シュラバナベルゴラのジャイナ教寺院

巨大なゴマテシュワラ像

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、南インドの特別企画ツアーで訪れたジャイナ教寺院をご紹介します。
 
なじみのない方も多いと思いますが、ジャイナ教は仏教と同じ頃に生まれた、インド発祥の宗教のひとつです。

■ジャイナ教とは
インド発祥の宗教といえば仏教が思い浮かびますが、ジャイナ教も仏教と同時期頃に生まれたインド発祥の宗教です。紀元前6~5世紀に生まれ、開祖はマハーヴィーラ。仏教におけるブッダと同じ時代に生きた人だといわれています。
教えの特徴としては、徹底した苦行、禁欲、不殺生の実践を重んじることで知られます。5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)をもち、不所有の考えをベースに商業で成功した商人たちの寄進によって、見事な寺院がたくさん建てられているのも特徴です。
とくに、生きものを傷つけない「アーヒンサー」という戒律は重要視されていて、宗派によっては空気中の小さな生物も殺さないように、マスクのような白い小さな布で口を覆う人もいます。
ジャイナ教では、今私たちが存在している宇宙的時間軸において、24人の救済者(ティールタンカラ)が出現したと考えられています。そのうちの最後の一人が、開祖であるマハーヴィーラだとされています。
 

『カルパ・スートラ』より「マハーヴィーラの誕生」(一部分)、14世紀第4四半世紀

Mahavira マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)座像(15世紀)

 
インド南部、カルナータカ州の州都バンガロールに次ぐ大きな都市であるマイソールから約80km。車で約2時間走ると、シュラバナベルゴラ(シュラバナベラゴラ)Shravanabelagola の町に到着します。シュラバナベルゴラは大きな町ではありませんが、ジャイナ教の人々にとっては南インドにおける最大の聖地。町にはヴィンディヤギリ Vindhyagiri 、チャンドラギリ Chandragiri の2つの大きな岩山があります。
 

ヴィンディヤギリから望むチャンドラギリの丘

高い方のヴィンディヤギリの丘(約143m)の頂上には寺院があり、約18mの巨大なゴマテシュワラ像が立ちます。
 

Photo by Hasenläufer (original:Matthew Logelin) – This photo shows the lord bahubali statue from a different view.(2017) / CC BY 3.0

この頂上寺院では12年に一度、マスタカービシェーカ Mahamastakabhisheka というお祭が行われ、信者たちが像の上から神聖なギーやミルクを注ぐことで知られます(次回は2030年に開催予定)。
 

12年に1度、牛乳や香辛料などがゴマテーシュワラ像にかけられる様子
Photo by Matthew Logelin – Offerings poured over the Jain Lord Bahubali, the world’s largest monolithic statue.(2006) / CC BY 2.0

 

伝説によると、寺院の創建は紀元前3世紀までさかのぼります。当時この地域を治めていたのはマウリヤ朝のチャンドラグプタ王。その王が師と崇める、ジャイナ教の第6代教団長・聖典伝承者のバグワン・バドラワーフ Bhagwan Bhadrabahu とともに、この地にやってきたのがはじまりといわれています。

 

寺院へとつづく脇道を進むと、岩のふもとの周囲に小さな寺院がいくつかあり、門前町のようになっています。寺院入口には土産物売りの人に加え、寺院は靴を脱いで登るので靴下売りの人もいました。頂上にある寺院へ参拝するには、ここで靴を預けて裸足になり、645段の階段をひたすら登ります。

寺院の入口につづく脇道
裸足でひたすら登ります。けっこう傾斜があります!日影がないので暑い日は水分補給をお忘れなく。12月頭でも汗だくになりました

階段を登っていると、途中からデカン高原のパノラマが広がります。頂上からも見晴らしが良いため、地元の人の中ではバンガロールからの週末のお出かけスポットとしても人気があるそうです。私たちが訪れた日も土曜日で、学生の友達グループでにぎわっていました。

岩山の頂上は広場のようになっていて見晴らしもいいです。

頂上からの見晴らし。シュラバナベルゴラの町とデカン高原の緑が広がります

ここでゴール…かと思いきや、巨像がある本殿は、ここからさらに右奥につづく階段をのぼった先。もうひと踏ん張りして、本殿に到着しました。

さらに奥へと階段がつづきます

本殿の外観

本殿についたら、中を右繞(うにょう:時計回りで寺院内を参拝すること)しました。
中を進むと中庭のような広場があり、そこに「バーフバリ」ともよばれる巨大なゴマテシュワラ像が立っています。

巨大なゴマテシュワラ像

この像は、なんとひとつの大きな花崗岩からつくられているのだとか!10世紀に西ガンガ朝の大臣であったチャームンダラーヤの命を受けて建てられたことが、古いカンナダ語の碑文からわかっています。

 

寺院の入口に彫刻(上)と、内部に古い碑文(下)がありました

寺院内部に祀られているゴンマテーシュワラ像

巨像が作られた「バーフバリ」は、一番初めの救済者(ティールタンカラ)である「リシャパ」の子供と伝えられていて、本来の名前は「ゴンマテーシュワラ」といいます。ゴンマテーシュワラは兄弟間の闘いに勝利した経緯から、その異名としてバーフバリ(バーフ:前腕、バリ(バリン):力が強い=強い腕をもつもの)とも呼ばれます。
 
ゴンマテーシュワラが一年間ヨガの修行で微動だにしなかったことで、体に蔦が巻き付いて足元には蟻塚までできたという伝説があり、バーフバリの巨像はその姿を表現しています。
なぜ裸体の姿かというと、ジャイナ教の教えで物を所有することを拒む「無所有」が美徳とされる面があるため、衣類は身に着けず裸で瞑想を続けている様を表しています。

現在、ジャイナ教徒はインドの人口の約0.4%ほどしかいませんが、白衣派・裸で修行をする派閥とも多くの分派が派生しており、白衣派の人々はグジャラートやラジャスタンなどインドの西側、裸の派閥は南インドを中心に現代もつづいています。
 
シュラバナベルゴラは、インドでも有数の数多く石碑が集まる場所。ジャイナ教が始まって以来2500年以上の間、文化・芸術・建築などジャイナ教の人々に親しまれ、今なおその歴史がつづいています。
 

 

寺院内の柱や門に彫られた装飾もおもしろいです

 
■ひとくちメモ
ジャイナ教寺院の場合、5色の旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

 
Text & Photo: Kondo

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ヒンドゥー教の神・シヴァ神とリンガ信仰

ナマステ! 西遊インディアです。

ヒンドゥー教の三柱の主神の一つであるシヴァ。インド国内で圧倒的な人気を誇る神として無数の寺院が奉じられており、ヒンドゥー教の一つのシンボルともいえる存在です。

 

シヴァ・ファミリー 左からガネーシャ、シヴァ、パールヴァティ、スカンダ
シヴァ・ファミリー 左からガネーシャ、シヴァ、パールヴァティ、スカンダ (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
踊るシヴァ(ナタラージャ)の像
踊るシヴァ(ナタラージャ)の像

今でこそ主神となったシヴァですが、アーリア人の『リグ・ヴェーダ』の中ではモンスーンの神・ルドラの別称とされ、神々というよりはアスラ(神に対しての悪魔)としてとらえられており、現在のような大きな力を持つ存在ではありませんでした。

モンスーン(暴風雨)による破壊と雨の恵みという2面性は後のシヴァに引き継がれ、アーリア人のインド進出後は土着のドラヴィダ系の神を吸収してシヴァ像が形作られていきます。現在の立ち位置は仏教やジャイナ教の勢力の拡大に対抗して行われたヒンドゥー教の再編成の中で徐々に土着信仰を吸収する中で生まれたものです。そのため、シヴァは元来の破壊と創造以外にも多くの事物を司るものとされ、またそれ自体が土着の神のヒンドゥー教化であるパフラヴィーやドゥルガーなどの女神を妻とすることで多くの神の領域を受け持っています。

 

そして、シヴァ信仰の最大の特徴となるのがリンガ信仰です。シヴァ寺院の奥の本殿には必ずシヴァリンガが置かれており、礼拝者たちが香油やミルク、花、灯明などを捧げています。

