天空のチベット ラダック第7弾: 紺碧の湖パンゴン・ツォとヌブラ谷

ジュレー! 西遊インディアです。
前回は、下ラダックの見どころを紹介いたしました。
ラダック第6弾:下ラダックの観光

 

今回は、レーから少し足を延ばし、ラダック郊外にある2箇所の外せない見どころについてご紹介いたします!

 

■パンゴン・ツォ(Pangong Tso)

ラダックの東部からチベットにかけて横たわる、全長約130kmに及ぶ細長い湖がパンゴン・ツォ(湖)です。ラダック語で「パン」は「草」、「ゴン」は「塊」を意味します。標高4300mに位置し、1962年以前は全てインド領でしたが、現在は25%がインド領、75%が中国領になっています。インド側では塩湖と言われ、中国側は淡水です。冬はすべて凍り、軍隊のジープなどが湖の上を走ることができるのだそうです。湖に魚はいませんが、小さな虫や貝類が生息しています。

かつては、越冬地としてたくさんの鳥が来ていましたが、ここ数年の観光客増加により、環境が変化した為に鳥の数は激減してしまったそうです。

この美しい景色は、2009年公開のインド映画「きっとうまくいく(3idiots)」を始めとする、インド映画やミュージックビデオのロケ地としても有名です。

 

パンゴンツォは、その日の天候や時期によって少しずつ湖の色合いや見え方が変わります。雲や風のある・なしでも結構雰囲気が変わりますので、朝から晩まで湖を眺めていたい気持ちになります。

ちなみに湖の周辺には簡易宿泊施設もあり、パンゴンツォで1泊することも可能です!

 

パンゴン・ツォ付近には、人懐こいヒマラヤン・マーモットがいるエリアがあります。観光客が増え、食べ物を与えるため餌付けされ、その丸々と太った体と少し間の抜けたようなその顔が愛らしく人気です。

 

ヒマラヤン・マーモット
巣穴からちょうどこんにちは…

なお、パンゴン・ツォへの訪問には、入域許可書の事前取得が必要ですので、詳しくはお問い合わせください。

 

 

■ヌブラ渓谷(Nubla Vallery)

ラダックの北部、ヌブラ川とその支流に流域に広がる渓谷地帯がヌブラ渓谷。標高は3500mほどで、レーとほぼ同じです。川に挟まれて水が豊かなために緑に恵まれ、その名「ヌブラ」も「緑の園」を意味します。

レーからの陸路移動は片道4ー5時間程かかります。途中5000m級の峠カルドゥン・ラを越える必要があり、峠でのダイナミックな景色も魅力です。この峠は自動車道世界最高地点の標高で、正確な標高については諸説あり、5,359mという説が有力だとか。

 

カルドゥン・ラ
ヌブラ渓谷
バクトリアンキャメル

なんとヌブラ谷にはバクトリアンキャメル(フタコブラクダ)がいます。観光用に飼育されているラクダで、ラクダに乗って砂丘サファリができます(ちなみにラクダは、野生のものは今は中国とモンゴルにいるだけだそうです)。

 

 

デスキット僧院

ヌブラ谷の中心地・デスキット村の南東にある岩山の上に建つ大僧院です。ゲルク派の高僧チャンセム・シェラブ・サンボによって15世紀ごろに建立。ドゥカン(勤行堂)は比較的新しく、本尊は釈迦牟尼です。ゴンカン(護法堂)には恐ろしいほどの迫力ある守護尊・護法神の像がずらりと並び、見ごたえありです。また、僧院のとなりの丘の上には2010年に完成したという巨大なチャンバ(弥勒菩薩)像があります。

 

デスキット僧院遠望
腰掛けスタイルのチャンバ(弥勒菩薩)像

これまでラダックエリアの見どころを紹介してきましたが、まだまだラダックには見るべきものがたくさんあります! 荒涼たる茶褐色の大地、要塞を思わせる岩山に築かれた寺院、そしてラダックの人々も穏やかでフレンドリー。いつでも暖かく迎えてくれます。ラダックへのご旅行を何度もリピートする方が多いのも納得です。

 

 

次回は、ラダックエリアを訪問するにあたっての知っておくと役に立つ仏教用語や、お土産等ご紹介します。

 

 

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天空のチベット ラダック第6弾:下ラダックの観光

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックエリアの見どころ、続いて下ラダック側を紹介いたします!
前回: ラダック第5弾:上ラダックの観光

 

■下ラダック(シャム)

アルチ僧院やラマユル僧院など、ラダックエリアでは見逃せない僧院が点在しています。また、上ラダックよりも標高が低いため、農作に適しており、夏は緑、秋には黄金色の畑を見ることができます。上ラダック側より標高が低いので、高度順応も兼ねてラダック観光の序盤で訪問するのにおすすめです。

 

 

▮アルチ僧院(Alchi  Gompa)

アルチ僧院は小さな集落であるアルチ村に建つ僧院で、仏教美術の宝庫ともいわれています(アルチ僧院はこちらでもご紹介しました>>ラダック第3弾)。

10世紀末にリンチェン・サンポによって建てられたと伝えられるこの僧院には、現在「僧院」としての機能はほとんどありませんが、内部には、創建当時の壁画が残り、その内容はラダック随一です。

 

アルチ僧院
アルチ僧院 三層堂入り口
三層堂のポーチ部分

11 世紀半ばに建てられたという三層堂(スムツェク)は、名前のとおり三階建てで上層になるにつれ面積が小さくなる先細りの建築物です。独特の様式を模したファザード(建物の正面部分)は、柱は溝彫り式でうずまき模様が施されており、ギリシャ風の建造物を思わせる建築。また三角形の枠組みの中にそれぞれに尊格の木像が施されており、これらはどれもカシミール様式の特徴を表したものとなっています。

 

アルチ僧院仏塔内部 描かれているのは「飛天」

前述のとおり、カシミールや中央アジア美術の系統をひいてるチベット仏教美術における「リンチェン・サンポ様式」は、壁画の着色に「青(群青)」を多用していることが特徴として挙げられます。三層堂の壁面には所狭しと「青を基調とした千体仏」が描かれていますし、また仏塔内部には、チベット仏教寺院としては非常に珍しく、「飛天」や「白鳥」が装飾として描かれています。まさにカシミール様式の代表的な僧院であり、「インド・チベット仏教の至宝」と呼ぶに相応しいものです。

アルチ僧院は、ぜひとも訪問時間をゆっくりとって、訪問ください。

 

 

▮ラマユル僧院(Lamayuru Gompa)

「月世界」と呼ばれる独特の地形を通り過ぎつつ走ると、岩山の中腹に建つラマユル僧院が見えてきます。「ユンドゥン・タルパリン」という名前を持つ、カルギル地区のディグン・カギュ派の総本山の僧院です。

 

ラマユル僧院とラマユル村、奥に月世界

11世紀にこの地でカギュ派の開祖マルパの師匠である、ナローパがこの場所で瞑想したのがはじまりと言われ、現在でも200名の僧侶がこの僧院で修行を行っています。毎年チベット暦の5 月には「ユンドゥン・カブギェ」というお祭りが催されており、周辺の村々から多くの人が訪れます。

