天空のチベット ラダック第7弾: 紺碧の湖パンゴン・ツォとヌブラ谷

ジュレー! 西遊インディアです。
前回は、下ラダックの見どころを紹介いたしました。
ラダック第6弾:下ラダックの観光

 

今回は、レーから少し足を延ばし、ラダック郊外にある2箇所の外せない見どころについてご紹介いたします!

 

■パンゴン・ツォ(Pangong Tso)

ラダックの東部からチベットにかけて横たわる、全長約130kmに及ぶ細長い湖がパンゴン・ツォ(湖)です。ラダック語で「パン」は「草」、「ゴン」は「塊」を意味します。標高4300mに位置し、1962年以前は全てインド領でしたが、現在は25%がインド領、75%が中国領になっています。インド側では塩湖と言われ、中国側は淡水です。冬はすべて凍り、軍隊のジープなどが湖の上を走ることができるのだそうです。湖に魚はいませんが、小さな虫や貝類が生息しています。

かつては、越冬地としてたくさんの鳥が来ていましたが、ここ数年の観光客増加により、環境が変化した為に鳥の数は激減してしまったそうです。

この美しい景色は、2009年公開のインド映画「きっとうまくいく(3idiots)」を始めとする、インド映画やミュージックビデオのロケ地としても有名です。

 

パンゴンツォは、その日の天候や時期によって少しずつ湖の色合いや見え方が変わります。雲や風のある・なしでも結構雰囲気が変わりますので、朝から晩まで湖を眺めていたい気持ちになります。

ちなみに湖の周辺には簡易宿泊施設もあり、パンゴンツォで1泊することも可能です!

 

パンゴン・ツォ付近には、人懐こいヒマラヤン・マーモットがいるエリアがあります。観光客が増え、食べ物を与えるため餌付けされ、その丸々と太った体と少し間の抜けたようなその顔が愛らしく人気です。

 

ヒマラヤン・マーモット
巣穴からちょうどこんにちは…

なお、パンゴン・ツォへの訪問には、入域許可書の事前取得が必要ですので、詳しくはお問い合わせください。

 

 

■ヌブラ渓谷(Nubla Vallery)

ラダックの北部、ヌブラ川とその支流に流域に広がる渓谷地帯がヌブラ渓谷。標高は3500mほどで、レーとほぼ同じです。川に挟まれて水が豊かなために緑に恵まれ、その名「ヌブラ」も「緑の園」を意味します。

レーからの陸路移動は片道4ー5時間程かかります。途中5000m級の峠カルドゥン・ラを越える必要があり、峠でのダイナミックな景色も魅力です。この峠は自動車道世界最高地点の標高で、正確な標高については諸説あり、5,359mという説が有力だとか。

 

カルドゥン・ラ
ヌブラ渓谷
バクトリアンキャメル

なんとヌブラ谷にはバクトリアンキャメル(フタコブラクダ)がいます。観光用に飼育されているラクダで、ラクダに乗って砂丘サファリができます(ちなみにラクダは、野生のものは今は中国とモンゴルにいるだけだそうです)。

 

 

デスキット僧院

ヌブラ谷の中心地・デスキット村の南東にある岩山の上に建つ大僧院です。ゲルク派の高僧チャンセム・シェラブ・サンボによって15世紀ごろに建立。ドゥカン(勤行堂)は比較的新しく、本尊は釈迦牟尼です。ゴンカン(護法堂)には恐ろしいほどの迫力ある守護尊・護法神の像がずらりと並び、見ごたえありです。また、僧院のとなりの丘の上には2010年に完成したという巨大なチャンバ(弥勒菩薩)像があります。

 

デスキット僧院遠望
腰掛けスタイルのチャンバ(弥勒菩薩)像

これまでラダックエリアの見どころを紹介してきましたが、まだまだラダックには見るべきものがたくさんあります! 荒涼たる茶褐色の大地、要塞を思わせる岩山に築かれた寺院、そしてラダックの人々も穏やかでフレンドリー。いつでも暖かく迎えてくれます。ラダックへのご旅行を何度もリピートする方が多いのも納得です。

 

 

次回は、ラダックエリアを訪問するにあたっての知っておくと役に立つ仏教用語や、お土産等ご紹介します。

 

 

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天空のチベット ラダック第6弾:下ラダックの観光

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックエリアの見どころ、続いて下ラダック側を紹介いたします!
前回: ラダック第5弾:上ラダックの観光

 

■下ラダック(シャム)

アルチ僧院やラマユル僧院など、ラダックエリアでは見逃せない僧院が点在しています。また、上ラダックよりも標高が低いため、農作に適しており、夏は緑、秋には黄金色の畑を見ることができます。上ラダック側より標高が低いので、高度順応も兼ねてラダック観光の序盤で訪問するのにおすすめです。

 

 

▮アルチ僧院(Alchi  Gompa)

アルチ僧院は小さな集落であるアルチ村に建つ僧院で、仏教美術の宝庫ともいわれています(アルチ僧院はこちらでもご紹介しました>>ラダック第3弾)。

10世紀末にリンチェン・サンポによって建てられたと伝えられるこの僧院には、現在「僧院」としての機能はほとんどありませんが、内部には、創建当時の壁画が残り、その内容はラダック随一です。

 

アルチ僧院
アルチ僧院 三層堂入り口
三層堂のポーチ部分

11 世紀半ばに建てられたという三層堂(スムツェク)は、名前のとおり三階建てで上層になるにつれ面積が小さくなる先細りの建築物です。独特の様式を模したファザード(建物の正面部分)は、柱は溝彫り式でうずまき模様が施されており、ギリシャ風の建造物を思わせる建築。また三角形の枠組みの中にそれぞれに尊格の木像が施されており、これらはどれもカシミール様式の特徴を表したものとなっています。

 

アルチ僧院仏塔内部 描かれているのは「飛天」

前述のとおり、カシミールや中央アジア美術の系統をひいてるチベット仏教美術における「リンチェン・サンポ様式」は、壁画の着色に「青(群青)」を多用していることが特徴として挙げられます。三層堂の壁面には所狭しと「青を基調とした千体仏」が描かれていますし、また仏塔内部には、チベット仏教寺院としては非常に珍しく、「飛天」や「白鳥」が装飾として描かれています。まさにカシミール様式の代表的な僧院であり、「インド・チベット仏教の至宝」と呼ぶに相応しいものです。

アルチ僧院は、ぜひとも訪問時間をゆっくりとって、訪問ください。

 

 

▮ラマユル僧院(Lamayuru Gompa)

「月世界」と呼ばれる独特の地形を通り過ぎつつ走ると、岩山の中腹に建つラマユル僧院が見えてきます。「ユンドゥン・タルパリン」という名前を持つ、カルギル地区のディグン・カギュ派の総本山の僧院です。

 

ラマユル僧院とラマユル村、奥に月世界

11世紀にこの地でカギュ派の開祖マルパの師匠である、ナローパがこの場所で瞑想したのがはじまりと言われ、現在でも200名の僧侶がこの僧院で修行を行っています。毎年チベット暦の5 月には「ユンドゥン・カブギェ」というお祭りが催されており、周辺の村々から多くの人が訪れます。

 

ナローパが瞑想した石窟。現在はティローパ、ナローパ、ミラレパ像が安置されています。

注目ポイントは、ドゥカン(勤行堂)内部にある「ナローパの瞑想石窟」。ドゥカンの片隅にある石窟内は、チベット仏教の宗派の1つであるカギュ派の創始者ナローパが瞑想を行ったと言われており、洞内にはナローパと、彼の師であるティローパ、彼の孫弟子であるミラレパの像が祀られています。

 