 

ムンバイ:エレファンタ島のシヴァ寺院のリンガ
ムンバイ・エレファンタ島のシヴァ寺院のリンガ

シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガと、リンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨーニから構成されますが、これは男女の合一を示すと考えられ、男女の神が一つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。シヴァリンガが置かれる寺院の内部は即ち女性の胎内であることを示しています。シヴァを象徴する存在でもあり、シヴァ派のヒンドゥー教徒たちは寺院だけではなく自宅でも小さなシヴァリンガを祀って礼拝をすることもあるそうです。

 

男根崇拝は世界各地にみられるものですが、アーリア人はそれを野蛮なものとして忌避していたことが『ヴェーダ』から読み取れます。しかし土地に根付いていた非アーリア的/ドラヴィダ的な宗教要素が復活してくるにつれ、リンガ信仰はシヴァ信仰と結びつき大きく発展していきました。いわばアーリア系とドラヴィダ系の信仰を結ぶ懸け橋のような存在として、シヴァ信仰は大きく広がっていったと考えられます。

 

リンガ信仰の発生を示すこんな神話として、伝えられる神話があります。

 


ヴィシュヌが原初の混沌の海を漂っていた時、光と共にブラフマーが生まれた。自分こそが世界の創造者であると主張して引かない2神が言い合っていると、突如閃光を放って巨大なリンガが現れた。2神はこのリンガの果てを見届けた者がより偉大な神であると認めることに合意し、ブラフマーは鳥となって空へ、ヴィシュヌは猪となって水中へ、上下それぞれの果てを目指した。しかしリンガは果てしなく続いており、2神は諦めて戻ってきた。するとリンガの中から三叉戟を手にしたシヴァが現れた。シヴァはヴィシュヌもブラフマーも自分から生まれた者であり、3神は本来同一の存在であると説いた。

 


 

ヒンドゥー教では宗派によって神話の内容やその主役が入れ替わりますが、シヴァが世界の創造主であるとするこの神話はもちろんシヴァ派のもの。他の宗派の神話では、それぞれの主神が世界の創造主であることを示す神話(これも様々なバリエーションがありますが…)が存在します。

 

毒を飲んだシヴァは、ニーラカンタ(青黒い頸)と呼ばれるように(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ちなみにシヴァ神は中央アジア、東南アジア、そして日本にも広まり諸宗教に取り入れられています。日本の七福神の1人である大黒天は、シヴァから発展した神格であると考えられており、財と幸運の神として人気です。

シヴァ神のエピソードその他は、またの記事でご紹介いたします。

 

 

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ヴィシュヌの化身⑦仏陀とカルキ ヒンドゥー教の終末思想

ヴィシュヌの化身を紹介する第7回。最終回の今回は9番目・10番目の化身である仏陀カルキ、そしてそれと関連してヒンドゥー教の終末思想について紹介していきます。

 

■ヒンドゥー教における仏教の捉え方

仏陀は言わずと知れた仏教の祖ですが、ヴィシュヌの化身としてヒンドゥー教に受容されています。ヒンドゥー教としてはそもそも仏教もヒンドゥー教の一派であるという立場をとっているため、仏陀がヒンドゥー教の神として捉えられることにも特に不思議はありません。

 

仏陀立像(マトゥラー, 後5世紀)
仏陀立像(インド  マトゥラー, 後5世紀)

仏教徒の多い日本からすると捉え辛いものですが、確かに仏陀自身もヒンドゥー教の前身であるバラモン教が支配的な環境で育ったため、その思想の土台にはバラモン教な要素が多く見受けられます。これは仏教と同時期に成立したジャイナ教にも共通しており、ヒンドゥー教の考えではジャイナ教も仏教と共にヒンドゥー教の一派とされています。

 

ジャイナ教も同様ですが、仏教は祭祀とバラモンを極端に重視する教義主義的な当時のバラモン教への批判として成長し、信者を獲得してきた側面があります。逆にバラモン教側では、仏教やジャイナ教などの当時の言わば新興宗教の隆盛に対抗するために、バラモン教の宗教としての見直しや改革が盛んにおこなわれ、これがヒンドゥー教の成立・発展へと繋がっていきます。

 

ジャイナ教の指導者:ティールタンカラを表す像(インド、カジュラホ)
ジャイナ教の指導者:ティールタンカラを表す像(インド、カジュラホ)

 

■ヴィシュヌの化身としての仏陀

ヴィシュヌの化身として表される仏陀は、仏教という異教を魔族に教えることでヴェーダから遠ざけ、魔族を惑わせるという否定的な役割で登場します。仏陀をヴィシュヌの化身とすることで仏教を吸収しようとするというものですが、仏教自体はヴェーダに反する正しくない教えとして捉えられているところが面白い点です。

 

ヴィシュヌの化身として描かれた仏陀
ヴィシュヌの化身として描かれた仏陀 ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ヴィシュヌの化身としての仏陀の登場は、ヒンドゥー教における世界の終末期であるカリ・ユガの到来を意味します。このカリ・ユガの時代で登場する救世主がヴィシュヌの10番目の化身:カルキですが、カルキの紹介へ進む前にヒンドゥー教の世界観と終末思想をご紹介します。

 

 

■ヒンドゥー教の世界観と終末思想

インドでは紀元前8世紀頃に奥義書:ウパニシャッドが編まれ、このころに輪廻思想が成立したと考えられています。ヒンドゥー教の世界観は輪廻思想に基づいており、世界の創造と破壊が繰り返される形で現れます。

 

ヴィシュヌ派の神話では、世界が始まる前の原初の海では竜王アナンタに寝そべったヴィシュヌの臍から一本の蓮の花が咲き、そこからブラフマーが生まれ世界を創造するとされています。これはもともとはブラフマーの臍からヴィシュヌが生まれたという神話ですが、ヴィシュヌを至上の神とするヴィシュヌ派によってその役割が逆転したものです。

 

竜王の背に横たわるヴィシュヌ。臍から伸びた蓮の花にはブラフマーが乗っている。
竜王の背に横たわるヴィシュヌ。臍から伸びた蓮の花にはブラフマーが乗っている。© The Trustees of the British Museum

そして、世界はそのブラフマーの一日の始まりの際に作られ、一日の終わりに破壊される存在です。この「1日」はブラフマーの昼間の時間を差し、人間の時間に換算すると43億2千万年という長大な時間です。ヒンドゥー教の神々は人間とは異なる時間を生きており、ヒンドゥー教の世界観の時間的スケールの大きさを感じさせられます。

 

■ヒンドゥー教の時間感覚とユガ

ヒンドゥー教の時間を示す概念としては以下のようなものが存在します。

 

神年:360年。神々にとっての1日は人間の1年にあたり、人間の360年が神にとっての1年となる。

マハーユガ:12000神年(人間の時間で432万年)

カルパ:1000マハーユガ。ブラフマーの1日は昼間が1カルパ、夜1カルパの2カルパからなる。

 

創造神として、世界の創造(再生)を司るブラフマー神。
創造神として、世界の創造(再生)を司るブラフマー神。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ユガは12,000神年=432万年にあたるマハーユガを前から4:3:2:1の割合で分割した期間であり、それぞれのユガで時代の特徴が決まっており、始めから末期へかけて段々と悪い世界になっていきます。ヴェーダの法と正義もそれぞれの期間で4:3:2:1の比率で減っていき、その分悪がはびこるようになります。

 

クリタ・ユガ(4800神年):すべての法と正義が保たれ、人は病気にならず、400年の寿命を持つ。

トレター・ユガ(3600神年):法と正義が4分の3まで減った世界。人間の寿命は300年。

ドヴァーパラ・ユガ(2400神年):法と正義が半分になり、その分悪がはびこる世界。人間の寿命は200年。

カリ・ユガ(1200神年):法と正義が4分の1まで減った世界。人々は神から遠ざかり、悪が世界を支配する。人間の寿命は100年になる。

 

カリ・ユガは人間の時間では43万2千年続きます。カリ・ユガの時代では人々はヴェーダの教えから離れて宗教的に堕落し、神々は信仰されず、支配者は理性を失い、世界ではあらゆる悪が行わる…とされています。現在の私たちが生きる時代はこのカリ・ユガに当たります。

