インドの新幹線 Vande Bharat Expressに乗ってみた!

Photo by Harshul12345 – Vande Bharat Express on track around Mumbai.(2023) / CC BY 4.0

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、インド版新幹線「Vande Bharat Express」(ヴァンディ・バーラト・エクスプレス)の乗車体験を記事にまとめてみました。

インドの新幹線 Vande Bharat Express

インド国鉄が運営する高速鉄道。モディ首相が就任した2014年から掲げる製造業振興の取り組み「Make in India」の一環として、2019年2月15日に、デリー~バラナシの区間で運転開始されました。

運用路線は2024年2月現在で41路線。今後も30路線近くの新設が計画されており、とくに、ムンバイとアーメダバードを結ぶ総延長508kmの路線は、日本の新幹線方式と同じ専用線方式(在来旅客鉄道と軌道を完全に分離するもの)で建設中です(2024年2月現在)。

海外で日本の新幹線方式が採用されるのは、2007年に開業した台湾(台灣高鐵)につづき、インドが2か国目。
デリーを走るメトロの建設にも、計画段階から日本が資金・技術面で支援しており、インドのインフラ整備には日本が大きく関わっています。

チャンディーガル~デリー区間に乗ってみました

今回乗車したチャンディーガル~デリーの区間は、4番目に運行開始されたNo. 22447 / 22448 New Delhi – Amb Andaura(ヒマーチャルプラデシュ)路線の一部。約270kmの距離を3時間ほどで走ります。休暇でチャンディーガル観光に行ってきたので、デリーへ戻る交通手段としてVande Bharat Expressを利用してみました。
※ちなみにインドでは、カメラによる駅や空港の撮影は防衛上の理由で原則禁止されています。インド鉄道省の規定(鉄道省Webサイト)では、旅行者が思い出にスマホで撮る程度であれば本来許可をとる必要はありませんが、現場の係員には問答無用で注意されたりトラブルになる可能性もあります。そのため、世界遺産など観光地化された鉄道以外の撮影は控えた方が無難です。文中の写真も係員さんに許可をもらい、一般の観光客として見られる場所だけをスマホで撮ったものです。
 
1.チケット
チケットは事前にインド国鉄(IRCTC)のWebサイトで予約購入します。
日時、区間、座席クラス、食事などのオプションを選択し、決済するとEチケットがメールで届くので、乗車当日はそれをプリントアウトするかスマホにPDFを保存して持参します。
座席は椅子席タイプのEC、CCの2種類。今回はせっかくなので、ちょっと良い席のECクラスに乗車してみました。ECクラスは、日本でいうところのグリーン車といった感じでしょうか。座席の写真は、後述の車内設備の部分に載せていますのでそちらをご覧ください。
 
2.乗車
現在、チャンディーガルの鉄道駅は再開発中。大きな駅でなくても、余裕をもって出発時刻の30分前には駅に到着しておくと安心です。

チャンディーガル鉄道駅の西側入口

入ってすぐ左手に電光掲示板とエスカレーターがあります。電光掲示板に、列車番号、列車が駅に到着する見込み時刻、プラットホーム番号が表示されるので、確認してエスカレーターで上の階へ。プラットホームへの連絡橋に出るので、そこから自分の列車が来るホームへと降ります。
今回は、エスカレーターを上がってすぐ右のプラットホームNO.1。階段を降りてホームに行きます。構内ではホーム番号のアナウンスも流れていますが、基本はヒンディー語なので、聞き取りはなかなか難易度が高めです…!なので、エスカレーターを上がる前に電光掲示板をチェックしていくのが確実です。
 
プラットホームの上部に設置されている小さな電光掲示板に、列車番号とコーチ番号が表示されるので、自分のコーチ番号の場所で列車を待ちます。今回は中央がCCクラス、階段を降りて右奥がECクラスのE1、E2コーチでした。
駅のホーム。天井についている赤い電光掲示板にコーチ番号が表示されます

チャンディーガル駅

今回の路線は、チャンディーガル駅 15:32発 – ニューデリー駅 18:25着。列車は15:30頃に到着しました。インドの鉄道は大幅に遅れることもあるなかで、ほぼ定刻どおりの到着にちょっぴり感動です!

到着したVande Bharat。かっこいいです!色合いもどこか日本の新幹線を思い出します

乗降口は各コーチの前後に一つずつ。席番号は車内の窓の上に書いてあります。頭上の荷物棚はあっという間に埋まるので、置きたい場合は頑張って早く乗りましょう!棚に置けなくても、ECクラスは足元のスペースが広いので問題なく置けます。

列車番号、コーチ番号、出発駅~行先が表示されます

窓の上にあるシート番号の表示
お水とフットレストもあります!

