秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

「中山道の宿場町を訪ねて」  後編のツアーレポートです。

妻籠宿、寺下の町並み

妻籠宿、寺下の古い町並み

 

妻籠宿(つまごじゅく)

福島関所跡のある福島宿から、西に五つの宿場町を進むと、妻籠宿に到着します。江戸時代の妻籠宿は、奈良井宿などの宿場町と並び、多くの旅人たちで賑わいました。その後、明治以後の交通改革により、妻籠宿は宿場町としての機能を失い、戦後は高度経済成長の波を受け、若者たちの外部流出によって過疎化し、衰退の一途にあったそうです。地元案内人の説明では、同じ頃、妻籠宿のお隣りの馬籠宿が、島崎藤村を押して観光客を誘致し始めており、観光客の足を妻籠宿でも止めたいと、昭和43年より県の助成金などを利用して、妻籠宿の古い町並み保存を開始。これは日本全国に先駆けての古い町並み保存運動のスタートだったそうです。

妻籠宿、歴史資料館

保存前の妻籠宿の町並み(南木曽博物館(歴史資料館)蔵)

妻籠宿、寺下の町並み

町並み保存後、現在の妻籠宿の様子

 

経済成長に伴い日本全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、妻籠宿はいち早く地域を挙げて古い町並み保存運動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地のひとつに選ばれました。
妻籠宿は昭和の名作映画「座頭市」の撮影場所にもなりました。現在でも変わらない古い町並みに、地元の方々のたゆまぬ努力を感じました。

妻籠宿、座頭市の撮影場所

映画「座頭市」、妻籠宿での撮影時の様子

妻籠宿

現在の様子。妻籠宿の松代屋は江戸時代1804年創業といわれる200年以上前の旅館です

 

引き続き、現地案内人の説明を聞きながら、ゆっくり歩いて妻籠宿を見学しました。
妻籠宿本陣は大名や公家が宿泊した宿泊施設です。街道の喧騒を避けるために、少し奥まった位置に建てられました。往時の設計図をもとに、平成7年に復元された建物だそうです。代々、島崎氏が本陣と庄屋を勤め、最後の当主は島崎藤村の実兄でした。

妻籠宿本陣

大名・公家が宿泊した妻籠宿本陣

 

一方、こちらは庶民が宿泊した木賃宿、上嵯峨屋です。江戸時代の庶民たちは、自分で米を蒸して乾燥させた糒(ほしいい)または干し飯という、現代でいうアルファ米のようなインスタント食品を持参して、宿で湯を沸かして戻して食べていました。その薪代が宿代になったので、木賃宿と呼ぶそうです。上嵯峨屋の入口には、薪が積まれていました。

妻籠宿、上嵯峨屋

庶民が宿泊した木賃宿、上嵯峨屋

 

江戸時代の中山道は、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用され、将軍家に嫁ぐ姫宮たちの大通行に使われたため、「姫街道」とも呼ばれました。14代将軍・徳川家茂に嫁いだ皇女和宮の大行列も中山道を通行し、妻籠宿の歴史博物館には、和宮から拝領した車付長持(くるまつきながもち)も展示されています。

車付長持

和宮から拝領した車付長持(南木曽博物館(歴史資料館)蔵)

 

往時の町並みが今に残る妻籠宿。昔の旅人たちに思いを馳せながら、宿場町の散策を楽しみました。

 妻籠宿_

妻籠宿の散策を楽しみました

 

馬籠宿(まごめじゅく)

妻籠宿から馬籠峠を越えると馬籠宿に到着します。馬籠宿はかつては長野県木曽郡山口村でしたが、2005年の越県合併により、岐阜県中津川市に編入されました。ほかの宿場町と同様、江戸時代から多くの旅人たちで賑わいました。私たちは馬籠宿の水車から見学をスタートしました。

馬籠宿、水車

馬籠宿の水車

馬籠宿のちょうど真ん中には、藤村記念館があります。1882年、明治の文豪・島崎藤村は馬籠宿本陣の家に生まれました。かつての馬籠宿本陣跡、彼の生家は、現在は島崎藤村の記念館として一般公開されています。

