シュラバナベルゴラのジャイナ教寺院

巨大なゴマテシュワラ像

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、南インドの特別企画ツアーで訪れたジャイナ教寺院をご紹介します。
 
なじみのない方も多いと思いますが、ジャイナ教は仏教と同じ頃に生まれた、インド発祥の宗教のひとつです。

■ジャイナ教とは
インド発祥の宗教といえば仏教が思い浮かびますが、ジャイナ教も仏教と同時期頃に生まれたインド発祥の宗教です。紀元前6~5世紀に生まれ、開祖はマハーヴィーラ。仏教におけるブッダと同じ時代に生きた人だといわれています。
教えの特徴としては、徹底した苦行、禁欲、不殺生の実践を重んじることで知られます。5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)をもち、不所有の考えをベースに商業で成功した商人たちの寄進によって、見事な寺院がたくさん建てられているのも特徴です。
とくに、生きものを傷つけない「アーヒンサー」という戒律は重要視されていて、宗派によっては空気中の小さな生物も殺さないように、マスクのような白い小さな布で口を覆う人もいます。
ジャイナ教では、今私たちが存在している宇宙的時間軸において、24人の救済者(ティールタンカラ)が出現したと考えられています。そのうちの最後の一人が、開祖であるマハーヴィーラだとされています。
 

『カルパ・スートラ』より「マハーヴィーラの誕生」(一部分)、14世紀第4四半世紀

Mahavira マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)座像(15世紀)

 
インド南部、カルナータカ州の州都バンガロールに次ぐ大きな都市であるマイソールから約80km。車で約2時間走ると、シュラバナベルゴラ(シュラバナベラゴラ)Shravanabelagola の町に到着します。シュラバナベルゴラは大きな町ではありませんが、ジャイナ教の人々にとっては南インドにおける最大の聖地。町にはヴィンディヤギリ Vindhyagiri 、チャンドラギリ Chandragiri の2つの大きな岩山があります。
 

ヴィンディヤギリから望むチャンドラギリの丘

高い方のヴィンディヤギリの丘(約143m)の頂上には寺院があり、約18mの巨大なゴマテシュワラ像が立ちます。
 

Photo by Hasenläufer (original:Matthew Logelin) – This photo shows the lord bahubali statue from a different view.(2017) / CC BY 3.0

この頂上寺院では12年に一度、マスタカービシェーカ Mahamastakabhisheka というお祭が行われ、信者たちが像の上から神聖なギーやミルクを注ぐことで知られます(次回は2030年に開催予定)。
 

12年に1度、牛乳や香辛料などがゴマテーシュワラ像にかけられる様子
Photo by Matthew Logelin – Offerings poured over the Jain Lord Bahubali, the world’s largest monolithic statue.(2006) / CC BY 2.0

 

伝説によると、寺院の創建は紀元前3世紀までさかのぼります。当時この地域を治めていたのはマウリヤ朝のチャンドラグプタ王。その王が師と崇める、ジャイナ教の第6代教団長・聖典伝承者のバグワン・バドラワーフ Bhagwan Bhadrabahu とともに、この地にやってきたのがはじまりといわれています。

 

寺院へとつづく脇道を進むと、岩のふもとの周囲に小さな寺院がいくつかあり、門前町のようになっています。寺院入口には土産物売りの人に加え、寺院は靴を脱いで登るので靴下売りの人もいました。頂上にある寺院へ参拝するには、ここで靴を預けて裸足になり、645段の階段をひたすら登ります。

寺院の入口につづく脇道
裸足でひたすら登ります。けっこう傾斜があります!日影がないので暑い日は水分補給をお忘れなく。12月頭でも汗だくになりました

階段を登っていると、途中からデカン高原のパノラマが広がります。頂上からも見晴らしが良いため、地元の人の中ではバンガロールからの週末のお出かけスポットとしても人気があるそうです。私たちが訪れた日も土曜日で、学生の友達グループでにぎわっていました。

岩山の頂上は広場のようになっていて見晴らしもいいです。

頂上からの見晴らし。シュラバナベルゴラの町とデカン高原の緑が広がります

ここでゴール…かと思いきや、巨像がある本殿は、ここからさらに右奥につづく階段をのぼった先。もうひと踏ん張りして、本殿に到着しました。

さらに奥へと階段がつづきます

本殿の外観

本殿についたら、中を右繞(うにょう:時計回りで寺院内を参拝すること)しました。
中を進むと中庭のような広場があり、そこに「バーフバリ」ともよばれる巨大なゴマテシュワラ像が立っています。

巨大なゴマテシュワラ像

この像は、なんとひとつの大きな花崗岩からつくられているのだとか!10世紀に西ガンガ朝の大臣であったチャームンダラーヤの命を受けて建てられたことが、古いカンナダ語の碑文からわかっています。

 

寺院の入口に彫刻(上)と、内部に古い碑文(下)がありました

寺院内部に祀られているゴンマテーシュワラ像

巨像が作られた「バーフバリ」は、一番初めの救済者(ティールタンカラ)である「リシャパ」の子供と伝えられていて、本来の名前は「ゴンマテーシュワラ」といいます。ゴンマテーシュワラは兄弟間の闘いに勝利した経緯から、その異名としてバーフバリ(バーフ:前腕、バリ(バリン):力が強い=強い腕をもつもの)とも呼ばれます。
 
ゴンマテーシュワラが一年間ヨガの修行で微動だにしなかったことで、体に蔦が巻き付いて足元には蟻塚までできたという伝説があり、バーフバリの巨像はその姿を表現しています。
なぜ裸体の姿かというと、ジャイナ教の教えで物を所有することを拒む「無所有」が美徳とされる面があるため、衣類は身に着けず裸で瞑想を続けている様を表しています。

現在、ジャイナ教徒はインドの人口の約0.4%ほどしかいませんが、白衣派・裸で修行をする派閥とも多くの分派が派生しており、白衣派の人々はグジャラートやラジャスタンなどインドの西側、裸の派閥は南インドを中心に現代もつづいています。
 
