ラダックの地熱地帯 プガとチュマタン

プガの湿地帯

ジュレー!西遊インディアです。

 

日本人になじみの深い温泉。インドにも温泉の湧く場所がいくつかあり、マナリ近郊のバシストやマニカランが有名ですが、ラダックにも温泉の湧き出る場所がいくつか存在します。
今回はそのなかでも、ラダック南東部チャンタン高原、標高4,200mに広がる地熱地帯プガ(Puga)チュマタン(Chumathang)を訪ねたときのレポートです。

温泉や泥湿池が点在し、それによってつくられたポコポコとした独特の地形など、地球のエネルギーを感じられる場所です。

 

・「地熱地帯」とは…

地球の奥深くにある高温のマグマに、地下にしみこんだ雨や雪解け水が流れ込み、熱せられた水や蒸気が断層や割れ目を通って地表に噴き出します。その結果できるのが、温泉や間欠泉、泥火山などです。
こうした構造が、ヒマラヤ山脈の地殻変動によって生まれたラダックにも存在しています。さらに、この熱い蒸気を使ってタービンを回すことで電気をつくるのが地熱発電です。

プガ Puga

レーからツォモリリ(湖)に向かう途中、分岐点スムドの近くにあるプガ。ポコポコとした地形はラダック東部でチラホラ見かけますが、ここは特に均一・広範囲に広がっていて、遊牧民や谷あいの景観と相まって独特の風景を生み出しています。

プガ渓谷は標高4,200mほどの高地にあり、気候区分でいうとツンドラ気候に入ります。難しく聞こえますが、簡単にいうと「夏でもあまり暖かくならず、木が育たない草原や湿地が広がる気候」のこと。北極圏に広がるツンドラと似た環境が、ここラダックの高地にも見られるのです。

地面がぽこぽこと盛り上がって見えるのは、地下で水や氷が凍ったりとけたりをくり返すことが大きな理由だそう。さらにプガの場合は、地下の熱によって湯気や熱湯が噴き出すため、ユニークな景観をつくり出しています。

近付いてくると、硫黄のにおいと白い塩が見えてきます

訪れたのは6月下旬。湿地の奥へ歩いてみました。

 

独特の地形
窪みにちょこんと座っていました。子どものヤクでしょうか

途中で川のようになっている箇所を渡る必要があり、膝下まで水に浸かって進むと、熱湯が噴き出すポイントにたどり着きます。

遠くに遊牧民の子どもたちが遊ぶ姿も

思い切って入ると、冷たすぎず気持ちいいです!
触ってみると結構熱く、水しぶきでも体感45℃くらいはありそうでした

足元は泥にハマると膝まで沈むほど。周囲にはピカ(ナキウサギ)や羊、渡り鳥の姿もあり、自然観察の場としても楽しめました。

渡り鳥の姿も。奥に見えるのは遊牧民のテントでしょうか

 

近くのテントにはアムチ(チベット伝統医学のお医者さん)がいて、症状を伝えると湯治が必要かどうかを診断してくれるのだそう。

ここはインド初の地熱発電計画が進められている場所でもあり、調査によると地下2〜8kmには200〜260℃の高温層があり、理論上は2メガワット(一般家庭100軒分をまかなえる規模)の発電も可能とされているようです。

プガの湿地帯近くにて

ゆくゆくはレーへ電力を送る構想もあるそうで、課題は様々あるようですが、インドのエネルギー分野で注目を集めている地でもあります。

 

チュマタン Chumathang

レーからツォモリリ方面へ向かう道で、ウプシからマヘ橋へ向かう途中、標高3,950mの場所にあるチュマタン温泉。硫黄を含んだ熱湯が地面から湧き出し、川辺に湯気を立てています。荒涼とした山岳地帯の長距離移動の中、一息つける休憩スポットでもあります。

