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スリランカ5つの世界遺産と高原列車で行く中央高地<前編>

  • スリランカ

2020.06.25 update

「光り輝く島」という意味を持つスリランカ。インド洋に浮かぶ自然豊かな島国です。国土は北海道の約8割程度と小さな国ではありますが、熱帯雨林から乾燥した平原地帯、セイロン紅茶で名高い広大な茶畑が広がる高地、砂浜のビーチに至るまで多種多様な自然と、8つの世界遺産を有する“光り輝く島”として多くの観光客を魅了しています。2009年に26年に亘った内戦が終結、その後経済が急成長し、観光のニーズが増えているスリランカ。世界的に有名なガイドブック「ロンリープラネット」が選ぶ「2019年行くべき国」の第1位にも輝いた世界も注目する観光国です。
スリランカは、二つのモンスーン(季節風)の影響によりエリアによって雨季の時期は異なりますが、年間を通して低地は暑く、高地は涼しく比較的どの時期でも旅行がしやすい国と言えます。今回は、西遊旅行が年間通して設定している「スリランカ5つの世界遺産と高原列車で行く中央高地」のコースの見どころをお届けします。

 

まずはツアーのタイトルにも入っている人気の高原列車からご紹介します。

 

■「紅茶列車」に乗って緑あふれるスリランカの中央高原を走る

スリランカの鉄道は、イギリス人により植民地時代の1858年に導入されました。セイロン紅茶の栽培を始めた際に、その集荷用に路線を引いたのがはじまりです。当時は紅茶・農産物を輸送するためにレールが敷かれましたが、現在では人々の移動手段として利用されています。

 

キャンディ近くのランブッカナ(Rambukkana)駅からヌワラエリヤのナヌオヤ(Nanu Oya)駅の区間は茶畑の中を進み、車では味わうことのできないスリランカ独特の茶畑の風景を満喫できる人気の路線です。この路線は、近年「紅茶列車」とも呼ばれ、スリランカの人々からも人気です。右に左に揺られながら高原を駆け上がっていく列車では、アジア随一とも言われる絶景を楽しむことができます。ランブッカナ駅からヌワラエリヤのナヌオヤ駅までは約4時間の列車旅です。


 
ランブッカナ駅から乗車。列車は定刻通りに到着しました。いざ、出発です!

 

スタート地点のランブッカナらナヌオヤまでは標高差があるため、列車はゆっくり進みます。出発して1時間程は田舎町の景色が中心です。列車内はエアコンはありませんが、窓から入ってくる風が心地よく、むしろ開放的です。特急列車ではないため、途中いくつもの駅で停まります。停車駅では売り子のおじさんたちがドリンクや軽食を販売。標高が少しずつあがり、いよいよ紅茶畑が見えてきました。

高原列車の車窓に広がる美しい茶畑

 

紅茶畑の中を列車が走る風景はとてもフォトジェニックでぜひ一度体感していただきたいです。

 

■スリランカの動植物、世界自然遺産も満喫

ツアーでは遺跡を訪問するだけでなく、スリランカが誇る自然も体感していただきます。ヌワラエリアでは世界自然遺産「ホートンプレインズ国立公園」、ピンナウェラでは「像の孤児園」を訪問します。

 

ホートンプレインズ国立公園

2010年に世界遺産に登録されたスリランカ中央高地の一部をなす国立公園です。3,159ヘクタールの敷地を有し、1969年に自然保護区に指定され、1988年には固有種や自然の美しさを保持する目的のため、動植物保護法のもと国立公園に指定されました。標高2,000ⅿの草地が広がる高原地帯で、手つかずの大自然が残されています。公園の西側の丘にはスリランカ最大の雲霧林が広がります。

公園入口に現れたサンバー

固有種ススイロヒタキ

公園内のルート。整備されており難しいハイキングではありません。

高さ約1,000ⅿの絶壁「ワールズエンド」からの眺め

標高差約150ⅿ、片道4㎞、約3時間のハイキングとなりました。

 

ピンナウェラ像の孤児園

ピンナウェラ象の孤児園は、もとは母親とはぐれたり死別した子ゾウを保護する目的でスリランカ政府によって1975年に設立された施設です。現在は約100キロ平方メートルの敷地内に80頭前後の象が暮らしています。親象とはぐれてしまった子ども象や、怪我をしてしまった象が保護されています。孤児園でのイベントは2つ。9:15からのミルクやりと、10:00からの水浴びです。ミルクやりを見学した後は、水浴び場へ向かう象さんを待ち伏せします。園内で飼われている象のほとんどがこの時間に大移動します。その光景は圧巻でした。また、嬉しそうに川で水浴びをする象さんはとても可愛かったです。

