秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

10月、神々の里高千穂 天孫降臨の地を訪ねてのツアーに同行させていただきました。今回はツアー中のハイライトである高千穂に登頂した際の様子をご紹介いたします。

 

【天孫降臨の地 高千穂峰】

霧島山脈の高千穂峰の山頂は古事記、日本書紀に記された天孫降臨の有力候補地の一つと言われ古くから信仰の地とされてきました。天孫降臨とはアマテラスオオミカミの命を受け、孫にあたるニニギノミコトが神々が暮らす高天原から地上に降臨するエピソードのことで日本神話の中でも非常に重要な場面の一つと言われています。高千穂峰は標高1,574メートル、霧島山脈の第2峰、日本200名山の一つです。頂上にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾が現在もあり、現在も尚参拝客が訪れます。また、山頂からは眼下に広がる霧島山脈を堪能できる素晴らし眺望のため、春から秋にかけて全国から沢山の登山客で賑わいます。

   天高く聳える高千穂峰

ニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾(あまのさかほこ)

山頂付近からの眺め。眼前には御鉢(おはち)山がそびえる

 

高千穂峰は麓の高千穂河原の登山口から往復で4時間で登頂が可能です。朝8時半、登山口を出発斜面を登っていきます。森林限界を超え、急斜面を暫く行くと。御鉢山が見えてきます。御鉢山は高千穂峰の西側斜面に寄り掛かるように重なる円錐形の火山であり、直径約600メートル、深さ約200メートルの円形火口です。火口からは噴気が立ちのぼっており、火口壁の頂上付近は絶壁をなしており、この上を通る登山道は「馬の背」と呼ばれています。

 

森林限界を越え、ひたすらガレ場を登っていきます

現在も火山ガスが出続ける御鉢山の火口

スリリングな「馬の背」を歩き眼前に聳える高千穂峰へ

「馬の背」からは遥か霧島連山が見渡せる(下山時)

 

馬の背を暫く進むと欽明天皇(540-571)の時代に高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の背門丘(せとお)に社殿が建立された旧霧島神宮の社殿跡が見えてきます。社殿は御鉢山の度重なる噴火によって消失し、10世紀に麓(現在登山口のある高千穂河原)に移されました。ここまできたらあともう一息。一気に山頂までの急斜面を登っていきます。

 

眼前についに姿を現した高千穂峰

 

旧霧島神宮の社殿跡

 

山頂までは急斜面を一気に登っていきます

 

ついに山頂に到着しまいた。山頂にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたと言われる天の逆鉾があり、眼下には霧島の大自然が広がります。参拝を済ませ、各々お気に入りの場所をみつけて小休憩をとります。この日は天気にも恵まれ、素晴らしい眺めはここまで苦労をして急斜面を登ってきた我々への最高のご褒美となりました。

 

山頂に突き立てられた天の逆鉾

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景①

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景➁

 

高千穂峰の登頂は神話の世界と霧島の大自然を一度に体感することのできる、まさにこのコースのハイライトと言えます。登頂ができるシーズンは春から秋にかけてとなりますが、特に注目すべきは霧島山脈周辺でミヤマキリシマが咲く5月~6月です。高千穂峰では5月下旬から6月上旬にかけて、山頂付近が紫紅色に彩られます。ミヤマキリシマの開花する季節に合わせた日程でコースを設定させていただきましたので、是非ご検討ください。

 

どこまで続く雄大な霧島の大自然(馬の背)

 

 

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日本のロングトレイルのパイオニア・先駆けとして有名な「信越トレイル」を7月と10月に歩きました。長野県と新潟県の県境に連なる関田(せきだ)山脈の尾根沿いにつくられたこのトレイルは、かつては信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や米などが、信濃からは内山紙や菜種油などが運ばれました。古くは親鸞聖人の布教の道、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に兵を連れて峠越えをしたとも言われています。また、標高1,000m級のこの山脈は、積雪が8mを超える豪雪地帯で、貴重な原生林に近い状態のブナの森が残されています。この全長80km、6つのセクションに渡る「信越トレイル」を6日間かけて踏破した時の様子をご紹介いたします。

