秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

インド北東部 アルナチャール・プラデーシュ州へ

  • インド

2013.01.01 update

インド北東部 アルナチャール・プラデーシュ州へ

インド北東部に取り残されたように存在するアルナチャール・プラデーシュ州。中国・チベットやブータンに隣接するこの州は、仏教徒のモンパ族やノーズプラグや刺青などの独特な文化を持ち今まだアニミズム(精霊信仰)を信仰するアパタニ族など多くの民族が暮らしている地域です。

山奥という厳しい立地ゆえにそれぞれの村は独立性が強く、独自の信仰・文化・食習慣がはぐくまれて現在まで残されています。インドにありながら、巷のイメージとは全く別の側面をご覧いただけるアルナチャール・プラデーシュ州の旅をご案内いたします。

カラパタールから仰ぐエベレスト(左)とヌプツェ(右)
(左)ジロの村のシャーマン (右)モンパ族の女性

アルナチャール・プラデーシュへの玄関口はアッサム州の州都ガウハティという街です。「創造の神」としてヒンドゥー教の三大神にもなっているブラフマー神の名前を持つ大河『ブラマプトラ河』に抱かれたこの街は、まだまだインドのイメージそのままヒンドゥー文化圏です。

この街から陸路移動で1日半。まずは国境に程近いタワンの街を目指します。 出だしはブラマプトラ河沿いを走り、途中のテズプールという街からは山に向かって進みます。山深くまで車を進め、標高4,200mのセ・ラ(峠)を超えた先にありますのがモンパ族の暮らす里タワンです。実はこのルートはかつてダライラマ14世が亡命した際に通ったルートと言われています。

  • 標高4,200mのセ・ラ(峠)
    標高4,200mのセ・ラ(峠)
  • モンパ族の踊り
    モンパ族の踊り

モンパの里タワン

ブータン、チベットとの国境に囲まれた場所に位置する街、タワン。この街は敬虔なチベット仏教徒のモンパ族が暮らす仏教の街で、大小数多くの仏教寺院が点在しています。

その中でも中心とされるのが17世紀にメラ・ラマという高層によって建てられた古刹『タワン僧院』です。「神の馬に選ばれし最も聖なる場所」という名前を持つこのタワン僧院はタワンの街を見渡す高台に建てられ、この辺りのチベット仏教の総本山の役目を果たしています。 対岸のタワンの街から眺める僧院は、さながら城塞の様で圧巻です。

一方、人口約5千人程度のタワンの街は、インド国内にありながらそこはもう国境を越えた先のブータンやチベットと変わらぬ街並みです。 タワン周辺には、ダライラマ6世の生誕の地で、敷地にはダライラマ6世にゆかりのある井戸や大木が残されている『ウルゲリン僧院』や古いタンカ(仏画)が見所の『プラマドゥンチェン尼僧院』など、由緒ある寺院がたくさんございます。

  • タワンの街と僧院
    タワンの街と僧院
  • タワン僧院本殿内の仏像
    タワン僧院本殿内の仏像

辺境の村ジミタン

タワンから更に奥へと車を進めますと、チベットとの国境真近にある『ジミタン』の村を訪れることができます。タワンからジミタンまでは車で約3時間弱の道のりで、途中の峠からはブータンとの国境と、そしてダライラマ14世が1952年にブータンを通ってインドに亡命してきたルートをご覧いただけます。

『ジミタン村』は車で来る事ができるインド側最奥の村でして、パンチェンタ族が暮らす小さな村です。 このパンチェンタの人々は元々山向こう(中国側チベット)から降りてきた部族で、タワンのモンパ族とは異なり、言葉も元は全く違う言葉を使っていたそうです。パンチェンタの人たちはモンパ族の人よりも身長が低いのも特徴の一つです。

山と共に生きる彼らの生活はとても素朴で、脈々と流れる時の中で何百年も前から同じ生活を繰り返してきた事を容易に想像させてくれます。

  • 村の手前に建つゴルサム・チョルテン
    村の手前に建つゴルサム・チョルテン
  • ジミタンの民家
    ジミタンの民家

次には、タワンを離れアルナチャール・プラデーシュ州を更に東に進み、今なお精霊を信仰する村々がある地域を訪れます。 タワンから一度山を下り、アッサム州に一度戻り、更に1日かけて東へと山に入って行きますと、仏教の影響は次第になくなり、いまだにアニミズム(精霊信仰)を続ける多くの民族が暮らす地域です。

古くからこの辺りは険しい地形や厳しい自然環境によって民族や地域を結ぶ交通網が発達せず、強力な権力によって統一された事もなかったため「山一つ超えると、そこは違う文化の違う国」と言われるように州内アチコチに言葉も文化も異なる民族が独自に暮らしてきました。一説によるとアルナチャール・プラデーシュ州には26の異なる民族が更に200の部族に分類されて、3600の村で暮らしていると言われていて、その全てにおいてそれぞれ異なる言葉や服装、習慣、宗教を持っているとされています。