現存するラマユルのお堂の中で最古の建物であるのが、センゲカン(獅子堂)です。センゲカンは11 世紀、リンチェンサンポが創建したといわれています。
内部にはナンパ・ナンツァ(大日如来)像を中心とした金剛界五仏の塑像が残っています。インドで大乗仏教が発展していくにつれ「聖なる存在の仏」としての要素が強まってきた「五仏」。この五仏の塑像とそれを取り巻く装飾は、アルチと並ぶ秀作と言われています。

 

ラマユル僧院の大日如来

中央に大日如来、その周りを、阿閦如来(あしゅく)、宝生如来(ほうしょう)、阿弥陀如来(あみだ)、不空成就如来(ふくうじょうじゅ)の四仏が取り囲んでいます。

 

センゲカンには、他にも護法尊のマハカーラ(大黒天)や、ユニークな骸骨の壁画「チティパティ(屍陀林王)」などが描かれています。「チティパティ」とは墓場の主という意味であり、チベットの伝説によればもともとは苦行僧であったとされています。あるとき深い瞑想に入りましたが、その深さときたら、その隙を狙って泥棒が彼らの頭をはね、泥の中に身体を捨てたことに気づかないくらいだったとか。その時以来、彼ら(夫婦で描かれていることが多い)は泥棒の宿敵になり永遠の復讐を誓ったと言われています。

 

チティパティ。なんとなく可愛らしい見た目

 

▮月の谷 

ラマユル僧院の麓に広がるのが「月の谷」と呼ばれるポイント。この場所には、次のような伝説が残されています‥‥「数万年前、この地には大きな湖がありました。紀元前15 世紀頃、聖者ニマグンがこの湖に住む龍神(ル)の供養を行うため湖上に麦の種を撒いたところ、その種が「卍(ユンドゥン)」の形を示し、その事がラマユルの古名「ユンドゥン」の由来となりました」 ‥‥現代になり、地質調査を行ったところ、この地は本当に湖が存在していることが判っており、月の世界を思わせるこれらの地層は湖の底に積もった堆積物による地層であることも判明しています。

 

月面のような地層 なかなかの迫力です!
「月の谷」遠景。ここだけがこのような地層というのがすごい

 

▮ニダプク石窟(Nyidaphunk)

サスポールという村のメインの車道から砂利道を15分ほど登った先にあるニダプク石窟は、15~16世紀に開かれたとされています。「ニダ=太陽と月」、「プク=お堂」つまり「太陽と月のお堂(日月堂)」という意味です。朝から晩まで外の太陽と月を眺めて修行したことから名付けられました。かつては修行地として栄え、岩山の中腹に彫られた100以上の洞窟の中で修行や瞑想をしていたとされています。

 

ニダプク石窟までの道のり。 やや急な道を上ります

いくつかの洞窟のなかには、現在も壁一面に描かれた壁画が残っています。ですが、洞窟までの足場が危険な個所が多く、現在見学できるもので壁画が綺麗に残るのは一か所のみです。

 

ニダプク洞内部の壁画

 

当時、僧は石窟内で瞑想だけを行っていたのではなく、修行の一環として仏画を描いていたといわれています。石窟の内部は所狭しと仏画が描かれており、一切の余白がなく見ごたえがあります。壁画はポストリンチェンサンポ様式のもので、赤色を多用しています。

 

 

▮リキール僧院(Likir Gompa)

ゲルグ派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有している僧院です。11世紀頃の創建と伝えられていますが、詳細は不明とされています。現在見ることのできる建物は、火災による焼失後の18世紀に再建された建物です。僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っており、その姿は遠くからでも望むことが出来ます。

チベット歴の12月末、この僧院でリキール・グストルというお祭りが開かれます。その際にご開帳されるツォンカパのトンドルは全ラダックで最大の大きさです。

 

リキール僧院を遠望
お堂は全て再建されたもので、内部の壁画も新しいです
金色の弥勒菩薩像

僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っています。衆生をすぐに救いに立ち上がれるよう、腰かけスタイルです。

 

 

次回は、郊外の見どころであるパンゴン・ツォとヌブラ谷を紹介します!

 

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天空のチベット ラダック第5弾:上ラダックの観光とレー

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックは、大きく2つの地域に分けられ、インダス川上流は上ラダック(トゥ)、下流地域は下ラダック(シャム)と呼ばれます。まずは、上ラダックで必見の僧院などをご紹介いたします!

 

■上ラダック(トゥ)

かつての王都シェイや、王族の末裔が暮らしたストクの他、ラダックを代表する僧院が多く集まる地域です。レーからの距離が近いことから、日帰り観光ができることが魅力。

 

 

▮レー(Leh)

標高約3650mに位置するラダックの中心地です。1640年頃、センゲ・ナムギャル王がレーチェン・パルカル(レー・パレス/旧王宮)を建てると、レーは一層王都らしくなり、政治・交易の中心として栄えました。チベット文化圏に属するため大部分がチベット民族であるため、「インドのチベット」とも呼ばれます。パキスタン・中国という2国に隣接している特殊な場所柄、軍事的理由により長い間閉ざされた場所でした。外国人に開放されたのは1974年のことで、現在は訪れる観光客も増え、中心地にはゲストハウスや商店が立ち並んでいます。

 

レーの街 中心部のストリート
見上げるとレーの街から王宮跡などが見えます

 

▮シェイ王宮跡(Shey)

10世紀、ラダック初代の王であるラチェン・パルキゴンと次の王様によりシェイがラダックの都とされてから15世紀まではこの場所にラダック王国の都が置かれていました。シェイとは「水晶」の意味で、王宮や僧院から周りを見渡すと、周囲の山々を覆う万年雪がまるで水晶のように光輝いて見えたのが名前の由来となっています。

九層(9階建て)だったシェイ王宮跡ですが、現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられた僧院で、王国が滅びる時は住人は誰もおらず、廃墟のようだったそうです。

 

 

シェイ王宮跡

 

▮ナムギャル・ツェモ(Namgyal Tsemo)

レー王宮のさらに上にある小さな僧院です。レーの街を見渡すことが出来る岩山の上に建っています。小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められています。元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられましたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至ります。ここから眺める夕日は一日の最後を飾るにふさわしい美しさ。晴れていればヒマラヤの奥に沈み行く太陽がレーの街を赤く染め上げていく様子を眺めることができます。

 

ナムギャル・ツェモ

 

▮シャンティ・ストゥーパ(Shanti Stupa)

レー郊外の丘の上にあるストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパです。 階段を息きらせながら登っていくと、そのストゥーパからは荒涼とした大地の中に広がるレーの街を一望することが出来ます。

 

シャンティ・ストゥーパ

 

▮シャンカール僧院(Sankar Gompa)

20世紀初頭、バクラ・リンポチェ20世によって創建されたゲルク派の僧院です。バクラ・リンポチェとは、ダライ・ラマ13世により認定された、仏陀の16人の阿羅漢の1人であるバクラの転生です。ラダックの指導者でもあります。2004年に死去されていますが、現在は21世が新たに認定されています。

 

ドゥカル(白傘蓋仏母)像

本堂には、ドゥルカルと呼ばれる白傘蓋仏母像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから魔性を遮る意味となりました。「災いから守ってくれるとても強い女神」です。顔・手・足がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。この白傘蓋仏母は、シャンカール僧院とレー王宮、ザンスカールのランドゥン僧院でしか見られないそうです。

 

 

▮ティクセ僧院(Thikse Gompa)

ラダックで最も有名な僧院の一つです。15世紀にゲルク派の開祖ツォンカパの命により建てられた僧院で、創建当時の壁画が残されています。岩山の中腹を僧房が埋め尽くし、頂上には本堂がそびえています。「ポタラ宮を見た高僧が感銘受けて、紙がなかったのでカブにスケッチをしてラダックに持ち帰り、ティクセ僧院を建立した。しかし、カブが乾燥して小さくなってしまっていたので実際のティクセ僧院もポタラ宮によく似ているがポタラ宮のミニチュア版になってしまった」という逸話があります。

