【仏陀の道】初転法輪の地サールナートとブッダガヤ

皆様こんにちは。

 

インドの宗教といえば、圧倒的大多数を占めるのがヒンドゥー教ですが、その他にもイスラム教、キリスト教、ジャイナ教、シク教等々多くの信仰が混在しています。

 

仏教もその一つです(2011年の調査では信者はインド全体人口の約0.7%)。

仏教は、紀元前5世紀頃にインドで生まれ、13世紀以降に衰退していきますが、その聖地と呼ばれるスポットはインド国内に点在しています。

 

今回から数回に分けて、インド・ネパールに点在する仏跡をご紹介していきます。

インド国内で仏教徒の多い地域は、ラダックエリアとマハラシュトラ州を中心としたインド中央部ですが、仏跡はビハール州(インド東部)の辺りに多くあります。

 

一般的に4大仏跡と呼ばれているのが、下記の場所です。

・降誕の地 ルンビニ(ネパール)

・初転法輪の地 サールナート

・成道の地 ブッダガヤ

・入滅の地 クシナガル

 

 

■サールナート

インドといえばバラナシのガンジス川を思い浮かべる方も多いと思いますが、そのバラナシ郊外にあるのが、釈尊が初めて説法をした地サールナートです。

 

仏教はここから各地に広まっていきました。

ブッダガヤで悟りを開いた釈尊はかつて苦行を共にした5人の修行者に会い行きます。乳粥の供養を受けた釈尊を「苦行を捨てた者」とし、口をきかないようにしていましたが、近づいてきた釈尊の威厳に打たれ説法を願い出ます。

またここは『鹿野苑』という名でも知られていますが、これは当時ここにたくさんの鹿が住んでいたことに由来しているとの説があり、仏陀の最初の説法もこの5人の弟子と森に住む鹿に対して行われたと言われています。

 

アショカ王(前3世紀中頃)の頃から12世紀までの遺址と多数の彫刻が出土し、グプタ時代に最も栄えたことが明らかになった場所。また東方に現存するダメーク・ストゥーパは、高さ約42m、基部の直径約28mあり、グプタ時代の貴重な例です。現在、公園のようにきれいに整備され、中心には仏舎利を収めたダメーク・ストゥーパが堂々とそびえます。

 

 

バラナシ見学といえば、ガンジス川のボート遊覧がメインになりがちですが、

世界遺産として登録されているサールナートも外せません。

あまり大きくないですが、博物館には初転法輪のレリーフがあります。非常に美しいので、残念ながら撮影は禁止されている博物館なので、バラナシ見学の際には是非訪れてみてください。

(博物館は金曜日が閉館ですが、バラナシ市内から近いので前後のお日にちで訪問スケジュールも調整可能です)

 

 

■ブッダガヤ

釈尊は、人間の4つの苦しみ「生・老・病・死」の答えを求めて出家をします(四門出遊)。

それから6年間、苦行を続け、尼連禅川を渡った村でスジャータという娘からの乳粥供養を受けます。そして、苦行が悟りをひらくための道ではないことを自覚します。

その後、ウルベーラの森(現在のブッダガヤ)に辿り着き、大きな菩提樹の木の下で、深い瞑想の後、悪魔(マーラ)の数々の誘惑を退けます(降魔成道)。そして、悟りをひらき仏陀となりました。

 

 

ブッダガヤには、全ての仏教徒にとってとても重要なマハーボディ寺院(世界遺産)があります。

アショカ王が紀元前3世紀に建てた寺院が起源と言われていますが、現在の寺院は、総レンガ製の南インド・トラヴィダ様式でグプタ朝(5~6世紀)建立のもの。

高さ55mで現存する最古の仏教寺院のひとつです。

 

菩提樹(5代目だそう)のもと金剛宝座で成道された後、釈尊は、第1週目は同じ金剛宝座で禅定を続けられました。

 

釈尊成道後、第6週目は豪雨が荒れ狂い、ムチリンダ竜王に守られながら禅定に入っと言われています。

 

※本物のムチリンダ池はブッダガヤ郊外にあります。

 

夜間はライトアップされているので、是非ブッダガヤで一泊した際には夜も訪れてみてください。

 

 

次回は、ラジギールをご紹介します。

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季節限定のフラワースポット! マハーラーシュトラ州のカース高原

インドでフラワーウォッチングというと、高山植物をご紹介することが多いのですが、もっと気軽にお花を楽しめる場所があります。

しかも、季節限定のお花畑!