3.車内
ECクラスの座席配置は2席-2席、シートはベロアのような手触りのいい素材で、リクライニングできます。足元のスペースはゆったりしていて、通路も十分な幅があります。
CCクラスは3席-2席。進行方向に対して前向きと後ろ向きの席があり、足元と通路のスペースはECよりも少し狭め。シートの材質も違います。
ですが、両クラスともに空調完備・車内スタッフも配備されているので、荷物が多くなければ、CCクラスでも問題なく快適に過ごせそうです。

ECクラス

CCクラス

列車は駅に5~10分ほど停車した後、15:40頃に出発。
出発してから15分くらいすると、車両スタッフさんが席を巡回してチケットの確認にきます。名前を聞かれるだけの場合もありますが、念のためチケットをすぐに見せられるよう準備しておくと安心です。
 
その後しばらくすると車内食が配られました。食事は、チケットを予約する時にオプションで選択できます。メニューは時間帯や路線によって異なるようですが、今回はベジのメニューのみだったので、そちらを予約してみました。事前に予約をしていなくても、追加料金を払えば車内で購入できるようです。
ジュース、カチョリ、ナッツとスナック、チーズのサンドイッチ、お手拭きとサニタイザーも

チャイ用のお湯とカップは後から持ってきてくれます
プレートに敷かれた紙もVande Bharat仕様

トイレは各コーチとの連結部にあります。和式のようにしゃがむインド式と洋式があり、洋式には備え付けのトイレットペーパーがありました。
16:15頃、アンバラ・カント駅に停車。この路線では、終点のニューデリーまでに停車するのはこの1駅のみです。到着する少し前に、英語とヒンディー語でアナウンスが入ります。

洋式トイレ
アンバラ・カント駅

しばらく停車した後、駅を出発。この後はノンストップでひたすらデリーへと走ります。はじめは幹線道路沿いを走り、しばらくすると景色は郊外の住宅地に変わります。じょじょに田園地帯や、小さな寺院、ローカルなマーケットなどに移り代わり、車窓には素朴なインドの風景が映ります。

車内の温度は、空調が効きすぎて寒いということもなく快適でした。でも少し冷える感じはするので、カーディガンやパーカーなど羽織れるものを持参するのがおすすめです。
走行中の揺れは少なく、走行音も日本の新幹線とそこまで大きく変わらない印象です(楽しそうな家族のおしゃべり声が絶えないのは、日本と違ってインドらしいところです)。
 
4.終点のニューデリー駅に到着
列車は18:40頃、終点のニューデリー駅に到着。18:25着予定から約15分遅れですが、ほぼ定刻通りの到着です!乗車した2月の日没は18:30前だったので、到着する頃にはすっかり夜に。デリーに到着後、列車は折り返しで別の行先に変わりました。すぐに次の乗客が乗車してくるので、忘れ物のないよう速やかに列車を降ります。

ニューデリー駅

今回はじめてVande Bharatを利用してみて、その快適さとスケジュールの正確さには驚きでした!
日数が限られた旅行のなかで、比較的確実性が高い移動手段として、選択肢のひとつになると思います。
 
昔ながらの長距離寝台列車で移動する旅は情緒があって良いですが、発展いちじるしいインドの「今」を感じられるひとつの体験として、Vande Bharatを利用してみるのもおもしろいかもしれません。
 
Photo & Text: Kondo

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インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

ナマステ!西遊インディアです。

 

全5回に渡ってお送りする、「インドの階段井戸特集」、最後となる5回目は、デリー市内で見ることのできる階段井戸、そして番外編として日本の「まいまいず井戸」をご紹介します。

 

インドの階段井戸①階段井戸とは?
インドの階段井戸②世界遺産 ラニ・キ・ヴァヴ – 女王の階段井戸
インドの階段井戸③「最も美しい階段井戸」アダラジ・ヴァヴ
インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ
インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

 

 

デリーの階段井戸①アグラーセン・キ・バオリ

ニューデリーのコンノート・プレイス、ジャンタル・マンタルに近いハイリー・ロードにあるアグラーセン・キ・バオリ。長さ60m, 幅15m、108段の階段を持つ大規模な階段井戸です。マハーバーラタに登場する伝説上の王:アグラーセンからその名がついていますが、実際には14世紀のデリー・スルタン朝のトゥラグ時代に再建されたものです。

 

アグラーセン・キ・バオリ全景
アグラーセン・キ・バオリ全景
アグラーセン・キ・バオリ奥部の造形
アグラーセン・キ・バオリ奥部の造形

 

こちらの井戸も、インドの人気俳優であるアミール・カーン主演の大ヒット作『PK』や、サルマン・カーン主演の『サルタン』など映画のロケ地として話題になっており、インドの若者が記念撮影をするスポットになっています。アミール・カーンは『きっと、うまくいく』(2009)、サルマン・カーンは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(2019)など、日本でも話題となったインド映画の主演俳優。

 

地下から地上へ。多くのインド人が訪れる人気の場所になっています。
地下から地上へ。多くのインド人が訪れる人気の場所になっています。

 

 

デリー市内で手軽に行けるアグラーセン・キ・バオリですが、独特のひんやりした空気、また井戸の奥にコウモリの群れが棲んでいるということで、インドの若者の間では心霊スポットとしても有名になっているそうです。

 

 

 

 

デリーの階段井戸②リホン・キ・バオリとガンダ・キ・バオリ

 

リホンの階段井戸はデリーの世界遺産、クトゥブ・ミナールから南に300mほどの場所にひっそりと佇む3層構造の階段井戸。このあたりはイスラム教徒が多い地区のため、モスクも隣接して設置されています。

 

リホンの階段井戸
リホンの階段井戸
リホンの階段井戸に併設されているモスク
リホンの階段井戸に併設されているモスクの内部。こちらも見事な造形です。

リホンの階段井戸は1516年、当時のデリー・スルタン朝のローディー朝の大臣:ダウラット・カーンによって作られた井戸。石工の人々によって主に利用されたため。Rajon(労働者)のBaoli(井戸)と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 