 

「カリ」は対立・不和・争いを意味し、またこの時代を支配し世界を悪で満たす悪魔:カリを指します。カリは悪の顕現であり、このカリを倒すために登場する救世主がヴィシュヌの化身:カルキです。

 

■救世主としてのカルキ

カリ・ユガの終末期、カルキは白馬に乗った騎士、又は馬頭の巨人として登場し、世界の悪を滅ぼすとされています。世界を救い指名を果たしたカルキが天界に帰るとカリ・ユガの時代は終わり、また法と正義で満たされたクリタ・ユガの時代が始まります。

 

カルキ。後ろにはカルキのシンボルでもある白馬を連れている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum
カルキ。後ろにはカルキのシンボルでもある白馬を連れている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

こうしてひとつのマハーユガが終わりますが、ブラフマーの一日が終わるのは1000マハーユガが経った時です。ブラフマーの一日の終わりには地下・地上・天上の三界で生物が死に絶え、世界はヴィシュヌの炎によって焼き尽くされ、続いてやはりヴィシュヌが吐き出した雲から降る雨で水に沈められます。その後ヴィシュヌは雲を吹き払ってブラフマーを飲み込み、原初の海で竜王アナンタに寝そべります。こうして世界が始まる前の状態へと戻り、1カルパの眠りの後にまた新たな世界が始まります。

 

また、ブラフマーの一生はブラフマーの時間での100年(人間の時間で8640億年)とされており、ブラフマーの一生が終わる際には世界はより大きな規模で破壊され、最終的には宇宙の根本原質であるヴィシュヌ自身に飲み込まれることになります。そしてブラフマーは改めてヴィシュヌの臍から生まれなおし、世界の創造を始めていきます。

 

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身⑥クリシュナ

ヴィシュヌの化身神話を紹介する第6回。今回は8番目の化身、クリシュナ神をご紹介します。

 

横笛を吹くクリシュナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
横笛を吹くクリシュナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

牧童の美少年として描かれるクリシュナは、ヒンドゥー教の神々の中でも最大の人気を誇る神の一つです。クリシュナ自体もヤーダヴァ族の英雄、ヴリシュニ族の一神教的な神、アービーラ族の牧童など様々な土着の神的存在がヒンドゥー教のもとで統合されて生まれた神でしたが、後にヴィシュヌの化身とされたことでヒンドゥー教、そしてヴィシュヌ派の拡大に大きく貢献しています。

 

「クリシュナ」の名は「黒」を意味します。肌が黒いことに由来する神名ですが、ここからもクリシュナがアーリア系由来ではなく土着の神に由来するものと分かります。絵画においては、シヴァ神と同様に青色の肌で描かれています。モチーフとしては横笛・バーンスリーを吹く姿が象徴的です。その音色を聞くと女性はみなクリシュナの虜になってしまうほどの笛の名手とされています。また光輪(チャクラ)、額のU字のモチーフはヴィシュヌ神を表すもので、こちらもクリシュナの重要なシンボルです。

 

様々な神話を持つクリシュナですが、その中でもクリシュナ自身の出生に関する神話をご紹介します。

 

■クリシュナ神の誕生譚

その昔、マトゥラーのヤーダヴァ族のヴァースデーヴァ王子デヴァーキーと結婚します。しかしその結婚式の際、デヴァーキーの従兄のカンサ王は「デヴァーキーの8番目の子どもがお前を殺すだろう」という何者かの声を聴きます。カンサ王はそれを恐れ、デヴァーキーを牢に監禁し、その子を全て殺すことを決めます。

 

ヴァスデーヴァとデヴァーキー©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
ヴァスデーヴァとデヴァーキー©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

カンサ王によってデヴァーキーの6人の息子が殺されます。その後デヴァーキーは7番目の子どもを妊娠しますが、その子はヴィシュヌの力によってヴァースデーヴァの別の妻であるロヒニーの胎内に移されます。この子が後にクリシュナの相棒となるバララーマとなります。そしてその後、第8子としてクリシュナが誕生します。

 

ヴィシュヌは自ら第8子としてデヴァーキーの胎内に入り誕生しますが、生まれてすぐに父のヴァースデーヴァに対して「牢を出て、村の羊飼いの子と自分を交換せよ」と命じます。神々の力によって牢は開き番人も眠っていたため、デヴァーキーは言われた通りに子供を交換しました。そのためクリシュナは村の羊飼いであるヤショダーとナンダの間の子として生まれ、牧童として成長していきます。カンサ王はデヴァーキーが新たな子を抱いているのに気づき殺そうとしますが、その子はヴィシュヌが生んだ幻影であり、カンサ王に対して「お前を殺す者は既に生まれている」と告げて光とともに消えていきます。

 

■幼少期・青年期のクリシュナ

クリシュナは幼少期から青年期へと、その成長の中で様々なエピソードを残しています。特に幼少期にヤムナー川の毒の竜・カーリヤを退治してからは、村の人々から神としてあがめられる存在になっています。

 

カーリヤ竜の上で踊るクリシュナ
カーリヤ竜の上で踊るクリシュナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

クリシュナはバララーマと共にカンサ王を倒しますが、カンサ王の二人の妻たちの復讐として度重なる攻撃を受けたため、民と共にマトゥラーを出て西方のドヴァーラカーへ移り住んでいます。「マハーバーラタ」の中で活躍するクリシュナはこのドヴァーラカーに移った後の時代です。

 

クリシュナとバララーマ、カンサ王
カンサ王を殺すクリシュナ。左下には兄のバララーマ、右下にはクリシュナ達に倒されたアスラ(魔族)が描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

■マハーバーラタの中でのクリシュナ

クリシュナはマハーバーラタでは主人公の5王子の一人・アルジュナの御者として活躍します。特にアルジュナが親族同士での争いに意義を見出せずに戦意を喪失した際にクリシュナが説いた教えは「神の詩(バガヴァット・ギーター)」として伝えられ、マハーバーラタから独立した聖典としても高く評価され、ヒンドゥー教の聖典とされています。

 

バガヴァット・ギーターを説くクリシュナ
バガヴァット・ギーターを説くクリシュナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

アルジュナとクリシュナの問答の形をとって紡がれるバガヴァット・ギーターでは、クリシュナが「迷いを捨ててクシャトリヤの戦士としての務めを果たすこと」を説きます。その中で真理は神(ヴィシュヌ=クリシュナ)として表れ、またそれは自分自身でもある、と説いたこの教えは、梵我一如の思想を明確化したものとして受け入れられ、後に仏教思想にも取り入れられています。

 

数々の英雄譚を持つクリシュナですが、その死の場面はあっけないもので、クリシュナが死期を悟って天界へ帰ろうと瞑想している途中で、漁師が誤って放った矢が急所である足の裏に撃ち込まれたことで最期を迎えています。

 

■バクティ信仰

クリシュナ信仰の特徴はバクティ信仰と呼ばれるものです。バクティはサンスクリット語で「クリシュナ神への愛の奉仕」を意味し、これは神への絶対的な信愛、神に全てを委ねることを意味します。

特に南インドではクリシュナとその恋人ラーダーを象徴としてバクティ信仰が広がります。ラーダーは既婚の女性であり、またクリシュナも他に多くの妻を持っていますが、ラーダーのクリシュナへの愛は神への純粋な信愛であるとされ、バクティ信仰の象徴となりました。

 

クリシュナ(左)とラーダー(右)
クリシュナ(左)とラーダー(右) (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

現在でもヒンドゥー教の神の中で随一の人気を持つクリシュナ神の姿はインドの様々な場所で目にすることができ、現代のインド映画の中でも度々登場します。クリシュナを自身の信仰として取り込んだヴィシュヌはさらに巨大な存在となりましたが、あまりにもクリシュナの占める割合が大きいため、むしろヴィシュヌ信仰というよりもクリシュナ信仰としての側面が強くなっていることも確かです。

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身⑤ラーマとラーマーヤナの物語

ヴィシュヌ神の化身神話を紹介する第5回。今回は7番目の化身、ラーマの物語についてご紹介します。

 

