ジャイプル② ラジャスタン州とラージプート族

ナマステ、西遊インディアです!

今回はラージャスターン州とこの地で長い定住の歴史を持つラージプート族について、ご紹介します。

■ラージャスターン州とラージプート族

 

前回ご紹介した通り、ジャイプルはインド北西部、ラジャスタン州に位置しています。ラジャスタン州はインド最大の土地面積を有する州であり、その名は「王(Raja)の土地(Sthan)」を意味します。もともと古代インドのサンスクリット語で「部族の長」を意味する語だった「ラージャン」は後に「王」の意に転じ、インドの支配者たちが長く用いてきました。そして、「王の子」を意味するサンスクリット語の「ラージプトラ」の俗語形がラージプートです。

 

ラージプート族は自らの部族を古代インドの栄誉ある戦士階級とされるクシャトリヤの正統な末裔であると主張します。クシャトリヤは、5世紀頃に中央アジアからインドへ入ったエフタルに伴ってインドへやってきた中央アジア系の民族や、土着の諸部族にルーツを持つと考えられています。

 

インドの歴史的な身分制度:ヴァルナ制ではバラモン(祭司)・クシャトリヤ(戦士)・ヴァイシャ(平民・商人)とシュードラ(労働者・隷属民)の4つに分けられることはよく知られています。インドの王権社会では、政治的権力をつかさどるクシャトリヤ階級、そして宗教的権力を司るバラモン階級がお互いに協力して支配者階級としての特権を維持しようとしていました。これは王権の偉大さを主張したいクシャトリヤはバラモンにクシャトリヤの宗教的な正しさを示してもらい、バラモンはクシャトリヤに宗教的な権威を与えることで自らの庇護を求める、という互助関係です。

 

あくまでバラモンは司祭階級である自分たちが最高権力であるという立場でしたが、実際には王権をもつクシャトリヤの力は強大であり、クシャトリヤとバラモンの関係も完全な協力体制ではなく微妙なバランスの上に成り立つものでした。2階級間の争いも多く、ヴィシュヌの6番目の化身・パラシュラーマの物語にもみられるように、ヒンドゥー教の神話の中でもその軋轢が描かれています。

 

クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右)
クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右) (画像出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

ラージプート族も自らの宗教的な権威を民衆に示すためにバラモンを利用しました。8~12世紀の北西インドはラージプート時代と呼ばれ、ラージプート族がバラモンの協力を受けて神話上の英雄にまで遡る系統図を作っています。自らが英雄的な神の子孫であることを示すことで、王権の正当性を築いたというものです。

 

ラージプート族はクシャトリヤの戦士の末裔としての自負を持ち、強い結束を持った誇り高い戦士として知られています。封建的な社会で上下関係と騎士道を重んじ、女性には貞淑が求められました。独立勢力としての誇りが高かったためにラージプート族全体で団結することはありませんでしたが、その後の度重なるイスラム勢力の侵入に対しても個々に抵抗し、インドにイスラム政権が成立した後も政権に服従しながらも地方勢力として存続し、たびたび離反・独立してイスラム勢力に対抗しています。

 

ムガル帝国の弱体化した後はインドの他勢力と同様にイギリスの侵略を受け、19世紀初めまでにその多くが藩王国としてイギリスに吸収されていきます。その後、インド独立後にラージプートの諸藩王国はラジャスタン州として併合されていきました。

 

ジャイプルからは少し離れますが、同じラジャスタン州のチットールガルを舞台にした映画『パドマーワト 女神の誕生』が2018年インドで作成・公開されました。インド映画史上最高の製作費約36.4億円をかけて作成されたというこの映画は、日本でも話題となり2019年に公開されています。

13世紀のラジャスタンを舞台にした本作では、ジャイプルのジャイガル城(アンベール城の奥に控える要塞)でもロケが行われました。

 

(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions
(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions

 

脚本や映画の時代考証等でインド国内で大きな論争を引き起こした映画ですが、インド映画史上最も興行的に成功した映画の一つでもあり、当時のラジャスタンの雰囲気を体感できる映画です。

 

詳しくは神保監督のブログをご覧ください!

