チャンディーガル建築さんぽ 
【番外編】ピエール・ジャンヌレ

チャンディーガル建築博物館に展示されているジャンヌレの椅子

ナマステ!西遊インディアです。

今回は、チャンディーガル建築さんぽの番外編。ル・コルビュジエとともにチャンディーガル都市計画を成功させた立役者の一人である、建築家ピエール・ジャンヌレについての記事です。
 
近年、日本のインテリア業界でも「プロジェクト・チャンディーガル」の家具シリーズが人気を博し、注目を集めるピエール・ジャンヌレ。
都市計画の際につくられた家具が展示されている建築博物館と、実際にジャンヌレが暮らした邸宅を改装したジャンヌレ博物館もあわせてご紹介します。
 
■もくじ
1. コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ
2. チャンディーガル建築博物館
3. ピエール・ジャンヌレ博物館

1.コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ

ピエール・ジャンヌレCasa le roche, CC BY-SA 3.0,Wikimedia Commons

1896年、スイスのジュネーヴに生まれたピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret(1896年3月22日-1967年12月4日)。ル・コルビュジエの従兄弟にあたります。
ジュネーヴの美術学校で建築を学んだのち、パリに移住し、1922年にエドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とアトリエ事務所を設立。コルビュジエの重要なパートナーとして、建築実務を担当しました。
その信頼関係の強さは、コルビュジエがチャンディーガルの都市計画を引き受ける際に、ジャンヌレを現地監督とすることを条件にするほど。それほどジャンヌレはコルビュジエにとって重要な存在でした。
ちなみにチャンディーガルの都市の中でジャンヌレが製作した代表的な建造物は、パンジャブ大学のガンディー・バワン、セクター17のバスターミナル、マウントビューホテルなどがあります。
スクナ湖でボートに乗るコルビュジエとジャンヌレ AmitojSingh1, CC BY-SA 4.0, Wikimedia commons

ジャンヌレと家具
ジャンヌレは建築だけでなく、家具の設計も行いました。コルビュジエと共同することもあれば、独立して制作したものもあります。
なかでも、ここ10年ほどで脚光を浴びているのが、ジャンヌレがチャンディーガル都市計画のプロジェクトと一緒にデザインした、椅子をはじめとした家具。
大学や裁判所など、都市計画で造られた建物に設置するために製作されたのもで、現在も裁判所内にはジャンヌレのデザインした椅子が置かれています。
建築博物館に展示されるジャンヌレの椅子

当時は、まだ工業化が進んでいなかったインド。数千脚以上も製作する必要があったため、チャンディーガルを含め、各地で現地製作チームの職人たちがジャンヌレ(ジャンヌレがリーダーを務めた製作チーム)の作成した図面から、手作業で家具を作ることになりました。
 
現地のさまざまな工房の職人が製作できるよう、図面と大まかなアドバイスだけで実現可能なデザインを考案。留め具を使わないシンプルな技術が用いられ、素材には、昔からよく流通していて入手が簡単だったチーク、サトウキビなど地元の素材が利用されました。
チャンディーガル建築博物館に展示されている、ジャンヌレデザインのデスクと椅子

これらの家具は販売用ではなく、プロジェクトで建造する官公庁などに置くためのものだったこともあり、必ずしも図面通りである必要はなく、それぞれ現場の状況判断でアレンジしても構わなかったそうです。そのため同じ図面を元にしていても、様々なバリエーションが存在します。
こうした経緯で、元来あるインドの伝統的な手工芸とジャンヌレのデザインが掛け合わされたことによって、現代においても愛されるモダンな作品が生まれました。
 
しかし、1990年代には、老朽化のためスクラップとして投げ売りされたり、廃棄されていたこともありました。現在では信じられないような状況です。
そこに目をつけたのがパリのギャラリー。収集を始め、展示会等を開いたことにより影響力のあるクリエイターの目にとまり、世界中から注目を集めることになりました。
2015年にはインドの工房が復刻版製作プロジェクトをはじめ、その優れたデザイン性が広く知られることに。今ではオークションで高値で取引されたり、日本でもジャンヌレの家具を集めた展覧会が開かれるほどの人気があります。
チャンディーガル・プロジェクトのメンバー写真(中央がコルビュジエ、左隣のその隣、白いスーツがジャンヌレ/チャンディーガル建築博物館)

2.建築博物館 Chandigarh Architecture Museum

実際にジャンヌレの家具が見られる場所を訪れてみました。
まずは、チャンディーガル都市計画の軌跡を中心に展示する建築博物館。
博物館や美術館があつまるセクター10の、政府博物館・美術館(The Government Museum & Art Gallery)と同じ敷地内にあります。

チャンディーガル建築博物館の入口

入館料10ルピー、カメラ持ち込み代は10ルピー。
キャピトルコンプレックスの立法議会棟などと同様、貴重品以外のバッグは入口の棚に預けます。

中には、チャンディーガル都市計画の設計図や模型、当時の写真に加え、ジャンヌレの椅子の様々なバリエーションも展示されていました。

座り心地を体感してみたい気もしますが、貴重な展示物なので座るのは禁止です。

3.ピエール・ジャンヌレ博物館 Pierre Jeanneret Museum

次に、ピエール・ジャンヌレの暮らした邸宅をミュージアムとして開放しているピエール・ジャンヌレ博物館(Maison Jeanneret)。
こちらはキャピトルコンプレックス近くのセクター5、都市計画でつくられた人工湖のスクナ湖のそばの住宅地にあります。

メゾン・ジャンヌレ(ピエール・ジャンヌレ博物館)

入館料20ルピー、カメラ持ち込み代は30ルピー。
建物に入る前にレセプションで手続きをして、中を見学します。

内部には写真や手紙の展示、そしてめったに見ることのできないジャンヌレ私物の木製家具などを通して、ジャンヌレがインドで過ごした時間と創作のプロセスを垣間見ることができます。

椅子のミニチュア展示も

3階建てのうち、2階までは博物館、3階は宿泊施設として改装され、なんと予約をすれば実際に宿泊することもできます。


インドを去る1965年まで、ジャンヌレは実際にこの邸宅で暮らしていました。

裏庭から見た建物。目のような形をした窓は外からみるとこんな感じです

ジャンヌレは都市計画が始まってからチャンディーガルに移り住み、コルビュジエがプロジェクトを去った後も、この地に留まり約14年間暮らしました。そこでチャンディーガルのチーフ・アーキテクトとして、またインドの近代建築の発展に寄与したのち、1965年に病気のためインドを離れ、1967年に死去。
ジャンヌレの遺言により、遺灰は遺族によってスクナ湖に散骨されたそうです。
 
天才でありながらもコルビュジエの影に徹したジャンヌレですが、今なおその功績を称えて保存される建築物や彼の軌跡から、チャンディーガルに対する思い入れと繋がりの深さが伝わってきます。
市民の憩いの場になっているのどかなスクナ湖

 
※入館料などの情報は2024年2月訪問時のものです。ご訪問の際は最新情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、建築博物館及びジャンヌレ博物館展示物
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , ,

チャンディーガル建築さんぽ② 世界遺産キャピトル・コンプレックス(後編)

影の塔と奥に見える立法議会棟

ナマステ!西遊インディアです。
今回はチャンディーガル建築さんぽその2。コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる、世界遺産「キャピトルコン・プレックス」紹介の後編です。街の歴史、高等裁判所、オープンハンド・モニュメントにつづき、キャピトル・コンプレックスと、市街地で見られるゆかりの建築物をご紹介します。

 
■もくじ
1. キャピトル・コンプレックス(後編)
– 影の塔
– 行政庁舎
– 立法議会棟
2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

1. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex (後編)

影の塔 La Tour des Ombres
高等裁判所の対面に位置する「影の塔」。ル・コルビュジエは、太陽の動きが人間の生活に及ぼす影響を重要視していました。それが顕著に見てとれるのが「影の塔」で、太陽の動きと、太陽の光がどのように影を落とすかを入念に研究した上で設計されています。