ラーマ像。緑色の肌で描かれ、左手に弓、右手に三日月型の矢じりの矢、右肩には矢筒を携えている。 ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ラーマはインド2大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」の主人公です。化身としてのラーマの物語はそのままラーマーヤナの物語となりますので、ここではラーマーヤナの簡単なあらすじや、ヴィシュヌ神話との関係についてご紹介します。

 

ラーマーヤナは一種の英雄物語。王子ラーマが魔王ラーヴァナに奪われた妻・シーターを取り戻すという、冒険物語の形をとっています。物語はサンスクリット語で伝えられており、文学ではなく、詠唱するための叙事詩として非常に美しい韻律で作られています。総行数は48,000行・全7巻で構成されており、聖仙ヴァールミーキによって編まれたとされています。

 

ラーマーヤナの物語は非常に長大なものですが、ここではざっくりとしたあらすじをご紹介します。

 

■ラーマーヤナのあらすじ

第1巻:少年編

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左からラクシュマナ、ラーマ、シーター。手前にはハヌマーンが描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

コーサラ国のダシャラタ王は子に恵まれませんでしたが、神々に祈願して4人の子を設けます。この長男が物語の主人公ラーマ、そして3男が良き相棒として活躍するラクシュマナです。ラーマはヴィデーハ国の美しい王女シーターを妻にとります。

 

第2巻:アヨーディヤー編 ~ 第3巻:森林編

 

鹿を追うラーマ(左)とラクシュマナ(右)。©The Trustees of the British Museum
鹿を追うラーマ(左)とラクシュマナ(右)。鹿は魔王ラーヴァナが仕組んだもので、シーターから2人の目が離れた隙にラーヴァナがシーターをさらっていきます。©The Trustees of the British Museum

しかし王位を継ぐはずだったラーマは謀略により王位を奪われ、14年間の追放を受けることとなります。ラーマとシーターはラクシュマナと共に森での隠遁生活を始めますが、ラーマはランカ島の魔王・ラーヴァナにシーターを奪われてしまいます。

 

6シーターをさらうラーヴァナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
シーターをさらうラーヴァナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

第4巻:キシュキンダー編 ~ 第5巻:美麗編 ~ 第6巻:戦闘編

 

シーター奪還を目指し、ラーマとラクシュマナは冒険の旅へ出ます。シーターの行方を知るために風神ヴァーユの息子で猿の大臣・ハヌマーン等の助けを借り、様々な困難を超えていよいよラーヴァナの本拠地ランカ島へ攻め込みます。ラーマ一行は巨人クンバカルナ、ラーヴァナの息子で妖術を操る強敵インドラジットとの戦いを経て遂にラーヴァナを倒し、シーターを奪還しました。

 

クンバカルナと戦うラーマ一行。左下にはその他のラクシャーサが描かれる。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
クンバカルナと戦うラーマ一行。左下にはその他のラクシャーサが描かれる。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

 

ラーヴァナと戦うラーマとラクシュマナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
ラーヴァナと戦うラーマとラクシュマナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

無事にシーターを助け出した一行でしたが、ラーマは長くラーヴァナのそばに身を置いたシーターの貞操を疑い、妻として受け入れることを拒んでしまいます。そこでシーターは自ら燃える薪の中に身を投じ、火神アグニの加護を受けて無傷のまま戻ることで自身の潔白を証明します。アグニ自身も姿を現し、シーターが貞節を守ったことを証言しました。

 

火中に身を投じるシーター©-The-Trustees-of-the-British-Museum
火中に身を投じるシーター©-The-Trustees-of-the-British-Museum

全ての問題を解決したラーマ一行は、都の兄弟たちや国民の歓迎を受けてコーサラ国の都アヨーディヤーへ凱旋し、ラーマは正式にコーサラ国の王位に就いたのでした。

 

ここで物語は一旦幕を閉じますが、さらにこの後に後日譚が存在します。

 

 

第7巻:最終編

ラーアヴァナのそばに長く身を置いたシーターが王妃の地位にいる、ということへの不満が国民の間にあることを知ったラーマはこれを気にかけ、なんとシーターを都から追放し、離婚を言い渡してしまいます。この時既にラーマとの子を妊娠していたシーターは嘆き悲しみ、聖仙ヴァールミーキの庵に身を置いて二人の子を産み育てます。

 

聖仙ヴァールミーキとシーター。シーターとラーマの息子ラヴァ、クシャがそれぞれゆりかごの中とシーターの腕に描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum
聖仙ヴァールミーキとシーター。シーターとラーマの息子ラヴァ、クシャがそれぞれゆりかごの中とシーターの腕に描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

その後、ラーマのもとに聖仙ヴァールミーキが現れ、2人の子どもに「ラーマーヤナ」を詠わせました。その2人が自分とシーターの子であることに気づいたラーマはシーターを追放したことを深く悔やみ、シーターとの再会を望みます。

 

聖仙ヴァールミーキの計らいで都へ戻ったシーターでしたが、改めてシーターの貞淑を尋ねるラーマに対してシーターが「もし自分が本当に潔白であれば、大地の神が私を受け入れるはずだ」と宣誓すると、大地が口を開けてシーターを地中へと飲み込んでしまったのでした。

 

深く悲しんだラーマはその後王位を息子たちに譲り、ほどなくしてその生涯を終え、天へと昇っていきます。ラーマーヤナの物語はここで完結します。

 

 

■現代に残るラーマーヤナ

物語の核心部は紀元前5~4世紀に形成された2~6巻の部分です。1・7巻はラーマがヴィシュヌ神の化身であることを示すために後世に後付けされたものと考えられています。特にラーマの英雄性を貶める第7巻は音韻や構成も優れていないとして人気が悪く、一般向けのダイジェスト版の物語では省かれることも多いようです。

 

ラーマは現代でも非常に人気があり、ヒンドゥー教の理想的な人物・君主像とされています。またラーマがヴィシュヌの化身ということで、その妻のシーターもヴィシュヌの妻・パールヴァティーと同一視されています。

 

 

ラーマーヤナの物語の原型がどこにあるのかということについては明確にされていませんが、現代の形になるまでの間に、時代や文化に応じて相当な数のバリエーションの物語が存在します。そもそも魔王ラーヴァナが登場しない、登場人物がジャイナ教徒、女神信仰としてシーター自身がラーヴァナを倒すもの…など様々な派生形の物語がありますが、徐々にヒンドゥー教の正統なストーリーとしてラーマ=ヴィシュヌ信仰としての現代の物語が定着していったようです。

 

特に1980年代以降はヒンドゥー教至上主義の動きが高まり、ラーマーヤナの物語の統一化が進むとともにヒンドゥー教のシンボルとして利用されていきました。そのひとつの到達点となってしまったのが1992年のバーブリマスジッド倒壊事件です。

 

バーブリ・マスジッド破壊事件©The-Indian-Express.jpg
バーブリ・マスジッド倒壊事件 ©The-Indian-Express.jpg

古くはコーサラ国の都であったアヨーディヤーはラーマの生誕地とされており、ラーマを祀る神殿がありましたが、ムガル帝国期にイスラム教徒がこれを破壊し、バーブリマスジッドというモスクを建設していました。1992年にヒンドゥー教至上主義者がこのモスクを破壊し、それを突端として全国でイスラム教徒とヒンドゥー教徒が衝突し数日間で1100人の死者を出すという痛ましい暴動に発展しています。また、その後もこの事件を巡る判決は世界の注目を浴びています。

 

 

■インドを出たラーマーヤナ

ラーマーヤナはヒンドゥー教と同様に広く東南アジアにも広がっています。そもそもラーヴァナの本拠地ランカ島は現在のスリランカがモデルと考えられており、またインドネシアの影絵劇「ワヤン・クリ」、カンボジアの影絵劇「スバエク・トーイ」の題材となっていることはよく知られています。

 

他にもタイの民族叙事詩「ラーマキエン」がラーマーヤナを起源に持っていたり、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのプランバナン寺院群にもラーマーヤナのレリーフが残されていたりと、インドのみならず近隣諸国の文化に強い影響を与えています。またこれは憶測の域を出ませんが、日本の「桃太郎」の物語の起源をラーマーヤナに求める考えも存在します。