 

ナローパが瞑想した石窟。現在はティローパ、ナローパ、ミラレパ像が安置されています。

注目ポイントは、ドゥカン(勤行堂)内部にある「ナローパの瞑想石窟」。ドゥカンの片隅にある石窟内は、チベット仏教の宗派の1つであるカギュ派の創始者ナローパが瞑想を行ったと言われており、洞内にはナローパと、彼の師であるティローパ、彼の孫弟子であるミラレパの像が祀られています。

 

現存するラマユルのお堂の中で最古の建物であるのが、センゲカン(獅子堂)です。センゲカンは11 世紀、リンチェンサンポが創建したといわれています。
内部にはナンパ・ナンツァ(大日如来)像を中心とした金剛界五仏の塑像が残っています。インドで大乗仏教が発展していくにつれ「聖なる存在の仏」としての要素が強まってきた「五仏」。この五仏の塑像とそれを取り巻く装飾は、アルチと並ぶ秀作と言われています。

 

ラマユル僧院の大日如来

中央に大日如来、その周りを、阿閦如来(あしゅく)、宝生如来(ほうしょう)、阿弥陀如来(あみだ)、不空成就如来(ふくうじょうじゅ)の四仏が取り囲んでいます。

 

センゲカンには、他にも護法尊のマハカーラ(大黒天)や、ユニークな骸骨の壁画「チティパティ(屍陀林王)」などが描かれています。「チティパティ」とは墓場の主という意味であり、チベットの伝説によればもともとは苦行僧であったとされています。あるとき深い瞑想に入りましたが、その深さときたら、その隙を狙って泥棒が彼らの頭をはね、泥の中に身体を捨てたことに気づかないくらいだったとか。その時以来、彼ら(夫婦で描かれていることが多い)は泥棒の宿敵になり永遠の復讐を誓ったと言われています。

 

チティパティ。なんとなく可愛らしい見た目

 

▮月の谷 

ラマユル僧院の麓に広がるのが「月の谷」と呼ばれるポイント。この場所には、次のような伝説が残されています‥‥「数万年前、この地には大きな湖がありました。紀元前15 世紀頃、聖者ニマグンがこの湖に住む龍神(ル)の供養を行うため湖上に麦の種を撒いたところ、その種が「卍(ユンドゥン)」の形を示し、その事がラマユルの古名「ユンドゥン」の由来となりました」 ‥‥現代になり、地質調査を行ったところ、この地は本当に湖が存在していることが判っており、月の世界を思わせるこれらの地層は湖の底に積もった堆積物による地層であることも判明しています。

 

月面のような地層 なかなかの迫力です!
「月の谷」遠景。ここだけがこのような地層というのがすごい

 

▮ニダプク石窟(Nyidaphunk)

サスポールという村のメインの車道から砂利道を15分ほど登った先にあるニダプク石窟は、15~16世紀に開かれたとされています。「ニダ=太陽と月」、「プク=お堂」つまり「太陽と月のお堂(日月堂)」という意味です。朝から晩まで外の太陽と月を眺めて修行したことから名付けられました。かつては修行地として栄え、岩山の中腹に彫られた100以上の洞窟の中で修行や瞑想をしていたとされています。

 

ニダプク石窟までの道のり。 やや急な道を上ります

いくつかの洞窟のなかには、現在も壁一面に描かれた壁画が残っています。ですが、洞窟までの足場が危険な個所が多く、現在見学できるもので壁画が綺麗に残るのは一か所のみです。

 

ニダプク洞内部の壁画

 

当時、僧は石窟内で瞑想だけを行っていたのではなく、修行の一環として仏画を描いていたといわれています。石窟の内部は所狭しと仏画が描かれており、一切の余白がなく見ごたえがあります。壁画はポストリンチェンサンポ様式のもので、赤色を多用しています。

 

 

▮リキール僧院(Likir Gompa)

ゲルグ派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有している僧院です。11世紀頃の創建と伝えられていますが、詳細は不明とされています。現在見ることのできる建物は、火災による焼失後の18世紀に再建された建物です。僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っており、その姿は遠くからでも望むことが出来ます。

チベット歴の12月末、この僧院でリキール・グストルというお祭りが開かれます。その際にご開帳されるツォンカパのトンドルは全ラダックで最大の大きさです。

 

リキール僧院を遠望
お堂は全て再建されたもので、内部の壁画も新しいです
金色の弥勒菩薩像

僧院のすぐ隣には1997年に完成した高さ20mほどの金色の弥勒菩薩像が建っています。衆生をすぐに救いに立ち上がれるよう、腰かけスタイルです。

 

 

次回は、郊外の見どころであるパンゴン・ツォとヌブラ谷を紹介します!

 

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天空のチベット ラダック第5弾:上ラダックの観光とレー

ジュレー! 西遊インディアです。

ラダックは、大きく2つの地域に分けられ、インダス川上流は上ラダック(トゥ)、下流地域は下ラダック(シャム)と呼ばれます。まずは、上ラダックで必見の僧院などをご紹介いたします!

 

■上ラダック(トゥ)

かつての王都シェイや、王族の末裔が暮らしたストクの他、ラダックを代表する僧院が多く集まる地域です。レーからの距離が近いことから、日帰り観光ができることが魅力。

 

 

▮レー(Leh)

標高約3650mに位置するラダックの中心地です。1640年頃、センゲ・ナムギャル王がレーチェン・パルカル(レー・パレス/旧王宮)を建てると、レーは一層王都らしくなり、政治・交易の中心として栄えました。チベット文化圏に属するため大部分がチベット民族であるため、「インドのチベット」とも呼ばれます。パキスタン・中国という2国に隣接している特殊な場所柄、軍事的理由により長い間閉ざされた場所でした。外国人に開放されたのは1974年のことで、現在は訪れる観光客も増え、中心地にはゲストハウスや商店が立ち並んでいます。

 

レーの街 中心部のストリート
見上げるとレーの街から王宮跡などが見えます

 

▮シェイ王宮跡(Shey)

10世紀、ラダック初代の王であるラチェン・パルキゴンと次の王様によりシェイがラダックの都とされてから15世紀まではこの場所にラダック王国の都が置かれていました。シェイとは「水晶」の意味で、王宮や僧院から周りを見渡すと、周囲の山々を覆う万年雪がまるで水晶のように光輝いて見えたのが名前の由来となっています。

九層(9階建て)だったシェイ王宮跡ですが、現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられた僧院で、王国が滅びる時は住人は誰もおらず、廃墟のようだったそうです。

 

 

シェイ王宮跡

 

▮ナムギャル・ツェモ(Namgyal Tsemo)

レー王宮のさらに上にある小さな僧院です。レーの街を見渡すことが出来る岩山の上に建っています。小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められています。元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられましたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至ります。ここから眺める夕日は一日の最後を飾るにふさわしい美しさ。晴れていればヒマラヤの奥に沈み行く太陽がレーの街を赤く染め上げていく様子を眺めることができます。

 

ナムギャル・ツェモ

 

▮シャンティ・ストゥーパ(Shanti Stupa)