影の塔 La Tour des Ombres

「影の塔」には壁がなく、コンクリートのパネルを組んだ風通しの良いつくり。太陽光の入らない北側は開放されていて、他の3面はブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)で覆われています。驚くのは、これだけ隙間があるのに、構造物の中は太陽光が遮られて暑さが和らぐこと。影の塔は、一年、一日を通して、すべての角度から太陽光を遮れるよう考えられたブリーズ・ソレイユの実験的な建築物でした。コルビュジエの没後に完成したものですが、建築デザインによって太陽光を制御するコルビュジエの理論が詰め込まれたモニュメントです。
影の塔 内観

 
ちなみに、前回の記事でご紹介した高等裁判所から影の塔へ向かう途中にも、2つのモニュメントがあります。
ひとつは、陰の塔の近くにある「幾何学の丘」(The Geometric Hill)。建設廃材で作ったという小さな丘の上部は芝生で覆われていて、基部の斜面には24時間の太陽の動きを描いた抽象的なレリーフがあります。人間の活動を支配する、と考えられた光と闇のバランスを図に模したもので、Path of the Sun(太陽の道)ともよばれます。アート作品のひとつとして、また大通りから議事堂を遮る視覚的な障壁としての役割もあるそうです。

幾何学の丘 The Geometric Hill

もうひとつは、殉教者記念碑(Martyr’s Memorial)
国会議事堂のすぐ右手にあるモニュメントで、この記念碑は、インドの自由闘争に命を捧げたすべての人々を称えたもの。傾斜したコンクリートの壁と、分割統治中に命を落とした人々の犠牲と殉教を描いた彫刻群によって形成されています。記念碑は正方形の囲いから構成され、スロープを登ると囲いの中には、横たわる男性、蛇、ライオンの像があります。スロープの壁とコンクリートの囲いには、インドの宇宙観のシンボルである車輪「ダラムチャクラ」と、幸福・吉祥の印としてよく使われる卐「スワスティカ」(太陽の動きと人間の一生、そしてそれらが人間に与える影響を表しているとも)が描かれています。

殉教者記念碑

行政庁舎 Secretariat
1953~1959年にかけて建設された行政庁舎。事務局棟の役割をもち、市内にある他のモニュメントの中で最も高く、大きい建造物です。8階建てのコンクリート・スラブ(コンクリート製の板)でできており、中央にある彫刻が施された2階建ての柱廊(吹き抜けの廊下)が特徴的。閣僚の執務室があるのもこの建物です。日によっては、内部と屋上庭園を見学できることもあり、屋上からはセクター1の景色を望むことができます。

行政庁舎

 
立法議会棟 Vidhan Sabha
ミニ見学ツアーでは最後の見学場所にあたる立法議会議事堂。南東端、高等裁判所に面して建ち、まずはじめに目がいくのは、なんといっても屋根から突き出るような円柱型のクーポラ(ドーム状の円屋根)でしょう。
その左にはハリヤナ立法府を収容するピラミッド型の塔、そして牛の角を模したというユニークな雨樋、それを支える柱廊は、たとえ建築の知識がなくても印象に残るユニークな形状です。
立法議会棟 正面外観

柱廊の壁面にあるドアには、コルビュジエ自身が描いたキュビズムの壁画があります。コルビュジエはネルー首相に、新しいインドと近代的なビジョンを表現するためにどんなシンボルを描くか相談しましたが、ネルー首相はコルビュジエに自ら考案するよう託したそうです。

コルビュジエがデザインした扉

鮮やかに彩られた扉は上下半分ずつ分かれており、上半分には、人間と宇宙との関係(夏至、月食、春分など)が描かれ、下半分には動物や自然の姿が描かれています。砂漠は、地球本来の秩序を、緑はエデンの園を表しているのだそう。川、木、雄牛、亀、蛇なども描かれ、扉の中央にある「知恵の樹」には果実が実っています。
コルビュジエのサイン

コンクリートを20世紀の溶けた岩(溶岩)と表現したコルビュジエ。コンクリートの柱の側面には、コルビュジエの理論を象徴する「モデュロール・マン」(人体の寸法に黄金比やフィボナッチ数列を当てはめたル・コルビュジエ独自の尺度)も。コルビュジエがスケッチした図案を木片に彫刻し、型枠にコンクリートを流し込んだもの。
「モデュロール・マン」のレリーフ

柱廊にも様々な建築技巧があり、見ていて楽しいです

立法議会棟の左側から回り込み、内部の見学へ。左側面の角度から建物を見ると、雨樋がくるんと反り返ったような牛の角を模しているのがわかります。
左側から見た立法議会棟

サイドの採光も工夫がなされています

建物内部の見学は、カメラやスマホ、バッグなどの持ち込みは禁止されているため、お財布やパスポート以外はすべて受付に預けていきます。
写真でお伝えできないのが残念ですが、内部は、無機質な外観からは想像できない自由なつくりで、コルビュジエらしいスロープと柱で構成された抜けのある造り。それぞれの部屋が集まった一つの村のようにも思え、建物の固定観念を覆されるような空間です。
なかでも特筆すべきなのは議場。ホールに円形のフォルムが採用されており、厚さ15cmの双曲面シェルでつくられています。ドームのような天井にあしらわれた雲をイメージしたモニュメントはコットンとメタルで作られており、パンジャーブでとれた素材を使っているそうです。
 
▼内観(下記、チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

▼議場の内観

立法議会棟を見学したら、ミニツアーは終了。所要時間は1時間半ほどでした。

2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

街全体がデザインされているため、セクター1だけでなく街なかのお散歩中にも、コルビュジエやチャンディーガル都市計画ゆかりの場所に出会えます。
 
■都市計画でつくられた人工湖「スクナ湖」
ル・コルビジェの従兄弟であり、右腕でもあったピエール・ジャンヌレ。都市の建設から成長を見守り続け、チャンディーガルの街を愛したジャンヌレ本人の遺言により、彼の遺灰はこのスクナ湖に散骨されました。

スクナ湖。市民の憩いの場

■セクター17

セクター17の広場

ショッピングモールや映画館のあるセクター17の広場。コルビュジエが行ったのはレイアウトのみとされていますが、広場の中心には噴水のモニュメントがあり、チャンディーガルの都市プロジェクトに深く関わった建築家の一人であるM.N.シャルマによって設計されたものです。
「新たな夜明け」の象徴ともいわれる、雄鶏のモニュメント

 
同じくセクター17にある映画館、ニーラム・シネマ(Neelam Cinema)は、チャンディーガルに最初に建てられた3つの劇場のうちのひとつ。ル・コルビュジエと従兄弟のピエール・ジャンヌレの指導のもと、建築家アディティヤ・プラカシュが設計したものです。
ニーラム・シネマ

▼レトロな劇場の内観(チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

ほかにも、ピエール・ジャンヌレが蓮の形をイメージして建築した講堂「ガンディー・バワン」など、ゆかりの地が各所で見られます。
 
コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」と街の歴史、ゆかりの見どころのご紹介でした。

その3以降では、博物館と建築に焦点をあてて、ル・コルビュジェ・センター、政府博物館・美術館、建築博物館、そして昨今、世界中のオークションで椅子などの家具が取引され人気を博している、ピエール・ジャンヌレのミュージアムについてご紹介します!

 
※ミニツアーの内容は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式Facebook
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , ,

チャンディーガル建築さんぽ① 世界遺産キャピトル・コンプレックス(前編)

チャンディーガルのシンボル「オープンハンド・モニュメント」

ナマステ!西遊インディアです。
前回、インド版新幹線Vande Bharat Expressの乗車体験レポートをアップしましたが、今回はその際に訪れたチャンディーガルの見どころスポットをご紹介します。
 
モダニズム建築の巨匠とよばれるル・コルビュジエ(Le Corbusier) が唯一、都市計画を実現したチャンディーガル。チャンディーガルの街自体の特徴や歴史をなぞりつつ、実際に訪れた体験を盛り込んで「建築さんぽ」をテーマに、複数回に分けて記事にしてみました。旅のご参考になればうれしいです。
 
さて1回目は、チャンディーガルがどんな場所なのか、そしてチャンディーガルを訪れるなら外せない!コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」の紹介です。
 
■もくじ
1. チャンディーガルってどんな街?
– 州ができた経緯
– 都市計画とル・コルビュジエ&ピエール・ジャンヌレ
– 人体になぞらえた街の構造
 
2. キャピトル・コンプレックス (前編)
– 高等裁判所
– オープンハンド・モニュメント

1. チャンディーガルってどんな街?

