天空のチベット ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、ラダックエリアの気候、暮らしや食事などについて、ご紹介いたします。

■気候

夏は短く、冬は長いラダック地方。6月~9月頃がいわゆるラダックの夏です。日中は30度前後まで気温が上がり日差しも強烈ですが、朝晩は10度以下まで下がることもあり、特に天気が悪い日は冷え込みます。青い空と、緑、雪を被った白い山脈の組み合わせが非常に美しい時期です。

 

7月撮影のレーの街。晴天率も高く、過ごしやすい時期です

10月~4月上旬はラダックの冬。日中でも氷点下まで気温が下がり、時には-20℃を超える極寒の世界となります。積雪もあり、峠道は通行不可となってしまうことも多いです。レー・デリー間の国内線も、天候不良によるフライトキャンセルが頻発する時期です。

 

1月、レー郊外の道路の様子
ルンバク村の1月

一般的には、6~9月がラダックの観光シーズンとされており、この時期はレーの街や郊外の観光地は大変賑わいます。

また、季節の見どころとして4月中旬~5月上旬頃、標高の低いインダス川沿いの村々では、杏の花が咲きます。薄いピンク色の杏の花はとても可愛く、日本の桜を思い出します。日中はまだ寒いですが、4月頃に杏の花目当てで行くのもいいですね。

 

4月、満開の杏の花

ラダックは年間降水量が非常に少なく、一年を通し非常に乾燥しています。また天気も変わりやすいです。お出かけの際は、事前に現地の気候をチェックのうえ、日よけ・乾燥・暑さ・寒さ対策が必要です。

■暮らし

家畜の世話をする女性

伝統的なラダックの暮らしは、散らばった小さな村々での営みで、主な仕事は牛の飼育と耕作です。近年までほとんど完全な自給自足が成り立っていました。標高4000m前後の土地のため耕作できる土地は少なく、また作物が育つ時期は約4ヶ月間と極めて短いです。しかし、人糞と家畜の糞尿を肥料にし、氷河から溶け出した水を畑に引く複雑な灌漑のシステムを開発。集約的な農耕農業で、1年間に必要な小麦や大麦の生産を可能にしました。

 

初春、畑作業に勤しむ女性(ラマユル村にて)

もっとも重要なものは家畜で、特にヤクが重要視されています。ヤクは穀物を脱穀したり、土地を耕したり、荷物の運搬に利用され、糞は肥料や乾燥させてこの地方唯一の燃料になります。乳を採り、肉を食べたり、毛皮を衣服・カーペットなどの原料として使用します。

 

ラダックの夏の間は大変忙しいです。大麦、小麦、豆、杏やその他果樹の収穫、干しアンズなど長い冬を越すための保存食作り等、休む暇もなく作業をこなします。

 

8-9月は刈り入れ作業の時期です
ラダックの女性は働き者!

ちなみにラダックでは、厳しい環境下で、食料や資源が少ないため、人口増加を抑えるために兄弟で妻を共有する一妻多夫性が取り入れられてきました。現在は、インドの法律で禁じられ、一夫一妻制となっています。

■民族・言語

ラダックで暮らす人々の多くは、チベット系の民族であるラダック人(ラダクスパ)です。ほとんどの人はチベット仏教を信仰していて、服装や食事、風習など、チベットと共通する部分がたくさんあります。言語はチベット語の方言、ラダック語。チベット語と文字は同じですが、発音はかなり異なります。

 

ラダック北西部のダー・ハヌーには、頭に花を飾る華やかな風習で知られる、ドクパ(ブロクパ)と呼ばれる人々が住んでいます。アーリア系民族ですが、仏教徒です。ラダック語ともバルティ語とも異なる、ドクスカットという言語を使っています。ラダック東部のチャンタン高原には、チベット人の遊牧民たちが暮らしています。

 

ダー村の女性たち。頭の花飾りが特徴的です
ダー村の男性

■民族衣装

ラダックは標高が高く、紫外線を目いっぱい浴びる場所です。夏でも肌をあまり出さず、紫外線や乾燥から体を守っています。冬は凍てつく寒さから体を守るためにしっかりとした防寒が必要です。寒くなってくると、男女ともに着用するのは、ゴンチェというウールの上着です。

その他、帽子はティビ、靴はパブーといいます。

 

「ゴンチェ」と「パブー」
ラダックの山高帽「ティビ」

ペラクは主にザンスカール地方に伝わる、トルコ石がふんだんに使われた女性用の頭飾りです。母から娘へと受け継がれる、いわゆる家宝です。お祭りや、特別な行事のときに被ります。一度被らせてもらいましたが、トルコ石が隙間なく並べられているため被るとずしっととても重いです。

 

トルコ石をあしらったぺラク

伝統的な民族衣装を纏う人は近年減ってきているそうですが、レーを離れて郊外の村まで行けば、年配の方を中心に着用している人々はまだ目にします。民家訪問でお邪魔させてもらった時、試着させてもらえることもあります!