レー郊外の丘の上にあるストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパです。 階段を息きらせながら登っていくと、そのストゥーパからは荒涼とした大地の中に広がるレーの街を一望することが出来ます。

 

シャンティ・ストゥーパ

 

▮シャンカール僧院(Sankar Gompa)

20世紀初頭、バクラ・リンポチェ20世によって創建されたゲルク派の僧院です。バクラ・リンポチェとは、ダライ・ラマ13世により認定された、仏陀の16人の阿羅漢の1人であるバクラの転生です。ラダックの指導者でもあります。2004年に死去されていますが、現在は21世が新たに認定されています。

 

ドゥカル(白傘蓋仏母)像

本堂には、ドゥルカルと呼ばれる白傘蓋仏母像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから魔性を遮る意味となりました。「災いから守ってくれるとても強い女神」です。顔・手・足がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。この白傘蓋仏母は、シャンカール僧院とレー王宮、ザンスカールのランドゥン僧院でしか見られないそうです。

 

 

▮ティクセ僧院(Thikse Gompa)

ラダックで最も有名な僧院の一つです。15世紀にゲルク派の開祖ツォンカパの命により建てられた僧院で、創建当時の壁画が残されています。岩山の中腹を僧房が埋め尽くし、頂上には本堂がそびえています。「ポタラ宮を見た高僧が感銘受けて、紙がなかったのでカブにスケッチをしてラダックに持ち帰り、ティクセ僧院を建立した。しかし、カブが乾燥して小さくなってしまっていたので実際のティクセ僧院もポタラ宮によく似ているがポタラ宮のミニチュア版になってしまった」という逸話があります。

 

ティクセ僧院 全景

ここでの見どころといえば、入口からすぐのお堂で静かな笑みを浮かべる高さ15mの弥勒菩薩像です。弥勒菩薩は、56億7千万年後の世界に現れ、多くの人々を救済すると言われている未来仏です。弥勒菩薩は大きければ大きい程早く降臨するのだとか。この弥勒菩薩像はラダックでも最大のもので、金剛界五仏の冠を被っています。

 

弥勒菩薩像

 

▮へミス僧院(Hemis Gompa)

レーからインダス川沿いの道を東へ走り、車で約1時間半の場所に位置する、ラダック最大かつ最も有名な僧院です。ドゥクバ・カギュ派の僧院で、17世紀にラダックを治めていたナムギャル王朝のセンゲ・ナムギャル王が、ラダックを訪れていたチベットの高僧タクツァン・レーパのために創建しました。

へミス僧院は、王家の庇護の元栄えることとなり、僧院には多くの僧が集まったため、へミス僧院にはドゥカン(僧の集会所)が2つ並んでいます。現在へミス僧院の僧は60~70人ということでしたが、かつては1000人もの僧がいたそうです。

 

へミス僧院。珍しく、集会堂が2つ並ぶ構造です
集会堂内部(へミス僧院)
パドマサンバヴァ像(へミス僧院)

僧院が最も賑わうのは毎年夏に行なわれるヘミス・ツェチュ(祭)の時です。お祭りではチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の偉業を伝えるチャム(仮面舞踊)が披露されます。全チベット文化圏からの巡礼者、各国からの観光客で中庭が埋め尽くされます。祭りが一番盛り上がるのは最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳のとき。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。12年に一度、申年には通常とは異なる特別なトンドルがご開帳されます。

 

広い中庭でお祭りは行われます
お祭りではチャム(仮面舞踊)が披露されます

 

▮チェムレ僧院(Chemrey Gompa)

へミス僧院の分院であるチェムレ僧院。この寺院はチベット僧タクツァン・レーパがセンゲ・ナムギャル王が亡くなってから王の菩提を弔うために建てた寺院です。荒涼とした山々を背景にそびえる雄大な姿で、山と僧院が一体化しているように見えます。頂上にドゥカン(僧の集会所)があり、その下に建ち並ぶのは僧の暮らす僧坊です。

 

チェムレ僧院 遠望
タクツァン・レーパ(チェムレ僧院)

 

チベット僧タクツァン・レーパは「チベット仏教を西に伝道する」という使命を受けて、ラダックを訪れていました。彼はセンゲ王に適切な助言を与え、王の信頼を得ます。そして、王家の導師として敬われました。現在のアフガニスタンにまで布教に行ったため、イスラム風のターバンを被っています。

 

 

次回は、下ラダックの観光について紹介いたします。

 

 

 

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天空のチベット ラダック第1弾:ラダック地方の歴史

ナマステ!
西遊インディアです。

 

はためく五色の旗(タルチョ)を見ると、違う文化圏に来たという実感がよりわきます

インド北西部、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた、標高約3500メートルの地に広がるラダック地方。「峠を越えて」という意味のラダック(Ladakh)が使われるようになったのは17世紀頃からで、それまでは「低地の国」という意味のマルユル(Maryul)という名で呼ばれていました。荒涼とした山々に囲まれ、広大な大地に青い空、恵みをもたらすインダス川…。インドのイメージを覆す絶景デスティネーションとして、大変人気です。

 

色濃くチベット文化を残し、「小チベット」とも呼ばれるラダックについて紹介するシリーズ、第一弾です。

 

■基本情報

ラダック連邦直轄領
中心都市:レー (標高約3650m)

人口:約24万人
主な宗教 : 主に仏教 その他にイスラム教、ヒンドゥー教、シーク教など
主な言語 : ラダック語、ヒンディー語、ザンスカール語、バルティ語、ウルドゥー語など

(※英語もある程度通じる)

アクセス:首都デリーからレーまで、国内線が運航されております。所要約1時間。その他にも、夏の間はマナリやシュリーナガルから陸路移動も可能です。

 

ラダック・ザンスカール地方の地図
国内線移でデリーからレーへ
フライトは、ヒマラヤ山脈が見下ろせる迫力の山岳フライトです

 

■ラダック地方の歴史

8世紀頃、チベットの吐蕃王国がラダックを占領し、チベット系の民族がラダックに流入して住み着くようになったと言われています。ラダックを統一した最初の王であるラチェン・パルギゴンは、シェイを王都に定めてラチェン王朝を興しました。16世紀頃、タシ・ナムギャル王のナムギャル王朝は、シェイからレーに遷都。17世紀、センゲ・ナムギャル王の治世には、ラダック王国は全盛期を迎えます。レー王宮やヘミス・ゴンパなどを次々と建立し、さらには周辺のザンスカール王国やグゲ王国を併合するなど、領土を拡大していきました。

 

レー王宮跡

1640頃、センゲ・ナムギャル王は9階建ての王宮をレーに建設。このレー王宮は、ラサのポタラ宮のモデルになったとも言われています。中にはお堂が一つあり、王族の祈りをささげる場としての役割を果たしていました。現在は廃墟となっておりますが一部博物館として開放されています。

 

17世紀後半、ラダック王国とダライ・ラマ5世治下のチベットとの間で戦争が勃発します。ラダック王国はかろうじてチベットとの講和を締結しましたが、代償として多くの領土を失い衰退していきました。