昔は違う部族間の結婚は禁止されていましたが、交通の発達にしたがって最近は異部族間の結婚も許されてきているので、その区分も徐々に消えつつあるようです。 また、この地方ではいまだに焼畑農業が行われているため、時期によっては途中の山中では原始的な農作風景である「野焼き」の光景にも出会えます。

 

アパタニ族のシャーマン
アパタニ族のシャーマン

アパタニ族の里「ジロ」

『アパタニ族』は仏教やヒンドゥー教などの宗教に染まらず、いまだに独自の神と信仰を保持している貴重な部族です。

昔から彼らは「太陽と月の精霊」を『ドニ・ポロ』と呼んで神様と崇め、独自の信仰文化を築き上げてきました。

こうした自然に存在するものを神と見立てて信仰する姿を精霊信仰(アニミズム)と呼びます。このアニミズムは他の宗教のように神様を形として表現することはなく、このドニ・ポロ信仰の場合は太陽と月そのものが神様となります。

そしてこの「ドニ・ポロ」と唯一交信できて、神のお告げなどを村の人々に告げる役目を負うのが『シャーマン(霊媒師)』と呼ばれる人たちです。

アパタニの世界ではこのシャーマンが僧侶のような役目から先生やお医者さんなど、大事なことを決める時には色々な役回りを果たすことになります。アパタニ族の各村では毎年春のお祭りが開かれ、豚やミトン牛を生贄として太陽神ドニ・ポロに捧げて一族の繁栄などをお祈りします。一方、1年間で不幸などがあったお家にとっては、厄払いをお願いする機会でもあります。

  • ジロ郊外の村の風景
    ジロ郊外の村の風景
  • ジロの街並み
    ジロの街並み
  • オールド・ジロの民家
    オールド・ジロの民家

そんなアパタニ族の村の一つが「ジロ」です。ジロ周辺では竹で建てられたアパタニ族の伝統的な家屋の街並みがご覧いただけ、家々の前には子供の数を知らせる「ボボ」と呼ばれるポールと「アギャン」と呼ばれる魔よけの竹かごが置かれ、また村の数箇所には長老達が村の決め事などを話し合う会議(ブーセン)を行う少し高くなった集会所「ラパン」を今でも見ることができます。

そして、道を行けばアパタニ族の象徴でもある「籐で出来たノーズプラグ(鼻栓)をして顔に入れ墨」を施している年配の女性に頻繁に行き会います。これは今では法律で禁止されているようですが、古くからのアパタニ族女性の習慣でもありました。

アパタニ族の女性があまりにもキレイな為、近隣の部族にさらわれる事が多く、そうした事を防ぐためにあえて顔を醜く見せるために施されたものだと言われています。 このノーズプラグの習慣は最近では徐々に消えつつある習慣なので、ある一定年齢の年配の方にしか見られません。

村の民家では地元料理を楽しむ事もできます。アパタニ料理の特長は生活にはなくてはならない「竹」で調理されていて、ご飯やお肉などを竹筒にそれぞれ詰めて、煮たり焼いたり調理するのです。 味は極めて薄味で、竹の香りが調味料の役目も果たしています。

  • ノーズプラグ(鼻栓)をしたアパタニ族の女性
    ノーズプラグ(鼻栓)をしたアパタニ族の女性
  • ジロの民家で地元料理を楽しむ
    ジロの民家で地元料理を楽しむ

特徴的な帽子のニシ族

この地域のもう一つ代表的な部族に「ニシ族」があります。 アパタニ族の暮らすジロから南へ向う地域にニシ族の村は点在しており、彼らの最大の特長としては、彼らのかぶる帽子があげられます。

今ではあまり見られなくなってしまいましたが、竹で出来た帽子に色とりどりの鳥の羽やサイチョウのくちばしなどで装飾を施したそれは、色鮮やかで個性的、誰が見てもすぐに「ニシ族」と分かります。

ニシ族の伝統家屋は全て高床式。 竹と木で出来ており、屋根は椰子の葉やバナナの葉などで葺くのが伝統手法です。 そしてもう一つニシ族の大きな特徴は「一夫多妻制」。他の周辺部族が全て「一妻制」であるのに対しニシ族の男性は「最大5人まで」妻を持つことが許されているのです。

そんな男性の家は長屋になっており皆一緒の屋根の下で生活をします。中にお邪魔すると、そこにはそれぞれの奥さん専用の囲炉裏が横に並んで作られており、妻が増えるごとに家を増築して囲炉裏を増やしていくそうです。

  • ニシ族の長屋
    ニシ族の長屋
  • 鳥の羽やくちばしで装飾の施された竹の帽子を被るニシ族の男性
    鳥の羽やくちばしで装飾の施された竹の帽子を被るニシ族の男性
アッサム・ティーの紅茶園
アッサム・ティーの紅茶園