 

■食事

ラダック地方はチベット文化圏ですので、チベット料理が主流です。主に大麦、小麦を主食とし、ラーメンのようなトゥクパ、タントゥク(ワンタンメン)、モモ(餃子)などのチベット料理は、日本人にも食べやすいあっさりした味付けです。 「ツァンパ」と呼ばれる炒った大麦を粉にしたものをお碗の中でバター茶と練って作る「コラック」。ツァンパを大鍋で水から練って作る「パバ」。これらは自家製ヨーグルトなどと一緒に食べることが多いです。また、インド料理もポピュラーで、野菜カレーやチャパティなどもよく食べられています。大きな町やムスリムの多い町では、チキンやマトンを使った料理も食べることができます。

 

モモ
トゥクパ
ラダッキ・ブレッド。焼きたては特においしい!

 

 

ラダックシリーズ③へ続きます!
ラダック第3弾: チベット仏教の世界と仏教美術の宝庫アルチ僧院

 

 

 

カテゴリ:インドの食事 , インドの文化・芸能 , ラダック , ■インド山岳部・ガンジス源流
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インドの紅茶の歴史とマサラチャイ

ナマステ!
現在、インドの土産物と言えば紅茶、というほどインドを代表する特産物になっている紅茶ですが、インドでの紅茶の栽培や流通の歴史は、意外なことにそこまで古くなく、比較的新しいものです。

今回はインドにおける紅茶栽培へと至る道のりと、マサラチャイへの発展の歴史をご紹介していきます。

 

土産物屋で売られる紅茶
土産物屋で売られる紅茶

■茶がヨーロッパへ至るまで

茶は中国南西部の雲南省からミャンマー、チベット高原当たりの山岳部に自生していたものが原産で、中国では有史以前から薬として飲用されていました。その後、6世紀頃から飲み物として一般化していきます。朝鮮半島や日本には古くから伝わっていたものの、ヨーロッパへと伝わるのは17世紀頃になってからでした。

 

中国雲南省 ペー族の三道茶
中国雲南省 ペー族の三道茶

初めてヨーロッパへ運ばれた茶は、1610年にオランダ船によって長崎からアムステルダムへ運ばれた茶と言われています。このころのオランダは中国やインドネシア等のいわゆる「東洋貿易」において支配的な立場にあり、始めはオランダ東インド会社によって日本や中国の茶がヨーロッパへ運ばれました。イギリスはオランダを経由して茶を輸入していました。

 

特に西ヨーロッパではそもそも水が硬水であって飲用に適さず、都市で清潔な水を入手することが困難だったため、生水を飲むということがほとんどなく、食事以外では喉を潤すためにビールやワインなどのアルコール、また牛乳などが飲用されてきました。17世紀に入って国内に茶が流通し始めると、まずは非常に高価な輸入品の「東洋の秘薬」として飲用されるようになります。その後、高価な茶に同じく高価な砂糖を入れて飲むのが貴族層の間で流行し、17世紀後半から喫茶習慣が根付き始めます。

 

この頃、ヨーロッパでは茶に少し先行する形でコーヒーの飲用が始まっていました。17世紀後半から各地にコーヒーハウスが生まれており、紅茶もここで一般に飲まれるようになっていきます。イギリス国内での需要に伴い、イギリスは中国から大量の茶を輸入することになりますが、これを自国の植民地で賄うためにインドでの茶栽培が始まっていきます。

 

収穫を控えた茶葉
収穫を控えた茶葉

 

■インドでの紅茶栽培の始まり

従来、中国以外での栽培は難しいとされていた茶ですが、1823年にイギリス人冒険家ブルースによって北東部のアッサム州で自生種が発見され、「アッサム種」として品種改良が始まります。イギリス国内でも高い評価を受けたアッサム茶はインド国内でも栽培が拡大され、また1841年にはダージリン地方で中国種の栽培が始まります。1845年には緑茶と紅茶の違いは製法の違いにあり、原料となる茶葉は同じ樹種であることが発見され、中国種とアッサム種の交配からさらに品種改良が進み、インドで研究された紅茶栽培法は同じくイギリスの影響下にあったスリランカやバングラデシュで適用されていきます。

