秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

エベレスト山群大展望
ゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越え

  • ネパール

2014.03.01 update

生活道であるエベレスト街道を離れ、知る人とぞ知る隠れた大展望地ゴーキョ・ピーク(5,360m)滞在と
ネパール三大峠の一つであるレンジョ・パス(5,340m)を越える旅へ

ゴーキョピークから望む、エベレスト、ローツェ、マカルーゴーキョピークから望む、エベレスト、ローツェ、マカルー

エベレスト街道の玄関口、ルクラのエドモンド・ヒラリー空港に降り立ち、山岳民族シェルパの里ナムチェバザールを目指すところまではエベレスト街道沿いに行きますが、エベレスト街道最奥部カラパタール方面との分岐であるサナサを左折すると、今まで外国人トレッカーで賑わっていたエベレスト街道とは雰囲気もうって変わり、他のネパールトレッキングにはない独特の雰囲気に包まれます。
ゴーキョピークまでの道のりは決して楽ではないのですが、他の5,000m級のピークを目指すコースとは違い、ナムチェバザールに2泊後、半日行程で徐々に高度を上げていくので、高度順応をし易く、少しでもゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越えをスムーズに達成できるよう配慮した日程になっております。

静寂に包まれたゴーキョピークへ

エベレスト街道との分岐を過ぎた後、モン・ラというアマダブラムとタウツェの好展望地へ向かいます。モン・ラに一泊した後、静かな樹林帯を歩みドーレ村へと向かい、ドーレ村から山腹のトラバース道をゆっくり登ると、樹林帯の中から突如として眼前にチョ・オユーが姿を現します。世界第6位の高峰チョー・オユー(8,201m)は、ネパールと中国(チベット自治区)の国境にあり、チベット語で「トルコ石の女神」をと呼ばれています。8,000m峰の中では比較的に登り易いとされ、近年ではエベレスト遠征の前に高度順応として登頂される事も多い山です。チョー・オユーを望みながら北へ進路を取り、この日は谷間に開けた牧草地のマッツェルモへ泊まります。
翌日はマッツェルモからゴジュンバ氷河末端モレーンを進んで行きます。ネパールとチベット国境のゴジュンバカン(7743m)から流れ出るこの氷河は、チョー・オユーの南麓を流れ、幅1km長さ16kmに達するネパール最大の氷河です。ゴジュンバ氷河末端モレーン越え、ゴーキョ・ピーク麓から流れる3つの湖を越えると、いよいよゴーキョに到着です。

8000m峰4座の大展望地 ゴーキョ・ピーク登頂

ロッジ手前のドゥードゥ・ポカリの湖畔を少し回りこんだ後、一歩一歩ピークに向けて進んでいきます。標高が上がるにつれ、息が苦しくなっていくので山腹で何度も休憩を取ります。標高はすでに5,000m近く。眼下に見下ろすゴーキョのロッジはどんどん遠ざかり、碧き水をたたえる氷河湖の全景を望めます。 タルチョはためくピークに到着すると、ゴーキョ・ピークの北には、世界第6位峰チョー・オユーや北東に聳える世界最高峰のエベレスト、その東隣には世界第4位の峰ローツェ(8,516m) が聳えています。より東に目を移すと左右均衡の取れたピラミダルな山容の世界第5位の秀峰マカルー(8,462m)の展望が広がります。他のネパールトレッキングでは見ることができない360度の大展望にアクセントを加える名峰たちも素晴らしく、そして眼下に見下ろすゴーキョの象徴、氷河湖ドゥードゥ・ポカリの碧き湖面は神々の頂の白味をさらに引き立てます 眼前に臨む荒々しいゴジュンバ氷河は、まるで我々がいる世界と神々が棲む世界との唯一無二最後の境界線のようです。

