インドヒマラヤ冒険行② デリーから陸路で行くラダック

前回はデリーからタボへと移動しました。

タボの観光で外せないのが『ヒマラヤのアジャンタ』と言われるタボゴンパ。

残念ながら内部の写真撮影は禁止です。

 

■タボゴンパ

996年にリンチェンサンポによって築かれた壮大なゴンパ。「ヒマラヤのアジャンタ」と形容されるそのタボ僧院を中心としてタボの街が広がっています。西チベット・グゲ王国から当時の仏教の中心地であったカシミールに派遣されたリンチェンサンポは、グゲ王国に帰国する時に絵師や工芸師など、多くの技術者を連れて帰りました。リンチェンサンポの指揮の下、その彼らによって建てられたゴンパ。入口を入ると目の前に土の固まりが飛び込んできますが、一歩お堂の中に入ってみると、そこには当時の最先端であったカシミール様式の仏教芸術が、素晴らしい保存状態で残されています。特に惹きつけらるのは大日堂のご本尊、四方向に向かって静かな微笑をたたえる大日如来と、そのご本尊を取り巻くように造られた数多くの尊格の像は必見です。

ダライ・ラマ14世は1996年にこの僧院を訪れ、カーラチャクラ大灌頂を行いました。その後、ダライ・ラマ14世はご自身のダライ・ラマとしての最後の瞬間を、この僧院のこのお堂で迎えたいとおっしゃられたといわれています。

リンチェン・サンポは2 度目にカシミールへ赴いたとき 32 人の建築家、画工、仏師を連れて帰国し、翻訳のみならず西チベット、ラダック、スピティの各地に108の寺院を建造したといわれていますが。このような建築様式、壁画の画風はカシミール様式・リンチェン ・サンポ様式と言われます。現在このカシミール様式の仏教芸術が残されているのは、 ラダックのアルチ 、 グゲ(チベット)トリン 、そしてこの スピティのタボの3か所です。

 

■高台から臨むタボ・ゴンパ

 

タボから北西に移動し、スピティ谷の中心地・カザへ。この辺りにはスピティ最古の歴史を持つキ・ゴンパがあります。

まずはスピティ川の合流ポイント

キ・ゴンパ

ゴンパからも絶景。特に7~8月にかけては小麦畑の緑がきれいです。

更に西へと移動し、クンザン・ラ(峠)を越えてラホール谷の中心地キーロンへ。

余裕があればキーロンから少し南下して3980mのロータンパスへフラワーウォッチングに出かけることも可能です。

西チベットの交易路として栄えていたキーロンでは、バザールの散策も楽しめます。この先、設備の整った宿は少ないエリアです。キーロンで宿泊し、翌日から更に北上、ついにジャンムー・カシミール州へと入ります。

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インドヒマラヤ冒険行① デリーから陸路で行くラダック

国内外問わず、人気の町ラダック。

デリーからは毎日飛行機も飛んでいるし、1時間くらいで着いてしまう、インドの中の別世界です。

では、デリーから陸路で行くとどうでしょうか。

デリーのヒンドゥー教の濃厚な世界から、だんだんとチベット仏教世界へと人々が変わっていく様も体験できます。

ルートはいくつかありますが、少し時間をかけながらレーまで行ってみましょう。

 

【世界遺産 カルカ・シムラ鉄道に乗車】

早朝、薄暗いデリーの町を抜けて駅へと向かいます。まずは、ニューデリーからカルカまで約6時間の列車の旅。チェアカーと呼ばれる座席タイプのシートで中々快適です。

デリーで荷物を運んでもらう際は料金交渉もお忘れなく!

 

カルカ到着後、トイ・トレインのホームへと移動します。

カルカからシムラまでは約5時間。少しずつ標高をあげる列車はゆっくりゆっくり進みます。

※カルカ・シムラ鉄道

インド北部・ハリヤナ州のカルカから、避暑地として知られるシムラ(ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都)までを結ぶ登山鉄道。イギリス統治時代の1903年、夏の首都だったシムラの交通の便のために開設されました。区間は総延長 96 km 、両端の駅の標高差は 1,420 m(カルカは 656mシムラは 2,076 m)。途中には険しい地形を反映して103ヶ所のトンネルと864ヶ所の橋があります。軌間は 762 mm のナロー・ゲージ(狭軌)で、いわゆる「トイ・トレイン」。2008年、世界遺産として「インドの山岳鉄道群」を拡大する形で登録されました。

 

夕方、列車は避暑地シムラ駅に到着。明るいうちに到着すればバザールの散策も可能です。

カラフルなシムラの街並み↓

シムラで1泊し、翌日はカルパまでの移動です。

シムラから北東にサトレジ川へ進んでいき、キナール地方へと入ります。この辺りから緑のフェルトをつけた独特の帽子(キナウル帽)をかぶった方々が増えてきます。

14の地区に分かれているヒマーチャル・プラデーシュ州ですが、シムラ、キナール、ラホール・スピティの3つの地区、谷を越えてラダックのあるジャンムー・カシミール州へと北上します。

レコンピオの町を過ぎカルパに向けてグネグネと坂を上がります。

天気が良ければシバ神が冬場にこの地にやってきて、瞑想したという伝説のあるキナール・カイラスを展望できます。

翌日、さらに北上してタボまでの移動です。標高もグッと上がります。

サトレジ川とスピティ川の合流ポイントを過ぎたあたりから、道は細くなります。ここからスピティ谷へと入ります。

3つの谷を抜けていくルートには、道中、大翻訳官リンチェン・サンポ創建、又は由来のある寺院(ゴンパ)が複数あります。

そのうちの一つ、標高3,600M程のナコゴンパへと立ち寄ります。

この日はタボでの宿泊。

デリーから陸路で移動する場合、時間をかけ徐々に高度を上げていくのも高山病対策の一つです。

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天空のチベット ラダック第8弾:祭り・チベット仏教の用語とマナー・お土産など

ジュレー! 西遊インディアです。

散策や観光の際には、その土地のマナーや専門用語に触れておくと、より訪問を楽しめます。また、ラダックだからこそ手に入るお勧めのお土産なども紹介しますので、出発前にぜひご一読ください。

 