シュラバナベルゴラは、インドでも有数の数多く石碑が集まる場所。ジャイナ教が始まって以来2500年以上の間、文化・芸術・建築などジャイナ教の人々に親しまれ、今なおその歴史がつづいています。
 

 

寺院内の柱や門に彫られた装飾もおもしろいです

 
■ひとくちメモ
ジャイナ教寺院の場合、5色の旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

 
Text & Photo: Kondo

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グジャラートの魅力【3】 テキスタイルの聖地 ブジ、バンニエリア

手工芸がお好きな方にもグジャラートはお勧めの場所です。

特に、西部のブジには様々な工房があり、今も技術が受け継がれています。

〈富の象徴として発展した手工芸〉

グジャラート州は南をアラビア海に接し、いにしえから西アジアとの交易の重要な拠点となってきました。藩王や貴族、そして貿易で富を蓄えた商人たちは、自分の権力を誇示するために多くの職人を雇い、金に糸目をつけずに豪華な手工芸品を作らせました。このようなパトロンたちの金銭的支援のもとで発達した手工芸のひとつが「モチ刺繍」です。 モチ刺繍とはシルクやサテンの生地にアリと呼ばれる鈎針と絹糸で細かなチェーンステッチを施すもので、イスラム美術から影響をうけた幾何学模様や花、果物などがデザインされています。

 

 

「ローガンペイント」と呼ばれるオイルペインティングもまた、パトロンの支援の元、発展した手書き更紗の一種です。赤、青、緑などに染めたヒマ油を手のひらの上で混ぜ、ガム状になったものを針の先端につけて、布の上に下書きなしで描いていきます。

 

 

モチーフは「生命の木」や「花」「ペイズリー」など。半分描いたあとで布を二つに折ることでイン クが移り、シンメトリーのデザインが完成します。この技術はシリアを起源とし、イラン、アフガニスタン、パキスタンをへてインドに伝わったと言われています。

 

 

1947年にインドが英国から独立し、藩王制が解体されると、パトロンたちは財力を失い、多くのモチ刺繍やローガンペイントの職人たちも職を失いました。ローガンペイトはとても手間がかかること、高度な技術を要すること、またもともと高級品ではなく、最近では安い刺繍糸も手に入りやすいことから、後継者も少なく、現在、数家族の みがこの技術を後世に伝えています。

 

バンニエリアと呼ばれる地域には小さな工房が複数あります。

のんびりと村散策をしながら工房巡りをしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

ベル工房は成型から焼いて、音の調整をして完成するまで30分程で見学できます。

 

 

木工細工は、固めた色粉を木材にあて、木材を回転させることで熱を発生させ、色粉をとかし、塗り付けていきます。その後、木片を当ててなめらかにし、オイルを塗り、違う色を乗せていく作業を繰り返します。同じ工程で木製のボタンを作っている方もいますよ。

 

次回はアジュラク、絞り染めなどの手工芸をご紹介します。

 

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栄華を誇った古都 マイソール 

インドと一言で言っても、北と南では文化が全く異なります。

本日はカルナータカ州にあるマイソール宮殿をご紹介します。

 

 

■マイソールとは・・・

マイソールはカルナータカ州2番目の規模をもつ都市です。14世紀から20世紀にかけてこの地方にて繁栄したマイソール王国の首都でした。1956年に州として成立するまでは、インド一の裕福なマハラジャのいる州として、栄華を誇りました。

 

■豪華賢覧 マイソール宮殿

藩王時代の宮殿で、インド一の大きさ、豪華さで知られています。元は木造でしたが、1897年の火事にて全焼、その後15年かけて再建され1912年に完成しました。著名なイギリス人建築家・ヘンリーアーウィンによって設計され、インド・サラセン様式の代表的な建築物として、現在は博物館として公開されています。

 

入り口のセキュリティもしっかり。

入ったら靴を預けましょう。

 

セキュリティ通過後、ぐるっと90度回ると東側の入り口に到着。

ここが、宮殿を正面に見ることが出来るスポットです。

パレス内部には、イタリアからのタイル、イギリスからのステンドグラス、など各国からの輸入品で豪華に装飾されており、なかでもローズウッドのドアに象嵌が施されたドアは、一見の価値有です。

 

※豪華な天井ですが、鳩対策のネットがしてあります。

 

内部にはヒンドゥー教の寺院もあります。

 

約600年続いたマイソール王国は、その多くをウォディヤール家が治めていますが、中でも、王国を大いに繁栄させ、最後までイギリスとの抗戦を貫いた、ハイダル・アリーとその息子ティプー・スルタンが有名です。ハイダル・アリーは軍を西洋式にするなどの近代化、行政機構の中央集権化、マイソール王国の領土の拡大等を進めました。ティプー・スルタンも彼の父同様「マイソールの虎」といわれるほど非常に優秀で、土地制度や司法制度、幣制の改革を行い、マイソール王国の国力の向上を目指しました。親子は徹底的にイギリスに対し戦いましたが、結局は敗れてしまい、マイソールはイギリスに制圧されてしまいます。

 

近代になり、マイソールはカルナータカ州のなかの一都市となりますが、ハイダル・アリー等優秀な藩王が多かったため行政機構等整っており、その後の工業化は順調に進みました。現在ではバンガロールとマイソールの2都市を中心として、南インド最大の工業地帯を形成しています。

 

 

マイソール市内はパレスの他にも、公共機関の建物等はインド・サラセン様式のものが多く、また街自体も非常に整備され綺麗です。酷暑期でも、標高が700m程あるので少し快適に過ごせます。

無料の音声ガイドは日本語にも対応していますので、入り口でレンタルしてゆっくりと見学するのもお勧めです。

毎週日曜の夜にはライトアップも行われていますので、マイソールで1泊して是非訪れてみてください。

 