場所はマハーラーシュトラ州(州都はムンバイです)のカース高原。

 

カース高地はムンバイに近い、サタラの町近くにある高原です。2012年にユネスコの世界自然遺産になり注目を集めた場所で、生物多様性ホットスポットのひとつとされています。

地質的には南アメリカのギアナ高地に近い、古い地層が水によって削られたテーブルマウンテンです。テーブルの上はモンスーンの大量の雨に洗われ、栄養分が異常に少ない状態です。雨季には、水を通さない硬い岩盤の地層があり、小さな湿原が出現、乾季には非常に乾燥します。このため、木が生えることができずに草地となり、雨期~雨期明け(9月中~下旬)にお花畑となります。

標高は約1200m、1000ha/の広さ(東京ドーム約213個分)のですが、歩くことができるエリアは限られています。

多くの固有種があり固有種を含む850種もの植物が知られています。特異な科、属の植物は多くありませんが、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の植物や、日本には近縁種のないツユクサ科の植物、キク科キオン属が見られます。

 

 

■バルサミナ・ツリフネソウ(Inpatiens balsamina)  ※ホウセンカ

 

■オポシティフォリア・ツリフネソウ(Inpatiens oppositifolia)

■ヒルスタ・シバネム(Smithia hirsuta)マメ科シバネム属

※通称ミッキーマウスソウ

 

■ツベロサ・アラゲツユクサ(Cyanotis tuberosa)ツユクサ科

 

■ボンベイエンシス・キオンSenecio bombyensis ※キオン属

 

■デカネンシス・ミズネコノオ(Pogostemon deccanensis)

 

■ショウガの花(Hitchenia-caulina)

 

■murdannia lanuginose murudanniaツユクサ科イボクサ属

※カース高原の固有種

 

■ゲセネリオイデス・ストライガ(Striga gesnerioides)ハマウツボ科の寄生植物

 

■プルプラセンス・ミミカキグサ(Utricularia purpurascens)

ムンバイからもバスで簡単にアクセスできる、季節限定のフラワーウォッチング。公園ではないエリアですが、拠点となる町・サタラ近くには「トーセガの滝」と呼ばれる滝があり、その周辺も同じような植生で、お花が咲いています。カース高原は観察をしていると、監視員の人が花を踏まないように、ピーピーと笛で注意してくるので、こちらの方が観察がゆっくり楽しめるかもしれません。

 

↓ ↓ デカネンシス・ミズネコノオの群生 ↓ ↓

 

あまりメジャーではありませんが、季節限定の美しいツリフネソウの群生を見に、是非訪れてみてください。

 

 

 

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インドの地理②ヒンドゥスタン平原とモンスーン(季節風)

前回の「インドの地理①」ではインド亜大陸についてご紹介しました。今回はインドの地理に関係するもの②として、ヒンドゥスタン平原とインドを代表する河川、そしてモンスーンについて、ご紹介します。

■ヒンドゥスタン平原

ヒンドゥスタン平原はパキスタンのインダス川、バングラデシュに注ぐブラフマプトラ川、そしてインドのガンジス川という3つの大河によって形成された平野部を指し、地図上で見ると「へ」の字状に広がっているエリアです。

 

インド地理図
インド地理図

 

現代の主な都市では、上流部ではヨガの聖地として知られるリシケシュデリー・アグラ・ジャイプルのいわゆる「ゴールデン・トライアングル」、下流域ではヒンドゥー教の聖地バラナシ、仏陀が悟りを得たブッダガヤをはじめとする仏教聖地などがこの平野に含まれます。インドの観光地としては最も人気の高いエリアです。

 

母なる大河・ガンジスとバラナシのガート群
ブッダガヤのマハーボディ寺院
ブッダガヤのマハーボディ寺院
ビハール州での収穫の様子。ガンジス川が悠々と流れるこのエリアは、大変肥沃な土地のため農作業が盛んです

 

ガンジス川はヒマラヤ山中のガンゴードリー氷河がその水源とされ、上流部ではリシケシュやハリドワール、中流域でカーンプルの街を通り、バラナシの約120㎞上流側のアラーハーバードでヤムナー川と合流します。その後バラナシ、パトナーを通り、下流域はバングラデシュに入って、最終的にベンガル湾へと注ぎ、河口部で巨大なデルタ地帯を形成しています。

 

ガンジス川の源流となるガンゴトリ氷河の末端:ゴウムク
ガンジス川の源流となるガンゴトリ氷河の末端:ゴウムク
ガンゴトリ氷河末端部から仰ぎ見るメルー山(6660m)
ガンゴトリ氷河末端部から仰ぎ見るメルー山(6660m)

 

ヤムナー川はガンジス川の源流であるガンゴードリー氷河から西に約70㎞の地点に水源をもち、ガンジス川に並行するように流れたのちに合流します。ガンジス川―ヤムナー川の流域は二河地帯と呼ばれ、豊富な水源と肥沃な大地を基盤として、有史以来多くの国々が興亡を繰り返してきた地域です。