小さな商店などもあり、バイカーやドライバーさんたちの休憩ポイントでもあります
気泡が上がる水面
湯気があがる温泉

インダス川のほとりで、地中から湧き出す硫黄を含んだこの温泉は、古くからリラクゼーションや湯治に利用され、皮膚病や関節痛に効能があるとされてきました。ここも、アムチの診断を受けた人が湯治にくるそうです。

温泉水で洗いもの中
近くに流れるインダス川

 

プガの訪問には、濡れても良い靴(マリンシューズのようなものがあればベスト。裸足で芝生に直にふれるのも気持ちいいです)と、裾をまくれる服装または半ズボンがいいです。泥に思いっきりハマることもあるので、替えのズボンや靴下があると安心。
 

ラダックのなかでも、まだ外国人観光客のそう多くないプガ。ツォモリリを訪ねる方、地質や自然に興味がある方、自然がつくり出すちょっと不思議な景観にご興味のある方には、おすすめしたいスポットです。


※情報は2025年6月訪問時のものです。
 
参考:
・『Ladakh: Crossroads of High Asia』ジャネット・リズヴィ(Oxford University Press, 1998年)
・「Exploring and Exploiting Geothermal Resources of India: Case Study of Puga Geothermal Field, Ladakh」Society of Petroleum Geophysicists, India(2023年)
・「ONGC、インド初の地熱発電プロジェクトがラダック・プガ谷で現実味を帯びる」Indian Masterminds(2023年記事)
・「ラダック・プガ谷の地熱プロジェクト、期待と環境懸念のはざまで」Scroll.in(2023年記事)など
 
Photo & Text: Kondo

 


 
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レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ

ジュレー!西遊インディアです。
ラダックを旅する人ならほぼ必ず利用するレーの空港。正式名称は「クショク・バクラ・リンポチェ空港」といいます。はじめて知ったときから、そのちょっと長くて不思議な響きが耳に残っていました。
 
今回は、ラダック旅における空の玄関口、レー空港の正式名称となっている高僧クショク・バクラ・リンポチェについてとりあげてみます。
 
■もくじ
1.空の玄関口 レー空港
2.クショク・バクラ・リンポチェとは?
3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯
4.ゆかりの場所

1. 空の玄関口 レー空港

デリーから飛行機で約1時間。ラダック連邦直轄領のほぼ中央、中心都市レーの標高約3,256mに位置するレー空港(Kushok Bakula Rimpochee Airport, Leh)。
インドで最も標高の高い空港で民間機も発着しますが、1961年に軍用滑走路として開設されたインド空軍の軍用飛行場でもあります。

スピトゥク僧院から遠望したレー空港の滑走路

ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた山間部にあるため、離着陸のアプローチが困難な空港のひとつ。そのかわり、それと同時に山岳風景が美しい場所です。
 
インドの軍事施設は撮影禁止のため建物を近くから撮った写真はありませんが、従来の平家づくりの建物に加えて拡張工事が進んでおり、ゆくゆくはもう少し大きくなりそうです。
 
空港の周辺には小高い岩山の上に建つスピトゥク僧院があり、飛行場からも遠望することができます。
空港の名前は、そのスピトゥク僧院の座主をつとめたクショク・バクラ・リンポチェ19世にちなんで付けられました。スピトゥク僧院の座主は、代々バクラ・リンポチェがつとめています。

スピトゥク僧院

2.クショク・バクラ・リンポチェとは?

仏陀の16人の阿羅漢(十六羅漢)のうちの1人で、9番目の阿羅漢である、バクラ(諾距羅・なくら)の転生とされる高僧です。(仏教では輪廻転生が信じられています。)
ちなみに阿羅漢とは、悟りに達した高僧のこと。十六羅漢とは、お釈迦様が亡くなる(涅槃に入る)ときに、後を託された16人の高僧たちのことです。慶友と賓頭盧(または、迦葉と軍徒鉢歎)を加えて十八羅漢とする場合もあります。
バクラ・リンポチェは、マングースを抱いている姿で描かれることが多いです。

パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

現在は、ヌブラ渓谷のキャガール村で2005年に生まれた20世が、ダライラマ14世によって認定されています。現在は南インドで修行されているのだそう。
 
先代のバクラ・リンポチェ19世は、高僧としての宗教的な奉仕で知られているだけでなく、インド独立後のラダックで最も尊敬される宗教的・政治的な指導者で、いわゆる土地の名士のような存在でもありました。

3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯

先日逝去されたマンモハン・シン元首相も「現代ラダックの設計者」と称したという、バクラ・リンポチェ19世。常に人々の分裂が起こらないように努め、ラダックの人々のアイデンティティが保たれることを望んでいたと、多くの人々が言葉を残しています。
なぜ、そのように人々から尊敬を集め、インド政府からも篤い信頼を受けるようになったのでしょうか。その経緯をインド独立の時代背景とともにたどってみます。
 

スピトゥク僧院に置かれていたバクラ・リンポチェ19世の写真

1918年に、ラダックのマト村で王族に生まれたバクラ・リンポチェ19世。ダライ・ラマ13世によって転生者であると認められました。1949年、31歳のときに当時の首相ジャワハルラール・ネルーに説得されて公職につくまで、政治とは無縁でした。

のどかなマト村

英領インド時代、かつてジャンムー・カシミール州は一つの藩王国でしたが、第二次世界大戦後の1947年にインド・パキスタンが独立する際に、どちらの国へ帰属するかを決められることになりました。
住民の多くはイスラム教徒でしたが、藩王自身はヒンドゥー教徒であったこともあり、独立を希望。それが認められずなかなか状況が定まらないところ、1947年からパキスタン側の部族民が、ゆさぶりをかけてジャンムー・カシミール州を襲撃。
部族が州都のシュリーナガルまで迫ってきたため、危機に瀕した藩王はインドに援軍を頼みました。そこで当時のネルー首相は、暫定的にでもカシミールがインドに帰属すると表明するのであれば、インド領としてインド軍を派遣すると答えます。
やむなくして、藩王はインドへの帰属を決めました。これが第一次印パ戦争の発端であり、今日までつづいているカシミール問題のはじまりです。
 
ちなみに、帰属問題を残したまま分離・独立を迎えた藩王国は、カシミールと、ハイデラバード(テランガーナ州)、ジュナーガル(グジャラート州)の3つでした。ハイデラバードは武力でインドに迫られた藩王がインドへの帰属に応じ、ジュナーガルはイスラム教徒だった藩王がパキスタンに逃避して、インドに統合されることになりました。
 
その後、1949年7月にネルー首相がラダック(旧ジャンムー・カシミール州)を訪問。ラダックが宗教上の理由で分裂しないよう、高僧であるバクラ・リンポチェに、地域の人々のために活動してほしいと指導者として抜擢します。
そうしてバクラ・リンポチェは、ラダックにおける政治活動はもちろん、学校を設立し、伝統的な価値観とともに教育を受け入れるよう近代教育を奨励。
またラダックだけでなく、全国で福祉や少数民族の権利について多くの問題に取り組み、指定カーストや指定部族、少数民族などマイノリティの人々の意見を擁護しました。
そのような熱意ある行動は、ラダックの人々がこれまでの暮らしや文化、仏教への信仰を維持する上でも重要でした。インド独立初期におけるラダックとインドとの関係をうまく保ち、ラダック人の民族的アイデンティティが失われることなのないよう、地域を守ることにつながったのです。
 
バクラ・リンポチェは、自分が指導者であるとは主張していませんでしたが、チベット難民がインドに初めて到着したときの支援活動によって、チベットの人々からも高僧として、また人権活動家としても非常に尊敬されたそうです。
ちなみに、バクラ・リンポチェは駐モンゴル・インド大使も務めており、仏教徒の多い二国間の関係を強化することにも貢献されました。
 
ダライ・ラマ14世にとっての親しい友人でもあり、仏法の献身的な擁護者であったバクラ・リンポチェ。2003年11月4日に、デリーで生涯を終えました。
 

1957年1月21日カルカッタを訪問中のダライ・ラマ14世とバクラ・リンポチェ19世(ダライ・ラマ14世の右) – Public Domain, Wikimedia Commons