セクション4・戸狩のブナ美林を行く(7月)

■1日目(セクション1の前半):斑尾高原登山口→斑尾山→万坂峠
飯山駅より、冬はスキー客で賑わう斑尾高原を通り、斑尾高原の登山口へ向かいました。登山口は、キャンプ場になっておりキャンパーの姿も見えました。トイレを済ませ、早速トレッキングを開始です。スキー場の斜面なので、見通しがよく気持ちよいですが、いきなり急登に汗が吹き出します。

見通しの良い斑尾高原登山口

7月下旬にはニガナ、ノリウツギ、ウツボグサ、ネジバナ、ヤナギラン、タムラソウ、ヒヨドリバナ、ゴゼンタチバナなどが咲いていました。

ヤナギラン(柳蘭)葉が柳に似ていて、花をランにたとえたのが名の由来。

ゴゼンタチバナ(御前橘)花の咲く株は葉が6枚にまで成長したもので、4葉の株にはつかない。

いきなりの急登に汗が吹き出します(7月)

1時間弱で「県境ベンチ」という見晴らしの良い展望ポイントに到着。ベンチの色が新潟側が青色、長野側が緑色になっていました。カエデの大木が1本あり、目印になっています。天気が良いときは、信越トレイルのゴール・天水山まで見えるそうですが、生憎の曇り空。それでも眼下に斑尾高原と飯山盆地が広がっており、時折吹く風と相まって、気持ちがよいところでした。

見通しの良い県境ベンチ(7月)

ここから樹林帯の山道に変わり、リフト終点、北山頂を経て、斑尾山の山頂へ。ここが信越トレイルのスタート地点になりますが、トレイルに進む前に、大明神岳を往復しました。大明神岳は、晴れていれば北信五岳の飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山を一望できる展望ピークなのですが、残念ながら山の展望はなく、眼下の野尻湖を見て引き返しました。

大明神岳より野尻湖を眼下に(7月)

再び斑尾山を経て、北山頂から急な斜面を下りました。タングラム・スキー場と斑尾高原スキー場の境になっています。このあたりは、ウダイカンバの木が多く、ダケカンバやシラカバと混生していました。ダケカンバは、通常は亜高山帯(1,700m~2,500m)に生育しますが、この辺りでは、1,000m程度なのに生育しています。これは厳しい気候条件であることを物語っています。万坂峠に到着しこの日の行程を終了しました。

ウダイカンバの混生する斜面を万坂峠へ(7月)

■2日目(セクション1の後半~2):万坂峠→赤池→涌井
万坂峠より30分弱で袴湿原に到着。7月にはサンカヨウの実やウバユリのつぼみ、マルバフユイチゴ(コバノフユイチゴ)の葉、マタタビの葉、ギボウシの花などが咲いていました。

袴湿原(7月)

ギボウシ(擬宝珠)つぼみ又は包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ることに由来。

袴岳を越え、急な下りで柏ヶ峠へ。そこからはほぼ平坦で、途中から未舗装の林道になり、セクション1の終点である赤池に到着。

赤池(7月)

ブナの木にツキノワグマの爪痕

アガリコと呼ばれるコブ状になったブナ(7月)

さらに林道を進み沼の原湿原へ。湿原は、南に広がっていますが、トレイルは北側をかすめるように進みます。7月にはオタカラコウ、クルマユリ、オカトラノオなどが咲いていました。

沼の原湿原(7月)

クルマユリ(車百合)茎に輪生する葉を車輪の輻にたとえたことに由来。

オタカラコウ(雄宝香)

ブナとサクラが植樹された命(いのち)の森は、ヒヨドリバナのお花畑になっていて、風があり気持ちのよいところでした。その後、希望湖(のぞみこ)へ。東山魁夷の「静映(せいえい)」のモデルになった美しい湖でボート乗り場がありました。

ヒヨドリバナにとまる“海を渡る蝶”アサギマダラ(7月)

希望湖(7月)

飯山盆地が眼下に広がる毛無山(大平山)を経て、涌井新池へ下りました。10月にはアケビや山ブドウがたわわに実っていて、秋に味覚を楽しみながらのんびり進みました。未舗装の林道をゆるやかに下って、涌井の集落に到着しました。