ネパール三大峠の一つ、レンジョ・パスを越える

ネパールに存在する、三つ峠(チョラ・ラ、コンマ・ラ、レンジョ・ラ)の中でも、特に景色が美しいと謳われるレンジョパスを越える日、当ツアーにおいての最大の見所であり関門でもあります。ゴーキョのロッジを出発し、ゴーキョピーク山麓のドゥードポカリを時計回りに巻くように緩やかな登りを進むと、レンジョ・パスの急登の取り付きへと到着します。その後はザレ場、ガレ場の急登を登り、そしてレンジョパスの頂上からはゴーキョ・ピークに勝る圧巻の絶景が広がります。まさに神々から与えられた試練を乗り越えた者のみが展望を許される絶景です。

  • レンジョ・パスへの急登の取り付き
  • レンジョラからの景色

ネパール・トレッキングのベストシーズンは10月~12月、2月~4月までの秋期~春期までと言われています。 10月~12月はネパールの秋晴れが続き、晴天率が高く高峰群の展望をするには最も良い時期です。また2月~4月は秋に比べると晴天率は高くないものの、高峰群に映える残雪が幻想的に見える季節となっています。 是非、ベストシーズンに訪れてみてはいかがでしょうか。

関連ツアーのご紹介

エベレスト山群大展望 ゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越え

エベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユー、8,000m峰四座展望。レンジョ・パスを越えロールワリン山群までを一望。氷河湖の美しいゴーキョに3連泊。

スパンティーク遠征隊 7,027mの頂に立つ

  • パキスタン

2014.03.01 update

2014年7月23日深夜1時、満天の星空の下アタック開始。
黎明の寒気に耐えて歩を進め、9時5分に女性のお客様とワジッド氏、次いで9時43分に男性のお客様と楠が登頂を果たしました

スパンティーク
僧侶達によるチャム(マスク・ダンス)
チョゴルンマ氷河を望む絶景が広がるスパンティークB C にて

第一高度順応

2014年7月、私たちは昨年の視察を経て、二人のお客様と共にスパンティークの登頂に挑みました。起点となるアランドゥ村から3日かけて氷河を遡り、ベースキャンプ(以下BC)に辿り着いたのが10日のこと。クレバスの多い氷河行にはジャンプや迂回を強いられましたが、無事到着し人心地がつきました。BCは、カラコルム山域中でも最美とされるチョゴルンマ氷河を望む好展望地。周囲には名立たる名峰が聳え立ち、氷河崩落や雪崩の轟音の響きと高山植物の香りに包まれ、五感が研ぎ澄まされていきました。
12日、ガレ場や雪面の急登を経て、南東稜上のキャンプ1(以下C1)を設営。スパンティークを正面に望み、士気が高まります。この先は高所テント泊。雪から水を作り、飲食に用います。行動体力、防衛力や精神力をを含めたいわゆる”山の力”が求められる世界です。

第二高度順応

標高の上げ下げを繰り返しながら体を順応させていきます。14日、一旦降りたBCから再び同ルートでC1へ。翌15日、南東稜線上をC2へ向かいます。両端が切れ落ちた箇所ではロープで互いを確保しながら登ります。写真撮影や僅かな休憩、用を足す時でさえも全員で立ち止まらねばなりません。スパンティークとの距離は更に縮まり、迫力を増すその山容に畏怖の念さえ覚えました。16日、先のルートに固定ロープを張りに行く高所ポーター達を見送り、我々はBCへと戻ります。この環境では特に高所ポーターの力は重要です。視察時と同じメンバーが揃ったため、息の合ったチームワークが見事でした。

