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ミャンマーを旅する

  • ミャンマー

2012.08.01 update

無数のパゴダが並ぶバガンの夕暮れ
無数のパゴダが並ぶバガンの夕暮れ
東南アジアの中でも熱心な仏教国であるミャンマー。信仰篤い人々が暮らす穏やかな印象がある一方で、政治的には長きに渡る軍事政権が続き、クーデターや民主化運動の大規模デモなどが起こるなど、安定しないイメージがつきまとう国でもありました。そんなミャンマーが今、大きな転換期を迎えています。

民主化の道へ — 大きな転換期を迎えるミャンマー

2011年1月、首都ネピドーで総選挙後初の連邦議会が開幕。民主化運動の指導者アウンサンスーチーさんの自宅軟禁が解除され、徐々に民主化運動が進展していったミャンマー。2012年に入りアメリカなど諸外国の制裁が緩和されたことで経済的にも活気付き、世界からも注目を集める国となっています。現在のミャンマーはどう変わっているのか。2012年6月、視察に行ってまいりました。

2012年現在、日本からミャンマーへの直行便はないため、ベトナム航空にてハノイで航空機を乗り換えて空路ヤンゴンへと入りました。以前はヤンゴンへはバンコク乗り換えの航空機を利用するのが主流でしたが、2010年にはベトナム航空のハノイ/ヤンゴン線が、2012年に入り大韓航空、カタール航空、パキスタン航空が就航しました。さらに、10月からは12年ぶりに全日空の成田/ヤンゴン直行便の就航が決定しています。ビジネス・観光ともに高まる需要を見込み、一気にミャンマーへの空の入口の選択肢が広がりました。

ヤンゴンの空港から街へと車を走らせると建設中の建物を多く目にします。多くの外国人の需要を見込んで、ホテルなどの建設ラッシュが続いているとの話でした。すでにあるホテルだけではとても足りず、物価もどんどん上がるばかりだとのこと。翌日からはヤンゴンを後にし、バガン、マンダレー、インレー湖を回りました。

悠久の遺跡・自然・民族… 見所満載のミャンマー

ミャンマーは遺跡や自然、民族など魅力あふれる見所の多い国。様々な民族によって複雑な歴史を繰り広げてきたミャンマーを初めて統一したのが11世紀のパガン王朝です。バガンに残る遺跡群はカンボジアのアンコール遺跡、インドネシアのボロブドゥール遺跡と並んで世界三大仏教遺跡のひとつに数えられています。約40平方㎞の王都には数多くのパゴダ(仏塔)がつくられ、その数は最盛期には数十万に及んだともいわれています。現存するパゴダは2000以上、少し高台に上って見渡すとパゴダ群を一望することができ圧巻です。また、各パゴダを馬車に乗ってゆったりと巡るのもおすすめです。

そして多くの少数民族が暮らすシャン州の風光明媚なインレー湖。湖上で暮らすインダー族が有名です。インダー族は湖に浮島を作り、家を建て、魚を採って生活をしています。浮島では野菜も栽培されていて、インレー湖でとれたトマトは味が良いことで有名です。そして、細長いこの湖の移動手段はカヌー。インダー族の人々は船の上で片足を使い艪を操ります。

ここインレー湖は特徴のある湖上ホテルに宿泊することもできます。湖での移動は船を使い、郊外の特徴のある仏塔が立ち並ぶインディン遺跡や湖で自生する蓮を使った織物工房などを巡ります。観光地の訪問はもちろん、市場や街でのあたたかい人々との出会いも魅力のひとつです。

今、変わりゆくミャンマーへ。この機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

黄金色に輝くお寺と縁起物
ミャンマーの人々にとって黄金色に輝く寺院と仏塔は彼らの信仰そのもの。金は信者の寄付で集められます。寺院へと進む境内には「投げるたび転ばずに立ち上がる」日本のダルマと似た「ピッタインダウン」や招き猫のように福を招く「ふくろうの置物」が縁起物として売られています。