畑の間を緩やかに下り涌井へ

マツヨイグサ(待宵草)

アケビの実(10月)

■3日目(セクション3):涌井→黒岩山→仏ヶ峰登山口→とん平(戸狩温泉スキー場)
涌井からいきなりドロドロの登山道を30分ほど苦労して進むと、未舗装の林道になりました。ほぼ平坦で道幅も広い道で、富倉峠、大将陣跡、北峠・ソブの池、黒岩山へと進みました。

林道脇のオオイワカガミの群生(7月)

歩きやすい未舗装の林道歩き(7月)

富倉峠に残されている石垣(7月)

未舗装の林道をなおも進み、テントサイトになっている桂池・平丸峠へ進みました。桂池から仏ヶ峰登山口までの区間が、この日の核心です。歩きやすい林道から悪路の登山道に変わり、かつ2つの沢を越えるため、アップダウンもあり、2時間が長く感じました。

悪路の沢越え(10月)

ようやく視界が開け、スキー場のリフト終点になっている仏ヶ峰登山口へ。その後、戸狩温泉スキー場を下って、とん平に到着しました。

仏ヶ峰登山口より戸狩温泉スキー場を望む

■4日目(セクション4~5の前半):とん平→仏ヶ峰登山口→鍋倉山→関田峠→牧峠
今日の行程は、6日間の中で一番長く、コースタイムで8時間30分。かつ、登山口のとん平からずっと登りが続き、鍋倉山までの標高差は600m強。頑張りどころです。

まずは仏ヶ峰登山口へ登り返し(10月)

仏ヶ峰登山口から急登を30分ほど登ると、今は使っていないリフト終点に到着。ここから先は、稜線上のアップダウンを仏ヶ峰へ。小沢峠(こざわとうげ)の先には、「戸狩のブナ美林」と呼ばれている若いブナ林がありました。

戸狩のブナ美林(7月)

その先は、鍋倉山までやせ尾根のアップダウンが続きます。やせ尾根といっても樹林帯なのでさほど恐怖感は感じませんが、慎重にすすみます。10月には、西側に日本海、東側に千曲川と栄村、野沢温泉の景色が広がり気持ちの良い稜線でした。

鍋倉山を正面に痩せ尾根を進む(10月)

久々野峠(くぐのとうげ)に下り、黒倉山に登り返しました。眺めがよく、米山(よねやま)と日本海、直江津の火力発電所まで見ることができました。

西側に広がる日本海の景色(10月)

目を凝らすと直江津の火力発電所が(10月)

高田藩の鉄砲隊の詰め所に通じる峠から名づけられた筒方峠(どうがたとうげ)を経て、セクション4の終了点・関田峠へ。関田峠は、16ある峠の中で最も標高が高く、かつ新しくできた峠道です。この辺りは積雪のため横に曲がって伸びたブナが多く、またいだり、くぐったり、時には頭をぶつけながら進むことになりました。梨平峠を経て、牧の小池へ。ここから急斜面を30分ほど下り、ようやく牧峠に到着しました。

ようやく牧峠に到着(10月)

牧峠は鷹柱と鳥の渡りでバードウォッチャーには有名な場所で、10月には数名の方が大きな望遠鏡とカメラを設置しており、親切にも望遠鏡をのぞかせてくれました。

鷹柱と鳥の渡りで有名な牧峠(10月)

■5日目(セクション5の後半~6の前半):牧峠→花立山→伏野峠→野々海峠
牧峠からいきなり急登から始まりました。また、昨日同様に横に曲がって伸びたブナが多く、またいだり、くぐったり、時には頭をぶつけながら進むこととなりました。このあたりには、7月にはツクバネソウの花が咲いていました。

ツクバネソウ(衝羽根草)

花立山から伏野峠(ぶすのとうげ)までは、多少のアップダウンはあるものの、おおむね平坦な道が続きました。

宇津ノ俣峠から伏野峠へ(7月)

伏野峠はセクション6の起点となります。地面にめり込んだ信越トレイルの看板を見ると雪の重さを実感します。

雪の重みで地面にめり込んだ看板(7月)