また、リホンの階段井戸から100mほど西に行ったところにはガンダの階段井戸があります。こちらは5層構造で、奥行き40m、幅12mの大規模な階段井戸です。Gandhak(硫黄)のBaoli(井戸)という通りこの水には硫黄分が含まれており、水には治療効果があると信じられています。

 

ガンダの階段井戸。ちょうどこの時は近隣の住民が洗濯に利用していました。
ガンダの階段井戸。ちょうどこの時は近隣の住民が洗濯に利用していました。

 

 

番外編:日本の「まいまいず井戸」

インドの階段井戸はその造形や宗教性、芸術性から見ても特異なものですが、階段状の構造を持つ井戸自体は世界各国に存在しています。日本でも武蔵野台地から伊豆諸島にかけて「まいまいず井戸」と呼ばれる階段状の井戸がいくつか存在します。

 

これらの地域では地下水の水位が低く、また竪穴を掘るには脆い砂礫層の地盤でした。そのため螺旋状に地面を掘り下げ、そこから短い竪穴を掘って地下水へアクセスする方法がとられました。カタツムリの殻のような螺旋状の形状から、「まいまいず井戸」と呼ばれ、上水道の整備がされるまでは実際に井戸として利用されていたそうです。

 

関東平野では東京都羽村市の五ノ神まいまいず井戸、府中市郷土の森博物館の復元井戸、また伊豆諸島では式根島まいまいず井戸、八丈島の八重根のメットウ井戸などが知られています。

 

 

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インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ

ナマステ!西遊インディアです。

 

全5回に渡ってお送りする、「インドの階段井戸特集」、これまでグジャラート州の階段井戸をご紹介してきましたが、4回目の今回はラジャスタン州の階段井戸で「インド最大規模の階段井戸」として広く知られる「チャンド・バオリ」をご紹介します。

 

インドの階段井戸①階段井戸とは?
インドの階段井戸②世界遺産 ラニ・キ・ヴァヴ – 女王の階段井戸
インドの階段井戸③「最も美しい階段井戸」アダラジ・ヴァヴ
インドの階段井戸④「インド最大の階段井戸」チャンド・バオリ
インドの階段井戸⑤デリーの階段井戸 アグラーセン・キ・バオリ

 

チャンド・バオリ全景
チャンド・バオリ全景

 

チャンド・バオリは、ラジャスタン州のジャイプールから約90㎞東、アバネリ村という小さな村に残されています。ちょうどジャイプールとアグラへ向かう途中にあたるため、ジャイプール・アグラの観光日程にも組み込みやすい階段井戸です。アバネリ村は小さな村ですが、チャンド・バオリの見学のために多くの観光客が訪れるようになっています。


チャンド・バオリは縦横約40m四方、深さ約30m。地面をピラミッドを逆さにしたような形に掘られており、その壁面にびっしりと階段が設置されています。単純な敷地の規模ではグジャラート州のラニ・キ・ヴァヴやアダラジ・ヴァヴの方が大きいのですが、水面までを一気に見渡す巨大な井戸は非常に見ごたえがあり、インド最大の階段井戸と呼ばれる所以です。

 

チャンド・バオリ全景。右上の人のサイズから、井戸の巨大さがわかります。
チャンド・バオリ全景。右上の人のサイズから、井戸の巨大さがわかります。

 

深さ約30mの壁面は全部で13の階層に分けられており、それぞれの階をつなぐ階段が斜面一面にめぐらされています。階段や斜面には豪奢な彫刻はありませんが、幾何学図形のように繰り返す階段構造は、太陽の光と影のコントラストでシンプルかつミニマムな美しさを感じさせます。階段の総数は全部で3500を数えるそうです。

 

幾何学的な文様のように配された階段群
幾何学的な文様のように配された階段群

 

チャンド・バオリの階段群
チャンド・バオリの階段群。実際には非常に急な壁のような斜面です。

井戸は東西南北に沿って正方形に作られており、北側の面には王族が利用した宮殿が設置されています。他の階段井戸と同様に、井戸の下部では夏の時期は地表面よりも6度程度低い気温が保たれ、王族の避暑地として利用されていました。

 

 

チャンド・バオリは、8~9世紀にこの地域を支配していたチャンド王によって建設されました。このチャンド・バオリのすぐ隣にはヒンドゥー教の幸福と喜びの女神:ハルシャット・マタを祀る寺院があり、階段井戸もその女神に捧げるものとして建設されたものです。ハルシャット・マタ寺院は現在でも巡礼地として多くの巡礼者が訪れており、チャンド・バオリで沐浴をしたのちに寺院で祈りを捧げているそうです。また、ここでは雨水の利用や宗教的な利用の他に、雨量を調べて水税の徴収の計算のために利用されたとも考えられています。

 

隣接するハルシャット・マタ寺院
隣接するハルシャット・マタ寺院

 

ハルシャット・マタ寺院はもともとはシヴァ派・シャクティ派の寺院であったとみられ、寺院内ではマヒシャスーラという水牛のアスラ(悪魔)を殺すドゥルガー(シヴァ神の妻:パールヴァティの化身とされる女神)の高さ1.5メートルの像が出土しています。イスラム勢力の侵入以降に大きく破壊されたため、現在は寺院内にあった彫刻類はジャイプールやアンベールの博物館に移されています。チャンド・バオリの回廊部分にも、この寺院から出土した彫刻が展示されています。