第三高度順応からアタック

4日に渡る悪天候のサイクルをBCに留まり凌ぎます。この停滞期に極力ストレスを感じぬよう過ごすことが大切です。天候が安定し、いよいよ頂を目指して出発。C1、C2までのルートは軽い足取りで進み、22日、核心部のC3へのルートに挑みます。スパンティークの前峰にあたる尖った雪峰に、他隊と協力して張った固定ロープ約550m。これを頼りに斜度およそ40度の雪面をユマーリング。背後に広がるカラコルム山脈の大展望の中に、ここまでの足跡を辿ることができます。世界第二位峰K2(8,611m)もはっきりと目にすることができました。
C3では軽い頭痛を感じ、水分補給と深呼吸を何度も何度も繰り返しました。呼吸が浅くならぬよう敢えて深く眠りにつかずに迎えた23日深夜1時、満を持して登頂アタックを開始。お客様の体調も良好。緊急用の酸素ボンベ、携帯加圧装置、衛星電話。万が一の態勢も整っています。危惧していた雪質も膝丈のラッセルを強いられた程度でした。
力強い高所ポーター達に導かれ天候さえも味方につけ、一歩一歩自分を信じて登ります。未明に風が強まり体を芯まで冷やしました。手足の末端部の感覚が失われそうになるのを叩いて必死に防ぎます。しかし、空が白み神秘的に輝き出す山群の姿に心を奪われると、寒さに動かぬはずの指先が何度もシャッターを切っていました。
待ちわびた太陽の光を全身で浴びることができたのは7時頃。一気に身体の隅々まで生気が染み渡っていくのが分かります。前方に目をやると、女性のお客様は遥か先を着々と登り頂上間近に。ワジッド氏がそれに続きます。男性のお客様も粘り強
く足を運んでいます。

そして、頂へ。遂に成し遂げた登頂。これまでの苦労が報われる瞬間。パーティーは団結して力を尽くしましたが、誰より頑張っていたのはお客様自身に違いありません。本当におめでとうございます。360度の大展望と薄い空気に身を委ね、自分自身にもささやかな拍手を送りました。頂から望む故郷のナガール地方に祈りを捧げ涙を流したワジッド氏の姿が今も心に残ります。今回改めて感じたのは、共に登頂を果たした人数に乗じて喜びは何倍にもなると言うことです。この気持ちをより多くの方々と分かち合いたい、そんな想いを胸に、これからも皆様の挑戦の一助となれることを願っています。

カラコルムの名峰スパンティーク / SPANTIK

その美しい山容から世界の登山家に愛され数多の名を持つスパンティーク。100 年を遡る氷河探査の時代より、ゴールデン・パリ(金色の妖精)、イェングツ・サール(北部の谷の名が由来)、ゲニッシュ・キッシュ(金色の山)、ピラミッド・ピークなどの異名を取り、現在は朝夕に 光り輝く姿を例えてゴールデン・ピーク、そして土着の名、スパンティークと呼ばれています。
この山の試登は、1902年にアメリカのワークマン夫妻により氷河源頭探査を経て行われました。そして1955年、カール・クラマー率いる西ドイツ隊が南東稜より初登頂を果たします。一方、北西面に立ちはだかる大岩壁ゴールデン・ピラー(標高差約2,000m、平均斜度約70 度)は、1987 年にイギリスのミック・ファウラーとビクター・ソンダースによって初登攀され、2000年にスロベニアのマルコ・プレゼリが第2登。そしてこの初登ラインの第3登は、2009年にGIRI GIRI BOYS(佐藤裕介氏、一村文隆氏、天野和明氏)が5日間26 ピッチを経て果たしています。

眼前に広がるカラコルム山脈の大展望
眼前に広がるカラコルム山脈の大展望

隊員プロフィール / PROFILE

藤倉 歌都代氏(71歳)
埼玉出身の自称・野生人。大怪我に見舞われてもなお登り続けるチャレンジャー。
川原 康司氏(53歳)
広島出身の勤人。4年前に弊社で登ったキリマンジャロで山に目覚める。
ワジッド氏
山岳料理人。日本料理は勿論、イタリア、メキシコ料理にも定評有。
※その他、愉快な高所ポーター、チェアマン・アリ氏、フィダ・アリ氏、アシュラフ氏