ミャンマーの縁起物「ふくろうの置物」黄金色に輝く「シュエジーゴン・パゴダ」
左:ミャンマーの縁起物「ふくろうの置物」
右:黄金色に輝く「シュエジーゴン・パゴダ」
仏教国ミャンマー
全人口の80%以上が仏教徒。パガン王朝の隆盛とともに全土に広がり、15世紀になるとスリランカから小乗仏教の教えが伝わりました。朝、街中や市場で托鉢をする僧に喜捨する人々の姿を目にすることがあります。またミャンマーの男性は一度は仏門に入ることが一般的で、得度式を行う少年の姿も見られました。これもミャンマーに根付く深い信仰のひとつです。托鉢をする少年僧たち

托鉢をする少年僧たち
美味しいミャンマー料理
食も旅の楽しみのひとつ。中国、インド、タイなどと国境を接するミャンマーでは、それぞれの国から影響を受けた独自の料理が作り出されました。モヒンガーと呼ばれる魚のスープを使った麺料理は朝食の定番。茶葉を発酵させて豆やニンニクなどまぜた、食べるお茶「ラペットゥ」、シャン州ではインレー湖の魚を使った料理やじゃがいもとお米を混ぜてつくるシャン風おにぎりなど各地の名物料理を存分にお楽しみください。朝食の定番「モヒンガー」&シャン風おにぎり

左:朝食の定番「モヒンガー」  右:シャン風おにぎり
民族衣装「ロンジー」
ミャンマーの民族衣装は「ロンジー」と呼ばれる巻きスカート。特に女性の模様は多種多様です。シャン州風は波のような横ラインのもの、カチン風はひし形の模様、シュミロンジーは田舎風。市場では、シャンロンジーは6ドル、カチンロンジーは15ドルで手に入りました。

托鉢をする少年僧たち
左上:ロンジーの生地でできた小物   右:ロンジーを着た女性
左下:市場で売られるロンジー
伝統工芸とお土産
バガンでは漆器づくりが有名です。竹を馬のしっぽで編みこんだものやチーク材に漆を何層にも塗り重ねます。キンマの葉っぱ入れは昔どこの家庭でもあったもので、500ドルほど。手軽に購入できるお茶のコップ(5ドル〜)、小箱(25ドル〜)などがお土産に人気です。また、インレー湖では蓮の繊維で作られた織物なども有名です。その土地ならではの一品を探してください。

漆のお土産&漆器の工房&蓮の繊維の織物
左上:漆のお土産  左下:蓮の繊維の織物  右:漆器の工房
伝統的な自然化粧品「タナカ」
タナカはレモンの木の一種で、3から5年、8年と成長させた木の皮を専用の石で削って使う日焼け止めです。これは化粧品のようなもので、男女とも使います。年数が経って太い木になるほど高級品。削ると自然に匂いがしますが、白檀を混ぜた高級タナカやクリーム状に加工されたものもあります。ヤンゴンなどの都会ではあまり見られなくなりましたが、地方では男性もタナカを使っています。

市場で売られるタナカ&タナカを塗った赤ちゃん
左:市場で売られるタナカ  右:タナカを塗った赤ちゃん

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世界一の単独峰 キリマンジャロ登頂

  • タンザニア

2012.08.01 update

アフリカ最高峰キリマンジャロは、タンザニア北東部に位置しており、標高は5,895m。山脈に属さない単独峰としては世界一の高さを誇ります。変化に富んだルートを5日間かけて登頂します。