 

水牛のアスラを殺すドゥルガー神のレリーフ(ハルシャット・マタ寺院出土品)
水牛のアスラを殺すドゥルガー神のレリーフ(ハルシャット・マタ寺院出土品)

 

現在は地下の階段部分とは別に、地上部分に井戸を囲むような回廊が設置されていますが、こちらは18世紀ごろ、ムガル帝国の時代に増設された部分です。現在はチャンド・バオリやハルシャット・マタ寺院などから出土した彫刻が置かれるギャラリーとして利用されています。

 

回廊部分に安置されたレリーフ。イスラム統治時代に頭部が破壊されています。
回廊部分に安置されたレリーフ。イスラム統治時代に頭部が破壊されています。

 

チャンド・バオリは雨季の雨水を貯めるだけではなく、地下水を利用できる井戸だったため、イギリス人が入植して井戸や上水道が整備されるまで、1000年近くの長きにわたって実用的な生活用水として利用されてきました。井戸への転落が相次いだということで現在は階段部分には立ち入り禁止になっていますが、それでも十分に巨大な階段井戸の迫力と美しさを味わうことができるスポットです。

 

チャンド・バオリ南西側の壁面と地上部の回廊部分
チャンド・バオリ南西側の壁面と地上部の回廊部分

 

独特の造形の美しさから映画のロケ地としても利用され、『The FALL落下の王国』(2006)でロケ地に利用されたことで話題になりました。また、『ダークナイト ライジング』(2012)でもチャンド・バオリをイメージしたセットで撮影が行われています。

 

 

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力③ カングラ鉄道

サチパスの紹介をした際に「英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラ方面へ、もう一本は、カングラ渓谷を貫くように敷かれました。」書いていたのですが、シムラ方面の鉄道は山岳鉄道群として世界遺産に登録されたシムラ・カルカ鉄道です。

今回は、もう一つのトイトレイン カングラ渓谷を走るカングラ鉄道のご紹介です。

 

■カングラ渓谷鉄道

ダージリンのトイトレインと同じように1926年~1929年にかけてイギリスによって敷かれた鉄道で、線路幅は76.2mmのナローゲージ。そのため機関車は小さくエンジン出力が弱いために勾配が緩やかな南方向への迂回ルートをとっていてその分、鉄道距離は長くなり、Joginder Nagar駅~Pathankotまで全長164kmを繋いでいます。ダージリン、ニルギリ、シムラなどインドの他の山岳列車が既に世界遺産に登録 されている一方でカングラ鉄道はまだ世界遺産に申請中。この列車は観光用ではなく普通のローカル線で、地元の人の生活の足になっています。

朝、人気のない駅で入線を待ちます。

列車が来ないと、切符売り場もオープンしません。

 

運行率は8割ほどらしい、この路線。

観光客は少ないですが、地元の人で席も混みあいます。

 

 

ダラムサラに程近いカングラ渓谷は、古くから仏教と深い関係があり、635年、三蔵法師がその旅行記の中で、かつてこの周辺に50もの仏教僧院があり、そこで2000人以上もの僧侶たちが修行していたことを記しています。しかし、その数世紀後、バラモン教の隆盛により仏教はこの谷間から消えます。1849年、イギリスはダラムサラを軍の駐屯地に決め、アッパーダラムサラはイギリス人たちの避暑地となりました。

アッサム、ダージリンと同様にお茶の生産も盛んに行われていたようです。

しかし、1905年に大地震に見舞われ、住民たちは麓のロウアーダラムサラの安全な場所に移動。そして、1947年、インドが独立するとダラムサラからイギリス人たちはいなくなったそうです。

雪山を眺めながら、のんびりと列車の旅が楽しめます。

 

11月撮影
11月撮影

11月頃よりは3月頃の方が雪山がはっきり見える印象です。

 

3月撮影
3月撮影

1905年の大地震が無ければ、この地もお茶の産地として栄え、この路線も世界遺産の仲間入りをしていたかもしれません。

個人的にはダージリン、ニルギリ、シムラのどの鉄道よりもこのカングラ鉄道乗車が楽しかったので、大好きなお勧めの路線です。

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力② ダラムサラ

ヒマーチャル・プラデーシュ州をご紹介する上で、忘れてはいけない場所ダラムサラ。

1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立して以来チベット仏教文化の拠点となっており、「リトル・ラサ」とも呼ばれています。標高約1,800mの涼しい丘陵地帯にあるため、イギリス統治時代にはイギリス人たちの軍駐屯地及び避暑地となっていました。1905年の壊滅的な大地震で多くのイギリス人が麓の谷に移らざるを得なくなり、1947年にインドがイギリスから独立して以降、イギリス人たちはこの地から完全にいなくなっていきました。

 

チベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされており、異国での亡命生活を今なお強いられているチベット人たちの現在を垣間見ることができます。

 

■ナムギャル僧院(ツクラカン堂、カーラチャクラ堂)

