チャンディーガル建築さんぽ 
【番外編】ピエール・ジャンヌレ

チャンディーガル建築博物館に展示されているジャンヌレの椅子

ナマステ!西遊インディアです。

今回は、チャンディーガル建築さんぽの番外編。ル・コルビュジエとともにチャンディーガル都市計画を成功させた立役者の一人である、建築家ピエール・ジャンヌレについての記事です。
 
近年、日本のインテリア業界でも「プロジェクト・チャンディーガル」の家具シリーズが人気を博し、注目を集めるピエール・ジャンヌレ。
都市計画の際につくられた家具が展示されている建築博物館と、実際にジャンヌレが暮らした邸宅を改装したジャンヌレ博物館もあわせてご紹介します。
 
■もくじ
1. コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ
2. チャンディーガル建築博物館
3. ピエール・ジャンヌレ博物館

1.コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ

ピエール・ジャンヌレCasa le roche, CC BY-SA 3.0,Wikimedia Commons

1896年、スイスのジュネーヴに生まれたピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret(1896年3月22日-1967年12月4日)。ル・コルビュジエの従兄弟にあたります。
ジュネーヴの美術学校で建築を学んだのち、パリに移住し、1922年にエドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とアトリエ事務所を設立。コルビュジエの重要なパートナーとして、建築実務を担当しました。
その信頼関係の強さは、コルビュジエがチャンディーガルの都市計画を引き受ける際に、ジャンヌレを現地監督とすることを条件にするほど。それほどジャンヌレはコルビュジエにとって重要な存在でした。
ちなみにチャンディーガルの都市の中でジャンヌレが製作した代表的な建造物は、パンジャブ大学のガンディー・バワン、セクター17のバスターミナル、マウントビューホテルなどがあります。
スクナ湖でボートに乗るコルビュジエとジャンヌレ AmitojSingh1, CC BY-SA 4.0, Wikimedia commons

ジャンヌレと家具
ジャンヌレは建築だけでなく、家具の設計も行いました。コルビュジエと共同することもあれば、独立して制作したものもあります。
なかでも、ここ10年ほどで脚光を浴びているのが、ジャンヌレがチャンディーガル都市計画のプロジェクトと一緒にデザインした、椅子をはじめとした家具。
大学や裁判所など、都市計画で造られた建物に設置するために製作されたのもで、現在も裁判所内にはジャンヌレのデザインした椅子が置かれています。
建築博物館に展示されるジャンヌレの椅子

当時は、まだ工業化が進んでいなかったインド。数千脚以上も製作する必要があったため、チャンディーガルを含め、各地で現地製作チームの職人たちがジャンヌレ(ジャンヌレがリーダーを務めた製作チーム)の作成した図面から、手作業で家具を作ることになりました。
 
現地のさまざまな工房の職人が製作できるよう、図面と大まかなアドバイスだけで実現可能なデザインを考案。留め具を使わないシンプルな技術が用いられ、素材には、昔からよく流通していて入手が簡単だったチーク、サトウキビなど地元の素材が利用されました。
チャンディーガル建築博物館に展示されている、ジャンヌレデザインのデスクと椅子

これらの家具は販売用ではなく、プロジェクトで建造する官公庁などに置くためのものだったこともあり、必ずしも図面通りである必要はなく、それぞれ現場の状況判断でアレンジしても構わなかったそうです。そのため同じ図面を元にしていても、様々なバリエーションが存在します。
こうした経緯で、元来あるインドの伝統的な手工芸とジャンヌレのデザインが掛け合わされたことによって、現代においても愛されるモダンな作品が生まれました。
 
しかし、1990年代には、老朽化のためスクラップとして投げ売りされたり、廃棄されていたこともありました。現在では信じられないような状況です。
そこに目をつけたのがパリのギャラリー。収集を始め、展示会等を開いたことにより影響力のあるクリエイターの目にとまり、世界中から注目を集めることになりました。
2015年にはインドの工房が復刻版製作プロジェクトをはじめ、その優れたデザイン性が広く知られることに。今ではオークションで高値で取引されたり、日本でもジャンヌレの家具を集めた展覧会が開かれるほどの人気があります。
チャンディーガル・プロジェクトのメンバー写真(中央がコルビュジエ、左隣のその隣、白いスーツがジャンヌレ/チャンディーガル建築博物館)

2.建築博物館 Chandigarh Architecture Museum

実際にジャンヌレの家具が見られる場所を訪れてみました。
まずは、チャンディーガル都市計画の軌跡を中心に展示する建築博物館。
博物館や美術館があつまるセクター10の、政府博物館・美術館(The Government Museum & Art Gallery)と同じ敷地内にあります。

チャンディーガル建築博物館の入口

入館料10ルピー、カメラ持ち込み代は10ルピー。
キャピトルコンプレックスの立法議会棟などと同様、貴重品以外のバッグは入口の棚に預けます。

中には、チャンディーガル都市計画の設計図や模型、当時の写真に加え、ジャンヌレの椅子の様々なバリエーションも展示されていました。

座り心地を体感してみたい気もしますが、貴重な展示物なので座るのは禁止です。

3.ピエール・ジャンヌレ博物館 Pierre Jeanneret Museum

次に、ピエール・ジャンヌレの暮らした邸宅をミュージアムとして開放しているピエール・ジャンヌレ博物館(Maison Jeanneret)。
こちらはキャピトルコンプレックス近くのセクター5、都市計画でつくられた人工湖のスクナ湖のそばの住宅地にあります。

メゾン・ジャンヌレ(ピエール・ジャンヌレ博物館)

入館料20ルピー、カメラ持ち込み代は30ルピー。
建物に入る前にレセプションで手続きをして、中を見学します。

内部には写真や手紙の展示、そしてめったに見ることのできないジャンヌレ私物の木製家具などを通して、ジャンヌレがインドで過ごした時間と創作のプロセスを垣間見ることができます。

椅子のミニチュア展示も

3階建てのうち、2階までは博物館、3階は宿泊施設として改装され、なんと予約をすれば実際に宿泊することもできます。


インドを去る1965年まで、ジャンヌレは実際にこの邸宅で暮らしていました。

裏庭から見た建物。目のような形をした窓は外からみるとこんな感じです

ジャンヌレは都市計画が始まってからチャンディーガルに移り住み、コルビュジエがプロジェクトを去った後も、この地に留まり約14年間暮らしました。そこでチャンディーガルのチーフ・アーキテクトとして、またインドの近代建築の発展に寄与したのち、1965年に病気のためインドを離れ、1967年に死去。
ジャンヌレの遺言により、遺灰は遺族によってスクナ湖に散骨されたそうです。
 