こうしてアルナチャールの山中を走り回った後は、元来た陸路を再びテズプール、ガウハティと戻って行きます。実はこの道中、テズプールの周辺は世界的に有名なアッサム紅茶の産地でして、道沿いには広大な紅茶園もご覧いただけ、紅茶好きにはたまらない地域だったりもします。

このようにインドの東端に位置するアルナチャール・プラデーシュ州の山奥では、多種多様な文化・風習を持った部族が今なお昔からの伝統を守りながら暮らしています。 世間一般で言われる「インド」のイメージとは全く別の世界が広がり、素朴ながらも人懐っこい村人たちが出迎えてくれるはずですので、ぜひ一度ご旅行ください。

 

関連ツアーのご紹介

インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ

[特別入域許可取得]シャクナゲの花咲く季節に行く、春のアルナチャール・プラデーシュ。北東インドに残るチベット世界と精霊とともに生きる人々に出会う旅。

インドヒマラヤの王者 カンチェンジュンガ

  • インド

2012.10.01 update

世界に14座ある8,000m峰。カンチェンジュンガ(8,586m)はその内、第3位の高さを誇り、 ネパール東部とインド・シッキム州の国境に聳えています。1850年頃には世界の最高峰と考えられていました。その事が納得できる高さ、大きさ、迫力があります。その南壁を眼前に望む好展望地ゴーチャ峠を目指すトレッキングの様子をご紹介いたします。

ラムニ、ゴーチャ峠間の展望地より、朝日に輝くカンチェンジュンガ(8,586m)
ラムニ、ゴーチャ峠間の展望地より、朝日に輝くカンチェンジュンガ(8,586m)

シッキムへ

インドの首都デリーから国内線にて西ベンガル州の都市バグドグラへ。そこからシッキム州に入り、トレッキングの起点となるヨクサムへはツアー3日目に到着し、トレッキングは4日目~11日目の計8日間です。
シッキム州は、インドにある28の州の内22番目の州として、1975年にインドの一部となりました。人口は61万人とインドで最も少なく(インド人口は約12億2700万人、首都デリー人口は1100万人)、面積も下から数えて2番目に小さな州です。

元々ここはシッキム王国(1642-1975)として機能していました。チベットにおいてゲルク派(現ダライ・ラマやパンチェン・ラマも属する最大宗派)の勢いが増し、ニンマ派の高層はここシッキムやブータン方面へと移り住みます。その中で、プンツォク・ナムギェルがシッキム王国を造ったのです(1642年)。ですのでチベット人由来の王国なのですが、18世紀以降はネパール、ブータン、イギリス等に領土を侵されるようになったのです。

 

トレッキンク1日目 ヨクサム(1,780m)~バッキム(2,750m)

トレッキング初日は16km、昼食含め約8時間の行程です。初日にしてはアップダウンもあり多少厳しい行程ですが、ところどころに咲いている可愛らしい花々に癒されながら進みます。タルチョがかかる吊り橋もいくつも渡り、更にプレク川(Prek Chu)を渡る吊り橋を通ってからジグザグの最後の急登を乗り切ればキャンプ地に到着です。

  • タルチョがかかる吊り橋
    タルチョがかかる吊り橋
  • キャンプ地への急登
    キャンプ地への急登

トレッキンク2日目 バッキム(2,750m)~ゾングリ(4,030m)

翌日は18km、昼食含め約8時間の行程。かつてのシッキム王国時代に王国から特別許可証をもらって暮らしていたチベット族の村ツォカ(Choka)、ピクニック昼食場所のフィタン(Phethang)を過ぎ、シャクナゲ林に包まれた木道や尾根道を通り、好展望地のゾングリへ。

急登もところどころにあり2日目も決して一筋縄にはいかないでしょうが、天気が良ければカンチェンジュンガを拝むこともでき気分は爽快です。他にも、カンチェンジュンガの南南東15kmに位置する聖峰パンディム(6,691m)が見えてきます。山名は先住民のレプチャ語で「王者の従者」、つまりカンチェンジュンガの護衛峰です。

このキャンプ地からは4,000mを越えてくるので高山病にも注意が必要です。気温もグッと下がり、夕方5℃~早朝マイナス3℃にもなります。

  • 木材を使って整備されたルートを進む
    木材を使って整備されたルートを進む
  • 好展望地ゾングリ
    好展望地ゾングリ。左からパンディム(6,691m)、テンジンカン(5,693m)、ジョプノー(5,842m)。

トレッキンク3日目 ゾングリ滞在

3日目はゾングリに滞在します。隣丘のゾングリ・ビューポイント(4,250m)に日の出前から登り<約1時間>、朝日に映えるカンチェンジュンガを含む連山を楽しんだり、ラトン渓谷を臨むゾングリ峠(4,550m)へ趣きます<片道約2時間>。カンチェンジュンガの南南西9kmに位置するカブルーはサンスクリット語で「戦士」、つまりカンチェンジュンガの防人となります。

