はチベットとされ、南はカラチ近郊のアラビア海に注ぎます。 |
![]() 谷底を流れるインダス川 |
インダス川
インダス川の長さは3,180Kmで、パキスタン最大の河川であり、インダス文明繁栄の源。現在もパキスタンの重要な水源であり、乾いた大地に恵みをもたらしています。地図を見ての通りカラコルムハイウェイはインダス川に沿うように走り、その水源はチベットとされ、南はカラチ近郊のアラビア海に注ぎます。 |
![]() シャティアールの岩絵 |
シャティアール
ベシャムを過ぎ、カラコルム・ハイウェイをインダス川沿いに北上すると、古代シルクロードを旅した商人や巡礼者たちが渡可する際に刻んでいた岩絵が残っている地域があります。その代表がチラスとシャティアールです。数は少ないですがシャティアールの岩絵には、ストゥーパと仏陀のモチーフが美しく残っています。 |
![]() チラスの岩絵 |
チラス
チラスはカラコルム・ハイウェイの中でも乾燥が酷く気温が高いことで知られる山岳砂漠地帯にあります。この付近ではインダス川の川幅も広く浅くなり、川を渡る場所として利用されました。そのため、古来から河沿いの岩に絵が描かれるようになり、特に仏教僧によるストゥーパ(仏塔)などのモチーフのものが多く残されています。 |
![]() 渓谷を流れるインダス川 |
ベシャム
ベシャムからチラス付近にかけて、インダス川は狭い渓谷を流れ、カラコルム・ハイウェイはその断崖の斜面を削って作られています。この地域はユーラシアプレートとインドプレートがぶつかり合うため、がけ崩れも多い地域のひとつです。 2005年10月のパキスタン北部大地震で大きな被害を受けた地域でもあります。 |











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西遊旅行はパキスタンに支店があります!イスラマバードに支店としてパキスタン現地法人を開設。素早い情報収集・安全確認に徹し、パキスタンの魅力を十分に堪能していただくよう、現地スタッフとともに尽力しています。2012年には映画「草原の椅子」のロケ手配を行いました。 |
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