ザンスカール最深部
断崖に建つ白亜の僧坊 プクタル・ゴンパをゆく

  • インド

2014.02.01 update

海の深さにも負けないほど青い空の下、荒々しく切り立つ絶壁。その崖の中央には洞窟がぽっかりと口を開け、周囲に無数の伽藍がべったりと張りつきます。
少し視線をあげた洞窟のちょうど真上には、まるでこの地を見守るかのように、立派なヒマラヤ杉が根を下ろしています。今もなお車道が整備されず、往復4日のトレッキングという時間と体力をかけてこそ辿り着けるこの僧院。数知れぬ僧院が存在するザンスカールの中でもプクタル・ゴンパは訪れる人の心を強く魅了する圧倒的な存在感を持っています。
厳しい環境下で、今もなお続く信仰のかたち。その神秘的ともいえる魅力に迫ります。

断崖に張りつくように建つプクタル・ゴンパ
断崖に張りつくように建つプクタル・ゴンパ

ザンスカール最奥を目指す ~プクタル・ゴンパへの道~

ヒマラヤ山中の奥地の谷間に位置するザンスカール地方は、万年雪を抱く高峰に囲まれ、一年の半分は雪で峠が閉ざされます。プクタル・ゴンパはザンスカールの中心地パドゥムより、さらに奥地へ進んだところにあります。地元の人の足ならパドゥムより歩いて1〜2日、私たちのような外国人はパドゥムをジープで出発し、車で行ける最終地点ドルゾンから1泊2日のトレッキングでゴンパを目指します。
トレッキングのルートは、アップダウンを繰り返しながらツァラプ川沿いに続きます。この道は地元の人々にとって生活道です。道中の村の人々がこの道を歩いてパドゥムまで仕事に行ったり、馬を率いて物資や食料の調達へ行きます。そのため道を歩いていると、何度も地元の人々とすれ違います。彼らと出会うと「ジュレー!(こんにちは)」と挨拶。彼らも、日に焼けた赤いほっぺの顔をくしゃっとさせ、満面の笑みで「ジュレー!」と返してくれます。どことなく私たち日本人と似たその顔つきにほっとし、息を切らして坂を登ってきた疲れも忘れてしまいます。
ザンスカールの風景も私たちを楽しませてくれます。前方の壮大な雪をかぶったヒマラヤの山々、ツァラプ川対岸の村に広がる田畑、足元に可憐に咲く高山植物。その中でもひときわ目を引くのがブルーポピー。人目を避けるかのように、岩陰にひっそりと咲く姿を見ると、「幻の花」や「ヒマラヤの女王」と呼ばれる理由が分かる気がします。

  • ゴンパ麓の道に続くストゥーパ
    ゴンパ麓の道に続くストゥーパ
  • 岩陰に咲くブルーポピー
    岩陰に咲くブルーポピー
  • ツァラプ川沿いを歩きゴンパを目指す
    ツァラプ川沿いを歩きゴンパを目指す
  • 朝、お祈り前の読経の練習を行う少年僧たち
    朝、お祈り前の読経の練習を行う少年僧たち

プクタル・ゴンパに残る伝説 ~ジャンセム・シェラブザンポと白いねずみ~

プクタル・ゴンパの持つ神秘性はその容貌だけではありません。言い伝えによれば、この地に伝わる歴史は2500年以上も前にさかのぼります。当時はまだ僧院はなく、小さな洞窟だけがありました。「十六羅漢」と呼ばれるお釈迦様の優れた16人の弟子のうち3人がその洞窟で瞑想し、ここで仏教を広めたと言われています。

その後もこの洞窟には多くの高僧が訪れました。チベット仏教の開祖パドマサンバヴァ、カギュ派開祖の1人ミラレパ、偉大な翻訳官リンチェンサンポなど、チベット文化圏を訪れたことがあれば一度は耳にしたことのある高僧が名を連ねます。これは伝説にすぎないかもしれませんが、そう言い伝えられるほどに人々がこの僧院に特別な魅力
を感じていることは、確かではないでしょうか。  僧院部分が建立されたのは15世紀初頭と言われます。建立したのはジャンセム・シェラブザンポ。チベット仏教最大宗派ゲルク派の開祖ツォンカパの弟子です。僧院建立にまつわる言い伝えは諸説がありますが、地元の人に聞いた伝説の1つをご紹介します。

