インドの地理①「インド亜大陸」とは

インド亜大陸地形図

インドは、329万㎢もの土地を有しており、世界第7位の大きさです。その国土の北側はヒマラヤをはじめとする山脈で区切られ、半島状に突き出た南側は海によって他の陸地から隔てられています。このような独立性の高い領域は、もともとは大陸移動によって形成されたものであり、その結果生まれたエリアを「インド亜大陸」と表現します。

 

およそ2億年前に最後の超大陸・パンゲアが分裂を始め、その際にアフリカ、マダガスカル、オーストラリア等と共に南側に位置していた古インド亜大陸は徐々に北上し、4500万年前ごろに古ユーラシア大陸に衝突しました。

その際に2つの大陸間の海の堆積物等が隆起して生まれたのがヒマラヤをはじめとする北部の山脈であり、そのためにエベレストなどヒマラヤの超高度地帯で海生生物の化石が発見されることはよく知られています。

 

インド半島を乗せたインド・オーストラリアプレートは現在も北上を続けており、ヒマラヤ山脈は今でも年間に2~3㎝程度ずつその標高を高くしています。

 

インド亜大陸地形図
インド亜大陸地形図。北の山脈群(黄)とチベット高原(茶)、その南にインダス川とガンジス川によって作られたへの字型の平野(青)、デカン高原(緑)が見て取れます。(出典:国土地理院/GSI Maps デジタル標高地形図)

 

「インド亜大陸」は「インド半島」とも呼ばれ、西側のパキスタンやアフガニスタン、東のネパール、バングラデシュ、ブータンなど周辺諸国も含みます。用語としてはもともと地理的な要素を示すものですが、このような特徴的な地理条件は結果として文化圏の形成にも寄与したため、この地域をある程度の共通性を持つ文化圏としても捕らえることができます。ただし、文化圏として呼称する際にはスリランカを含めて「南アジア」の語を用いるのが一般的です。

 

■「インド亜大陸」の範囲

大陸は海洋によってその境界線が引かれますが、インド亜大陸の境界線はどこになるのでしょうか。

 

ユーラシア大陸から南に向かって半島状に飛び出しているインドでは、まず南側は海洋が境界となります。西側はアラビア海、東はベンガル湾、南にはインド洋が広がっています。この3つの海を一度に見ることのできるインド半島南端のカニャークマリのコモリン岬は、インド国内でも人気のある観光地の一つです。

 

カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日
カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日

 

そして、インド亜大陸の北側の境界線はいくつかの山脈によって引かれています。これらの山脈は先に述べた大陸移動による大陸同士の衝突によって生まれたもので、世界最大の高山地帯となっています。

 

インド地理図
インド亜大陸の主な山脈と河川 (出典:辛島昇 編 『《新版世界各国史》7.南アジア史』山川出版社 2004)

 

西から順にみていくと、まずパキスタン側はスレイマン山脈が連なり、その麓にはさらに北西へ進むとアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈、パキスタン・中国国境部のカラコルム山脈、中国・ネパール・ブータンと接するヒマラヤ山脈、ミャンマーとの国境となるアラカン山脈へと東へ続きます。

 

急峻な山脈は大規模な民族移動や外敵の侵入を防ぎ、インド亜大陸の独自色を高める要因となりました。数少ない交通路となったカイバル峠(パキスタン/アフガニスタン国境部)は交通の要所となり、アレクサンダー大王やムガル帝国の建国者・バーブルもこの峠からインドへ進軍しています。

 

ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)
ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)

 

■北インドと南インド、デカン高原

北側をこれらの山脈に囲まれたインドですが、インドの中央部にも山脈が連なっています。インド半島の中央部を東西に走るヴィンディヤ山脈は南北インドの境とされる場合もありますが、現在では南の西ガーツ・東ガーツ山脈とあわせてこれら3つの山脈で囲まれた範囲をデカン高原として捉え、その周縁海側の平野部を南インドと表現するのが一般的です。

 

カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
広がるデカン高原と西ガーツ山脈のテーブルマウンテン

 

西ガーツ山脈(別称:サーヤドリ山脈)はアラビア海に沿い、総延長1600kmにわたり南北に連なります。平均標高は1,000mで、最高峰のアナイムディ山は2,695mの標高を誇ります。対して東ガーツ山脈は4つの河川によって分断されており、標高も西ガーツ山脈と比較すると低い山脈です。デカン高原・南インドでは、西ガーツ山脈を分水嶺として西側は傾斜の強い河川が多く、対して東側は大河川と共に肥沃なデルタ地帯が形成されています。

 

 

■平野と文化圏

これらの山脈、そして山脈を水源とする河川はインドの歴史を形作る一つの条件となってきました。南北の山脈からの豊富な水資源を持つ北部の平野はヒンドゥスタン平野と呼ばれ、西から現パキスタンのインダス川、インド北部をほぼ横断するガンジス川、インド北東部からバングラデシュへ流れるブラフマプトラ川の流域を指します。

 

特にガンジス川流域は、紀元前1000年頃からアーリア人が進出し、(北)インドの歴史の表舞台となってきた地です。上流域はヤムナー川が並行する両河地帯、中・下流域では2河川が合流しています。この2地域は諸国興亡の時代が続き、統一を果たしたのはインド史上においてもマウリヤ朝、グプタ朝、ムガル帝国の3勢力のみでした。

 

ガンジス川の朝の風景
ガンジス川の朝の風景

 

また、その他の地域でも河川を基軸に諸王国が興亡しますが、西海岸・東海岸・北東部の勢力範囲を超えることはほぼなく、インド史の勢力図が山脈と河川とによって大きく規定されてきたことがよくわかります。

 

日本の約8.7倍の面積を持つインド。地理的な条件でも多様な側面を持ち、各地の歴史や文化を形作っています。各地で大きく気候も異なるため、一つの国であっても様々な環境、そしてそれに基づく文化を感じられるところがインドという国の魅力でもあると思います。地理に関する記事はこれからもいくつか投稿していきますので、ぜひこの先もご覧いただければ幸いです。

 

Text by Okada