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力② ダラムサラ

ヒマーチャル・プラデーシュ州をご紹介する上で、忘れてはいけない場所ダラムサラ。

1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立して以来チベット仏教文化の拠点となっており、「リトル・ラサ」とも呼ばれています。標高約1,800mの涼しい丘陵地帯にあるため、イギリス統治時代にはイギリス人たちの軍駐屯地及び避暑地となっていました。1905年の壊滅的な大地震で多くのイギリス人が麓の谷に移らざるを得なくなり、1947年にインドがイギリスから独立して以降、イギリス人たちはこの地から完全にいなくなっていきました。

 

チベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされており、異国での亡命生活を今なお強いられているチベット人たちの現在を垣間見ることができます。

 

■ナムギャル僧院(ツクラカン堂、カーラチャクラ堂)

ナムギャル僧院は、ダライ・ラマ公邸の正面に位置し、ツクラカン堂とカーラチャクラ堂からなるゲルク派の総本山です。時折、庭で僧たちが足を踏み鳴らし大げさに手をたたく身振りで教義問答する光景が見られます。 ツクラカン堂は、ラサのジョカンに相当するダラムサラでは最も重要な寺院で、マニ車が囲む堂内には、釈迦牟尼仏、観世音菩薩、パドマサンバヴァの3体の格調高い仏像が祀られています。また、ツクラカン堂の隣にある1992年建立のカーラチャクラ堂には、目の覚めるほど美しいカーラチャクラ(時輪)曼荼羅の壁画が収められています。

■チベット子供村

1960年にダライ・ラマ法王の姉によって建てられたこの施設では、チベット難民やチベット難民2世、3世が寄宿して教育を受けています。チベットの農村部では、3年間の初等教育以上を受けられる学校はほとんどなく、都市部でも中国語教育を嫌った親たちが、チベット語による伝統的なチベットの歴史や文化を尊重する教育を受けさせるために、子供たちをインドへ送るケースが増えてきているそう。

ここで学ぶ子供たちのほとんどの親はチベット本土に住んでおり、いつ再会できるか分かりません。そのような状況下にありながら、無邪気に学び、元気に遊びまわる子供たちを見ていると、逆に私たちの方が勇気付けられます。訪問の際は、事前に連絡をし、事務所で許可をもらいましょう。

■ノルブリンカ芸術文化研究所

ラサにあるダライラマ法王の夏の離宮「ノルブリンカ」から名前がつけられたこの研究所では、チベット仏教の精神的・文化的遺産、伝統芸術・技術を保存し発展させるための取り組みが行われています。チベット人が異国の地で経済的に自活することも目指しており、タンカ絵師や仏像の彫師を養成するコース、裁縫・刺繍の職業訓練の教室なども設けられています。

受付で許可をもらえば、案内人と一緒に中を見学することが出来ます。同じ敷地内には、チベット各地の民族を紹介する小さな人形博物館や、この施設で作成された質の高い手工芸品などを購入できるお店の他、ゲストハウスやカフェもあります。

 

町の中心マクロード・ガンジを歩くとチベット料理のレストランが並び、えんじ色の袈裟をまとった僧侶を見かけます。

雨の降ることの多いダラムサラ。

「リトル・ラサ」の呼び名の通り、インドにいながら海外気分を味わえる不思議な町です。

 

 

 

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天空のチベット ラダック第7弾: 紺碧の湖パンゴン・ツォとヌブラ谷

ジュレー! 西遊インディアです。
前回は、下ラダックの見どころを紹介いたしました。
ラダック第6弾:下ラダックの観光

 

今回は、レーから少し足を延ばし、ラダック郊外にある2箇所の外せない見どころについてご紹介いたします!

 

■パンゴン・ツォ(Pangong Tso)

ラダックの東部からチベットにかけて横たわる、全長約130kmに及ぶ細長い湖がパンゴン・ツォ(湖)です。ラダック語で「パン」は「草」、「ゴン」は「塊」を意味します。標高4300mに位置し、1962年以前は全てインド領でしたが、現在は25%がインド領、75%が中国領になっています。インド側では塩湖と言われ、中国側は淡水です。冬はすべて凍り、軍隊のジープなどが湖の上を走ることができるのだそうです。湖に魚はいませんが、小さな虫や貝類が生息しています。

かつては、越冬地としてたくさんの鳥が来ていましたが、ここ数年の観光客増加により、環境が変化した為に鳥の数は激減してしまったそうです。

この美しい景色は、2009年公開のインド映画「きっとうまくいく(3idiots)」を始めとする、インド映画やミュージックビデオのロケ地としても有名です。

 

パンゴンツォは、その日の天候や時期によって少しずつ湖の色合いや見え方が変わります。雲や風のある・なしでも結構雰囲気が変わりますので、朝から晩まで湖を眺めていたい気持ちになります。

ちなみに湖の周辺には簡易宿泊施設もあり、パンゴンツォで1泊することも可能です!

 

パンゴン・ツォ付近には、人懐こいヒマラヤン・マーモットがいるエリアがあります。観光客が増え、食べ物を与えるため餌付けされ、その丸々と太った体と少し間の抜けたようなその顔が愛らしく人気です。

 

ヒマラヤン・マーモット
巣穴からちょうどこんにちは…

なお、パンゴン・ツォへの訪問には、入域許可書の事前取得が必要ですので、詳しくはお問い合わせください。

 

 

■ヌブラ渓谷(Nubla Vallery)

ラダックの北部、ヌブラ川とその支流に流域に広がる渓谷地帯がヌブラ渓谷。標高は3500mほどで、レーとほぼ同じです。川に挟まれて水が豊かなために緑に恵まれ、その名「ヌブラ」も「緑の園」を意味します。

レーからの陸路移動は片道4ー5時間程かかります。途中5000m級の峠カルドゥン・ラを越える必要があり、峠でのダイナミックな景色も魅力です。この峠は自動車道世界最高地点の標高で、正確な標高については諸説あり、5,359mという説が有力だとか。

 

