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【本の紹介】世界で一番美しい野生ネコ図鑑

  • その他

2021.02.03 update

西遊旅行では動物スペシャリストとして、数多くの野生動物観察ツアーに同行している、秋山知伸さんの書籍が発売されました! 写真家・ジャーナリストの水口博也さんとの共同編集による出版です。
表紙の絵力がスゴイ!大型本で、160ページフルカラーのヴィジュアル図鑑です!

 

「世界で一番美しい野生ネコ図鑑」
水口 博也・ 秋山 知伸 編著

 

内容紹介(誠文堂新光社のWebサイトより)
世界中で撮影されたライオンやトラ、ヒョウやチーター、ジャガーを含む数多くの種の貴重な生態写真をダイナミックに構成し、類書を圧倒する写真集であると同時に、世界で活躍するフィールドワーカーたちからの、野生ネコの生態についての貴重な情報も網羅しています。
動物ファン、自然写真ファンのみならず、多くの自然愛好家の目と心を魅了するはず。
野生ネコの親子の愛らしい姿に癒やされ、一瞬の動きをとらえたシ写真に驚嘆、厳しい自然のなかで生きる姿に憧れさえ抱く、見応えのあるヴィジュアル図鑑です。

 

水口博也さんと秋山知伸さんの写真以外にも、世界各国で活躍する写真家たちの作品の数々が掲載されています。ネコ科好きは必読、それ以外の方も素晴らしい一冊なので、ぜひ一度ご覧ください。

 

>>ご購入はこちらから(誠文堂新光社のサイト)

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津軽鉄道ストーブ列車と秘境ランプの宿 ~東北三大半島へ~

  • 日本

2021.02.01 update

日本海側の記録的大寒波がきていた2020年、年末。

丁度、その日本海側の旅である「津軽鉄道ストーブ列車と秘境ランプの宿」のコースへ添乗した際の様子と訪問した各所をご紹介いたします。このコースでは東北三大半島である男鹿半島、津軽半島、下北半島、それぞれの最端へも訪問します。各地の絶景、秘境感ある宿、人気列車にも乗車し冬ならではの東北を味わいます。

まずは秋田駅にご集合いただき吹雪の中、東北三大半島の一つ男鹿半島へ。

 

男鹿半島

秋田県北西部にある日本海に突き出た半島で男鹿国定公園もあり、面積8,156haと男鹿市の総面積のおよそ1/3に相当し、寒風山、男鹿三山に加えて奇岩と絶景が続く男鹿半島の海岸部を主な範囲です。西部に男鹿三山(真山:(565m)と本山(715m)、毛無山(けなしやま(617m))があります。

 

真山神社

景行天皇の代理人であった、武内宿禰(タケシウチノスクネ)が北陸地方の視察のため男鹿半島へ訪れた際に、涌出山(現在の男鹿真山・男鹿本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵命(ニニギノミコト)・武甕槌命(タケミカヅチ)を祀ったのが始まりとされています。毎年2月の第二金曜日・第二土曜日・第二日曜日には「なまはげ柴灯祭り」として真山神社を会場に開催される。今では冬の五大雪祭りの一つとしても知られています。

真山神社

なまはげ館・伝承館

なまはげは秋田県の男鹿半島にある男鹿市、山本郡三種町、潟上市の一部において見られる伝統的な民俗行事。200年以上の歴史があり、「男鹿のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「来訪神:仮面/仮装の神々」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されています。

男鹿伝承館の学習講座

男鹿真山伝承館は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。ここでは、民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることができなかったナマハゲ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。想像以上の迫力ある実演に子供が泣きわめくのも理解できます。

また隣接するなまはげ館では男鹿市内各地で実際に使われていた150枚を超える多種多様なナマハゲ面を見る事ができます。

男鹿各地のなまはげの面

男鹿各地のなまはげ面

なまはげ4つの起源

なまはげの呼び名の由来は冬に囲炉裏にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷ができることがあって“それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「アマハゲ」 「アマメハギ」 「ナモミハギ」「なまはげ」などと呼ばれるようになったそうです。家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりします。また、なまはげが面白いのは起源とも言えます。

あなたはどの起源を信じますか?