■お祭りを楽しむ

折角行くなら僧院で行われるお祭りに日付を合わせるのもひとつです。各僧院、一年に一度お祭りを催します。すべての仏教関連の年中行事はチベット暦に合わせて行いますので、各地の僧院の祭りは毎年日程が変わります。お祭りを見に行く場合は開催日の確認をお忘れなく。

 

ラダックで行われるお祭りについて、一部ご紹介します。

 

▮ヘミス僧院のツェチュ祭

規模の大きさから全チベット文化圏から巡礼者が訪れるツェチュ祭は、ヘミス僧院で3日間にわたって行われるラダック最大の祭りです。開祖であるグル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、一年のうちでも大切な日です。掛仏・タンカの開帳や数十の僧侶が仮面を被り舞う仮面舞踊チャムなど、魅力と迫力満点です。

 

ツェチュ祭の様子

 

▮ラマユル僧院のカブギャット祭

カブギャット祭は、チベットカレンダーで8のつく第四の月に行われます。広場ではタンカが掲げられ、ドゥンという大きなチベットホルンの音に合わせて、チャム(仮面舞踊)が行われます。
チャムでは、シャワ(鹿)やマヘ(スイギュウ)、ヤマ(雄牛)、そしてメインの大黒天とその化身たちが登場し、手に持った武器や法具で仏法の敵と戦います。
また後半には、ダオ(ツァンパで作られた人形)を黒帽の僧侶たちが刀や弓などで破壊します。ダオには人々の良くないものや感情が込められており、これを破壊することでそれらを取り除きます。最後に、トルマ(バターとツァンパで作ったお供え物)を燃やし、閉会となります。カブギャット祭りには、周辺各地で修行をしている行者や、ダー・ハヌーからの巡礼者もたくさん押し寄せ、会場はかなりの熱気に包まれます。

 

お祭りの後半・ダオの破壊の場面

 

▮グストール祭

ザンスカールのカルーシャ僧院や、ツォ・モリリ湖畔のコルゾック僧院などで催されています。「グ」とは9や19、29の「9」の付く日を表し、「ストール」とは「トルマ=麦粉やツァンパ、バターなどで作った立体的なお供え物」のことです。「9の付く日にトルマを壊すお祭り」となり、例えばコルゾック僧院では毎年チベット暦の7月29日にあたる日に合わせてこのお祭りが開かれます。
このグストール祭で行われる儀式や踊りには、「善(釈迦の教え)」が「悪(悪魔や悪い心)」に打ち勝つという意味が込められていると共に、釈迦の教えを分かりやすく民衆に伝えるという目的も併せ持ちます。 仮面舞踊で僧侶が被る仮面は神や女神、護法神などを表わしていて、人々にとってはこれらの踊りを見るだけで徳を積む事ができるのです。

 

グストール祭の様子

 

 

■チベット仏教の用語を知る

 

▮マンダラ

仏様の悟りの境地を視覚的・象徴的に表した図像です。サンスクリット語で「円・輪及び中心との関係」という意味で、円は完全なものと考えられています。
マンダラに関してはこちらにも紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
ラダック第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

 

壁画の曼荼羅(ツァツァプリ僧院)

 

▮マニ車・マニ石

筒の中に経典を入れたもの。1回転させると1回お経を読んだことになります。マニ車の大きさは様々で、人より大きい巨大なものから、巡礼者が手に持ってくるくる回せる小さなものまであります。

 

僧院の入り口に置かれていることが多い大きなマニ車
僧院内のマニ車

 

▮チャム

お祭り(法要)のときに僧侶が舞う仮面舞踊のことです。この舞踊を観ることで、仏教の教えや教訓が分かりやすく理解できるよう、物語になっていることが多いです。

 

チャム(ピヤン僧院のドゥップ祭)
僧院の中庭を広く使って行われます (ピヤン僧院のドゥップ祭)

 

▮タンカ

掛け軸に描かれた仏画のことです。チベット仏教のお祭りでは、僧院に保存された巨大なタンカの御開帳がメインイベントとなります。

 

ピヤン僧院のタンカ

 

▮チョルテン

仏塔のこと、ストゥーパともいいます。その土地の神や高僧を祀るために建てられます。巨大なチョルテンは、内部を時計回りに頂上まで上がることができます。

 

チョルテン

 

▮タルチョ

家の屋根や僧院、山頂など風の吹く場所に結び付けられている5色の旗のことです。青が空、白が風、赤が火、緑が水、黄色が大地を表します。マントラ(真言)が印字され、風に乗って仏法が広く行き渡るように、との思いが込められています。

 

風になびくタルチョ

 

▮マントラ

尊格(神様)ごとに決まっている祈りの言葉、真言のことです。 一番有名なものは観音菩薩のマントラで、「オム・マニ・ペメ・フム(Om・Mani・Padme・Hum)」です。ラダック滞在中、必ずと言っていいほど耳にする言葉です。

 

マントラか彫られた石

■僧院巡りのマナー

どの宗教にもあるように、チベット仏教の参拝にもいくつかルールがあります。仏教徒にとっても、観光客にとっても気持ちよく参拝をするために守りたいルールを紹介します。

 

  • ゴンパ(僧院)の周囲や堂内では時計回りで歩く(コルラ)
  • 勤行中の僧侶の邪魔をしない
  • ゴンパの中では靴を脱ぎ、脱帽する
  • 静粛にする
  • 訪問の際は肌の露出を避ける
  • ゴンパ内・敷地内で飲食や喫煙をしない
  • ゴンパ内の物に手を触れない

 

 

チベット仏教では、お祈りをしながら、時計回りに回ることは「コルラ」と言われ、チベット文化圏でも参拝の際には時計回りが基本です。寺院の周りを歩くとき、マニ車を回すときなどもすべて時計回りに回すというのは覚えておきたいマナーです。

 

■ラダックのお土産

夏の間、レーの中心地は土産屋をはじめ、食料品店や日用雑貨屋、ホテル、ツアー会社、本屋などが道の両サイドにずらっと並び、人通りも多く活気に満ちています。

 

レーの街かど
春頃は、生のアンズの露店が並びます
野菜の露店も多いです

レーに到着しましたら、高度順応もかねてぜひレーの街へお散歩へ繰り出しましょう。大小様々なお店があり、見るだけでも楽しいですし、何か掘り出し物が見つかるかもしれません!

