【仏陀の道】晩年を過ごしたラジギール

今回は、お釈迦様が仏陀になってから過ごしたラジギールのご紹介です。

 

「目覚めた人」という意味をもつ「仏陀」。

29歳で出家した後は様々な仙者を訪ね、教えを請いながら修行を続けるも、なかなか悟りを開くまでに至りませんでした。

そこから苦行が始まりますが、苦行像はインドではあまり創られなかったようです(苦行像はパキスタンのラホール博物館やペシャワルの博物館にあるものが有名ですね。尚、ルンビニに行くと、仏像は右手を上に指した「誕生仏」スタイルが多いです)。

80歳で涅槃に入るまで教えを説き続けた仏陀は、当時としてはかなりの長寿、まさに奇跡の人だったのではないでしょうか。

 

 

 

■ラジギール

ラジギールは、出家したシッダールタが修行した場所であり、晩年滞在して説法を重ねた場所です。インド最初の統一王朝マガダ王国の首都ラージャグリハ(王舎城)があった所だといわれています。

 

お釈迦様が苦行したといわれる前正覚山。

 

ブッダガヤからラジギールに向かう途中にあります。

車で麓まで行き、坂道を上がること約15分。(籠屋もいます)洞窟の入り口に到着です。

 

どのくらいの期間苦行をしていたかは定かではありませんが、苦行だけでは悟りの境地に至らないと判断した後

尼連禅河で沐浴をし、すぐ近くの村でスジャータから乳粥の供養を受けたといわれています。

 

少しずつ体力を戻しながら、成道の境地に達し「仏陀」となったのが35歳のこと。

そう、出家をしてからわずか6年程の修業期間なのです。

 

 

ラジギールに滞在する際には是非訪れていただきたいのが霊鷲山。

 

 

サンスクリット語でグリドラクータといい、音写して耆闍崛山(ぎじゃくっせん)ともいいます。釈尊時代、インドのマガダ国の首都王舎城を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられています。釈尊はしばしばここにとどまり、多数の経典を説いたとされる。現在の石畳は「ビンビサーラ王の道」と呼ばれ、王が説法を聞くために整備したと言われています。

 

訪問するなら、是非早朝に。朝焼けが望めます。

霊鷲山の麓、すぐ近くにはビンビサーラ王が寄進した竹林精舎と温泉精舎(現在、大半はヒンドゥー教寺院)もあります。

 

そして、外せないのがナーランダ大学址です。

 

 

ナーランダは、5世紀頃に創設された最大の仏教の学院(大学)があった町。学生1万人以上、教師も1,000人を数えたといわれ、階建ての校舎の他、六つの寺院、七つの僧院があったそうです。

古代世界では最大の教育施設だった大学は、12世紀イスラーム勢力のインド征服により完全に破壊され、それと共にインドでの仏教の衰退が始まりました。

釈尊が最後に旅をしたルートでもあり、マガダ国の王舎城(ラジギール)から多くの弟子を従え、パータリガーマに至るまでの旅の立ち寄り地点と言われています。

(隣接している博物館は金曜日が休館となります)。

 

ラジギールの近くには釈尊亡きあと最初の仏典結集が行われた「七葉窟」があります。

七葉窟とは、当時、洞窟の入口に七葉の木(ジタノキ)が立っていたので、そう名付けられたと日本では言われていますが、現地の地名の意味は、「七つの川」だそうです。

 

岩山の中腹に白いペンキで塗られた七葉窟

 

ラジギールはブッダガヤやバラナシとセットで訪問する方が多いですが、行くなら最寄りはパトナ空港(ビハール州)になります。

 

※この記事は2011年7月のものを修正・加筆して再アップしたものです。