「プクタル・ゴンパ建立にまつわる伝説」

シェラブザンポは旅をしながら各地に僧院を作り、チベット仏教の教えを説いていました。共に旅していたのが白いねずみ。彼らはザンスカールまでやってくると、僧院を作りました。しかし白いねずみはいつもあちらこちらへ駆け回り、落ち着かない様子でした。そこでシェラブザンポはその地を離れ、旅を続けました。辿り着いたのが今のプクタルゴンパのある場所。到着するやいなや、白いねずみが近くの茂みに飛び込みました。そして安心したかのようにそこにとどまっていたのです。それを見たシェラブザンポはこの場所こそが神聖な地だと確信し、プクタルゴンパを建てました。その後シェラブザンポは不思議な力を発揮し、洞窟の奥には湧き水が流れ、乾いた洞窟の上にヒマラヤ杉の木が育ち、洞窟自体も大きくなりました。

この湧き水やヒマラヤ杉は今も残り、神聖なものとして崇められています。そして洞窟内部には彼のストゥーパが安置されています。  ザンスカールの大自然と篤い信仰が息づくプクタル・ゴンパ。古から神聖視されてきたこの場所は、今では地元の人のみならず、私たち訪れる人々の心をも魅了する神秘の力を秘めている。

  • 伝説の洞窟とその上に育つヒマラヤ杉
    伝説の洞窟とその上に育つヒマラヤ杉
  • 法螺貝を吹き、お祈りの時間を告げる
    法螺貝を吹き、お祈りの時間を告げる
  • プクタル・ゴンパのゴンカン(護法堂)
    プクタル・ゴンパのゴンカン(護法堂)
  • プクタル・ゴンパより望む
    プクタル・ゴンパより望む

コスタリカ  太平洋とカリブ海に抱かれ人々が穏やかに暮らす中米の楽園へ

  • コスタリカ

2013.11.01 update

「自然が溢れる国」、「軍隊の無い永世中立 国」という言葉とともに語られるコスタリカ。 そこに住む人々の暮らしはどのようなもので しょうか。カリブ海と太平洋の二海洋にはさ まれ、温暖な気候、豊かな緑あふれる国土、 そして多様性に富む人々。その中での生活の 様子をご紹介いたします。

ケツァール
ケツァール:バードウォッチャーの憧れの鳥と言われる ケツァール。
運がよければ、緑の森の中に鮮やかに映え るその姿を目にすることができるかもしれない。

 

中米の小国 コスタリカ

 スペイン語で「豊かな海岸」を意味するコスタリカ。その名を聞いて、地図の上に正確な位置が思い浮かぶ人は少ないかもしれません。四国と九州をあわせたほどのその小国は、南北アメリカをつなぐ中米にあります。コスタリカも多くの中南米諸国と同様に、かつての大航海時代にスペイン人が到来し、その後その支配を受けた国のひとつでした。

 かのコロンブスとその部下たちが現在のコスタリカのカリブ海沿岸に初めてたどり着いたのは1502年のことでしたが、先住民の抵抗や鬱蒼とした熱帯雨林に行く手を阻まれ、16世紀後半になってやっと中央盆地への定住がなされました。その他の地域の本格的な開発が始まったのは19世紀後半になってからのことでした。

 中央盆地に位置する首都サンホセ。一国の首都にしてはとてもこじんまりとしていますが、19世紀前半のコーヒーブームにより富を得た人々がヨーロッパを真似て建てた劇場や邸宅が並びます。サンホセや、第二の都市カルタゴなどの都市部には世界的チェーンのファストフード店やブランド店があったり、ほとんどの人が携帯電話を持っていたりと、我々日本人と変わらない暮らしをしています。しかし、都市部を出て、緑豊かな道を車で少し行けば、「町」よりも「村」と呼ぶにふさわしい、のどかな風景に出会えます。