 

なまはげの由来1:山の神説

男鹿は、海の上から見ると海に浮かぶ山に見えます。この山は、村人の生活を守護してくれる「山の神」が鎮座するところとして大切にされてきました。その山の神の使者がなまはげであるという説。

 

なまはげの由来2:武帝5鬼説

およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わり、武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになり困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。

 

なまはげの由来3:異邦人説

昔、外国船が難破してその乗組員が男鹿に流れ着きました。彼らは山奥に住み着き、冬になると人里に下りてきては物乞いをし、盗みをしました。その者たちの形相が鬼のように見えたことから、なまはげの由来となったという説です。

 

なまはげの由来4:修験者説

真山・本山は昔、「お山」と呼ばれていたそうです。そのお山は山伏の修行の場となっていて、多くの修験者が山に入り修行していました。修験者たちは、時々里に下りてきて家々をまわり祈祷などの儀式を行ったそうですが、そのことがなまはげの由来となったという説です。

 

入道崎

男鹿半島の西北端、日本海の荒波の波食によって築かれ、落差30mもある荒々しい海岸です。男鹿国定公園の一角でもあります。寒風山より産出される安山岩でできた、北緯40度ラインのモニュメントがあります。このモニュメントは、入道崎が北緯40度に位置することから1990年に建立された記念碑です。 1898年に建造された入道埼灯台があり、白黒対称の縞模様が一際目を引く岬のシンボルとなっています。海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれています。

入道崎の北緯40度のモニュメント

五能線沿いのジオスポット千畳敷海岸

人気列車の「リゾートしらかみ」が走る、五能線沿いをバスで走ります。この日はあいにくの天気でしたが日本海側と線路沿いの道路を専用車で走ります。また、1792年に発生したした寛政の西津軽地震(M6.9~M7.1)によって、地盤が隆起してできた岩浜、千畳敷海岸にも立ち寄ります。千畳敷の名前の由来は物珍しがった当時の津軽藩の殿様が、千畳の畳を敷いて宴会を開いたことからこの名が付いたとされています。

 

鶴の舞橋

鶴の舞橋は平成6年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられました。青森県産「ひば」1等材を使用しているそうで、全長300メートルもの三連太鼓橋は緩やかなアーチをしており、鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとなっています。岩木山を背景にした舞橋は鶴が空に舞う姿に見えると言われています。また、鶴の舞橋は日本一“長い木”の橋ということで、長生き、長寿の橋とされています。

雪景色が綺麗な鶴の舞橋

津軽半島

津軽半島の最北端は龍飛崎(竜飛崎)と呼ばれています。北岸の西端に位置し、北岸の東端の高野崎との間に三厩湾があります。龍飛崎から東南東に向かって津軽山地と呼ばれる山脈が続き、さらに西岸を南に進むと、十三湖という内潟があり、そこから南の海岸は七里長浜と呼ばれる。この内陸には、田光沼・平滝沼・ベンセ湿原などの湖沼が数多く存在し、海岸沿いは砂地とアカマツなどの針葉樹による小高い防風林の屏風山が半島付け根まで続きます。また、人気のあるストーブ列車や太宰治の出生地である斜陽館もあります。

龍飛崎

津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬。津軽国定公園の一部。名前はアイヌ語のタム・パ(刀の上端)からの転訛で、「突き出た地」の意味だという説があり、タムパを”龍が飛ぶ”と当て字したといわれています。周辺は灯台を中心に遊歩道となっており、天気のよい日には津軽海峡を挟んだ北海道の松前半島や海峡を行き交う船舶が見渡せます。石川さゆりさんのヒット曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞の一節に唄われていることでも知られています。また、国道で唯一の階段と歩道で構成された階段国道もあります。

 

ストーブ列車

津軽鉄道は青森県の奥津軽を走る、総距離約20.7kmのローカル線。津軽半島の玄関口・五所川原市から太宰治の出身地・金木駅などを経由して、中泊町までをつなぐ日本最北端の私鉄です。客車を温める昔懐かしいダルマストーブや津軽弁のアテンダントによる心温まるおもてなしに、鉄道ファンのみならず国内・海外の観光客からも人気の列車です。ストーブ列車は昭和11年に始まりました。現在は例年12月1日~3月31日の冬期間に、一日3往復のみ運行しています。