 

 

現代でも映画や文学のモチーフとして頻繁に引用され、最近では新型コロナウイルス対策の呼びかけの際にインドのモディ首相がラーマーヤナの一説を引用し、自らをラクシュマナに、国民をシーターに例えて自宅での自粛を呼びかけたことが話題となりました。これをヒンドゥー教至上主義的だという批判もありますが、ラーマーヤナはインドの文化を考えるうえで欠かせない物語として現代に生き続けていることを示すものでもあります。

 

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身④パラシュラーマ

ヴィシュヌの化身神話を紹介する4回目、今回は6番目の化身であるパラシュラーマのお話です。
(前回お話:ヴィシュヌの化身③ダイティヤ族の神話 ヴァラーハ、ナラシンハ、ヴァーマナ

 

パラシュラーマはマハーバーラタラーマーヤナの2大叙事詩にも登場します。「パラシュ」とはシヴァの持つ斧で、パラシュラーマの名は「斧を持つラーマ」といった意味を持ちます。数あるヴィシュヌの化身の中でも最も血気盛んで、強力な戦士の姿で描かれるキャラクターです。

 

斧(パラシュ)を持ち戦うパラシュラーマ
斧(パラシュ)を持ち戦うパラシュラーマ(画像出典 :Paraśurāma-The British Museum)
パラシュラーマ像
パラシュラーマ像 (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

パラシュラーマの物語は、権力を増大させていたクシャトリヤ(戦士階級)からバラモン(祭祀階級)や一般民衆を救うものとされています。自らの王権に宗教的権威を与えたいクシャトリヤと、宗教的な力を保持することで特権階級を維持しようとするバラモン。インドの諸王国において、その王権と宗教的権威は、この2つの上位階級の協力関係が成り立つことで守られていました。しかしそのバランスは非常に危うい場合も多く、クシャトリヤとバラモンの間には軋轢が生じることも多々あったようです。パラシュラーマの物語は、このような争いを描いたものと考えられています。

 

パラシュラーマにまつわる物語は、パラシュラーマが生まれる前、その祖父の時代から始まります。

■パラシュラーマ(斧を持ったラーマ)

カーニヤクブジャ国の王・ガーディが引退して森で隠遁生活を送っていた時、ガーディに娘サティヤヴァティが生まれた。大聖仙ブリグの子孫・リーチカ聖仙はこれを妻にしようとしてガーディに持ち掛けますが、これに対してガーディは「耳が黒く地は茶色の騎馬を千頭用意すれば、サティヤヴァティを花嫁として与えよう」と応えます。

 

リーチカ聖仙は風神ヴァーユにこれを頼み、望み通りの騎馬千頭を用意してガーディに贈ります。晴れてサティヤヴァティと結婚したリーチカ聖仙ですが、ここに大聖仙ブリグが現れ、「サティヤヴァティの願いを何でもかなえてやろう」と伝えます。

 

大聖仙ブリグ
(出典: The Bhrigu Samhita)

大聖仙ブリグは7聖仙の一人。ヴィシュヌに助けられて大洪水を乗り越えたマヌと同時代を生きたとされ、占星術の最初期の本・ブリグサムヒタを著しました。そのほか、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌの誰が最も優れているかを確かめヴィシュヌを最高位とした説話でも知られる聖仙です。神的な存在として、様々な神話に登場します。

 

サティヤヴァティは、大聖仙ブリグに「自分と、自分の母に素晴らしい息子を恵んでください」と願います。大聖仙ブリグはこれを聞き入れますが、サティヤヴァティとその母は沐浴の後にそれぞれ異なる種類の樹を抱き、異なる料理を食べなければならないと条件を加えます。しかし、サティヤヴァティとその母はその儀式の際に、お互いの樹と料理を取り違えてしまうのでした。

 

サティヤヴァティが誤った儀式を行ったことを知った大聖仙ブリグは彼女のもとに現れ、儀式を誤った結果として「二人には息子が生まれるが、サティヤヴァティのもとにはバラモンではあるがクシャトリヤの資質を持った子が、母のもとにはクシャトリヤではあるがバラモンの資質を持つ子が生まれるだろう」と予言します。サティヤヴァティはせめてそれは孫にして欲しいと嘆願し、大聖仙ブリグはこれを受け入れます。

 

果たしてサティヤヴァティのもとに生まれた子はジャマドアグニと名付けられ、後にヴェーダに通じる賢者となりました。ジャマドアグニは妻との間に5人の息子を設け、その末子がパラシュラーマでした。パラシュラーマは生まれる前から「バラモンではあるがクシャトリヤの資質を持つ」ことを運命づけられた者だったのです。

 

斧を持つパラシュラーマ像(出典:The British Museum)

そしてそのころ、千の腕と強大な7つの武器を持つハイハヤ国の王・カールタヴィリヤ・アルジュナは圧政のもとに世界の富を独占しており、神々もこれに手を焼いていました。そこでインドラヴィシュヌはカールタヴィリヤ・アルジュナを殺すことを決め、ヴィシュヌはパラシュラーマを化身として顕現することになります。ヴィシュヌはジャマドアグニの妻の胎内に入り込み、末子パラシュラーマとして誕生します。

 

パラシュラーマが成長した後のある時、パラシュラーマが不在の際にカールタヴィリヤ・アルジュナがジャマドアグニを訪ねます。ジャマドアグニは願ったものを与えてくれる聖なる牝牛・カーマデーヌで歓待しますが、カールタヴィリヤ・アルジュナはこれを気に入り、強引に奪っていってしまいます。

 

カーマデーヌ。神々とアスラによる乳海攪拌の際に生まれたとされ、他にも様々な神話に登場する。女性の頭と胸、鳥の翼、クジャクの尻尾を持つ白い牛、又は体内に様々な神を宿す牛として描かれる。

これを知ったパラシュラーマは激怒し、斧でカールタヴィリヤ・アルジュナの千本の腕を切り落として殺してしまいました。ジャマドアグニはこれを知ってその罪を咎め、パラシュラーマに修行に出ることを勧めます。しかしパラシュラーマが家を留守にしている間に、カールタヴィリヤ・アルジュナの弟たちが報復としてジャマドアグニを殺してしまうのでした。

 

(出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
カールタヴィリヤ・アルジュナを殺すパラシュラーマ
出典:The British Museum

上の2つのイラストはどちらもこの場面を写したものです。斧を持ったパラシュラーマ(右)が千の腕を持つクシャトリヤの王・カールタヴィリヤ・アルジュナを倒すシーンで、右上には聖なる牝牛・カーマデーヌが描かれています。下のイラストでは左側には倒れたジャマドアグニとその妻が描かれています。

 

 

父親を殺されたパラシュラーマは再び激怒し、ハイハヤ国に攻め入ってカールタヴィリヤ・アルジュナの親族や配下のクシャトリヤたちを殺していきます。クシャトリヤの殲滅を誓ったパラシュラーマは、その後も21世代に渡ってクシャトリヤを滅ぼす戦いを行いました。

 

その後、パラシュラーマは巨大な黄金の祭壇を作って聖仙カシュヤパに捧げます。カシュヤパはその黄金を分割し、バラモンへと分け与えました。パラシュラーマ自身はその後マヘンドラ山へ修行に入り、これがこの物語の区切りとなります。

 

パラシュラーマのキャラクター

パラシュラーマは非常に強い力を持つ人物として描かれ、その斧パラシュは若くしてアスラ(魔族)を倒したことへの称賛としてシヴァ神より授けられたという聖なる武器です。パラシュラーマはシヴァ神を崇拝し、またシヴァ神に教えを乞う身でしたが、実際に21日間にわたってシヴァと力試しをし、シヴァの額に傷をつけたというエピソードも残されています。ヴィシュヌの化身でありながらシヴァを崇拝するというのには違和感もありますが、パラシュラーマはヴィシュヌの化身とされる前はもともとシヴァ神話の登場人物だったのではないかとも考えられています。

 