馬籠宿、藤村記念館

馬籠宿本陣跡である藤村記念館

 

馬籠宿本陣の母屋は明治時代の大火で焼失してしまいましたが、隠居所だけは焼け残りました。島崎藤村の幼少時の勉強部屋として使われた建物だそうです。

馬籠宿、藤村記念館

藤村記念館の隠居所。江戸時代の建物で、島崎藤村の勉強部屋でした

 

島崎藤村の代表作「夜明け前」は、生まれ故郷の馬籠宿を舞台に、藤村の父親をモデルにした小説で、「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まります。馬籠宿の展望台まで行くと、木曽山脈の恵那山(標高2,191m)の展望が広がります。馬籠宿が木曽の山の中にある宿場町であることがわかります。

馬籠宿

馬籠宿を散策。奥には山々が見えます

馬籠陣馬上展望広場

馬籠宿の展望台より、木曽山脈の恵那山(標高2,191m)を望む

馬籠宿

馬籠宿の酒屋。木曽路の雰囲気が溢れています

 

草津宿(くさつじゅく)

旅の最後は、滋賀県草津市、かつての草津宿を訪れました。草津宿は中山道と東海道が合流・分岐する宿場町で、昔から交通の要衝として栄えました。草津市在住の地元案内人の話では、滋賀県草津市は京都や大阪へも電車一本で通勤できるため、現在では関西圏で働く人のベッドタウンになっているそうです。
これまでの奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿などの宿場町では見かけなかったマンションなどの高層ビルも目立ちます。かつての中山道、東海道の旧街道も、地元案内人に紹介してもらいましたが、看板や石碑などはあるものの、すっかり現代の町並みに変わっていました。

旧中山道

草津市・草津宿、旧中山道の様子

旧中山道・旧東海道の分岐点

中山道と東海道の分岐点を示すマンホール。奥には石碑も建てられています

 

草津宿の最大の見所は、大名や公家などが休泊した草津宿本陣です。これまで訪れた宿場町の本陣は復元されたものか焼失しましたが、草津宿の本陣は江戸時代の姿を保ったまま残っています。現在、日本全国に残る本陣の中でも最大規模のものだそうで、国の史跡に指定されており、見応えがありました。草津宿本陣に休泊した、忠臣蔵の浅野内匠頭や吉良上野介、天璋院篤姫、皇女和宮、新撰組の土方歳三、最後の将軍・徳川慶喜、歴史に残る人物たちの展示もありました。

草津宿本陣

草津宿本陣の外観

草津宿本陣の内部

草津宿本陣の内部。かなり広い本陣でした

 

草津宿の見学後、草津駅に戻り、解散。帰路につきました。
自宅に戻って改めて中山道の旅を振り返ると、現代から江戸時代に行ってまた現代に戻ってくる、タイムトリップは誇張表現ではなかったように思います。そんな不思議な感覚のあった旅行でした。

江戸時代の姿を色濃く残す、中山道の宿場町を訪ねる旅。中山道の山道も歩いてみたいという方は、「中山道・木曽路を歩く」もお勧めです。

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昨秋、好評いただいたツアー「中山道の宿場町を訪ねて」。その様子をご紹介します。

奈良井宿

江戸時代の情緒を今に残す、中山道の奈良井宿の町並み

 

中山道

中山道は江戸時代の五街道のひとつで、京都の三条大橋から江戸の日本橋を結んだ街道で、69カ所の宿場町が置かれました。中山道は長野県から岐阜県の山間部、木曽を通るので、木曽路(きそじ)とも呼ばれています。

五街道の地図

江戸時代の五街道。青字が東海道、赤字が中山道(木曽街道・木曽路)です

 

太平洋沿いの東海道がすっかり現代の町並みに変わってしまったのに対して、山の中を通る中山道は江戸時代の面影を残す宿場町がよく保存されています。そのため、昔の日本を旅行した気分になれると、海外からの旅行者の間でも、関心が高まっています。

妻籠宿

昔の日本!?  中山道の妻籠宿、木曽路の古い町並み

 

奈良井宿(ならいじゅく)