天才でありながらもコルビュジエの影に徹したジャンヌレですが、今なおその功績を称えて保存される建築物や彼の軌跡から、チャンディーガルに対する思い入れと繋がりの深さが伝わってきます。
市民の憩いの場になっているのどかなスクナ湖

 
※入館料などの情報は2024年2月訪問時のものです。ご訪問の際は最新情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、建築博物館及びジャンヌレ博物館展示物
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
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チャンディーガル建築さんぽ② 世界遺産キャピトル・コンプレックス(後編)

影の塔と奥に見える立法議会棟

ナマステ!西遊インディアです。
今回はチャンディーガル建築さんぽその2。コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる、世界遺産「キャピトルコン・プレックス」紹介の後編です。街の歴史、高等裁判所、オープンハンド・モニュメントにつづき、キャピトル・コンプレックスと、市街地で見られるゆかりの建築物をご紹介します。

 
■もくじ
1. キャピトル・コンプレックス(後編)
– 影の塔
– 行政庁舎
– 立法議会棟
2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

1. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex (後編)

影の塔 La Tour des Ombres
高等裁判所の対面に位置する「影の塔」。ル・コルビュジエは、太陽の動きが人間の生活に及ぼす影響を重要視していました。それが顕著に見てとれるのが「影の塔」で、太陽の動きと、太陽の光がどのように影を落とすかを入念に研究した上で設計されています。

影の塔 La Tour des Ombres

「影の塔」には壁がなく、コンクリートのパネルを組んだ風通しの良いつくり。太陽光の入らない北側は開放されていて、他の3面はブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)で覆われています。驚くのは、これだけ隙間があるのに、構造物の中は太陽光が遮られて暑さが和らぐこと。影の塔は、一年、一日を通して、すべての角度から太陽光を遮れるよう考えられたブリーズ・ソレイユの実験的な建築物でした。コルビュジエの没後に完成したものですが、建築デザインによって太陽光を制御するコルビュジエの理論が詰め込まれたモニュメントです。
影の塔 内観

 
ちなみに、前回の記事でご紹介した高等裁判所から影の塔へ向かう途中にも、2つのモニュメントがあります。
ひとつは、陰の塔の近くにある「幾何学の丘」(The Geometric Hill)。建設廃材で作ったという小さな丘の上部は芝生で覆われていて、基部の斜面には24時間の太陽の動きを描いた抽象的なレリーフがあります。人間の活動を支配する、と考えられた光と闇のバランスを図に模したもので、Path of the Sun(太陽の道)ともよばれます。アート作品のひとつとして、また大通りから議事堂を遮る視覚的な障壁としての役割もあるそうです。

幾何学の丘 The Geometric Hill

もうひとつは、殉教者記念碑(Martyr’s Memorial)
国会議事堂のすぐ右手にあるモニュメントで、この記念碑は、インドの自由闘争に命を捧げたすべての人々を称えたもの。傾斜したコンクリートの壁と、分割統治中に命を落とした人々の犠牲と殉教を描いた彫刻群によって形成されています。記念碑は正方形の囲いから構成され、スロープを登ると囲いの中には、横たわる男性、蛇、ライオンの像があります。スロープの壁とコンクリートの囲いには、インドの宇宙観のシンボルである車輪「ダラムチャクラ」と、幸福・吉祥の印としてよく使われる卐「スワスティカ」(太陽の動きと人間の一生、そしてそれらが人間に与える影響を表しているとも)が描かれています。

殉教者記念碑

行政庁舎 Secretariat
1953~1959年にかけて建設された行政庁舎。事務局棟の役割をもち、市内にある他のモニュメントの中で最も高く、大きい建造物です。8階建てのコンクリート・スラブ(コンクリート製の板)でできており、中央にある彫刻が施された2階建ての柱廊(吹き抜けの廊下)が特徴的。閣僚の執務室があるのもこの建物です。日によっては、内部と屋上庭園を見学できることもあり、屋上からはセクター1の景色を望むことができます。

行政庁舎

 
立法議会棟 Vidhan Sabha
ミニ見学ツアーでは最後の見学場所にあたる立法議会議事堂。南東端、高等裁判所に面して建ち、まずはじめに目がいくのは、なんといっても屋根から突き出るような円柱型のクーポラ(ドーム状の円屋根)でしょう。
その左にはハリヤナ立法府を収容するピラミッド型の塔、そして牛の角を模したというユニークな雨樋、それを支える柱廊は、たとえ建築の知識がなくても印象に残るユニークな形状です。
立法議会棟 正面外観

柱廊の壁面にあるドアには、コルビュジエ自身が描いたキュビズムの壁画があります。コルビュジエはネルー首相に、新しいインドと近代的なビジョンを表現するためにどんなシンボルを描くか相談しましたが、ネルー首相はコルビュジエに自ら考案するよう託したそうです。

コルビュジエがデザインした扉

鮮やかに彩られた扉は上下半分ずつ分かれており、上半分には、人間と宇宙との関係(夏至、月食、春分など)が描かれ、下半分には動物や自然の姿が描かれています。砂漠は、地球本来の秩序を、緑はエデンの園を表しているのだそう。川、木、雄牛、亀、蛇なども描かれ、扉の中央にある「知恵の樹」には果実が実っています。
コルビュジエのサイン

コンクリートを20世紀の溶けた岩(溶岩)と表現したコルビュジエ。コンクリートの柱の側面には、コルビュジエの理論を象徴する「モデュロール・マン」(人体の寸法に黄金比やフィボナッチ数列を当てはめたル・コルビュジエ独自の尺度)も。コルビュジエがスケッチした図案を木片に彫刻し、型枠にコンクリートを流し込んだもの。
「モデュロール・マン」のレリーフ

柱廊にも様々な建築技巧があり、見ていて楽しいです

立法議会棟の左側から回り込み、内部の見学へ。左側面の角度から建物を見ると、雨樋がくるんと反り返ったような牛の角を模しているのがわかります。
左側から見た立法議会棟

サイドの採光も工夫がなされています

建物内部の見学は、カメラやスマホ、バッグなどの持ち込みは禁止されているため、お財布やパスポート以外はすべて受付に預けていきます。
写真でお伝えできないのが残念ですが、内部は、無機質な外観からは想像できない自由なつくりで、コルビュジエらしいスロープと柱で構成された抜けのある造り。それぞれの部屋が集まった一つの村のようにも思え、建物の固定観念を覆されるような空間です。
なかでも特筆すべきなのは議場。ホールに円形のフォルムが採用されており、厚さ15cmの双曲面シェルでつくられています。ドームのような天井にあしらわれた雲をイメージしたモニュメントはコットンとメタルで作られており、パンジャーブでとれた素材を使っているそうです。
 