1846年、イギリスが介入した第一次シク戦争の結果、イギリス植民地のジャンムー・カシミール藩王国が成立し、ラダック王国は他のカシミール諸侯とともに藩王国の一部として併合されました(その後もラダックの王家は藩王国内の一諸侯として一定の自治権は保持したとされています)。

 

第二次世界大戦後の1947年、インド・パキスタンが分離独立すると、各藩王国はインドかパキスタン、どちらかに帰属を求められました。時のカシミールの藩王ハリ・シンは自身がヒンドゥー教でしたが、対して住民の80%はムスリム(イスラム教徒)であり、住民はパキスタンへの帰属を望んでいたことから、帰属先の決定が先延ばしにされていました。

そんななか、パキスタンの民兵がカシミールに侵入。焦ったハリ・シン王は慌ててインドに武力介入を要請し、第一次印パ戦争へと展開していきました。その後第二次、第三次印パ戦争へと続くことになります。

 

結局カシミールの紛争地域は、1947年の第一次印パ戦争後の1949年に制定された国連停戦ラインによって2つの部分に分割され、1972年にそのまま管理ライン(LoC:Line of Control)として再定義されました。インドの地図をみると、この管理(停戦)ラインが、点線で示されています。

 

緑部分がパキスタン側カシミール、オレンジかインド側カシミール。点線が、Line of control のライン。

2019年、ジャンムー・カシミール州再編成法の規定により、ジャンムー・カシミール州は廃止され、ラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領に分割されました。

 

なお、1947年からこのエリアは外国人の立ち入りが禁止されておりましたが、1974年、再び外国人の立ち入りが許可されるようになりました。軍事的理由により約30年もの間閉ざされていたため、レーを中心とするラダックエリアには、チベット本土では破壊され、失われてしまった本当のチベット仏教文化が残されています。中国のチベットよりも「チベットらしい」と言われる所以です。

 

 

シリーズ第2弾では、この地方の基本情報や、暮らしの様子などを紹介いたします!

ラダック第2弾:基本情報(暮らし・民族・食)

 

 

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ウダイプル② 市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

西遊インディアです。
引き続き、ウダイプルを紹介する記事・第二弾です。

前回:ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

 

ウダイプル市内の見どころは集中しており、かなり効率的に巡ることができます。今回はウダイプル市内の代表的な訪問地と、郊外に建つインド建築最高峰ともいわれるジャイナ教寺院について、ご紹介いたします。

 

▮シティパレス(City Palace)

街の創設者である、マハーラーナー・ウダイ・シン2世によって建設が始められた、ピチョラ―湖の湖畔に建つ白亜の宮殿です。増改築が繰り返され、今の姿になるまでに約400年かかったといわれています。パレスの本殿は博物館となって一般公開されておりますが、南側は、今も王族の居住区となっています(また、一部はホテルとして改装されております)。

 

シティパレス外観。あまりに壮大でカメラに収まりません
シティパレス内の美しいステンドグラスのお部屋

内部にはマハーラーナーがかつて使用していた輿やゆりかご、武器や全世界から集められた装飾品など、たくさんの宝物が展示されています。当時、マハーラーナーの体重と同じ重さの金が民衆に与えられていたという逸話からも、藩として非常に豊かであり、豪華な暮らしぶりであったことが想像できます。

テラスからは湖と街の美しい眺めを見晴らすことができます。非常に気持ちの良い場所ですので、お天気が良ければぜひ行ってください。

 

旧市街が広く見渡せます

 

▮ロークカラマンダル博物館 (Bhartiya Lok Kala Museum)

ラージャスターンの伝統芸能の1つ、操り人形劇の博物館です。ラージャスターンだけでなくインド全土の人形・化面・楽器などが集められた素朴な展示物を見学したあとは、実際に人形劇のショーを楽しむことができます。 ショーの最後には人形の動かし方を種明かししてくれることも。この人形劇は、お祭りや人通りの多い街角などラージャスターン各地で見られます。

 

 

▮サヘリーヨーン・キ・バーリー  侍女たちの庭園(Sahelyon Ki Bari)

緑が眩しいたくさんの樹々と、色とりどりの花が植えられた、噴水のある公園です。1710年に時の王様・マハーラーナ―・サングラーム・シンが侍女たちのために建てました。こちらも、噴水の建築にあたり高度な水利システムが用いられております。緑と水が大変豊かなこの公園には、今も昔も癒しと涼を求めてたくさんの人が集まっています。

 

ブーゲンビリアと噴水の広場。天気もよく、ピクニックに来ている地元のファミリーの方でいっぱいでした
大理石製の象のモニュメント
ウダイプルの伝統的な衣装を着た女性(お土産物屋の店員さんですが…)

 

▮ジャグディーシュ寺院(Jagdish Temple)

1651年創建のウダイプル最大のヒンドゥー寺院です。ヴィシュヌ神を祀る寺院で、本堂の前にはヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ像が置かれております。他、お堂の周りには、四方それぞれガネーシャ、スーリヤ(太陽神)、シャクティ(シヴァの神妃)、シヴァが祀られています。寺院の外壁は細かな彫刻がびっしりと施されており、とても見ごたえのある装飾です。

 

ジャグディーシュ寺院 正門
本堂
彫刻がびっしりと施された本堂の外壁

 

▮ラナクプルのアーディナータ寺院 (Adinatha temple at Ranakpur)
ウダイプル市内から北西90㎞程行った場所にラナクプルという村があり、その村からさらに奥へと進んだ場所に建つ巨大なジャイナ教の寺院が、アーディナータ寺院です。アーディナータというジャイナ教の一番目の預言者を祀っています。15世紀創建です。

 

ジャグディーシュ寺院外観 こちらも壮大過ぎてカメラに収まらない
ジャイナ教寺院の場合、細長い旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

寺院内部はほとんどが白大理石でできています。固い大理石への彫刻は至難の業ですが、一度施した彫刻はその後一切朽ち果てることはありません。寺院内には緻密で美しい彫刻が至る所に施されています。

 

見事な大理石の装飾

また内部には444 本の見事な装飾の柱が並んでおり、一本として同じ装飾の柱はなく、全て異なる彫刻が施されています。

(インドの建築について多数の著書がある神谷武夫氏は、「ジャイナ教の建築」という本のなかで、このアーディナータ寺院を「インド建築の最高傑作だ!」と述べています)。

 

全ての柱にびっしりと彫刻が!

天井

仏教と同時代に成立したというジャイナ教ですが、5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)を持ち、不所有の考えから、商業で大成功している商人たちの寄進によって見事な寺院がたくさん建てられています。

 

こんな小さな村のさらに奥にこのような立派な建造物があるとは…驚きです。アーディナータ寺院は、アクセスは非常に悪い場所にありますが、訪問にはちょっとした秘境感も味わえます。見ごたえ十分、必見の建造物です!

 

巡礼に来ていたジャイナ教徒のおじいちゃん

その他、郊外にはチットールガル城という、2013年に「ラージャスターンの丘陵城塞群」の一つとして世界遺産に登録された城塞も残っています。

 

次回は、このチットールガル城についてご紹介します。

ウダイプル③ かつての難攻不落の城・世界遺産チットールガルフォートへ!