穏やかに流れる 人々の暮らし

朝、目覚めれば鳥の声が聞こえます。各家庭の台所では、お母さんがコーヒーを淹れはじめます。ケトルの音とドリップされるコーヒーの香り。朝、午後そして夜と、コスタリカでは少なくとも1日に3回はコーヒーを飲むのが一般的です。 人々は早朝から動き出し、学校の始業も7時から。制服を着た学生がバス停に並びます。朝にシャワーを浴びる習慣のため、濡れた髪が朝日でつややかに光ります。通学・出勤する家族を見送った家からは、掃除をする音が聞こえ、また洗濯物がはためきはじめます。きれい好きなコスタリカ人。毎日念入りに床を磨く家も少なくありません。少し長めの昼休みには、一度家に戻って昼食をとる人も多く、お母さんはその支度にとりかかります。

日中はあけっぱなしの入り口から近所の人が「Hola(オラ)」とやってきて、マヨネーズなどの調味料を借りていくことも。また、お昼近くになると、出来立てのトルティージャ(トウモロコシの粉で作った薄いナンのような食べ物)をかごに入れて売りに回るおばさんの姿が見られます。午後は家にいればコーヒーと菓子パンなどでおやつタイムです。ソファに座ってテレビを見ながら、玄関前のベンチに腰かけて家の前を眺めながら…ゆったりとした時間が流れます。出かけていた家族が家に戻ってくると夕食です。昼食をしっかりとるため、晩ごはんは軽めにすませます。

コスタリカ人はおしゃべり好きでとても社交的。ご近所さんや近くに住む親戚の家を行ったり来たりし、自分の家への来客に対してもとても開放的です。ほとんどの国民はカトリック教徒で、信仰熱心な人は、今日一日を平和に過ごせたことを神様に感謝し、また明日の健康を祈って眠りにつきます。

人種の坩堝コスタリカ

 コスタリカ人と聞いて特定の容貌を思い浮かべるのは容易ではありません。人口はたったの480万人ですが、その中には様々な人がいます。人口の9割を占めるのは先住民とスペイン系の混血、メスティソです。しかし一言にメスティソと言っても、黒髪から金髪、黒い瞳から青い瞳までと様々です。アフリカ系の人々もよく見かけます。もともと彼らは19世紀後半からの鉄道建設やバナナプランテーションでの労働力としてジャマイカから連れてこられました。当初、カリブ海沿岸の町リモンを中心とした低地から中央盆地へ出てくることを禁止されていたこともあって、今でもカリブ海沿いの地域では特に黒人の割合が多くなっています。

 同じ中米のグアテマラやパナマに比べれば目立ちませんが、先住民も人口の約1・7%を占めています。また、移民としてやってきた中国人もおり、中華街こそありませんが、中華料理店や彼らが経営するスーパーマーケットも少なくありません。

学校、職場、町ではもちろんこれらの多様な人々が一緒に生活しています。バス停やレジに並ぶ人々の肌の色は様々ですが、誰とでも気軽におしゃべりを始めます。同じ国民でも人種や民族によって自然にグループができ、生活が分かれて行く国もあると聞きますが、コスタリカではそのような風景は見られません。

 彼らは世界各地から訪れる旅行者もおおらかな笑顔で迎えてくれるでしょう。暖かく、穏やかに暮らす彼らが誇りにし、愛でるその地へ。ぜひ皆様をお連れできればと思います。

サンホセの日曜市
チーズ売りのおばさん:首都の日曜市でチーズを売る女性。カメラを向けたら笑顔で応じてくれた。

プラジャ(=スペイン語で「ビーチ」の意)
ビーチ: 太平洋とカリブ海に挟まれたこの国にはたくさんの ビーチがある。プラジャ(=スペイン語で「ビーチ」の意) で過ごす休日は、コスタリカ人にとっても特別なもの。