この日は標高4,030mでの連泊を設けることで、高所順応をしながら溜まった疲労も取り除いていきます。

  • 東の空が紅く染まりだす
    東の空が紅く染まりだす
  • カンチェンジュンガを含む連山の展望
    ビューポイントへの道中、カンチェンジュンガを含む連山の展望
  • ゾングリ峠を目指す
    ゾングリ峠を目指す
  • ゾングリ峠から望むラトン渓谷
    ゾングリ峠から望むラトン渓谷

トレッキンク4日目 ゾングリ(4,030m)~ラムニ(4,100m)

4日目は12~13km、昼食含め約7時間の行程。途中、カンチェンジュンガの大展望やパンディム連山を眺めながら、気持ちの良いトレッキングです。

復路に宿泊予定のコクチュン(3,650m)まで一気に急な下り坂をゆっくりと降りていき、プレク川の対岸へ渡り、河原の大岩の合間を縫って昼食場所のタンシン(Tangshing; 3,930m)へ。ここからはパンディムがより近くにグッと見えます。昼食後、カンチェンジュンガ南峰の好展望地ラムニへ。

  • カンチェンジュンガの展望を楽しみつつラムニへ
    カンチェンジュンガの展望を楽しみつつラムニへ
  • パンディム連山を拝む
    パンディム連山を拝む
  • プレク川沿いを進む
    プレク川沿いを進む
  • 好展望地ラムニ
    好展望地ラムニ

トレッキンク5日目 ラムニ(4,100m)~ゴーチャ峠(4,940m)往復

山が赤く燃えだす
山が赤く燃えだす

いよいよゴーチャ峠へ。この日は14~15km、昼食含め約10時間の行程。夜中に出発し、途中にある展望台を目指します<約2時間半>。朝日が昇り、グッと近付いたカンチェンジュンガを紅く染めます。

更にここからゴーチャ峠まで更に2時間半。眠気眼をこすりながら、苦しい道のりを進みます。峠前は辛い急登が続きますが、谷間になかなか当たらなかった太陽の光が、徐々に背中を後押ししてくれます。

そしてついにゴーチャ峠に到着!眼前にはカンチェンジュンガの南壁が立ちはだかります。眼下には氷河とターコイズブルーの氷河湖が広がります。

眼前に立ちはだかるカンチェンジュンガ南壁
眼前に立ちはだかるカンチェンジュンガ南壁
  • 氷河とターコイズブルーの氷河湖
    氷河とターコイズブルーの氷河湖
  • スタッフ一同も万歳!
    スタッフ一同も万歳!
カンチェンジュンガ南壁の大迫力
カンチェンジュンガ南壁の大迫力

帰りは同じルートを引き返します。下山も楽ではありませんが、一歩一歩足を前へ運びます。
キャンプ地到着後は、倒れこむようにテントへ。夕食まで熟睡です。

 

トレッキンク6日目~8日目 ラムニ(4,100m)~ヨクサム(1,780m)

ラムニから3日かけてヨクサムへ下ります。草紅葉の赤、オレンジ、黄と白い雪が絶妙な景観を造り出しています。

決して楽ではない8日間のトレッキングを支えてくれるのは専属コックが作ってくれる美味しい料理の数々。
夕食時、ビールにて乾杯!食後はホテルの庭でスタッフを集めて唄って踊ってのキャンプファイヤーです。スタッフの皆さん、ありがとうございました!

  • トレッキンク中の食事の例
    トレッキンク中の食事の例
  • トレッキンク中の食事の例
  • トレッキンク中の食事の例
  • 下山開始
    下山開始
  • 下山後の夕食時、ビールで乾杯!
    下山後の夕食時、ビールで乾杯!

登山後はダージリンの観光もお楽しみください

登山後はダージリンに移動し観光です。ダージリンは標高2,134mの高地に位置し、北側にはカンチェンジュンガがしっかりと見える好展望地であり、かつインドの紅茶の15%を生産する良質の紅茶が手に入る都市です。人口は約12万人。イギリス人が植民地時代に避暑地として開発しました。

チベット難民センター、エベレスト初登頂者テンジン・ノルゲイが初代校長を務めたヒマラヤ登山学校、ユキヒョウのいるヒマラヤ動物園、世界遺産トイ・トレイン等々。登山の疲れを一気にリフレッシュしていただきます。

  • 世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道、通称トイ・トレイン
    世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道、通称トイ・トレイン
  • 線路幅はなんと610mm
    線路幅はなんと610mm

インドヒマラヤの王者カンチェンジュンガ。チベット、ネパール、パキスタンにあるどの8,000m峰とも違う山容と迫力で皆様を迎えてくれるでしょう。スタッフ共々、皆様も全力でサポートさせていただきます。天候が安定しやすい秋のみにツアーを設定しているので、山の展望率は非常に高いところも魅力です。是非一度カンチェンジュンガの雄姿をその目に拝んでみませんか?