▼内観(下記、チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

▼議場の内観

立法議会棟を見学したら、ミニツアーは終了。所要時間は1時間半ほどでした。

2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

街全体がデザインされているため、セクター1だけでなく街なかのお散歩中にも、コルビュジエやチャンディーガル都市計画ゆかりの場所に出会えます。
 
■都市計画でつくられた人工湖「スクナ湖」
ル・コルビジェの従兄弟であり、右腕でもあったピエール・ジャンヌレ。都市の建設から成長を見守り続け、チャンディーガルの街を愛したジャンヌレ本人の遺言により、彼の遺灰はこのスクナ湖に散骨されました。

スクナ湖。市民の憩いの場

■セクター17

セクター17の広場

ショッピングモールや映画館のあるセクター17の広場。コルビュジエが行ったのはレイアウトのみとされていますが、広場の中心には噴水のモニュメントがあり、チャンディーガルの都市プロジェクトに深く関わった建築家の一人であるM.N.シャルマによって設計されたものです。
「新たな夜明け」の象徴ともいわれる、雄鶏のモニュメント

 
同じくセクター17にある映画館、ニーラム・シネマ(Neelam Cinema)は、チャンディーガルに最初に建てられた3つの劇場のうちのひとつ。ル・コルビュジエと従兄弟のピエール・ジャンヌレの指導のもと、建築家アディティヤ・プラカシュが設計したものです。
ニーラム・シネマ

▼レトロな劇場の内観(チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

ほかにも、ピエール・ジャンヌレが蓮の形をイメージして建築した講堂「ガンディー・バワン」など、ゆかりの地が各所で見られます。
 
コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」と街の歴史、ゆかりの見どころのご紹介でした。

その3以降では、博物館と建築に焦点をあてて、ル・コルビュジェ・センター、政府博物館・美術館、建築博物館、そして昨今、世界中のオークションで椅子などの家具が取引され人気を博している、ピエール・ジャンヌレのミュージアムについてご紹介します!

 
※ミニツアーの内容は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式Facebook
 
Photo & Text: Kondo

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チャンディーガル建築さんぽ① 世界遺産キャピトル・コンプレックス(前編)

チャンディーガルのシンボル「オープンハンド・モニュメント」

ナマステ!西遊インディアです。
前回、インド版新幹線Vande Bharat Expressの乗車体験レポートをアップしましたが、今回はその際に訪れたチャンディーガルの見どころスポットをご紹介します。
 
モダニズム建築の巨匠とよばれるル・コルビュジエ(Le Corbusier) が唯一、都市計画を実現したチャンディーガル。チャンディーガルの街自体の特徴や歴史をなぞりつつ、実際に訪れた体験を盛り込んで「建築さんぽ」をテーマに、複数回に分けて記事にしてみました。旅のご参考になればうれしいです。
 
さて1回目は、チャンディーガルがどんな場所なのか、そしてチャンディーガルを訪れるなら外せない!コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」の紹介です。
 
■もくじ
1. チャンディーガルってどんな街?
– 州ができた経緯
– 都市計画とル・コルビュジエ&ピエール・ジャンヌレ
– 人体になぞらえた街の構造
 
2. キャピトル・コンプレックス (前編)
– 高等裁判所
– オープンハンド・モニュメント

1. チャンディーガルってどんな街?

首都デリーから北へ約240km、ヒマラヤ山脈の麓に位置するチャンディーガル(Chandigarh)の街。建築や美術、コルビュジエに興味のある方は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。チャンディーガルはパンジャーブ州とハリヤナ州の両方の州都としての機能をもつ、ちょっと特殊な連邦直轄領です。チャンディーガルはなぜ、このような重要なポジションなのでしょうか。それには州として成立した歴史背景が大きく関わっています。


 
 
州ができた経緯
州の成立は第二次世界大戦後の1947年。イギリスによる植民地支配が終わると、英領インド帝国はヒンドゥー教徒が多数を占めるインドと、イスラム教徒が多数を占めるパキスタンに分割されました。
旧パンジャーブ州は新たに引かれた国境によって分けられ、かつて州都だったラホールはパキスタン側に編入されることに。インドにとっては行政の中心地を失うという、大きな損失でした。

英領インド時代のパンジャーブ州の地図(1909年) / Imperial Gazetteer of India, Hunter, William Wilson, Sir, (1840-1900), Cotton, James Sutherland, (1847-1918) ed. Burn, Richard, Sir, (1871-1947) joint ed. Meyer, William Stevenson, Sir, (1860-1922). joint ed. New edition, published under the authority of His Majesty’s secretary of state for India in council. Oxford, Clarendon Press, 1908-1931 [v. 1, 1909]

州政府は、州内にある都市から州都を選定しようとそれぞれ条件を洗い出しましたが、軍事面での脆弱性や飲料水の不足、アクセスの不便さ、インド側にやってくる多くの難民に対処できないことなど、いくつかの懸念があり適切な場所は見つからず。
そうしたなか、州の中心部にある、首都デリーに近い、十分な水の供給が可能、自然排水できる土地の勾配、肥沃な土壌に美しい自然、そして気候が穏やかであることなど、様々な条件に合致する現在のチャンディーガルの地が選ばれました。
ちなみにチャンディーガルの名前の由来は、もともとこの地の寺院に祀られている「チャンディー」という女神。チャンディーガルは「チャンディーの砦」という意味があります。
 
都市計画とル・コルビュジエ&ピエール・ジャンヌレ
初代首相ジャワハルラール・ネルーは、新たに独立したインドを経済的・文化的に印象づけるような一大プロジェクトの立ち上げを決定。ひとつの都市が一から建設されることとなりました。

ル・コルビュジエ(左)とピエール・ジャンヌレ(右) / Le Corbusier und Pierre Jeanneret in Chandigarh, zwischen 1950 und 1957

“伝統にとらわれない、新しい国家の信条のシンボル”として都市を新構築するビッグプロジェクト。この革新的かつ大規模な都市計画の依頼をはじめに受けたのは、アメリカ人建築家のアルバート・メイヤーとポーランド出身の共同設計者マシュー・ノヴィッキでした。しかしマスタープラン(街づくりの基本設計)を作成していた矢先、ノヴィッキが不慮の飛行機事故により他界。メイヤーは活動を中止することに。
その後釜にすわり計画を引き継いだのが、スイス出身のフランス人建築家ル・コルビュジエでした。そして計画の初期段階から参加し重要なパートナーであった、従兄弟のピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)らの建築家とともに、都市計画を進めていきました。

チャンディーガルのマスタープラン(ル・コルビュジエ・センター/チャンディーガル)