キボ峰にむかって
キボ峰にむかって

アフリカ最高峰 キリマンジャロ

キリマンジャロは、アフリカ最高峰であり7大陸最高峰の一つで、東西約50km南北30kmに広がった成層火山です。西からシラ峰(3,962 m)キボ峰(5,985m)マウェンジ峰(5,149m)の3つから成り、南東部には巨大なカルデラがあります。中央にあるキボ峰が最高峰で頂上はスワヒリ語で『独立、自由』を意味するウフルと呼ばれています。ここは1961年の独立を記念して命名されました。かつて、タンザニア初代大統領ジュリウス・ニエレレの言葉が刻まれた銅版のレリーフがありましたが、現在は失われています。 山頂付近からはタンザニア第2の高峰・メルー山(4,567m)を展望することができます。

スタート地点 マラングゲートへ

キリマンジャロ空港から車で走ること2時間。登山の拠点となるマラングに宿泊し、翌日マラングゲートまで向かいます。 ここで入山手続きを行い、ポーターに荷物を振り分けて、計量を行い、いよいよ出発です。

完全に凍った瀑布
マラングゲート
レーへ巡礼の旅に向かうラダッキーたち
ポーターの軽量
いよいよ出発!
いよいよ出発!

マラングゲート → マンダラハット

トレッキング1日目は、マンダラハット(2,730m)まで、約8km、標高差は約900mです。序盤は樹林帯の中ですが、登山道はきれいに整備されており、とても歩きやすいです。キサンビオニで昼食後、ゆるやかに登りマンダラハットに到着です。

整備された樹林帯を行く
整備された樹林帯を行く
マンダラハットに到着
マンダラハットに到着

マンダラハット → ホロンボハット

2日目は、ホロンボハット(3,720m)まで、約13km、標高差は約1,000mです。出発後、1時間は前日に続き樹林帯です。徐々に木々が低くなり樹林帯を抜けると、草原帯になり、正面には白く輝くキボ峰、右手には鋭いマウェンジ峰が姿を現します。ここからは少し粒子の細かい砂の道をゆるやかに登っていきホロンボハットを目指します。

ホロンボハット滞在(高度順応トレッキング)

3日目は、終日ホロンボハットに滞在し、ラヴァヒル(4,100m)といわれる丘まで高度順応トレッキングをします。ゆるやかに登り4,000mを越えるとゼブラロックといわれる縞模様の岩に到着です。ここで休憩後、ラヴァヒルまで登ります。ここからは、ギルマンズポイント、キボハット、キリマンジャロにある8ルートのうちの1つ、マチャメルートのバラフキャンプなどを展望することができました。ここからは明日通る登山道を下り、ホロンボハットまで戻ります。
ラヴァヒルからキリマンジャロを展望
ラヴァヒルからキリマンジャロを展望

ホロンボハット → キボハット

4日目は、キボハット(4,703m)まで約10km、標高差は本日も約1,000mです。出発してゆるやかな登りがあり、登りきると、ラストウォーターポイント(最後の水場)までは平坦な道が続きます。この先にある丘を2つ越えると、サドルという砂礫帯になります。ここから先は平坦に見えますが侮れません。本日は1,000mも登ります。体を高所に慣れさせ、ゆっくり歩いていきます。キボハットに到着後は明日のアタックに備え、ゆっくり休みます。

背の低いジャイアントセネシオが密生する
背の低いジャイアントセネシオが密生する
ラストウォーターポイント
ラストウォーターポイント
丘を越えると砂礫帯
丘を越えると砂礫帯

キリマンジャロ登頂

5日目は、23時にキボハットを出発し登山開始。ヘッドランプの明かりを頼りにつづら折りの道を登ります。ハンスメイヤーズケイブ(5,150m)を過ぎると急に風が強くなり、気温も下がり、岩場が多くなります。ふと見上げると、ギルマンズポイントがすぐそこに見えます。しかし、到着までにはまだまだ時間がかかります。本日は1,280mも登らなければなりません。岩場を抜けるとついにギルマンズポイント(5,682m)に到着です。喜びもつかの間、少し休憩して、ウフルピークを目指し歩き始めます。ステラポイント(5,730m)に到着すると、朝陽が昇り、目の前に氷河が現れます。 ここは赤道付近にもかかわらず、キボ峰の頭頂部には20世紀後期まで巨大な氷河が存在していました。近年は、気候変動(温暖化、降水量の減少など)にともなって規模が極端に縮小しているとはいえ、氷雪を見ることができます。 ここからは最後の力を振りしぼり、一歩一歩、歩みを進め、ついにウフルピーク(5,895m)に到着です。