 

関連ツアーのご紹介

カンチェンジュンガ大展望 シッキムヒマラヤトレッキング

圧巻の世界第3位峰カンチェンジュンガ(8,586m)を仰ぎ見る。ヒマラヤ展望のベストシーズン限定企画。好展望地「ゴーチャ峠」を目指す。

悠久の歴史流れる地 ペルシャ

  • イラン

2012.08.01 update

ペルシャ、その言葉の響きに惹かれる方も多いことでしょう。
今回はペルシャを中心に興った王朝と、彼らが後世に残したものをご紹介いたします。

イスファハンのイマーム広場
イスファハンのイマーム広場

魅惑の国に流れる歴史

ペルシャ、その言葉の響きに惹かれる方も多いことでしょう。今回はペルシャを中心に興った王朝と、彼らが後世に残したものをご紹介いたします。 1979年のイラン革命以来、イラン・イスラム共和国となったこの地は、かつてはペルシャと呼ばれ、数千年の歴史の中で様々な王朝の栄枯盛衰の舞台となった地です。紀元前2000年紀に、コーカサス、アナトリア、メソポタミア、中央アジア、そしてペルシャ湾に囲まれたイラン高原に、アーリア人が南下して定住しました。イラン高原は、その地理的背景から交易ルートの通過点となり、また様々な勢力の支配下に置かれました。下記の年表をご覧いただくと、世界史に登場する帝国や王朝が、この地を支配したことがお分かりになります。

広大な地域を支配したため、様々な民族の建築様式や伝統文化を取り入れたこと、またペルシャを起源とする王朝のみならず、モンゴルや中央アジアの王朝に支配されたことにより、それぞれの時代に華麗なペルシャ文化が花開きました。そして、シルクロードを通り、日本までペルシャの影響が伝わった時代もあります。 また様々な世界情勢の背景のもと、いくつかの王朝はヨーロッパの勢力としのぎを削り、世界史の舞台にもなりました。東征途中のアレキサンダー大王に滅ぼされたアケメネス朝、ローマ帝国を破ったササーン朝など、当時のオリエント世界の超大国として君臨した時期もありました。

奴隷交易の歴史を物語るゴレ島(セネガル)
j左:チャドルを纏った子供。 右:精緻を極めたタイルワークが美しいミフラーブ。イランのほぼ中央に位置する町ヤズドの金曜モスクである。ササーン朝 時代のゾロアスター教神殿の跡地に建てられている。
伝統料理「アブ・グーシュト」肉や野菜、豆類の壺煮込み 料理で日本人の口にもよく合う。
伝統料理「アブ・グーシュト」肉や野菜、豆類の壺煮込み 料理で日本人の口にもよく合う。

イラン系諸王朝を紹介

イランに興った代表的な王朝をご紹介いたします。彼らが歴史上に残した出来事は、後世の歴史に大きな影響を与え、彼らが史跡として残したものは、当時の栄華を今に語り伝えます。

長い歴史のなかで興っては消えていった各々の王朝は、その栄華を誇るかのように様々な史跡を残し、今も訪れる人を惹き付けて止みません。そして、その壮大さ、華麗さを実際にご覧になると、強大な権力を持った各王朝の華やかかりし時代が、目に焼き付くことでしょう。

世界史に刻まれた大帝国 アケメネス朝

220年もの間、西はギリシャ、 エチオピア、東はパキスタンまで36の属州を擁して君臨した大帝国。紀元前331年、東征途中のアレキサンダー大王によって滅ぼされました。大王がダーダネルス海峡を越えて入った小アジア(現在のトルコ)は、すでにアケメネス朝の支配下でした。インドへ向かう大王は、アケメネス朝の領土を東に進軍し、ついに拠点のペルセポリスを陥落させます。かねてからアケメネス朝に攻撃を受けていたギリシャ人からは、野蛮な民族の国家と思われていましたが、大王が実際に見たものは、様々な民族、宗教を束ね、発達した文化を持った帝国だったのです。今は廃墟と化したペルセポリスは、大帝国と呼ぶにふさわしい史跡です。

ペルセポリスの象徴「万国の門」

日本文化にも影響を与えた ササーン朝

アケメネス朝よりも長く、425年間に渡って君臨した王朝。かつて栄華を極めたアケメネス朝の復興を目指し、ペルシャが起源とされるゾロアスター朝を国教としました。文化面として歴史に残るものは、支配化においたメソポタミアから導入したガラス器の製造が挙げられます。唐の時代、シルクロードを通って日本にまで伝わっており、奈良の東大寺正倉院にはペルシャ様式にカットされたガラスの器が収められています。また、紀元260年ローマ帝国との戦闘でローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にしました。皇帝シャープール一世は戦勝記念として、命乞いをするローマ皇帝を刻んだレリーフをナクシェ・ロスタムに残しています。