ラーマーヤナでは、同じくヴィシュヌの化身であるラーマを挑発し、結果としてラーマの絶大な力を認めてその偉大さを讃える、という役回りで登場しています。またもう一つの叙事詩であるマハーバーラタにおいては、主人公の5王子や悪役のドゥルヨーダナ王子の共通の師であるドローナに武器を与えていたり、5王子の長兄でありながらドゥルヨーダナ陣営として戦うカルナの師を務めたり…と、非常に重要なキャラクターとして何度も登場しています。

 

カルナの膝で眠るパラシュラーマ
カルナの膝で眠っているパラシュラーマ。パラシュラーマはクシャトリヤを憎んでいたため、クシャトリヤであるカルナは身分をバラモンと偽ってパラシュラーマの教えを受けます。後にこれを知って怒ったパラシュラーマはカルナに呪いをかけますが、すぐにを悔いて償いとしてカルナに武器を与え、彼の運命に祝福を与えました。(出典:indian-mythology)

 

クライマックスのクル平原での18日間の戦争で利用された強力な武器・ブラフマーストラも元々はパラシュラーマのものでした。ブラフマーストラは土地の全ての資源を破壊し、その地では12年間の間雨が降らず、草木も育たせない、全てを破壊する武器として描かれ、核兵器を彷彿とさせるような武器として知られています。

 

 

6番目の化身となると、化身に関するエピソードも豊富になってきます。今まで魚や動物、矮人だった化身から考えると、パラシュラーマ以降は一人前の人間として描かれており、この後に続くラーマは大叙事詩の主人公、またクリシュナにおいては既に独立した神として広く信仰を集める神々をヴィシュヌの化身としてその体系に組み込んでいます。絶大な人気を持つこの2神はヴィシュヌ勢力の拡大に大きく寄与したと考えられており、また現代においてもこの2神は時にヴィシュヌ以上に人気のある神として称えられています。

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身③ダイティヤ族の神話 ヴァラーハ、ナラシンハ、ヴァーマナ

ヴィシュヌ神の化身を紹介する3回目、今回は3・4・5番目の化身にまつわる神話をご紹介します。

 

前回>>> ヴィシュヌの化身② クールマ(亀)と乳海攪拌 日食と月食のはじまり

 

ヴィシュヌ神話の中にはそれぞれの物語が繋がっている部分が多くありますが、化身に関わる神話では、特にその3~5番目(ヴァラーハ、ナラシンハ、ヴァーマナ)の物語が近い位置にあります。ここではヴィシュヌに敵対する相手がダイティヤ族という同じ一つの一族であり、それによって3つの神話がひとつなぎになっています。

 

3つの神話は全て聖仙カシュヤパとその妻ディティの子孫・ダイティヤ族にまつわる神話です。聖仙カシュヤパは7聖仙の一人であり、ブラフマーが生んだ世界の創造神の一人・プラジャーパティより23人の妻を与えられ多くの子孫を残しています。カシュヤパと23人の妻、そしてその子孫たちは神や魔人として様々な神話に登場し重要な役割を果たしていくことになっていきます。今回紹介する他にも、以前の記事で紹介したヴィシュヌの乗るガルーダ、乳海攪拌や洪水神話で登場した竜王ヴァースキなども聖仙カシュヤパの子孫にあたります。

 

3.ヴァラーハ(猪)

 

カシュヤパとディティの子である魔人ヒラニヤークシャは大地を海の底へ沈めてしまいます。瞑想する場がないことを嘆いたブラフマーの息子・スヴァヤムヴァがそれをブラフマーに訴え、ブラフマーはヴィシュヌにそれを訴えました。するとヴィシュヌの鼻孔から1匹の猪が現れ、どんどん大きくなって海に飛び込み、その牙で大地を持ち上げます。ヒラニヤークシャはそれを妨害しようとしますが、逆にヴァラーハに殺されてしまいました。

 

牙で大地を持ち上げるヴァラーハ
牙で大地を持ち上げるヴァラーハ (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ヴァラーハは単純に猪の姿、又は猪の頭をした人間の姿で描かれ、牙で大地を持ち上げるシーンは人気があり、各地にレリーフが残されています。伝承自体は古いもので、アーリア人以前の伝承であると考えられています。

 

ヴァラーハのレリーフ(マハーバリプラム、ヴァラーハ・マンダパ)
ヴァラーハのレリーフ(マハーバリプラム、ヴァラーハ・マンダパ)
猪の姿のヴァラーハ(カジュラホ)
猪の姿のヴァラーハ(カジュラホ)

 

4.ナラシンハ(人獅子)

ヒラニヤークシャの兄弟であるヒラニヤカシプは、ヴィシュヌの化身であるヴァラーハに殺された兄弟の無念を晴らすべく苦行に励み、ブラフマーに力を授かります。その力は「神にもアスラ(魔人)にも人間にも獣にも殺されない」というものであり、力を手にしたヒラニヤカシプは天上・地上・地下の三界を支配します。

 

しかしその子・プラフラーダは熱心なヴィシュヌ信者でした。兄弟の仇であるヴィシュヌを信仰することを止めさせるべく、プラフラーダを厳しく叱ったヒラニヤカシプが「ヴィシュヌは遍く存在するというが、それならばこの柱の中にもいるというのか」と近くの柱を殴ると、音を立てて崩れた柱から人獅子の姿でヴィシュヌが現れ、その爪でヒラニヤカシプを引き裂いて殺します。ヴィシュヌはヒラニヤカシプの与えられた力に妨げられないよう、神でも魔人でも人でも獣でもない、半身がライオンで半身が人間の姿を化身として現れたのでした。

 

柱から現れ、膝の上でヒラニヤカシプを引き裂くナラシンハ
柱から現れ、膝の上でヒラニヤカシプを引き裂くナラシンハ (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ナラシンハ神話は独立の一派を築くほどに発展し、その中でヒラニヤカシプに与えられた力も上記に加え「昼にも夜にも、地上でも空中でも、どんな武器でも殺されない」などの文言が加わり、それに対応するようにヴィシュヌは夕方に・ヒラニヤカシプの膝の上で・素手でヒラニヤカシプを殺した、というような表現が加わっています。

 

近隣国でも人気の高いナラシンハ
近隣国でも人気の高いナラシンハ (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

スリランカやタイで信仰されるノラシンガはナラシンハの派生形と考えられます。ナラシンハ自体はインドに生息するインドライオンへの土着信仰に由来すると考えられており、北方の中国、東方の東南アジアを経由して日本の獅子舞のルーツの一端を担うという説も提唱されています。

 

5.ヴァーマナ(矮人)

バリはプラフラーダの孫、つまりヒラニヤカシプの曾孫にあたります。バリの父ヴィローチャナは天界でのインドラとの闘いで命を落としたため、バリはプラフラーダに育てられました。ヴィシュヌの加護を受けるアスラの王プラフラーダの孫としてバリはもともと地下世界を治めていましたが、父の仇をとるために天界へ攻め込み、インドラ率いる神々の群を退けて追い出し、ついに三界を支配するに至ります。

 

バリの治世は優れており、三界は光に満ち溢れ誰も飢えることがないと呼ばれるほどでした。しかし天界を追放された神々を哀れんだ女神アディティはヴィシュヌに祈願し、それを聞き入れたヴィシュヌはアディティの胎内へ入り、その夫である聖仙カシュヤパとの間の息子:ヴァーマナとして顕現します。

 

矮人ヴァーマナの化身
矮人ヴァーマナの化身 (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

そしてバリを讃える祭りでバリが民衆に施しを与えている場で、ヴァーマナは「自分の3歩分の土地を与えてほしい」とバリに懇願します。バリは師である聖仙ウシャナーの忠告でヴァーマナがヴィシュヌの化身であることに気づきますが、「一度了承した約束を反故にすることはダルマに則っていない」としてヴァーマナの願いを了承します。するとヴァーマナはどんどん大きくなり、一歩目で地上を、二歩目で天界を跨いでしまいました。

 

バリは神々を天界から追い出した自らの傲慢を省みて、自らヴィシュヌに頭を差し出し自分を踏むように伝えます。ヴィシュヌはバリの徳の高さに感服し、またバリがヴァーマナとして顕現した自分の親族でもあることに免じてバリを許し、三歩目でバリを地下世界へ踏み沈め、その支配を任せました。