ナムギャル僧院は、ダライ・ラマ公邸の正面に位置し、ツクラカン堂とカーラチャクラ堂からなるゲルク派の総本山です。時折、庭で僧たちが足を踏み鳴らし大げさに手をたたく身振りで教義問答する光景が見られます。 ツクラカン堂は、ラサのジョカンに相当するダラムサラでは最も重要な寺院で、マニ車が囲む堂内には、釈迦牟尼仏、観世音菩薩、パドマサンバヴァの3体の格調高い仏像が祀られています。また、ツクラカン堂の隣にある1992年建立のカーラチャクラ堂には、目の覚めるほど美しいカーラチャクラ(時輪)曼荼羅の壁画が収められています。

■チベット子供村

1960年にダライ・ラマ法王の姉によって建てられたこの施設では、チベット難民やチベット難民2世、3世が寄宿して教育を受けています。チベットの農村部では、3年間の初等教育以上を受けられる学校はほとんどなく、都市部でも中国語教育を嫌った親たちが、チベット語による伝統的なチベットの歴史や文化を尊重する教育を受けさせるために、子供たちをインドへ送るケースが増えてきているそう。

ここで学ぶ子供たちのほとんどの親はチベット本土に住んでおり、いつ再会できるか分かりません。そのような状況下にありながら、無邪気に学び、元気に遊びまわる子供たちを見ていると、逆に私たちの方が勇気付けられます。訪問の際は、事前に連絡をし、事務所で許可をもらいましょう。

■ノルブリンカ芸術文化研究所

ラサにあるダライラマ法王の夏の離宮「ノルブリンカ」から名前がつけられたこの研究所では、チベット仏教の精神的・文化的遺産、伝統芸術・技術を保存し発展させるための取り組みが行われています。チベット人が異国の地で経済的に自活することも目指しており、タンカ絵師や仏像の彫師を養成するコース、裁縫・刺繍の職業訓練の教室なども設けられています。

受付で許可をもらえば、案内人と一緒に中を見学することが出来ます。同じ敷地内には、チベット各地の民族を紹介する小さな人形博物館や、この施設で作成された質の高い手工芸品などを購入できるお店の他、ゲストハウスやカフェもあります。

 

町の中心マクロード・ガンジを歩くとチベット料理のレストランが並び、えんじ色の袈裟をまとった僧侶を見かけます。

雨の降ることの多いダラムサラ。

「リトル・ラサ」の呼び名の通り、インドにいながら海外気分を味わえる不思議な町です。

 

 

 

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力①  高山植物の名所 サチ・パス

インド北西部ヒマラヤ山脈の西側に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州。

(ヒム=雪、アチャル=山)「万年雪をいだく山々」という意味で、平らな土地がヒマラヤの高山へと姿を変える一帯で、州の最高峰はレオ・パルギャル山(6816m)です。

 

「ヒマーチャルは世界の花かご」と、言われるほど花があります。

古代この地はチベットや中央アジア、カシミールへの交易ルートの十字路で、ラージャ(藩主)やラナ(王)、タクル(貴族)が、ラフン族やタクライ族と対抗し、ヒマーチャルは小さな国々の寄せ集めのようなところでした。

カーングラー王国とクルー王国、そして後のチャンバ王国のみがささいな争いから脱却する力を持っていました。

植民地時代には、多くの藩主が英国軍と運命をともにしましたが、自らの王国も自立権も失うことになってしまいました。初めて訪れた西洋人は、伝説に残るプレスター・ジョンの王国を探しに来たイエズス会の宣教師たちです。

英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、19世紀後半にシムラー、ダルハウジー、ダラムサラーに小英国が造られました。20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラー方面へ、もう一本は、カーングラー渓谷を貫くように敷かれました。

1948年ヒマーチャル・プラデーシュ州が形成され、大勢の農民が封建制度から解放されました。州としての地位は1971年に確立されています。

手つかずの自然から、イギリス統治時代の趣を残す町並みまで、魅力沢山のヒマーチャル・プラデーシュ州。

今回ご紹介するのは、フラワーウォッチングにおすすめのサチ・パスです。

 

チャンバ渓谷からパンギ渓谷へ抜けるサチ・パス(4,420m)。このルートは、冬は深い雪に覆われるため6月末から10月頃までしかオープンしません。

 

3,000m以上の山の斜面では放牧キャンプで暮すグジャールの人々との出会いもあります。

3,500m付近からはブルーポピーをはじめとする高山植物の花が現れ始めます。

 

ここで通過するパンギ渓谷はピール・パンジャール山脈とザンスカール山脈に挟まれた谷で、ヒマーチャル・プラデーシュ州の中で最も“閉ざされた谷”です。積雪のため、1年の半分以上が他の地域から隔絶されます。

バイラガルから出発し、つづら折りの道をぐんぐん進んでいきます。

 

峠付近は7月でも雪が残ります。

途中、ブルーポピーをたくさん見つけることができました。

 

そして峠付近では一面のお花畑。

インド人観光客もおらず、まさに『手つかずの自然』というのにふさわしい場所です。

こんな道も通ります。

簡単には難しいですが、アドベンチャールートがお好きな方にはおすすめの場所です。

 

 

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気軽にフラワーウォッチング ロータンパス

前回までご紹介したデリーからレーへの陸路旅。実は、もっと短い時間で行く方法があります。

それが、ロータンパスという峠を越えて行く方法です。

まずは、デリーからヒマーチャルプラデーシュ州のマナリまで。車で移動すると約12時間ほどでしょうか。デリーから長距離バスも出ているので、比較的アクセスしやすい町です。

ツアーでは、途中のチャンディガルにて1泊することが多いです。

 