このような経緯で、現在のラダックの礎を築くキーパーソンとなったバクラ・リンポチェ19世。教育と社会の改革、宗教と文化の保護に力を注ぎ、ラダックの発展と近代インドに残した貢献を称えるため、バクラ・リンポチェが亡くなった後の2005年に、レー空港はリンポチェの名を冠する名称に変更されました。
 
ラダックと世界をつなぎ伝統に根ざして進歩するという、バクラ・リンポチェ19世のビジョンを象徴するようなレーの空港。バクラ・リンポチェの生涯の功績と、ラダックの人々のために行動してきた熱意を思い起こさせるものとして存在しています。

4.ゆかりの場所

バクラ・リンポチェ19世の写真はラダックの僧院のお堂などで目にすることができますが、バクラ・リンポチェにとくにゆかりのある場所をいくつかピックアップしてご紹介します。
 
■スピトゥク僧院 Spitok Gompa
一説には、11世紀にグゲ王国の王によって建立されたといわれています。15世紀前半、当時の王がゲルク派の開祖ツォンカパからの使者を受け入れ、スピトゥク僧院はラダック初のゲルク派の僧院となりました。その後、お堂の修復・拡張が行われ、立体的で複雑な構造になっています。
11世紀につくられたという部分で唯一残っているのが、最上階にあるゴンカンです。ここにはパルデンラモ(吉祥天女)がご本尊として祀られており、仏教徒のみならずヒンドゥー教徒も訪れるといいます。
この僧院の座主は、先にお伝えしたとおりバクラ・リンポチェで、お堂に19世と20世の写真が飾られていました。
そしてこの僧院の特徴は何といっても、空港が一望できる絶好の場所にあることです。

スピトゥク僧院からの眺め

お堂に飾られていたバクラ・リンポチェ19世の絵と20世の写真

■シャンカール僧院 Sankar Gompa
20世紀初頭、バクラ・リンポチェ19世によって創建されたゲルク派の僧院。
本堂には、ドゥカル(白傘蓋仏母)の像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから悪魔を遮る意味となりました。顔・手・脚がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。
白傘蓋仏母像は見られる機会が少ないのですが、レー近郊だとシャンカール僧院、レー王宮、ザンスカールではランドゥン僧院、リンシェ僧院でお目にかかることができました。

シャンカール僧院のドゥカル像

■ザンラ旧王宮 Zangla Palace
ラダックのさらに奥、ザンスカールの地に残る旧ザンラ王宮。18世バクラ・リンポチェは、ザンラ王宮で生まれました。
18世バクラ・リンポチェのストゥーパ(仏塔)は、旧王宮のすぐそばにあります。
18世バクラ・リンポチェが亡くなった後、宮殿の前で火葬され、後にストゥーパが建てられました。そのストゥーパの状態が劣化した後、村全体にバクラ・リンポチェの祝福が届くよう、丘の上にあるこの場所に移されたのだそうです。

ザンスカールのザンラ旧王宮に立つバクラ・リンポチェのストゥーパ(左)

小高い岩山の上に残るザンラ旧王宮

■その他
ザンスカールのパドゥム僧院、トンデ僧院のドゥカンにも、バクラ・リンポチェの壁画が描かれています。

パドゥム僧院からの眺め

パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

トンデ僧院

トンデ僧院のお堂の内部。19世バクラ・リンポチェの写真が

ラダックの玄関口である、レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ。
僧院を見学した際に、祭壇に飾られているバクラ・リンポチェの写真や、マングースを抱いている高僧の壁画に出会ったら、現在もラダックがラダックらしくある歴史的背景に想いを馳せてみると、より理解が深まるかもしれません。
 