首都デリーから北へ約240km、ヒマラヤ山脈の麓に位置するチャンディーガル(Chandigarh)の街。建築や美術、コルビュジエに興味のある方は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。チャンディーガルはパンジャーブ州とハリヤナ州の両方の州都としての機能をもつ、ちょっと特殊な連邦直轄領です。チャンディーガルはなぜ、このような重要なポジションなのでしょうか。それには州として成立した歴史背景が大きく関わっています。


 
 
州ができた経緯
州の成立は第二次世界大戦後の1947年。イギリスによる植民地支配が終わると、英領インド帝国はヒンドゥー教徒が多数を占めるインドと、イスラム教徒が多数を占めるパキスタンに分割されました。
旧パンジャーブ州は新たに引かれた国境によって分けられ、かつて州都だったラホールはパキスタン側に編入されることに。インドにとっては行政の中心地を失うという、大きな損失でした。

英領インド時代のパンジャーブ州の地図(1909年) / Imperial Gazetteer of India, Hunter, William Wilson, Sir, (1840-1900), Cotton, James Sutherland, (1847-1918) ed. Burn, Richard, Sir, (1871-1947) joint ed. Meyer, William Stevenson, Sir, (1860-1922). joint ed. New edition, published under the authority of His Majesty’s secretary of state for India in council. Oxford, Clarendon Press, 1908-1931 [v. 1, 1909]

州政府は、州内にある都市から州都を選定しようとそれぞれ条件を洗い出しましたが、軍事面での脆弱性や飲料水の不足、アクセスの不便さ、インド側にやってくる多くの難民に対処できないことなど、いくつかの懸念があり適切な場所は見つからず。
そうしたなか、州の中心部にある、首都デリーに近い、十分な水の供給が可能、自然排水できる土地の勾配、肥沃な土壌に美しい自然、そして気候が穏やかであることなど、様々な条件に合致する現在のチャンディーガルの地が選ばれました。
ちなみにチャンディーガルの名前の由来は、もともとこの地の寺院に祀られている「チャンディー」という女神。チャンディーガルは「チャンディーの砦」という意味があります。
 
都市計画とル・コルビュジエ&ピエール・ジャンヌレ
初代首相ジャワハルラール・ネルーは、新たに独立したインドを経済的・文化的に印象づけるような一大プロジェクトの立ち上げを決定。ひとつの都市が一から建設されることとなりました。

ル・コルビュジエ(左)とピエール・ジャンヌレ(右) / Le Corbusier und Pierre Jeanneret in Chandigarh, zwischen 1950 und 1957

“伝統にとらわれない、新しい国家の信条のシンボル”として都市を新構築するビッグプロジェクト。この革新的かつ大規模な都市計画の依頼をはじめに受けたのは、アメリカ人建築家のアルバート・メイヤーとポーランド出身の共同設計者マシュー・ノヴィッキでした。しかしマスタープラン(街づくりの基本設計)を作成していた矢先、ノヴィッキが不慮の飛行機事故により他界。メイヤーは活動を中止することに。
その後釜にすわり計画を引き継いだのが、スイス出身のフランス人建築家ル・コルビュジエでした。そして計画の初期段階から参加し重要なパートナーであった、従兄弟のピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)らの建築家とともに、都市計画を進めていきました。

チャンディーガルのマスタープラン(ル・コルビュジエ・センター/チャンディーガル)

 
人体になぞらえた街の構造
コルビュジエが主導して建設を進めたチャンディーガルの街。他の街との明らかな違いは、碁盤の目状につくられた近代的な都市構造です。
まず大きな視点で見てみると、チャンディーガルは街全体を人体になぞらえ、行政庁舎が集まるエリアを「頭」、交通網を「血流」、公園や緑地を「呼吸器」、商業の中心を「心臓」とし、人間の身体が機能するようにそれぞれの施設が配置されています。
 
そして、現代の都市計画において、自動車による移動が要だと考えたコルビュジエは、道路の用途をカテゴリ別に細分した「7V」というルールにもとづき交通網を整備しました。道路で分割された「セクター」とよばれる区画をつくり、その中に徒歩でアクセスできるマーケットやコミュニティ施設を内包させることで、それぞれのセクター内で住む・働く・レジャーといった生活を完結できるようにしました。また、セクターから徒歩10分圏内に学校を配置しています。
このように精巧に計画されたマスタープランは2段階に分けて実現され、人口50万人に対応できる都市が完成しました。巨匠ル・コルビュジエが構想した都市計画のうち、世界で唯一実現できたのがこのチャンディーガルです。
 
■ひとくちめも:7V(V7)とは
コルビュジエが考案した道路システム。道路を7つの異なるカテゴリ(V1:幹線道路、V2:主要な大通り、V3:セクターを囲む車道、V4:セクターの商店街、V5:セクター内を蛇行する経路、V6:生活道、V7:歩道)と、のちに追加されたV8:自転車道に分けて考えられたもの。Vは、フランス語で街路を意味するvoieの頭文字。コルビュジエが携わったボゴタ(コロンビア)の都市計画にも表れているといわれます。

2. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex

チャンディーガルの都市のなかで「頭」にあたる、行政庁舎が集まるキャピトル・コンプレックス。一番北側のセクター1にあります。2016年に、日本の国立西洋美術館を含む17の建築作品とともに世界文化遺産に登録された「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成遺産のひとつです。
 
キャピトル・コンプレックスは今も実際に使用されている行政区域なので、見学するには1日3回行われるミニツアー(10:00、12:00、15:00/英語、ヒンディー語)に参加する必要があります。ツアー開始時刻の前に、セクター1のツーリスト・インフォメーションの建物で受付。料金は無料ですが、パスポートなど顔写真つきの身分証明書を提示して許可をもらいます。

受付のオフィス
さっそく壁にレリーフを見つけました

高等裁判所 High Court
印象的な建物が多いキャピトル・コンプレックスのなかでも一際目をひくのが、カラフルな3本の柱をもつ高等裁判所。このエリアで一番最初に造られた建築物です。


幾何学模様のような窓のつくりに目がいきますが、注目したいのは機能性を重視した構造。ブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)の二重構造の屋根が傘のように建物を覆うことで、インドの強烈な日射しや雨季の大雨、強風にも対応できるよう設計されています。

ちなみに、高等裁判所は北西を向いているので、写真撮影の場合は午後が順光になります。

世界遺産登録される前は、前面に水がはられ水鏡のように反射していました

裁判官の方たち

オープンハンド・モニュメント Open Hand Monument
ル・コルビュジエの数あるオープン・ハンドの中で最も大きな作品。平和の象徴であるハトの姿にも見えます。金属部分の高さは14m、重さ約50tの鉄でできていますが、風がふくと向きが回転します。

オープンハンド・モニュメント
モニュメントの下は広場になっていて、演説などの際にコンクリートに反響して声がよく響くようになっています。

この開かれた手のモニュメントは「Open to give – Open to receive」という意味で、平和や和解、人々の団結を表し、新しいインドの信条に重なります。オープンハンドはチャンディーガルのシンボルとして、街なかの色々な場所でアイコンとして使用されているのを見かけます。
ちなみに、このモニュメントは資金不足のためコルビュジエの存命中には建てられず、亡くなった20年後にフランスの援助によってつくられたのだそうです。

オープンハンドの設計図(建築博物館/チャンディーガル)

街路樹が並び、歩道や自転車道が敷かれ、他の都市よりもお散歩しやすいチャンディーガル。
後編では、影の塔、行政庁舎、立法議会棟などをご紹介します。
 
※ミニツアー実施時間は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。

 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、「ル・コルビュジエによる「セクター」理論 ―「輝く都市」における都市理念の継承― 」(大野隆司/日本建築学会計画系論文集 第88巻 第808号, 2009-2017,2023年6月)
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , ■その他 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
タグ: , , , , , , , , , , , , , , ,

インドの新幹線 Vande Bharat Expressに乗ってみた!