 

■パドマーワト 女神の誕生 | 700年の時を越え現代に甦る、伝説の王妃 ラーニー・パドミニー

 

 

今回は文字ばかり多くなってしまいましたが、次回は写真をジャイプルの街の見どころを写真をたっぷり使ってご紹介します!

 

 

Text by Okada

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ③

ナマステ! 西遊インディアの橋本です。
アジャンタとエローラを紹介する第3弾です。

過去のご紹介記事はこちら!
アジャンタ・エローラ①
アジャンタ・エローラ②

 

アジャンタ石窟ご紹介の続きの前に、アジャンタ、エローラ訪問に適した時期についてご案内します。

アジャンタ、エローラが位置するオーランガバード周辺は、近隣のムンバイとほぼ同じ具合で、3~5月は酷暑、6~9月後半頃までは雨期、その後9月後半から2月頃までが乾期となります。ムンバイは沿岸部にあるため、内陸のデカン高原にあるオーランガバードは、ムンバイよりも雨量が少なく乾燥しています。

 

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8月のエローラ石窟
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4月のアジャンタ 年間で一番暑い時期。草木の色も雨季後とは全く異なります

アジャンタ、エローラはともに1年中観光はできますが、4~5月は45度近くの酷暑のなかの観光となり、遺跡の見学中は相当の体力を奪われます。時期を選べるのであれば、9月後半~11月くらいがベストです。乾期に入りほとんど雨の影響を受けませんし、暑さも落ち着く時期です。また、遺跡の雰囲気も結構違います。上の写真を見比べていただいて分かる通り、雨期以降すぐはフレッシュな緑色が美しい時期です。

 

ちなみに、各石窟内に入る時は入り口で靴を脱いで入ります。石窟内は意外ときれいで足が汚れることはありません。素足で中へ入ると、ひんやりとした岩の感触も感じることができおすすめです。石窟内は、色々なものが混じった、独特のにおいがこもっています。石窟の奥に進めば進むほど、この石窟群の造成に費やされた途方もない時間と労力を想像し、残された壁画の美しさだけではない、この遺跡の凄さを改めて実感します。

 

それでは、石窟の続きのご紹介です。
第11窟です。

 

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アジャンタ 第11窟 天井の壁画

第11窟は後期に造られたヴィハーラ(僧院)窟です。この11窟の前後は、前期窟が並んでおります。最初に建てられた前期窟は、いずれも正面の渓谷を見渡せるよい位置に造られていますが、この11窟は10窟と12窟の間に無理やり造られており少しいびつな形です。見どころは、素晴らしい天井の装飾画です。

 

続いて第17窟。こちらもアジャンタ第1窟同様、素晴らしい壁画が多数残る石窟です。まずは17窟に残る、2つの大猿本生(ジャータカ)。

 

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大猿本生

 

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アジャンタ 第17窟 大猿本生
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アジャンタ 第17窟 上写真の右側アップ。背後から近寄る農夫と(左)、殴られ倒れてしまった大猿(右)

猿は、崖下に落ちてしまった農夫を見つけ背負って這い上がり、助けます。しかし、農夫はその猿を殺して食べようと背後から忍び寄り石で殴り倒してしまいます。その後農夫は地獄に落ちます。
(ここでは大猿=釈迦を表します)。

 

※17窟には、もうひとつの大猿本生があります。川辺のマンゴーを取って食べているときに国王軍に見つかってしまった猿群でしたが、猿王は自らの身体を橋の一部とし、仲間たちを先に逃がした、という内容のものです。

 

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シンハラ物語

 

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アジャンタ 第17窟 羅刹女を退治に行くシンハラ王の軍隊