中山道でちょうど真ん中に位置するのが、奈良井宿。標高約940m、木曽路の中でも最も標高の高い宿場町です。江戸時代、多くの旅人たちで賑わい、「奈良井千軒」と謳われました。奈良井宿の古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、江戸時代の面影を色濃く残しています。そんな奈良井宿を地元案内人の説明を聞きながら、ゆっくり歩いて見学しました。

奈良井宿

奈良井宿を散策

中村邸

江戸時代、1837年頃に建てられた建物が今も残る中村邸

中村邸

中村邸の内部。吹き抜けが特徴的です

 

奈良井宿は木曽漆器が有名です。木曽漆器は中山道を通る旅人の土産物として高い人気を集め、現代まで続く日本の伝統工芸のひとつです。奈良井宿には木曽漆器を取り扱うお店が数多くありました。

木曽漆器のお店

奈良井宿の木曽漆器のお店

 

一方でコンビニエンスストアなどのお店は無いので、まるで江戸時代にタイムトリップしたような感じになりました。

奈良井宿

日没前の奈良井宿ものんびり散策。木曽の山の中にあることがわかります

 

奈良井宿では御宿伊勢屋に宿泊しました。御宿伊勢屋は文政元年(1818年)創業、江戸時代は下問屋を勤めていた旅籠です。現在も往時の建物をそのまま保っており、奈良井宿式建築の代表的なものだそうです。

奈良井宿、御宿 伊勢屋

奈良井宿、御宿伊勢屋の外観

奈良井宿、御宿 伊勢屋

奈良井宿、御宿伊勢屋の内観。江戸時代の建物だそうです

御宿 伊勢屋の夕食

御宿伊勢屋の夕食。木曽の味を堪能させていただきました

 

夜の奈良井宿も雰囲気があってお勧めです。夕食後、少し散策してみてもいいかもしれませんね。

夜の奈良井宿

夜の奈良井宿を散策

奈良井宿

夜の奈良井宿の様子。静かな宿場町の夜でした

 

福島関所跡

福島関所は東海道の箱根、新居、中山道の碓氷と並ぶ日本四大関所のひとつです。奈良井宿から西に三つ進んだ福島宿に設置され、中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まりました。往時を再現した福島関所跡を見学しました。

 福島関所跡

福島関所跡。中山道を歩いている人たちにも会いました

福島関所跡

福島関所跡の内部。番所では、旅人やその荷物の取り調べが行われていました

鉄砲

福島関所跡に展示されている江戸時代の火縄銃

 

福島関所跡を見学した後は、妻籠宿に向かいました。
後編では妻籠宿、馬籠宿、草津宿をご紹介します。

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今回は、東京諸島の八丈島のご紹介です。

2020年の8月と11月にツアーで八丈島を訪れました。東京都でありながら近いようで遠い八丈島は、飛行機であれば羽田から約1時間、船を利用すると約10時間かかります。ただし、10時間と聞くと長い印象ですが、夜に出港して次の日の朝に到着するので、寝ている間に八丈島に到着することができます。のんびり海を眺めたり、ゆったり時間を過ごすのが好きな方はあえて船を利用する方も多いくらいです。都会の喧騒から抜け出し、ゆったり島時間の世界に向けて気持ちを移行する時間と言えるでしょう。

出港後の東京湾の風景

◆三原山(701m)

八丈富士の森は1万年に対して、三原山の森は10万年といわれています。それだけ森が深く、火山活動も重なり複雑な地形を織りなしています。三原山の尾根からは八丈富士や海に浮かんだ八丈小島が見渡せます。富士山の様に山頂から裾野まで綺麗な独立峰・八丈富士の壮美な山容をお楽しみいただけます。

はじめはコンクリートの坂道を登ります。車道なので道幅は広く、いい感じの斜度なので体がすぐに温まりました。しばらく登ると鉄塔へ。ここから八丈富士、八丈島小島が見渡せました。写真に人工物が入りにくいので撮影スポットです。体が温まったところで階段の登山道がはじまります。登山道といっても三原山にはNTTの電波塔や無線基地局、NHKのアンテナなどがあり、それを点検する人が通る林道や道が最初に作られ、その道を登山者が使っている状況です。約30分程で階段終了。階段の道は人が1人通れる幅で、両側は背丈以上の木々が生い茂るので風がなく、湿度の高い道、5分もしないうちに汗がじわじわ出てきました。階段終わって土の道になると幅が広くなり、空も見えてて明るくなります。