 

ティクセ僧院 全景

ここでの見どころといえば、入口からすぐのお堂で静かな笑みを浮かべる高さ15mの弥勒菩薩像です。弥勒菩薩は、56億7千万年後の世界に現れ、多くの人々を救済すると言われている未来仏です。弥勒菩薩は大きければ大きい程早く降臨するのだとか。この弥勒菩薩像はラダックでも最大のもので、金剛界五仏の冠を被っています。

 

弥勒菩薩像

 

▮へミス僧院(Hemis Gompa)

レーからインダス川沿いの道を東へ走り、車で約1時間半の場所に位置する、ラダック最大かつ最も有名な僧院です。ドゥクバ・カギュ派の僧院で、17世紀にラダックを治めていたナムギャル王朝のセンゲ・ナムギャル王が、ラダックを訪れていたチベットの高僧タクツァン・レーパのために創建しました。

へミス僧院は、王家の庇護の元栄えることとなり、僧院には多くの僧が集まったため、へミス僧院にはドゥカン(僧の集会所)が2つ並んでいます。現在へミス僧院の僧は60~70人ということでしたが、かつては1000人もの僧がいたそうです。

 

へミス僧院。珍しく、集会堂が2つ並ぶ構造です
集会堂内部(へミス僧院)
パドマサンバヴァ像(へミス僧院)

僧院が最も賑わうのは毎年夏に行なわれるヘミス・ツェチュ(祭)の時です。お祭りではチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の偉業を伝えるチャム(仮面舞踊)が披露されます。全チベット文化圏からの巡礼者、各国からの観光客で中庭が埋め尽くされます。祭りが一番盛り上がるのは最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳のとき。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。12年に一度、申年には通常とは異なる特別なトンドルがご開帳されます。

 

広い中庭でお祭りは行われます
お祭りではチャム(仮面舞踊)が披露されます

 

▮チェムレ僧院(Chemrey Gompa)

へミス僧院の分院であるチェムレ僧院。この寺院はチベット僧タクツァン・レーパがセンゲ・ナムギャル王が亡くなってから王の菩提を弔うために建てた寺院です。荒涼とした山々を背景にそびえる雄大な姿で、山と僧院が一体化しているように見えます。頂上にドゥカン(僧の集会所)があり、その下に建ち並ぶのは僧の暮らす僧坊です。

 

チェムレ僧院 遠望
タクツァン・レーパ(チェムレ僧院)

 

チベット僧タクツァン・レーパは「チベット仏教を西に伝道する」という使命を受けて、ラダックを訪れていました。彼はセンゲ王に適切な助言を与え、王の信頼を得ます。そして、王家の導師として敬われました。現在のアフガニスタンにまで布教に行ったため、イスラム風のターバンを被っています。

 

 

次回は、下ラダックの観光について紹介いたします。

 

 

 

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天空のチベット ラダック第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

ジュレー! 西遊インディアです。

 

チェムレ僧院。山頂には僧院、山腹には僧房が立ち並んでいます

前回、ラダックの信仰に絡めて仏教美術のお話をいたしました。ラダックでは、美しい壁画、また僧院そのものなど、まだ現存しており今も行けば直接見ることが叶います。ですが、チベット仏教の本流の地である中国側チベットでは、中華人民共和国による文化大革命で僧院などの大半が破壊されてしまいました。ラダックは、ラダック王国という独立した仏教国であったことと、インドに帰属した後しばらくは外国人の立ち入りが禁止されていたため、チベット本土よりも建造物や仏教美術において、伝統的なチベット文化が色濃く残っています。
チベット仏教の中心地の一つとされるラダックは「小チベット」と称され、特に曼荼羅美術の集積が素晴らしいことで有名で、チベットを凌ぐとも言われています。

 

ぜひ、ラダックに訪問の際は僧院も訪問してみてください。何かの行事の際や、時に鍵番が不在で小さなお堂だと中に入れないこともありますが、だいたいは、快く迎えてくれます。

 

お勉強の時間を覗かせてくれました(カルーシャ僧院にて)
勤行の時間。見学させてもらえます。
こちらはティクセ僧院での早朝の勤行の様子

 

チベット仏教の僧院へ行くと、堂内にて壁に描かれた曼荼羅(マンダラ)や仏に目がいくと思います。

 

マンダラとは、仏教の中でも特に密教で考えられている世界や宇宙の構造を、絵柄で表したもので、真理に近づくための道しるべです。

 

金剛界曼荼羅(ツァツァプリ僧院)

金剛界曼荼羅の「金剛」とはダイヤモンドのことです。中央に座す、大日如来の智慧(ちえ)がダイヤモンドのように固く、何ものにも屈しないということを表しています。大日如来の周囲には4人の如来が位置しています。そして金剛杵が周囲を囲み、教えを守っています。

 

 


如来とは…

如来とは、一度悟りをひらいた存在を意味しています。
代表的な如来は「釈迦如来」と金剛界曼荼羅に描かれる「五仏」、そのほかお薬の壺をもった薬師如来などです。

 

<五仏>

大日(だいにち)如来   中央に配置/身体は白色
法を説くことを象徴する「転法輪印」を組む
阿閦(あしゅく)如来  東に配置/身体は青色
地に右手をつけた「触地印」を組む
宝生(ほうしょう)如来 南に配置/身体は黄色
掌を見せた「与願印」を組む
阿弥陀(あみだ)如来   西に配置/身体は赤色
深い瞑想の状態を表現する「禅定印」を組む
不空成就(ふくうじょうじゅ)如来  北に配置/身体は緑色
全ての恐れを取り除く象徴「施無畏印」を組む

 


 

僧は、頭のなかで曼荼羅を想像し、教えを自分のなかに授けていきます。

 

曼荼羅は、壁や紙に描かれたものや刺繍など手法は様々です。チベットで作られる曼荼羅は、大きく分けて砂で描く砂曼荼羅(ドゥルツォン)、布に描く絵曼荼羅(レーディ)、木や宝石で作られる立体曼荼羅(ローラン)の三種類に分類されます。

 

金剛界五仏の立体曼荼羅(ラマユル僧院)

なかでも砂曼荼羅は、寺院や団体が何らかの発願をし、その成就を願って執り行なう儀式の中で作成されます(お祭りに合わせて制作されることも多いです)。製作期間はおよそ1週間で、僧侶たちが鮮やかな色彩に着色した砂を用い、木製の壇上に描いていきます。

 

完成した砂曼荼羅
砂曼荼羅の作成の様子

銅でできた細長い漏斗に色のついた砂を入れ、その漏斗をこする振動で砂を壇上に落としていきます。以前は色のついた宝石などを使っていたましたが、現在は着色した大理石を粉にして使用するそうです。砂曼荼羅を描けるようになるまでには、約5年もの訓練が必要とのことです。

 

精魂込めて作成した美しい砂曼荼羅ですが、完成後はすぐに壊されてしまいます。砂に戻った曼荼羅の祈りは、川に流れ世界にその祈りを広げることになるのです。曼荼羅を作ることが目的なのではなく、川に流すまでの一連の流れには、永久不変なものなどないという諸行無常の教えが根底にあります。

 

 

ラダックシリーズ第5弾へと続きます。
第5弾:上ラダックの観光

 

 

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天空のチベット ラダック第3弾: チベット仏教の世界と仏教美術の宝庫アルチ僧院

ジュレー!(ラダック語でこんにちは)
インド最北部・ラダックを紹介する第3弾です。

 