ステラポイントから眺める朝陽
ステラポイントから眺める朝陽
ジャイアントセネシオの背丈が徐々に低くなる
ステラポイント
レブマン氷河
レブマン氷河
ウフルピーク(5,895m)に到着
ウフルピーク(5,895m)に到着
ディゲン氷河
ディゲン氷河
キリマンジャロ山頂付近からメルー山を展望
キリマンジャロ山頂付近よりタンザニア第2の高峰メルー山を展望
 

キリマンジャロを登頂したことを実感し、いつまでもここに居たかったのですが、長く滞在すると高山病の影響がでるため写真を撮り下山を開始します。帰路はつづらおりだった道を砂走りのように駆け下りました。 キボハットに戻り休憩。おかゆの昼食後は一気にホロンボハットまで、約2280mを下山です。

マラングゲートへ下山

6日目は、ホロンボハットからマラングゲートまで下山します。マラングゲートに到着すると、登頂証明書を受け取り、 同行コックが作った最後の昼食を食べキリマンジャロビールで乾杯です。ポーター達とはここでお別れです。お別れにキリマンジャロの歌を歌ってくれました。

登山後はアル―シャ国立公園でサファリを楽しみます。 アフリカ最高峰・キリマンジャロ登頂と独特の生態系の大自然を楽しみ、タンザニアのサファリの体験など、充実の10日間の旅に一緒にでかけてみませんか。

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カサブランカからダカールを走る

  • セネガル
  • モーリタニア
  • モロッコ
  • 西サハラ

2012.08.01 update

左:世界遺産の植民都市サンルイの街に暮らす人々(セネガル)右上:迷路のようなスークが続くアラブの古都マラケシュのメディナ(モロッコ)中:国境への道を行く人々(セネガル)右下:ディアウリング国立公園(モーリタニア)
左:世界遺産の植民都市サンルイの街に暮らす人々(セネガル)右上:迷路のようなスークが続くアラブの古都マラケシュのメディナ(モロッコ)
中:国境への道を行く人々(セネガル)右下:ディアウリング国立公園(モーリタニア)
 右手に大西洋を見ながら、モロッコのカサブランカからセネガルのダカールまで、2000㎞以上を駆け抜ける「カサブランカからダカールを走る」のツアー。昨年、新企画として発表し、ご好評をいただきましたこのツアーの魅力をご紹介いたします。

 

ツアーはドバイよりカサブランカのモハメッド5世空港に降り立ちます。ここからダカールまで2つの国境越えを含む道のりが始まります。最初の宿泊地は古都マラケシュ。夕方に到着してから、蛇使いや占い師で賑わう夜のジャマ・エル・フナ広場を見学し、翌日も迷路のようなメディナを見学します。香辛料、薬草の香りが渦巻き、色鮮やかな土産物屋が軒を連ねるだけでなく、神学校やモスクが残る由緒あるメディナです。その後、ツアーは大西洋に面したアガディールに到着します。

 

翌日、アンチアトラス山脈を越えると気温も上がりはじめ砂漠性気候に変わり、午後にはいよいよ西サハラへ入ります。西サハラは、モロッコが領有を主張し、モロッコの商品が溢れ、使われている通貨もモロッコ・ディルハムです。モロッコからの国境越えもありません。しかしモロッコの領有は多くの国々から認められておらず、亡命政権であるサハラ・アラブ共和国も領有権を主張する政治的に複雑な場所です。

 