カルドゥン・ラ
ヌブラ渓谷
バクトリアンキャメル

なんとヌブラ谷にはバクトリアンキャメル(フタコブラクダ)がいます。観光用に飼育されているラクダで、ラクダに乗って砂丘サファリができます(ちなみにラクダは、野生のものは今は中国とモンゴルにいるだけだそうです)。

 

 

デスキット僧院

ヌブラ谷の中心地・デスキット村の南東にある岩山の上に建つ大僧院です。ゲルク派の高僧チャンセム・シェラブ・サンボによって15世紀ごろに建立。ドゥカン(勤行堂)は比較的新しく、本尊は釈迦牟尼です。ゴンカン(護法堂)には恐ろしいほどの迫力ある守護尊・護法神の像がずらりと並び、見ごたえありです。また、僧院のとなりの丘の上には2010年に完成したという巨大なチャンバ(弥勒菩薩)像があります。

 

デスキット僧院遠望
腰掛けスタイルのチャンバ(弥勒菩薩)像

これまでラダックエリアの見どころを紹介してきましたが、まだまだラダックには見るべきものがたくさんあります! 荒涼たる茶褐色の大地、要塞を思わせる岩山に築かれた寺院、そしてラダックの人々も穏やかでフレンドリー。いつでも暖かく迎えてくれます。ラダックへのご旅行を何度もリピートする方が多いのも納得です。

 

 

次回は、ラダックエリアを訪問するにあたっての知っておくと役に立つ仏教用語や、お土産等ご紹介します。

 

 

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天空のチベット ラダック第6弾:下ラダックの観光

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックエリアの見どころ、続いて下ラダック側を紹介いたします!
前回: ラダック第5弾:上ラダックの観光

 

■下ラダック(シャム)

アルチ僧院やラマユル僧院など、ラダックエリアでは見逃せない僧院が点在しています。また、上ラダックよりも標高が低いため、農作に適しており、夏は緑、秋には黄金色の畑を見ることができます。上ラダック側より標高が低いので、高度順応も兼ねてラダック観光の序盤で訪問するのにおすすめです。

 

 

▮アルチ僧院(Alchi  Gompa)

アルチ僧院は小さな集落であるアルチ村に建つ僧院で、仏教美術の宝庫ともいわれています(アルチ僧院はこちらでもご紹介しました>>ラダック第3弾)。

10世紀末にリンチェン・サンポによって建てられたと伝えられるこの僧院には、現在「僧院」としての機能はほとんどありませんが、内部には、創建当時の壁画が残り、その内容はラダック随一です。

 

アルチ僧院
アルチ僧院 三層堂入り口
三層堂のポーチ部分

11 世紀半ばに建てられたという三層堂(スムツェク)は、名前のとおり三階建てで上層になるにつれ面積が小さくなる先細りの建築物です。独特の様式を模したファザード(建物の正面部分)は、柱は溝彫り式でうずまき模様が施されており、ギリシャ風の建造物を思わせる建築。また三角形の枠組みの中にそれぞれに尊格の木像が施されており、これらはどれもカシミール様式の特徴を表したものとなっています。

 

アルチ僧院仏塔内部 描かれているのは「飛天」

前述のとおり、カシミールや中央アジア美術の系統をひいてるチベット仏教美術における「リンチェン・サンポ様式」は、壁画の着色に「青(群青)」を多用していることが特徴として挙げられます。三層堂の壁面には所狭しと「青を基調とした千体仏」が描かれていますし、また仏塔内部には、チベット仏教寺院としては非常に珍しく、「飛天」や「白鳥」が装飾として描かれています。まさにカシミール様式の代表的な僧院であり、「インド・チベット仏教の至宝」と呼ぶに相応しいものです。

アルチ僧院は、ぜひとも訪問時間をゆっくりとって、訪問ください。

 

 

▮ラマユル僧院(Lamayuru Gompa)

「月世界」と呼ばれる独特の地形を通り過ぎつつ走ると、岩山の中腹に建つラマユル僧院が見えてきます。「ユンドゥン・タルパリン」という名前を持つ、カルギル地区のディグン・カギュ派の総本山の僧院です。

 

ラマユル僧院とラマユル村、奥に月世界

11世紀にこの地でカギュ派の開祖マルパの師匠である、ナローパがこの場所で瞑想したのがはじまりと言われ、現在でも200名の僧侶がこの僧院で修行を行っています。毎年チベット暦の5 月には「ユンドゥン・カブギェ」というお祭りが催されており、周辺の村々から多くの人が訪れます。

 

ナローパが瞑想した石窟。現在はティローパ、ナローパ、ミラレパ像が安置されています。

注目ポイントは、ドゥカン(勤行堂)内部にある「ナローパの瞑想石窟」。ドゥカンの片隅にある石窟内は、チベット仏教の宗派の1つであるカギュ派の創始者ナローパが瞑想を行ったと言われており、洞内にはナローパと、彼の師であるティローパ、彼の孫弟子であるミラレパの像が祀られています。

 

現存するラマユルのお堂の中で最古の建物であるのが、センゲカン(獅子堂)です。センゲカンは11 世紀、リンチェンサンポが創建したといわれています。
内部にはナンパ・ナンツァ(大日如来)像を中心とした金剛界五仏の塑像が残っています。インドで大乗仏教が発展していくにつれ「聖なる存在の仏」としての要素が強まってきた「五仏」。この五仏の塑像とそれを取り巻く装飾は、アルチと並ぶ秀作と言われています。

 

ラマユル僧院の大日如来

中央に大日如来、その周りを、阿閦如来(あしゅく)、宝生如来(ほうしょう)、阿弥陀如来(あみだ)、不空成就如来(ふくうじょうじゅ)の四仏が取り囲んでいます。

 

センゲカンには、他にも護法尊のマハカーラ(大黒天)や、ユニークな骸骨の壁画「チティパティ(屍陀林王)」などが描かれています。「チティパティ」とは墓場の主という意味であり、チベットの伝説によればもともとは苦行僧であったとされています。あるとき深い瞑想に入りましたが、その深さときたら、その隙を狙って泥棒が彼らの頭をはね、泥の中に身体を捨てたことに気づかないくらいだったとか。その時以来、彼ら(夫婦で描かれていることが多い)は泥棒の宿敵になり永遠の復讐を誓ったと言われています。