歩きはじめは林道を歩きます

八丈富士と八丈小富士

土の登りは5分もしないうちに尾根に出て、稜線歩きとなります。右側は崖なので注意です。海が綺麗に見えるし八丈富士も見えて最高の展望。尾根の稜線を20分ほど進と無線の中継所を経由して頂上へ。

稜線の尾根道を歩く、右斜面は火口が広がる

三原山山頂

通常であれば同じ道を戻って下山となりますが、頂上付近から林道を歩いて三原山の最深部へ進み、そのままポットホールへと下りていきます。この林道は一見単調ですが、分岐から林道をそれて登山道をポットホールへ向かう道はなかなか奥深い森が迎えてくれます。歩きごたえ、見ごえがあります。

かつての火山活動を地層から読み解きます

◆ポットホール(=甌穴)

日本国内でも地質学的に珍しい甌穴(おうけつ)群をご覧いただけます。長い年月をかけて形成されたポットホール=甌穴群は苔の生えた美しい沢に点在しています。

三原山の森をポットホールへ下ります

段差のある登山道を下ります。粘土質なので滑る箇所あり、慎重に降りていきます。奥深い三原山の森をゆっくり海に向かって歩くので、時折海がちらつきます。急な下りが終わると、平坦なトラバースを越えると、そこはもうポットホールの上部です。露出した岩は滑りやすくなっているので、足元に注意しながら歩き、小さな小川を横目にポットホール、甌穴群をご覧いただきます。ポットホールの下部に来ると林道に合流します。

ポットホール(甌穴群)が連なります

深い穴では腰の高さまで水位があります

◆みはらしの湯

ポットホールからみはらしの湯へ。末吉地区にあるみはらしの湯は高台の絶壁の上にあり、大海原を眺めながら温泉に入ることができます。まさに絶景の温泉。八丈島で一番人気のある温泉がここみはらしの湯です。

地元の人にも、観光の人にも人気の温泉

露天風呂からの景色

◆八丈富士(854m)

東京諸島最高峰の八丈富士は、7合目からよく整備された階段を登り稜線を目指します。この火口の稜線をさらに進と頂上時に到達です。1605年以来活動を停止している火山で、火口を一周するお鉢めぐりが有名です。お鉢めぐりは大海原や中央火口丘を眺めることができ絶景を見渡すことができます。空も近く最高の稜線歩きです。

山頂部分は冬の期間を覗いてガスに覆われていることが多い山ですが、今回は雲ひとつない快晴です。三原山の様に最初は階段が続きます。三原山と比べて空が開いており、風が通って気持ちよいです。一時間ほど階段が続くので疲れたら、ちょこちょこ後ろを振り返ると、フェリーが到着する底土港や空港、三原山などが見渡せて疲れを忘れることができます。

階段とスロープ、お好きな方を歩きます

視界が開けてくると稜線は目の前

よやく稜線に到着すると火口を一気に見渡すことができます。ちょうどお腹も減ってきたので、この稜線でランチタイム。海と火口を見ながら美味しくいただきました。

稜線上にてランチ。左は海、右は火口が広がる。

ランチ後はいよいよ登頂とお鉢です。頂上までの稜線は、道幅が細いところや手をついて岩を歩くところもあり少々ワイルド。慎重に進み登頂です。ここからは道も歩きやすくなり、ぐるりとお鉢めぐりを楽しみます。八丈小島が近づいたり、中央火口の丘が角度によって異なる表情を楽しみながら歩きます。お鉢巡りが終わったら最後に浅間神社へお参りをしました。下山後は、ふれあい牧場でジャージー牛乳を飲んだり、アイスクリームを食べて八丈島を存分に満喫しました。