伏野峠からは須川峠、菱ヶ岳分岐を経て、アップダウンを繰り返しながら進むと、野々海峠(ののみとうげ)に到着しました。

アップダウンを繰り返しながら野々海峠へ(7月)

■6日目(6の後半):野々海峠→ 天水山→松之山口
野々海峠から20分ほどで長野県最北端の展望ポイントに到着です。越後三山の越後駒ケ岳と八海山、中ノ岳に加え、巻機山などが見える好展望地でした。

野々海峠(10月)

長野県最北端の展望地(10月)

さらに45分アップダウンを繰り返し深坂峠(みさかとうげ)に到着しました。深坂峠は、日本海と刈羽黒姫山と弥彦山。守門岳、浅草岳、越後三山、平ヶ岳、巻機山などが見える新潟側の展望が良い峠です。

深坂峠(10月)

三方岳から天水山までは、2時間弱の道のりです。アップダウンを繰り返して天水山を目指します。

新潟側の展望(10月)

「熊太郎」と呼ばれるブナの巨木が出てきたら、天水山への最後の登りとなりました。美しいブナ林の中を一歩一歩かみしめるように登りました。

ブナの巨木「熊太郎」(7月)

天水山への最後の登り(7月)

6日目という長きに渡った信越トレイルの終点・天水山にようやく到着しました。その後は、松之山口へ急斜面を慎重に下りました。ここには真っすぐに伸びた若いブナ林が広がっていました。昔、薬草オウレンを栽培するために下草を刈り取った所、林の中まで光が入るようになり、ブナが元気に育ったそうです。その後、オウレン栽培は採算が取れずに終了したそうですが、結果としてこのようなブナ林となったそうです。最後を飾るに相応しい美しいブナ林でした。

松之山口への下り(10月)

黄葉のはじまったブナ林(10月)

松之山口に到着し、無事に80kmを完全踏破することができました。まさに原生林に近いブナの森の豊かさや美しさをじわりと感じる事のできる素晴らしいトレイルでした。

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日本の手仕事を見て周る「テキスタイル紀行」シリーズ。新しい企画として、近畿圏内を開拓中です。そこで今回は、言わずと知れた染織の一大産地である京都の西陣織の工房見学に行った時の様子をご紹介します。

西陣織

西陣織とは・・・

「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染(さきぞめ)の紋織物」の総称です。

(西陣織工業組合ホームページより)

その歴史は古墳時代にまで遡ります。大陸からの渡来人である秦氏の一族が山城の国、今の太秦あたりに住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えたと言われています。平安時代の朝廷では絹織物技術を受け継ぐ工人(たくみ)たちを織部司(おりべのつかさ)という役所のもとに組織して、綾・錦などの高級織物を生産させ、国営の織物業が営まれました。

西陣とは「1200有余年の歴史を刻む織物の街」で、日本を二分する戦いとなった応仁の乱(1467-1477)にて、西軍の陣地が置かれていたあたりのことを指します。そして、西陣の織屋(織物業者)が製造する織物を西陣織と言い、法律によって現在では12種類の品種が西陣織に指定されています。

今回見学させていただいたのは、「織匠平居」さん。西陣織と聞くと「帯」をイメージする方も多いかも知れませんが、平居さんはお坊さんが身に纏う法衣金襴の織元さんです。昔ながらの土間の工房には、大きな高機が4台置かれていました。機は埋め機。土間を少し掘り下げて据えることで、一定の温度と湿度を保つことができるそうです。それにしても大きな織機で、これまで何ヶ所かの工房を見せていただきましたが、これ程奥行きも高さもあるものは初めて見ました。

 

「西陣織の特徴は、全てが分業制であること、また、ジャカードを使っていること」と平居さん。不具合が少なく、安定しているのはフロッピーディスクなのだそうで、フロッピーディスクに入れられた織物の情報(デザインや組織)は、ジャカードによって取り出されて、綜絖を通して織機に伝えられます。

 

経糸は、4,880本×2が基本(デザインによります)。「×2」というのは、糸が非常に細いので2本を1本として織るためです。

 