 

Text :Hashimoto

 

 

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ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

ナマステ!!西遊インディアの橋本です。
今回は、ラージャスターン州の街・ウダイプルをご紹介します。

 

青く美しいピチョラー湖と周囲の乾いた山々、湖に浮かぶ豪華な宮殿。他のラージャスターン州の街とはちょっと異なる雰囲気のウダイプル。最後までムガル帝国に対して独立を守り通した誇り高き古都でもあります。

 

ウダイプルは市内の観光に加え、郊外にもかなり見ごたえのある城塞跡等あり、1泊2日でかなり楽しめます。
また、インド有数のホテルである「レイクパレス」があり、こちらのホテルでの宿泊を目的に訪れる方も少なくありません。

 

夕刻のレイクパレス (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプルは、ラージャスターン州の南側に位置しています。デリーから飛行機で約1時間30分のフライト、その後空港から車で約30分でウダイプル市内に到着します。街の中心にはピチョラー湖が広がり、その周辺には王宮・シティパレスや、寺院、ホテル等白い建物が並びその景観の美しさから「ホワイト・シティ」と称されています(雰囲気が似ていることから「東洋のヴェネチア」とも言われています)。

 

街の中心にあるピチョラ―湖は、16世紀に造られた人造湖です。ムガル帝国の攻撃を受けてチットールガルを追われたウダイ・シン2世が、現在のウダイプルの地に移住。ウダイ・シン2世の名から「ウダイプル」と名付け街を築き、水の確保のために川をせき止め湖を造りました。非常に高性能な水利システムがとられており、ピチョラ―湖の横にファテ・サーガル湖もつなげて築くことで、隣の湖と相互に水量を調節できるようになっています。

 

ピチョラ―湖遠景。湖の周りほとんどは山に囲まれおり落ち着いた雰囲気
シティ・パレス
ピチョラ―湖・湖畔に並ぶ建物は白色で統一されています

 

▮レイクパレスに宿泊
ウダイプルは、ピチョラ―湖に浮かぶ白亜の宮殿です。もともとは、1746年にマハーラーナの離宮として建てられました。その後1963年にウダイプル初の高級ホテルとして改装されました。1983年に公開された「007 オクトパシー」の舞台にもなった有名な宮殿ホテルです。

 

真っ白!なレイクパレス

レイクパレス行のボート乗り場は、湖畔のシティパレスの近くにありますが、ここからボートに乗ることができるのはホテル宿泊者のみ! 赤い絨毯が敷かれた発着所でボートを待つ間、特別感を味わえるとともに期待が高まります!

 

赤い絨毯の敷かれた船着き場

宿泊者専用のボートに乗っている間、ボートのスタッフがホテル周辺の説明をしてくれます。ホテルの船着場に到着すると、大きな日傘を持ったドアマンと真っ赤なサリーを着たホテルのスタッフが出迎えてくれます。ホテル入口では屋上から赤いバラの花びらが舞い降りてきました。

パレス内部は、さすがマハラジャの宮殿を改装したホテルだけあって、造りが大変豪華で、中庭も湖の上とは思えない程の美しさでした。

 

ホテルでは、ホテル主催のプログラムが用意されており、時間が合えば参加できます。夕方、湖を巡るサンセットクルーズなどおすすめです! ロイヤルファミリーが住んでいるというシティ・パレス、ジョグマンディル宮殿やその他宮殿ホテルを眺めながら優雅なひとときを過ごすことができます。

 

美しい中庭
Palace Room Lake View
Grand Royal Suite (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)
Luxury Room Lake View (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

全てのサービスは文句なしで、お食事もインド料理だけでなく、コンチネンタル料理もお楽しみいただけます。今回宿泊したお部屋は窓からシティ・パレスを眺望できました。特に夜のライトアップされたシティ・パレスはとても美しかったです。

 

都市の喧騒を離れ、優雅にのんびりとマハラジャ気分を味わいたい方、レイクパレスでのご宿泊はいかがでしょうか。大変お勧めです。

 

パレスでの食事一例(www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプル訪問は年中おすすめできますが、乾期の終わりごろ(4-5月頃)に訪れる場合、ピチョラ―湖の水が結構干上がってしまっていることがあるので、要事前確認です。また、5~9月末頃は、観光オフシーズンのため、通常料金よりかなりお安くご宿泊いただけます!!

 

 

 

ウダイプルその②に続きます。
②市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

 

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異色の世界遺産:カジュラホ寺院群②

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、カジュラホの寺院群について西群、東群、南群とそれぞれエリア毎に詳しくご紹介します。

■カジュラホの寺院群①西群のヒンドゥー教寺院

カジュラホのメインとなるのはここ、西群の寺院群です。入場ゲートを通ってまず左手に見えるのはラクシュマナ寺院。チャンデーラ朝のヤショーヴァルマン王によって8世紀中ごろに建設されたもので、ヴィシュヌ神に捧げるものとされています。中央の本殿と左右の小祠堂から成り、南北の面のミトゥナ像、また基壇部分に一列の帯状に施された長大な彫刻群が際立っています。

 

ラクシュマナ寺院
ラクシュマナ寺院

 

ラクシュマナ寺院基壇部の彫刻
ラクシュマナ寺院基壇部の彫刻

ラクシュマナ寺院の向かいにはヴァラーハ寺院が建設されています。こちらはヴィシュヌ神の2つ目の化身とされるヴァラーハ(野猪)を祀ったもので、大きな野猪の彫像が安置されています。

 

ヴァラーハ(野猪)寺院
ヴァラーハ(野猪)寺院

 

カジュラホ最大の寺院は、西群エリアの最も奥にあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院。11世紀初頭、チャンデーラ朝の最盛期のヴィデヤダーラ王の治世で建設されたものです。奥行33m、幅18m、高さ35mの壮大な寺院はシヴァ神に捧げられたもので、シヴァ神が住むとされるカイラス山の姿を模して建設されています。このカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院だけでも870以上の彫像が施されており、そのうちの10%ほどをミトゥナ像が占めています。

 

カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院 近寄ると凄い迫力です
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像

 

また、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院と同じ基壇上に、ジャガダンビー寺院と小さなシヴァ祠堂も建設されています。こちらはカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院より古く、一代前のダンガ王によって建設されたもの。ダンガ王の時代には、同様に西群のチトラグプタ寺院ヴィシュワナータ寺院、そして東群のジャイナ教寺院:パールシュワナータ寺院も建設されています。

 

左からカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院、シヴァ小祠堂、チトラグプタ寺院
左からカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院、シヴァ小祠堂、ジャガダンビー寺院

 

 

■カジュラホの寺院群②東群のジャイナ教寺院群

東群は主にジャイナ教の寺院群が並んでいます。西群と比べると規模は小さいものの、こちらでも精緻な彫刻群を見ることができます。ミトゥナ像はジャイナ教寺院群ではあまり顕著には施されていません。

 

東群で目を引くのはパールシュワナータ寺院。ジャイナ教の寺院ではありますが、西郡のヒンドゥー教寺院と同時期に建てられたものであるため、基本的な構造やデザインは共通するものが多くあります。しかし彫刻のモチーフはジャイナ教寺院では男女が寄り添うものの彫像が多く、穏やかな雰囲気です。