※僧院や空港の情報は、2024年7月訪問時のものです。
 
参考:『インド,ラダックにおける仏教ナショナリズムの始まり』名古屋学院大学/宮坂清(2014年)、INDIA TODAY、インド首相官邸Webサイト、日本総研RIM 環太平洋ビジネス情報 1998年7月No.42『南アジア緊張の火種・カシミール問題を考える』、新纂浄土宗大辞典など
 
Photo & Text: Kondo
 


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ラダックのブッダ・プルニマ Buddha Purnima

ジュレ―!西遊インディアです。

2023年5月5日は、仏陀の誕生・悟り・涅槃を祝う「ブッダ・プルニマ」の日でした。
西遊旅行の今年のGWのラダックツアーで、ちょうどお祭りの日にレーを訪れることができました。

■ブッダ・プルニマ Buddha Purnima
仏教の伝わる各地で「ウェーサーカ祭」として祝われる日。
日本では「花まつり」「灌仏会」にあたります。
仏陀の人生の中で重要な誕生・悟り・涅槃の3つがこの同じ日に起こったとされ、ラダックではチベット暦の4月(ウェーサーカ月 Visakha)の満月の日に当たるので、毎年日付が異なります。
ヒンドゥー教では、仏陀はヴィシュヌ神の9番目の化身(アヴァターラ)と考えられており、この日はヒンドゥー教徒と仏教徒の両方に祝われます。インド全国共通の祝日(Gazetted holidays)ですが、とくにラダックではダライ・ラマの誕生日に次ぐ重要な祝日です。

  • ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
  • ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ

ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像

 
「プルニマ」とはサンスクリット語で満月のこと。「ブッダ・ジャヤンティ(Jayanti = 誕生日)」ともよばれますが、ザンスカール出身の現地ガイドさんによると、「プルニマ」の方がより敬意をこめた呼称なのだそうです。ちなみに、今年は釈迦の誕生から2567年目に当たります。
 
例年レーでは、ラダックにおける仏教組織(ラダック・ブッディスト・アソシエーション)が主催し、ピース・マーチの行進と、ポロ・グラウンドでの見世物が行われます。
ピース・マーチの練り歩きは、市街中心部にあるレー・ジョカンを出発して、シャンティ・ストゥーパ、ナムギャル・ツェモの順で回り、ポロ・グラウンドをゴールとして行われます。
 
まずは市民たちが行進するピース・マーチ。シャンティ・ストゥーパから降りてくる行進の列です。


僧侶たちの列の後には、誕生日を迎えたお釈迦様がトラックに乗って移動してきます。

経典を持った人々の列が通り過ぎるとき、頭を下げると手に持つ経典を軽く叩くように頭に乗せて行ってくれました。

ピース・マーチを見た後に向かったシャンティ・ストゥーパでは、ブッダ・プルニマならではのイベントで、仏陀の人形に水をかけてきれいにし、自分の心身を清めようというブースがありました。
日本の灌仏会でもお釈迦様の像に甘茶をかける慣習があり、遠く離れたインドの地でも、共通点を感じます。

シャンティ・ストゥーパ

日本の灌仏会で見る仏像よりちょっとかわいらしい仏陀人形。
でも、日本の灌仏会と同じく「天上天下唯我独尊」の誕生仏のポーズです!
 
道中、行列に配っているハルワやサモサ、ジュースをいただきながら、広場へ向かいました。

いただいたハルワ。カシューナッツが入っていて、甘くておいしいです

レーの町の広場、ポロ・グラウンドでの見世物を見学しました。広場の真ん中に作られた壇上で、市民やお坊さんが踊りを披露していました。
ナムギャル・ツェモから見たポロ場

たくさんの見物客でにぎわっています!

仮面(チャム)を付けて踊る様子


日本の縁日やお祭りのように賑やかでした!
 
明るい雰囲気に包まれた、ブッダ・プルニマ祭のラダックの様子でした。
これからはお祭りの多い季節。ラダックは本格的な旅行シーズンを迎えます。
 
 
■おまけ
ピース・パレードで見学した色々な山車


 
Text: Kondo
Photo: Saiyu Travel

 


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