雪を掻き分けて走るストーブ列車の車体

青荷温泉ランプの宿

開湯 昭和4年、秘境青荷渓谷の渓流沿いに本館と3棟のはなれが散在する青荷温泉は、 ランプの宿として知られる、風情のあるお宿です。四つのお風呂「健六の湯」 「露天風呂」 「本館内湯」「滝見の湯」もお楽しみいただけます。宿内の電気はランプの灯りのみ。電波がなくコンセントもありません。不便を楽しみ、都会の喧騒を忘れ静かなどこか懐かしい雰囲気を味わえます。

囲炉裏を囲う夕食の焼き魚

ランプの宿と早朝の雪景色

夏泊半島ハクチョウの渡来地

夏泊の地名はアイヌ語の「ネトゥトマリ」に由来すると考えられている。 隣接する平内もアイヌ語の「ピラナイ」で崖の下の沢を意味します。この地域は比較的近世までアイヌ人が住んでいたと考えられています。また、国の特別天然記念物「小湊のハクチョウおよびその渡来地」に指定されている浅所海岸があります。冬(10月中旬~3月下旬まで)は700~800羽ほどのシベリア方面より渡来した白鳥を見ることができます。

雪上で休憩するハクチョウ

下北半島

青森県の北部にある鉞状の半島の事で8市町村から成り立っています。周囲を陸奥湾・津軽海峡・太平洋に囲まれているので大間のマグロや風間浦村のアンコウ、横浜町のナマコなどの海の幸が豊富な他、極寒の地に生きる馬の寒立馬、脇野沢村の北限のニホンザルなど多くの動物、恐山や仏ヶ浦など多くの観光スポットが存在します。

仏ヶ浦

仏ヶ浦は地元では霊場恐山からみて浄土がある方角とされる西側に位置することから、昔から死者があの世に旅立つとき、もしくはこの世に戻ってくるときに立ち寄る所といわれ、今でも海岸に点在するお地蔵様や奇岩へご詠歌を奉納する風習が「仏ヶ浦まつり」として残っています。白緑色の凝灰岩が約2kmにわたって連なる奇岩。様々な造形が見られます。明治の文人・大町桂月は、この自然の演出した姿に驚嘆し、「神のわざ鬼の手作り仏宇陀人の世ならぬところなりけり」と詠んだほどです。

「如来の首」と言われる奇岩

大きな奇岩の間を散策

仏ヶ浦を後に本州最北端の大間崎へ訪れ、このコースの締めくくりでは大間のマグロ丼をご堪能いただきます。お客様にも大変好評でした!東北は毎食でてくるご飯が美味しい!地元の名物料理を味わえるのも旅の魅力ですよね。

大間のマグロ丼

 

気温はマイナスになり凍える寒さですがこの時期でしか見れない東北最果ての絶景に出会える旅になります。また、レトロな人気列車、ストーブ列車は3月末の冬季限定ですので、気になられた方は早速、下記から詳細をご覧ください。

是非ご参加をお待ちしております!

 

 

関連ツアーのご紹介

津軽鉄道ストーブ列車と秘境ランプの宿 冬の東北三大半島を行く

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男鹿半島・津軽半島・下北半島の冬の絶景をめぐる旅。ストーブ列車に乗車し、秘境「ランプの宿」青荷温泉に宿泊。

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歴史の古道を行くロングトレイル -萩往還-

  • 日本

2021.01.25 update

江戸時代、毛利氏が江戸への参勤交代の御成道として開いた古道、萩往還を完歩して来ました。歴史の古道と聞くとお堅いイメージになってしまいますが、瀬戸内海から日本海まで、山深い中国山地を越えて山口県を縦断する全長53km(ツアーでは更に萩城跡までを含む55km)のロングトレイルで、大きな達成感を得ることができました。



歴史に興味が無くても存分に楽しめますが、歴史の知識、特に幕末の長州藩について多少知っておくと、同じ景色がより彩りを持って目に飛び込んでくるはず!私は、出発前に司馬遼太郎の「世に棲む日々(文集文庫 全4巻)」を読んでいきましたが、吉田松陰や高杉晋作の生き様にすっかり心を奪われ、萩往還の道中は、ここを約150年前の激動の時代に彼ら志士が往来したのだと、随所でいちいち感動を覚えながら歩きました・・・。



