ボーパール②<ホテル紹介>ジャハン・ヌマ・パレスと、ボーパールの悲劇

Namaste!! 西遊インディアの岡田です。

 

ジャハン・ヌマ・パレス外観 (出典:ジャハン・ヌマ・パレス公式サイト)
ジャハン・ヌマ・パレス外観 (出典:ジャハン・ヌマ・パレス公式サイト)

ボーパール①の記事でも紹介しました通り、インド中央部のマディヤ・プラデーシュ州の州都であるボーパールは、サンチー仏教遺跡群やビーマベトカ壁画への観光の拠点として多くの旅行者が訪れる街です。

 

今回は、ボーパールの街で一番のおすすめであり、旅行者に大変人気の5つ星ヘリテージホテル・ジャハン・ヌマ・パレスをご紹介いたします。

 

Bhopal
ホテルの正面玄関。いつもスタッフが笑顔で迎えてくれます

 

ジャハン・ヌマ・パレス 夜の庭園
ジャハン・ヌマ・パレス 夜の庭園

ジャハン・ヌマ・パレスは、白い外壁と周囲の緑のコントラストが美しい、歴史あるホテルです。2階建ての低層の造りで、ロビーを抜けると大変広い中庭があり、その周りに客室が並んでいます。中庭は吹き抜けになっており、大変開放的です。

 

先の記事でも述べましたが、ボーパールにおいて1829年から1926年までの107年間、ベーガムと呼ばれる4人の女性指導者たちが統治していたことは大変有名です。

最初の女性指導者であるカドシャ・ベーガムは暗殺された夫の跡を継いでボーパールの統治を進め、その統治は彼女の娘からさらにその娘へと、母子4代にわたりました。その4代目・スルタン・ジャハン・ベーガムの治世の時・1890年に建設された宮殿が、現在のジャハン・ヌマ・パレス・ホテルです。

 

ジャハン・ヌマ・パレスは、完成後藩王族の住まいとして使われてきましたが、上記スルタン・ジャハン・ベーガムの次男(ウバイドゥラ・ハン)が亡くなる1924年以降、宮殿は移転や改築を経ながら様々な用途で用いられるようになりました。
次男の死後、1952年までは事務局として利用され、その後インド政府に接収された宮殿は政府によって宿泊施設として、そして1981年まではインド地理調査局の事務所として利用されました。

 

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客室内
ジャハン・ヌマ・パレス 客室
ジャハン・ヌマ・パレス 客室

インド分離独立後、再度藩王一族の元に戻ってきた宮殿は、ウバイドゥラ・ハンの孫が5つ星ホテルとして整備し、1983年の9月に現ジャハン・ヌマ・パレスホテルとしてオープンしました。19世紀の藩王国時代の雰囲気をそのままに引き継いだ高級ホテルとして話題となり、2000年には人気ヘリテージホテルとして選出されるようになりました。レストランも評価が高く、またカフェやスパも併設されています。

 

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ホテルのレセプション。正面は広いロビースペースになっており、歴代藩王の肖像画や古い調度品が展示されています

現在でもウバイドゥラ・ハンのひ孫にあたる方が経営しているジャハン・ヌマ・パレス。ホテル内には一族の歴史を示す当時の写真や道具などが飾られており、まさにボーパールの歴史を肌で味わうことのできるホテルです。ボーパールでの滞在に余裕のある場合は、ぜひとも泊まっていただきたいホテルです。

 

是非ご検討ください!

 

 

最後に、ボーパール関連のエピソードで忘れてはならない事故の話です。
ボーパールの街は、今から35年前の1984年12月に大変悲惨な事故に見舞われてしまいました。

 

その事故とは「ボーパール化学工場事故( Bhopal disaster)」。ユニオン・カーバイド社の化学工場で、深夜に起きた事故により強い毒性を持つガスが工場から漏れ出て街へと流入。未明までに約2,000人が命を落とし、その後も死傷者は増え最終的には2万人を超える死者をだした、史上最大・最悪の産業事故です。問題となった物質はイソシアン酸メチルという肺を犯す猛毒でした。
今でも、工場を管理していたユニオンカーバイド社への訴訟や責任問題は未解決とのことです。

 

この他に類をみない惨劇が起こったボーパールは、インド国内では「インドの広島」と呼ばれています。

 

Bhopal
ユニオンカーバイド社工場の跡地

活気溢れるボーパールの街からは、今は事故の影はありません。
ですが、汚染された土壌の回復や、被害者の後遺症との闘いや心のケア、遺族のケア等、まだ問題は残ったままとなっています。

 

 

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ボーパール① サンチー仏教遺跡群とビーマベトカ壁画

 

ナマステ!!西遊インディアの岡田です。今日はサンチー遺跡とビーマベトカ壁画、その拠点となるボーパールの街をご紹介します。

 

インド中央部に位置し、「中央の州」を表すマディヤ・プラデーシュ州の州都・ボーパール。デリーからは南へ800kmほどの位置にあります。18世紀からインド独立まで、イギリス統治の下でボーパール藩王国として栄え、その中でも1829年から1926年までの107年間は4人の女性藩王が治めたことで知られています。

ボーパールは付近の二つの世界遺産・サンチー遺跡とビーマベトカ壁画の観光拠点として多くの旅行者が訪れる街となっていますが、ボーパールの街自体も非常に多くの見どころを有しています。

その一つが、街の中心にあるタージウル・マスジッド。女性藩王の一人・シャー・ジャハーン・ベーガムがデリーのジャマー・マスジッドに勝るモスクを目指して1800年半ばに建設を開始しました。彼女の死後資金難等の問題により何度も建設は中止しましたが、1985年に完成しました。現在はアジア最大級のモスクとして、ボーパールのシンボルとなっております。