 

バリはアスラの中でも最高位の評価をされており、マハー(偉大なる)バリとも呼ばれます。南インドのタミル・ナードゥ州ではその名を冠したマハーバリプラムという町がある他、ケララ州では地下に閉じ込められたバリが年に1度地上の民に会いに来る日としてオーナムという祭りを開催しており、これはケララ州最大の祭りとして盛大に祝われています。

 

マハーバリプラムのファイブ・ラタ寺院
マハーバリプラムのファイブ・ラタ寺院

以上、今回はヴィシュヌの化身とダイティヤ族に関わる神話を紹介してきました。ヒンドゥー教神話では神々とアスラが世界の支配を巡って戦いを繰り広げるものが非常に多く、今回紹介した神話もそのうちの一つです。しかしアスラが常に絶対悪として描かれるわけではなく、登場人物がみな個性的なキャラクターを持っていることもヒンドゥー教神話の大きな魅力の一つです。

 

Text by Okada

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ヴィシュヌの化身② クールマ(亀)と乳海攪拌 日食と月食のはじまり

みなさまこんにちは。
今回もヴィシュヌ神の10の化身とそれにまつわる神話等について、引き続きご紹介いたします。今回は、②クールマ(亀)です。

前回の記事>> ヴィシュヌ神の化身①マツヤ

 

ヴィシュヌの化身に関する神話の中でも重要な神話に「乳海攪拌」の神話があります。いわゆるヒンドゥー教における天地創造神話ですが、神々と魔人アスラがその所有を巡って争った不死の霊薬「アムリタ」が登場する神話であり、また女神・ラクシュミーが生まれヴィシュヌの妻となったりと、ヒンドゥー教神話のなかでも様々なポイントが盛りだくさんのストーリーです。もちろんヴィシュヌも登場し、今回はクールマ(亀)として活躍します。

 

2)クールマ(亀)

亀(クールマ)の化身像
亀(クールマ)の化身像 (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

乳海攪拌のお話

 

不死の薬・アムリタを得るために神々がヴィシュヌに相談すると、大海をマンダラ山を棒にしてかき混ぜればよいと教えられます。神々はアスラ(魔人)たちと仲良く協力して、引き抜いたマンダラ山に蛇王・ヴァースキを巻き付け、片側を神々、反対側からアスラ達がそれぞれ引っ張ることで海を攪拌します。あまりに強く攪拌したために海の底に穴が開き山が沈みそうになってしまいます。そこでヴィシュヌは亀(クールマ)に姿を変え、マンダラ山の軸受けとなって海の底を守りました。

 

乳海攪拌のシーン
(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 ▲乳海攪拌のシーン。軸となるマンダラ山を支える土台として亀(クールマ)が描かれています。右側に神々、左側がアスラが位置し、蛇王ヴァースキを引っ張りながら大海を攪拌しています。

 

その後攪拌が進み、あらゆる海中生物が死に、マンダラ山の樹木は燃えてしまいます。生き物たちの残骸、山火事の後の灰が大海に流れ出て混ざり合い、海は乳色に変わっていきました。そして、その中から太陽と月、後にヴイシュヌの妻となるラクシュミー等、次々と生まれました。
(ラクシュミーは、その美しさから多くの神々が求めましたが、ラクシュミーが自らヴィシュヌを選び、夫婦となりました)。

 

富と幸運と豊穣の女神・ラクシュミー  (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ようやく最後に、医学の神タスヴアンタリがアムリタの入った壷を持って現れます。
しかしながらアムリタの所有権をめぐり、神々とアスラ(魔人)たちの間で戦いが起きます。大体の分は戦いの最中に神々が獲得し飲み込みましたが、アスラの一人・ラーフが神々に化けて、アムリタを飲みはじめてしまいます。

 

その様子を見ていた太陽と月は、急いでヴイシュヌの所へ行って、知らせます。ラーフが飲み込んだアムリタは喉まで達していましたが、ヴィシュヌは武器の円盤で攻撃し、その首を切り落としました。切り落とされた首は、空彼方宇宙へと飛んでいきました。

 

頭だけ不死となってしまったラーフは、それ以来、告げ口をした太陽と月を恨むようになり、今でも太陽と月を追いかけて飲み込みます。ですがラーフは首までしかないので太陽と月はすぐに首から出てきます。これがヒンドゥー神話的日食と月食のはじまりです。

 


 

ちなみにアムリタの入った壺は神々が所有・安置していましたが、ヴィシュヌの乗る神鳥ガルーダが母親の呪いを解くために奪うエピソードがあったりと、このアムリタを巡る神話はいくつか存在します。

 

この「乳海攪拌」のお話は、東南アジアのクメール王朝の遺跡(アンコールワット等)でも、よくレリーフにて表現されています。その他、タイのバンコク・スワンナプーム国際空港内で蛇を引っ張り合う大きなモニュメントをご覧になったことがある方は多いのではないでしょうか? まさに攪拌の最中を表現しているものです。

 

乳海撹拌(アンコールワット)
乳海撹拌のシーン(アンコールワット)

「乳海撹拌」のお話でいろいろ捕捉します。

まず、混ぜる道具にされてしまったマンダラ山ですが、もともとヴィシュヌ神の住む山であり、インドラ神の住むメール(またはスメール)山の付近にある(方角や位置には諸説あり)とされています。メール山はインドラ神のみならず神々の住む地として考えられ、後に仏教に伝わり世界の中心を表す須弥山となりました。

 

「アムリタ」ですが、中国へ伝わった仏教ではアムリタは「甘露」と漢訳され、須弥山ではアムリタの雨が降るためにそこに住む天(ヒンドゥー教由来の仏教の神的存在)は不死であるとされています。

 

また、蛇王ヴァースキが綱として使われることの苦しさに耐えかねて体内の毒を吐き出してしまい、あまりに強い毒で世界が滅びてしまいそうになったためにシヴァがその毒を飲み干し、そのためにシヴァの肌は毒で青色になった、というエピソードもこの神話に含まれています。

 

シヴァ
毒を飲んだシヴァは、ニーラカンタ(青黒い頸)と呼ばれるように(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

なお、実はこのお話も元々は他の独立した亀の神の神話でしたが、ヒンドゥー教の発展の中でヴィシュヌの化身によるものとしてヒンドゥー教の中に取り込まれていったものです。マンダラ山を支えた神は、インド叙事詩『マハーバーラタ』ではアクーパーラという別の独立した存在で、ヴィシュヌの化身ではありませんでした。

 

ヴィシュヌが化身として神と神話、そしてその功績と人気を吸収していったことがわかります。

 

 

参考:インド神話入門(長谷川明著・新潮社)

Text by Okada, Hashimoto

 

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ヴィシュヌの化身① マツヤ(魚)と大洪水神話

ナマステ!
前回、ヒンドゥー教3大神のひとり・ヴィシュヌ神についてご紹介しました。
世界維持神・ヴィシュヌ

ヴィシュヌ神は、古代インドの聖典リグ・ヴェーダではインドラの協力者として登場する程度の存在でしたが、ヒンドゥー教の成立・発展の過程で各地の神々を化身として取り込み、主神の一つとなりました。ヴィシュヌ神の化身の数はヴィシュヌ派内でもいくつか考え方がありますが、もっとも一般的な主流の考えでは全部で10の化身が存在するとされています。

 

■ヴィシュヌの10の化身

1.マツヤ(魚)
2.クールマ(亀)
3.ヴァラーハ(猪)
4.ナラシンハ(人獅子)
5.ヴァーマナ(矮人)
6.パラシュラーマ
7.クリシュナ
8.ラーマ
9.ブッダ
10.カルキ

 

今回より、10の化身とそれにまつわる物語を何回かに分けてご紹介していきます。また、ヒンドゥー教の神話に登場する様々な用語や登場人物についても解説していきます。

 

1)マツヤ(魚)

大洪水を予言した魚の姿。次のような神話が伝えられています。

 