Photo by Harshul12345 – Vande Bharat Express on track around Mumbai.(2023) / CC BY 4.0

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、インド版新幹線「Vande Bharat Express」(ヴァンディ・バーラト・エクスプレス)の乗車体験を記事にまとめてみました。

インドの新幹線 Vande Bharat Express

インド国鉄が運営する高速鉄道。モディ首相が就任した2014年から掲げる製造業振興の取り組み「Make in India」の一環として、2019年2月15日に、デリー~バラナシの区間で運転開始されました。

運用路線は2024年2月現在で41路線。今後も30路線近くの新設が計画されており、とくに、ムンバイとアーメダバードを結ぶ総延長508kmの路線は、日本の新幹線方式と同じ専用線方式(在来旅客鉄道と軌道を完全に分離するもの)で建設中です(2024年2月現在)。

海外で日本の新幹線方式が採用されるのは、2007年に開業した台湾(台灣高鐵)につづき、インドが2か国目。
デリーを走るメトロの建設にも、計画段階から日本が資金・技術面で支援しており、インドのインフラ整備には日本が大きく関わっています。

なかでもVande Bharat Expressはハード面だけでなく、サービス面でも日本の新幹線方式を取り入れているとのこと。「7分間の奇跡」として知られる日本の新幹線の清掃体制に着想を得た「14分間の奇跡」という取り組みで、ターミナル駅でスタッフが連携し、スピーディーかつ効率よく車内清掃を行っているそうです。

チャンディーガル~デリー区間に乗ってみました

今回乗車したチャンディーガル~デリーの区間は、4番目に運行開始されたNo. 22447 / 22448 New Delhi – Amb Andaura(ヒマーチャルプラデシュ)路線の一部。約270kmの距離を3時間ほどで走ります。休暇でチャンディーガル観光に行ってきたので、デリーへ戻る交通手段としてVande Bharat Expressを利用してみました。
※ちなみにインドでは、カメラによる駅や空港の撮影は防衛上の理由で原則禁止されています。インド鉄道省の規定(鉄道省Webサイト)では、旅行者が思い出にスマホで撮る程度であれば本来許可をとる必要はないとしていますが、現場の係員には問答無用で注意されたりトラブルになる可能性もあります。そのため、世界遺産など観光地化された鉄道以外の撮影は控えた方が無難です。文中の写真も係員さんに許可をもらい、一般の観光客として見られる場所だけをスマホで撮ったものです。
 
1.チケット
チケットは事前にインド国鉄(IRCTC)のWebサイトで予約購入します。
日時、区間、座席クラス、食事などのオプションを選択し、決済するとEチケットがメールで届くので、乗車当日はそれをプリントアウトするかスマホにPDFを保存して持参します。
座席は椅子席タイプのEC、CCの2種類。今回はせっかくなので、ちょっと良い席のECクラスに乗車してみました。ECクラスは、日本でいうところのグリーン車といった感じでしょうか。座席の写真は、後述の車内設備の部分に載せていますのでそちらをご覧ください。
 
2.乗車
現在、チャンディーガルの鉄道駅は再開発中。大きな駅でなくても、焦らず自分の列車がくるプラットホームがどこなのか確認できるよう、余裕をもって出発時刻の30分前には到着しておくと安心です。

チャンディーガル鉄道駅の西側入口

入ってすぐ左手に電光掲示板とエスカレーターがあります。電光掲示板に、列車番号、列車が駅に到着する見込み時刻、プラットホーム番号が表示されるので、確認してエスカレーターで上の階へ。プラットホームへの連絡橋に出るので、そこから自分の列車が来るホームへと降ります。
今回は、エスカレーターを上がってすぐ右のプラットホームNo.1。階段を降りてホームに行きます。構内ではホーム番号のアナウンスも流れていますが、基本はヒンディー語なので、聞き取りはなかなか難易度が高め…!なので、エスカレーターを上がる前に電光掲示板をチェックしていくのが確実です。
 
プラットホームの上部に設置されている小さな電光掲示板に、列車番号とコーチ番号が表示されるので、自分のコーチ番号の場所で列車を待ちます。今回は中央がCCクラス、階段を降りて右奥がECクラスのE1、E2コーチでした。
駅のホーム。天井についている赤い電光掲示板にコーチ番号が表示されます

チャンディーガル駅

今回の路線は、チャンディーガル駅 15:32発 – ニューデリー駅 18:25着。列車は15:30頃に到着しました。インドの鉄道は大幅に遅れることもあるなかで、ほぼ定刻どおりの到着にちょっぴり感動です!

到着したVande Bharat。かっこいいです!色合いもどこか日本の新幹線を思い出します

乗降口は各コーチの前後に一つずつ。席番号は車内の窓の上に書いてあります。頭上の荷物棚はあっという間に埋まるので、置きたい場合は頑張って早く乗りましょう!棚に置けなくてもECクラスは足元のスペースが広いので、機内持ち込みサイズのスーツケースくらいは問題なく置くことができます。

列車番号、コーチ番号、出発駅~行先が表示されます

窓の上にあるシート番号の表示
お水とフットレストもあります!

3.車内
ECクラスの座席配置は2席-2席、シートはベロアのような手触りのいい素材で、リクライニングできます。足元のスペースはゆったりしていて、通路も十分な幅があります。
CCクラスは3席-2席。進行方向に対して前向きと後ろ向きの席があり、足元と通路のスペースはECよりも少し狭め。シートの材質も違います。
ですが、両クラスともに空調完備・車内スタッフも配備されているので、荷物が多くなければ、CCクラスでも問題なく快適に過ごせそうです。

ECクラス

CCクラス

列車は駅に5~10分ほど停車した後、15:40頃に出発。
出発してから15分くらいすると、車両スタッフさんが席を巡回してチケットの確認にきます。名前を聞かれるだけの場合もありますが、念のためチケットをすぐに見せられるよう準備しておくと安心です。
 
その後しばらくすると車内食が配られました。食事は、チケットを予約する時にオプションで選択できます。メニューは時間帯や路線によって異なるようですが、今回はベジのメニューのみだったので、そちらを予約してみました。事前に予約をしていなくても、追加料金を払えば車内で購入できるようです。
ジュース、カチョリ、ナッツとスナック、チーズのサンドイッチ、お手拭きとサニタイザーも

チャイ用のお湯とカップは後から持ってきてくれます
プレートに敷かれた紙もVande Bharat仕様

トイレは各コーチとの連結部にあります。和式のようにしゃがむインド式と洋式があり、洋式には備え付けのトイレットペーパーがありました。
16:15頃、アンバラ・カント駅に停車。この路線では、終点のニューデリーまでに停車するのはこの1駅のみです。到着する少し前に、英語とヒンディー語でアナウンスが入ります。

洋式トイレ
アンバラ・カント駅

しばらく停車した後、駅を出発。この後はノンストップでひたすらデリーへと走ります。はじめは幹線道路沿いを走り、しばらくすると景色は郊外の住宅地に変わります。じょじょに田園地帯や、小さな寺院、ローカルなマーケットなどに移り代わり、車窓には素朴なインドの風景が映ります。

車内の温度は、空調が効きすぎて寒いということもなく快適でした。でも少し冷える感じはするので、カーディガンやパーカーなど羽織れるものを持参するのがおすすめです。
走行中の揺れは少なく、走行音も日本の新幹線とそこまで大きく変わらない印象です(楽しそうな家族のおしゃべり声が絶えないのは、日本と違ってインドらしいところです)。
 
4.終点のニューデリー駅に到着
列車は18:40頃、終点のニューデリー駅に到着。18:25着予定から約15分遅れですが、ほぼ定刻通りの到着です!乗車した2月の日没は18:30前だったので、到着する頃にはすっかり夜に。デリーに到着後、列車は折り返しで別の行先に変わりました。すぐに次の乗客が乗車してくるので、忘れ物のないよう速やかに列車を降ります。

ニューデリー駅

今回はじめてVande Bharatを利用してみて、その快適さとスケジュールの正確さには驚きでした!