細かく美しい紋織。「多少の誤差はご愛嬌」だそうですが、それでも3mm以上のズレは許されません。その技術を身に付け、一人前と言えるようになるまでには、3~5年はかかるそうです。糸は絹を使いますが、緯糸として「箔」と呼ばれる和紙に金箔等を貼り付けたものを糸のように細く裁断したものも使います。箔を入れることで更に輝きを増します。金箔は、純金ではなく22~23金。純金だと輝きが少ないのだそうです。

 

織機にかかっている織り上がった部分は、裏面が上になっており表面は下となります。そのため、下には鏡が置いてあります。これは、緯糸を通すために経糸を持ち上げる際、裏が上になるように織っておけば、持ち上げる経糸の量が少なくて済む、つまり、労力を節約できることになるそうです。

 

昔は機の上に人が乗り、上から経糸を持ち上げていたそうです。

 

織匠平居さんでは、この素晴らしい西陣織の技術を少しでも多くの人に知ってもらいたいとのことで、できる範囲内での情報発信などをされています。



 

近くには西陣織ミュージアム「織成館」、また西陣織会館もあります。この日はこの今出川の周辺をぶらぶらと歩いて散策していましたが、織屋さんや関連する工房の看板や表札をあちこちで見かけました。さすが西陣の町。京都御所や北野天満宮へ行く人は多くても、工房へは足を運ぶ方は少ないそうです。

近々、京都(もちろん西陣織も)を含むツアーを発表予定です。是非、ご検討ください!

日本国内のツアーを造成・添乗していく中で、まだまだ知らないところが多く、こんなところがあったのかと日本の魅力を再発見する日々です。

 

今回は「史跡と伝説・絶景の隠岐4諸島巡り」のコースをご紹介します。

 

隠岐諸島

隠岐諸島は島根半島の北約40~80kmに位置し、大小180を超える島で構成される群島です。道後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられ、知夫里島・中ノ島・西ノ島の3島を島前、隠岐の島町1島を島後と呼びます。この4島の陸域と海岸から1kmの海域を合わせた部分が隠岐ユネスコ世界ジオパークとして認定されており、何億年も続いている台地の成り立ちやその大地に育まれた独自の生態系、人の営みなど知ることができます。

 

知夫里島

島根の七塁港を出発しまず向かったのは本州から最も近く隠岐の玄関口、知夫里島。

赤ハゲ山展望台からはカルデラ湾に浮かぶ島前の島々を見渡すことができます。島前の島々の成り立ちがよくわかり、島内を見れば放牧された牛たちや以前利用されていた牧畑農業の石垣を見ることができます。

赤ハゲ山展望からの眺め

 

 

赤壁では、荒々しく削り取られた断崖のざっくりとえぐられた赤褐色の岩肌と海の青と空の青のコントラストが非常にきれいでした。

赤壁

中ノ島

知夫里島から内島船にのり、中ノ島へ。中ノ島は承久の乱で島流しになった後鳥羽上皇がいらっしゃったところです。後鳥羽上皇は隠岐に流され、都に帰還することなく19年を隠岐で過ごしました。ツアーでは後鳥羽上皇をお祀りする隠岐神社や後鳥羽上皇御火葬塚を訪れました。隠岐神社には後鳥羽上皇がお好きだった蹴鞠を行う鞠庭(鞠場)があります。