人を食らう「羅刹女」がいる島に漂着してしまった商人・シンハラは、仲間とともに島からなんとか脱出することに成功しました。しかしその後羅刹女は美女となってシンハラの国に乗り込み、城内の人間を食い殺してしまいます。シンハラは民衆に請われ王となり、軍を率いて羅刹女を追い払っただけでなく、羅刹女たちを教化するのでした。

 

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また、第17窟は内部だけでなく、外側の装飾画も見事です。
こちらは、入り口の装飾。扉の上には過去七仏が並んでいます。また、向かって左側の外壁には、六道輪廻の図が残っています。今やインド北部・ヒマラヤを越えたラダックエリアとその周辺でしかほとんど見ることができない六道輪廻の図がここアジャンタで見ることができるとは…! 感激です。

 

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アジャンタ 第17窟 入口の装飾
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アジャンタ 第17窟 六道輪廻

第19窟です。後期のチャイティヤ(僧院)窟で、中央には仏塔と仏像を合体させた本尊と、両側には丹念に施された彫刻が残っています。また、石窟内部自体が馬蹄形となっています。

 

仏塔(ストゥーパ)とは、お釈迦様が荼毘に付された後、残された灰や遺骨(仏舎利)を納めた塚が起源です。 仏教が各地へ広まると、ストゥーパが建てられ、お釈迦様のシンボルとして祀られるようになりました。
仏塔は3部分から構成されています。①基壇(下の写真では、仏像が組み込まれています)、②丸い部分の卵塔、③一番上に乗っている平頭です。もともとは②の部分のみでしたが、尊いものとして基壇と傘が施されるようになりました。

 

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アジャンタ 第19窟  内部

アジャンタ石窟寺院の見学の最後は、第26窟です(第27窟は未完成、28-30窟は位置的に訪問不可)。後期のチャイティヤ窟で、内部にはインドで最大級の大きさである涅槃仏(全長7.3m)が横たわっています。涅槃仏の周りや列柱に施されている彫刻も素晴らしく、見ごたえのある石窟です。

 

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アジャンタ 第26窟 正面入り口
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アジャンタ 第26窟 作成途中の仏像(右)

 

第26窟は概ね出来上がっているものの、完成はしておりません。上の写真の左部分のように、製作途中で放棄されてしまっている部分もあります。未完部分をみると、まずは大枠でかたどりされ、その後彫り進める、という石窟内での作業の進め方が分かります。

 

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アジャンタ 第26窟 インド最大級の涅槃仏
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アジャンタ 第26窟 涅槃仏 正面から

横たわる涅槃仏は、少し微笑んでいるようにも見えます。この写真では分かりにくいですが、釈尊の台座には、その死を悲しむ弟子や在家の姿が彫られています。また上部分には、天人が舞っています。

 

 

 

アジアの古代仏教美術の源流ともいわれているアジャンタ石窟寺院。何度訪問しても飽きません。じっくりと時間をかけて訪問して欲しいと思います。

 

エローラは次の記事でご紹介します!
アジャンタ・エローラ④

 

 

 

Text by Hashimoto

 

 

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ②

ナマステ! 西遊インディアの橋本です。
インドの宝・アジャンタとエローラ石窟の紹介、第二弾です。

 

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9月のアジャンタ 緑が綺麗な時期です

アジャンタ・エローラ紹介記事①にて、いきなりアジャンタのハイライトである第1窟の蓮華種菩薩、金剛手菩薩を紹介しましたが、アジャンタの見どころはまだまだあります!