■マナリ Manali

マナリはクル渓谷の北部、標高約2,050mの大自然の中に位置する人気の保養地です。特にインド人の避暑客やハネムーン旅行で訪れる新婚夫婦が多く、ハイキングやパラグライダー、ラフティングや釣りなどを楽しむ人々で賑わっています。伝説によると、ヒンドゥー教の創造神話で「ノア」にあたる「マヌ」が、世界が洪水で破滅した後にマナリで船を降り、人間の生命を再創造したといわれています。「マナリ」とは「マヌがいる場所」という意味で、マヌを祀る寺院もあります。

 

木造のハディンバ寺院

この、マナリとキーロンの間にあるのがロータンパスです。この峠を越え、キーロンを通過してラダック・レーへと繋がっています。以前は未舗装で、雨季になるとぬかるみも多く、とても時間のかかったこのルートですが、2015年南西の道路工事が終了し快適な舗装道路となりました。

未舗装の時は、雨季はぬかるむことも多く、渋滞もひどかったです。

 

2015年以降、快適に!

この峠は、マナリに遊びに来たインド人ももれなくロータンパスにやってきますので、ハイシーズンはインド人観光客でも賑わいます。

 

毎年雨季(6月後半~7月後半頃)に入ると、標高約3,980mのロータンパス付近では、様々な高山植物を目にすることができます。キンポウゲ、サクラソウ、フクロソウ、ウルップソウ、アヤメ、エーデルワイス、ツリフネソウなど、時期が合えばまさに一面のお花畑です。標高3,500m以上になると、ヒマラヤの青いケシとして知られるブルー・ポピーも見られます。この辺りで見られるブルー・ポピーは「メコノプシス・アクレアタ」と呼ばれる種類のもので、岩陰などにひっそり咲き、淡く儚い水色の花びらが印象的です。晴れると、峠付近では迫力ある5,000m級のラホールやスピティ渓谷に連なる山々、コクサールピークなどを目前に仰ぐことができます。

 

峠のトップまで車で行き、車道からそれると、すぐ近くに高山植物をたくさん観察できるので、比較的気軽にフラワーウォッチングが楽しめるお勧めのスポットです。

 

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インドヒマラヤ冒険行② デリーから陸路で行くラダック

前回はデリーからタボへと移動しました。

タボの観光で外せないのが『ヒマラヤのアジャンタ』と言われるタボゴンパ。

残念ながら内部の写真撮影は禁止です。

 

■タボゴンパ

996年にリンチェンサンポによって築かれた壮大なゴンパ。「ヒマラヤのアジャンタ」と形容されるそのタボ僧院を中心としてタボの街が広がっています。西チベット・グゲ王国から当時の仏教の中心地であったカシミールに派遣されたリンチェンサンポは、グゲ王国に帰国する時に絵師や工芸師など、多くの技術者を連れて帰りました。リンチェンサンポの指揮の下、その彼らによって建てられたゴンパ。入口を入ると目の前に土の固まりが飛び込んできますが、一歩お堂の中に入ってみると、そこには当時の最先端であったカシミール様式の仏教芸術が、素晴らしい保存状態で残されています。特に惹きつけらるのは大日堂のご本尊、四方向に向かって静かな微笑をたたえる大日如来と、そのご本尊を取り巻くように造られた数多くの尊格の像は必見です。

 

ダライ・ラマ14世は1996年にこの僧院を訪れ、カーラチャクラ大灌頂を行いました。その後、ダライ・ラマ14世はご自身のダライ・ラマとしての最後の瞬間を、この僧院のこのお堂で迎えたいとおっしゃられたといわれています。

リンチェン・サンポは2 度目にカシミールへ赴いたとき 32 人の建築家、画工、仏師を連れて帰国し、翻訳のみならず西チベット、ラダック、スピティの各地に108の寺院を建造したといわれていますが。このような建築様式、壁画の画風はカシミール様式・リンチェン ・サンポ様式と言われます。現在このカシミール様式の仏教芸術が残されているのは、 ラダックのアルチ 、 グゲ(チベット)トリン 、そしてこの スピティのタボの3か所です。

 

近くには歩いて行ける高台があり、そこからタボ・ゴンパを臨むことができます。

 

タボから北西に移動し、スピティ谷の中心地・カザへ。この辺りにはスピティ最古の歴史を持つキ・ゴンパがあります。

まずはスピティ川の合流ポイント

 

キ・ゴンパ

ゴンパからも絶景。特に7~8月にかけては小麦畑の緑がきれいです。

 

更に西へと移動し、クンザン・ラ(峠)を越えてラホール谷の中心地キーロンへ。

 

余裕があればキーロンから少し南下して3980mのロータンパスへフラワーウォッチングに出かけることも可能です。

 

西チベットの交易路として栄えていたキーロンでは、バザールの散策も楽しめます。この先、設備の整った宿は少ないエリアです。キーロンで宿泊し、翌日から更に北上、ついにジャンムー・カシミール州へと入ります。

 

カテゴリ:■インド山岳部・ガンジス源流 , インドの宗教 , インドの絶景 , ヒマーチャル・プラデーシュ州 , ラダック
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インドヒマラヤ冒険行① デリーから陸路で行くラダック