チベット僧院の前で、マニ車を回す女性

ラダックに到着するためにヒマラヤ越えをしなければならなかった時代は、ラダックエリアの住民は、チベット仏教を信仰する人がほとんどでした。大戦後、インドが隣国パキスタン、中国との関係を注視しなければならなくなったあと、両国と隣接しているラダックエリアには、多数の軍の駐屯地が置かれるようになりました。また、ラダックエリアの観光が広く開かれるようになり、夏の時期にはホテルやレストランでの季節労働者も集中しました。そのため、現在のラダックにはもともとの土着の信仰以外にも、ヒンドゥー教徒、シーク教徒も少なからずおります。また、地域によってはイスラム教徒が古くから居住しているエリアもあり、そういった街にはモスク(イスラム教の礼拝所)が街の中心にあります。シリーズ第二弾で紹介した頭飾りが特徴的な花の民・ドクパ(ダルド)の人々が住む地域は、古くから伝わる民間信仰も根強く残っています。

 

上記の通り、ラダックは宗教における多様性が認められますが、この地域に圧倒的に多いのは、チベット仏教徒(特にゲルク派、ドゥルク派が多数)です。

 

今回は、ラダックでの信仰・チベット仏教について、ご紹介します。

 

■ラダックで信仰されているチベット仏教

スムダ・チュン僧院の立体金剛界曼荼羅
ティクセ僧院全景

仏教発祥の地はインドであるということは皆様ご存知かと思います。紀元前3世紀、インドのアショカ王が仏教を庇護したことで、インド各地に仏教が広まりましたが、ラダックのお隣のエリアのカシミール地方でも、この時代に仏教が伝わりました。
ラダックは、カシミールの影響を様々な面で強く受けており、仏教の伝播についても影響は受けたものと推測されますが、残念ながら10世紀以前の記録はほとんど残されておらず詳細は分かりません。おそらく9世紀頃、チベットで起きた内乱から逃れるために多くの高僧たちがこの地にやって来たことで、本格的にラダックで仏教が栄え始めたのではないかといわれています。

インド本土においては、13世紀に仏教はほとんど滅んでしまいますが、ラダック地方においては、逆にチベット仏教が非常に盛んな時期にあたります。そしてそのまま現代まで、ラダックではチベット仏教として信仰が受け継がれているのです。

 

 

ラダック地方におけるチベット仏教を確立したのは、リンチェン・サンポと、インドのナーランダから来た学僧アティーシャとされています。

 

リンチェン・サンポ 偉大なる翻訳家

ロツァワ(大翻訳家)・リンチェン・サンポは11世紀にグゲ王の命を受け、当時仏教が盛んだったカシミールに2度留学しました。戻った後は膨大な数の経典翻訳に励んだことから、大翻訳家(ロツァワ)と呼ばれ、仏教発展に大きな足跡を残しました。ロツァワは2度目の帰路時に、カシミールから32人の大工や仏師、絵師を連れ帰ったことで、カシミール様式の仏教美術を西チベットに持ち込むことに成功し、グゲにトリン僧院、ラダックにニャルマ僧院、そして仏教美術の宝庫・アルチ僧院など、全部で108の僧院を建てました。

 

アルチ僧院 スムツェク(三層堂)
アルチ僧院仏塔内に描かれたリンチェンサンポ
アルチ僧院 木枠の装飾にはカシミールの影響が随所に

ラダックの仏教美術は11世紀のリンチェンサンポ時代と、14世紀頃からのポスト・リンチェンサンポ時代に分けることができます。リンチェンサンポ様式はカシミールや中央アジア美術の系統をひいており、壁画の着色に「群青」を多用していることが特徴として挙げられます。対してポスト・リンチェンサンポ様式はカシミールの様式が薄れ、チベットの影響を受けるようになり、「赤」の多様が目立ちます。

 

 

▮仏教美術の宝庫アルチ僧院

リンチェンサンポ様式の代表・アルチ僧院。ドゥカン(勤行堂又は大日堂)、ロツァワ・ラカン(翻訳官堂)、文殊堂、スムツェク(三層堂)と仏塔から成っています。そのなかでも11世紀のカシミール様式が良好な保存状態で残されているのが、スムツェク(三層堂)です。名前の通り三階建ての比較的こじんまりしたお堂ですが、外観だけ見ても、ギリシャ・イオニア様式の柱頭など、ギリシャの影響を受けたカシミールの様式が随所に残されています。

 

三層堂に入ると、三立像(文殊菩薩(右:東)、赤い弥勒菩薩(正面:北)、白い観音菩薩(左:西)が立ち、それぞれの菩薩の下衣に仏伝図(釈迦牟尼の一生との事)などが描かれています。壁には青を基調とした千体仏。隙間なくびっしりと埋め尽くされた壁画の数々は、じっくり見ていくと時間がいくらあっても足りない程です。
堂内で見られるカシミール様式の特徴としては、壁の隅に施された「白鳥の絵」、溝彫り式でうずまき模様が施されている柱、そして独特の明り取りの仕様であるラテルネン・デッキ(持ち送り式天井)などです。

 

仏塔内部の天井画。天井は、ラテルネン・デッキ(持ち送り式天井)
般若波羅密仏母の壁画 (アルチ僧院発行の写真集より)

そしてこの堂内での見所は何と言っても般若波羅密仏母の壁画です。堂内に入って左側、観音菩薩の立像の足元にひっそりと佇む仏母は、細字の黒色の線で美しくくま取りされ、丁寧に施された着色、ななめ下に向けられた視線は控えめな美しさを感じさせます。

般若波羅密仏母は仏を生み出す母と言われており、右手には青い蓮の花、左手には経典を持っています。

 

あまりに繊細な線と美しい着色は、思わず見入ってしまうほどです。

 

※アルチ僧院三層堂の内部は、写真撮影が禁止されております。ぜひ写真集の購入をおすすめいたします!

 

 

 

ラダックシリーズ第4弾へ続きます。
第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

 

 

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天空のチベット ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、ラダックエリアの気候、暮らしや食事などについて、ご紹介いたします。

■気候

夏は短く、冬は長いラダック地方。6月~9月頃がいわゆるラダックの夏です。日中は30度前後まで気温が上がり日差しも強烈ですが、朝晩は10度以下まで下がることもあり、特に天気が悪い日は冷え込みます。青い空と、緑、雪を被った白い山脈の組み合わせが非常に美しい時期です。

 

7月撮影のレーの街。晴天率も高く、過ごしやすい時期です

10月~4月上旬はラダックの冬。日中でも氷点下まで気温が下がり、時には-20℃を超える極寒の世界となります。積雪もあり、峠道は通行不可となってしまうことも多いです。レー・デリー間の国内線も、天候不良によるフライトキャンセルが頻発する時期です。

 

1月、レー郊外の道路の様子
ルンバク村の1月

一般的には、6~9月がラダックの観光シーズンとされており、この時期はレーの街や郊外の観光地は大変賑わいます。

また、季節の見どころとして4月中旬~5月上旬頃、標高の低いインダス川沿いの村々では、杏の花が咲きます。薄いピンク色の杏の花はとても可愛く、日本の桜を思い出します。日中はまだ寒いですが、4月頃に杏の花目当てで行くのもいいですね。

 

4月、満開の杏の花

ラダックは年間降水量が非常に少なく、一年を通し非常に乾燥しています。また天気も変わりやすいです。お出かけの際は、事前に現地の気候をチェックのうえ、日よけ・乾燥・暑さ・寒さ対策が必要です。

■暮らし

家畜の世話をする女性

伝統的なラダックの暮らしは、散らばった小さな村々での営みで、主な仕事は牛の飼育と耕作です。近年までほとんど完全な自給自足が成り立っていました。標高4000m前後の土地のため耕作できる土地は少なく、また作物が育つ時期は約4ヶ月間と極めて短いです。しかし、人糞と家畜の糞尿を肥料にし、氷河から溶け出した水を畑に引く複雑な灌漑のシステムを開発。集約的な農耕農業で、1年間に必要な小麦や大麦の生産を可能にしました。

 

初春、畑作業に勤しむ女性(ラマユル村にて)

もっとも重要なものは家畜で、特にヤクが重要視されています。ヤクは穀物を脱穀したり、土地を耕したり、荷物の運搬に利用され、糞は肥料や乾燥させてこの地方唯一の燃料になります。乳を採り、肉を食べたり、毛皮を衣服・カーペットなどの原料として使用します。

 

ラダックの夏の間は大変忙しいです。大麦、小麦、豆、杏やその他果樹の収穫、干しアンズなど長い冬を越すための保存食作り等、休む暇もなく作業をこなします。

 

8-9月は刈り入れ作業の時期です
ラダックの女性は働き者!