 
人体になぞらえた街の構造
コルビュジエが主導して建設を進めたチャンディーガルの街。他の街との明らかな違いは、碁盤の目状につくられた近代的な都市構造です。
まず大きな視点で見てみると、チャンディーガルは街全体を人体になぞらえ、行政庁舎が集まるエリアを「頭」、交通網を「血流」、公園や緑地を「呼吸器」、商業の中心を「心臓」とし、人間の身体が機能するようにそれぞれの施設が配置されています。
 
そして、現代の都市計画において、自動車による移動が要だと考えたコルビュジエは、道路の用途をカテゴリ別に細分した「7V」というルールにもとづき交通網を整備しました。道路で分割された「セクター」とよばれる区画をつくり、その中に徒歩でアクセスできるマーケットやコミュニティ施設を内包させることで、それぞれのセクター内で住む・働く・レジャーといった生活を完結できるようにしました。また、セクターから徒歩10分圏内に学校を配置しています。
このように精巧に計画されたマスタープランは2段階に分けて実現され、人口50万人に対応できる都市が完成しました。巨匠ル・コルビュジエが構想した都市計画のうち、世界で唯一実現できたのがこのチャンディーガルです。
 
■ひとくちめも:7V(V7)とは
コルビュジエが考案した道路システム。道路を7つの異なるカテゴリ(V1:幹線道路、V2:主要な大通り、V3:セクターを囲む車道、V4:セクターの商店街、V5:セクター内を蛇行する経路、V6:生活道、V7:歩道)と、のちに追加されたV8:自転車道に分けて考えられたもの。Vは、フランス語で街路を意味するvoieの頭文字。コルビュジエが携わったボゴタ(コロンビア)の都市計画にも表れているといわれます。

2. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex

チャンディーガルの都市のなかで「頭」にあたる、行政庁舎が集まるキャピトル・コンプレックス。一番北側のセクター1にあります。2016年に、日本の国立西洋美術館を含む17の建築作品とともに世界文化遺産に登録された「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成遺産のひとつです。
 
キャピトル・コンプレックスは今も実際に使用されている行政区域なので、見学するには1日3回行われるミニツアー(10:00、12:00、15:00/英語、ヒンディー語)に参加する必要があります。ツアー開始時刻の前に、セクター1のツーリスト・インフォメーションの建物で受付。料金は無料ですが、パスポートなど顔写真つきの身分証明書を提示して許可をもらいます。

受付のオフィス
さっそく壁にレリーフを見つけました

高等裁判所 High Court
印象的な建物が多いキャピトル・コンプレックスのなかでも一際目をひくのが、カラフルな3本の柱をもつ高等裁判所。このエリアで一番最初に造られた建築物です。


幾何学模様のような窓のつくりに目がいきますが、注目したいのは機能性を重視した構造。ブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)の二重構造の屋根が傘のように建物を覆うことで、インドの強烈な日射しや雨季の大雨、強風にも対応できるよう設計されています。

ちなみに、高等裁判所は北西を向いているので、写真撮影の場合は午後が順光になります。

世界遺産登録される前は、前面に水がはられ水鏡のように反射していました

裁判官の方たち

オープンハンド・モニュメント Open Hand Monument
ル・コルビュジエの数あるオープン・ハンドの中で最も大きな作品。平和の象徴であるハトの姿にも見えます。金属部分の高さは14m、重さ約50tの鉄でできていますが、風がふくと向きが回転します。

オープンハンド・モニュメント
モニュメントの下は広場になっていて、演説などの際にコンクリートに反響して声がよく響くようになっています。

この開かれた手のモニュメントは「Open to give – Open to receive」という意味で、平和や和解、人々の団結を表し、新しいインドの信条に重なります。オープンハンドはチャンディーガルのシンボルとして、街なかの色々な場所でアイコンとして使用されているのを見かけます。
ちなみに、このモニュメントは資金不足のためコルビュジエの存命中には建てられず、亡くなった20年後にフランスの援助によってつくられたのだそうです。

オープンハンドの設計図(建築博物館/チャンディーガル)

街路樹が並び、歩道や自転車道が敷かれ、他の都市よりもお散歩しやすいチャンディーガル。
後編では、影の塔、行政庁舎、立法議会棟などをご紹介します。
 
※ミニツアー実施時間は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。

 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、「ル・コルビュジエによる「セクター」理論 ―「輝く都市」における都市理念の継承― 」(大野隆司/日本建築学会計画系論文集 第88巻 第808号, 2009-2017,2023年6月)
 
Photo & Text: Kondo

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インドの新幹線 Vande Bharat Expressに乗ってみた!

Photo by Harshul12345 – Vande Bharat Express on track around Mumbai.(2023) / CC BY 4.0

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、インド版新幹線「Vande Bharat Express」(ヴァンディ・バーラト・エクスプレス)の乗車体験を記事にまとめてみました。

インドの新幹線 Vande Bharat Express

インド国鉄が運営する高速鉄道。モディ首相が就任した2014年から掲げる製造業振興の取り組み「Make in India」の一環として、2019年2月15日に、デリー~バラナシの区間で運転開始されました。

運用路線は2024年2月現在で41路線。今後も30路線近くの新設が計画されており、とくに、ムンバイとアーメダバードを結ぶ総延長508kmの路線は、日本の新幹線方式と同じ専用線方式(在来旅客鉄道と軌道を完全に分離するもの)で建設中です(2024年2月現在)。

海外で日本の新幹線方式が採用されるのは、2007年に開業した台湾(台灣高鐵)につづき、インドが2か国目。
デリーを走るメトロの建設にも、計画段階から日本が資金・技術面で支援しており、インドのインフラ整備には日本が大きく関わっています。

なかでもVande Bharat Expressはハード面だけでなく、サービス面でも日本の新幹線方式を取り入れているとのこと。「7分間の奇跡」として知られる日本の新幹線の清掃体制に着想を得た「14分間の奇跡」という取り組みで、ターミナル駅でスタッフが連携し、スピーディーかつ効率よく車内清掃を行っているそうです。

チャンディーガル~デリー区間に乗ってみました

今回乗車したチャンディーガル~デリーの区間は、4番目に運行開始されたNo. 22447 / 22448 New Delhi – Amb Andaura(ヒマーチャルプラデシュ)路線の一部。約270kmの距離を3時間ほどで走ります。休暇でチャンディーガル観光に行ってきたので、デリーへ戻る交通手段としてVande Bharat Expressを利用してみました。
※ちなみにインドでは、カメラによる駅や空港の撮影は防衛上の理由で原則禁止されています。インド鉄道省の規定(鉄道省Webサイト)では、旅行者が思い出にスマホで撮る程度であれば本来許可をとる必要はないとしていますが、現場の係員には問答無用で注意されたりトラブルになる可能性もあります。そのため、世界遺産など観光地化された鉄道以外の撮影は控えた方が無難です。文中の写真も係員さんに許可をもらい、一般の観光客として見られる場所だけをスマホで撮ったものです。
 