インド国内の観光客はもとより、外国人にも大変人気のエリア・ラダック。

ラダックの中心地レーへ行くには、デリーから毎日国内線の運航があり、1時間程で着いてしまうので意外とアクセスは容易です。

では、デリーから陸路で行くとどうでしょうか。

 

実はこの、デリーから陸路でラダックまで行くルートは、道中絶景の連続! そしてデリーのヒンドゥー教の濃厚な世界から、だんだんとチベット仏教世界へと人々の信仰や、また文化慣習も変わっていく様も体験できる、本当に魅力的なルートなのです。

 

ルートはいくつかありますが、少し時間をかけながらレーまで行ってみましょう。

 

【世界遺産 カルカ・シムラ鉄道に乗車】

早朝、薄暗いデリーの町を抜けて駅へと向かいます。まずは、ニューデリーからカルカまで約6時間の列車の旅。チェアカーと呼ばれる座席タイプのシートで中々快適です。

デリーで荷物を運んでもらう際は料金交渉もお忘れなく!

 

 

カルカ到着後、トイ・トレインのホームへと移動します。

カルカからシムラまでは約5時間。少しずつ標高をあげる列車はゆっくりゆっくり進みます。

※カルカ・シムラ鉄道

インド北部・ハリヤナ州のカルカから、避暑地として知られるシムラ(ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都)までを結ぶ登山鉄道。イギリス統治時代の1903年、夏の首都だったシムラの交通の便のために開設されました。区間は総延長 96 km 、両端の駅の標高差は 1,420 m(カルカは 656mシムラは 2,076 m)。途中には険しい地形を反映して103ヶ所のトンネルと864ヶ所の橋があります。軌間は 762 mm のナロー・ゲージ(狭軌)で、いわゆる「トイ・トレイン」。2008年、世界遺産として「インドの山岳鉄道群」を拡大する形で登録されました。

 

 

夕方、列車は避暑地シムラ駅に到着。明るいうちに到着すればバザールの散策も可能です。

カラフルなシムラの街並み↓

 

シムラで1泊し、翌日はカルパまでの移動です。

シムラから北東にサトレジ川へ進んでいき、キナール地方へと入ります。この辺りから緑のフェルトをつけた独特の帽子(キナウル帽)をかぶった方々が増えてきます。

 

14の地区に分かれているヒマーチャル・プラデーシュ州ですが、シムラ、キナール、ラホール・スピティの3つの地区、谷を越えてラダックのあるジャンムー・カシミール州へと北上します。

レコンピオの町を過ぎカルパに向けてグネグネと坂を上がります。

天気が良ければシバ神が冬場にこの地にやってきて、瞑想したという伝説のあるキナール・カイラスを展望できます。

 

翌日、さらに北上してタボまでの移動です。標高もグッと上がります。

サトレジ川とスピティ川の合流ポイントを過ぎたあたりから、道は細くなります。ここからスピティ谷へと入ります。

 

3つの谷を抜けていくルートには、道中、大翻訳官リンチェン・サンポ創建、又は由来のある寺院(ゴンパ)が複数あります。

そのうちの一つ、標高3,600M程のナコゴンパへと立ち寄ります。

 

この日はタボでの宿泊。

デリーから陸路で移動する場合、時間をかけ徐々に高度を上げていくのも高山病対策の一つです。

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ウダイプル④ チットールガル城に伝わる悲劇の女王パドマーワト

ナマステ!

西遊インディアの橋本です。
前回、ウダイプル郊外に建つチットールガル城について、紹介しました(記事はこちら)。ウダイプル4回目となる今記事では、チットールガル城を舞台として起こったイスラム王朝との攻防と、その戦に巻き込まれた悲劇の王妃・パドミニ―の伝説についてご紹介します。

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グーマルのシーンのため、ディーピカーはラージャスターンの踊りのトレーニングを毎日3時間、計12日間続けた。指先足先まで繊細な動きが要求されるこのダンスで身に着けた衣装や装飾品の重さが30キロ!彼女はこのダンスで66回も回ることになったという🌀💦
#パドマーワト

映画「パドマーワト 女神の誕生」さんの投稿 2019年5月20日月曜日

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メーワール王国と、北インドの猛威・ハルジー朝との攻防

1303年、ラージプートの国として代々繁栄してきたメーワ―ル王国にて、ラタン・シン王が即位します。その王妃として、スリランカからパドミニ―が迎えられました。
同じ時、北インドではハルジー朝の第3代スルターン(王)であるアラーウッディーンが即位します。野心に満ちた彼は、第二のアレクサンダー大王と自称し、インド各地に次々と遠征し、その勢力を広げていきました。

 

アラーウッディーンは、グジャラート侵攻に向けメーワ―ル王国内の通過を求めましたが、王のラタン・シンはこれを拒否します。その結果1303年、アラーウッディーンは、チットールガル城を包囲。メーワ―ル王国は約8か月にわたり籠城し激しい攻撃に耐えつつ応戦しましたが、最終的には陥落してしまいます。

 

 

ラージプートの風習ジョーハル

武勇と名誉を何よりも重んじていた誇り高きラージプート族の戦士たちは、最後まで戦い抜き、非業の死を遂げました。残された女性たちも、捉えられることを拒み、自ら、火の中に身を投じたといいます(このような、戦局において敗北が確実となったとき、女性たちが侵略・略奪されないように子どもや金目のものを持って集団焼身自殺を行うことを、ジョーハルといいます。この風習は、ラージプート諸王朝間の内紛に起源をもつとされています)。