お鉢めぐりスタート

八丈島山頂

稜線から八丈小島の眺め

ぐるりと一周のお鉢めぐり

空の青と海の青が広がります

中央火口の丘

火口の際を歩いていきます

歩きごたえのあるお鉢めぐり、1周1時間

浅間神社にてお参り

◆大里の玉石垣

八丈島ならではの風景といえば陣屋跡の大里地区の玉石垣は外せません。流人の島として有名な八丈島に流された流人が、海岸から一つづつ玉石を運んだと言われています。暴風雨の多い八丈島は、雨や風から住居を守るために、玉石を敷き詰めた石垣を作り、その上に常緑広葉樹林を植えて防風林を作っていました。一つの石の周りには六つの石が積まれているため、六方積みと呼ばれています。どれも同じくらいの大きさの玉石が見事なほど綺麗に積まれている様子は息を呑むほどです。

 

◆南原千畳敷

八丈小島が間近に見渡せる南原千畳敷は、八丈富士が噴火して溶岩が海まで流れ、固まってできたと言われています。長さは500m、幅は100mあり千畳以上の広さがあります。ゴツゴツした溶岩と隙間から生えた緑の植物と打ち寄せる波しぶきが綺麗な場所です。おすすめの時間帯は夕方。八丈小島に太陽が沈み、海と空がオレンジ色に染まる南原千畳敷の景色は島のゆったり時間を存分に味わえます。

今回は京都大学の研究林である芦生の森に訪れるコースへ添乗に行った際の様子をご紹介します。訪れた11月は丁度、紅葉の時期で大変すばらしい景色をご覧いただくことができました。

1日目:京都駅~神護寺~かやぶきの里

初日は京都駅、八条西口駅へ10時にご集合いただき、専用車に乗り込んですぐに京都駅を出発しました。五条通、四条通を通過し鴬張りで有名な二条城を横目に周山街道162号線を通り、まずは神護寺へ到着しました。雨がしとしと降る中、高雄橋を渡り神護寺の参道の約400段の階段を上り境内へ向かいます。

神護寺

高野山真言宗遺迹本山の寺院。神護寺は、神願寺と高雄山寺が824年に合併してできた寺といわれています。この二つの寺は、豪族和気氏ゆかりの寺です。
和気 清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族です。和気清麻呂の墓が今の神護寺境内にありました。空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時、住んでいた寺でもあり、最澄もここで法華経の講義をしたことがある等、日本仏教史上重要な寺院です。また、かわらけ投げは、この寺が発祥とされています。

 

近くには、空海の甥である智泉が神護寺の別院として建立したと伝えられる西明寺、「鳥獣人物戯画」をはじめ多くの文化財を伝える寺院として知られ高山寺があります。自由時間には歩いてほかの寺院にも訪れることができますよ。神護寺を後に、美山のかやぶきの里へと向かいます。

神護寺の大師堂

美山、かやぶきの里・北村

京都府南丹市美山町北にある山村集落で、今では珍しくなった茅葺き屋根の家屋がここには数多く残っています。林業を主産業とする山村集落だったそうで、集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していたそうです。1993年、周囲の水田と山林を含む集落全体127.5ヘクタールが、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。現存している茅葺き屋根の家屋の多くが江戸時代中頃から末期にかけて建てられたものであり、「北山型民家」に分類されています。

美山かやぶきの里

 

あいにくの雨。ではなく、雨降るかやぶきの里はより趣を感じさせる景色でした。その後、芦生の山のトレッキングの拠点となる宿。山の家に到着。

この日は到着し、ゆっくりしてから夕食を頂きます。なんといっても山の家は料理がおいしい!この日は地鶏と椎茸、京野菜などの鉄板焼きを頂きました。山の家では椎茸やなめこを育てており見たこともないような肉厚の椎茸をいただきました。時期によって旬のおいしい食事をお楽しみいただけます。

夕食に出てきた新鮮な地鶏

 

 

2日目:芦生の森 上谷下谷トレッキング

2日目はガイドと合流し8時に山の家を出発。ガイドしか持っていない鍵でゲートを開け芦生の森へ入ります。道中も素晴らしい紅葉を見ることができます。造られた赤一色の派手な紅葉ではなく、自然の紅葉は、赤、黄、緑、茶色などたくさんの色が溢れています。