隠岐神社

後鳥羽上皇御火葬塚

明屋海岸では遊歩道を歩いていくと、岩がハート型に見えるポイントがあります。

明屋海岸

西ノ島

西ノ島には後醍醐天皇が1年ほどすごしたとされる黒木御所跡がありますが、非常に狭いスペースです。

※後醍醐天皇の行在所については、島後の国分寺と西ノ島の黒木御在所跡の2つの説があります。

黒木御在所跡

 
イカ寄せの浜では昔イカが拾えるほどたくさんこの浜に押し寄せたそうです。浜には実際にイカを拾う様子が看板になっています。

イカ寄せ浜

昔、由良比女の命が海に手を差し出したところ、イカに噛みつかれたことがこの浜にイカが集まりだした始まりだそうです。

その由良比女を祀る由良比女神社は灯籠や本殿にもイカが彫られている珍しい神社です。

由良比女神社

由良比女神社の灯籠

国賀海岸の遊覧船ではその時の天気や波の状況でルートは変更になりますが、迫力たっぷりの摩天崖や通天橋を船から眺めることができます。

波が高くなければ明暗の岩屋へも入れます。船の幅ギリギリの入り口を進んでいきます。

遊覧船から見た通天橋

明暗の岩屋 入り口

もちろん海からだけではなく、陸からも摩天崖を楽しんでいただけます。摩天崖の入り口から通天橋まで牛や馬、絶景を見ながらゆっくりとハイキングをしました。

牛や馬が様々なところに

摩天崖ハイキングの風景

隠岐の島町

そして最後の島後では樹齢が数百年以上という三大杉(八百杉、かぶら杉、乳房杉)を見ることができます(乳房杉は台風の影響で道が封鎖されており見ることができませんでした)。

玉若酢神社と八百杉

かぶら杉

また、水木茂ロードが米子から続いており、各観光地の前にモニュメントが置かれています。このコロナ禍に新型コロナウイルスの鎮静化で注目されたアマビエ様もありました。

アマビエ

昨年はあいにくのお天気でローソク島に夕日がともる様子を見ることができませんでしたが、タイミングとお天気次第ではこのような景色を見ることができます。次回添乗に行く際はぜひリベンジしたいです!

夕日がかかるろうそく岩

各地の景色や歴史だけでなく、おいしい料理もたくさんいただきました(時期や宿によって料理は変更になります)。

 

ある日の夕食

 

隠岐諸島だけ訪れるツアーや三徳山投入堂や石見銀山を合わせて訪問するコースもありますのでご興味に合わせてお選びいただけます。

 

九州には百名山が6座あり、その内、屋久島の宮之浦岳を除く5座と200名山の名峰・高千穂峰に登る8日間の九州縦断ツアーをご紹介します。
※今回のレポートは2020年10月末の紅葉の時期、そして高千穂峰の登山を除いた7日間コースのものです。

1日目

大分空港にお集まりいただき早速、専用車にて九重山の登山口・大曲へ。大分空港を出発し、高速道路へ入り、一般道の通称「やまなみハイウェイ」へと入っていきます。九重町へ入り、その名の通り大きく曲がった道に駐車場があるだけの登山口・大曲ですが、紅葉やお花の名峰・三俣山を登るにはここからが便利。準備体操をして出発です。

登山口の一つ・長者原から三俣山

この日は昨日までの雨の影響が随所に

この日は九重特有の滑りやすい黒い土がぬかるみとなっており、いきなり靴が汚れてしまう洗礼。正面に硫黄山が噴気を上げているのが見えてきます。ガレ場の登りを行き、すがもり越に到着。一息入れて三俣山を目指し急登を行きます。まずは西峰(1,678m)へ。

三俣山へ笹の急登を行く

振り返ると明日向かう久住山、中岳方面が視界に

再度の登りで本峰(1,745m)に登頂です。本峰から北峰、南峰が見えます。西峰を加えて4つの頂があるのですが、3つの頂に見えるため三俣山の名が付きました。5月はシャクナゲ、6月はミヤマキリシマが美しいこの山ですが、今回は紅葉が出迎えてくれました。

真っ赤に染まる三俣山・北峰の紅葉

 

ツアーでは訪れませんが、これまた名峰の九重連山・東パート。平治岳や大船山もよく見えます。

平治岳(ひいじだけ1643m)

南峰(1,743m)と奥に大船山(たいせんざん1,787m)

その名の通り砂浜のような北千里ヶ浜へと下り、眼下に坊ガツルのテント場が見えてきます。山荘まで慎重に下山し、本日の宿、法華院温泉山荘に到着。標高1,303mにある九州最高所の秘湯を楽しんでいただけます。石鹸、シャンプーは使えませんが、山小屋で入るお風呂は格別です。

この日の夕食は鳥大根、豚しゃぶなどでした

2日目

山荘裏手から登りがスタート。昨日下ってきた道です。ガレ場を登ると広い北千里ヶ浜に出ます。昨日の分岐を左手に久住山、中岳といった九重連山の主脈、南パートへの登りが始まります。久住分かれの峠に出ると、牧ノ戸峠からの人が増え賑やかに。最高峰の中岳を目指します。中岳と御池は、古くから信仰の対象として崇められてきました。