 

チティパティ。なんとなく可愛らしい見た目

 

▮月の谷 

ラマユル僧院の麓に広がるのが「月の谷」と呼ばれるポイント。この場所には、次のような伝説が残されています‥‥「数万年前、この地には大きな湖がありました。紀元前15 世紀頃、聖者ニマグンがこの湖に住む龍神(ル)の供養を行うため湖上に麦の種を撒いたところ、その種が「卍(ユンドゥン)」の形を示し、その事がラマユルの古名「ユンドゥン」の由来となりました」 ‥‥現代になり、地質調査を行ったところ、この地は本当に湖が存在していることが判っており、月の世界を思わせるこれらの地層は湖の底に積もった堆積物による地層であることも判明しています。

 

月面のような地層 なかなかの迫力です!
「月の谷」遠景。ここだけがこのような地層というのがすごい

 

▮ニダプク石窟(Nyidaphunk)

サスポールという村のメインの車道から砂利道を15分ほど登った先にあるニダプク石窟は、15~16世紀に開かれたとされています。「ニダ=太陽と月」、「プク=お堂」つまり「太陽と月のお堂(日月堂)」という意味です。朝から晩まで外の太陽と月を眺めて修行したことから名付けられました。かつては修行地として栄え、岩山の中腹に彫られた100以上の洞窟の中で修行や瞑想をしていたとされています。

 

ニダプク石窟までの道のり。 やや急な道を上ります

いくつかの洞窟のなかには、現在も壁一面に描かれた壁画が残っています。ですが、洞窟までの足場が危険な個所が多く、現在見学できるもので壁画が綺麗に残るのは一か所のみです。

 

ニダプク洞内部の壁画

 

当時、僧は石窟内で瞑想だけを行っていたのではなく、修行の一環として仏画を描いていたといわれています。石窟の内部は所狭しと仏画が描かれており、一切の余白がなく見ごたえがあります。壁画はポストリンチェンサンポ様式のもので、赤色を多用しています。

 

 

▮リキール僧院(Likir Gompa)

ゲルグ派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有している僧院です。11世紀頃の創建と伝えられていますが、詳細は不明とされています。現在見ることのできる建物は、火災による焼失後の18世紀に再建された建物です。僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っており、その姿は遠くからでも望むことが出来ます。

チベット歴の12月末、この僧院でリキール・グストルというお祭りが開かれます。その際にご開帳されるツォンカパのトンドルは全ラダックで最大の大きさです。

 

リキール僧院を遠望
お堂は全て再建されたもので、内部の壁画も新しいです
金色の弥勒菩薩像

僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っています。衆生をすぐに救いに立ち上がれるよう、腰かけスタイルです。

 

 

次回は、郊外の見どころであるパンゴン・ツォとヌブラ谷を紹介します!

 

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天空のチベット ラダック第5弾:上ラダックの観光とレー

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックは、大きく2つの地域に分けられ、インダス川上流は上ラダック(トゥ)、下流地域は下ラダック(シャム)と呼ばれます。まずは、上ラダックで必見の僧院などをご紹介いたします!

 

■上ラダック(トゥ)

かつての王都シェイや、王族の末裔が暮らしたストクの他、ラダックを代表する僧院が多く集まる地域です。レーからの距離が近いことから、日帰り観光ができることが魅力。

 

 

▮レー(Leh)

標高約3650mに位置するラダックの中心地です。1640年頃、センゲ・ナムギャル王がレーチェン・パルカル(レー・パレス/旧王宮)を建てると、レーは一層王都らしくなり、政治・交易の中心として栄えました。チベット文化圏に属するため大部分がチベット民族であるため、「インドのチベット」とも呼ばれます。パキスタン・中国という2国に隣接している特殊な場所柄、軍事的理由により長い間閉ざされた場所でした。外国人に開放されたのは1974年のことで、現在は訪れる観光客も増え、中心地にはゲストハウスや商店が立ち並んでいます。

 

レーの街 中心部のストリート
見上げるとレーの街から王宮跡などが見えます

 

▮シェイ王宮跡(Shey)

10世紀、ラダック初代の王であるラチェン・パルキゴンと次の王様によりシェイがラダックの都とされてから15世紀まではこの場所にラダック王国の都が置かれていました。シェイとは「水晶」の意味で、王宮や僧院から周りを見渡すと、周囲の山々を覆う万年雪がまるで水晶のように光輝いて見えたのが名前の由来となっています。

九層(9階建て)だったシェイ王宮跡ですが、現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられた僧院で、王国が滅びる時は住人は誰もおらず、廃墟のようだったそうです。

 

 

シェイ王宮跡

 

▮ナムギャル・ツェモ(Namgyal Tsemo)

レー王宮のさらに上にある小さな僧院です。レーの街を見渡すことが出来る岩山の上に建っています。小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められています。元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられましたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至ります。ここから眺める夕日は一日の最後を飾るにふさわしい美しさ。晴れていればヒマラヤの奥に沈み行く太陽がレーの街を赤く染め上げていく様子を眺めることができます。

 

ナムギャル・ツェモ

 

▮シャンティ・ストゥーパ(Shanti Stupa)

レー郊外の丘の上にあるストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパです。 階段を息きらせながら登っていくと、そのストゥーパからは荒涼とした大地の中に広がるレーの街を一望することが出来ます。

 

シャンティ・ストゥーパ

 

▮シャンカール僧院(Sankar Gompa)

20世紀初頭、バクラ・リンポチェ20世によって創建されたゲルク派の僧院です。バクラ・リンポチェとは、ダライ・ラマ13世により認定された、仏陀の16人の阿羅漢の1人であるバクラの転生です。ラダックの指導者でもあります。2004年に死去されていますが、現在は21世が新たに認定されています。

 