芦生の森の紅葉

芦生の森の紅葉

芦生の森

芦生の森は、美山町の東に位置し約4,200haの広大な面積を有します。その約半分に当たる2,150haは少なくとも開設後は手の入っていない天然林で、この中には森林の成立以降人為的な力の加わっていないと考えられる原生林があります。斜面に対応して樹木が分布しており、斜面上部ではアシウスギの分布密度が高く、中腹ではブナを主としてミズナラなどが優先し、沢筋ではトチノキやサワグルミなどが多く分布しています。このような植生の多様性から、植物学者で東京大学教授の中井猛之進が『植物ヲ学ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ』と研究誌に書いたことでも知られています。また、冷温帯株に属する天然林は西日本屈指の広さを誇り、芦生の森を含む一帯が平成28年に京都丹波高原国定公園に指定されました。

 

現在は京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林として管理されています。日本海側気候と太平洋側気候の移行帯に位置していることから、植生区分の上でも暖温帯林と冷温帯林の移行帯に属し、植物の種類が多く、研究林内で確認されている種数は、木本植物が243種、草本植物が532種、シダ植物が85種を数えます。その中には下枝が雪の重みで接地することで発根し、やがて一個体として独立して増殖する、多雪地帯に特有の伏条更新を行うことで知られるアシウスギやアシウテンナンショウのように「芦生」の地名を冠した学術上貴重な植物が含まれています。

 

トレッキングを開始前に下谷の大カツラを観察。このカツラの高さは38.5m。芦生の森の偉大さをその大きさで語るような迫力でした。このカツラには15種類の木が着生しているとのことでした。(アオハダ、アズキナシ、ウリノキ、ウリハダカエデ、コシアブラ、ツノハシバミ、ナナカマド、ノリウツギ、ハイイヌガヤ、ハソギソ、ヒメコマユミ、ムラサキシキブ、ヤマウルシ、ヤマグルマ、ヤマザクラ)昔は京都で3番目の大きさだったそうですが現在は京都で9番目の大きさだそうです。

カツラ

カツラの保存木

いよいよ、芦生の森のトレッキングを開始。道中では雪などのために垂れ下がった枝が直接地面に触れそこから新たに根が生え、親木から独立する伏条更新をする杉も見ることができました。

伏状更新する杉

伏状更新する杉

紅葉を楽しみながらトレッキング

この日は何度も川を渡るので長靴を履いてのトレッキングです。川には、たかはやが泳いでおり、手をひたすと魚たちが近寄ってきました。水も透明度が高くきれいです。昼食は由良川のほとりで頂きました。山の家のお母さんが作ったというお弁当。かやくごはんとしし唐のじゃこ煮などとっても美味しい。

昼食後は引き続き、散策を開始します。お昼過ぎからは午前中の道のりとは打って変わり、傾斜や幅の狭い道が多くなります。最終地点は日本海の見える展望地。日本海に浮かぶ島々を見ることができました。

日本海に浮かぶ島々

日本海に浮かぶ島々

3日目:芦生の森トロッコ道トレッキング~京都市内

3日目もガイドと合流しトロッコ道を散策します。山の家からトロッコ道までは歩いて10分ほどの場所にあり、入り口付近には研究林事務所があります。赤い屋根にかわいらしい印象の建物でした。その横にはすぐトロッコ道が。枕木を踏まないように一歩ずつ進んでいきます。横には透明度の高い由良川が流れており、由良川に写る紅葉も情緒があります。

トロッコ道

トロッコ道

由良川

由良川に写る紅葉

由良川と芦生の森

由良川と芦生の森

ガイドさんも仰っていましたが森林にはヒーリング効果があるそうです。それを身をもって体感することができました。トロッコ道の散策を終え、心温まるおもてなしをしてくれた山の家を後に京都市内のホテルへと移動します。