御池の奥に九重連山の最高峰・中岳

時期によっては霧氷が見られることも

 

中岳に到着です。平治岳と大船山、そして眼下に坊ガツル。坊ガツルは長者原のタデ原湿原とともに、中間湿原として国内最大級の面積を有する湿原で「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」としてラムサール条約の登録湿地となっています。

九州本土最高峰・中岳(1,791m)

平治岳と坊ガツル湿原

次は久住山へ。分岐に戻り久住山へのザレ場の登り。久住山山頂はいつも大人気です。

久住山への登り

久住山(1,787m)山頂

翌々日登る祖母山が見えました

久住山避難小屋まで下山してお弁当タイム。翌日登る阿蘇山も見えています。牧ノ戸峠への下山路は広く整備されていて、たくさんのハイカーとすれ違いながら気持ちの良い道を下山。右手に見えていた星生山(ほっしょうざん:1,762m)の西斜面は見事な紅葉の色づきでした。

星生山の西斜面の紅葉

途中の沓掛山からは阿蘇山の阿蘇五岳がよく見えました。根子岳をお顔としたお釈迦様(涅槃像)に例えられます。

沓掛山(1,503m)から望む阿蘇五岳

牧ノ戸峠へと下山し、阿蘇山の麓の宿へ向かいます。

 

3日目

※このレポートでは阿蘇五岳の内、比較的易しい2座に登りましたが、火山ガスや天候による規制がない場合、最高峰の高岳、そして中岳を縦走します。

草千里ヶ浜から烏帽子岳

観光地の草千里ヶ浜から烏帽子岳、杵島岳、そして噴煙を上げる中岳と奥に最高峰の高岳がよく見えます。烏帽子岳の登山開始。天気が良く、カルデラの地形が良く理解出来ます。遠く、長崎の雲仙岳(普賢岳)も見えます。気持ちの良い尾根歩きからやがて登りへ。

階段の登り

シラヤマギク

少し切れ落ちた斜面にある階段を慎重に通過し山頂へ。

烏帽子岳山頂より祖母山を望む

烏帽子岳山頂からの九重連山

山頂からは360℃の展望で祖母山と九重連山もバッチリ見ることが出来ました。下山はダイレクトに草千里ヶ浜へ。

噴煙上がる中岳火口

正面には九重連山がどっしり

雄大な阿蘇中岳と高岳の景色、そして昨日登った九重連山を見ながら下山。次の杵島岳はアスファルト道がメインです。

杵島岳山頂から噴煙上がる中岳火口と中岳、奥に最高峰の高岳

下山後、南側からの阿蘇を眺めながら宮崎県に入り、宮崎県随一の名勝、高千穂峡を訪れました。

高千穂峡・真名井の滝

高千穂峡でボートを楽しむ人たち

高千穂峡は、阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった峡谷です。遊歩道を往復1時間程歩き、眺めを楽しみます。

4日目

祖母山の高千穂側の登山口はバスは入れず、タクシーに乗り換えなければなりません。北谷登山口から出発です。杉林のジグザグ道を登っていき、開けた尾根の展望台に到着。澄んだ青空に阿蘇、九重、遠く由布岳も見ることが出来ます。

展望台から九重連山

祖母山は隆起した山で、これまでと少し違い、優しいブナ林のトレイル。緩やかなアップダウンの尾根道を行くと、宮崎・熊本・大分の三県境です。

開けた国観峠で大分県の神原(こうばる)コースと合流し、ここからは掘れた足元の悪い道を登り、山頂へ。360℃の展望が迎えてくれました。明日登る霧島連山も遠く見えています。

傾山(1,605m)が聳えます

祖母山(1,756m)山頂

傾山が大きく聳えます。主稜線を忠実に辿る縦走路は祖母山の九合目小屋から傾山の山頂近くの九折越小屋まで丸一日かかりますが、九州の名ルートです。来た道を下山し、一路鹿児島・霧島温泉へ。