壮大なレリーフが残るナクシェ・ロスタム

イランにおけるモンゴル政権 イル・ハーン朝

チンギス・ハーンの征西の後、イラン高原を中心に興ったモンゴル系の王朝。モンゴルの第四大ハーン・モンケの弟フラグが初代君主となりました。彼は当時の強大なイスラム王朝アッバース朝を滅ぼし、タブリーズを首都とするイル・ハーン朝を興しました。首都タブリーズ近郊には、世界遺産に登録されたゴンバデ・スルタニエが残ります。後世のイスラム建築に大きな影響を与えたこの巨大な建造物は、中央アジアの建造物によく見られる二重のドームを取り入れています。また宗教面では、この時期にペルシャのイスラム化が進んだ時代でもありました。

ゴンバデ・ソルターニーイェ

華麗なる首都イスファハン サファビー朝

イル・ハーン朝の後、サマルカンドを首都としたティムール朝の支配を受けたのち235年間続いた王朝。ペルシャにシーア派をもたらしたことも大きな特徴ですが、最盛期、領土としたコーカサスからアルメニアやアゼルバイジャンの建築職人を集め、首都のイスファハンを壮麗な町にしました。この時期のイスファハンは、「世界の半分」と謳われ、各国からの商人が集う大都市に変貌します。今でもイマーム広場に残るシェイクルトフォラーモスクは、イスラム建築の最高傑作のひとつとされています。ペルシャ様式の、植物の描かれた青いタイル装飾は中央アジアの建築物にも影響を与え、そこにはペルシャ文化の広がりを見ることができます。

ライトアップされたイスファハン

関連ツアー

ペルシャ歴史紀行

イスラム世界で最も精緻な建築を誇るイラン。悠久の歴史が物語る数々の遺跡、イラン二大聖地のひとつコムやゾロアスター教の町ヤズドも訪れる充実の11日間。

イラン北西部周遊

カスピ海とザグロス山脈の豊かな自然と遺跡の旅。フーゼスタンからクルディスタンへ。荒々しい岩山と高原地帯・イラン北西部を巡る。チョガザンビルをはじめ5つの世界遺産を訪問。

世界最高峰を求めて エベレスト街道を行く

  • ネパール

2012.08.01 update

世界最高峰エベレストを見たいという夢を今年こそ叶えにいきませんか。

カラパタールから仰ぐエベレスト(左)とヌプツェ(右)
カラパタールから仰ぐエベレスト(左)とヌプツェ(右)

数多くの登山隊が通ったエベレスト・ベースキャンプへと続く道、エベレスト街道。晴天率の高い乾季の10月になると世界各国からたくさんのトレッカーが訪れます。街道のほとんどは生活道。エベレストへと続く険しい山道を想像して行くと、歩き易いトレイルに驚かれることでしょう。山小屋に泊まることができ、特別な登山技術や装備(アイゼン等)は不要で、決して人並み外れた体力が必要なわけでもない。どなたでも世界最高峰の展望を見に行くことができます。
しかし、エベレスト街道は多くのトレッカーが高山病に悩まされるトレイルでもあります。エベレストを間近に眺められる標高5,450mの展望地カラパタールを目指すには、やはり十分な高所経験と高山病予防の知識が必要になってきます。

  • シェルパ族の首村ナムチェバザールからは眼前にコンデリの姿を仰ぐことができます。チベット仏教徒の彼らの生活にふれるのもまたネパールの山行の楽しみです。
    シェルパ族の首村ナムチェバザールからは眼前にコンデリの姿を仰ぐことができます。チベット仏教徒の彼らの生活にふれるのもまたネパールの山行の楽しみです。
  • シャンボチェの丘にあるエベレストシェルパリゾートに宿泊すると、表情を変えるエベレスト山群の姿を一日中堪能することができます。
    シャンボチェの丘にあるエベレストシェルパリゾートに宿泊すると、表情を変えるエベレスト山群の姿を一日中堪能することができます。
  • エベレストの好展望地タンボチェの裏手に聳えるタンボチェ・リ(4,198m)まで一登りすると遮るもののない剥き出しのエベレスト山群の展望が待っています。
    エベレストの好展望地タンボチェの裏手に聳えるタンボチェ・リ(4,198m)まで一登りすると遮るもののない剥き出しのエベレスト山群の展望が待っています。

高所に自信がない方でも気軽に目指せるエベレストの好展望地があります。高山病にならないよう、水を沢山飲み、息の上がらないペースでゆっくり歩いていきましょう。快適なホテルの建つシャンボチェの丘や僧院のあるタンボチェまで行けば、そこには360度の絶景が広がっています。

世界最高峰エベレストだけではなく、世界第4位峰ローツェ、秀峰アマダブラムやタムセルク、カンテガ…いくつものすばらしい高峰群が皆様を待っています。世界最高峰エベレストを見たいという夢を今年こそ叶えにいきませんか。