 

パールシュワナータ寺院の壁面彫刻
パールシュワナータ寺院の壁面彫刻。最下段の中央の像は「アイシャドウを塗る女性」として、その造形の素晴らしさが知られています。

 

「アイシャドウを塗る女性」

 

また、東群のシャーンティナータ寺院は現在でも信仰の場として利用されているジャイナ教寺院です。タイミングが合えば、信者の方がお祈りをしているところを見ることができます。寺院内ではジャイナ教の祖師(ティールタンカラ)たちの彫像が安置されている他、ジャイナ教徒が使用するクジャクの羽製のほうきなども展示されています。

 

シャーンティナータ寺院
シャーンティナータ寺院
寺院内のティールタンカラ像
シャーンティナータ寺院内のティールタンカラ像

 

 

■カジュラホの寺院群③南群 ヒンドゥー教寺院

南群の2寺院は点在する形となっており、カジュラホでの寺院建設の最後期となる12世紀前半に建設されたものです。南群の寺院群では、西群とは異なりミトゥナ像が見られなくなったり、他の彫像の陰になったりしており、寺院彫刻の中での主要度が低くなっていることがわかります。

 

ドゥーラーデオ寺院
シヴァ神に捧げられたドゥーラーデオ寺院

 

ヴィシュヌ神に捧げられたチャトルブジャ寺院
ヴィシュヌ神に捧げられたチャトルブジャ寺院
チャトルブジャ寺院のミトゥナ像
チャトルブジャ寺院のミトゥナ像。他の彫像と比べて奥の陰になる部分に施されており、寺院におけるミトゥナ像の主要度が減じていることがわかります。

 

■カジュラホのライトアップと祭り

カジュラホでは、夜になると西郡の主要寺院のライトアップが行われ、ヒンディー語と英語でカジュラホの歴史を開設するライトアップショーが開かれています。日中の観光を終えたうえで鑑賞すれば、より深くストーリーを理解することができます。

 

また、毎年2月20日から26日の一週間は、カジュラホ・ダンスフェスティバルが開催されています。西群の寺院群のそばに作られるステージでは、カタック、バラタナティヤム、オディッシー、クチプディ、マニプリ、カターカリ等インド各地の伝統舞踊の公演が行われます。ちょうど晴天の続く乾季のベストシーズンにあたりますので、お祭りにあわせて訪問するのも面白いかもしれません!

 

khajurahodancefestival.comより、2019年のフェスティバルの様子

 

 

 

カジュラホの遺跡は半日あればメイン所は見ることはできます。ですが、なかなかアクセスも容易ではない場所なので、ぜひ1泊して、ガイドの解説に耳を傾けつつゆっくり見学されることをお勧めします!

 

また、一点ご注意ですが、カジュラホは本当に遺跡以外何もない村です。そのため遺跡周辺で観光客が来るのを待ち構えている物売りの人たちのガッツが、他の観光地とは比べ物にならないくらい凄いです…。要らないものを押し売りされそうになった時は、はっきりと、「要らない!」と言いましょう(絶対に彼らは一度では諦めませんが…)。

 

Text by Okada

 

 

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異色の世界遺産:カジュラホ寺院群①

ナマステ!!!西遊インディアです。

今回は、インドの世界遺産の中でも異彩を放つ、カジュラホの寺院遺跡群をご紹介します。

 

カジュラホ最大の寺院:カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院
カジュラホ最大の寺院:カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院

 

■カジュラホの位置と概要

カジュラホはインド中央部のマディヤ・プラデーシュ州の北西部、デリーからは南東に約650kmに位置する町です。規模としては非常に小さな田舎の村、という具合ですが、そのユニークな遺跡群の存在のために世界的に有名です。

 

デリーからカジュラホへ行くには、乾期のシーズン中であれば、国内線が運航されますが、1日1,2便のみの運航です。もし国内線の運航がない・もしくはスケジュールが合わなければデリーから特急列車でジャンシーという街まで行き、そこから車両で約4時間程移動すると、カジュラホに到着します(長い道のりですが…)。

または、バラナシ、アグラ、ジャイプル等からカジュラホ行の列車も運行されていますので、カジュラホのみ単体で行くのではなく、周辺の観光地と一緒に組み合わせて行かれると良いかと思います。

 

 

 

カジュラホの遺跡群は東・西・南の3群に分かれており、そのうち西・南の2群がヒンドゥー教、東群はジャイナ教の寺院が残っています。最も人気があるのはメインとなる大規模な寺院が集中する西群のエリアです。それぞれのエリアは車で5分ほどの距離に位置しています。

 

巨大な寺院の壁面を覆うように施された精緻な彫刻群はまさに圧巻の迫力があり、特に男女の性行為の様子を表現したミトゥナ像と呼ばれるユニークな彫刻を見るため、多くの旅行者が訪れます。

 

 

カジュラホ
一瞬ぎょっとするカジュラホのミトゥナ像

 

これらの寺院は10世紀初頭から12世紀末までの間にこの地で栄えたチャンデーラ朝が建設したものです。チャンデーラ朝は5世紀ごろから北方の遊牧系の民族が定住化・ヒンドゥー教化して古代クシャトリヤの末裔を自称し、各地に王国を建設したラージプート族の一派です。当時は全部で85もの寺院を建設したと言われていますが、現在はそのうちの25の寺院が残されております。

 

現存する寺院の多くは970~1030年の間に建設されたもので、主要なものではヤショヴァルマン王の治世のラクシュマナ寺院ダンガ王の治世のヴィシュワナータ寺院、そしてヴィリダダーラ王の治世の建設であり現存する最大の寺院・カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院などです。また、東群のジャイナ教寺院も同時期に建設・利用されたことが分かっており、当時のカジュラホでヒンドゥー教徒とジャイナ教徒が平和的に併存していたことがわかります。

 

 

寺院群は12世紀後半までは実際の信仰の場として利用されていましたが、13世紀からはデリー・スルタン朝の支配下に入り、その後のイスラム系王朝の支配の下でもヒンドゥー教寺院の破壊が進められ、多くの寺院がそのまま放棄されました。

 

その後、19世紀に英国の測量士がカジュラホを発見するまでは寺院群はジャングルに覆われていました。カジュラホは1986年に世界遺産に登録され、柵の設置や公園内の整備、また街に空港を建設するなど観光地としての整備も進められています。

 

カジュラホ
美しく整備された公園。時期によってはブーゲンビリアが綺麗に咲きます

 

■ミトゥナ像とシャクティ信仰

カジュラホの際立った特徴はミトゥナ像と呼ばれる、男女の性行為の場面を描いた彫刻です。ミトゥナは「性的合一」を指すサンスクリット語で、カジュラホでは2人あるいはそれ以上の男女、また時には動物が交わった像が寺院の壁面に数多く彫刻されています。カジュラホのこの様なユニークな彫刻群はただ単に性行為の場面を描いたものではなく、実はヒンドゥー教のシャクティと呼ばれる独特の信仰の表現によるものです。