1.チケット
チケットは事前にインド国鉄(IRCTC)のWebサイトで予約購入します。
日時、区間、座席クラス、食事などのオプションを選択し、決済するとEチケットがメールで届くので、乗車当日はそれをプリントアウトするかスマホにPDFを保存して持参します。
座席は椅子席タイプのEC、CCの2種類。今回はせっかくなので、ちょっと良い席のECクラスに乗車してみました。ECクラスは、日本でいうところのグリーン車といった感じでしょうか。座席の写真は、後述の車内設備の部分に載せていますのでそちらをご覧ください。
 
2.乗車
現在、チャンディーガルの鉄道駅は再開発中。大きな駅でなくても、焦らず自分の列車がくるプラットホームがどこなのか確認できるよう、余裕をもって出発時刻の30分前には到着しておくと安心です。

チャンディーガル鉄道駅の西側入口

入ってすぐ左手に電光掲示板とエスカレーターがあります。電光掲示板に、列車番号、列車が駅に到着する見込み時刻、プラットホーム番号が表示されるので、確認してエスカレーターで上の階へ。プラットホームへの連絡橋に出るので、そこから自分の列車が来るホームへと降ります。
今回は、エスカレーターを上がってすぐ右のプラットホームNo.1。階段を降りてホームに行きます。構内ではホーム番号のアナウンスも流れていますが、基本はヒンディー語なので、聞き取りはなかなか難易度が高め…!なので、エスカレーターを上がる前に電光掲示板をチェックしていくのが確実です。
 
プラットホームの上部に設置されている小さな電光掲示板に、列車番号とコーチ番号が表示されるので、自分のコーチ番号の場所で列車を待ちます。今回は中央がCCクラス、階段を降りて右奥がECクラスのE1、E2コーチでした。
駅のホーム。天井についている赤い電光掲示板にコーチ番号が表示されます

チャンディーガル駅

今回の路線は、チャンディーガル駅 15:32発 – ニューデリー駅 18:25着。列車は15:30頃に到着しました。インドの鉄道は大幅に遅れることもあるなかで、ほぼ定刻どおりの到着にちょっぴり感動です!

到着したVande Bharat。かっこいいです!色合いもどこか日本の新幹線を思い出します

乗降口は各コーチの前後に一つずつ。席番号は車内の窓の上に書いてあります。頭上の荷物棚はあっという間に埋まるので、置きたい場合は頑張って早く乗りましょう!棚に置けなくてもECクラスは足元のスペースが広いので、機内持ち込みサイズのスーツケースくらいは問題なく置くことができます。

列車番号、コーチ番号、出発駅~行先が表示されます

窓の上にあるシート番号の表示
お水とフットレストもあります!

3.車内
ECクラスの座席配置は2席-2席、シートはベロアのような手触りのいい素材で、リクライニングできます。足元のスペースはゆったりしていて、通路も十分な幅があります。
CCクラスは3席-2席。進行方向に対して前向きと後ろ向きの席があり、足元と通路のスペースはECよりも少し狭め。シートの材質も違います。
ですが、両クラスともに空調完備・車内スタッフも配備されているので、荷物が多くなければ、CCクラスでも問題なく快適に過ごせそうです。

ECクラス

CCクラス

列車は駅に5~10分ほど停車した後、15:40頃に出発。
出発してから15分くらいすると、車両スタッフさんが席を巡回してチケットの確認にきます。名前を聞かれるだけの場合もありますが、念のためチケットをすぐに見せられるよう準備しておくと安心です。
 
その後しばらくすると車内食が配られました。食事は、チケットを予約する時にオプションで選択できます。メニューは時間帯や路線によって異なるようですが、今回はベジのメニューのみだったので、そちらを予約してみました。事前に予約をしていなくても、追加料金を払えば車内で購入できるようです。
ジュース、カチョリ、ナッツとスナック、チーズのサンドイッチ、お手拭きとサニタイザーも

チャイ用のお湯とカップは後から持ってきてくれます
プレートに敷かれた紙もVande Bharat仕様

トイレは各コーチとの連結部にあります。和式のようにしゃがむインド式と洋式があり、洋式には備え付けのトイレットペーパーがありました。
16:15頃、アンバラ・カント駅に停車。この路線では、終点のニューデリーまでに停車するのはこの1駅のみです。到着する少し前に、英語とヒンディー語でアナウンスが入ります。

洋式トイレ
アンバラ・カント駅

しばらく停車した後、駅を出発。この後はノンストップでひたすらデリーへと走ります。はじめは幹線道路沿いを走り、しばらくすると景色は郊外の住宅地に変わります。じょじょに田園地帯や、小さな寺院、ローカルなマーケットなどに移り代わり、車窓には素朴なインドの風景が映ります。

車内の温度は、空調が効きすぎて寒いということもなく快適でした。でも少し冷える感じはするので、カーディガンやパーカーなど羽織れるものを持参するのがおすすめです。
走行中の揺れは少なく、走行音も日本の新幹線とそこまで大きく変わらない印象です(楽しそうな家族のおしゃべり声が絶えないのは、日本と違ってインドらしいところです)。
 
4.終点のニューデリー駅に到着
列車は18:40頃、終点のニューデリー駅に到着。18:25着予定から約15分遅れですが、ほぼ定刻通りの到着です!乗車した2月の日没は18:30前だったので、到着する頃にはすっかり夜に。デリーに到着後、列車は折り返しで別の行先に変わりました。すぐに次の乗客が乗車してくるので、忘れ物のないよう速やかに列車を降ります。

ニューデリー駅

今回はじめてVande Bharatを利用してみて、その快適さとスケジュールの正確さには驚きでした!