日数が限られた旅行のなかで、比較的確実性が高い移動手段として、選択肢のひとつになると思います。
 
昔ながらの長距離寝台列車で移動する旅は情緒があって良いですが、発展いちじるしいインドの「今」を感じられるひとつの体験として、Vande Bharatを利用してみるのもおもしろいかもしれません。
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■その他 , インドの鉄道 , チャンディーガル , デリー , ハリヤーナー州
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , ,

シュラバナベルゴラのジャイナ教寺院

巨大なゴマテシュワラ像

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、南インドの特別企画ツアーで訪れたジャイナ教寺院をご紹介します。
 
なじみのない方も多いと思いますが、ジャイナ教は仏教と同じ頃に生まれた、インド発祥の宗教のひとつです。

■ジャイナ教とは
インド発祥の宗教といえば仏教が思い浮かびますが、ジャイナ教も仏教と同時期頃に生まれたインド発祥の宗教です。紀元前6~5世紀に生まれ、開祖はマハーヴィーラ。仏教におけるブッダと同じ時代に生きた人だといわれています。
教えの特徴としては、徹底した苦行、禁欲、不殺生の実践を重んじることで知られます。5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)をもち、不所有の考えをベースに商業で成功した商人たちの寄進によって、見事な寺院がたくさん建てられているのも特徴です。
とくに、生きものを傷つけない「アーヒンサー」という戒律は重要視されていて、宗派によっては空気中の小さな生物も殺さないように、マスクのような白い小さな布で口を覆う人もいます。
ジャイナ教では、今私たちが存在している宇宙的時間軸において、24人の救済者(ティールタンカラ)が出現したと考えられています。そのうちの最後の一人が、開祖であるマハーヴィーラだとされています。
 

『カルパ・スートラ』より「マハーヴィーラの誕生」(一部分)、14世紀第4四半世紀

Mahavira マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)座像(15世紀)

 
インド南部、カルナータカ州の州都バンガロールに次ぐ大きな都市であるマイソールから約80km。車で約2時間走ると、シュラバナベルゴラ(シュラバナベラゴラ)Shravanabelagola の町に到着します。シュラバナベルゴラは大きな町ではありませんが、ジャイナ教の人々にとっては南インドにおける最大の聖地。町にはヴィンディヤギリ Vindhyagiri 、チャンドラギリ Chandragiri の2つの大きな岩山があります。
 

ヴィンディヤギリから望むチャンドラギリの丘

高い方のヴィンディヤギリの丘(約143m)の頂上には寺院があり、約18mの巨大なゴマテシュワラ像が立ちます。
 

Photo by Hasenläufer (original:Matthew Logelin) – This photo shows the lord bahubali statue from a different view.(2017) / CC BY 3.0

この頂上寺院では12年に一度、マスタカービシェーカ Mahamastakabhisheka というお祭が行われ、信者たちが像の上から神聖なギーやミルクを注ぐことで知られます(次回は2030年に開催予定)。
 

12年に1度、牛乳や香辛料などがゴマテーシュワラ像にかけられる様子
Photo by Matthew Logelin – Offerings poured over the Jain Lord Bahubali, the world’s largest monolithic statue.(2006) / CC BY 2.0

 

伝説によると、寺院の創建は紀元前3世紀までさかのぼります。当時この地域を治めていたのはマウリヤ朝のチャンドラグプタ王。その王が師と崇める、ジャイナ教の第6代教団長・聖典伝承者のバグワン・バドラワーフ Bhagwan Bhadrabahu とともに、この地にやってきたのがはじまりといわれています。

 

寺院へとつづく脇道を進むと、岩のふもとの周囲に小さな寺院がいくつかあり、門前町のようになっています。寺院入口には土産物売りの人に加え、寺院は靴を脱いで登るので靴下売りの人もいました。頂上にある寺院へ参拝するには、ここで靴を預けて裸足になり、645段の階段をひたすら登ります。

寺院の入口につづく脇道
裸足でひたすら登ります。けっこう傾斜があります!日影がないので暑い日は水分補給をお忘れなく。12月頭でも汗だくになりました

階段を登っていると、途中からデカン高原のパノラマが広がります。頂上からも見晴らしが良いため、地元の人の中ではバンガロールからの週末のお出かけスポットとしても人気があるそうです。私たちが訪れた日も土曜日で、学生の友達グループでにぎわっていました。

岩山の頂上は広場のようになっていて見晴らしもいいです。

頂上からの見晴らし。シュラバナベルゴラの町とデカン高原の緑が広がります

ここでゴール…かと思いきや、巨像がある本殿は、ここからさらに右奥につづく階段をのぼった先。もうひと踏ん張りして、本殿に到着しました。

さらに奥へと階段がつづきます

本殿の外観

本殿についたら、中を右繞(うにょう:時計回りで寺院内を参拝すること)しました。
中を進むと中庭のような広場があり、そこに「バーフバリ」ともよばれる巨大なゴマテシュワラ像が立っています。

巨大なゴマテシュワラ像

この像は、なんとひとつの大きな花崗岩からつくられているのだとか!10世紀に西ガンガ朝の大臣であったチャームンダラーヤの命を受けて建てられたことが、古いカンナダ語の碑文からわかっています。

 

寺院の入口に彫刻(上)と、内部に古い碑文(下)がありました

寺院内部に祀られているゴンマテーシュワラ像

巨像が作られた「バーフバリ」は、一番初めの救済者(ティールタンカラ)である「リシャパ」の子供と伝えられていて、本来の名前は「ゴンマテーシュワラ」といいます。ゴンマテーシュワラは兄弟間の闘いに勝利した経緯から、その異名としてバーフバリ(バーフ:前腕、バリ(バリン):力が強い=強い腕をもつもの)とも呼ばれます。
 
ゴンマテーシュワラが一年間ヨガの修行で微動だにしなかったことで、体に蔦が巻き付いて足元には蟻塚までできたという伝説があり、バーフバリの巨像はその姿を表現しています。
なぜ裸体の姿かというと、ジャイナ教の教えで物を所有することを拒む「無所有」が美徳とされる面があるため、衣類は身に着けず裸で瞑想を続けている様を表しています。

現在、ジャイナ教徒はインドの人口の約0.4%ほどしかいませんが、白衣派・裸で修行をする派閥とも多くの分派が派生しており、白衣派の人々はグジャラートやラジャスタンなどインドの西側、裸の派閥は南インドを中心に現代もつづいています。
 
シュラバナベルゴラは、インドでも有数の数多く石碑が集まる場所。ジャイナ教が始まって以来2500年以上の間、文化・芸術・建築などジャイナ教の人々に親しまれ、今なおその歴史がつづいています。
 

 

寺院内の柱や門に彫られた装飾もおもしろいです

 
■ひとくちメモ
ジャイナ教寺院の場合、5色の旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

 
Text & Photo: Kondo

カテゴリ:■インド南部 , インドのお祭り , インドの宗教 , インドの街紹介 , インド神話 , カルナータカ州
タグ: , , , , , , , , , , ,

オリッサの山岳民族② ドングリア・コンド族

白い民族衣装に3つの鼻飾り、たくさんの装飾品で着飾ったドングリア・コンド族

インド東部に位置するオリッサ州。山岳部族の人々は、時代の流れを無視するかのように今も独自の生活様式を守りながら暮らしています。
前回ご紹介したボンダ族と彼らが訪れる定期市につづき、今回のテーマはドングリア・コンド族とチャティコナの水曜市についての紹介、そして部族をとりまく現状についてです。
 
オリッサの部族の中で最大の指定部族であるコンド族。コンド族の言葉はドラヴィダ語に分類され、肌は黒く、オーストラロイド(オーストラリアやニューギニア、メラネシアの人々と同じ分類)と考えられています。
一口にコンド族といっても複数の部族に分かれており、谷に暮らすデジア・コンド族や、丘に暮らすドングリア・コンド族などがいて、それぞれの村で暮らしています。
 