 

 

最後に、ラダック地方に訪れたら購入したいお土産4選をご紹介!

 

1.あんず

あんずが特産品のラダックでは、あんず商品がたくさんあります。乾燥させてそのまま食べる乾燥あんず、種のバター、あんずジャム、オイルやクリームなどの美容商品も人気です。

 

路面で売られている乾燥あんず
アンズのジャムなど加工製品も人気です

 

2.カシミヤ、パシュミナ

カシミヤやパシュミナは、チャンタン高原でチベット系遊牧民がカシミヤ山羊を飼っていたことから始まったといわれています。このエリアのカシミヤやパシュミナは一般的なカシミヤ繊維よりも細いため、より柔らかく、暖かく、軽い、世界でもトップクラスの品質と言われます。

 

 

3.トルコ石

トルコ石は、古くからチベット圏で採掘され、珊瑚や琥珀と並び、欠かせない装飾品の一つです。ラダックにもその文化は受け継がれ、伝統的な女性の頭飾り「ペラック」にはトルコ石がふんだんに使われています。前頭部から背中まで伸びる1mほどの帯状布地(ウール製)に、大小多くのトルコ石を縫い付けたもので、嫁入りの際に代々母から娘へと受け継がれます。お土産屋でも、トルコ石をあしらった小物がたくさん売っています。

 

トルコ石のアクセサリー

 

 

4.仏具

仏教関連のお香や仏具もラダック地方でよく見かけるお土産です。レーのメインバザールでも、お土産用のマニ車のキーホルダーや、小さなタルチョがいたるところで売られています。

 

土産屋の仏具

 

せっかく訪問するならば、お祭りや観光マナーなど、しっかりと知識をつけてから訪問したいところです。ぜひ皆さんの旅の準備に役立てください。

 

 

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天空のチベット ラダック第6弾:下ラダックの観光

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックエリアの見どころ、続いて下ラダック側を紹介いたします!
前回: ラダック第5弾:上ラダックの観光

 

■下ラダック(シャム)

アルチ僧院やラマユル僧院など、ラダックエリアでは見逃せない僧院が点在しています。また、上ラダックよりも標高が低いため、農作に適しており、夏は緑、秋には黄金色の畑を見ることができます。上ラダック側より標高が低いので、高度順応も兼ねてラダック観光の序盤で訪問するのにおすすめです。

 

 

▮アルチ僧院(Alchi  Gompa)

アルチ僧院は小さな集落であるアルチ村に建つ僧院で、仏教美術の宝庫ともいわれています(アルチ僧院はこちらでもご紹介しました>>ラダック第3弾)。

10世紀末にリンチェン・サンポによって建てられたと伝えられるこの僧院には、現在「僧院」としての機能はほとんどありませんが、内部には、創建当時の壁画が残り、その内容はラダック随一です。

 

アルチ僧院
アルチ僧院 三層堂入り口
三層堂のポーチ部分

11 世紀半ばに建てられたという三層堂(スムツェク)は、名前のとおり三階建てで上層になるにつれ面積が小さくなる先細りの建築物です。独特の様式を模したファザード(建物の正面部分)は、柱は溝彫り式でうずまき模様が施されており、ギリシャ風の建造物を思わせる建築。また三角形の枠組みの中にそれぞれに尊格の木像が施されており、これらはどれもカシミール様式の特徴を表したものとなっています。

 

アルチ僧院仏塔内部 描かれているのは「飛天」

前述のとおり、カシミールや中央アジア美術の系統をひいてるチベット仏教美術における「リンチェン・サンポ様式」は、壁画の着色に「青(群青)」を多用していることが特徴として挙げられます。三層堂の壁面には所狭しと「青を基調とした千体仏」が描かれていますし、また仏塔内部には、チベット仏教寺院としては非常に珍しく、「飛天」や「白鳥」が装飾として描かれています。まさにカシミール様式の代表的な僧院であり、「インド・チベット仏教の至宝」と呼ぶに相応しいものです。

アルチ僧院は、ぜひとも訪問時間をゆっくりとって、訪問ください。

 

 

▮ラマユル僧院(Lamayuru Gompa)

「月世界」と呼ばれる独特の地形を通り過ぎつつ走ると、岩山の中腹に建つラマユル僧院が見えてきます。「ユンドゥン・タルパリン」という名前を持つ、カルギル地区のディグン・カギュ派の総本山の僧院です。

 

ラマユル僧院とラマユル村、奥に月世界

11世紀にこの地でカギュ派の開祖マルパの師匠である、ナローパがこの場所で瞑想したのがはじまりと言われ、現在でも200名の僧侶がこの僧院で修行を行っています。毎年チベット暦の5 月には「ユンドゥン・カブギェ」というお祭りが催されており、周辺の村々から多くの人が訪れます。

 

ナローパが瞑想した石窟。現在はティローパ、ナローパ、ミラレパ像が安置されています。

注目ポイントは、ドゥカン(勤行堂)内部にある「ナローパの瞑想石窟」。ドゥカンの片隅にある石窟内は、チベット仏教の宗派の1つであるカギュ派の創始者ナローパが瞑想を行ったと言われており、洞内にはナローパと、彼の師であるティローパ、彼の孫弟子であるミラレパの像が祀られています。

 

現存するラマユルのお堂の中で最古の建物であるのが、センゲカン(獅子堂)です。センゲカンは11 世紀、リンチェンサンポが創建したといわれています。
内部にはナンパ・ナンツァ(大日如来)像を中心とした金剛界五仏の塑像が残っています。インドで大乗仏教が発展していくにつれ「聖なる存在の仏」としての要素が強まってきた「五仏」。この五仏の塑像とそれを取り巻く装飾は、アルチと並ぶ秀作と言われています。

 

ラマユル僧院の大日如来

中央に大日如来、その周りを、阿閦如来(あしゅく)、宝生如来(ほうしょう)、阿弥陀如来(あみだ)、不空成就如来(ふくうじょうじゅ)の四仏が取り囲んでいます。

 

