オリッサの山岳民族① ボンダ族

列になって歩くボンダ族の人々

インド東部に位置するオリッサ州。オリッサ州の西部に広がるバスタール地方には、ドラヴィダ系の少数民族の方々が昔ながらの暮らしを続けています。このようなドラヴィダ系の人々は、古代からインド全体に住んでいたと考えられていて、紀元前1500年ごろ、イラン方面からアーリア系の人々がやってきた際に、ドラヴィダ系の人々の多くはインドの南西部に移動したという経緯があります。

 

さて、オリッサの少数民族には62の部族コミュニティがあるとされていますが、インドに暮らす少数民族の中でも、色濃くその伝統を残し、外界の影響を受けずに暮らしているのがボンダ族の人々。
人口は12000人ほど(2011年の調査。乳児死亡率が高いことなど様々な要因により、現在は減少傾向にあるとみられています。)。
ボンダ族はインド政府の保護のもと、ボンダ・ヒルと呼ばれる丘に外部との接触をもたずに暮らしています。

 

特にボンダ族の男性は外部の人間に対して警戒心が強く、彼らの居住地へ入ることは簡単ではありません。彼らの暮らす土地が山にあること、そして外部の文化を受け付けず、伝統に執着するからこそ、急激に「インド化」するインド大陸において、もっとも古く、原始的な暮らしを守り続けている民族といわれています。

 

定期市に向かうボンダ族の人々

そんなボンダ族と出会うことができるのが市場。村の定期市を訪ねると、ボンダヒルの村からやってくるボンダ族と出会うことができます。
初めてこの市場へ向かって歩くボンダ族の人々を見たとき、「ここは本当にインド?」とさえ感じます。アフリカの未知の部族と出会ったような印象です。
その衣装、そしてほっそりしたスタイルも「インド」というイメージとは異なるのです。

 

市場へ向かうボンダの女性たち。壷やバスケットの中に農作物が入っていました。自分達の土地でとれる小さなじゃがいもなど、市場で他の民族とモノの交換をしたりしています。インドでも少なくなった「物々交換」の経済が残っています。

ボンダ族の伝説と暮らし

ボンダ族の服装は、インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」に由来していると言う伝説があります。昔、ラーマーヤナのヒロインであるシータが裸になって水浴びをしていると、ボンダ族の女性たちがくすくす笑いました。怒ったシータはボンダ族の女性たちも裸にし、さらに頭をスポーツ刈りにしてしまいました。許しを請うたボンダ族に対して、シータは彼女たちが着ていたサリーの一部を腰に巻くことを許しました。
この話は、ヒンドゥー教の人々が後から作ったものなのでは…とも思いますが、太いシルバーの首飾りや、ビーズの装飾は、森での暮らしや狩りの際、身を守るためだという説が有力です。

 

 

女性の服装は、短い布を腰に巻き、上半身は裸で、胸の前にたくさんのビーズのネックレスをたらしています。頭はスポーツ刈りで、そのまわりにもビーズを巻きつけ、真鍮のピンで留めています。

 

首には何十もの銀の輪、胸には子安貝やビーズ製のネックレスを幾重にもたらし、その下には何も身につけず、下半身は20cmほどの布を巻くのみです。裸の胸は見事な装飾品で覆いつくされています。そして腰には短い丈の織りの布を巻くだけ。
この絶妙な美のバランスに驚かされます。

 

アンカデリの木曜市では、女性は農作物を、男性は自分たちで作ったお酒を売りにやってきます。この市場ではボンダ族の男性の写真撮影は厳禁です。

 

 

ちなみに、ボンダ族の男女関係も独特です。ボンダ族の女性は、自分より年下の男性と結婚します。男性が一人前になるまでは女性が世話をし、年老いたあとは男性が女性の面倒をみます。

 

そしてボンダ族の男性はお酒が大好き。
オリッサの少数民族の市場には手作りのお酒の販売コーナーがあり、素焼きの壷に入ったお酒を葉っぱで作ったコップでたしなむ姿が見られます。椰子や米からお酒を作り、市場で売るのですが、道中自分で全部飲んでしまい、市場に着くころにはべろべろに酔っぱらってしまう人も。午後にもなると男女ともにご機嫌な人たちでいっぱいになります。「酔っ払い」はやはり万国共通ですね。

 

 

※この記事は2011年11月、2016年08月のものを修正・加筆して再アップしたものです。