ドゥカル(白傘蓋仏母)像

本堂には、ドゥルカルと呼ばれる白傘蓋仏母像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから魔性を遮る意味となりました。「災いから守ってくれるとても強い女神」です。顔・手・足がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。この白傘蓋仏母は、シャンカール僧院とレー王宮、ザンスカールのランドゥン僧院でしか見られないそうです。

 

 

▮ティクセ僧院(Thikse Gompa)

ラダックで最も有名な僧院の一つです。15世紀にゲルク派の開祖ツォンカパの命により建てられた僧院で、創建当時の壁画が残されています。岩山の中腹を僧房が埋め尽くし、頂上には本堂がそびえています。「ポタラ宮を見た高僧が感銘受けて、紙がなかったのでカブにスケッチをしてラダックに持ち帰り、ティクセ僧院を建立した。しかし、カブが乾燥して小さくなってしまっていたので実際のティクセ僧院もポタラ宮によく似ているがポタラ宮のミニチュア版になってしまった」という逸話があります。

 

ティクセ僧院 全景

ここでの見どころといえば、入口からすぐのお堂で静かな笑みを浮かべる高さ15mの弥勒菩薩像です。弥勒菩薩は、56億7千万年後の世界に現れ、多くの人々を救済すると言われている未来仏です。弥勒菩薩は大きければ大きい程早く降臨するのだとか。この弥勒菩薩像はラダックでも最大のもので、金剛界五仏の冠を被っています。

 

弥勒菩薩像

 

▮へミス僧院(Hemis Gompa)

レーからインダス川沿いの道を東へ走り、車で約1時間半の場所に位置する、ラダック最大かつ最も有名な僧院です。ドゥクバ・カギュ派の僧院で、17世紀にラダックを治めていたナムギャル王朝のセンゲ・ナムギャル王が、ラダックを訪れていたチベットの高僧タクツァン・レーパのために創建しました。

へミス僧院は、王家の庇護の元栄えることとなり、僧院には多くの僧が集まったため、へミス僧院にはドゥカン(僧の集会所)が2つ並んでいます。現在へミス僧院の僧は60~70人ということでしたが、かつては1000人もの僧がいたそうです。

 

へミス僧院。珍しく、集会堂が2つ並ぶ構造です
集会堂内部(へミス僧院)
パドマサンバヴァ像(へミス僧院)

僧院が最も賑わうのは毎年夏に行なわれるヘミス・ツェチュ(祭)の時です。お祭りではチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の偉業を伝えるチャム(仮面舞踊)が披露されます。全チベット文化圏からの巡礼者、各国からの観光客で中庭が埋め尽くされます。祭りが一番盛り上がるのは最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳のとき。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。12年に一度、申年には通常とは異なる特別なトンドルがご開帳されます。

 

広い中庭でお祭りは行われます
お祭りではチャム(仮面舞踊)が披露されます

 

▮チェムレ僧院(Chemrey Gompa)

へミス僧院の分院であるチェムレ僧院。この寺院はチベット僧タクツァン・レーパがセンゲ・ナムギャル王が亡くなってから王の菩提を弔うために建てた寺院です。荒涼とした山々を背景にそびえる雄大な姿で、山と僧院が一体化しているように見えます。頂上にドゥカン(僧の集会所)があり、その下に建ち並ぶのは僧の暮らす僧坊です。

 

チェムレ僧院 遠望
タクツァン・レーパ(チェムレ僧院)

 

チベット僧タクツァン・レーパは「チベット仏教を西に伝道する」という使命を受けて、ラダックを訪れていました。彼はセンゲ王に適切な助言を与え、王の信頼を得ます。そして、王家の導師として敬われました。現在のアフガニスタンにまで布教に行ったため、イスラム風のターバンを被っています。

 

 

次回は、下ラダックの観光について紹介いたします。

 

 

 

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天空のチベット ラダック第1弾:ラダック地方の歴史

ナマステ!
西遊インディアです。

 

はためく五色の旗(タルチョ)を見ると、違う文化圏に来たという実感がよりわきます

インド北西部、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた、標高約3500メートルの地に広がるラダック地方。「峠を越えて」という意味のラダック(Ladakh)が使われるようになったのは17世紀頃からで、それまでは「低地の国」という意味のマルユル(Maryul)という名で呼ばれていました。荒涼とした山々に囲まれ、広大な大地に青い空、恵みをもたらすインダス川…。インドのイメージを覆す絶景デスティネーションとして、大変人気です。

 

色濃くチベット文化を残し、「小チベット」とも呼ばれるラダックについて紹介するシリーズ、第一弾です。

 

■基本情報

ラダック連邦直轄領
中心都市:レー (標高約3650m)

人口:約24万人
主な宗教 : 主に仏教 その他にイスラム教、ヒンドゥー教、シーク教など
主な言語 : ラダック語、ヒンディー語、ザンスカール語、バルティ語、ウルドゥー語など

(※英語もある程度通じる)

アクセス:首都デリーからレーまで、国内線が運航されております。所要約1時間。その他にも、夏の間はマナリやシュリーナガルから陸路移動も可能です。

 

ラダック・ザンスカール地方の地図
国内線移でデリーからレーへ
フライトは、ヒマラヤ山脈が見下ろせる迫力の山岳フライトです

 

■ラダック地方の歴史

8世紀頃、チベットの吐蕃王国がラダックを占領し、チベット系の民族がラダックに流入して住み着くようになったと言われています。ラダックを統一した最初の王であるラチェン・パルギゴンは、シェイを王都に定めてラチェン王朝を興しました。16世紀頃、タシ・ナムギャル王のナムギャル王朝は、シェイからレーに遷都。17世紀、センゲ・ナムギャル王の治世には、ラダック王国は全盛期を迎えます。レー王宮やヘミス・ゴンパなどを次々と建立し、さらには周辺のザンスカール王国やグゲ王国を併合するなど、領土を拡大していきました。

 