5日目

湯けむりがもくもくと上がる霧島温泉の朝。バスで少し行くとすぐに宮崎県側に入り、登山口のえびの高原に到着です。アカマツの樹林帯へと入っていき、5合目に着くと展望が開け、大浪池が見えてきます。大浪池は、直径630m、周囲約2km、常時水を湛える火口湖としては日本で最も高い場所にあります。霧島連山の火山活動によって約4万年前に形成された火口の跡に水がたまって出来ました。

大浪池が見えてくる

韓国岳を見上げる

8合目からは左手に爆裂火口が見え、山頂まではもうすぐです。

8合目付近から見る爆裂火口

山頂へ最後の登り

山頂からは正に漢字の「山」の形の二百名山・高千穂峰(1,574m)と噴煙くすぶる新燃岳(1,395m)が良く見え、360℃の展望を存分に楽しむことが出来ます。

高千穂峰と手前に新燃岳

眼下に大浪池を見ながら縦走開始です。

火口湖がくっきり

韓国岳避難小屋

下り切った所に韓国岳避難小屋があります。一登りして大浪池の縁に到着。展望を楽しみながら半周します。どちらも同じくらいの距離ですが、今回は東回りコースを歩きます。

振り返ると韓国岳

見事なブルーの火口湖です

大浪池口に到着し、石畳の道を下山します。バスで薩摩半島の南端、指宿温泉へ。

 

6日目

開聞岳を目指して出発。展望の良いところで写真タイム。雲がいい感じです。

開聞岳全景

かいもん山麓ふれあい公園に到着。2合目から登山道です。

さすがに南国、そして標高の低さもあり、早々に汗が噴き出ます。シダ類やコケが広がる、常緑広葉樹の森の中を登っていき、時折セミの鳴き声が聞こえてくる山の中はまるで季節が夏に戻ったようでした。途中、ツチトリモチなど珍しい南方系の植生も見ながら進んでいきます。

南国の山ムードが漂います

大岩を越えて行く

登りの際の天候は少しかすんでおり、展望地から晴れていれば見られる種子島や屋久島は見ることは出来ませんでした。巨岩やハシゴが現れ、汗をかきながら開聞岳山頂に到着です。

9合目付近からの眺め

下りでしっかりと展望を楽しみつつ、森の中へ。南国特有の植物もしっかり愛でつつ行きましょう。

ツワブキ

ツチトリモチ

シロバナセンダングサ

下山して開聞岳の雄姿を西側から。締めくくりにふさわしい「薩摩富士」の雄姿です。

午後の開聞岳

バスにて薩摩半島の錦江湾岸を北上し、鹿児島市内の桜島フェリーターミナルへ。船上から鹿児島市街を振り返ると見事な夕日でした。

船上から鹿児島市街の夕日

フェリーから桜島

15分で桜島に到着です。登山はこれにて終了、お疲れ様でございました。

 

7日目

桜島の半日観光。ビジターセンターを訪れ、桜島の歴史と人々の暮らしを学びます。

歩いて体感します

溶岩の残る遊歩道

溶岩なぎさ遊歩道を歩いて周囲の溶岩を実際にご覧いただき、最後は南岳の麓、有村溶岩展望所へ。一面に広がる溶岩の上に根を張るクロマツの森の広がりが、時代による成長度合いで違うのが良く分かります。

またここから見る桜島は、見慣れた横長の桜島とは違い、円錐型を成しています。2つの山が並ぶ複合火山・桜島は、見る場所によって全くその姿が変わることが実感できます。

南側から見る桜島。麓の森の成長具合で噴火の時代が分かります

この日の噴煙は幾分穏やかでした

以上、「火山国」九州が生み出す山岳エリアのご紹介でした。本州よりも少しだけ早く進む季節では春のシャクナゲ、アケボノツツジから初夏のミヤマキリシマなどその時期のその地の花が可憐に出迎えてくれます。楽しく歩いて山を眺めて、そして温泉と九州郷土料理を楽しみましょう。

8日間の縦断ツアー以外にも様々な日数のツアーがございます。
2021花の登山シーズンのスタートはぜひ九州から!

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