しかし、それは政治の話で、実際に車窓から眺める風景は、美しい大西洋が果てしなく広がり、ヨーロッパから自分の車でそのまま来てウィンド・サーフィンやパラセイリングを楽しむ人々にたくさん出会います。西サハラではかつての首都だったライユーンとダクラに宿泊しますが、西サハラでの楽しみのひとつはタコ漁を見ること。タコを含め、日本にも輸出されるほど漁獲量が高い理由は、この辺りの沖合が、寒流のベンゲラ海流と、暖流の北大西洋海流がぶつかる「潮目」に当たるためです。そのため、魚を求めて飛来する渡り鳥も多く、ツアーではモーリタニアのディアウリング国立公園で、たくさんの渡り鳥を見ることができます。

 

 

サハラと大西洋が交わるダクラ(西サハラ)
サハラと大西洋が交わるダクラ(西サハラ)
日本向けタコ漁(西サハラ)
日本向けタコ漁(西サハラ)
 そのモーリタニアへは、西サハラからではありますが、モロッコの出国審査を受けます。モーリタニアでは四輪駆動車に分乗し、大西洋岸をさらに南下します。最初の宿泊地ヌアディブ近郊では、ブラン岬に立ち寄ります。岸部に難破船が打ち上げられ、さびれた灯台が残りますが、なかなか趣のあるところで、アザラシものんびりと泳いでいます。首都のヌアクショットを過ぎると、灌木や緑が増えはじめ、ステップ気候に移りサハラからアフリカに移ったことを体感します。
ブラン岬より大西洋を望む(モーリタニア)
ブラン岬より大西洋を望む(モーリタニア)
大西洋岸を走り、ダカールを目指す
大西洋岸を走り、ダカールを目指す
 セネガル川の国境を越えると、最後の訪問国のセネガルです。お世話になるスタッフも、モロッコではアラブ系やベルベル系、モーリタニアではムーア人、そしてセネガルでは黒人系に移り変わってきました。セネガルの最初の宿泊地はサンルイ。フランス植民地時代の面影を残す反面、捕獲した魚の売買で賑わい、アフリカの力強さも垣間見れます。ツアーではサンルイに連泊し、馬車に乗ってゆっくり街を見学します。

 

サンルイから、ツアーはいよいよ最終目的地のダカールへ。ここでは、フェリーで奴隷交易の歴史を物語るゴレ島を訪れるほか、パリ・ダカールラリーの終着点であるラック・ローズにも立ち寄ります。ラック・ローズとは「赤い湖」という意味で、プランクトンの影響で赤くなった湖では、塩の採掘が行われています。ここにあるレストランには、パリ・ダカールラリーを走り抜けた各国のチームの記念の落書きが沢山書かれていました。

13日間で車窓の景色も、出会う民族も文化も毎日移り変わり、アフリカの雄大さを体感します。そして大西洋の青さを最後まで目に焼き付けながら、アフリカ最西端に位置するダカールから飛び立って、帰国の途につきます。皆様も同じ「夢の大西洋岸ルート」を、走り抜けてください。

奴隷交易の歴史を物語るゴレ島(セネガル)
奴隷交易の歴史を物語るゴレ島(セネガル)
セネガルで出会った女性
セネガルで出会った女性

変化する「食」も楽しみのひとつ

訪れる各国では、各地の名物料理も召し上がっていただきます。大西洋岸のため、エビやタコなど豊富なシーフードを使った料理も魅力です。モロッコの「タジン鍋」やセネガルの魚とご飯の煮込み「チャップジェン」、移動中のピクニックなどその地ならではの料理も楽しみ、「食」の変化も、体感していただけます。

野菜豊富なタジン鍋
野菜豊富なタジン鍋
チャップジェン
チャップジェン
新鮮なシーフード
新鮮なシーフード

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夢のアフリカ大西洋岸ルート カサブランカ〜ダカールを走る