ドングリア・コンド族は、オリッサ州南東部の密林に覆われたニャンギリ(ニオモギリ)の丘に暮らし、山神“Niyam Raja”を信仰しています。
山でジャックフルーツやマンゴー、蜂蜜、竹などを採り、畑ではバナナやパパイヤ、生姜、オレンジなどをつくります。そして、収穫した作物をチャティコナの水曜市などの定期市で売り、生活必需品を購入します。
ボンダ族と同様、ドングリア・コンド族に出会うには週に一度行われる定期市に行く必要があります。
 
ドングリア・コンド族の集まることで有名なチャティコナという町の水曜市は、彼らが暮らすニャンギリの丘から約20㎞離れた場所にあります。

ニャンギリの丘から市場を目指して歩くドングリア・コンド族の人々
何人かのグループで山から下りてきます

週に一度の市場は大賑わい

週に一度の定期市の日は、朝3時頃に家を出て森で採れるフルーツ、草などを売りにきます。
男性はサゴ椰子からジュースを取り強壮剤に。薬草の知識にも長け、山から採れる薬草でケガや病気を治療します(マラリアや蛇のかみ傷を治すという調査結果も!)。
あまり商売上手ではないドングリア・コンド族は、まず市場の手前で商売上手のデジア・コンド族に売ります。同じ民族なので彼らの言う値段を信じています。デジア・コンド族は、それを市場でもう少し高めに販売するのだそうです。

作物を売ったお金で生活必需品を買います

コンド族では女性が重要とされ、子供や男性の面倒を見るのも女性、市場でも女性が主役。

ドングリア・コンド族の外見的な特徴は、女性が白い布を巻き、髪の毛にたくさんのヘアピン、そして小さなナイフをさし、鼻に3つの輪をつけていることです。


 
コンド族の各村には、独身の男女が集う集会所があり、男性は違う村からやってきます。そこで村人が伝統やルールなどを教えていきます。女性は生涯のパートナーになると思う男性に、お手製の刺繍を渡し、受け入れられると結婚となるのだそうです。
 
豊かな山の恵みによって、何百年とシンプルな暮らしを続けてきたドングリア・コンド族。しかし、約30年にわたって彼らの生活が脅かされているのも実情です。
1997年頃、ニャンギリの丘に、アルミニウムの原料となるボーキサイトが眠っていることがわかったのです。その価値はおよそ20億ドル。イギリスに本社をもつインド最大のアルミニウム製造会社ヴェダンタ・リソーシーズは、ドングリア・コンド族の聖なる山“Niyam Dongar”に露天掘りの鉱山を開発する計画を立てましたが、2010年にインド政府は同社が法律・民族の権利を無視したとの声明を出し、開発は保留とされました。
 
しかし現在も計画は継続中で、アルミニウム産業は大規模な雇用と経済成長を生み出すことなどを理由に、オリッサには開発資源が多く、可能性を求める他企業からも注目が集まっています。
国から現地住民との協議を命じられた州政府は2023年10月にも公聴会を実施。採掘による水源の破壊や生態系に悪影響が及ぶとして、住民のほとんどがプロジェクトに反対しています。現在も解決にはいたっていません。
先住民族の生活や文化を脅かす環境開発の話には、人々の暮らしを思うと心が苦しくなります。今後も注視していきたいところです。
 

■ひとくちコラム:ダウリーとコンド族の話
ヒンドゥー教の習慣で今でも残っているダウリー(結婚持参金)。花嫁の家族から花婿とその家族に対してされる支払いのことで、経済的な負担の大きさから社会問題となっています。コンド族にダウリーはありませんが、逆に花婿の両親が、村のシャーマンが決めた贈り物(水牛数頭など)を花嫁側に贈ります。もし準備できない場合は、花婿が花嫁の父親の下で労働力として働き、その後に結婚が認められるのだそうです。

  • クッティア・コンド族の女性。トラを模した刺青が特徴的
  • チャティコナの水曜市で出会ったドングリア・コンド族
クッティア・コンド族の女性。トラを模した刺青が特徴的

チャティコナの水曜市で出会ったドングリア・コンド族

 

 

※この記事は2016年8月のものに、きんとうん43号p.11「オリッサの山岳民族」の内容を加え、修正・加筆して再アップしたものです。

カテゴリ:■インド東部・極東部 , インドの文化・芸能 , オリッサ州
タグ: , ,

オリッサの山岳民族① ボンダ族

列になって歩くボンダ族の人々

インド東部に位置するオリッサ州。オリッサ州の西部に広がるバスタール地方には、ドラヴィダ系の少数民族の方々が昔ながらの暮らしを続けています。このようなドラヴィダ系の人々は、古代からインド全体に住んでいたと考えられていて、紀元前1500年ごろ、イラン方面からアーリア系の人々がやってきた際に、ドラヴィダ系の人々の多くはインドの南西部に移動したという経緯があります。

 

さて、オリッサの少数民族には62の部族コミュニティがあるとされていますが、インドに暮らす少数民族の中でも、色濃くその伝統を残し、外界の影響を受けずに暮らしているのがボンダ族の人々。
人口は12000人ほど(2011年の調査。乳児死亡率が高いことなど様々な要因により、現在は減少傾向にあるとみられています。)。
ボンダ族はインド政府の保護のもと、ボンダ・ヒルと呼ばれる丘に外部との接触をもたずに暮らしています。

 

特にボンダ族の男性は外部の人間に対して警戒心が強く、彼らの居住地へ入ることは簡単ではありません。彼らの暮らす土地が山にあること、そして外部の文化を受け付けず、伝統に執着するからこそ、急激に「インド化」するインド大陸において、もっとも古く、原始的な暮らしを守り続けている民族といわれています。

 

定期市に向かうボンダ族の人々

そんなボンダ族と出会うことができるのが市場。村の定期市を訪ねると、ボンダヒルの村からやってくるボンダ族と出会うことができます。
初めてこの市場へ向かって歩くボンダ族の人々を見たとき、「ここは本当にインド?」とさえ感じます。アフリカの未知の部族と出会ったような印象です。
その衣装、そしてほっそりしたスタイルも「インド」というイメージとは異なるのです。

 

市場へ向かうボンダの女性たち。壷やバスケットの中に農作物が入っていました。自分達の土地でとれる小さなじゃがいもなど、市場で他の民族とモノの交換をしたりしています。インドでも少なくなった「物々交換」の経済が残っています。

ボンダ族の伝説と暮らし

ボンダ族の服装は、インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」に由来していると言う伝説があります。昔、ラーマーヤナのヒロインであるシータが裸になって水浴びをしていると、ボンダ族の女性たちがくすくす笑いました。怒ったシータはボンダ族の女性たちも裸にし、さらに頭をスポーツ刈りにしてしまいました。許しを請うたボンダ族に対して、シータは彼女たちが着ていたサリーの一部を腰に巻くことを許しました。
この話は、ヒンドゥー教の人々が後から作ったものなのでは…とも思いますが、太いシルバーの首飾りや、ビーズの装飾は、森での暮らしや狩りの際、身を守るためだという説が有力です。

 

 

女性の服装は、短い布を腰に巻き、上半身は裸で、胸の前にたくさんのビーズのネックレスをたらしています。頭はスポーツ刈りで、そのまわりにもビーズを巻きつけ、真鍮のピンで留めています。

 

首には何十もの銀の輪、胸には子安貝やビーズ製のネックレスを幾重にもたらし、その下には何も身につけず、下半身は20cmほどの布を巻くのみです。裸の胸は見事な装飾品で覆いつくされています。そして腰には短い丈の織りの布を巻くだけ。
この絶妙な美のバランスに驚かされます。

 

アンカデリの木曜市では、女性は農作物を、男性は自分たちで作ったお酒を売りにやってきます。この市場ではボンダ族の男性の写真撮影は厳禁です。

 

 

ちなみに、ボンダ族の男女関係も独特です。ボンダ族の女性は、自分より年下の男性と結婚します。男性が一人前になるまでは女性が世話をし、年老いたあとは男性が女性の面倒をみます。

 