センゲカンには、他にも護法尊のマハカーラ(大黒天)や、ユニークな骸骨の壁画「チティパティ(屍陀林王)」などが描かれています。「チティパティ」とは墓場の主という意味であり、チベットの伝説によればもともとは苦行僧であったとされています。あるとき深い瞑想に入りましたが、その深さときたら、その隙を狙って泥棒が彼らの頭をはね、泥の中に身体を捨てたことに気づかないくらいだったとか。その時以来、彼ら(夫婦で描かれていることが多い)は泥棒の宿敵になり永遠の復讐を誓ったと言われています。

 

チティパティ。なんとなく可愛らしい見た目

 

▮月の谷 

ラマユル僧院の麓に広がるのが「月の谷」と呼ばれるポイント。この場所には、次のような伝説が残されています‥‥「数万年前、この地には大きな湖がありました。紀元前15 世紀頃、聖者ニマグンがこの湖に住む龍神(ル)の供養を行うため湖上に麦の種を撒いたところ、その種が「卍(ユンドゥン)」の形を示し、その事がラマユルの古名「ユンドゥン」の由来となりました」 ‥‥現代になり、地質調査を行ったところ、この地は本当に湖が存在していることが判っており、月の世界を思わせるこれらの地層は湖の底に積もった堆積物による地層であることも判明しています。

 

月面のような地層 なかなかの迫力です!
「月の谷」遠景。ここだけがこのような地層というのがすごい

 

▮ニダプク石窟(Nyidaphunk)

サスポールという村のメインの車道から砂利道を15分ほど登った先にあるニダプク石窟は、15~16世紀に開かれたとされています。「ニダ=太陽と月」、「プク=お堂」つまり「太陽と月のお堂(日月堂)」という意味です。朝から晩まで外の太陽と月を眺めて修行したことから名付けられました。かつては修行地として栄え、岩山の中腹に彫られた100以上の洞窟の中で修行や瞑想をしていたとされています。

 

ニダプク石窟までの道のり。 やや急な道を上ります

いくつかの洞窟のなかには、現在も壁一面に描かれた壁画が残っています。ですが、洞窟までの足場が危険な個所が多く、現在見学できるもので壁画が綺麗に残るのは一か所のみです。

 

ニダプク洞内部の壁画

 

当時、僧は石窟内で瞑想だけを行っていたのではなく、修行の一環として仏画を描いていたといわれています。石窟の内部は所狭しと仏画が描かれており、一切の余白がなく見ごたえがあります。壁画はポストリンチェンサンポ様式のもので、赤色を多用しています。

 

 

▮リキール僧院(Likir Gompa)

ゲルグ派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有している僧院です。11世紀頃の創建と伝えられていますが、詳細は不明とされています。現在見ることのできる建物は、火災による焼失後の18世紀に再建された建物です。僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っており、その姿は遠くからでも望むことが出来ます。

チベット歴の12月末、この僧院でリキール・グストルというお祭りが開かれます。その際にご開帳されるツォンカパのトンドルは全ラダックで最大の大きさです。

 

リキール僧院を遠望
お堂は全て再建されたもので、内部の壁画も新しいです
金色の弥勒菩薩像

僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っています。衆生をすぐに救いに立ち上がれるよう、腰かけスタイルです。

 

 

次回は、郊外の見どころであるパンゴン・ツォとヌブラ谷を紹介します!

 

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天空のチベット ラダック第5弾:上ラダックの観光とレー

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックは、大きく2つの地域に分けられ、インダス川上流は上ラダック(トゥ)、下流地域は下ラダック(シャム)と呼ばれます。まずは、上ラダックで必見の僧院などをご紹介いたします!

 

■上ラダック(トゥ)

かつての王都シェイや、王族の末裔が暮らしたストクの他、ラダックを代表する僧院が多く集まる地域です。レーからの距離が近いことから、日帰り観光ができることが魅力。

 

 

▮レー(Leh)

標高約3650mに位置するラダックの中心地です。1640年頃、センゲ・ナムギャル王がレーチェン・パルカル(レー・パレス/旧王宮)を建てると、レーは一層王都らしくなり、政治・交易の中心として栄えました。チベット文化圏に属するため大部分がチベット民族であるため、「インドのチベット」とも呼ばれます。パキスタン・中国という2国に隣接している特殊な場所柄、軍事的理由により長い間閉ざされた場所でした。外国人に開放されたのは1974年のことで、現在は訪れる観光客も増え、中心地にはゲストハウスや商店が立ち並んでいます。

 

レーの街 中心部のストリート
見上げるとレーの街から王宮跡などが見えます

 

▮シェイ王宮跡(Shey)

10世紀、ラダック初代の王であるラチェン・パルキゴンと次の王様によりシェイがラダックの都とされてから15世紀まではこの場所にラダック王国の都が置かれていました。シェイとは「水晶」の意味で、王宮や僧院から周りを見渡すと、周囲の山々を覆う万年雪がまるで水晶のように光輝いて見えたのが名前の由来となっています。

九層(9階建て)だったシェイ王宮跡ですが、現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられた僧院で、王国が滅びる時は住人は誰もおらず、廃墟のようだったそうです。

 

 

シェイ王宮跡

 

▮ナムギャル・ツェモ(Namgyal Tsemo)

レー王宮のさらに上にある小さな僧院です。レーの街を見渡すことが出来る岩山の上に建っています。小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められています。元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられましたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至ります。ここから眺める夕日は一日の最後を飾るにふさわしい美しさ。晴れていればヒマラヤの奥に沈み行く太陽がレーの街を赤く染め上げていく様子を眺めることができます。

 

ナムギャル・ツェモ

 

▮シャンティ・ストゥーパ(Shanti Stupa)

レー郊外の丘の上にあるストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパです。 階段を息きらせながら登っていくと、そのストゥーパからは荒涼とした大地の中に広がるレーの街を一望することが出来ます。

 

シャンティ・ストゥーパ

 

▮シャンカール僧院(Sankar Gompa)

20世紀初頭、バクラ・リンポチェ20世によって創建されたゲルク派の僧院です。バクラ・リンポチェとは、ダライ・ラマ13世により認定された、仏陀の16人の阿羅漢の1人であるバクラの転生です。ラダックの指導者でもあります。2004年に死去されていますが、現在は21世が新たに認定されています。

 