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南インドの旅

  • インド

2012.08.01 update

経済発展、観光開発の進む大国インド。その中で、南インドはドラヴィダ民族文化と建築美、豊かな海と食文化、そしてモンスーン(季節風による雨)とともに再生する自然の美しさを持つ、「多彩な魅力をもつインド」そのものの姿を魅せてくれます。

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
上段:ヤシの茂る浜辺よりアラビア海を望む。
下段(左から):カタカリダンス、南インドの定食「ミールス」、ジャスミンの花、南インドの料理に欠かせないスパイス

西遊旅行ならではの「南インドの旅」

2012年6月、モンスーンが始まったばかりの南インドを訪問しました。

インダス文明の担い手であるともされるドラヴィダ民族。彼らは、サンスクリット文字が発明される以前に独自の文字を持っていたことからもわかるように、インド亜大陸に高度な文化を築きました。イラン高原からアーリア人が移住し、北インド全域に新たな文化がもたらされたあとも、南インドには彼らの豊かな文化が残りました。

一方、大航海時代にはヨーロッパとの交易で栄え、イギリス当地時代には高原避暑地として人々を癒したこの地には、今もコロニアル風の建物や蒸気機関車が残り、インドの他の地域とは異なる異国情緒溢れる一面も持っています。

様々な文化を取り入れながらも、ゆったりと流れる時間の中に連綿と続くドラヴィダ民族文化の真髄を感じた今回の訪問は、おおらかでありながら力強い南インドの魅力を再確認する旅になりました。

今冬のツアーで訪れる西遊旅行ならではのツアーポイントをご紹介いたします。

世界遺産・ニルギリ山岳鉄道

高原避暑地への交通手段としてスイス人技師によって計画され、1899年に開通したニルギリ山岳鉄道。ツアーでは、全長45.88kmの中でラック形式の蒸気機関車が今も現役で走るハイライトのメットゥパラヤム~クーヌール区間に乗車します。

列車の最高時速は13㎞。時折給水のために停車し、スイッチバックを繰り返しながら、高低差1,386mのニルギリの山を2時間50分かけて登ります。運行開始から114年間変わらない、ゆったりとした列車の旅をお楽しみください。
※ニルギリ鉄道の蒸気機関は正面が客車に連結されています。右の写真はクーヌ-ル駅着後、蒸気機関のみスイッチバックして車庫に入るときに撮影したものです。 

ニルギリ鉄道・ラック形式の蒸気機関車
ニルギリ鉄道・ラック形式の蒸気機関車
パトロンの庇護のもと発展したモチ刺繍。1ミリ程度のチェーンステッチを刺すもので、現在は数家族のみがその伝統を受け継いでいます。
“ニルギリティー”お茶畑の中を走る
車内で出会ったインド人の新婚さん
車内で出会ったインド人の新婚さん
ニルギリ丘陵を登る鉄道
ニルギリ丘陵を登る鉄道
クーヌールの駅に到着
クーヌールの駅に到着

ハウスボートでいく
バックウォーター (水郷地帯)の旅

インド洋に沿って南北に伸びるケララ州。南北1,500㎞に張り巡らされたバックウォーター(水郷地帯)をハウスボートで巡ります。

ボートはエアコンやシャワーを完備したまさに「移動するホテル」。運河の左右には豊かな水田がり、運河沿いに暮らす人々が小船に乗って学校に通ったり漁をしたりする姿が垣間見られます。

椰子の木をシルエットに朝日や夕日に染まる南国らしい景色や、船上で専属コックが作る美味しいケララ料理もぜひご堪能ください。

両岸にヤシの生い茂る運河をハウスボートで行く
両岸にヤシの生い茂る運河をハウスボートで行く
 ローガンペイントで綿布に描かれた「生命の樹」。シンメトリーのデザインが特徴です。
夕暮れ時のバックウォーター
ハウスボートのデッキの一例
ハウスボートのデッキの一例
ハウスボートの客室の一例
ハウスボートの客室の一例
コックさんの作るケララ家庭料理
コックさんの作るケララ家庭料理