 

第2窟のご紹介の前に、アジャンタ、エローラ石窟群を見学するに欠かせない「ジャータカ」についてお話いたします。
「ジャータカ」とは仏陀の前世の功徳を伝える物語です。本生譚(ほんしょうたん)ともいい、仏陀の死後に多くのジャータカが生まれました。様々な動物(ゾウ、猿、鴨、うさぎ 等々)やある特定の人物として生まれた仏陀による、自己犠牲や利他の行いがテーマとなっています。仏陀はその前世においても修行を続けており、だからこそ悟りを得るに至ったという考えに由来しています。

(本来は仏教と関連のない土着の民話や寓話をジャータカとして吸収していったとも考えられています)。

 

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ジャータカのご紹介 ~六⽛⽩象本⽣~

 

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アジャンタ 第17窟 六牙白象本生

ヒマラヤの山中に8000頭の象の群があり、6本の牙を持った真っ白な象が王としてそれを束ねていました。王には二人の夫人がいましたが、第二夫人は第一夫人に激しく嫉妬をし、王を恨みながら自害します。その後とある国の王妃として生まれ変わった第二夫人は、六牙象のことを聞き、猟師にその象の牙を持ってくるように命令します。猟師は罠をはり象王を捕えますが、象王は自ら牙を抜き、その後絶命します。猟師の持ってきた牙を見た夫人は、象王がかつての夫であったことを思い出し、後悔し死んでしまいます。

 

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アジャンタ石窟には、ジャータカの内容を示す壁画が複数残されており、特に第17窟には「六⽛⽩象本⽣」「⼤猿本⽣」などが良好な状態で保存されています。これらジャータカのストーリーを予め予習しておくと、アジャンタ石窟の見学がより一層楽しめます。

 

それでは、第2窟のご紹介です。
アジャンタ第2窟も第1窟と同様、後期窟です。美しい壁画、彫刻が素晴らしく、保存状態も良いです。

 

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アジャンタ 第2窟 本堂 美しい天井の装飾も必見です
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アジャンタ 第2窟 杯を交わすペルシャ人 / 青い靴下の異邦人

こちらは第2窟に残る「杯を交わすペルシャ人(青い靴下の異邦人)」の天井画。2人の周囲には豊穣を表す蓮華蔓草や果実が描かれています。

壁画は、牛糞や粘土、石灰を下地に塗り、アフガニスタンから持ち込まれたといわれるラピスラズリや黄土など、全て自然の顔料で描かれています。この靴下の青色もラピスラズリで着色されていますが、今もなお鮮明にその青さが美しく残っています。

 

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アジャンタ 第2窟 「玉座に腰かけた菩薩」

長い輪廻のあと最後に兜率天上に生まれた釈迦が、王者風の姿で天人に説法する様子が描かれています。

 

他に第2窟で必見の壁画は「釈迦誕生」の壁画です。生まれたばかりの仏陀(スィッダールタ王子)を抱えるブラフマーとインドラ神、そして優しく見つめるマーヤー夫人が描かれています。

 

 

アジャンタは全部で1~30窟ありますが、作業途中で放棄され、未完で終わった窟もいくつかあります。

第4窟も未完で終わった窟のひとつです。第4窟はアジャンタでも最大の規模のヴィハーラ(僧院)窟でしたが、断層が横切っていたため作業が難航しその後放棄されてしまいました。もしこの僧院窟が完成していればアジャンタ最大かつ壮大な僧院窟が完成していたのでは…と言われています。

 

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アジャンタ 第4窟 外観
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アジャンタ 第4窟 内部はアジャンタ最大規模で広い

続いて第9窟です。これまでは、全て後期に開屈されたものを見てきましたが、9、10、12、13窟は前期窟(紀元前2世紀~紀元後1世紀ごろに開窟)のものです。

第9窟は、簡素なチャイティヤ(僧院)窟となっており、中央にストゥーパ(仏塔)が建つのみで彫刻などの装飾はありません。柱には一部壁画が残っていますが、これは後期に描かれたものです。

 

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アジャンタ 第9窟 チャイティヤ窟

第10窟です。
こちらも前期窟で、中央にストゥーパがあるシンプルな造りです。ここ第10窟で注目すべきは、右13番目の一本の柱の落書きです。このアジャンタ石窟を最初に発見したイギリス人士官ジョン・スミス(John Smith)が、発見した時に思わず自分の名前と日付を柱に刻み付けてしまい、その落書きが今でも残っています。