高原盆地
高台からの景色:コスタリカ=熱帯雨林のイメージが強いかもしれないが、 国土の約3分の1は3,000m級の高山及びそれらによって形成される標高 800~1,400mのさわやかな高原盆地だ。

ハイスクール
学校:ハイスクールの教室にて。共に学ぶ学生たちは、髪の色も瞳の色も様々です。
独立記念日
独立記念日:毎年9月15日には、コスタリカ中どこの町でも子供たちのパレードが町を練り歩きます。

コスタリカと言えば・・・

  • 定番の朝食ガジョ・ピント
    見た目は赤飯のような、豆を混 ぜたお米料理。味付けは塩や香草コリアンダー程度のシンプルなものですが、やみつきになる 味です。

    ガジョ・ピント

  • 活動を続けるアレナル火山
    コスタリカは日本と同じ火山国です。アレナル火山はコスタリカを代表する活火山で、その活発さは世界の火山でも十指に入ると言われています。
    アレナル火山
  • 国花グアリア・モラーダ
    蘭の一種で、2~3月に薄い紫色の花を咲かせます。可愛らしい花はコスタリカの人々に親し まれており、この花を主題にした歌もつくられました。
    グアリア・モラーダ
  • 高品質のコーヒー豆
    コーヒー好きならばコスタリカの名前を耳にしたことがあるでしょう。19世紀前半のコーヒーブームがもたらした富が、コスタリカの近代化を推し進めま した。
    コーヒー豆
  • バード・ウォッチング
    小さな国土ながら全世界の鳥類のうち一割が見られるというコスタリカ。空飛ぶ宝石ハチドリや幻の鳥ケツァールを求め世界中の野鳥愛好家が訪れます。
    ハチドリ
  • フィエスタ
    パーティー(=フィエスタ)好きのコスタリカ人。誕生日、結婚祝い、出産祝い。クリスマスなど、大家族がにぎやかに集まる機会が年に何度もあります。
    フィエスタ

関連ツアーのご紹介

コスタリカ

人気の国立公園・自然保護区をあますことなく訪問。モンテベルデ自然保護区をはじめ、憧れのケツァールとの遭遇率が最も高いと言われるロス・ケツァーレス国立公園も訪れます。

中米7ヶ国 パン・アメリカン・ハイウェイ縦断の旅

移りゆく景色を眺めながら、6つの国境を陸路で越える。パナマ運河、古代マヤ遺跡、熱帯雨林のジャングルと動植物、コロニアル様式の街並み。パナマからベリーズまで縦断。

ロンボク島最高峰・リンジャニ山(3,726m)登頂

  • インドネシア

2013.10.01 update

インドネシア、西ヌサ・トゥンガラ諸島の州都マタラムがあるロンボク島。リンジャニ山はこのロンボク島の最高峰であり、インドネシア第3の高峰です。また活火山であり、山頂付近では巨大な火口湖セガラ・アナ湖やバリ島最高峰アグン山(3,031m)を展望することができます。ここでは、島についてから2泊3日での登頂の様子を、ルートに沿ってご紹介いたします。

リンジャニ山の全景を望みつつ草原帯から登山開始リンジャニ山の全景を望みつつ草原帯から登山開始

トレッキング1日目(早朝):スタート地点のスンバルンラワン村

早朝、ロンボク島のスンギキを出発し、標高約1,150mのスンバルンラワン村へ。
この村で入山手続きを行いポーターに荷物を振り分け出発です。

登山のスタート地点、山間に佇むスンバルン・ラワンの村
登山のスタート地点、山間に佇むスンバルン・ラワンの村
村を出発
村を出発

トレッキング1日目(朝~):スンバルンラワン村→ プラワガン・センバルンへ

トレッキング1日目は、プラワガン・センバルン(2,640m)まで進みます。標高差は約1,490m。序盤は草原地帯をゆるやかに登ります。道中、熱帯でよく行われている焼畑農業の跡が見られ、南国に来たことを実感させてくれます。