信仰篤い人々の姿
ミナークシ寺院のクロージングセレモニー

何千もの極彩色の神々の像で埋め尽くされ、後期ドラヴィダ様式の頂点を極めたといわれるミナークシ寺院。ここにはヒンドゥーの神シヴァと土着の女神ミナークシとが夫婦として祀られ、毎夕方にはシヴァ神がミナークシ女神の寝所に入る様子を儀式化したセレモニーが行われます。

楽隊の音楽とともに銀の神輿に乗ったシヴァ神が出てくると、僧侶がその日の行事や寄付の額を神輿に報告します。神輿は2人の息子の祠の前でおやすみの挨拶をしたあと、妻のミナークシの聖所の前で中に入っていいか伺いをたてます。

その後、神輿の下に用意された祭壇が蓮の花 竄ィ香で清められます。これはこの地方の伝統で、主人が仕事から帰ってきたときに妻が家の前でその足を清める儀式からとられたと考えられています。ハスの花、ジャスミンの花、そしてお香がたかれ孔雀の羽でお香が広がり神々しい雰囲気が作られていきます。

ミナークシ寺院の色鮮やかなゴプラム(塔門)
ミナークシ寺院の色鮮やかなゴプラム(塔門)
孔雀の羽の扇でお香が招かれると、神輿は聖所へと入っていきます。神が人間のように親しみを込めて扱われ、毎日繰り返されるその儀式は南国らしいおおらかさと人々の信仰の篤さを物語っているようです。 そして、ミナークシの寝室へと神輿が運ばれていき、この儀式が終了します。神々も人と同じ暮らしをしている・・・そう考える南インドの信仰の姿です。
シヴァの聖所から出てくる神輿。中にはシヴァ神像。
シヴァの聖所から出てくる神輿。中にはシヴァ神像。
ミナークシの聖所の前で祭壇が清められる
ミナークシの聖所の前で祭壇が清められる
シヴァの足跡の祭壇
シヴァの足跡の祭壇
ハスの花とジャスミンの花
ハスの花とジャスミンの花
ミナークシの寝室へと運ばれる神輿
ミナークシの寝室へと運ばれる神輿

食文化豊かな“美味しい南インド”を満喫

南インドの主食はお米。お米といっても北インドの長いインディカ米とはちがい、丸い大きなタイプのお米が主流です。そして一番の特徴はココナッツミルクをふんだんに使ったやさしい甘さが特徴の野菜や魚のカレー。そのほか、豆の粉のクレープ「ドーサ」、かるかんのような舌触りの蒸しパン「イドリ」、お好み焼きのような「ウッターパム」など、野菜や魚中心のヘルシーな料理は日本お客様に大変好評です。

アラビア海やベンガル湾でとれる新鮮なシーフードも楽しみのひとつです。朝食は蒸しパンのイドリに酸味のあるスープのサンバルやラッサムをつけていただきます。クレープのようなドーサも人気です。

蒸しパン「イドリ」
蒸しパン「イドリ」
スパイシーな「サンバル」
スパイシーな「サンバル」
酸味のある「ラッサム」
酸味のある「ラッサム」
お好み焼きのようなウッターパム
お好み焼きのようなウッターパム
南インドの定食「バナナ・リーフのミールス」
南インドの定食「バナナ・リーフのミールス」

そのほか、世界遺産の遺跡群が残るマハーバリプラムやコロニアルな雰囲気の港町コーチン、マハラジャの壮大な宮殿の残るマイソールなど、まだまだご紹介したい場所がたくさんある南インド。一度の旅でこれだけ多様な楽しみが見つけつけられることが、南インドの魅力です。