盛んに開窟が続けられたアジャンタ石窟ですが、インドでの仏教の衰退に伴い作業されなくなり、8世紀には完全に放棄されました。その後アジャンタ石窟は1000年以上忘れ去られましたが、偶然こちらにトラ狩りに来ていたジョン・スミスによって1819年に発見されたのです。

 

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アジャンタ 第10窟 ストゥーパ(仏塔)
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アジャンタ 第10窟 ジョン・スミスの落書きが残る柱 よく見ると名前が確認できます

ジョン・スミスの落書きは、柱の高さ3mの位置に残っています。結構見上げて目を細めないと確認できません。これは、ジョン・スミスが長身の大男であったわけではなく、発見当時アジャンタは密林のなかに埋まっており、各石窟の内部にも1.5m程泥が積もっている状態だったためです。

 

この第10窟を訪問した時、偶然この遺構を見つけたジョン・スミスの気持ちを想像してみました。密林のなか本来あるはずのない人工物を自分が最初に見つけ、世紀の大発見を予感したとき、思わず名前を刻みたくなるのでしょうか。

 

 

 

アジャンタ・エローラの記事その③へと続きます!

 

 

Text by  Hashimoto

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ①

ナマステ!西遊インディアです。

今回はインド観光のハイライト! インドの宝! 絶対お勧めのアジャンタ、エローラの2大石窟寺院をご紹介します。

 

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エローラ 第16窟カイラーサナータ寺院

インドの石窟寺院ですが、現在では大小合わせおよそ1,200の寺院が確認されています。そして、その多くはアジャンタやエローラが位置するデカン高原周辺に存在しています。理由は石窟に適した岩体の存在です。

 

加工しやすく安定している玄武岩質の岩体が多く分布するため、この地域に多くの石窟寺院が残されています。また玄武岩は、加工もしやすいですが大変硬く、木材等に比べて保存が長期に渡って可能なこともポイントです。現存している石窟寺院は、前1世紀頃から後9世紀頃にかけて開鑿されたものですが、石窟全体がそのまま残っているばかりか、一部はその美しく施された彫刻も細部まで残っています。

 

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エローラ 第32窟 ジャイナ教石窟群 柱に残る美しい装飾
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エローラ 16窟 カイラーサナータ寺院  寺院外壁にびっしりと描かれている「ラーマーヤナ」の場面を表した彫刻

今回ご紹介するアジャンタ、エローラ両遺跡の観光の拠点となるのはオーランガバードという街です。マハーラーシュトラ州内にあり、州都ムンバイから約350㎞、内陸側に移動した位置にあります。車両移動で約7-8時間かかりますが、ムンバイからは国内線も運行されており、フライトだと約1時間です。なお、国内線はデリー、ハイデラバードからも運行があります。

そのオーランガバードからエローラ石窟までは約30km、アジャンタ石窟までは100km程度です。街には観光用のホテルも多くあり、秋~冬の観光ハイシーズンには多くの観光客が滞在し混みあっています。

 

アジャンタ、エローラのご紹介の前に、オーランガバードの街と見どころを軽くご紹介。

オーランガバードの街の名前は、ムガル帝国第6代皇帝のアウラングゼーブ帝が滞在したことに由来しています。

街の見どころですが、まずは、ミニ・タージマハルとも呼ばれるビービーカ・マクバラ廟。「ビービー(Bibi)」というのはヒンディー語で”wife” や”Laday”、「マクバラ(Maqbara)」はお墓を指します。つまりこの地に滞在したオーラングゼーブ帝の妻・ディラルース・バーヌー・ベーガムのために建てられた廟です。

 

ビービーカマクバラ
ビービーカマクバラ

一見、アグラにのタージマハルにも似たビービー・カ・マクバラ―ですが、タージマハル程の財源がなかったため、使用している大理石の量はかなり制限されています。

墓廟の前には庭園が広がっており、地元のファミリーの憩いの場所ともなっています。

 