 

チットールガル城は16世紀までに度重なる周辺国からの侵略を受けたことで、合計13000人を越える女性がなくなりました。15世紀に建てられた勝利の塔の周囲には、ジョーハルにより亡くなった女性たちの墓石があります。また、このエリアでは、一族の武勲をたたえジョーハルで落命した人々を悼むジョーハル・メーラ(Jauhar Mela)という追悼祭が年中行事として行われています。

 

 

悲劇の王妃パドミニーとインド映画の超大作「Padmaavat」

1540年に描かれた叙事詩「パドマーワト」は、多くのインド人が知る古典文学ですが、2017年12月、この悲劇の王妃パドミニーを主人公にした映画、その名も「Padmaavat」がインドをはじめ全世界で公開されました。

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グーマルのダンスシーンの撮影にあたっては、100人のラージャスターン職人がムンバイの撮影所に40日かけてセットを制作、照明等の撮影準備にさらに2日かかった😯バックダンサーはラージャスターンからムンバイに呼ばれ、4日間かけて撮影された。
#パドマーワト

映画「パドマーワト 女神の誕生」さんの投稿 2019年5月19日日曜日

 

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王妃パドミニ―は実在の人物ですが、その詳細については史実は残っておらず、分からない部分も多いです。叙事詩と映画は、パドミニ―を絶世の美女とし、美と愛を巡る義の戦いの物語にしたものといわれています。
しかし、「パドマーワト」の中では絶世の美女とされ、女性の尊厳を守るため悲劇的な最期も遂げたことから、インド歴史上の女傑のひとりとして、ラージャスターン地方では女神のように信仰されています(映画「パドマーワト 女神の誕生」http://padmaavat.jp/ プロダクションノートより一部抜粋)。

 

・―・―・―・―・― 簡単なあらすじ ・―・―・―・―・

 

女王・パドミニー(Padmini, Padmavati)は、その美貌ゆえにインド国全体で大変な評判になっていた。また、パドミニーは、美しさだけでなく、賢く聡明でもあった。北インド・デリーに構えるハルジー朝の王・アラーウッディーンは、メーワール王にパドミニーの姿を一目見せてくれたらメーワールへの侵略を諦めて撤退すると言った。メーワール王は水面に映るパドミニーの姿をさらに鏡に映してアラーウッディーンに見せたが、鏡に映る姿でもパドミニ―の美しさを確認したアラーウッディーンは、その美しさをどうしても自分のものにしたいと考え、猛攻を仕掛ける。応戦しつつも苦境に立たされるメーワ―ル王国のその後と、パドミニーの判断とは…。

 

・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 

この映画、インド映画史上最高額の制作費がかけられ人々の期待も最高潮のなか公開が待たれていましたが、直前に上映禁止を求めて大規模な反対運動が起こりました。パドミニーとアラーウッディーンのロマンスが描かれているとの噂が流れ、「夫の為に殉死したパドミニーのイメージを汚す」と行った意見が起こり、また他方イスラム指導者側からは「アラーウッディーンの描写が誤っている」として映画の上映中止を求め監督の家の前でデモがおこったり、主演女優に危害を加えるといった脅迫や、映画館が襲撃を受けたり等などが起こったためです…(実際、当時映画館の周辺に警備の人や警官が配置されていたのを見ました…)。

 

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ラタン・シン役のシャーヒド・カプールは、これまで演じてきた役とは異なり得意のダンスシーンが無かったものの、「身体的・精神的に最も挑戦的な役のひとつでありキャリアのターニングポイントになった」とインタビューで答えている👍✨

映画「パドマーワト 女神の誕生」さんの投稿 2019年5月11日土曜日

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そんな上映までに一波乱あった映画ですが、タイトルが変更されたうえで無事公開となりました(以前は、「Padmaavati」というタイトルでした)。日本でも上映されたのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。当時の城塞の様子や人々の衣装などがものすごく豪華で、映画の宣伝文句のとおり、まさに「究極の映像美」!(衣装やジュエリーの制作には、時代や地方の伝統を徹底的にリサーチのうえ、約2年程をかけて作成されたそうです)。

 

#パドマーワト の豪華な衣装制作には何人もの職人が携わり、メインキャストの衣装だけで150着近くを制作👗装身具もパドマーワティとラタンはラージャスターン風、アラーウッディーンはアフガニスタン風のデザインに仕上げられた✨

映画「パドマーワト 女神の誕生」さんの投稿 2019年5月14日火曜日

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内容的に一部の州では上映禁止となったそうですが、最終的には興行収入は58億ルピー越えを記録しており、最終的にはインド映画史上最も興行的に成功した映画の一つとなりました。

 

ちなみに絶世の美女・パドミニーを演じたのは「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」に出演、最近ではハリウッドにも活躍の場を広げている、ディーピカー・パドゥコーンです。パドミニー役の彼女は美しすぎて直視できないほどでした…!!

映画は既にDVD化もされていますので、ぜひご覧になってみて下さい。

 

 

映画の撮影自体は他の城塞ならびにセットで行われ、チットールガル城での撮影は行われなかったそうですが、ウダイプルならびにチットールガル城訪問予定の方は、この映画をご覧になったうえで訪問いただくと、より旅の面白さが増すこと間違いなしです!

 

 

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