そしてボンダ族の男性はお酒が大好き。
オリッサの少数民族の市場には手作りのお酒の販売コーナーがあり、素焼きの壷に入ったお酒を葉っぱで作ったコップでたしなむ姿が見られます。椰子や米からお酒を作り、市場で売るのですが、道中自分で全部飲んでしまい、市場に着くころにはべろべろに酔っぱらってしまう人も。午後にもなると男女ともにご機嫌な人たちでいっぱいになります。「酔っ払い」はやはり万国共通ですね。

 

 

※この記事は2011年11月、2016年08月のものを修正・加筆して再アップしたものです。

カテゴリ:■インド東部・極東部 , インドの文化・芸能 , オリッサ州
タグ: , ,

“インド版定食”ターリー&ミールスとインドのB級グルメ②

ジャレビ店
アムリトサル街かどのミターイー店

ナマステ!西遊インディアです。
前回の記事では、“インド版定食”ともいえる❶ターリーと❷ミールスについてご紹介いたしました。

今回は、インドの庶民に愛されるB級グルメについてご紹介します。

❸ B級グルメ (ストリートフード&スイーツ)

B級グルメを「安価で、贅沢でなく、庶民的でありながら、気軽に食べられる料理」と定義するなら、インドはまさにB級グルメの宝庫!
インドに来たら、ぜひ一度は庶民の味である屋台料理やスイーツにトライしていただきたいもの。
ここでは紹介しきれないほどたくさんの種類がありますが、今回は、街かどで食べられるスナックやミターイー(スイーツ)といった甘いおやつなど、ストリートフードを中心に10個に絞ってピックアップしてみました。
 

パニプリ1. パニプリ PANIPURI पानीपूरी

ピンポン玉のように揚げた生地に穴を開け、ジャガイモなどの具と甘酸っぱいスープを入れて一口でパクリ。定番のストリートスナック。

ワダ2. ワダ VADA वड़ा

ティファン(南インドの軽食)の定番。ペースト状にしたウラド豆とスパイスを混ぜて、ドーナツ状に揚げたもの。豆腐のように素朴な風味があり、どこか懐かしい味。

ジャレービー

3. ジャレービー JALEBI जलेबी

小麦粉でつくったゆるい生地をひも状にして熱した油に落として、くるくると渦巻きの形に揚げます。かりんとうのような雰囲気ですが、シロップに浸かっているので甘さは強烈!

ドーサ

4. ドーサ DOSA डोसा

今やインド全土で人気の南インドを代表するティファン。ロール型、三角形、ガレットのように四角いものなど形は色々。ピリ辛のポテトをくるんだもの(マサラドーサ)からココナッツ味まで、具のバリエーションも多彩です。

ポハ

5. ポハ POHA पोहा

ライスフレークを水でもどして、ターメリックなどのスパイスで味付けした料理。ピーナッツやタマネギを入れることもあります。スナック麺をかけるとジャンクなテイストに。レモンをかけてさっぱりといただきます。

グラブジャムン

6. グラブジャムン GULAB JAMUN गुलाब जामुन

“世界一甘いお菓子”といわれるインドの定番ミターイー。小麦粉・砂糖・濃縮乳でつくった生地を揚げて、カルダモンで香りづけしたシロップに浸します。噛むとシロップがじわっと染み出てきて、口の中に広がります。

バナナチップス

7. バナナチップス BANANA CHIPS केले के चिप्स

南インドで出会うバナナチップス。ココナッツ油で揚げた、塩味とほのかに甘みがある素朴な味。サクサクした軽い食感でいくらでも食べてしまいそう!インドらしくマサラ味もあります。

焼き芋

8. 焼き芋 SWEET POTATO शकरकंद

冬に北インドで見かける焼き芋の屋台。注文すると、お芋の皮を剥いてダイス状にざくざくと切り、マサラとレモンをさっとかけてくれます。

ウッタパム

9. ウッタパム UTTAPAM उत्तपम

南インド風お好み焼き。生地はドーサに似ていますが、こちらはホットケーキのように厚みがあり、タマネギやトマトなどの具を入れます。ココナッツとトマトのチャトニと一緒に。

マワ

10. マワ MAVA मावा 

水牛の多いグジャラート地方のミターイー。大鍋でミルクと砂糖を煮詰めると飴色になり、砕いたお米のような質感に。味はキャラメルそのものといった感じで、ひと口食べると甘みと香ばしさが広がります!

北インド、南インドの大きなくくりではまとめきれないほど、多彩な味わいのあるインド料理。もちろん地域のみならず、文化やコミュニティ、季節によっても異なります。来るたび違う表情を見せてくれるインドを、ぜひ「食」の面からも、新しい発見とともに楽しんでみてください!
 
Text: Kondo
Photo: Saiyu Travel
 
参考図書:「家庭で作れる 東西南北の伝統インド料理」(香取薫/河出書房新社)、「知っておきたい!インドごはんの常識」(パンカジ・シャルマ[文]、アリス・シャルバン[絵]、サンドラ・サルマンジー[レシピ]/原書房)

カテゴリ:■その他 , インドの文化・芸能 , インドの食事
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , ,

“インド版定食”ターリー&ミールスとインドのB級グルメ①

インドのグルメといえば、真っ先に思い浮かぶのが“インド版定食”のターリーもしくはミールスと、街を歩けば必ず目にする屋台のストリートフードではないでしょうか。
それぞれ地域やコミュニティによってたくさんのバラエティがありますが、今回は大きく
❶ ターリー(北インド)
❷ ミールス(南インド)
❸ B級グルメ(ストリートフード&スイーツ)
の3つに分けてご紹介します。

❶ ターリー Thali(北インド)

大皿に数種類のカレーやおかず、主食のお米やチャパティが盛られます。本来「ターリー」という言葉は「銀の大皿」を意味しますが、トレーに盛られた料理のことも指します。季節や土地柄で料理の内容が変わり、例えばグジャラートのものは「グジャラーティー・ターリー」のように、地域の名前を付けて呼ばれます。
様々なおかずが付くのは、アーユルヴェーダの6つの味覚(甘味・酸味・塩味・辛味・苦味・渋味)に基づくもの。多様な食材を使って6つの味覚すべてを一度の食事でとることで、栄養のバランスが整うと考えられています。
 

ターリー(北インド)
北インドのターリー(一例)

・ライス:日本と同じく、インドの大部分の地域で主食として食べられます。北から南まで、湿度、温度差、日照時間など気候の異なる地域で、様々な栽培方法で作られます。香り・色・形が異なり、種類はなんと100種類以上あるとか。
 
・ロティ(パン):小麦粉を練って薄く焼いたチャパティが一般的。タワという鉄製のフライパンで毎日家庭で焼かれます。手間のかかるナンは日常的に家庭で食べられることはなく、レストランやお祝いの席で食べられます。
 
・パパド:薄焼きせんべいのようなスナック。そのまま食べてもよし、割ってライスにかけてもよし。
 
・サブジ(野菜のドライカレー):じゃがいもなどの野菜をスパイスで炒めた汁気のないおかず。
 
・野菜のカレー:ナスやカリフラワー、グリンピースなどを具材にしたカレー。パニール(インド版カッテージチーズ)が入ることも。ベジタリアンが多いインドでは、野菜を使ったカレーの種類が豊富。主軸として具材に使われる野菜は1~2種類で、料理名にその野菜の名前が使われます。
 
・肉のカレー:ノンベジタリアンメニューの場合は、チキンやマトンを使ったカレーも。
 
・サラダ:キュウリやスライスしたタマネギ。塩とレモン汁、コショウを軽くかけて。
 
・ダヒ(ヨーグルト):口の中がリセットされるだけでなく、混ぜて食べる“味変”の楽しみも。キュウリやタマネギを加えてライタにすることも。
 
食べる順番は人それぞれお好みですが、主食がロティとライスの両方があるときは、ロティから先に食べることが多いようです。たとえば、ロティでそれぞれのカレーを味わったら、ライスにはマイルドな野菜カレーをかけて、次は辛味のあるお肉のカレーを少しかけて味変して、サラダで口の中を一旦リセット。今度はサブジで野菜の食感を味わって…など、自分なりに食事を楽しめるのもターリーのいいところ。
また、メニューは基本的に、様々な地域の料理を組み合わせることはなく、同一地域内の料理を組み合わせます。旅先でターリーを食べれば、その土地の味・おいしさを一度に知ることができるともいえます。