 

アグラ城よりヤムナー川を挟んで見るタージ・マハル
アグラ城よりヤムナー川を挟んで見るタージ・マハル

ブラフマプトラ川は、中国・チベット自治区の南部からインド北東部、バングラデシュを流れる大河川です。全長約 2900kmで、ヒマラヤ山脈北のカンティセ 山脈を源を発し、インドのアッサム州、そこからバングラデシュとの国境で南に向きを変え、ダッカ西方 60kmでガンジス川下流のパドマ川と合流、その後ベンガル湾に注ぎます。

 

ブラフマプトラ川でのクルーズ

 

 

■モンスーン(季節風)とは

インドの1年の季節は主に暑期/雨季/乾季に分けられます。4~5月は時に気温が45度まで上がるような猛暑が続き、6月からは徐々に湿度が上がって9月末までモンスーンの時期、つまり雨季となります。

観光のベストシーズンは9月末~3月までの乾季で、この期間は気温・湿度ともに下がり過ごしやすい気候が続きます。1~2月頃は冬の時期となりますが、厳寒期に南下してくる大陸性の寒気は急峻なヒマラヤ山脈に遮られるため冬の寒さは平野部では厳しくありません。

 

このような気候の変遷には、モンスーン(季節風)の働きが大きく影響しています。では、そのモンスーンとはいったいどのようなものでしょうか。

モンスーンとは、もともとアラビア語起源の単語です。ある地域で特定の季節に吹く決まった方向の風を指しており、世界各地にその土地の季節風が存在します。インドの場合、アフリカの東側の海洋からアラビア海とインド洋で水分を蓄えながら“暖かい湿った空気“へと成長し、6月頃に南東からインドへ上陸して大量の雨を降らせます。「モンスーン」のみで、雨季を指すこともあります。

 

インドのモンスーン期、大量の雨が降り注ぎ道路が川のようないなってしまうこともしばしば… (写真:The straits times.com )
雨期、激しい降雨により泥にはなった道路にはまる車両… (写真:CNN.com)

 

また、乾季となる9月末以降は逆に大陸側(北側)から“冷たく乾いた空気”の大陸性モンスーンがやってきます。しかしこの寒気は上述したようにヒマラヤ山脈に遮られ、あまり平野部の人々には影響はありません。そのためインドの冬は穏やかで雨の少ない観光のベストシーズンとなっています。

 

インドにおけるモンスーンは莫大な降雨で河川の氾濫を起こす災厄でありながら、同時に水資源と肥沃な氾濫原をもたらす恵みあるものでもあります。現代ヒンドゥー教の主神のひとつシヴァの原型はアーリヤ人のヴェーダ信仰にあるモンスーンをつかさどる魔人ルドラと考えられていることからもわかるように、古代よりモンスーンは人々の暮らしに直結するものでした。現代でも河川の氾濫による被害もあれば、水資源に乏しい地域では雨季の降雨量が少ないと乾季に深刻な水不足に見舞われるなど、生活を大きく左右する存在です。

 

夏のモンスーンはインド亜大陸を抜けてさらに北東へ進みます。中国南部・南シナ海を経由して日本にまで及んだモンスーンが日本近海で中国内陸からの揚子江気団とぶつかって沖縄から九州南部にかけての地域で停滞前線が生まれ、これが梅雨前線と呼ばれ日本に梅雨の始まりをもたらしています。

 

Text by Okada

 

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インドの地理①「インド亜大陸」とは

インドは、329万㎢もの土地を有しており、世界第7位の大きさです。その国土の北側はヒマラヤをはじめとする山脈で区切られ、半島状に突き出た南側は海によって他の陸地から隔てられています。このような独立性の高い領域は、もともとは大陸移動によって形成されたものであり、その結果生まれたエリアを「インド亜大陸」と表現します。

 

およそ2億年前に最後の超大陸・パンゲアが分裂を始め、その際にアフリカ、マダガスカル、オーストラリア等と共に南側に位置していた古インド亜大陸は徐々に北上し、4500万年前ごろに古ユーラシア大陸に衝突しました。

その際に2つの大陸間の海の堆積物等が隆起して生まれたのがヒマラヤをはじめとする北部の山脈であり、そのためにエベレストなどヒマラヤの超高度地帯で海生生物の化石が発見されることはよく知られています。

 

インド半島を乗せたインド・オーストラリアプレートは現在も北上を続けており、ヒマラヤ山脈は今でも年間に2~3㎝程度ずつその標高を高くしています。

 

インド亜大陸地形図
インド亜大陸地形図。北の山脈群(黄)とチベット高原(茶)、その南にインダス川とガンジス川によって作られたへの字型の平野(青)、デカン高原(緑)が見て取れます。(出典:国土地理院/GSI Maps デジタル標高地形図)