ドゥカル(白傘蓋仏母)像

本堂には、ドゥルカルと呼ばれる白傘蓋仏母像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから魔性を遮る意味となりました。「災いから守ってくれるとても強い女神」です。顔・手・足がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。この白傘蓋仏母は、シャンカール僧院とレー王宮、ザンスカールのランドゥン僧院でしか見られないそうです。

 

 

▮ティクセ僧院(Thikse Gompa)

ラダックで最も有名な僧院の一つです。15世紀にゲルク派の開祖ツォンカパの命により建てられた僧院で、創建当時の壁画が残されています。岩山の中腹を僧房が埋め尽くし、頂上には本堂がそびえています。「ポタラ宮を見た高僧が感銘受けて、紙がなかったのでカブにスケッチをしてラダックに持ち帰り、ティクセ僧院を建立した。しかし、カブが乾燥して小さくなってしまっていたので実際のティクセ僧院もポタラ宮によく似ているがポタラ宮のミニチュア版になってしまった」という逸話があります。

 

ティクセ僧院 全景

ここでの見どころといえば、入口からすぐのお堂で静かな笑みを浮かべる高さ15mの弥勒菩薩像です。弥勒菩薩は、56億7千万年後の世界に現れ、多くの人々を救済すると言われている未来仏です。弥勒菩薩は大きければ大きい程早く降臨するのだとか。この弥勒菩薩像はラダックでも最大のもので、金剛界五仏の冠を被っています。

 

弥勒菩薩像

 

▮へミス僧院(Hemis Gompa)

レーからインダス川沿いの道を東へ走り、車で約1時間半の場所に位置する、ラダック最大かつ最も有名な僧院です。ドゥクバ・カギュ派の僧院で、17世紀にラダックを治めていたナムギャル王朝のセンゲ・ナムギャル王が、ラダックを訪れていたチベットの高僧タクツァン・レーパのために創建しました。

へミス僧院は、王家の庇護の元栄えることとなり、僧院には多くの僧が集まったため、へミス僧院にはドゥカン(僧の集会所)が2つ並んでいます。現在へミス僧院の僧は60~70人ということでしたが、かつては1000人もの僧がいたそうです。

 

へミス僧院。珍しく、集会堂が2つ並ぶ構造です
集会堂内部(へミス僧院)
パドマサンバヴァ像(へミス僧院)

僧院が最も賑わうのは毎年夏に行なわれるヘミス・ツェチュ(祭)の時です。お祭りではチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の偉業を伝えるチャム(仮面舞踊)が披露されます。全チベット文化圏からの巡礼者、各国からの観光客で中庭が埋め尽くされます。祭りが一番盛り上がるのは最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳のとき。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。12年に一度、申年には通常とは異なる特別なトンドルがご開帳されます。

 

広い中庭でお祭りは行われます
お祭りではチャム(仮面舞踊)が披露されます

 

▮チェムレ僧院(Chemrey Gompa)

へミス僧院の分院であるチェムレ僧院。この寺院はチベット僧タクツァン・レーパがセンゲ・ナムギャル王が亡くなってから王の菩提を弔うために建てた寺院です。荒涼とした山々を背景にそびえる雄大な姿で、山と僧院が一体化しているように見えます。頂上にドゥカン(僧の集会所)があり、その下に建ち並ぶのは僧の暮らす僧坊です。

 

チェムレ僧院 遠望
タクツァン・レーパ(チェムレ僧院)

 

チベット僧タクツァン・レーパは「チベット仏教を西に伝道する」という使命を受けて、ラダックを訪れていました。彼はセンゲ王に適切な助言を与え、王の信頼を得ます。そして、王家の導師として敬われました。現在のアフガニスタンにまで布教に行ったため、イスラム風のターバンを被っています。

 

 

次回は、下ラダックの観光について紹介いたします。

 

 

 

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天空のチベット ラダック第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

ジュレー! 西遊インディアです。

 

チェムレ僧院。山頂には僧院、山腹には僧房が立ち並んでいます

前回、ラダックの信仰に絡めて仏教美術のお話をいたしました。ラダックでは、美しい壁画、また僧院そのものなど、まだ現存しており今も行けば直接見ることが叶います。ですが、チベット仏教の本流の地である中国側チベットでは、中華人民共和国による文化大革命で僧院などの大半が破壊されてしまいました。ラダックは、ラダック王国という独立した仏教国であったことと、インドに帰属した後しばらくは外国人の立ち入りが禁止されていたため、チベット本土よりも建造物や仏教美術において、伝統的なチベット文化が色濃く残っています。
チベット仏教の中心地の一つとされるラダックは「小チベット」と称され、特に曼荼羅美術の集積が素晴らしいことで有名で、チベットを凌ぐとも言われています。

 

ぜひ、ラダックに訪問の際は僧院も訪問してみてください。何かの行事の際や、時に鍵番が不在で小さなお堂だと中に入れないこともありますが、だいたいは、快く迎えてくれます。

 

お勉強の時間を覗かせてくれました(カルーシャ僧院にて)
勤行の時間。見学させてもらえます。
こちらはティクセ僧院での早朝の勤行の様子

 

チベット仏教の僧院へ行くと、堂内にて壁に描かれた曼荼羅(マンダラ)や仏に目がいくと思います。

 

マンダラとは、仏教の中でも特に密教で考えられている世界や宇宙の構造を、絵柄で表したもので、真理に近づくための道しるべです。

 

金剛界曼荼羅(ツァツァプリ僧院)

金剛界曼荼羅の「金剛」とはダイヤモンドのことです。中央に座す、大日如来の智慧(ちえ)がダイヤモンドのように固く、何ものにも屈しないということを表しています。大日如来の周囲には4人の如来が位置しています。そして金剛杵が周囲を囲み、教えを守っています。

 

 


如来とは…

如来とは、一度悟りをひらいた存在を意味しています。
代表的な如来は「釈迦如来」と金剛界曼荼羅に描かれる「五仏」、そのほかお薬の壺をもった薬師如来などです。

 

<五仏>

大日(だいにち)如来   中央に配置/身体は白色
法を説くことを象徴する「転法輪印」を組む
阿閦(あしゅく)如来  東に配置/身体は青色
地に右手をつけた「触地印」を組む
宝生(ほうしょう)如来 南に配置/身体は黄色
掌を見せた「与願印」を組む
阿弥陀(あみだ)如来   西に配置/身体は赤色
深い瞑想の状態を表現する「禅定印」を組む
不空成就(ふくうじょうじゅ)如来  北に配置/身体は緑色
全ての恐れを取り除く象徴「施無畏印」を組む