  • ゴーキョピークはエベレストだけでなく、カラパタールからは見ることの出来ないローツェ、マカルー、チョー・オユーと8,000m峰を四座展望することができる絶景展望地です。ターコイズブルーの美しいドゥードゥ・ポカリ(湖)が眼下に広がります。
    ゴーキョピークはエベレストだけでなく、カラパタールからは見ることの出来ないローツェ、マカルー、チョー・オユーと8,000m峰を四座展望することができる絶景展望地です。ターコイズブルーの美しいドゥードゥ・ポカリ(湖)が眼下に広がります。
  • カラパタールからは360°の大展望が広がっています。眼下には長大なクーンブ氷河、来た道を振り返ると遠くにすっかり形を変えたアマダブラム(中央)、カンテガ、タムセルク(右)が見えています。
    カラパタールからは360°の大展望が広がっています。眼下には長大なクーンブ氷河、来た道を振り返ると遠くにすっかり形を変えたアマダブラム(中央)、カンテガ、タムセルク(右)が見えています。
  •  カラパタールの背後には乙女・峰を意味する美しい山容のプモ・リが聳えています。
    カラパタールの背後には乙女・峰を意味する美しい山容のプモ・リが聳えています。

関連ツアー

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

エベレスト展望ハイキングと山上ホテル

エベレスト好展望ホテルに2連泊、のんびり歩くヒマラヤ名ルート。「長い時間歩くのは苦手、でも一度はエベレストを見てみたい」そんな夢をかなえる、ゆとりのエベレスト街道の旅。

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

エベレスト大展望 カラパタールトレッキング

エベレストを眼前に仰ぐカラパタールの頂へ。高度順応も兼ねてローツェ南壁の好展望地チュクンも訪問。ゆっくりとエベレスト街道の終着地を目指す山旅。

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

エベレスト山群大展望 ゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越え

大展望地ゴーキョ・ピークでエベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユー、8,000m峰四座を望む。さらにレンジョ・パスを越えロールワリン山群までを一望。

ベトナム最北の地を行く ディエンビエンフーからハジャンへ

エベレスト展望 ゆったりタンボチェトレッキング

エベレスト街道トレッキングの決定版!各地で名峰の展望地に宿泊し、タンボチェではタルチョはためくピークに登頂。4,198mから眺めるクーンブ山群のパノラマを堪能。

ミャンマーを旅する

  • ミャンマー

2012.08.01 update

無数のパゴダが並ぶバガンの夕暮れ
無数のパゴダが並ぶバガンの夕暮れ
東南アジアの中でも熱心な仏教国であるミャンマー。信仰篤い人々が暮らす穏やかな印象がある一方で、政治的には長きに渡る軍事政権が続き、クーデターや民主化運動の大規模デモなどが起こるなど、安定しないイメージがつきまとう国でもありました。そんなミャンマーが今、大きな転換期を迎えています。

民主化の道へ — 大きな転換期を迎えるミャンマー

2011年1月、首都ネピドーで総選挙後初の連邦議会が開幕。民主化運動の指導者アウンサンスーチーさんの自宅軟禁が解除され、徐々に民主化運動が進展していったミャンマー。2012年に入りアメリカなど諸外国の制裁が緩和されたことで経済的にも活気付き、世界からも注目を集める国となっています。現在のミャンマーはどう変わっているのか。2012年6月、視察に行ってまいりました。

2012年現在、日本からミャンマーへの直行便はないため、ベトナム航空にてハノイで航空機を乗り換えて空路ヤンゴンへと入りました。以前はヤンゴンへはバンコク乗り換えの航空機を利用するのが主流でしたが、2010年にはベトナム航空のハノイ/ヤンゴン線が、2012年に入り大韓航空、カタール航空、パキスタン航空が就航しました。さらに、10月からは12年ぶりに全日空の成田/ヤンゴン直行便の就航が決定しています。ビジネス・観光ともに高まる需要を見込み、一気にミャンマーへの空の入口の選択肢が広がりました。

ヤンゴンの空港から街へと車を走らせると建設中の建物を多く目にします。多くの外国人の需要を見込んで、ホテルなどの建設ラッシュが続いているとの話でした。すでにあるホテルだけではとても足りず、物価もどんどん上がるばかりだとのこと。翌日からはヤンゴンを後にし、バガン、マンダレー、インレー湖を回りました。

悠久の遺跡・自然・民族… 見所満載のミャンマー

ミャンマーは遺跡や自然、民族など魅力あふれる見所の多い国。様々な民族によって複雑な歴史を繰り広げてきたミャンマーを初めて統一したのが11世紀のパガン王朝です。バガンに残る遺跡群はカンボジアのアンコール遺跡、インドネシアのボロブドゥール遺跡と並んで世界三大仏教遺跡のひとつに数えられています。約40平方㎞の王都には数多くのパゴダ(仏塔)がつくられ、その数は最盛期には数十万に及んだともいわれています。現存するパゴダは2000以上、少し高台に上って見渡すとパゴダ群を一望することができ圧巻です。また、各パゴダを馬車に乗ってゆったりと巡るのもおすすめです。