 

「インド亜大陸」は「インド半島」とも呼ばれ、西側のパキスタンやアフガニスタン、東のネパール、バングラデシュ、ブータンなど周辺諸国も含みます。用語としてはもともと地理的な要素を示すものですが、このような特徴的な地理条件は結果として文化圏の形成にも寄与したため、この地域をある程度の共通性を持つ文化圏としても捕らえることができます。ただし、文化圏として呼称する際にはスリランカを含めて「南アジア」の語を用いるのが一般的です。

 

■「インド亜大陸」の範囲

大陸は海洋によってその境界線が引かれますが、インド亜大陸の境界線はどこになるのでしょうか。

 

ユーラシア大陸から南に向かって半島状に飛び出しているインドでは、まず南側は海洋が境界となります。西側はアラビア海、東はベンガル湾、南にはインド洋が広がっています。この3つの海を一度に見ることのできるインド半島南端のカニャークマリのコモリン岬は、インド国内でも人気のある観光地の一つです。

 

カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日
カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日

 

そして、インド亜大陸の北側の境界線はいくつかの山脈によって引かれています。これらの山脈は先に述べた大陸移動による大陸同士の衝突によって生まれたもので、世界最大の高山地帯となっています。

 

インド地理図
インド亜大陸の主な山脈と河川 (出典:辛島昇 編 『《新版世界各国史》7.南アジア史』山川出版社 2004)

 

西から順にみていくと、まずパキスタン側はスレイマン山脈が連なり、その麓にはさらに北西へ進むとアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈、パキスタン・中国国境部のカラコルム山脈、中国・ネパール・ブータンと接するヒマラヤ山脈、ミャンマーとの国境となるアラカン山脈へと東へ続きます。

 

急峻な山脈は大規模な民族移動や外敵の侵入を防ぎ、インド亜大陸の独自色を高める要因となりました。数少ない交通路となったカイバル峠(パキスタン/アフガニスタン国境部)は交通の要所となり、アレクサンダー大王やムガル帝国の建国者・バーブルもこの峠からインドへ進軍しています。

 

ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)
ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)

 

■北インドと南インド、デカン高原

北側をこれらの山脈に囲まれたインドですが、インドの中央部にも山脈が連なっています。インド半島の中央部を東西に走るヴィンディヤ山脈は南北インドの境とされる場合もありますが、現在では南の西ガーツ・東ガーツ山脈とあわせてこれら3つの山脈で囲まれた範囲をデカン高原として捉え、その周縁海側の平野部を南インドと表現するのが一般的です。

 

カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
広がるデカン高原と西ガーツ山脈のテーブルマウンテン

 

西ガーツ山脈(別称:サーヤドリ山脈)はアラビア海に沿い、総延長1600kmにわたり南北に連なります。平均標高は1,000mで、最高峰のアナイムディ山は2,695mの標高を誇ります。対して東ガーツ山脈は4つの河川によって分断されており、標高も西ガーツ山脈と比較すると低い山脈です。デカン高原・南インドでは、西ガーツ山脈を分水嶺として西側は傾斜の強い河川が多く、対して東側は大河川と共に肥沃なデルタ地帯が形成されています。

 

 

■平野と文化圏

これらの山脈、そして山脈を水源とする河川はインドの歴史を形作る一つの条件となってきました。南北の山脈からの豊富な水資源を持つ北部の平野はヒンドゥスタン平野と呼ばれ、西から現パキスタンのインダス川、インド北部をほぼ横断するガンジス川、インド北東部からバングラデシュへ流れるブラフマプトラ川の流域を指します。

 

特にガンジス川流域は、紀元前1000年頃からアーリア人が進出し、(北)インドの歴史の表舞台となってきた地です。上流域はヤムナー川が並行する両河地帯、中・下流域では2河川が合流しています。この2地域は諸国興亡の時代が続き、統一を果たしたのはインド史上においてもマウリヤ朝、グプタ朝、ムガル帝国の3勢力のみでした。

 

ガンジス川の朝の風景
ガンジス川の朝の風景

 

また、その他の地域でも河川を基軸に諸王国が興亡しますが、西海岸・東海岸・北東部の勢力範囲を超えることはほぼなく、インド史の勢力図が山脈と河川とによって大きく規定されてきたことがよくわかります。

 

日本の約8.7倍の面積を持つインド。地理的な条件でも多様な側面を持ち、各地の歴史や文化を形作っています。各地で大きく気候も異なるため、一つの国であっても様々な環境、そしてそれに基づく文化を感じられるところがインドという国の魅力でもあると思います。地理に関する記事はこれからもいくつか投稿していきますので、ぜひこの先もご覧いただければ幸いです。

 

Text by Okada

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