 

カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像

 

ヒンドゥー教ではシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの男性神3柱が主神とされていますが、現在ではブラフマーの人気が低くなり、それに代わって女神信仰がもう一つの主な一派となっています。現在のヒンドゥー教における女神には、もともとはヒンドゥー教由来ではない土着の地母神が多く存在します。ヒンドゥー教はそれらの地母神を男性神の伴侶の女神、またその女神の化身として設定することで、土着の信仰集団をヒンドゥー教に取り込み、勢力を拡大していきました。ヒンドゥー教の主な神々が多くの化身を持っているのも、このような宗教としての発展の歴史に由来しているものです。

 

シャクティとは「」あるいは「性力」と訳されますが、単に性的な力を指すものではなく、もともとは神の内部に宿る神聖なエネルギーを指す概念です。そして、そのシャクティは男性神としては現れず、女性の姿で顕現すると考えられました。つまり、例えばシヴァのシャクティ(神の力)は妻のパールヴァティ、あるいはその化身のドゥルガーやカーリーの姿で現れる、という考えです。

 

そこからヒンドゥー教では、男女が一つとなって初めて完全なものとなるという思想が生じます。顕著な例がシヴァ神とその妻パールヴァティが一体となったというアルダーナリシュヴァラと呼ばれる姿。右半身がシヴァ、左半身がパールヴァティのこの神の姿は、まさに男女の性的合一、完全な状態を表しています。

 

アルダーナリシュヴァラ
アルダーナリシュヴァラ

 

女神信仰はシャクティ派と呼ばれ、各地で様々な女神がシャクティの顕現として信仰されています。現在ではシヴァ派、ヴィシュヌ派に並ぶ勢力となっており、ブラフマー神に代わって新たなトリムルティを形成しているとも言えます。またシャクティ信仰の思想はシヴァ派・ヴィシュヌ派にも影響を与えており、シヴァ、ヴィシュヌのシャクティはそれぞれの妻となる神の姿で顕現すると考えられています。

 

そのようなシャクティ信仰が彫像として具体化する際には、時として特に性的な部分が強調され、非常にエロティックな像として現れます。カジュラホの寺院を装飾するミトゥナ像や天女の像はこのようなシャクティ信仰に基づくものと考えられ、カジュラホの寺院を特徴づけています。

 

 

カジュラホその②へと続きます!

 

 

 

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ジャイプル③ ジャイプルの観光スポット!

ナマステ! 西遊インディアです。

今回は、人気の観光スポット・ジャイプルのみどころを詳しく紹介します。

 

▮アンベール城

 

山上の砦:アンベール城
山上の砦:アンベール城。左奥にはさらに古い都であるジャイガルが見えている。

アンベール城は、1727年にジャイプルの建設が始まるまでアンベール王国の都として利用されていた城。ジャイプル市街から約11㎞北東に位置し、平野部から40mほど標高の高い丘の上に建設され、周囲は堅牢な城壁で囲われています。

 

ここでは、入り口から城内部へ象のタクシーに乗ることができます。当時は象での入場は一部の上流階級にのみに限られていましたが、現在では一般の観光客もマハラジャ気分で象に乗ることができます!人の視点よりはるかに高い像の背からの景色は格別です。

 

象のタクシーに乗ってアンベール城へ
象のタクシーに乗ってアンベール城へ
象の背からの眺め
象の背からの眺め

入り口の広場で像を降り階段を上ると、広場を見下ろす場所にあるのが一般謁見所ディワニ・アームです。貴族向けではなく一般民衆に開かれた謁見所ですが、柱や欄干の細かな装飾の美しさが光ります。

 

一般謁見所(ディワニ・アーム)

 

ここからガネーシャ門をくぐると、王族のエリアとなります。細やかな装飾で彩られた門はアンベールでも最も有名なスポットのひとつ。麓から見上げると堅牢な城壁のイメージが強い城ですが、ガネーシャ門の内側へ足を踏み入れると繊細で豪奢な装飾に彩られた建築が並んでおり、当時の様子を偲ばせます。

 

ガネーシャ門
ガネーシャ門

 

鏡による装飾が美しい「鏡の間」
鏡による装飾が美しい来賓謁見所ディワニ・カースは、「鏡の間」としても知られます。

 

最奥部に位置するハーレム。壁面にはいたるところにフレスコ画の装飾が施されています。
最奥部に位置するハーレム。壁面にはいたるところにフレスコ画の装飾が施されています。

▮シティ・パレス

 

シティ・パレス 中央の建物に旗が掲げられている
中央の建物(チャンドラ・マハル)に、王族が滞在していることを示す旗が掲げられている

シティ・パレスは、1733年に完成したジャイプルの宮殿。現在でも一部で王族が暮らしており、王族が滞在しているときには、王宮にそれを示す旗が掲げられています。

 

まず中央に位置するのが貴賓謁見所のディワニ・カース。謁見の間には銀製の巨大な甕が置かれており、これは1902年に当時の王がイギリス国王へ謁見に向かう際、ガンジス川の水をこの甕に入れて運び、船の上で沐浴をしたものです、高さ1.6mのこの甕は世界最大の銀製品としても知られています。

 

シティ・パレスの一般謁見所と銀の壺
シティ・パレスの貴賓謁見所と銀の甕

このディワニ・カースの広場の周りに各施設が隣接しており、西側にはピタム・ニワス・チョークと呼ばれる中庭が広がっています。この回廊部分にクジャクの扉をはじめとする4つの装飾扉が設置されています。

 

ピタム・ニワス・ チョウクのクジャクの扉 上部の装飾
ピタム・ニワス・ チョウクのクジャクの扉 上部の装飾

また、迎賓館ムバラク・マハル、一般謁見所ディワニ・アームは現在はどちらも展示室として公開されています。残念ながら施設内の写真撮影は禁止されていますが、当時の王族が身に着けた豪奢な衣服やテキスタイル、またジャイプルの諸王の肖像画等を見学することができます。

 

 

ジャンタル・マンタル天文台

ジャイプルの街を建設したジャイ・シン2世は天文学に造詣が深く、インド各地に天文台を建設しました。ジャイプルのほかにもデリー、ウジャイン、バラナシ、マトゥラーと計5箇所に天文台が建造されましたが、ジャイプルのものが最大規模を誇ります。

 

敷地内には様々な天体観測機器が並んでいますが、最大の機器がサムラート・ヤントラと呼ばれる日時計です。基本的に日時計は高さが高くなるほど計測精度が上がるものですが、高さ27.4mのこの日時計は2秒単位の時間を計測できます。

 

ジャンタル・マンタルの巨大な日時計:サムラート・ヤントラ
ジャンタル・マンタルの巨大な日時計:サムラート・ヤントラ

インドでは占星術が非常に重視されていたため、正確な時刻や天体の位置を観測するために各地にこのような天文台が作られました。ジャイプルではラーシ・ヴァラヤ・ヤントラと呼ばれる観測器が12星座のそれぞれの方向に向かって設置されており、併設された機器と併用することで非常に正確な星座の観測を可能にしていました。

 