 

茶摘み風景(インド:ダージリン)
茶摘み風景(インド:ダージリン)

 

茶摘み風景(インド:ダージリン)
茶摘み風景(インド:ダージリン)

 

茶摘み風景(スリランカ:ヌワラエリヤ)
茶摘み風景(スリランカ:ヌワラエリヤ)

 

■マサラチャイの誕生

一般的にインドでは、チャイと言えば茶葉を濃く煮出し牛乳と砂糖を入れたミルクティーを差し、それにさらにジンジャー、カルダモン、シナモン等のスパイスも加え一緒に煮出したものをマサラチャイと言います(ちなみにヒンディー語での発音ではチャーエです。また、チャイとマサラチャイを特に区別せずに、スパイス込みでもチャイということもあります)。

 

現在では「インドといえばチャイ」と言っていいほど国民的な飲み物になったチャイですが、そこに行き着くまでにはちょっとした歴史があります。
インドで茶葉の栽培が始まったころ、紅茶はイギリス国内では高価な嗜好品でした。そのため、インド国内で作られた紅茶も高品質なものはヨーロッパへ輸出していましたが、低品質な茶葉やブロークン、ダストと呼ばれる砕けて粉末状になった茶葉などは、輸送コストを抑えるためにもインド国内での消費を生む必要がありました。

イギリスは当初はこれらの茶葉をストレートで煮出したものを普及させようとしましたが、あまりにも苦みが強く受け入れられませんでした。植民地内での需要を生むために色々と試し、またインド人のアレンジが加わった結果、スパイスと牛乳と砂糖で濃く煮出したマサラチャイが生まれました。これもすぐに受け入れられた訳ではありませんでしたが、もともとインドではスパイスを湯や乳で煎じて飲む習慣があり、それを紅茶と砂糖で風味付けした飲みやすいものとしてインド国内で徐々に習慣化されていきました。

 

チャイ
レストランのチャイ

その後、チャイ(マサラチャイ)が一般にも急速にに普及していきますが、そのきっかけとなるのがCTC製法の確立です。

CTCとは、Crush(砕く)・Tear(裂く)・Curl(丸める)の3段階の製造工程の頭文字をとった製法名です。収穫後茶葉を押しつぶし、細かく引き裂いてから、丸めて粒状へと加工します。短時間でしっかりとした茶葉の味を抽出できるように開発された、現在最も世界で生産量が多い製法です。ティーバック用、またはアッサム茶葉、ケニア茶葉用に広く取り入れられています。茶葉の粒のサイズは目的によって砂のように細かいものから数ミリ程度の粒まで調節することができます。

 

インドのチャイにはこのCTC製の茶葉がぴったり合います。牛乳や砂糖、スパイスに負けない強い紅茶の香りを簡単に出せるようになったことで、マサラチャイの人気は広まり、インド(特に北インド)の一般的な飲み物となっていきます。

 

観光客や旅行者、インドの富裕層を中心にストレートティーも飲まれていますが、現在では庶民の飲み物と言えば何といってもマサラチャイです。街のどこでもマサラチャイの売り子や屋台を見ることができ、今や生活に欠かせないものとなっています。オフィスで働いていても午前に1回、午後に1回のチャイブレイクタイムが設けられ、チャーエ・ワーラー(お茶売りの男性)が登場します。

 

路上のチャイ屋台(バラナシ)
路上のチャイ屋台(バラナシ)では素焼きのカップが使われているところも。飲み終わったカップはそのまま土に還るエコなシステム

チャイの基本材料は牛乳・紅茶・スパイスですが、砂糖の有無の他、それぞれの分量やスパイスの種類などは自由に組み合わせ可能ですので、各家庭や店ごとに異なる味わいを見せています。

 

インドのマサラチャイ、最初に飲んだ時はその甘さにびっくりしたものですが、毎日飲むうちに今では深く煮出された茶葉の味と甘さが逆に落ち着く様になりました。

 

旅行中でも、チャイ屋で沸騰させて煮出した熱々がもらえるため、屋台のものでも安心して飲むことができます。インドの愉しみとして、ほっと一息つけるチャイをぜひ各地で飲んでみてください。

 

Text by Okada

 

 

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