日数が限られた旅行のなかで、比較的確実性が高い移動手段として、選択肢のひとつになると思います。
 
昔ながらの長距離寝台列車で移動する旅は情緒があって良いですが、発展いちじるしいインドの「今」を感じられるひとつの体験として、Vande Bharatを利用してみるのもおもしろいかもしれません。
 
Photo & Text: Kondo

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インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

ナマステ!西遊インディアです。

 

全5回に渡ってお送りする、「インドの階段井戸特集」、最後となる5回目は、デリー市内で見ることのできる階段井戸、そして番外編として日本の「まいまいず井戸」をご紹介します。

 

インドの階段井戸①階段井戸とは?
インドの階段井戸②世界遺産 ラニ・キ・ヴァヴ – 女王の階段井戸
インドの階段井戸③「最も美しい階段井戸」アダラジ・ヴァヴ
インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ
インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

 

 

デリーの階段井戸①アグラーセン・キ・バオリ

ニューデリーのコンノート・プレイス、ジャンタル・マンタルに近いハイリー・ロードにあるアグラーセン・キ・バオリ。長さ60m, 幅15m、108段の階段を持つ大規模な階段井戸です。マハーバーラタに登場する伝説上の王:アグラーセンからその名がついていますが、実際には14世紀のデリー・スルタン朝のトゥラグ時代に再建されたものです。

 

アグラーセン・キ・バオリ全景
アグラーセン・キ・バオリ全景
アグラーセン・キ・バオリ奥部の造形
アグラーセン・キ・バオリ奥部の造形

 

こちらの井戸も、インドの人気俳優であるアミール・カーン主演の大ヒット作『PK』や、サルマン・カーン主演の『サルタン』など映画のロケ地として話題になっており、インドの若者が記念撮影をするスポットになっています。アミール・カーンは『きっと、うまくいく』(2009)、サルマン・カーンは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(2019)など、日本でも話題となったインド映画の主演俳優。

 

地下から地上へ。多くのインド人が訪れる人気の場所になっています。
地下から地上へ。多くのインド人が訪れる人気の場所になっています。

 

 

デリー市内で手軽に行けるアグラーセン・キ・バオリですが、独特のひんやりした空気、また井戸の奥にコウモリの群れが棲んでいるということで、インドの若者の間では心霊スポットとしても有名になっているそうです。

 

 

 

 

デリーの階段井戸②リホン・キ・バオリとガンダ・キ・バオリ

 

リホンの階段井戸はデリーの世界遺産、クトゥブ・ミナールから南に300mほどの場所にひっそりと佇む3層構造の階段井戸。このあたりはイスラム教徒が多い地区のため、モスクも隣接して設置されています。

 

リホンの階段井戸
リホンの階段井戸
リホンの階段井戸に併設されているモスク
リホンの階段井戸に併設されているモスクの内部。こちらも見事な造形です。

リホンの階段井戸は1516年、当時のデリー・スルタン朝のローディー朝の大臣:ダウラット・カーンによって作られた井戸。石工の人々によって主に利用されたため。Rajon(労働者)のBaoli(井戸)と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 

また、リホンの階段井戸から100mほど西に行ったところにはガンダの階段井戸があります。こちらは5層構造で、奥行き40m、幅12mの大規模な階段井戸です。Gandhak(硫黄)のBaoli(井戸)という通りこの水には硫黄分が含まれており、水には治療効果があると信じられています。

 

ガンダの階段井戸。ちょうどこの時は近隣の住民が洗濯に利用していました。
ガンダの階段井戸。ちょうどこの時は近隣の住民が洗濯に利用していました。

 

 

番外編:日本の「まいまいず井戸」

インドの階段井戸はその造形や宗教性、芸術性から見ても特異なものですが、階段状の構造を持つ井戸自体は世界各国に存在しています。日本でも武蔵野台地から伊豆諸島にかけて「まいまいず井戸」と呼ばれる階段状の井戸がいくつか存在します。

 

これらの地域では地下水の水位が低く、また竪穴を掘るには脆い砂礫層の地盤でした。そのため螺旋状に地面を掘り下げ、そこから短い竪穴を掘って地下水へアクセスする方法がとられました。カタツムリの殻のような螺旋状の形状から、「まいまいず井戸」と呼ばれ、上水道の整備がされるまでは実際に井戸として利用されていたそうです。

 

関東平野では東京都羽村市の五ノ神まいまいず井戸、府中市郷土の森博物館の復元井戸、また伊豆諸島では式根島まいまいず井戸、八丈島の八重根のメットウ井戸などが知られています。

 

 

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美しきグジャラート 階段井戸とシャトルンジャヤ巡礼

 

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カテゴリ:■インド北部
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インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ

ナマステ!西遊インディアです。

 

全5回に渡ってお送りする、「インドの階段井戸特集」、これまでグジャラート州の階段井戸をご紹介してきましたが、4回目の今回はラジャスタン州の階段井戸で「インド最大規模の階段井戸」として広く知られる「チャンド・バオリ」をご紹介します。

 

インドの階段井戸①階段井戸とは?
インドの階段井戸②世界遺産 ラニ・キ・ヴァヴ – 女王の階段井戸
インドの階段井戸③「最も美しい階段井戸」アダラジ・ヴァヴ
インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ
インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

 

チャンド・バオリ全景
チャンド・バオリ全景

 

チャンド・バオリは、ラジャスタン州のジャイプールから約90㎞東、アバネリ村という小さな村に残されています。ちょうどジャイプールとアグラへ向かう途中にあたるため、ジャイプール・アグラの観光日程にも組み込みやすい階段井戸です。アバネリ村は小さな村ですが、チャンド・バオリの見学のために多くの観光客が訪れるようになっています。


チャンド・バオリは縦横約40m四方、深さ約30m。地面をピラミッドを逆さにしたような形に掘られており、その壁面にびっしりと階段が設置されています。単純な敷地の規模ではグジャラート州のラニ・キ・ヴァヴやアダラジ・ヴァヴの方が大きいのですが、水面までを一気に見渡す巨大な井戸は非常に見ごたえがあり、インド最大の階段井戸と呼ばれる所以です。

 

チャンド・バオリ全景。右上の人のサイズから、井戸の巨大さがわかります。
チャンド・バオリ全景。右上の人のサイズから、井戸の巨大さがわかります。

 

深さ約30mの壁面は全部で13の階層に分けられており、それぞれの階をつなぐ階段が斜面一面にめぐらされています。階段や斜面には豪奢な彫刻はありませんが、幾何学図形のように繰り返す階段構造は、太陽の光と影のコントラストでシンプルかつミニマムな美しさを感じさせます。階段の総数は全部で3500を数えるそうです。

 

幾何学的な文様のように配された階段群
幾何学的な文様のように配された階段群

 

チャンド・バオリの階段群
チャンド・バオリの階段群。実際には非常に急な壁のような斜面です。

井戸は東西南北に沿って正方形に作られており、北側の面には王族が利用した宮殿が設置されています。他の階段井戸と同様に、井戸の下部では夏の時期は地表面よりも6度程度低い気温が保たれ、王族の避暑地として利用されていました。

 

 

チャンド・バオリは、8~9世紀にこの地域を支配していたチャンド王によって建設されました。このチャンド・バオリのすぐ隣にはヒンドゥー教の幸福と喜びの女神:ハルシャット・マタを祀る寺院があり、階段井戸もその女神に捧げるものとして建設されたものです。ハルシャット・マタ寺院は現在でも巡礼地として多くの巡礼者が訪れており、チャンド・バオリで沐浴をしたのちに寺院で祈りを捧げているそうです。また、ここでは雨水の利用や宗教的な利用の他に、雨量を調べて水税の徴収の計算のために利用されたとも考えられています。