聖仙サティヤヴラタが河で祭祀を行っていると、一匹の魚が手のひらに飛び乗った。サティヤヴラタが魚を河へ戻そうとすると、魚は他の大きな魚に食べられないように保護してほしいと言う。サティヤヴラタは魚を連れて帰り壺に入れて飼い始めたものの、日ごとにどんどん大きくなる魚をとうとう飼いきれなくなり、海へと戻そうとする。

 

魚は「7日後に大洪水が来る。私が船を用意するから、すべての生物と植物の種、7人の聖仙を集めて待て」と告げてサティヤヴラタと別れるが、7日後にサティヤヴラタが指示通りに生物を集めて待つと予言通りに大洪水がやってきた。金色の巨大な体で現れた魚はサティヤヴラタ達を乗せた船に大蛇・ヴァースキを結び付け、ヒマラヤまで船を引っ張り助けた。

 


魚(マツヤ)の化身像
魚(マツヤ)の化身像(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
魚(マツヤ)の化身
魚(マツヤ)の化身 (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

巨大な魚として登場するヴィシュヌは、ノアの箱舟に通ずるようなこの大洪水神話において、聖仙を救う存在として描かれます。ここで登場するヴァースキは蛇王(ナーガ・ラージャ)のひとつ。神話上ではヴィシュヌの乗るガルーダの母親の姉妹・カドゥルーが1000のナーガ(竜/蛇)を生み、ヴァースキはそのうちの一つ、ガルーダとは従兄弟に当たる存在です。蛇王ヴァースキは次に紹介するクールマの神話にも登場します。

 

また、聖仙はサンスクリット語では「リシ」と呼ばれ、厳しい修行によって時に神々をも凌駕するほどの力を持つ仙人を指します。神々の世界と人間の世界の中間の存在として、ヒンドゥー教の神話では重要な役割を与えられています。

ヴィシュヌによって全人類を滅ぼした大洪水から助けられた聖仙サティヤヴラタは、洪水後に人類の始祖となり、「マヌ」という称号を与えられたとされます。

 

ノアの箱舟で知られるように、大洪水神話はメソポタミア・ギリシア世界を始め、アジア沿海部や太平洋沿岸の南北アメリカ大陸にも類例のある神話です。メソポタミアをその起源とする説もありますが、これはメソポタミアでの神話は文字史料として残されている物語が多いために研究が進んでいるだけだという指摘もあります。実際の起源がどこにあるのかに関しては史料に乏しく、憶測の域を出ません。

 

アララト山
トルコ東端に位置するアララト山。ノアの箱舟が漂着した地とされています。

 

紀元前1500年頃に中央アジアからインドへ移住したアーリア人ですが、その際に集団の一部はメソポタミアへ向かっています。世界各地に点在する洪水神話の中でもメソポタミアとインドのストーリーは共通性が高いことが指摘されており、中央アジアを故地とする両者はある時期まで共通した神話のストーリーを持っていたと考えられます。

 

Text by Okada

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ヒンドゥー教の神々 世界維持神・ヴィシュヌ

ナマステ、西遊インディアです。

インドでは全人口の約80%がヒンドゥー教を信仰しています。ヒンドゥー教はインド国民の暮らし、社会に強烈に根付いており、ヒンドゥー教への知識と理解はインド渡航前にある程度頭に入れておいた方がよい項目の一つです。
今回はそのヒンドゥー教において、シヴァ、ブラフマーと並びヒンドゥー教の三位一体(トリムルティ)の一端を担うヴィシュヌ神についてお話いたします。シヴァ派に次ぐ巨大な信仰勢力となっており、インドを代表する神の一つです。世界の維持神として知られます。

 

ヴィシュヌ・ファミリー
ヴィシュヌ・ファミリー(左下からガルーダ、ヴィシュヌ、臍から生えた蓮に座るブラフマー、ラクシュミー)とナーラダ聖仙(右) (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ヴィシュヌの原型はリグ・ヴェーダの段階で見られ、既にこの時に独立したヴィシュヌを讃える独立した賛歌が5つ編まれています。しかし立ち位置としては雷神インドラの協力者に過ぎない存在でした。

 

しかし、ヒンドゥー教の成立と発展の過程でヴィシュヌはシヴァと同様に各地の土着信仰を取り込んで勢力を拡大していきます。ヴィシュヌ信仰の最大の特徴は化身思想で、各地の神々の神話に対し、それは実はヴィシュヌの化身であった、とすることで各地の神々の物語を取り込んでいきました。この化身を指すサンスクリット語が「アヴァターラ」です。現代インターネット上での自分の分身となるキャラクターを意味する「アバター」の由来となっています。

 

 

■ヴィシュヌの姿・持ち物と家族

ヴィシュヌは4つの手にそれぞれ円盤状の武器チャクラ、力と権力の象徴としての棍棒、笛として使われるほら貝・シャンカ、ヒンドゥー教のシンボルでもある蓮華を持ちます。シャンカはほら貝製の笛で、角笛のように戦争の合図などで使われたものですが、同時に水や女性を象徴するとされ、ヴィシュヌのシンボルの一つとなっています。彫刻や彫金で装飾された美しいシャンカは、シヴァが持つ両面太鼓・ダマルとともに土産物屋でもよく見ることのできる楽器の一つです。

 

(動画:ガンジス川のアールティでシャンカを吹く僧)

 

絵画や彫刻では、9つの頭を持つ蛇・竜王アナンダに寝そべるシーンがよく描かれます。ヴィシュヌの臍からは蓮が伸びており、その花の先からブラフマーが生まれている場面です。ヒンドゥー教のトリムルティの考え方では世界の創造者はブラフマーですが、ヴィシュヌ派の神話ではブラフマーはヴィシュヌから生まれたものであり、ヴィシュヌがより偉大な存在であるとされています。逆にブラフマー派の神話では同様の場面でブラフマーの臍からヴィシュヌが生まれたとするものもあります。

 

アナンダに横たわり原初の海を漂うヴィシュヌ
アナンダに横たわり原初の海を漂うヴィシュヌ。臍から伸びた蓮からはブラフマーが生まれている。(エローラ石窟寺院)

 

妻のラクシュミーは富と幸運の女神であり、日本では吉祥天として日本仏教に取り入れられています。10月末から11月初めに行われるヒンドゥー教の祭典・ディワリはもともとはランカ島から凱旋するラーマ王子を祝う祭りに由来しますが、現代ではラクシュミーを祀る新年の祭りとして、北インドを中心に盛大に祝われています。モチーフとしてはサラスヴァティー、ガネーシャと共に描かれる「ディワリ・ラクシュミー」、2頭の像に水をかけられている「ガジャ・ラクシュミー」という吉祥図が良く見られます。

 

ガジャ・ラクシュミー像(エローラ)
ガジャ・ラクシュミー像(エローラ石窟寺院)。中心のラクシュミーを挟んで両側から象が水をかけている。

 

ヴィシュヌが乗る神鳥ガルーダは、インド国内のみならずインドネシアやミャンマー、タイなどでも信仰され、日本仏教でも迦楼羅天として八部衆の一つとして登場します。ガルーダは母にかけられた呪いを解くために神々の天界へ攻め入って不死の薬・アムリタを手に入れ、風神ヴァーユや神々の王インドラを退け、ヴィシュヌと共に帰還して母の呪いを解く物語で知られています。猛禽、又は人間の体に猛禽の頭と羽をもつ姿をとり、ヴィシュヌの下方、またはヴィシュヌを乗せて飛ぶ姿で描かれます。インドネシアやタイでは国章に用いられており、非常に人気のある神の一つです。

 

ヴィシュヌ(上)を載せて飛ぶガルーダ(下)。(エローラ)
ヴィシュヌ(上)を載せて飛ぶガルーダ(下)。右側に翼の意匠が見える(エローラ)

 

先にも述べました通り、ヴィシュヌ信仰の最大の特徴は化身思想です。ヴィシュヌは世の中の正義が衰え、不正義がはびこる時、様々な化身の形で世の中に現れて正義を回復します。ヴィシュヌ神の10の化身については、また別の記事にて紹介します。

 

Text by Okada

カテゴリ:■その他 , インドの宗教 , インド神話
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