一口メモ:「カレー」は何語?
「ソース」を意味するタミル語の「カリ」に由来するといわれています。かつてイギリス人が英語にとり入れ、スパイスを使った料理全般を「カレー」と呼ぶようになったのだそう。

❷ ミールス Meals(南インド)

南インドではミールスと呼ばれます。ココナッツをよく使うため、北に比べると味付けはマイルド。基本的には野菜や果物を具材にしたベジタリアン料理で、おかずは、豆と野菜を煮たサンバルなどのカレーや炒めもの、すっぱくて辛いラッサム(汁物)など。カレーリーフの香りや胡椒の爽やかな辛味も特徴です。米どころの南では、主食は小麦より米がメイン。清浄で殺菌効果もあると考えられているバナナの葉に盛り付けられます。「カトリ」という小さなボウルにカレーやおかずを入れ、それらを大皿に載せて提供されることも。
 

ミールス(南インド)
南インドのミールス(一例)

・ライス、ロティ、パパド
 
・ラッサム:トマトやタマリンドなどを煮た、すっぱくて辛いスープ。
 
・サンバル:豆と野菜を煮て作ったマイルドなカレー。
 
・ポリヤル:マスタードなどのスパイスで味付けした野菜炒め。
 
・ピックル:インドの辛い漬け物。青マンゴーやニンジンなどの野菜で作ります。
 
・チャツネ:料理を引き立たせる薬味。ココナッツやトマト、ミントのものがよく出てきます。
 
・アチャール:パイナップルやマンゴーで作られた、辛くてすっぱい付け合わせ。
 
揚げ物にもココナッツオイルを使うので、北インドの料理に比べてさっぱりとしているのが特徴。海沿いでは、カニやエビ、魚もよく食べられます。
ちなみに、料理は最初からたくさん盛られるのではなく、おかわりしていく形式。揚げものやラッサム、甘いものが出されるタイミングなどは、州やコミュニティの食習慣、集まりのグレードによってさまざま異なります。ですが、いずれの場合でも、食欲が湧くよう、よりおいしく、体に良い順番で提供することを軸に考えられています。

一口メモ:地域によって違う!ターリーいろいろ

  • グジャラーティー・ターリーグジャラート
    ジャグリ(サトウキビ糖)を使った甘さと辛さが同居する味。水牛ミルクの産地なので、バターミルクとギーも添えて。
  • パンジャービー・ターリーパンジャーブ
    バターやパニールを使ったクリーミーなカレーが特徴。スパイスで味付けしたジャガイモを詰めたパラタを一緒に。
  • ベンガル・ターリーベンガル
    イリッシュという川魚や鯉、エビなどを野菜と一緒に煮たカレーは東インドらしい味。マスタードオイルの辛味も印象的。
グジャラーティー・ターリー
グジャラート
ジャグリ(サトウキビ糖)を使った甘さと辛さが同居する味。水牛ミルクの産地なので、バターミルクとギーも添えて。
パンジャービー・ターリー
パンジャーブ
バターやパニールを使ったクリーミーなカレーが特徴。スパイスで味付けしたジャガイモを詰めたパラタを一緒に。
ベンガル・ターリー
ベンガル
イリッシュという川魚や鯉、エビなどを野菜と一緒に煮たカレーは東インドらしい味。マスタードオイルの辛味も印象的。

 
南インド料理は人気があり、今やほぼインド全域といってもいいくらいに南インド料理を提供するレストランがあります。とくにデリーにはさまざまな地域料理のレストランがあるので、気軽にトライすることもできます。
ぜひ一度、その土地の味覚がワンプレートに集結したターリー、ミールスを味わってみてください。
 
次回は、ストリートフードやスイーツを中心に、B級グルメについてご紹介します。
 
Text: Kondo
Photo: Saiyu Travel
 
参考図書:「家庭で作れる 東西南北の伝統インド料理」(香取薫/河出書房新社)、「知っておきたい!インドごはんの常識」(パンカジ・シャルマ[文]、アリス・シャルバン[絵]、サンドラ・サルマンジー[レシピ]/原書房)

カテゴリ:■その他 , インドの文化・芸能 , インドの食事
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , ,

ラダックのブッダ・プルニマ Buddha Purnima

ジュレ―!西遊インディアです。

2023年5月5日は、仏陀の誕生・悟り・涅槃を祝う「ブッダ・プルニマ」の日でした。
西遊旅行の今年のGWのラダックツアーで、ちょうどお祭りの日にレーを訪れることができました。

■ブッダ・プルニマ Buddha Purnima
仏教の伝わる各地で「ウェーサーカ祭」として祝われる日。
日本では「花まつり」「灌仏会」にあたります。
仏陀の人生の中で重要な誕生・悟り・涅槃の3つがこの同じ日に起こったとされ、ラダックではチベット暦の4月(ウェーサーカ月 Visakha)の満月の日に当たるので、毎年日付が異なります。
ヒンドゥー教では、仏陀はヴィシュヌ神の9番目の化身(アヴァターラ)と考えられており、この日はヒンドゥー教徒と仏教徒の両方に祝われます。インド全国共通の祝日(Gazetted holidays)ですが、とくにラダックではダライ・ラマの誕生日に次ぐ重要な祝日です。

  • ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
  • ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ

ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像

 
「プルニマ」とはサンスクリット語で満月のこと。「ブッダ・ジャヤンティ(Jayanti = 誕生日)」ともよばれますが、ザンスカール出身の現地ガイドさんによると、「プルニマ」の方がより敬意をこめた呼称なのだそうです。ちなみに、今年は釈迦の誕生から2567年目に当たります。
 
例年レーでは、ラダックにおける仏教組織(ラダック・ブッディスト・アソシエーション)が主催し、ピース・マーチの行進と、ポロ・グラウンドでの見世物が行われます。
ピース・マーチの練り歩きは、市街中心部にあるレー・ジョカンを出発して、シャンティ・ストゥーパ、ナムギャル・ツェモの順で回り、ポロ・グラウンドをゴールとして行われます。
 
まずは市民たちが行進するピース・マーチ。シャンティ・ストゥーパから降りてくる行進の列です。


僧侶たちの列の後には、誕生日を迎えたお釈迦様がトラックに乗って移動してきます。

経典を持った人々の列が通り過ぎるとき、頭を下げると手に持つ経典を軽く叩くように頭に乗せて行ってくれました。

ピース・マーチを見た後に向かったシャンティ・ストゥーパでは、ブッダ・プルニマならではのイベントで、仏陀の人形に水をかけてきれいにし、自分の心身を清めようというブースがありました。
日本の灌仏会でもお釈迦様の像に甘茶をかける慣習があり、遠く離れたインドの地でも、共通点を感じます。

シャンティ・ストゥーパ

日本の灌仏会で見る仏像よりちょっとかわいらしい仏陀人形。
でも、日本の灌仏会と同じく「天上天下唯我独尊」の誕生仏のポーズです!
 
道中、行列に配っているハルワやサモサ、ジュースをいただきながら、広場へ向かいました。

いただいたハルワ。カシューナッツが入っていて、甘くておいしいです

レーの町の広場、ポロ・グラウンドでの見世物を見学しました。広場の真ん中に作られた壇上で、市民やお坊さんが踊りを披露していました。
ナムギャル・ツェモから見たポロ場

たくさんの見物客でにぎわっています!

仮面(チャム)を付けて踊る様子


日本の縁日やお祭りのように賑やかでした!
 
明るい雰囲気に包まれた、ブッダ・プルニマ祭のラダックの様子でした。
これからはお祭りの多い季節。ラダックは本格的な旅行シーズンを迎えます。
 
 
■おまけ
ピース・パレードで見学した色々な山車


 
Text: Kondo
Photo: Saiyu Travel

カテゴリ:■インド山岳部・ガンジス源流 , インドのお祭り , インドの宗教 , インドの文化・芸能 , ラダック , レー
タグ: , , , , , , , ,