ちなみにラダックでは、厳しい環境下で、食料や資源が少ないため、人口増加を抑えるために兄弟で妻を共有する一妻多夫性が取り入れられてきました。現在は、インドの法律で禁じられ、一夫一妻制となっています。

■民族・言語

ラダックで暮らす人々の多くは、チベット系の民族であるラダック人(ラダクスパ)です。ほとんどの人はチベット仏教を信仰していて、服装や食事、風習など、チベットと共通する部分がたくさんあります。言語はチベット語の方言、ラダック語。チベット語と文字は同じですが、発音はかなり異なります。

 

ラダック北西部のダー・ハヌーには、頭に花を飾る華やかな風習で知られる、ドクパ(ブロクパ)と呼ばれる人々が住んでいます。アーリア系民族ですが、仏教徒です。ラダック語ともバルティ語とも異なる、ドクスカットという言語を使っています。ラダック東部のチャンタン高原には、チベット人の遊牧民たちが暮らしています。

 

ダー村の女性たち。頭の花飾りが特徴的です
ダー村の男性

■民族衣装

ラダックは標高が高く、紫外線を目いっぱい浴びる場所です。夏でも肌をあまり出さず、紫外線や乾燥から体を守っています。冬は凍てつく寒さから体を守るためにしっかりとした防寒が必要です。寒くなってくると、男女ともに着用するのは、ゴンチェというウールの上着です。

その他、帽子はティビ、靴はパブーといいます。

 

「ゴンチェ」と「パブー」
ラダックの山高帽「ティビ」

ペラクは主にザンスカール地方に伝わる、トルコ石がふんだんに使われた女性用の頭飾りです。母から娘へと受け継がれる、いわゆる家宝です。お祭りや、特別な行事のときに被ります。一度被らせてもらいましたが、トルコ石が隙間なく並べられているため被るとずしっととても重いです。

 

トルコ石をあしらったぺラク

伝統的な民族衣装を纏う人は近年減ってきているそうですが、レーを離れて郊外の村まで行けば、年配の方を中心に着用している人々はまだ目にします。民家訪問でお邪魔させてもらった時、試着させてもらえることもあります!

 

■食事

ラダック地方はチベット文化圏ですので、チベット料理が主流です。主に大麦、小麦を主食とし、ラーメンのようなトゥクパ、タントゥク(ワンタンメン)、モモ(餃子)などのチベット料理は、日本人にも食べやすいあっさりした味付けです。 「ツァンパ」と呼ばれる炒った大麦を粉にしたものをお碗の中でバター茶と練って作る「コラック」。ツァンパを大鍋で水から練って作る「パバ」。これらは自家製ヨーグルトなどと一緒に食べることが多いです。また、インド料理もポピュラーで、野菜カレーやチャパティなどもよく食べられています。大きな町やムスリムの多い町では、チキンやマトンを使った料理も食べることができます。

 

モモ
トゥクパ
ラダッキ・ブレッド。焼きたては特においしい!

 

 

ラダックシリーズ③へ続きます!
ラダック第3弾: チベット仏教の世界と仏教美術の宝庫アルチ僧院

 

 

 

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天空のチベット ラダック第1弾:ラダック地方の歴史

ナマステ!
西遊インディアです。

 

はためく五色の旗(タルチョ)を見ると、違う文化圏に来たという実感がよりわきます

インド北西部、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた、標高約3500メートルの地に広がるラダック地方。「峠を越えて」という意味のラダック(Ladakh)が使われるようになったのは17世紀頃からで、それまでは「低地の国」という意味のマルユル(Maryul)という名で呼ばれていました。荒涼とした山々に囲まれ、広大な大地に青い空、恵みをもたらすインダス川…。インドのイメージを覆す絶景デスティネーションとして、大変人気です。

 

色濃くチベット文化を残し、「小チベット」とも呼ばれるラダックについて紹介するシリーズ、第一弾です。

 

■基本情報

ラダック連邦直轄領
中心都市:レー (標高約3650m)

人口:約24万人
主な宗教 : 主に仏教 その他にイスラム教、ヒンドゥー教、シーク教など
主な言語 : ラダック語、ヒンディー語、ザンスカール語、バルティ語、ウルドゥー語など

(※英語もある程度通じる)

アクセス:首都デリーからレーまで、国内線が運航されております。所要約1時間。その他にも、夏の間はマナリやシュリーナガルから陸路移動も可能です。

 

ラダック・ザンスカール地方の地図
国内線移でデリーからレーへ
フライトは、ヒマラヤ山脈が見下ろせる迫力の山岳フライトです

 

■ラダック地方の歴史

8世紀頃、チベットの吐蕃王国がラダックを占領し、チベット系の民族がラダックに流入して住み着くようになったと言われています。ラダックを統一した最初の王であるラチェン・パルギゴンは、シェイを王都に定めてラチェン王朝を興しました。16世紀頃、タシ・ナムギャル王のナムギャル王朝は、シェイからレーに遷都。17世紀、センゲ・ナムギャル王の治世には、ラダック王国は全盛期を迎えます。レー王宮やヘミス・ゴンパなどを次々と建立し、さらには周辺のザンスカール王国やグゲ王国を併合するなど、領土を拡大していきました。

 

レー王宮跡

1640頃、センゲ・ナムギャル王は9階建ての王宮をレーに建設。このレー王宮は、ラサのポタラ宮のモデルになったとも言われています。中にはお堂が一つあり、王族の祈りをささげる場としての役割を果たしていました。現在は廃墟となっておりますが一部博物館として開放されています。

 

17世紀後半、ラダック王国とダライ・ラマ5世治下のチベットとの間で戦争が勃発します。ラダック王国はかろうじてチベットとの講和を締結しましたが、代償として多くの領土を失い衰退していきました。

1846年、イギリスが介入した第一次シク戦争の結果、イギリス植民地のジャンムー・カシミール藩王国が成立し、ラダック王国は他のカシミール諸侯とともに藩王国の一部として併合されました(その後もラダックの王家は藩王国内の一諸侯として一定の自治権は保持したとされています)。

 

第二次世界大戦後の1947年、インド・パキスタンが分離独立すると、各藩王国はインドかパキスタン、どちらかに帰属を求められました。時のカシミールの藩王ハリ・シンは自身がヒンドゥー教でしたが、対して住民の80%はムスリム(イスラム教徒)であり、住民はパキスタンへの帰属を望んでいたことから、帰属先の決定が先延ばしにされていました。

そんななか、パキスタンの民兵がカシミールに侵入。焦ったハリ・シン王は慌ててインドに武力介入を要請し、第一次印パ戦争へと展開していきました。その後第二次、第三次印パ戦争へと続くことになります。

 

結局カシミールの紛争地域は、1947年の第一次印パ戦争後の1949年に制定された国連停戦ラインによって2つの部分に分割され、1972年にそのまま管理ライン(LoC:Line of Control)として再定義されました。インドの地図をみると、この管理(停戦)ラインが、点線で示されています。

 

緑部分がパキスタン側カシミール、オレンジかインド側カシミール。点線が、Line of control のライン。

2019年、ジャンムー・カシミール州再編成法の規定により、ジャンムー・カシミール州は廃止され、ラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領に分割されました。

 

なお、1947年からこのエリアは外国人の立ち入りが禁止されておりましたが、1974年、再び外国人の立ち入りが許可されるようになりました。軍事的理由により約30年もの間閉ざされていたため、レーを中心とするラダックエリアには、チベット本土では破壊され、失われてしまった本当のチベット仏教文化が残されています。中国のチベットよりも「チベットらしい」と言われる所以です。

 

 

シリーズ第2弾では、この地方の基本情報や、暮らしの様子などを紹介いたします!

ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

 

 

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ヴィシュヌの化身⑦仏陀とカルキ ヒンドゥー教の終末思想

ヴィシュヌの化身を紹介する第7回。最終回の今回は9番目・10番目の化身である仏陀カルキ、そしてそれと関連してヒンドゥー教の終末思想について紹介していきます。

 

■ヒンドゥー教における仏教の捉え方

仏陀は言わずと知れた仏教の祖ですが、ヴィシュヌの化身としてヒンドゥー教に受容されています。ヒンドゥー教としてはそもそも仏教もヒンドゥー教の一派であるという立場をとっているため、仏陀がヒンドゥー教の神として捉えられることにも特に不思議はありません。

 

仏陀立像(マトゥラー, 後5世紀)
仏陀立像(インド  マトゥラー, 後5世紀)

仏教徒の多い日本からすると捉え辛いものですが、確かに仏陀自身もヒンドゥー教の前身であるバラモン教が支配的な環境で育ったため、その思想の土台にはバラモン教な要素が多く見受けられます。これは仏教と同時期に成立したジャイナ教にも共通しており、ヒンドゥー教の考えではジャイナ教も仏教と共にヒンドゥー教の一派とされています。

 

ジャイナ教も同様ですが、仏教は祭祀とバラモンを極端に重視する教義主義的な当時のバラモン教への批判として成長し、信者を獲得してきた側面があります。逆にバラモン教側では、仏教やジャイナ教などの当時の言わば新興宗教の隆盛に対抗するために、バラモン教の宗教としての見直しや改革が盛んにおこなわれ、これがヒンドゥー教の成立・発展へと繋がっていきます。

 

ジャイナ教の指導者:ティールタンカラを表す像(インド、カジュラホ)
ジャイナ教の指導者:ティールタンカラを表す像(インド、カジュラホ)

 

■ヴィシュヌの化身としての仏陀

ヴィシュヌの化身として表される仏陀は、仏教という異教を魔族に教えることでヴェーダから遠ざけ、魔族を惑わせるという否定的な役割で登場します。仏陀をヴィシュヌの化身とすることで仏教を吸収しようとするというものですが、仏教自体はヴェーダに反する正しくない教えとして捉えられているところが面白い点です。

 

ヴィシュヌの化身として描かれた仏陀
ヴィシュヌの化身として描かれた仏陀 ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ヴィシュヌの化身としての仏陀の登場は、ヒンドゥー教における世界の終末期であるカリ・ユガの到来を意味します。このカリ・ユガの時代で登場する救世主がヴィシュヌの10番目の化身:カルキですが、カルキの紹介へ進む前にヒンドゥー教の世界観と終末思想をご紹介します。

 

 

■ヒンドゥー教の世界観と終末思想

インドでは紀元前8世紀頃に奥義書:ウパニシャッドが編まれ、このころに輪廻思想が成立したと考えられています。ヒンドゥー教の世界観は輪廻思想に基づいており、世界の創造と破壊が繰り返される形で現れます。

 

ヴィシュヌ派の神話では、世界が始まる前の原初の海では竜王アナンタに寝そべったヴィシュヌの臍から一本の蓮の花が咲き、そこからブラフマーが生まれ世界を創造するとされています。これはもともとはブラフマーの臍からヴィシュヌが生まれたという神話ですが、ヴィシュヌを至上の神とするヴィシュヌ派によってその役割が逆転したものです。

 

竜王の背に横たわるヴィシュヌ。臍から伸びた蓮の花にはブラフマーが乗っている。
竜王の背に横たわるヴィシュヌ。臍から伸びた蓮の花にはブラフマーが乗っている。© The Trustees of the British Museum

そして、世界はそのブラフマーの一日の始まりの際に作られ、一日の終わりに破壊される存在です。この「1日」はブラフマーの昼間の時間を差し、人間の時間に換算すると43億2千万年という長大な時間です。ヒンドゥー教の神々は人間とは異なる時間を生きており、ヒンドゥー教の世界観の時間的スケールの大きさを感じさせられます。

 

■ヒンドゥー教の時間感覚とユガ

ヒンドゥー教の時間を示す概念としては以下のようなものが存在します。

 

神年:360年。神々にとっての1日は人間の1年にあたり、人間の360年が神にとっての1年となる。

マハーユガ:12000神年(人間の時間で432万年)

カルパ:1000マハーユガ。ブラフマーの1日は昼間が1カルパ、夜1カルパの2カルパからなる。

 

創造神として、世界の創造(再生)を司るブラフマー神。
創造神として、世界の創造(再生)を司るブラフマー神。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ユガは12,000神年=432万年にあたるマハーユガを前から4:3:2:1の割合で分割した期間であり、それぞれのユガで時代の特徴が決まっており、始めから末期へかけて段々と悪い世界になっていきます。ヴェーダの法と正義もそれぞれの期間で4:3:2:1の比率で減っていき、その分悪がはびこるようになります。

 

クリタ・ユガ(4800神年):すべての法と正義が保たれ、人は病気にならず、400年の寿命を持つ。

トレター・ユガ(3600神年):法と正義が4分の3まで減った世界。人間の寿命は300年。

ドヴァーパラ・ユガ(2400神年):法と正義が半分になり、その分悪がはびこる世界。人間の寿命は200年。

カリ・ユガ(1200神年):法と正義が4分の1まで減った世界。人々は神から遠ざかり、悪が世界を支配する。人間の寿命は100年になる。

 

カリ・ユガは人間の時間では43万2千年続きます。カリ・ユガの時代では人々はヴェーダの教えから離れて宗教的に堕落し、神々は信仰されず、支配者は理性を失い、世界ではあらゆる悪が行わる…とされています。現在の私たちが生きる時代はこのカリ・ユガに当たります。

 

「カリ」は対立・不和・争いを意味し、またこの時代を支配し世界を悪で満たす悪魔:カリを指します。カリは悪の顕現であり、このカリを倒すために登場する救世主がヴィシュヌの化身:カルキです。

 

■救世主としてのカルキ

カリ・ユガの終末期、カルキは白馬に乗った騎士、又は馬頭の巨人として登場し、世界の悪を滅ぼすとされています。世界を救い指名を果たしたカルキが天界に帰るとカリ・ユガの時代は終わり、また法と正義で満たされたクリタ・ユガの時代が始まります。

 

カルキ。後ろにはカルキのシンボルでもある白馬を連れている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum
カルキ。後ろにはカルキのシンボルでもある白馬を連れている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

こうしてひとつのマハーユガが終わりますが、ブラフマーの一日が終わるのは1000マハーユガが経った時です。ブラフマーの一日の終わりには地下・地上・天上の三界で生物が死に絶え、世界はヴィシュヌの炎によって焼き尽くされ、続いてやはりヴィシュヌが吐き出した雲から降る雨で水に沈められます。その後ヴィシュヌは雲を吹き払ってブラフマーを飲み込み、原初の海で竜王アナンタに寝そべります。こうして世界が始まる前の状態へと戻り、1カルパの眠りの後にまた新たな世界が始まります。

 

また、ブラフマーの一生はブラフマーの時間での100年(人間の時間で8640億年)とされており、ブラフマーの一生が終わる際には世界はより大きな規模で破壊され、最終的には宇宙の根本原質であるヴィシュヌ自身に飲み込まれることになります。そしてブラフマーは改めてヴィシュヌの臍から生まれなおし、世界の創造を始めていきます。