他にも、街の北側にあるのがオーランガバード石窟群。5~7世紀に仏教徒の手によって造られた石窟群で、全部で13窟あります。菩薩像や女神像の彫刻は、エローラに先行する仏教美術の貴重な作例として知られています。

 

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オーランガバード石窟群 第7窟の入り口

 

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オーランガバード石窟 第7窟

またオーランガバードでは、ヒムロー織りと呼ばれる金糸を織り込んだ美しい織物も全国的に有名です。工場件展示即売所が街にいくつかありますので、お時間に余裕のある方は立ち寄ってみてください。

 

■アジャンタ石窟

オーランガバードから100㎞、車両で2時間半程行きますと、アジャンタ石窟見学者用の駐車場に到着します。そこから、専用のシャトルバスに乗り換え、石窟入口まで移動します。
入口には、遺跡のチケットカウンター、トイレ、軽食屋等が並んでいますので、ここで最終準備を整え、遺跡へと出発です!

 

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石窟入口までは、石段が続きます

ワーグラー川の流れに沿って30の石窟が並ぶアジャンタ石窟群。これらは全てが仏教窟です。開かれた時代は下記2期間に分かれます。

①紀元前2世紀~紀元後1世紀
②紀元後5世紀後半~7世紀初頭頃まで

 

前者が初期仏教(上座部仏教)の時代、後者が大乗仏教の隆盛期にあたります。

 

アジャンタ石窟群
アジャンタ石窟群

アジャンタ石窟を特徴づけるのは何といっても内部に描かれた見事な壁画の数々です。壁画は多くが大乗仏教期に描かれたもので、主に仏伝、ジャータカ(本生)と呼ばれる仏陀の前世譚、また宮廷の様子などが彩り豊かな顔料で描かれています。この壁画群は日本の飛鳥時代の美術に影響を与えたと考えられており、法隆寺金色堂の壁画にもその影響を見て取れると言われてます。

 

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アジャンタ 第1窟 蓮華手菩薩

中でもアジャンタを象徴する壁画が第1窟の蓮華手菩薩。インド古代仏教美術の最高傑作とも謳われ、右手に蓮華の花を持っています。

⾝体を⾸、胴、腿の3つに曲げた「トリバンガ(三曲法)」という手法を使って描かれ、白い肌と目を伏せた表情が印象的です。蓮は泥中に根を張りながら水上に美しい花を咲かせることから煩悩に溢れた俗世に対しての清浄な心や悟りの象徴として考えられ、仏教美術の中に頻繁に登場します。仏教、またヒンドゥー教の中でも同様に用いられる象徴的な花です。

 

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アジャンタ 第1窟 蓮華手菩薩

これと対を成すのが右手に描かれた金剛手菩薩。こちらは蓮華手菩薩とは対照的に褐色の肌で描かれ、力強い印象です。金剛杵(ヴァジュラ)という仏具、または金剛(ダイアモンド)を持つとされる菩薩像です。

 

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アジャンタ 第1窟 金剛手菩薩
金剛手菩薩
アジャンタ 第1窟 金剛手菩薩

※近年では、こちらの両菩薩は、菩薩ではなく「守問神」とする説も有力とされています。

 

上記両菩薩(守門神)の奥には本尊の仏陀像が転法輪印(説法印)を結び、座しています。転法輪印は、教えを説いて迷いを粉砕することを表す印です。また、第1窟の天井と壁は様々なお花、果物、植物等の装飾で彩られており、柱には美しい浮彫が施されています。まさに豪華な宮殿のような雰囲気です。

 

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アジャンタ 第1窟 本尊の仏陀像
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アジャンタ 第1窟 壁画
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アジャンタ 第1窟 外国からの使節団が描かれている天井画

 

石窟寺院群は、実際に僧侶たちが雨季の間に生活し修業の場となった僧院(ヴィハーラ)と、礼拝の為に用いられた礼拝堂(チャイティヤ)の2種によって構成されています。

 