4日目:京都市内~鞍馬寺~貴船神社~京都駅

4日目は公共交通機関を利用し鞍馬へと向かいます。現在は以前、起きた土砂崩れの影響により、市原~鞍馬間の列車が運休している為、途中からバスを使い鞍馬寺に到着。

鞍馬寺

1949年までは天台宗に属していましたが、以降、独立して鞍馬弘教総本山となっています。本尊は、寺では「尊天」と称されており、「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊です。京都盆地の北に位置し、鞍馬山の南斜面に位置し鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地としても有名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られています。 また、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営していて、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっています。

鞍馬寺の仁王門

鞍馬寺の仁王門

平安時代、清少納言が「遠きて近きもの、くらまのつづらをりといふ道」と綴ったことで有名な九十九折の参道、放生池、吉鞍稲荷社、魔王の滝、鬼一法眼社を横目に歩いていき由岐神社へ到着。由岐神社の鳥居をくぐると大杉さんの愛称で知られる京都市天然記念物の杉の木が生えていました。樹齢は800年、高さ約53mだそうです。

その後、ご本尊に参拝。休憩をとり帰りはケーブルカーで降ります。鞍馬から貴船口へ、さらにバスで移動し貴船神社近くまで移動します。

貴船神社

全国に約500社を数える貴船神社の総本宮。天武天皇の御代・677年にはすでに御社殿が造られていたという、京都でも屈指の歴史を誇る神社です。清流・貴船川は鴨川の源流にあたり、また御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として歴代朝廷からも大切にされてきました。貴船は地名としては「きぶね」と読みますが、神社名は「きふね」と濁らずに読みます。清らかな水が濁らないように、との願いがあるとのことです。また、「きふね」は「氣生根」、氣が生ずる根源の地であり、“神様の氣に触れるだけで元気がよみがえる”といわれています。

貴船神社

貴船神社

まずは、貴船神社(本宮)からの参拝。貴船神社は貴船川に沿って社殿を構え、下流から上流に向けて、本宮・結社・奥宮の三社が鎮座しています。「本宮→奥宮→結社」と回る三社巡りが古い習わしで残っているそうです。

 

本宮の敷地内には2頭の馬の像がありました。実は、貴船神社は“絵馬発祥の地”。かつて日照りや長雨が続くと、朝廷は、水を司る神様を祀る貴船神社に勅使を派遣していました。降雨を祈願するときには「黒馬」を、止雨を祈願するときには「白馬」を奉納し、実際に生きた馬を献上していたそうです。平安時代には儀式が簡素化され、板に馬の絵を描いた「板立馬」が奉納されるようになり、これが現在の「絵馬」の原型になったのだそうです。本宮の前には授与所があり、こちらで大人気なのが「水占みくじ」です。石垣からわき出る御神水に占いの用紙を浮かべると、おみくじの内容が浮かび上がってくるというもので、水の神様を祀る神社らしいおみくじです。

絵馬

本宮にある馬の像

奥宮の祭神は闇龗神を祭神としますが、本宮の高龗神と同じ神であるとされています。この奥宮は本宮の上流約700m の所にあり、以前はここが本宮でした。タマヨリヒメノミコトが黄色の船に乗り大阪湾から川を遡り、たどり着いた地だとされています。かつてはこの奥宮こそが本宮であり、その手前を流れる「思ひ川」で身を清めてお参りをしていたそうです。奥宮本殿の真下には、巨大な「龍穴」があるとされています。この龍穴は、「奈良室生」、「岡山備前」と並ぶ“日本三大龍穴”のひとつ。特に神聖で強大な力を噴出するパワースポットとされています。

奥宮の祭神

貴船神社の奥宮

その後、縁結びの神「結社御祭神・磐長姫命」が祀られた中宮へ。
和泉式部の故事を生んだのはこの結社で、奥には和泉式部の歌碑があります。神武天皇の曾祖父にあたるニニギノミコトがコノハナサクヤヒメを娶る際、コノハナサクヤヒメと磐長姫命の父親は、姉妹ともに嫁ぐことを申し出ましたが、ニニギノミコトは醜い容姿の磐長姫命を送り返してしまい、磐長姫命はそれを恥じて、「このような悲しみは私だけにし、人々に良縁を授けよう」とこの地に鎮座されたそうです。

 