 

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身⑥クリシュナ

ヴィシュヌの化身神話を紹介する第6回。今回は8番目の化身、クリシュナ神をご紹介します。

 

横笛を吹くクリシュナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
横笛を吹くクリシュナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

牧童の美少年として描かれるクリシュナは、ヒンドゥー教の神々の中でも最大の人気を誇る神の一つです。クリシュナ自体もヤーダヴァ族の英雄、ヴリシュニ族の一神教的な神、アービーラ族の牧童など様々な土着の神的存在がヒンドゥー教のもとで統合されて生まれた神でしたが、後にヴィシュヌの化身とされたことでヒンドゥー教、そしてヴィシュヌ派の拡大に大きく貢献しています。

 

「クリシュナ」の名は「黒」を意味します。肌が黒いことに由来する神名ですが、ここからもクリシュナがアーリア系由来ではなく土着の神に由来するものと分かります。絵画においては、シヴァ神と同様に青色の肌で描かれています。モチーフとしては横笛・バーンスリーを吹く姿が象徴的です。その音色を聞くと女性はみなクリシュナの虜になってしまうほどの笛の名手とされています。また光輪(チャクラ)、額のU字のモチーフはヴィシュヌ神を表すもので、こちらもクリシュナの重要なシンボルです。

 

様々な神話を持つクリシュナですが、その中でもクリシュナ自身の出生に関する神話をご紹介します。

 

■クリシュナ神の誕生譚

その昔、マトゥラーのヤーダヴァ族のヴァースデーヴァ王子デヴァーキーと結婚します。しかしその結婚式の際、デヴァーキーの従兄のカンサ王は「デヴァーキーの8番目の子どもがお前を殺すだろう」という何者かの声を聴きます。カンサ王はそれを恐れ、デヴァーキーを牢に監禁し、その子を全て殺すことを決めます。

 

ヴァスデーヴァとデヴァーキー©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
ヴァスデーヴァとデヴァーキー©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

カンサ王によってデヴァーキーの6人の息子が殺されます。その後デヴァーキーは7番目の子どもを妊娠しますが、その子はヴィシュヌの力によってヴァースデーヴァの別の妻であるロヒニーの胎内に移されます。この子が後にクリシュナの相棒となるバララーマとなります。そしてその後、第8子としてクリシュナが誕生します。

 

ヴィシュヌは自ら第8子としてデヴァーキーの胎内に入り誕生しますが、生まれてすぐに母デヴァーキーに対して「牢を出て、村の羊飼いの子と自分を交換せよ」と命じます。神々の力によって牢は開き番人も眠っていたため、デヴァーキーは言われた通りに子供を交換しました。そのためクリシュナは村の羊飼いであるヤショダーとナンダの間の子として生まれ、牧童として成長していきます。カンサ王はデヴァーキーが新たな子を抱いているのに気づき殺そうとしますが、その子はヴィシュヌが生んだ幻影であり、カンサ王に対して「お前を殺す者は既に生まれている」と告げて光とともに消えていきます。

 

■幼少期・青年期のクリシュナ

クリシュナは幼少期から青年期へと、その成長の中で様々なエピソードを残しています。特に幼少期にヤムナー川の毒の竜・カーリヤを退治してからは、村の人々から神としてあがめられる存在になっています。

 

カーリヤ竜の上で踊るクリシュナ
カーリヤ竜の上で踊るクリシュナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

クリシュナはバララーマと共にカンサ王を倒しますが、カンサ王の二人の妻たちの復讐として度重なる攻撃を受けたため、民と共にマトゥラーを出て西方のドヴァーラカーへ移り住んでいます。「マハーバーラタ」の中で活躍するクリシュナはこのドヴァーラカーに移った後の時代です。

 

クリシュナとバララーマ、カンサ王
カンサ王を殺すクリシュナ。左下には兄のバララーマ、右下にはクリシュナ達に倒されたアスラ(魔族)が描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

■マハーバーラタの中でのクリシュナ

クリシュナはマハーバーラタでは主人公の5王子の一人・アルジュナの御者として活躍します。特にアルジュナが親族同士での争いに意義を見出せずに戦意を喪失した際にクリシュナが説いた教えは「神の詩(バガヴァット・ギーター)」として伝えられ、マハーバーラタから独立した聖典としても高く評価され、ヒンドゥー教の聖典とされています。

 

バガヴァット・ギーターを説くクリシュナ
バガヴァット・ギーターを説くクリシュナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

アルジュナとクリシュナの問答の形をとって紡がれるバガヴァット・ギーターでは、クリシュナが「迷いを捨ててクシャトリヤの戦士としての務めを果たすこと」を説きます。その中で真理は神(ヴィシュヌ=クリシュナ)として表れ、またそれは自分自身でもある、と説いたこの教えは、梵我一如の思想を明確化したものとして受け入れられ、後に仏教思想にも取り入れられています。

 

数々の英雄譚を持つクリシュナですが、その死の場面はあっけないもので、クリシュナが死期を悟って天界へ帰ろうと瞑想している途中で、漁師が誤って放った矢が急所である足の裏に撃ち込まれたことで最期を迎えています。

 

■バクティ信仰

クリシュナ信仰の特徴はバクティ信仰と呼ばれるもので、これは神への絶対的な信愛、神に全てを委ねることを意味します。仏教やジャイナ教はヒンドゥー教の前身となるバラモン教のバラモン至上の考えに反旗を翻すものとして人気を得ていきますが、クリシュナ派によるバクティ信仰の広がりはバラモン至上の偏った考えをバラモン教内部から改革する動きであったと考えられています。

 

特に南インドではクリシュナとその恋人ラーダーを象徴としてバクティ信仰が広がります。ラーダーは既婚の女性であり、またクリシュナも他に多くの妻を持っていますが、ラーダーのクリシュナへの愛は神への純粋な信愛であるとされ、バクティ信仰の象徴となりました。

 

クリシュナ(左)とラーダー(右)
クリシュナ(左)とラーダー(右) (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

現在でもヒンドゥー教の神の中で随一の人気を持つクリシュナ神の姿はインドの様々な場所で目にすることができ、現代のインド映画の中でも度々登場します。クリシュナを自身の信仰として取り込んだヴィシュヌはさらに巨大な存在となりましたが、あまりにもクリシュナの占める割合が大きいため、むしろヴィシュヌ信仰というよりもクリシュナ信仰としての側面が強くなっていることも確かです。

 

Text by Okada

 

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ヴィシュヌの化身⑤ラーマとラーマーヤナの物語

ヴィシュヌ神の化身神話を紹介する第5回。今回は7番目の化身、ラーマの物語についてご紹介します。

 

ラーマ像。緑色の肌で描かれ、左手に弓、右手に三日月型の矢じりの矢、右肩には矢筒を携えている。 ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

ラーマはインド2大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」の主人公です。化身としてのラーマの物語はそのままラーマーヤナの物語となりますので、ここではラーマーヤナの簡単なあらすじや、ヴィシュヌ神話との関係についてご紹介します。

 

ラーマーヤナは一種の英雄物語。王子ラーマが魔王ラーヴァナに奪われた妻・シーターを取り戻すという、冒険物語の形をとっています。物語はサンスクリット語で伝えられており、文学ではなく、詠唱するための叙事詩として非常に美しい韻律で作られています。総行数は48,000行・全7巻で構成されており、聖仙ヴァールミーキによって編まれたとされています。

 

ラーマーヤナの物語は非常に長大なものですが、ここではざっくりとしたあらすじをご紹介します。

 

■ラーマーヤナのあらすじ

第1巻:少年編

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左からラクシュマナ、ラーマ、シーター。手前にはハヌマーンが描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg

コーサラ国のダシャラタ王は子に恵まれませんでしたが、神々に祈願して4人の子を設けます。この長男が物語の主人公ラーマ、そして3男が良き相棒として活躍するラクシュマナです。ラーマはヴィデーハ国の美しい王女シーターを妻にとります。

 

第2巻:アヨーディヤー編 ~ 第3巻:森林編

 

鹿を追うラーマ(左)とラクシュマナ(右)。©The Trustees of the British Museum
鹿を追うラーマ(左)とラクシュマナ(右)。鹿は魔王ラーヴァナが仕組んだもので、シーターから2人の目が離れた隙にラーヴァナがシーターをさらっていきます。©The Trustees of the British Museum

しかし王位を継ぐはずだったラーマは謀略により王位を奪われ、14年間の追放を受けることとなります。ラーマとシーターはラクシュマナと共に森での隠遁生活を始めますが、ラーマはランカ島の魔王・ラーヴァナにシーターを奪われてしまいます。

 

6シーターをさらうラーヴァナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
シーターをさらうラーヴァナ(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

第4巻:キシュキンダー編 ~ 第5巻:美麗編 ~ 第6巻:戦闘編

 

シーター奪還を目指し、ラーマとラクシュマナは冒険の旅へ出ます。シーターの行方を知るために風神ヴァーユの息子で猿の大臣・ハヌマーン等の助けを借り、様々な困難を超えていよいよラーヴァナの本拠地ランカ島へ攻め込みます。ラーマ一行は巨人クンバカルナ、ラーヴァナの息子で妖術を操る強敵インドラジットとの戦いを経て遂にラーヴァナを倒し、シーターを奪還しました。

 

クンバカルナと戦うラーマ一行。左下にはその他のラクシャーサが描かれる。©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
クンバカルナと戦うラーマ一行。左下にはその他のラクシャーサが描かれる。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

 

ラーヴァナと戦うラーマとラクシュマナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum.jpg
ラーヴァナと戦うラーマとラクシュマナ©-The-Trustees-of-the-British-Museum

無事にシーターを助け出した一行でしたが、ラーマは長くラーヴァナのそばに身を置いたシーターの貞操を疑い、妻として受け入れることを拒んでしまいます。そこでシーターは自ら燃える薪の中に身を投じ、火神アグニの加護を受けて無傷のまま戻ることで自身の潔白を証明します。アグニ自身も姿を現し、シーターが貞節を守ったことを証言しました。

 

火中に身を投じるシーター©-The-Trustees-of-the-British-Museum
火中に身を投じるシーター©-The-Trustees-of-the-British-Museum

全ての問題を解決したラーマ一行は、都の兄弟たちや国民の歓迎を受けてコーサラ国の都アヨーディヤーへ凱旋し、ラーマは正式にコーサラ国の王位に就いたのでした。

 

ここで物語は一旦幕を閉じますが、さらにこの後に後日譚が存在します。

 

 

第7巻:最終編

ラーアヴァナのそばに長く身を置いたシーターが王妃の地位にいる、ということへの不満が国民の間にあることを知ったラーマはこれを気にかけ、なんとシーターを都から追放し、離婚を言い渡してしまいます。この時既にラーマとの子を妊娠していたシーターは嘆き悲しみ、聖仙ヴァールミーキの庵に身を置いて二人の子を産み育てます。

 

聖仙ヴァールミーキとシーター。シーターとラーマの息子ラヴァ、クシャがそれぞれゆりかごの中とシーターの腕に描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum
聖仙ヴァールミーキとシーター。シーターとラーマの息子ラヴァ、クシャがそれぞれゆりかごの中とシーターの腕に描かれている。©-The-Trustees-of-the-British-Museum

その後、ラーマのもとに聖仙ヴァールミーキが現れ、2人の子どもに「ラーマーヤナ」を詠わせました。その2人が自分とシーターの子であることに気づいたラーマはシーターを追放したことを深く悔やみ、シーターとの再会を望みます。

 

聖仙ヴァールミーキの計らいで都へ戻ったシーターでしたが、改めてシーターの貞淑を尋ねるラーマに対してシーターが「もし自分が本当に潔白であれば、大地の神が私を受け入れるはずだ」と宣誓すると、大地が口を開けてシーターを地中へと飲み込んでしまったのでした。

 

深く悲しんだラーマはその後王位を息子たちに譲り、ほどなくしてその生涯を終え、天へと昇っていきます。ラーマーヤナの物語はここで完結します。

 

 

■現代に残るラーマーヤナ

物語の核心部は紀元前5~4世紀に形成された2~6巻の部分です。1・7巻はラーマがヴィシュヌ神の化身であることを示すために後世に後付けされたものと考えられています。特にラーマの英雄性を貶める第7巻は音韻や構成も優れていないとして人気が悪く、一般向けのダイジェスト版の物語では省かれることも多いようです。

 

ラーマは現代でも非常に人気があり、ヒンドゥー教の理想的な人物・君主像とされています。またラーマがヴィシュヌの化身ということで、その妻のシーターもヴィシュヌの妻・パールヴァティーと同一視されています。

 

 

ラーマーヤナの物語の原型がどこにあるのかということについては明確にされていませんが、現代の形になるまでの間に、時代や文化に応じて相当な数のバリエーションの物語が存在します。そもそも魔王ラーヴァナが登場しない、登場人物がジャイナ教徒、女神信仰としてシーター自身がラーヴァナを倒すもの…など様々な派生形の物語がありますが、徐々にヒンドゥー教の正統なストーリーとしてラーマ=ヴィシュヌ信仰としての現代の物語が定着していったようです。

 

特に1980年代以降はヒンドゥー教至上主義の動きが高まり、ラーマーヤナの物語の統一化が進むとともにヒンドゥー教のシンボルとして利用されていきました。そのひとつの到達点となってしまったのが1992年のバーブリマスジッド倒壊事件です。

 

バーブリ・マスジッド破壊事件©The-Indian-Express.jpg
バーブリ・マスジッド倒壊事件 ©The-Indian-Express.jpg

古くはコーサラ国の都であったアヨーディヤーはラーマの生誕地とされており、ラーマを祀る神殿がありましたが、ムガル帝国期にイスラム教徒がこれを破壊し、バーブリマスジッドというモスクを建設していました。1992年にヒンドゥー教至上主義者がこのモスクを破壊し、それを突端として全国でイスラム教徒とヒンドゥー教徒が衝突し数日間で1100人の死者を出すという痛ましい暴動に発展しています。また、その後もこの事件を巡る判決は世界の注目を浴びています。

 

 

■インドを出たラーマーヤナ

ラーマーヤナはヒンドゥー教と同様に広く東南アジアにも広がっています。そもそもラーヴァナの本拠地ランカ島は現在のスリランカがモデルと考えられており、またインドネシアの影絵劇「ワヤン・クリ」、カンボジアの影絵劇「スバエク・トーイ」の題材となっていることはよく知られています。

 

他にもタイの民族叙事詩「ラーマキエン」がラーマーヤナを起源に持っていたり、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのプランバナン寺院群にもラーマーヤナのレリーフが残されていたりと、インドのみならず近隣諸国の文化に強い影響を与えています。またこれは憶測の域を出ませんが、日本の「桃太郎」の物語の起源をラーマーヤナに求める考えも存在します。

 

 

現代でも映画や文学のモチーフとして頻繁に引用され、最近では新型コロナウイルス対策の呼びかけの際にインドのモディ首相がラーマーヤナの一説を引用し、自らをラクシュマナに、国民をシーターに例えて自宅での自粛を呼びかけたことが話題となりました。これをヒンドゥー教至上主義的だという批判もありますが、ラーマーヤナはインドの文化を考えるうえで欠かせない物語として現代に生き続けていることを示すものでもあります。

 

 

Text by Okada

 

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