瀬戸内海に面する防府、かつての長州藩の海の玄関・三田尻が旅の始まり。土佐を脱藩した坂本龍馬も瀬戸内海を渡り、この地に上陸しました。



防府市街を抜け、鯖山峠が最後に瀬戸内海の見える場所です。ここからかつての郡境の碑を越えて山口市内へと入ります。



山口市内の一番の見どころは国宝・瑠璃光寺の五重塔です。この塔は応永の乱で戦死した大内義弘の菩提を弔うために、1442年に建てられました。山口の歴史は中国地方を支配したこの大内氏の繁栄に触れずには語ることができません。歴代の大内氏は自らの富と権力を誇示するかのように、山口を「西の京」に大改造。応仁の乱の混乱から逃れた公家などを歓待し、山口には「大内文化」と称される都さながらの豪華絢爛な文化が花開きました。しかし、時代は下剋上の世となり、眉を描き、お歯黒をつける主君・大内義孝を見限った重臣の陶晴賢によって討たれ、大内氏の中国支配は終わります。そして、すぐにその陶氏を倒し、中国地方の覇権を握ったのが毛利元就でした。



旅のハイライトは、やはり当時の面影が残る古道。平地歩きと侮るなかれ、中国地方を横に走る中国山地を越える板堂峠(539m)越えは萩往還一番の難所です。



山陰と山陽の分水嶺となる板堂峠を越え、日本海側へと下って行きます。



随分といい加減な距離感覚で置かれた当時の一里塚も残り、旅の雰囲気を盛り上げます。



石畳の道の多くは再整備されてものですが、当時の石畳がそのまま残る箇所もあります。この石畳の上を吉田松陰が、高杉晋作が駆けたのです!



いよいよ萩に近づくと道の駅が現れます。その名も道の駅・萩往還。長州藩出身の志士達の銅像が並びます。写真は左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞。



道の駅を過ぎ、悴坂を下ると涙松。吉田松陰が幕府の命によって江戸の獄に送られた時、萩の城下町が最後に見えるこの地で「帰らじと 思ひさだめし 旅なれば ひとしほぬるゝ 涙松かな」と詠み、今生の別れを惜しみました。さあ、いよいよ萩です。



萩の城下町へと入り、街道としての萩往還のゴールは唐樋札場跡です。しかし、ツアーでは参勤交代のスタート地点である萩城跡まで更に2km頑張って歩きます。



武家屋敷を過ぎ、萩城跡を目指します。



ゴールの萩城跡では語り部ガイドさんから完歩証明書をいただきました。防府からの55kmを完歩、感無量です。道中、お話した地元の方々は私たちが防府から歩いてきたと言うと、大変驚かれていました。



萩でも1泊し、最終日は松下村塾のあった旧松本村を歩いて巡りました。こちらは吉田松陰の叔父で松陰に藩命で兵学の基礎を厳しくたたきこんだ、玉木文之進の旧宅。



高杉、久坂をはじめ伊藤博文、木戸孝允、山県有朋、品川弥次郎など幕末から明治維新を担う人材を生み出した松下村塾。激動の時代、彼らが京や江戸を目指すために駆け抜けた萩往還の道。ただ完歩するだけでなく、最後にしっかりこの地を訪ねることで、今回歩いた長く大変な道のりを通じて、若き志士たちの青雲の志を、時代を越えて感じられた気がします。

 

山口県を瀬戸内海から日本海へ縦断するロングトレイル、萩往還55km。まだまだ知る人ぞ知るルートですが、自信を持ってお勧めいたします!