 


 

僧は、頭のなかで曼荼羅を想像し、教えを自分のなかに授けていきます。

 

曼荼羅は、壁や紙に描かれたものや刺繍など手法は様々です。チベットで作られる曼荼羅は、大きく分けて砂で描く砂曼荼羅(ドゥルツォン)、布に描く絵曼荼羅(レーディ)、木や宝石で作られる立体曼荼羅(ローラン)の三種類に分類されます。

 

金剛界五仏の立体曼荼羅(ラマユル僧院)

なかでも砂曼荼羅は、寺院や団体が何らかの発願をし、その成就を願って執り行なう儀式の中で作成されます(お祭りに合わせて制作されることも多いです)。製作期間はおよそ1週間で、僧侶たちが鮮やかな色彩に着色した砂を用い、木製の壇上に描いていきます。

 

完成した砂曼荼羅
砂曼荼羅の作成の様子

銅でできた細長い漏斗に色のついた砂を入れ、その漏斗をこする振動で砂を壇上に落としていきます。以前は色のついた宝石などを使っていたましたが、現在は着色した大理石を粉にして使用するそうです。砂曼荼羅を描けるようになるまでには、約5年もの訓練が必要とのことです。

 

精魂込めて作成した美しい砂曼荼羅ですが、完成後はすぐに壊されてしまいます。砂に戻った曼荼羅の祈りは、川に流れ世界にその祈りを広げることになるのです。曼荼羅を作ることが目的なのではなく、川に流すまでの一連の流れには、永久不変なものなどないという諸行無常の教えが根底にあります。

 

 

ラダックシリーズ第5弾へと続きます。
第5弾:上ラダックの観光

 

 

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天空のチベット ラダック第3弾: チベット仏教の世界と仏教美術の宝庫アルチ僧院

ジュレー!(ラダック語でこんにちは)
インド最北部・ラダックを紹介する第3弾です。

 

チベット僧院の前で、マニ車を回す女性

ラダックに到着するためにヒマラヤ越えをしなければならなかった時代は、ラダックエリアの住民は、チベット仏教を信仰する人がほとんどでした。大戦後、インドが隣国パキスタン、中国との関係を注視しなければならなくなったあと、両国と隣接しているラダックエリアには、多数の軍の駐屯地が置かれるようになりました。また、ラダックエリアの観光が広く開かれるようになり、夏の時期にはホテルやレストランでの季節労働者も集中しました。そのため、現在のラダックにはもともとの土着の信仰以外にも、ヒンドゥー教徒、シーク教徒も少なからずおります。また、地域によってはイスラム教徒が古くから居住しているエリアもあり、そういった街にはモスク(イスラム教の礼拝所)が街の中心にあります。シリーズ第二弾で紹介した頭飾りが特徴的な花の民・ドクパ(ダルド)の人々が住む地域は、古くから伝わる民間信仰も根強く残っています。

 

上記の通り、ラダックは宗教における多様性が認められますが、この地域に圧倒的に多いのは、チベット仏教徒(特にゲルク派、ドゥルク派が多数)です。

 

今回は、ラダックでの信仰・チベット仏教について、ご紹介します。

 

■ラダックで信仰されているチベット仏教

スムダ・チュン僧院の立体金剛界曼荼羅
ティクセ僧院全景

仏教発祥の地はインドであるということは皆様ご存知かと思います。紀元前3世紀、インドのアショカ王が仏教を庇護したことで、インド各地に仏教が広まりましたが、ラダックのお隣のエリアのカシミール地方でも、この時代に仏教が伝わりました。
ラダックは、カシミールの影響を様々な面で強く受けており、仏教の伝播についても影響は受けたものと推測されますが、残念ながら10世紀以前の記録はほとんど残されておらず詳細は分かりません。おそらく9世紀頃、チベットで起きた内乱から逃れるために多くの高僧たちがこの地にやって来たことで、本格的にラダックで仏教が栄え始めたのではないかといわれています。

インド本土においては、13世紀に仏教はほとんど滅んでしまいますが、ラダック地方においては、逆にチベット仏教が非常に盛んな時期にあたります。そしてそのまま現代まで、ラダックではチベット仏教として信仰が受け継がれているのです。

 

 

ラダック地方におけるチベット仏教を確立したのは、リンチェン・サンポと、インドのナーランダから来た学僧アティーシャとされています。

 

リンチェン・サンポ 偉大なる翻訳家

ロツァワ(大翻訳家)・リンチェン・サンポは11世紀にグゲ王の命を受け、当時仏教が盛んだったカシミールに2度留学しました。戻った後は膨大な数の経典翻訳に励んだことから、大翻訳家(ロツァワ)と呼ばれ、仏教発展に大きな足跡を残しました。ロツァワは2度目の帰路時に、カシミールから32人の大工や仏師、絵師を連れ帰ったことで、カシミール様式の仏教美術を西チベットに持ち込むことに成功し、グゲにトリン僧院、ラダックにニャルマ僧院、そして仏教美術の宝庫・アルチ僧院など、全部で108の僧院を建てました。

 

アルチ僧院 スムツェク(三層堂)
アルチ僧院仏塔内に描かれたリンチェンサンポ
アルチ僧院 木枠の装飾にはカシミールの影響が随所に

ラダックの仏教美術は11世紀のリンチェンサンポ時代と、14世紀頃からのポスト・リンチェンサンポ時代に分けることができます。リンチェンサンポ様式はカシミールや中央アジア美術の系統をひいており、壁画の着色に「群青」を多用していることが特徴として挙げられます。対してポスト・リンチェンサンポ様式はカシミールの様式が薄れ、チベットの影響を受けるようになり、「赤」の多様が目立ちます。

 

 