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チャド エネディ山地の旅

  • チャド

2012.08.01 update

右:軒下でおしゃべりをしながら刺繍をする少女たち。母から娘へとその技術が伝えられていきます。 左:精緻なミラー刺繍が特徴のムトワ刺繍。この地方の棘のある植物を表現したバワリヤ刺繍やチェーンステッチなどで隙間がびっしりと埋められています。
写真:アルシェイのゲルタ

首都ンジャメナから北へ

チャド湖にそそぐシャーリ川とロゴネ川の合流地点に位置するのが首都ンジャメナ。川の対岸にカメルーンのクッセリを望む、まさにチャドの中心に位置する町です。チャド北部を構成するエネディ山地、ティベスティ山地付近ははBET(Borkou-Ennedi-Tibesti)と呼ばれ、堆積岩、火山岩による岩山砂漠地帯と砂丘の交じる大地にナツメヤシ茂る小さな村が点在しています。首都ンジャメナを出発して3日走ってようやくたどり着くことができる、「サハラ最深部」ともいえる地域です。

ゲラ山地の市場の様子
ゲラ山地の市場の様子
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民
アカシア・セイヤルの林の中を移動するアラブ遊牧民

チャド北部のタッシリ、エネディ山地

「タッシリ」とは風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことをさすアラビア語です。サハラ砂漠にある大きなタッシリにはタッシリ・ナジェール(アルジェリア)、アカクス(アルジェリア)、アルホッガー(アルジェリア)がありますが、このエネディ山地も巨大な「タッシリ」。ちょうどサハラ砂漠の中央に位置する堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されエネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを造り出しています。その砂岩の壁には岩絵が描かれ、浸食によって造り出されたゲルタには、ナイル・クロコダイルの生き残り「デザート・クロコダイル」と呼ばれるワニが生息しています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民
エネディ山地に暮らすトゥブ遊牧民

アルシェイのゲルタ

「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見られるとは限りません。すべては「運」。

 

「サハラ最後のワニ」 
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしているといいます。1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったワニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。 限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。 トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

デザート・クロコダイル
デザート・クロコダイル

エネディ山地の岩絵

一般にサハラの壁画は古いものほど美しく、時代が新しいものは稚拙なものが多いように言われますが、チャドにおいては新しい時代のもの、馬の時代、ラクダの時代の壁画が美しく生き生きと表現されています。色素の材料はオークル(黄土)、岩石、卵、乳を使い、それをアカシアの樹液を用いて保護しています。 芸術性の高い、チャドの岩絵の一部をご紹介します。

テルケイの大きな牛の洞窟
テルケイの大きな牛の洞窟
牛のお腹の白い部分は「乳」を表しています。 家畜、そしてその家畜からとれる「乳」に対する信仰があったことが想像されます。(牛の時代)
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
テルケイ 抽象化された馬に乗った兵士
戦いと思われるシーンを描いた壁画もたくさんあります。 両足を開いた独特の表現がとられています。
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
マンダゲリの牛の岩絵(細部)
テルケイと同様に乳が白く描かれ子牛とペアで描かれているものが多くあります。周囲には家畜小屋の囲い、倉庫を思わせる建物や人々の暮らしが描かれています。
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
マンダゲリの「ラクダの時代」の岩絵(細部)
白く表されたラクダに現在のボロロ族の髪型を想像させる人々が乗った岩絵です。歩くラクダの様子が特徴的です。

そして、一番見事なのが、高さ6mにあるマンダゲリの砂岩のキャンパス。一面に当時の暮らしの様子が描かれています。

風と水で浸食されたエネディ山地の岩山
マンダゲリの砂岩のキャンパス

エネディの風景

四方を砂に囲まれたエネディ山地はこの厳しいサハラの自然環境の中で動植物に、そして遊牧民・家畜たちの「シェルター」的な役割をなしてきました。砂岩の浸食が生み出した景色とそこにいきる人々の姿はまさに「手つかずのサハラ」。豊かな自然と伝統が残されています。

アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜
アルシェイのゲルタへ向かう遊牧民と家畜

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