 

隣接するハルシャット・マタ寺院
隣接するハルシャット・マタ寺院

 

ハルシャット・マタ寺院はもともとはシヴァ派・シャクティ派の寺院であったとみられ、寺院内ではマヒシャスーラという水牛のアスラ(悪魔)を殺すドゥルガー(シヴァ神の妻:パールヴァティの化身とされる女神)の高さ1.5メートルの像が出土しています。イスラム勢力の侵入以降に大きく破壊されたため、現在は寺院内にあった彫刻類はジャイプールやアンベールの博物館に移されています。チャンド・バオリの回廊部分にも、この寺院から出土した彫刻が展示されています。

 

水牛のアスラを殺すドゥルガー神のレリーフ(ハルシャット・マタ寺院出土品)
水牛のアスラを殺すドゥルガー神のレリーフ(ハルシャット・マタ寺院出土品)

 

現在は地下の階段部分とは別に、地上部分に井戸を囲むような回廊が設置されていますが、こちらは18世紀ごろ、ムガル帝国の時代に増設された部分です。現在はチャンド・バオリやハルシャット・マタ寺院などから出土した彫刻が置かれるギャラリーとして利用されています。

 

回廊部分に安置されたレリーフ。イスラム統治時代に頭部が破壊されています。
回廊部分に安置されたレリーフ。イスラム統治時代に頭部が破壊されています。

 

チャンド・バオリは雨季の雨水を貯めるだけではなく、地下水を利用できる井戸だったため、イギリス人が入植して井戸や上水道が整備されるまで、1000年近くの長きにわたって実用的な生活用水として利用されてきました。井戸への転落が相次いだということで現在は階段部分には立ち入り禁止になっていますが、それでも十分に巨大な階段井戸の迫力と美しさを味わうことができるスポットです。

 

チャンド・バオリ南西側の壁面と地上部の回廊部分
チャンド・バオリ南西側の壁面と地上部の回廊部分

 

独特の造形の美しさから映画のロケ地としても利用され、『The FALL落下の王国』(2006)でロケ地に利用されたことで話題になりました。また、『ダークナイト ライジング』(2012)でもチャンド・バオリをイメージしたセットで撮影が行われています。

 

 

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力③ カングラ鉄道

サチパスの紹介をした際に「英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラ方面へ、もう一本は、カングラ渓谷を貫くように敷かれました。」書いていたのですが、シムラ方面の鉄道は山岳鉄道群として世界遺産に登録されたシムラ・カルカ鉄道です。

今回は、もう一つのトイトレイン カングラ渓谷を走るカングラ鉄道のご紹介です。

 

■カングラ渓谷鉄道

ダージリンのトイトレインと同じように1926年~1929年にかけてイギリスによって敷かれた鉄道で、線路幅は76.2mmのナローゲージ。そのため機関車は小さくエンジン出力が弱いために勾配が緩やかな南方向への迂回ルートをとっていてその分、鉄道距離は長くなり、Joginder Nagar駅~Pathankotまで全長164kmを繋いでいます。ダージリン、ニルギリ、シムラなどインドの他の山岳列車が既に世界遺産に登録 されている一方でカングラ鉄道はまだ世界遺産に申請中。この列車は観光用ではなく普通のローカル線で、地元の人の生活の足になっています。

朝、人気のない駅で入線を待ちます。

列車が来ないと、切符売り場もオープンしません。

 

運行率は8割ほどらしい、この路線。

観光客は少ないですが、地元の人で席も混みあいます。

 

 

ダラムサラに程近いカングラ渓谷は、古くから仏教と深い関係があり、635年、三蔵法師がその旅行記の中で、かつてこの周辺に50もの仏教僧院があり、そこで2000人以上もの僧侶たちが修行していたことを記しています。しかし、その数世紀後、バラモン教の隆盛により仏教はこの谷間から消えます。1849年、イギリスはダラムサラを軍の駐屯地に決め、アッパーダラムサラはイギリス人たちの避暑地となりました。

アッサム、ダージリンと同様にお茶の生産も盛んに行われていたようです。

しかし、1905年に大地震に見舞われ、住民たちは麓のロウアーダラムサラの安全な場所に移動。そして、1947年、インドが独立するとダラムサラからイギリス人たちはいなくなったそうです。

雪山を眺めながら、のんびりと列車の旅が楽しめます。

 

11月撮影
11月撮影

11月頃よりは3月頃の方が雪山がはっきり見える印象です。

 

3月撮影
3月撮影

1905年の大地震が無ければ、この地もお茶の産地として栄え、この路線も世界遺産の仲間入りをしていたかもしれません。

個人的にはダージリン、ニルギリ、シムラのどの鉄道よりもこのカングラ鉄道乗車が楽しかったので、大好きなお勧めの路線です。

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力② ダラムサラ

ヒマーチャル・プラデーシュ州をご紹介する上で、忘れてはいけない場所ダラムサラ。

1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立して以来チベット仏教文化の拠点となっており、「リトル・ラサ」とも呼ばれています。標高約1,800mの涼しい丘陵地帯にあるため、イギリス統治時代にはイギリス人たちの軍駐屯地及び避暑地となっていました。1905年の壊滅的な大地震で多くのイギリス人が麓の谷に移らざるを得なくなり、1947年にインドがイギリスから独立して以降、イギリス人たちはこの地から完全にいなくなっていきました。

 

チベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされており、異国での亡命生活を今なお強いられているチベット人たちの現在を垣間見ることができます。

 

■ナムギャル僧院(ツクラカン堂、カーラチャクラ堂)

ナムギャル僧院は、ダライ・ラマ公邸の正面に位置し、ツクラカン堂とカーラチャクラ堂からなるゲルク派の総本山です。時折、庭で僧たちが足を踏み鳴らし大げさに手をたたく身振りで教義問答する光景が見られます。 ツクラカン堂は、ラサのジョカンに相当するダラムサラでは最も重要な寺院で、マニ車が囲む堂内には、釈迦牟尼仏、観世音菩薩、パドマサンバヴァの3体の格調高い仏像が祀られています。また、ツクラカン堂の隣にある1992年建立のカーラチャクラ堂には、目の覚めるほど美しいカーラチャクラ(時輪)曼荼羅の壁画が収められています。

■チベット子供村

1960年にダライ・ラマ法王の姉によって建てられたこの施設では、チベット難民やチベット難民2世、3世が寄宿して教育を受けています。チベットの農村部では、3年間の初等教育以上を受けられる学校はほとんどなく、都市部でも中国語教育を嫌った親たちが、チベット語による伝統的なチベットの歴史や文化を尊重する教育を受けさせるために、子供たちをインドへ送るケースが増えてきているそう。