▮仏教美術の宝庫アルチ僧院

リンチェンサンポ様式の代表・アルチ僧院。ドゥカン(勤行堂又は大日堂)、ロツァワ・ラカン(翻訳官堂)、文殊堂、スムツェク(三層堂)と仏塔から成っています。そのなかでも11世紀のカシミール様式が良好な保存状態で残されているのが、スムツェク(三層堂)です。名前の通り三階建ての比較的こじんまりしたお堂ですが、外観だけ見ても、ギリシャ・イオニア様式の柱頭など、ギリシャの影響を受けたカシミールの様式が随所に残されています。

 

三層堂に入ると、三立像(文殊菩薩(右:東)、赤い弥勒菩薩(正面:北)、白い観音菩薩(左:西)が立ち、それぞれの菩薩の下衣に仏伝図(釈迦牟尼の一生との事)などが描かれています。壁には青を基調とした千体仏。隙間なくびっしりと埋め尽くされた壁画の数々は、じっくり見ていくと時間がいくらあっても足りない程です。
堂内で見られるカシミール様式の特徴としては、壁の隅に施された「白鳥の絵」、溝彫り式でうずまき模様が施されている柱、そして独特の明り取りの仕様であるラテルネン・デッキ(持ち送り式天井)などです。

 

仏塔内部の天井画。天井は、ラテルネン・デッキ(持ち送り式天井)
般若波羅密仏母の壁画 (アルチ僧院発行の写真集より)

そしてこの堂内での見所は何と言っても般若波羅密仏母の壁画です。堂内に入って左側、観音菩薩の立像の足元にひっそりと佇む仏母は、細字の黒色の線で美しくくま取りされ、丁寧に施された着色、ななめ下に向けられた視線は控えめな美しさを感じさせます。

般若波羅密仏母は仏を生み出す母と言われており、右手には青い蓮の花、左手には経典を持っています。

 

あまりに繊細な線と美しい着色は、思わず見入ってしまうほどです。

 

※アルチ僧院三層堂の内部は、写真撮影が禁止されております。ぜひ写真集の購入をおすすめいたします!

 

 

 

ラダックシリーズ第4弾へ続きます。
第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

 

 

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天空のチベット ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、ラダックエリアの気候、暮らしや食事などについて、ご紹介いたします。

■気候

夏は短く、冬は長いラダック地方。6月~9月頃がいわゆるラダックの夏です。日中は30度前後まで気温が上がり日差しも強烈ですが、朝晩は10度以下まで下がることもあり、特に天気が悪い日は冷え込みます。青い空と、緑、雪を被った白い山脈の組み合わせが非常に美しい時期です。

 

7月撮影のレーの街。晴天率も高く、過ごしやすい時期です

10月~4月上旬はラダックの冬。日中でも氷点下まで気温が下がり、時には-20℃を超える極寒の世界となります。積雪もあり、峠道は通行不可となってしまうことも多いです。レー・デリー間の国内線も、天候不良によるフライトキャンセルが頻発する時期です。

 

1月、レー郊外の道路の様子
ルンバク村の1月

一般的には、6~9月がラダックの観光シーズンとされており、この時期はレーの街や郊外の観光地は大変賑わいます。

また、季節の見どころとして4月中旬~5月上旬頃、標高の低いインダス川沿いの村々では、杏の花が咲きます。薄いピンク色の杏の花はとても可愛く、日本の桜を思い出します。日中はまだ寒いですが、4月頃に杏の花目当てで行くのもいいですね。

 

4月、満開の杏の花

ラダックは年間降水量が非常に少なく、一年を通し非常に乾燥しています。また天気も変わりやすいです。お出かけの際は、事前に現地の気候をチェックのうえ、日よけ・乾燥・暑さ・寒さ対策が必要です。

■暮らし

家畜の世話をする女性

伝統的なラダックの暮らしは、散らばった小さな村々での営みで、主な仕事は牛の飼育と耕作です。近年までほとんど完全な自給自足が成り立っていました。標高4000m前後の土地のため耕作できる土地は少なく、また作物が育つ時期は約4ヶ月間と極めて短いです。しかし、人糞と家畜の糞尿を肥料にし、氷河から溶け出した水を畑に引く複雑な灌漑のシステムを開発。集約的な農耕農業で、1年間に必要な小麦や大麦の生産を可能にしました。

 

初春、畑作業に勤しむ女性(ラマユル村にて)

もっとも重要なものは家畜で、特にヤクが重要視されています。ヤクは穀物を脱穀したり、土地を耕したり、荷物の運搬に利用され、糞は肥料や乾燥させてこの地方唯一の燃料になります。乳を採り、肉を食べたり、毛皮を衣服・カーペットなどの原料として使用します。

 

ラダックの夏の間は大変忙しいです。大麦、小麦、豆、杏やその他果樹の収穫、干しアンズなど長い冬を越すための保存食作り等、休む暇もなく作業をこなします。

 

8-9月は刈り入れ作業の時期です
ラダックの女性は働き者!

ちなみにラダックでは、厳しい環境下で、食料や資源が少ないため、人口増加を抑えるために兄弟で妻を共有する一妻多夫性が取り入れられてきました。現在は、インドの法律で禁じられ、一夫一妻制となっています。

■民族・言語

ラダックで暮らす人々の多くは、チベット系の民族であるラダック人(ラダクスパ)です。ほとんどの人はチベット仏教を信仰していて、服装や食事、風習など、チベットと共通する部分がたくさんあります。言語はチベット語の方言、ラダック語。チベット語と文字は同じですが、発音はかなり異なります。

 

ラダック北西部のダー・ハヌーには、頭に花を飾る華やかな風習で知られる、ドクパ(ブロクパ)と呼ばれる人々が住んでいます。アーリア系民族ですが、仏教徒です。ラダック語ともバルティ語とも異なる、ドクスカットという言語を使っています。ラダック東部のチャンタン高原には、チベット人の遊牧民たちが暮らしています。

 

ダー村の女性たち。頭の花飾りが特徴的です
ダー村の男性

■民族衣装

ラダックは標高が高く、紫外線を目いっぱい浴びる場所です。夏でも肌をあまり出さず、紫外線や乾燥から体を守っています。冬は凍てつく寒さから体を守るためにしっかりとした防寒が必要です。寒くなってくると、男女ともに着用するのは、ゴンチェというウールの上着です。

その他、帽子はティビ、靴はパブーといいます。

 

「ゴンチェ」と「パブー」
ラダックの山高帽「ティビ」

ペラクは主にザンスカール地方に伝わる、トルコ石がふんだんに使われた女性用の頭飾りです。母から娘へと受け継がれる、いわゆる家宝です。お祭りや、特別な行事のときに被ります。一度被らせてもらいましたが、トルコ石が隙間なく並べられているため被るとずしっととても重いです。

 

トルコ石をあしらったぺラク

伝統的な民族衣装を纏う人は近年減ってきているそうですが、レーを離れて郊外の村まで行けば、年配の方を中心に着用している人々はまだ目にします。民家訪問でお邪魔させてもらった時、試着させてもらえることもあります!