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古道・萩往還を歩く

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高野山巡礼と吉野山歩き 吉野山編

  • 日本

2021.01.20 update

高野山の後は、吉野山を歩きました。その時の様子を春の写真と交えてご紹介します。

吉野山の桜

吉野山の桜(4月中旬)

吉野山

吉野山は日本屈指の桜の名所として知られています。吉野山の桜の起源は古く、1,300年以上も前にさかのぼります。7世紀後半の飛鳥時代、日本独自の山岳信仰である修験道の開祖と呼ばれる役行者(えんのぎょうじゃ)が、金峯山寺を開創するにあたり、蔵王権現を桜の木に彫り、本尊として祀ったことが始まりと伝えられています。
その後、修験道が広まるにつれ、金峯山寺への参詣も盛んになり、桜は「御神木」の献木として、吉野山に植え続けられました。吉野山の桜は花見のためだけではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。

吉水神社、役行者の像

修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の像。前鬼、後鬼という二匹の鬼を従えています(吉水神社蔵)

 

春の桜が有名な吉野山ですが、四季折々の景色があります。秋は美しい紅葉でも知られています。前回のツアーでは晩秋の吉野山を歩きました。出発時はあいにくの雨でしたが、雨に濡れた散りもみじに風情を感じました。

吉野山の散りもみじ

吉野山の散りもみじ

 

花矢倉展望台(はなやぐらてんぼうだい)

上千本の宿泊旅館を出発し、吉野山を登っていくと、花矢倉展望台に到着します。花矢倉展望台は吉野山の中でも特に眺めの良い場所です。雨も上がり、雲海に包まれた幻想的な吉野山を展望することができました。春は桜の展望台としても有名です。

花矢倉展望台から眺める、吉野山

花矢倉展望台から望む、雲海に包まれた吉野山(11月中旬)

 吉野山の桜

花矢倉展望台から望む、桜の吉野山(4月中旬)

 

金峯神社(きんぷじんじゃ)

吉野山をさらに登っていくと、奥千本の金峯神社に到着します。金峯神社は古くからの修験道の霊場で、平安時代には藤原道長も祈願したと伝わっています。左の坂道を少し下ると、源義経が弁慶らと兄・源頼朝の追っ手から逃れるために隠れた「義経隠れ塔」があります。

金峯神社

金峯神社

金峯神社の隠れ塔

義経隠れ塔

奥千本の紅葉

奥千本の紅葉の中も歩きました

 

吉水神社

奥千本の金峯神社の後は、吉野山を下山。中千本で昼食を食べた後、吉水神社へ。
吉水神社はかつて吉水院といい、修験道の開祖と呼ばれる役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した格式の高い宿坊でしたが、明治時代の神仏分離により、神社になりました。平安時代末期、兄・源頼朝に追われた源義経と静御前が弁慶らと身を隠し、南北朝時代には後醍醐天皇の皇居とされ、安土桃山時代には豊臣秀吉が吉野山に花見の本陣とした、大変歴史のある場所です。吉水神社の書院内には、それぞれの時代の歴史的な遺産が残されています。秋の紅葉も格別でした。

吉水神社

秋の吉水神社(11月中旬)

吉水神社

源義経・静御前 潜居の間(吉水神社)

後醍醐天皇玉座

後醍醐天皇玉座(吉水神社)

 

金峯山寺(きんぷせんじ)

吉水神社の後は、金峯山寺へ。金峯山寺は、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が開創した吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山寺の本堂・蔵王堂(ざおうどう)は、飛鳥時代に役行者が創建したと伝えられ、その後、焼失と再建を繰り返し、現在の建物は安土桃山時代、1592年頃に完成したものです。

金峯山寺

金峯山寺の本堂・蔵王堂。奈良の東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築です

 

金峯山寺を見学後は、下千本を下り、吉野駅に到着。吉野山歩きは終了となりました。

吉野駅

吉野駅に到着

 

吉野山の旅館・宿坊、竹林院群芳園(ちくりんいんぐんぽうえん)

飛鳥時代から長い歴史を持つ吉野山。私たちは由緒ある宿、竹林院群芳園に泊まりました。竹林院群芳園は聖徳太子建立の一寺と伝えられ、宿坊として、豊臣秀吉、与謝野晶子はじめ、多くの文人墨客の宿として愛されました。天皇陛下も宿泊された宿だそうです。お部屋、お料理、お風呂、すべてが素晴らしく、感動しました。
竹林院の庭園「群芳園」は、豊臣秀吉が吉野山の桜の花見に際して、千利休が作庭し、一説には細川幽斎(細川藤孝)が改修したいわれており、歴史ある庭園も見学しました。宿のロビーには、豊臣秀吉の吉野山観桜時の茶弁当と伝わる一品も展示されています。