アジャンタの場合、礼拝堂は5つのみ、残りは全て僧院です。

前期(紀元前2世紀~紀元後1世紀) に造られた礼拝堂は、中央にストゥーパ(仏塔)が建つのみで装飾は特になくシンプルなものでした。初期仏教では仏陀を直接的に彫刻、絵画等で表すことは憚られており、まだ仏陀をかたちとして表現する、ということが無かったためです。

 

逆に後期(紀元後5世紀後半~7世紀初頭頃)開窟分は、仏陀の姿が仏像として実際に表されるようになった1世紀以降のことですので、仏陀の姿が絵画や彫刻で表現されています。また紀元後5世紀ごろは、インド仏教美術が花咲いた時期でした。当時中央インドを支配していたヴァータータカ帝国はあつく仏教を信仰していたこともあり、当時の最新の技術や流行を取り入れ、美しい彫刻や絵の装飾もふんだんに施し豪華な石窟の造営に力を入れたのでした。

 

後期の礼拝堂:19窟
アジャンタ 第19窟 後期の礼拝堂

ちなみに、当時の僧侶は普段は諸国を遊行し雨季の間は僧院で修業を積む生活が基本でしたが、僧院に定住する者も多かったようです。
アジャンタでは実際に彼らが生活した僧院の部屋にも入ることができます。

 

 

 

アジャンタ・エローラの記事、まだまだ続きます!

NEXT>>>アジャンタ・エローラ②

 

 

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ボーパール① サンチー仏教遺跡群とビーマベトカ壁画

 

ナマステ!!西遊インディアの岡田です。今日はサンチー遺跡とビーマベトカ壁画、その拠点となるボーパールの街をご紹介します。

 

インド中央部に位置し、「中央の州」を表すマディヤ・プラデーシュ州の州都・ボーパール。デリーからは南へ800kmほどの位置にあります。18世紀からインド独立まで、イギリス統治の下でボーパール藩王国として栄え、その中でも1829年から1926年までの107年間は4人の女性藩王が治めたことで知られています。

ボーパールは付近の二つの世界遺産・サンチー遺跡とビーマベトカ壁画の観光拠点として多くの旅行者が訪れる街となっていますが、ボーパールの街自体も非常に多くの見どころを有しています。

その一つが、街の中心にあるタージウル・マスジッド。女性藩王の一人・シャー・ジャハーン・ベーガムがデリーのジャマー・マスジッドに勝るモスクを目指して1800年半ばに建設を開始しました。彼女の死後資金難等の問題により何度も建設は中止しましたが、1985年に完成しました。現在はアジア最大級のモスクとして、ボーパールのシンボルとなっております。

 

■サンチー遺跡

サンチー遺跡の第1ストゥーパ
サンチー遺跡の第1ストゥーパ

 

ボパールから北東へ約50km、サンチーの街へ着くと山の上にストゥーパの影が見えてきます。

ストゥーパ(仏塔)は本来は仏舎利(仏陀の遺骨/遺灰)を収めた塚を指し、全てのストゥーパには仏舎利が収められているとされていましたが、現在はその真偽を問わずに信仰の対象となっています。日本では「卒塔婆」あるいは単に「塔」として伝えられ、各地に三重塔や五重塔のような形で残されています。インドでは仏教へ帰依し広く布教を行った紀元前3世紀・マウリヤ朝のアショーカ王によって各地にストゥーパ、そしてアショーカの石柱と呼ばれる石柱が建設されています。

 

メインとなるサンチーの第一ストゥーパはアショーカ王によって建設されたもの。紀元前3世紀の建設の後、その後前2~1世紀にそれを覆うように拡張され現在の姿となりました。最大の見どころは、ストゥーパへの入り口に建てられた門・トラナに施された精緻な彫刻群です。

 

トラナに施された彫刻(北門裏側)
トラナに施された彫刻(北門裏側)