レー王宮跡

1640頃、センゲ・ナムギャル王は9階建ての王宮をレーに建設。このレー王宮は、ラサのポタラ宮のモデルになったとも言われています。中にはお堂が一つあり、王族の祈りをささげる場としての役割を果たしていました。現在は廃墟となっておりますが一部博物館として開放されています。

 

17世紀後半、ラダック王国とダライ・ラマ5世治下のチベットとの間で戦争が勃発します。ラダック王国はかろうじてチベットとの講和を締結しましたが、代償として多くの領土を失い衰退していきました。

1846年、イギリスが介入した第一次シク戦争の結果、イギリス植民地のジャンムー・カシミール藩王国が成立し、ラダック王国は他のカシミール諸侯とともに藩王国の一部として併合されました(その後もラダックの王家は藩王国内の一諸侯として一定の自治権は保持したとされています)。

 

第二次世界大戦後の1947年、インド・パキスタンが分離独立すると、各藩王国はインドかパキスタン、どちらかに帰属を求められました。時のカシミールの藩王ハリ・シンは自身がヒンドゥー教でしたが、対して住民の80%はムスリム(イスラム教徒)であり、住民はパキスタンへの帰属を望んでいたことから、帰属先の決定が先延ばしにされていました。

そんななか、パキスタンの民兵がカシミールに侵入。焦ったハリ・シン王は慌ててインドに武力介入を要請し、第一次印パ戦争へと展開していきました。その後第二次、第三次印パ戦争へと続くことになります。

 

結局カシミールの紛争地域は、1947年の第一次印パ戦争後の1949年に制定された国連停戦ラインによって2つの部分に分割され、1972年にそのまま管理ライン(LoC:Line of Control)として再定義されました。インドの地図をみると、この管理(停戦)ラインが、点線で示されています。

 

緑部分がパキスタン側カシミール、オレンジかインド側カシミール。点線が、Line of control のライン。

2019年、ジャンムー・カシミール州再編成法の規定により、ジャンムー・カシミール州は廃止され、ラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領に分割されました。

 

なお、1947年からこのエリアは外国人の立ち入りが禁止されておりましたが、1974年、再び外国人の立ち入りが許可されるようになりました。軍事的理由により約30年もの間閉ざされていたため、レーを中心とするラダックエリアには、チベット本土では破壊され、失われてしまった本当のチベット仏教文化が残されています。中国のチベットよりも「チベットらしい」と言われる所以です。

 

 

シリーズ第2弾では、この地方の基本情報や、暮らしの様子などを紹介いたします!

ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

 

 

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ウダイプル② 市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

西遊インディアです。
引き続き、ウダイプルを紹介する記事・第二弾です。

前回:ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

 

ウダイプル市内の見どころは集中しており、かなり効率的に巡ることができます。今回はウダイプル市内の代表的な訪問地と、郊外に建つインド建築最高峰ともいわれるジャイナ教寺院について、ご紹介いたします。

 

▮シティパレス(City Palace)

街の創設者である、マハーラーナー・ウダイ・シン2世によって建設が始められた、ピチョラ―湖の湖畔に建つ白亜の宮殿です。増改築が繰り返され、今の姿になるまでに約400年かかったといわれています。パレスの本殿は博物館となって一般公開されておりますが、南側は、今も王族の居住区となっています(また、一部はホテルとして改装されております)。

 

シティパレス外観。あまりに壮大でカメラに収まりません
シティパレス内の美しいステンドグラスのお部屋

内部にはマハーラーナーがかつて使用していた輿やゆりかご、武器や全世界から集められた装飾品など、たくさんの宝物が展示されています。当時、マハーラーナーの体重と同じ重さの金が民衆に与えられていたという逸話からも、藩として非常に豊かであり、豪華な暮らしぶりであったことが想像できます。

テラスからは湖と街の美しい眺めを見晴らすことができます。非常に気持ちの良い場所ですので、お天気が良ければぜひ行ってください。

 

旧市街が広く見渡せます

 

▮ロークカラマンダル博物館 (Bhartiya Lok Kala Museum)

ラージャスターンの伝統芸能の1つ、操り人形劇の博物館です。ラージャスターンだけでなくインド全土の人形・化面・楽器などが集められた素朴な展示物を見学したあとは、実際に人形劇のショーを楽しむことができます。 ショーの最後には人形の動かし方を種明かししてくれることも。この人形劇は、お祭りや人通りの多い街角などラージャスターン各地で見られます。

 

 

▮サヘリーヨーン・キ・バーリー  侍女たちの庭園(Sahelyon Ki Bari)

緑が眩しいたくさんの樹々と、色とりどりの花が植えられた、噴水のある公園です。1710年に時の王様・マハーラーナ―・サングラーム・シンが侍女たちのために建てました。こちらも、噴水の建築にあたり高度な水利システムが用いられております。緑と水が大変豊かなこの公園には、今も昔も癒しと涼を求めてたくさんの人が集まっています。

 

ブーゲンビリアと噴水の広場。天気もよく、ピクニックに来ている地元のファミリーの方でいっぱいでした
大理石製の象のモニュメント
ウダイプルの伝統的な衣装を着た女性(お土産物屋の店員さんですが…)

 

▮ジャグディーシュ寺院(Jagdish Temple)

1651年創建のウダイプル最大のヒンドゥー寺院です。ヴィシュヌ神を祀る寺院で、本堂の前にはヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ像が置かれております。他、お堂の周りには、四方それぞれガネーシャ、スーリヤ(太陽神)、シャクティ(シヴァの神妃)、シヴァが祀られています。寺院の外壁は細かな彫刻がびっしりと施されており、とても見ごたえのある装飾です。

 

ジャグディーシュ寺院 正門
本堂
彫刻がびっしりと施された本堂の外壁

 

▮ラナクプルのアーディナータ寺院 (Adinatha temple at Ranakpur)
ウダイプル市内から北西90㎞程行った場所にラナクプルという村があり、その村からさらに奥へと進んだ場所に建つ巨大なジャイナ教の寺院が、アーディナータ寺院です。アーディナータというジャイナ教の一番目の預言者を祀っています。15世紀創建です。

 

ジャグディーシュ寺院外観 こちらも壮大過ぎてカメラに収まらない
ジャイナ教寺院の場合、細長い旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

寺院内部はほとんどが白大理石でできています。固い大理石への彫刻は至難の業ですが、一度施した彫刻はその後一切朽ち果てることはありません。寺院内には緻密で美しい彫刻が至る所に施されています。

 

見事な大理石の装飾

また内部には444 本の見事な装飾の柱が並んでおり、一本として同じ装飾の柱はなく、全て異なる彫刻が施されています。

(インドの建築について多数の著書がある神谷武夫氏は、「ジャイナ教の建築」という本のなかで、このアーディナータ寺院を「インド建築の最高傑作だ!」と述べています)。

 

全ての柱にびっしりと彫刻が!