像のミルクやり、一瞬で乳ビンを飲み干します

水浴び場へ向かうため、道路を横断する像

園近くのマハオヤ川で水浴びする象さん。1日2回(10:00 と14:00)水浴びをします。

この孤児園の運営にはとてもお金がかかるので、私たちが見学することで少しでも象さんのためになっていたらと思いました。
 

スリランカゾウ

植民地支配が始まる前には4万頭以上の野生のゾウが生息していました。植民地下で激減し1970 年当時には2,000 頭にまで減ってしまいました。特にイギリス時代のハンティングはひどいもので、あるイギリス人将校は一人で1500 頭のゾウを撃ったことで知られています。記録によると1829年から1855 年のわずか26 年の間に6000 頭のゾウが射殺されました。1986 年、スリランカゾウは絶滅危惧種に指定され保護されるようになりました。人とゾウとの住み分けのために電子柵が設けられたり、孤児を救い自然に戻す試みも行なわれています。現在では6,000 頭ほどにまで回復しましたが、いまだに密猟などにより年間100 頭が犠牲になっているといわれています。

 

 

後編では、ツアーで訪れる4つの世界文化遺産をご紹介します。

 

 

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文明の十字路 ウズベキスタン

  • ウズベキスタン

2020.06.18 update

シルクロードの面影が残り、美しいイスラム建築の建造物が魅力的な中央アジアのウズベキスタン。今回はウズベキスタンの代表的な3都市(サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)をご紹介いたします。

 

サマルカンド – 青の都

中央アジアで最も古くから繁栄した都市で、「青の都」とも呼ばれています。かつて13世紀にはチンギス・ハン率いるモンゴル軍により徹底的に破壊されましたが、その後14~15世紀ティムール朝の首都となった際に、多くの青い建造物が建てられました。ティムールやその孫・ウルグベクの人物像や、彼らの建てたブルーの建造物が織り成す世界に魅了されながら、文化・文明・歴史の交差路であったことを肌で実感できる町です。

英雄ティムールとその息子たちが眠る「グル・エミル廟」

 

ティムールが愛妃のために建造した「ビビ・ハニムモスク」

 

かつてサマルカンドの都が築かれ、その後モンゴル軍に破壊された「アフラシアブの丘」

 

何本ものシルクロードが交わり、様々な文明の交差路となっていたサマルカンド。その中心地となっていたレギスタン広場には3つのメドレッセ(神学校)が配置されています。

3つの神学校があるレギスタン広場

 

メドレッセの1つ「シェルドル・メドレッセ」の入り口に動物と人間が描かれた面白い絵柄があります。これは偶像崇拝が禁止されているイスラム教で、建築家が自分の権力を誇示しようとしたためだといわれています。しかし信者たちから強い批判があり、建築家は責任をとって自殺したという伝説が残されています。

200スム札にも描かれているシェルドル・メドレッセ入口アーチの絵

 

ツアーでは、ティムールの孫で天文学者であるウルグベクが建造した「ウルグベク天文台」にも訪れます。ウルグベクは聡明な学者肌の人物で、詩や音楽の鑑賞も好んだといわれています。

ウルグベク天文台

 

ウルグベクは恒星時1年間を365日6時間10分8秒と計算しましたが、これは現在の精密機器で計算した時間とわずか1分の誤差で、当時の技術でどう割り出したのか詳細には判明していません。

ウルグベク像

 

 

ブハラ – 中世隊商都市

紀元前5世紀には都市が造られたとされるブハラは、9世紀のサマン朝の時代に黄金期を迎え手工業、商業が盛んになり、交易の十字路となりました。サマルカンドの全盛期以前に賑わっていた町で、中世隊商都市の趣きを感じることができます。サマン朝最後の王がイスマイル・サマニが父親のために建てた、中央アジア最古のイスラム建築「イスマイル・サマニ廟」は、レンガだけで様々な組み方がされ、陰影があるため日差しの強弱などで凹凸の見え方が変わるといわれています。

イスマイル・サマニ廟

 

大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール「タキ」は、かつて専門店的要素が強く何でも見つけることができるといわれ、多くの民族が集まりました。丸屋根は高く大きく、外の光が入りやすいようたくさんの窓があります。現在のタキはスパイス、スザニ(布製品)、その他お土産物などの多くの店があります。

丸屋根市場「タキ」の外観

 

「タキ」の内部

 

スパイス屋

 

ブハラは13世紀にはモンゴル軍に破壊されましたが、16世紀、ウズべク人のシャイバニ朝時代に再びよみがえり、多くのモスク、メドレセが建築され宗教的に充実した都市となりました。

ブハラ・ハンの居城「アルク城」

 

ブハラ・ハン専用のモスク「ボロハウズ・モスク」

 

ツアーでは、民族舞踊のディナーショーにもご案内いたします。

民族舞踊ディナーショーの様子

 

 