竹林院群芳園の夕食

竹林院群芳園でいただいた夕食。美味でした

豊臣秀吉 吉野山観桜時の茶弁当

豊臣秀吉 吉野山観桜時の茶弁当(竹林院群芳園蔵)

竹林院群芳園の庭園

竹林院の庭園「群芳園」(11月中旬)。春は桜に期待です

 

以上、「高野山巡礼と吉野山歩き」のご紹介でした。
長い歴史と信仰を持つ高野山と吉野山。是非一度、ご自身の足で歩いてみてはいかがでしょうか。

 

 

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桜の季節に行く!高野山巡礼と吉野山歩き

高野山巡礼と吉野山歩き

高野山開山より信仰の道とされてきた参詣道、日本人の心のふるさと修験道の聖地吉野山を歩き、宿坊に宿泊。紅葉の季節に楽しむハイキング。

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高野山巡礼と吉野山歩き 高野山編

  • 日本

2021.01.15 update

昨秋、高野山の巡礼道を歩きました。その時の様子をご紹介します。

高野山の大門

高野山の総門、大門

高野山

高野山は、平安時代に空海によって開創され、1,200年以上の歴史を持つ、真言密教の聖山です。空海は平安時代初期の816年に、高野山の開創を朝廷より許可されます。まず空海が行ったことは、高野山に結界を設定することでした。結界の中は、聖なる空間であり、その中に密教の堂塔伽藍を建立するためでした。この行為は、日本の山岳霊場全体に見られる事例だそうです。

 

聖なる空間である高野山には、古くから東西南北さまざまな方角から古道が通じていました。高野山と外界を結ぶ出入口およびそこに通じる古道は、それらを総称して高野七口(こうやななくち)と呼ばれてきました。通常は、町石道、黒河道、京・大坂道、小辺路、大峰道、有田・龍神道、相ノ浦道の七つの道を指すそうです。

 

女人道(にょにんみち)

高野山は明治5年まで女人禁制でした。女性は高野山の結界内部へは入れなかったので、高野七口(こうやななくち)の各入口には、女性のための籠り堂として女人堂(にょにんどう)が建てられました。金剛峯寺境内(高野山の山上全体)を取り巻くように女人堂を結ぶ道ができ、女人道(にょにんみち)と呼ばれるようになりました。女性の巡礼者たちは弘法大師空海の御廟を拝みたいと、高野山の周囲の山々である八葉蓮華の峰々を辿り、女人堂から女人堂へ、女人道を歩いたといわれています。

不動坂口女人堂

不動坂口女人堂

 

女人道巡礼ハイキングは、現存する唯一の女人堂、不動坂口女人堂からスタートします。不動坂口女人堂の向かいの女人堂バス停から、弁天岳(984m)まで登ります。

不動坂口女人堂の向かいの女人堂バス停から女人道に入り、弁天岳まで登りました

弁天岳(984m)

 

弁天岳(984m)で休憩後、少し下ると、高野山の壇上伽藍にある根本大塔(こんぽんだいとう)が遠望できました。根本大塔は真言密教の根本道場におけるシンボルとして、平安時代、空海在世中から建立が開始され、816年から887年ごろに完成したと伝えられています。かつて女人道を歩いた巡礼者たちも、眼下に同じ眺めを見たことでしょう。

壇上伽藍の根本大塔、女人道より

女人道より根本大塔を遠望。周囲を山々に囲まれていることがわかります

壇上伽藍の根本大塔

こちらは壇上伽藍より間近に見た根本大塔

 

その後、大門女人堂跡を経て、高野山の総門、大門へ。大門のすぐ近くには「助けの地蔵」と呼ばれる、願い事を一つだけ叶えてくれることで有名なお地蔵さんがあり、一日も早いコロナ終息をお祈りしました。

大門女人堂跡

高野山の総門、大門に到着

助けの地蔵

助けの地蔵に、一日も早いコロナ終息をお祈りしました

 