ラーシ・ヴァラヤ・ヤントラ
12星座を観測するラーシ・ヴァラヤ・ヤントラ。同様の小型の機器が12基並んでいます。

ジャイプルのジャンタル・マンタルには全部で16の観測儀があり、それぞれ時刻や天体の位置、日の出と日没の方向、赤道座標…など様々な観測を担っており、またそれぞれの観測結果を補正データとすることでより正確な観測が可能でした。マハラジャはこれらの機器をもとに暦の製作や天候予測を行い、政治や祭儀に活用していたといわれています。

 

天体の赤道座標と地平座標をはかるジャイ・プラカーシュ・ヤントラ
天体の赤道座標と地平座標をはかるジャイ・プラカーシュ・ヤントラ

ジャンタル・マンタルは1901年に修復が行われ、現在も正確に観測がつづけられています。イギリスの統治が始まってから欧米由来の高性能な観測機器が持ち込まれたためにその後の拡大がされることはありませんでしたが、ジャイプルの天文台は現在でも十分に機能しており、実際にその様子を見学することができる数少ない場所です。

 

ラグ・サムナート・ヤントラ
小型の日時計であるラグ・サムナート・ヤントラでは、影から実際の時刻を確認することができます。

 

 

▮風の宮殿 ハワー・マハル

1799年にジャイ・シン2世の孫:プラテープ・シンによって建設。シティ・パレスのそばの大通りに面して作られており、宮廷の女性たちが外から姿を見られずに街の様子を見られるように窓がつけられています。どの窓からも風が入るような設計から、風の宮殿と称されます。

 

風の宮殿:ハワー・マハル
風の宮殿:ハワー・マハル

前面からの姿が非常に印象的な建築ですが、背後へ回ってみると意外と奥行きの無い建物であることがわかります。出窓部分には鮮やかなステンドグラスが施されており、町の様子を一望することができます。また反対側には上述のシティ・パレスやジャンタル・マンタル、さらにアンベール城へと続く岩山まで見通すことができ、市内の絶好の展望スポットにもなっています。

 

背面から見た風の宮殿
背面から見た風の宮殿

 

出窓部分のステンドグラス
出窓部分のステンドグラス

また、ジャイプルは宝石や彫金、象牙細工、絨毯、陶器、手織物などの手工業が盛んなことでも知られています。特にブロックプリントと呼ばれる独特な手法で装飾される更紗は世界的に評価が高く、これを買うためにジャイプルを訪れる人も少なくありません。

 

ジャイプルの手芸店。美しい糸が一面に並びます。
ジャイプルの手芸店。美しい糸が一面に並びます。

 

ブロックプリントについてはこちらの記事で特集しています!ぜひ併せてご覧ください。

■ジャイプル ブロックプリント編

 

 

 

Text by Okada

 

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ジャイプル② ラジャスタン州とラージプート族

ナマステ、西遊インディアです!

今回はラージャスターン州とこの地で長い定住の歴史を持つラージプート族について、ご紹介します。

■ラージャスターン州とラージプート族

 

前回ご紹介した通り、ジャイプルはインド北西部、ラジャスタン州に位置しています。ラジャスタン州はインド最大の土地面積を有する州であり、その名は「王(Raja)の土地(Sthan)」を意味します。もともと古代インドのサンスクリット語で「部族の長」を意味する語だった「ラージャン」は後に「王」の意に転じ、インドの支配者たちが長く用いてきました。そして、「王の子」を意味するサンスクリット語の「ラージプトラ」の俗語形がラージプートです。

 

ラージプート族は自らの部族を古代インドの栄誉ある戦士階級とされるクシャトリヤの正統な末裔であると主張します。クシャトリヤは、5世紀頃に中央アジアからインドへ入ったエフタルに伴ってインドへやってきた中央アジア系の民族や、土着の諸部族にルーツを持つと考えられています。

 

インドの歴史的な身分制度:ヴァルナ制ではバラモン(祭司)・クシャトリヤ(戦士)・ヴァイシャ(平民・商人)とシュードラ(労働者・隷属民)の4つに分けられることはよく知られています。インドの王権社会では、政治的権力をつかさどるクシャトリヤ階級、そして宗教的権力を司るバラモン階級がお互いに協力して支配者階級としての特権を維持しようとしていました。これは王権の偉大さを主張したいクシャトリヤはバラモンにクシャトリヤの宗教的な正しさを示してもらい、バラモンはクシャトリヤに宗教的な権威を与えることで自らの庇護を求める、という互助関係です。

 

あくまでバラモンは司祭階級である自分たちが最高権力であるという立場でしたが、実際には王権をもつクシャトリヤの力は強大であり、クシャトリヤとバラモンの関係も完全な協力体制ではなく微妙なバランスの上に成り立つものでした。2階級間の争いも多く、ヴィシュヌの6番目の化身・パラシュラーマの物語にもみられるように、ヒンドゥー教の神話の中でもその軋轢が描かれています。

 

クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右)
クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右) (画像出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

ラージプート族も自らの宗教的な権威を民衆に示すためにバラモンを利用しました。8~12世紀の北西インドはラージプート時代と呼ばれ、ラージプート族がバラモンの協力を受けて神話上の英雄にまで遡る系統図を作っています。自らが英雄的な神の子孫であることを示すことで、王権の正当性を築いたというものです。

 

ラージプート族はクシャトリヤの戦士の末裔としての自負を持ち、強い結束を持った誇り高い戦士として知られています。封建的な社会で上下関係と騎士道を重んじ、女性には貞淑が求められました。独立勢力としての誇りが高かったためにラージプート族全体で団結することはありませんでしたが、その後の度重なるイスラム勢力の侵入に対しても個々に抵抗し、インドにイスラム政権が成立した後も政権に服従しながらも地方勢力として存続し、たびたび離反・独立してイスラム勢力に対抗しています。

 

ムガル帝国の弱体化した後はインドの他勢力と同様にイギリスの侵略を受け、19世紀初めまでにその多くが藩王国としてイギリスに吸収されていきます。その後、インド独立後にラージプートの諸藩王国はラジャスタン州として併合されていきました。

 

ジャイプルからは少し離れますが、同じラジャスタン州のチットールガルを舞台にした映画『パドマーワト 女神の誕生』が2018年インドで作成・公開されました。インド映画史上最高の製作費約36.4億円をかけて作成されたというこの映画は、日本でも話題となり2019年に公開されています。

13世紀のラジャスタンを舞台にした本作では、ジャイプルのジャイガル城(アンベール城の奥に控える要塞)でもロケが行われました。

 

(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions
(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions

 

脚本や映画の時代考証等でインド国内で大きな論争を引き起こした映画ですが、インド映画史上最も興行的に成功した映画の一つでもあり、当時のラジャスタンの雰囲気を体感できる映画です。

 

詳しくは神保監督のブログをご覧ください!

 

■パドマーワト 女神の誕生 | 700年の時を越え現代に甦る、伝説の王妃 ラーニー・パドミニー

 

 

今回は文字ばかり多くなってしまいましたが、次回は写真をジャイプルの街の見どころを写真をたっぷり使ってご紹介します!

 

 

Text by Okada

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