ヒヴァ – 城壁の町

砂漠気候で年間300日は快晴であるヒヴァは、二重の城壁に囲まれており、内城のイチャン・カラは450メートル×600メートルの小さな城壁内全体が1990年に世界文化遺産に登録されています。17世紀、ヒヴァ・ハン国の首都となり、政治・経済・宗教の中心としてモスクやミナレット、メドレセが続々と建設されました。サマルカンドやブハラと比較すると小規模ではありますが、こじんまりとした良さがあり歩いていて非常に落ち着く街並みとなっています。西門を抜けるとまず目に飛び込んでくるカリタ・ミナルは高さは26m、直径は14.2mの巨大なミナレットで、1852年に建設が着工されました。その後ムハンマド・アミン・ハンがペルシャとの戦いで死亡したため工事は中断され、未完のまま残っています。

未完の塔カリタ・ミナル

 

ジュマ・モスクは213本の木の柱が建てられた多柱式建築で、中央アジアで最も古いモスクといわれています。

ジュマ・モスク内部

 

ヒヴァで一番高く新しいイスラム・ホジャ・ミナレットは1910年に建てられました。118段の階段があり、ご希望の方はフリータイムに登って頂くことができます。階段はとても急で、翌日筋肉痛になるほどですが、頂上からの景色は格別です。

イスラム・ホジャ・ミナレット外観

 

イスラム・ホジャ・ミナレット頂上からイチャン・カラを一望

 

 

今回はウズベキスタンの代表的な3都市をご紹介いたしました。ツアーでは各都市に2連泊し、じっくりと魅力をお楽しみいただけます。皆さんも、ブルーの建造物が織り成す世界に足を踏み入れ、文明交差路の歴史を感じてみませんか。

 

 

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アドベンチャートレック in ヨルダン <後編 ワディ・ムジブでのキャニオニング>

  • ヨルダン

2020.06.11 update

 

後編では、死海に注ぎ込む渓谷、「ワディ・ムジブ」でのキャニオニングをご紹介します。

 

前編でのヨルダン最高峰「ウンム・アーダミ山」でのトレッキングを終えたあとは、ヨルダンの代表とも言えるペトラに2泊して丸一日ペトラ遺跡観光を楽しみ、その後、ヨルダンの西側、イスラエルとパレスチナ自治区との国境にもなっている死海沿岸まで移動してきました。死海は実際は海ではなく湖ですが、注ぎ込む河川の水量よりも湖水の蒸発量の方が多いために水位が下がり続け、湖岸の標高は地球上の陸地最低点である、海面下430mとなっています。水分だけが蒸発していくので塩分濃度が海水の10倍と非常に高くなっており、湖水が重いため、入浴すると通常経験できないような浮遊体験を楽しめる場所として人気で、湖岸にはリゾートホテルが立ち並んでいます。このツアーでもそういったホテルに連泊し、そこを拠点としてワディ・ムジブまで足を伸ばします。

モーベンピック リゾート & スパ デッド シー

 

ワディ・ムジブは、死海に流れ込む川です。ヨルダン・イスラエル両国の国境となる死海周辺は、キリスト教とユダヤ教の正典である旧約聖書の中の多くの話が舞台とする地ですが、このワディ・ムジブも旧約聖書に登場する「アルノンの奔流の谷」として比定されていて、紀元前、この周辺の民族の境界となっていました。歴史的に知られている川なのですが、それだけでなく、この渓谷の周辺はヨルダンに7つある自然保護区の一つとして指定されており、アイベックスをはじめとする野生動物の宝庫として知られています。「ワディ」とは本来アラビア語で「涸れ川」、雨季の一時的な豪雨の時のみに水が流れる川のことを指しますが、このワディ・ムジブは一年を通して水が流れていることもあり、豊かな生態系が築かれています。

ラッシュガードやウォーターシューズなどキャニオニングの服装をしてバスでホテルを出発。帰りの着替えやタオルも持っていきます。キャニオニングの出発点となる、ワディ・ムジブが死海に流れ込む河口にあるビジターセンターに到着し、キャニオニングの説明を受け、ここからガイドさんに付いてきてもらいます。ライフベストを装着して出発です。

ビジターセンター

 

まずはビジターセンターからはしごを下って川に着地。そこから上流へ向かってざぶざぶと歩いていきました。ただの川ではなく長年侵食された渓谷のため、両側は数十メートルはあろうかという高くそびえ立つ砂岩の崖。標高の低い死海周辺は気温も高く、夏は日中35度を超えることが多いため、川の水温もちょうどよく気持ち良いです。

河口付近は流れは穏やかです

 

歩き始めてから少し経つと、白波が立つような急流、足のつかない深い場所などがあり、これほどカラカラに乾いた夏のヨルダンのどこから来たのかと思わせるほど豊かな水量でした。そういった場所にはロープが張られており、ロープに掴まりながら泳いで難なくクリアしていきました。