途中、秋景色が美しい場所も歩きました。春や夏はまた別の景色が広がっていることでしょう。

女人道を歩く

秋色に染まった女人道(11月中旬)

女人道を歩く

気持ちのいい道も歩きます

 

前述の不動坂口女人堂を除いて、他の女人堂は無くなってしまい、かつての女人堂跡には看板が残るのみとなっています。最後は奥の院前バス停まで下山し、女人道巡礼ハイキングは一旦終了となります。

大峰口女人堂跡

大峰口女人堂跡。看板が残るのみでした

 

町石道(ちょういしみち)

町石道(ちょういちみち)は、七つある高野七口(こうやななくち)の古道のうち、高野山参詣道のメインルートです。空海は、女人禁制であった高野山から、ふもとの慈尊院で暮らす母に会いに、月に9回、町石道を歩いて下山していたと伝えられています。 それが「九度山」という地名の由来ともされています。かつて空海が歩いたように、高野山から町石道の途中、九度山の手前の紀伊細川まで下山しました。

高野山の大門高野山の大門を通過し、町石道へ(11月中旬)

町石道町石道に入ります

 

町石道の由来は、一町(109m)ごとに町石が建てられていることによります。町石は高野山上の根本大塔を起点として九度山の慈尊院まで180基、同じく高野山上の奥の院・弘法大師御廟まで36基の計216基が建てられています。

 

高野山の開山時、空海は木製の卒塔婆を立てて、道しるべとしました。鎌倉時代になると、朽ちた木製の卒塔婆の代わりに石造の五輪塔形の町石が、一町ごとに建て替えられました。町石には、梵字(サンスクリット文字)で空風火水地を意味する言葉が刻まれており、町石自体が一体の仏を表しているそうです。

町石

町石道を歩く。鎌倉時代の町石が多く残っているそうです

 

町石道は高野山の長い歴史の中で、多くの巡礼者たちが歩いてきた古道です。現在でも、四国八十八ヶ所を巡ったお遍路さんがお礼参りに高野山を訪れる際に、この町石道を歩く方が多いそうです。

 

町石道をはじめとする高野七口の古道の中には、熊野古道の小辺路も含まれます。熊野古道を歩いた方は、次は高野山の巡礼道を歩いてみるのも興味深いかもしれません。
語り部と一緒に歩く熊野古道と同じように、高野山の語り部・ガイドの説明を聞きながら、高野山の山歩きを楽しみました。

 

九度山(くどやま)

町石道を歩いた後は、九度山にも立ち寄ります。九度山は、関ケ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村の父子が配流され、大阪の陣まで真田幸村が蟄居生活を送った場所です。かつての真田屋敷の跡には、真田庵が建てられており、敷地内には真田昌幸の墓もあります。戦国ファン・歴史ファンなら、一度は訪れたい場所のひとつでしょう。

真田庵

九度山の真田庵

 

九度山駅

真田六文銭に装飾された九度山駅

 

高野山の宿坊、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)

修行僧たちが生活する宿坊に泊まる。これも高野山ならではの楽しみです。宿坊というものがいつから始まったのかは、定かではありません。高野山は標高850mの山中にあるため、かつては日帰りができる場所ではありませんでした。そのため、縁故あるお寺に宿泊するようになったのが始まりといわれています。

 

私たちは金剛三昧院(こんごうさんまいいん)の宿坊に泊まりました。金剛三昧院は、尼将軍の北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立し、鎌倉時代の風雅を今に伝える由緒ある名刹です。宿坊では、肉、魚などを使わない「精進料理」をいただきました。高野山で採れる山菜、名物の胡麻豆腐、高野豆腐などの優しい味でした。金剛三昧院の宿坊は、老舗旅館のような快適さで、温かいお風呂に入った後は、聖地・高野山の宿坊の一室で物思いにふけり、静かな夜を過ごしました。

金剛三昧院の多宝塔

金剛三昧院の多宝塔。鎌倉時代に建立された、高野山に現存する最古の木造建築物です

金剛三昧院の夕食(精進料理)

金剛三昧院の宿坊でいただいた精進料理

金剛三昧院の宿坊

金剛三昧院の宿坊の一室

 

*******

 

春の季節は高野山の桜にも期待です。

高野山の桜

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