 

■食事

ラダック地方はチベット文化圏ですので、チベット料理が主流です。主に大麦、小麦を主食とし、ラーメンのようなトゥクパ、タントゥク(ワンタンメン)、モモ(餃子)などのチベット料理は、日本人にも食べやすいあっさりした味付けです。 「ツァンパ」と呼ばれる炒った大麦を粉にしたものをお碗の中でバター茶と練って作る「コラック」。ツァンパを大鍋で水から練って作る「パバ」。これらは自家製ヨーグルトなどと一緒に食べることが多いです。また、インド料理もポピュラーで、野菜カレーやチャパティなどもよく食べられています。大きな町やムスリムの多い町では、チキンやマトンを使った料理も食べることができます。

 

モモ
トゥクパ
ラダッキ・ブレッド。焼きたては特においしい!

 

 

ラダックシリーズ③へ続きます!
ラダック第3弾: チベット仏教の世界と仏教美術の宝庫アルチ僧院

 

 

 

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天空のチベット ラダック第1弾:ラダック地方の歴史

ナマステ!
西遊インディアです。

 

はためく五色の旗(タルチョ)を見ると、違う文化圏に来たという実感がよりわきます

インド北西部、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた、標高約3500メートルの地に広がるラダック地方。「峠を越えて」という意味のラダック(Ladakh)が使われるようになったのは17世紀頃からで、それまでは「低地の国」という意味のマルユル(Maryul)という名で呼ばれていました。荒涼とした山々に囲まれ、広大な大地に青い空、恵みをもたらすインダス川…。インドのイメージを覆す絶景デスティネーションとして、大変人気です。

 

色濃くチベット文化を残し、「小チベット」とも呼ばれるラダックについて紹介するシリーズ、第一弾です。

 

■基本情報

ラダック連邦直轄領
中心都市:レー (標高約3650m)

人口:約24万人
主な宗教 : 主に仏教 その他にイスラム教、ヒンドゥー教、シーク教など
主な言語 : ラダック語、ヒンディー語、ザンスカール語、バルティ語、ウルドゥー語など

(※英語もある程度通じる)

アクセス:首都デリーからレーまで、国内線が運航されております。所要約1時間。その他にも、夏の間はマナリやシュリーナガルから陸路移動も可能です。

 

ラダック・ザンスカール地方の地図
国内線移でデリーからレーへ
フライトは、ヒマラヤ山脈が見下ろせる迫力の山岳フライトです

 

■ラダック地方の歴史

8世紀頃、チベットの吐蕃王国がラダックを占領し、チベット系の民族がラダックに流入して住み着くようになったと言われています。ラダックを統一した最初の王であるラチェン・パルギゴンは、シェイを王都に定めてラチェン王朝を興しました。16世紀頃、タシ・ナムギャル王のナムギャル王朝は、シェイからレーに遷都。17世紀、センゲ・ナムギャル王の治世には、ラダック王国は全盛期を迎えます。レー王宮やヘミス・ゴンパなどを次々と建立し、さらには周辺のザンスカール王国やグゲ王国を併合するなど、領土を拡大していきました。

 

レー王宮跡

1640頃、センゲ・ナムギャル王は9階建ての王宮をレーに建設。このレー王宮は、ラサのポタラ宮のモデルになったとも言われています。中にはお堂が一つあり、王族の祈りをささげる場としての役割を果たしていました。現在は廃墟となっておりますが一部博物館として開放されています。

 

17世紀後半、ラダック王国とダライ・ラマ5世治下のチベットとの間で戦争が勃発します。ラダック王国はかろうじてチベットとの講和を締結しましたが、代償として多くの領土を失い衰退していきました。

1846年、イギリスが介入した第一次シク戦争の結果、イギリス植民地のジャンムー・カシミール藩王国が成立し、ラダック王国は他のカシミール諸侯とともに藩王国の一部として併合されました(その後もラダックの王家は藩王国内の一諸侯として一定の自治権は保持したとされています)。

 

第二次世界大戦後の1947年、インド・パキスタンが分離独立すると、各藩王国はインドかパキスタン、どちらかに帰属を求められました。時のカシミールの藩王ハリ・シンは自身がヒンドゥー教でしたが、対して住民の80%はムスリム(イスラム教徒)であり、住民はパキスタンへの帰属を望んでいたことから、帰属先の決定が先延ばしにされていました。

そんななか、パキスタンの民兵がカシミールに侵入。焦ったハリ・シン王は慌ててインドに武力介入を要請し、第一次印パ戦争へと展開していきました。その後第二次、第三次印パ戦争へと続くことになります。

 

結局カシミールの紛争地域は、1947年の第一次印パ戦争後の1949年に制定された国連停戦ラインによって2つの部分に分割され、1972年にそのまま管理ライン(LoC:Line of Control)として再定義されました。インドの地図をみると、この管理(停戦)ラインが、点線で示されています。

 

緑部分がパキスタン側カシミール、オレンジかインド側カシミール。点線が、Line of control のライン。

2019年、ジャンムー・カシミール州再編成法の規定により、ジャンムー・カシミール州は廃止され、ラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領に分割されました。

 

なお、1947年からこのエリアは外国人の立ち入りが禁止されておりましたが、1974年、再び外国人の立ち入りが許可されるようになりました。軍事的理由により約30年もの間閉ざされていたため、レーを中心とするラダックエリアには、チベット本土では破壊され、失われてしまった本当のチベット仏教文化が残されています。中国のチベットよりも「チベットらしい」と言われる所以です。

 

 

シリーズ第2弾では、この地方の基本情報や、暮らしの様子などを紹介いたします!

ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

 

 

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