ここで学ぶ子供たちのほとんどの親はチベット本土に住んでおり、いつ再会できるか分かりません。そのような状況下にありながら、無邪気に学び、元気に遊びまわる子供たちを見ていると、逆に私たちの方が勇気付けられます。訪問の際は、事前に連絡をし、事務所で許可をもらいましょう。

■ノルブリンカ芸術文化研究所

ラサにあるダライラマ法王の夏の離宮「ノルブリンカ」から名前がつけられたこの研究所では、チベット仏教の精神的・文化的遺産、伝統芸術・技術を保存し発展させるための取り組みが行われています。チベット人が異国の地で経済的に自活することも目指しており、タンカ絵師や仏像の彫師を養成するコース、裁縫・刺繍の職業訓練の教室なども設けられています。

受付で許可をもらえば、案内人と一緒に中を見学することが出来ます。同じ敷地内には、チベット各地の民族を紹介する小さな人形博物館や、この施設で作成された質の高い手工芸品などを購入できるお店の他、ゲストハウスやカフェもあります。

 

町の中心マクロード・ガンジを歩くとチベット料理のレストランが並び、えんじ色の袈裟をまとった僧侶を見かけます。

雨の降ることの多いダラムサラ。

「リトル・ラサ」の呼び名の通り、インドにいながら海外気分を味わえる不思議な町です。

 

 

 

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力①  高山植物の名所 サチ・パス

インド北西部ヒマラヤ山脈の西側に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州。

(ヒム=雪、アチャル=山)「万年雪をいだく山々」という意味で、平らな土地がヒマラヤの高山へと姿を変える一帯で、州の最高峰はレオ・パルギャル山(6816m)です。

 

「ヒマーチャルは世界の花かご」と、言われるほど花があります。

古代この地はチベットや中央アジア、カシミールへの交易ルートの十字路で、ラージャ(藩主)やラナ(王)、タクル(貴族)が、ラフン族やタクライ族と対抗し、ヒマーチャルは小さな国々の寄せ集めのようなところでした。

カーングラー王国とクルー王国、そして後のチャンバ王国のみがささいな争いから脱却する力を持っていました。

植民地時代には、多くの藩主が英国軍と運命をともにしましたが、自らの王国も自立権も失うことになってしまいました。初めて訪れた西洋人は、伝説に残るプレスター・ジョンの王国を探しに来たイエズス会の宣教師たちです。

英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、19世紀後半にシムラー、ダルハウジー、ダラムサラーに小英国が造られました。20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラー方面へ、もう一本は、カーングラー渓谷を貫くように敷かれました。

1948年ヒマーチャル・プラデーシュ州が形成され、大勢の農民が封建制度から解放されました。州としての地位は1971年に確立されています。

手つかずの自然から、イギリス統治時代の趣を残す町並みまで、魅力沢山のヒマーチャル・プラデーシュ州。

今回ご紹介するのは、フラワーウォッチングにおすすめのサチ・パスです。

 

チャンバ渓谷からパンギ渓谷へ抜けるサチ・パス(4,420m)。このルートは、冬は深い雪に覆われるため6月末から10月頃までしかオープンしません。

 

3,000m以上の山の斜面では放牧キャンプで暮すグジャールの人々との出会いもあります。

3,500m付近からはブルーポピーをはじめとする高山植物の花が現れ始めます。

 

ここで通過するパンギ渓谷はピール・パンジャール山脈とザンスカール山脈に挟まれた谷で、ヒマーチャル・プラデーシュ州の中で最も“閉ざされた谷”です。積雪のため、1年の半分以上が他の地域から隔絶されます。

バイラガルから出発し、つづら折りの道をぐんぐん進んでいきます。

 

峠付近は7月でも雪が残ります。

途中、ブルーポピーをたくさん見つけることができました。

 

そして峠付近では一面のお花畑。

インド人観光客もおらず、まさに『手つかずの自然』というのにふさわしい場所です。

こんな道も通ります。

簡単には難しいですが、アドベンチャールートがお好きな方にはおすすめの場所です。

 

 

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気軽にフラワーウォッチング ロータンパス

前回までご紹介したデリーからレーへの陸路旅。実は、もっと短い時間で行く方法があります。

それが、ロータンパスという峠を越えて行く方法です。

まずは、デリーからヒマーチャルプラデーシュ州のマナリまで。車で移動すると約12時間ほどでしょうか。デリーから長距離バスも出ているので、比較的アクセスしやすい町です。

ツアーでは、途中のチャンディガルにて1泊することが多いです。

 

■マナリ Manali

マナリはクル渓谷の北部、標高約2,050mの大自然の中に位置する人気の保養地です。特にインド人の避暑客やハネムーン旅行で訪れる新婚夫婦が多く、ハイキングやパラグライダー、ラフティングや釣りなどを楽しむ人々で賑わっています。伝説によると、ヒンドゥー教の創造神話で「ノア」にあたる「マヌ」が、世界が洪水で破滅した後にマナリで船を降り、人間の生命を再創造したといわれています。「マナリ」とは「マヌがいる場所」という意味で、マヌを祀る寺院もあります。

 

木造のハディンバ寺院

この、マナリとキーロンの間にあるのがロータンパスです。この峠を越え、キーロンを通過してラダック・レーへと繋がっています。以前は未舗装で、雨季になるとぬかるみも多く、とても時間のかかったこのルートですが、2015年南西の道路工事が終了し快適な舗装道路となりました。

未舗装の時は、雨季はぬかるむことも多く、渋滞もひどかったです。

 

2015年以降、快適に!

この峠は、マナリに遊びに来たインド人ももれなくロータンパスにやってきますので、ハイシーズンはインド人観光客でも賑わいます。

 

毎年雨季(6月後半~7月後半頃)に入ると、標高約3,980mのロータンパス付近では、様々な高山植物を目にすることができます。キンポウゲ、サクラソウ、フクロソウ、ウルップソウ、アヤメ、エーデルワイス、ツリフネソウなど、時期が合えばまさに一面のお花畑です。標高3,500m以上になると、ヒマラヤの青いケシとして知られるブルー・ポピーも見られます。この辺りで見られるブルー・ポピーは「メコノプシス・アクレアタ」と呼ばれる種類のもので、岩陰などにひっそり咲き、淡く儚い水色の花びらが印象的です。晴れると、峠付近では迫力ある5,000m級のラホールやスピティ渓谷に連なる山々、コクサールピークなどを目前に仰ぐことができます。

 

峠のトップまで車で行き、車道からそれると、すぐ近くに高山植物をたくさん観察できるので、比較的気軽にフラワーウォッチングが楽しめるお勧めのスポットです。

 

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