トラナはストゥーパへ至る通路にかかる塔門。日本の「鳥居」の原型はこのトラナにあると言われます。東西南北に建てられたトラナは、その表裏を覆いつくすように仏伝、ジャータカと呼ばれる仏陀の前世譚などをモチーフにした精緻なレリーフが刻まれています。トラナを埋め尽くすレリーフは「石の絵本」とも表現され、美仏陀の生涯やその教えを現代に伝えています。

 

仏陀が生まれる前のマヤ夫人に象が入る夢の場面
釈迦の生母・マヤ夫人(一番上)。天から白象が降りてきて、自分の右わきから胎内に入る夢を見て懐妊したという伝説が伝えられています。

初期仏教では仏陀を直接的に彫刻、絵画等で表すことは憚られました。そのためこの時期は「無仏像時代」といわれています。
仏陀はどの場面でも菩提樹・法輪・足跡・仏塔・傘などでシンボリックに表現されており、レリーフの中にはそれらを組み合わせて象徴的に仏陀の前身を表したものも見ることができます。仏陀の姿が仏像として実際に表されるようになるのは紀元後1世紀以降のことです。

 

仏足で象徴的に表された仏陀
仏足で象徴的に表された仏陀

 

仏教の衰退後は多くのストゥーパが破壊されてしまったのに対し、サンチーのストゥーパは森におおわれていたため発見を免れ、19世紀にイギリス軍により再発見されるまで良好な状態で残っていました。現在は第1~3までの3つのストゥーパに加えて僧院や寺院なども一部が残っており、一大仏教センターとして賑わったであろう当時の様子を伺えます。

 

第3ストゥーパ
第3ストゥーパ

 

■ビーマベトカ遺跡

ビーマベトカ壁画
ビーマベトカ壁画

続いて、ボーパールより幹線道路を南下すること約50kmのところに位置する、ビーマベトカ岩窟群をご紹介します。
ビーマベトカの岩窟群はチークの木が生い茂る小高い丘の上にあり、それぞれの岩陰に最大で約1万5千年前~3000年前の人類が描いた壁画が残されています。初期は単純な動物・人間の姿を写したものが、時代を下るにつれて人と人とが輪になって踊る様子、集団で狩りをする様子、馬に乗って行進する様子等へ変わっていき、当時の様子や社会の形成・発展の過程を知ることができます。

その他、馬は約3,000年前にモンゴルからはじめてインドに来たため、馬が描かれている壁画は3,000年前以降の新しいもの、また人物が三角形で描写されているのは5,000年前のもの、といった壁画の時代の見分け方もありそれぞれの岩全てを大変興味深く見ることができます。

 

この壁画を描くのに使われている染料は全て天然のものです。白は植物の根や石、動物の骨を粉末にしたもの、赤は動物の血や植物の樹液を混ぜたもの。黄色は植物の花等を原料として作られており、色の種類も時代に従って豊富になっていきます。

 

赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)
赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)

 

白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)
白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)

 

全部で750ある岩のうち、500の岩陰に壁画が施されています(旅行者が観光できるエリアは、15箇所のみです)。なかでも、大きな岩面に様々な時代の壁画が密集して描かれている場所は「Zoo Rock」と呼ばれ、1万年以上もの長期にわたって継続的に人々が生活し、壁画を描き続けてきたことを示す貴重な資料となっています。

 

岩一面に壁画が施されたZoo Rock
岩一面に壁画が施されたZoo Rock
ビーマベトカの岩体
ビーマベトカの岩体

 

描かれた岩絵は、ストーリー性のあるものもあり、大変見応えがあります。上記に述べたこの土地の人々の営みの変遷もそうですし、この岩窟周辺には、今よりも緑が溢れ、牛、鹿、猪、バイソンなど多くの動物が生息していたのが、壁画から伺えます。

世界にはこのような太古の岩陰壁画が残されている場所は数多くありますが、ここビーマベトカではいつ行っても他に観光客もおらず独占的に観光できるのも魅力。この地での人の営みを想像しながら、ゆっくりと見学をお楽しみください。

 

 

<西遊旅行>サーンチー・ビーマベトカを訪問する西インドツアーはこちら

 

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