天井

仏教と同時代に成立したというジャイナ教ですが、5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)を持ち、不所有の考えから、商業で大成功している商人たちの寄進によって見事な寺院がたくさん建てられています。

 

こんな小さな村のさらに奥にこのような立派な建造物があるとは…驚きです。アーディナータ寺院は、アクセスは非常に悪い場所にありますが、訪問にはちょっとした秘境感も味わえます。見ごたえ十分、必見の建造物です!

 

巡礼に来ていたジャイナ教徒のおじいちゃん

その他、郊外にはチットールガル城という、2013年に「ラージャスターンの丘陵城塞群」の一つとして世界遺産に登録された城塞も残っています。

 

次回は、このチットールガル城についてご紹介します。

ウダイプル③ かつての難攻不落の城・世界遺産チットールガルフォートへ!

 

Text :Hashimoto

 

 

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ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

ナマステ!!西遊インディアの橋本です。
今回は、ラージャスターン州の街・ウダイプルをご紹介します。

 

青く美しいピチョラー湖と周囲の乾いた山々、湖に浮かぶ豪華な宮殿。他のラージャスターン州の街とはちょっと異なる雰囲気のウダイプル。最後までムガル帝国に対して独立を守り通した誇り高き古都でもあります。

 

ウダイプルは市内の観光に加え、郊外にもかなり見ごたえのある城塞跡等あり、1泊2日でかなり楽しめます。
また、インド有数のホテルである「レイクパレス」があり、こちらのホテルでの宿泊を目的に訪れる方も少なくありません。

 

夕刻のレイクパレス (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプルは、ラージャスターン州の南側に位置しています。デリーから飛行機で約1時間30分のフライト、その後空港から車で約30分でウダイプル市内に到着します。街の中心にはピチョラー湖が広がり、その周辺には王宮・シティパレスや、寺院、ホテル等白い建物が並びその景観の美しさから「ホワイト・シティ」と称されています(雰囲気が似ていることから「東洋のヴェネチア」とも言われています)。

 

街の中心にあるピチョラ―湖は、16世紀に造られた人造湖です。ムガル帝国の攻撃を受けてチットールガルを追われたウダイ・シン2世が、現在のウダイプルの地に移住。ウダイ・シン2世の名から「ウダイプル」と名付け街を築き、水の確保のために川をせき止め湖を造りました。非常に高性能な水利システムがとられており、ピチョラ―湖の横にファテ・サーガル湖もつなげて築くことで、隣の湖と相互に水量を調節できるようになっています。

 

ピチョラ―湖遠景。湖の周りほとんどは山に囲まれおり落ち着いた雰囲気
シティ・パレス
ピチョラ―湖・湖畔に並ぶ建物は白色で統一されています

 

▮レイクパレスに宿泊
ウダイプルは、ピチョラ―湖に浮かぶ白亜の宮殿です。もともとは、1746年にマハーラーナの離宮として建てられました。その後1963年にウダイプル初の高級ホテルとして改装されました。1983年に公開された「007 オクトパシー」の舞台にもなった有名な宮殿ホテルです。

 

真っ白!なレイクパレス

レイクパレス行のボート乗り場は、湖畔のシティパレスの近くにありますが、ここからボートに乗ることができるのはホテル宿泊者のみ! 赤い絨毯が敷かれた発着所でボートを待つ間、特別感を味わえるとともに期待が高まります!

 

赤い絨毯の敷かれた船着き場

宿泊者専用のボートに乗っている間、ボートのスタッフがホテル周辺の説明をしてくれます。ホテルの船着場に到着すると、大きな日傘を持ったドアマンと真っ赤なサリーを着たホテルのスタッフが出迎えてくれます。ホテル入口では屋上から赤いバラの花びらが舞い降りてきました。

パレス内部は、さすがマハラジャの宮殿を改装したホテルだけあって、造りが大変豪華で、中庭も湖の上とは思えない程の美しさでした。

 

ホテルでは、ホテル主催のプログラムが用意されており、時間が合えば参加できます。夕方、湖を巡るサンセットクルーズなどおすすめです! ロイヤルファミリーが住んでいるというシティ・パレス、ジョグマンディル宮殿やその他宮殿ホテルを眺めながら優雅なひとときを過ごすことができます。

 

美しい中庭
Palace Room Lake View
Grand Royal Suite (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)
Luxury Room Lake View (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

全てのサービスは文句なしで、お食事もインド料理だけでなく、コンチネンタル料理もお楽しみいただけます。今回宿泊したお部屋は窓からシティ・パレスを眺望できました。特に夜のライトアップされたシティ・パレスはとても美しかったです。

 

都市の喧騒を離れ、優雅にのんびりとマハラジャ気分を味わいたい方、レイクパレスでのご宿泊はいかがでしょうか。大変お勧めです。

 

パレスでの食事一例(www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプル訪問は年中おすすめできますが、乾期の終わりごろ(4-5月頃)に訪れる場合、ピチョラ―湖の水が結構干上がってしまっていることがあるので、要事前確認です。また、5~9月末頃は、観光オフシーズンのため、通常料金よりかなりお安くご宿泊いただけます!!

 

 

 

ウダイプルその②に続きます。
②市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

 

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