 

■サンチー遺跡

サンチー遺跡の第1ストゥーパ
サンチー遺跡の第1ストゥーパ

 

ボパールから北東へ約50km、サンチーの街へ着くと山の上にストゥーパの影が見えてきます。

ストゥーパ(仏塔)は本来は仏舎利(仏陀の遺骨/遺灰)を収めた塚を指し、全てのストゥーパには仏舎利が収められているとされていましたが、現在はその真偽を問わずに信仰の対象となっています。日本では「卒塔婆」あるいは単に「塔」として伝えられ、各地に三重塔や五重塔のような形で残されています。インドでは仏教へ帰依し広く布教を行った紀元前3世紀・マウリヤ朝のアショーカ王によって各地にストゥーパ、そしてアショーカの石柱と呼ばれる石柱が建設されています。

 

メインとなるサンチーの第一ストゥーパはアショーカ王によって建設されたもの。紀元前3世紀の建設の後、その後前2~1世紀にそれを覆うように拡張され現在の姿となりました。最大の見どころは、ストゥーパへの入り口に建てられた門・トラナに施された精緻な彫刻群です。

 

トラナに施された彫刻(北門裏側)
トラナに施された彫刻(北門裏側)

トラナはストゥーパへ至る通路にかかる塔門。日本の「鳥居」の原型はこのトラナにあると言われます。東西南北に建てられたトラナは、その表裏を覆いつくすように仏伝、ジャータカと呼ばれる仏陀の前世譚などをモチーフにした精緻なレリーフが刻まれています。トラナを埋め尽くすレリーフは「石の絵本」とも表現され、美仏陀の生涯やその教えを現代に伝えています。

 

仏陀が生まれる前のマヤ夫人に象が入る夢の場面
釈迦の生母・マヤ夫人(一番上)。天から白象が降りてきて、自分の右わきから胎内に入る夢を見て懐妊したという伝説が伝えられています。

初期仏教では仏陀を直接的に彫刻、絵画等で表すことは憚られました。そのためこの時期は「無仏像時代」といわれています。
仏陀はどの場面でも菩提樹・法輪・足跡・仏塔・傘などでシンボリックに表現されており、レリーフの中にはそれらを組み合わせて象徴的に仏陀の前身を表したものも見ることができます。仏陀の姿が仏像として実際に表されるようになるのは紀元後1世紀以降のことです。

 

仏足で象徴的に表された仏陀
仏足で象徴的に表された仏陀

 

仏教の衰退後は多くのストゥーパが破壊されてしまったのに対し、サンチーのストゥーパは森におおわれていたため発見を免れ、19世紀にイギリス軍により再発見されるまで良好な状態で残っていました。現在は第1~3までの3つのストゥーパに加えて僧院や寺院なども一部が残っており、一大仏教センターとして賑わったであろう当時の様子を伺えます。

 

第3ストゥーパ
第3ストゥーパ

 

■ビーマベトカ遺跡

ビーマベトカ壁画
ビーマベトカ壁画

続いて、ボーパールより幹線道路を南下すること約50kmのところに位置する、ビーマベトカ岩窟群をご紹介します。
ビーマベトカの岩窟群はチークの木が生い茂る小高い丘の上にあり、それぞれの岩陰に最大で約1万5千年前~3000年前の人類が描いた壁画が残されています。初期は単純な動物・人間の姿を写したものが、時代を下るにつれて人と人とが輪になって踊る様子、集団で狩りをする様子、馬に乗って行進する様子等へ変わっていき、当時の様子や社会の形成・発展の過程を知ることができます。

その他、馬は約3,000年前にモンゴルからはじめてインドに来たため、馬が描かれている壁画は3,000年前以降の新しいもの、また人物が三角形で描写されているのは5,000年前のもの、といった壁画の時代の見分け方もありそれぞれの岩全てを大変興味深く見ることができます。

 

この壁画を描くのに使われている染料は全て天然のものです。白は植物の根や石、動物の骨を粉末にしたもの、赤は動物の血や植物の樹液を混ぜたもの。黄色は植物の花等を原料として作られており、色の種類も時代に従って豊富になっていきます。

 

赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)
赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)

 

白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)
白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)

 

全部で750ある岩のうち、500の岩陰に壁画が施されています(旅行者が観光できるエリアは、15箇所のみです)。なかでも、大きな岩面に様々な時代の壁画が密集して描かれている場所は「Zoo Rock」と呼ばれ、1万年以上もの長期にわたって継続的に人々が生活し、壁画を描き続けてきたことを示す貴重な資料となっています。

 

岩一面に壁画が施されたZoo Rock
岩一面に壁画が施されたZoo Rock
ビーマベトカの岩体
ビーマベトカの岩体

 

描かれた岩絵は、ストーリー性のあるものもあり、大変見応えがあります。上記に述べたこの土地の人々の営みの変遷もそうですし、この岩窟周辺には、今よりも緑が溢れ、牛、鹿、猪、バイソンなど多くの動物が生息していたのが、壁画から伺えます。

世界にはこのような太古の岩陰壁画が残されている場所は数多くありますが、ここビーマベトカではいつ行っても他に観光客もおらず独占的に観光できるのも魅力。この地での人の営みを想像しながら、ゆっくりと見学をお楽しみください。

 

 

<西遊旅行>サーンチー・ビーマベトカを訪問する西インドツアーはこちら

 

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