標高約1,500mのPos2で昼食後は徐々に高度を上げます。急坂を登りきり尾根まであがると火口湖セガラ・アナ湖が展望できるプラワガン・センバルンへ到着。深夜の登頂開始に備え、夕食を食べ就寝です。

砂礫の稜線を登る
村を出発し、トレッキング開始
山頂付近は急登を登る
序盤は草原地帯を行く
東屋で休憩
東屋で休憩
 

トレッキング2日目(未明~朝):リンジャニ山登頂

深夜2時、キャンプを出発し登頂開始。山頂までは約1,090m、プラワガン・センバルンから山頂まで伸びる砂礫の稜線をひたすら登ります。朝陽が昇り、ふと後ろを振り返ると、エメラルドグリーンのセガラ・アナ湖が望めます。さらに下にはプラワガン・センバルンのキャンプが見え、あそこから歩いてきたのかと、驚きを感じます。

砂礫の稜線を登る
砂礫の稜線を登る
山頂付近は急登を登る
山頂付近は急登を登る
山頂にて
山頂にて
山頂に到着すると、1993年に噴火したバル山とセガラ・アナ湖が眼下に広がり、遠くにはバリ島最高峰のアグン山(3,142m)が展望できます。ロンボク島は総面積が約4740Km2しかなく、山頂から見渡すと、島を取り囲む美しい海が広がっていました。

帰路は砂礫の稜線を駆け下り、プラワガン・センバルンに戻ります。

山頂から望むアグン山
山頂から望むアグン山
山頂付近から望むセガラ・アナ湖
山頂付近から望むセガラ・アナ湖

トレッキング2日目(朝~):プラワガン・センバルン→ セガラ・アナ湖畔

朝食後、約640mを下山しセガラ・アナ湖畔のキャンプ地(2,000m)へ。セガラ・アナ湖畔にはアリカラックと呼ばれる温泉があり、大自然の中の天然温泉で登山の疲れを癒していただきました。

湖畔のキャンプ地へ
湖畔のキャンプ地へ
アリカラック温泉
アリカラック温泉
湖で釣りをする地元の人々
湖で釣りをする地元の人々

トレッキング3日目:セガラ・アナ湖畔→スナル

スナルまで約1,400mの下山です。湖畔を歩き、再び外輪山の稜線部にある尾根まで登るとプラワガン・セナル(2,461m)に到着。ここからはジャングルに抜け一気にスナルまで下山し、2泊3日の山旅は終了。ホテルへと戻り、近海で取れた魚介類を堪能しました。
翌日、最終日はバリ島へと移動し、深夜の飛行機の出発までクタ地区でのショッピングなどをお楽しみいただけます。

セガラ・アナ湖の隣に聳えるバル山
セガラ・アナ湖の隣に聳えるバル山
プラワガンセナルからリンジャニ山を望む
プラワガンセナルからリンジャニ山を望む
スナルのゲート
スナルのゲート

リンジャニ山は日本から気軽に訪れることができ、標高も3,726mと、富士山3,776mとほぼ変わらないため、初めての海外登山に挑戦される方にはおすすめです。復路と往路で異なるルートを歩くため、2泊3日で変化の富んだ登山をお楽しみいただけます。

日本からほど近い場所ですが、まだ訪れる登山者が少ないリンジャニ山。是非、多くの方に訪れていただきたいと感じました。
これから海外登山を初めて見たい方は、是非このコースに挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

関連ツアーのご紹介

ロンボク島最高峰・リン ジャニ(3,726m)山登頂

ロンボク島最高峰を周遊。熱帯雨林の中を歩き、火山湖を展望!登山途中に天然温泉に入浴、変化に富んだ自然の中を歩く。山中に2泊のゆとりの日程。

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