参拝を終え、宿泊したホテルへ一度向かい荷物を取り京都駅で解散とさせて頂きました。添乗で様々な場所へ訪れる機会がありますが、その中でも芦生の森は想像以上の素晴らしい場所でした。11月初旬は丁度、紅葉の時期で素晴らしいシーズンでしたが、春、夏と様々な顔を見せてくれるであろう芦生の森。

 

新コースではシャクナゲの咲く時期に芦生の森へ訪れます。ぜひ、何度も訪れたいと思わせる魅力がある芦生の森へ足を運んではいかがでしょうか。

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10月、神々の里高千穂 天孫降臨の地を訪ねてのツアーに同行させていただきました。今回はツアー中のハイライトである高千穂に登頂した際の様子をご紹介いたします。

 

【天孫降臨の地 高千穂峰】

霧島山脈の高千穂峰の山頂は古事記、日本書紀に記された天孫降臨の有力候補地の一つと言われ古くから信仰の地とされてきました。天孫降臨とはアマテラスオオミカミの命を受け、孫にあたるニニギノミコトが神々が暮らす高天原から地上に降臨するエピソードのことで日本神話の中でも非常に重要な場面の一つと言われています。高千穂峰は標高1,574メートル、霧島山脈の第2峰、日本200名山の一つです。頂上にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾が現在もあり、現在も尚参拝客が訪れます。また、山頂からは眼下に広がる霧島山脈を堪能できる素晴らし眺望のため、春から秋にかけて全国から沢山の登山客で賑わいます。

   天高く聳える高千穂峰

ニニギノミコトが降臨の際に突き立てたといわれる天の逆鉾(あまのさかほこ)

山頂付近からの眺め。眼前には御鉢(おはち)山がそびえる

 

高千穂峰は麓の高千穂河原の登山口から往復で4時間で登頂が可能です。朝8時半、登山口を出発斜面を登っていきます。森林限界を超え、急斜面を暫く行くと。御鉢山が見えてきます。御鉢山は高千穂峰の西側斜面に寄り掛かるように重なる円錐形の火山であり、直径約600メートル、深さ約200メートルの円形火口です。火口からは噴気が立ちのぼっており、火口壁の頂上付近は絶壁をなしており、この上を通る登山道は「馬の背」と呼ばれています。

 

森林限界を越え、ひたすらガレ場を登っていきます

現在も火山ガスが出続ける御鉢山の火口

スリリングな「馬の背」を歩き眼前に聳える高千穂峰へ

「馬の背」からは遥か霧島連山が見渡せる(下山時)

 

馬の背を暫く進むと欽明天皇(540-571)の時代に高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の背門丘(せとお)に社殿が建立された旧霧島神宮の社殿跡が見えてきます。社殿は御鉢山の度重なる噴火によって消失し、10世紀に麓(現在登山口のある高千穂河原)に移されました。ここまできたらあともう一息。一気に山頂までの急斜面を登っていきます。

 

眼前についに姿を現した高千穂峰

 

旧霧島神宮の社殿跡

 

山頂までは急斜面を一気に登っていきます

 

ついに山頂に到着しまいた。山頂にはニニギノミコトが降臨の際に突き立てたと言われる天の逆鉾があり、眼下には霧島の大自然が広がります。参拝を済ませ、各々お気に入りの場所をみつけて小休憩をとります。この日は天気にも恵まれ、素晴らしい眺めはここまで苦労をして急斜面を登ってきた我々への最高のご褒美となりました。

 

山頂に突き立てられた天の逆鉾

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景①

 

山頂から御鉢山、そして霧島山脈の絶景➁

 

高千穂峰の登頂は神話の世界と霧島の大自然を一度に体感することのできる、まさにこのコースのハイライトと言えます。登頂ができるシーズンは春から秋にかけてとなりますが、特に注目すべきは霧島山脈周辺でミヤマキリシマが咲く5月~6月です。高千穂峰では5月下旬から6月上旬にかけて、山頂付近が紫紅色に彩られます。ミヤマキリシマの開花する季節に合わせた日程でコースを設定させていただきましたので、是非ご検討ください。

 

どこまで続く雄大な霧島の大自然(馬の背)

 

 

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