そして多くの少数民族が暮らすシャン州の風光明媚なインレー湖。湖上で暮らすインダー族が有名です。インダー族は湖に浮島を作り、家を建て、魚を採って生活をしています。浮島では野菜も栽培されていて、インレー湖でとれたトマトは味が良いことで有名です。そして、細長いこの湖の移動手段はカヌー。インダー族の人々は船の上で片足を使い艪を操ります。

ここインレー湖は特徴のある湖上ホテルに宿泊することもできます。湖での移動は船を使い、郊外の特徴のある仏塔が立ち並ぶインディン遺跡や湖で自生する蓮を使った織物工房などを巡ります。観光地の訪問はもちろん、市場や街でのあたたかい人々との出会いも魅力のひとつです。

今、変わりゆくミャンマーへ。この機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

黄金色に輝くお寺と縁起物
ミャンマーの人々にとって黄金色に輝く寺院と仏塔は彼らの信仰そのもの。金は信者の寄付で集められます。寺院へと進む境内には「投げるたび転ばずに立ち上がる」日本のダルマと似た「ピッタインダウン」や招き猫のように福を招く「ふくろうの置物」が縁起物として売られています。

ミャンマーの縁起物「ふくろうの置物」黄金色に輝く「シュエジーゴン・パゴダ」
左:ミャンマーの縁起物「ふくろうの置物」
右:黄金色に輝く「シュエジーゴン・パゴダ」
仏教国ミャンマー
全人口の80%以上が仏教徒。パガン王朝の隆盛とともに全土に広がり、15世紀になるとスリランカから小乗仏教の教えが伝わりました。朝、街中や市場で托鉢をする僧に喜捨する人々の姿を目にすることがあります。またミャンマーの男性は一度は仏門に入ることが一般的で、得度式を行う少年の姿も見られました。これもミャンマーに根付く深い信仰のひとつです。托鉢をする少年僧たち

托鉢をする少年僧たち
美味しいミャンマー料理
食も旅の楽しみのひとつ。中国、インド、タイなどと国境を接するミャンマーでは、それぞれの国から影響を受けた独自の料理が作り出されました。モヒンガーと呼ばれる魚のスープを使った麺料理は朝食の定番。茶葉を発酵させて豆やニンニクなどまぜた、食べるお茶「ラペットゥ」、シャン州ではインレー湖の魚を使った料理やじゃがいもとお米を混ぜてつくるシャン風おにぎりなど各地の名物料理を存分にお楽しみください。朝食の定番「モヒンガー」&シャン風おにぎり

左:朝食の定番「モヒンガー」  右:シャン風おにぎり
民族衣装「ロンジー」
ミャンマーの民族衣装は「ロンジー」と呼ばれる巻きスカート。特に女性の模様は多種多様です。シャン州風は波のような横ラインのもの、カチン風はひし形の模様、シュミロンジーは田舎風。市場では、シャンロンジーは6ドル、カチンロンジーは15ドルで手に入りました。

托鉢をする少年僧たち
左上:ロンジーの生地でできた小物   右:ロンジーを着た女性
左下:市場で売られるロンジー
伝統工芸とお土産
バガンでは漆器づくりが有名です。竹を馬のしっぽで編みこんだものやチーク材に漆を何層にも塗り重ねます。キンマの葉っぱ入れは昔どこの家庭でもあったもので、500ドルほど。手軽に購入できるお茶のコップ(5ドル〜)、小箱(25ドル〜)などがお土産に人気です。また、インレー湖では蓮の繊維で作られた織物なども有名です。その土地ならではの一品を探してください。

漆のお土産&漆器の工房&蓮の繊維の織物
左上:漆のお土産  左下:蓮の繊維の織物  右:漆器の工房
伝統的な自然化粧品「タナカ」
タナカはレモンの木の一種で、3から5年、8年と成長させた木の皮を専用の石で削って使う日焼け止めです。これは化粧品のようなもので、男女とも使います。年数が経って太い木になるほど高級品。削ると自然に匂いがしますが、白檀を混ぜた高級タナカやクリーム状に加工されたものもあります。ヤンゴンなどの都会ではあまり見られなくなりましたが、地方では男性もタナカを使っています。

市場で売られるタナカ&タナカを塗った赤ちゃん
左:市場で売られるタナカ  右:タナカを塗った赤ちゃん

関連ツアー

韓国二大名峰登頂 漢拏山・智異山と済州島満喫オルレハイキング

古都オールド・バガンと
湖上の民・インダー族の暮らすインレー湖を訪ねて

仏教都市・バガン、インレー湖ではそれぞれ2泊。主要な見どころをしっかり押さえながら、ゆとりある日程で巡る。特別価格で行く、癒しと安らぎの7日間の旅。

PAGE TOP