 

水の中を歩いていくだけでなく、岩を這いつくばるような所も多くて変化に富んでいます。滝になっている箇所の横の岩をよじ登っていったりしますが、なかなかアドベンチャーです。そういったところではガイドさんが手を貸して助けてくれました。流れが急な場所はロープでガードされて立入禁止となっており、そういったところは避けながら安全に進んでいきます。

 

出発から一時間半弱で、大滝に到着し、ここが折り返し地点になります。滝の裏側に回ることもでき、水をたっぷりと浴びて気持ちよかったです。

ゴールの大滝

どのようにしてこうなったのでしょうか…

 

ここから、同じルートを河口まで戻っていきます。ルートは同じですが、また違った楽しみ方ができます。今度は、往路滝のようになっていた行きの難所を、ウォータースライダーのようにして滑りながら下れる場所などもありました。河口付近は流れも緩やかになっているので、仰向けになるとぷかぷか浮きながら流れに身を任せて進んでいくことができます。出発から3時間でビジターセンターに戻ってきました。楽しい時間はあっという間に終わってしまい、あともう1往復したいと思わせるキャニオニングでした。

 

 

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アドベンチャートレック in ヨルダン <前編 ヨルダン最高峰ウンム・アーダミ山登頂>

  • ヨルダン

2020.06.04 update

 

古くより文明の栄えた中東に位置するヨルダン。周辺の国々と同様、紀元前に遡る時代から国々が興亡を繰り広げた地域で、社会情勢が比較的安定していることもあって、ペトラやジェラシュといった見ごたえのある遺跡が人気となっています。
遺跡だけではない自然の魅力もヨルダンにはあり、地球の陸地上で最低所であり塩分濃度が海水の約10倍である死海や、南部の砂漠を訪れるのも、ヨルダンツアーでは定番です。が、そんな定番を取り入れつつ、さらに1歩踏み込んだヨルダンを体験できる「アドベンチャートレック in ヨルダン 」のツアーを、今回は前後2回に渡ってご紹介したいと思います。

 

前編でご紹介するのは、ヨルダンの最高峰「ウンム・アーダミ山」のトレッキングです。
ウンム・アーダミ山はヨルダンの最南端、隣国サウジアラビアとの国境のすぐ手前に位置しています。ヨルダンの玄関口、首都のアンマンの国際空港に降り立ってから、一路南へ。古くからメソポタミアとエジプトを結んできた「王の道」と呼ばれる交易路をなぞるハイウェイを南下していきます。南部は年間降水量が100mm以下となる砂漠気候で、道沿いにも乾いた大地が広がってきました。空港を出発して5時間半ほどで、ウンム・アーダミ山のある砂漠地帯、ワディラムに到着。1日目は砂漠キャンプに宿泊です。キャンプと言ってもテントではなく、ベドウィン風のロッジが並んでいる砂漠のリゾート。

ハサン・ザワイデ・キャンプ

 

ヨルダンの民族はほぼアラブ人ですが、ベドゥインは砂漠で遊牧生活を営むアラブ人の一派です (現在のヨルダンでは純粋な遊牧生活を送っている人は非常に少ないです)。キャンプでの夕食は、ベドゥイン料理のザルブが出て来ました。チキン、ラム、野菜を地中で蒸し焼きにする料理です。地中から取り出すところを見ることが出来ました。それらを、ご飯の上に豪勢に盛り付けてくれました。

ザルブ

 

早朝、キャンプを出発。四輪駆動車に分乗して、ウンム・アーダミ山の麓へ向かいました。車内ではなくトラックの荷台のような四輪駆動車の後方部に乗り込みます。

 

このワディラムの砂漠には、砂岩でできた無数の赤茶色の岩山が点在しており、ここも舞台にしている映画『アラビアのロレンス』の世界。100年前の第一次世界大戦時、オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援したイギリスの軍人、ロレンスが活躍した場所になります。柔らかい砂岩のため、風化によりチョコレートが溶けたような岩肌をした山々や、ぽっかりと穴が空いている崖などもあり、飽きない景色が続いていきます。朝の砂漠の気持ち良い空気に当たりながら、アドベンチャーなドライブとなりました。

 

 

キャンプを出発してから2時間ちょっとでアーダミ山の麓に到着しました。眼前にそびえるのがウンム・アーダミ山です。登山口の標高は1427m。ここから、1854mの山頂まで、標高差約450mを登って行きます。

登山口より

 

登山口付近の大きな岩が転がる箇所を抜けたあと、まずは、崖のようにそびえる岩場に向かっていきました。岩場に対して左右にジグザグになりながら登りますが、それでも傾斜はきつく、ストックはしまい手をついてよじ登るようにして上っていきます。この最初の30分間の一番急なところを終えると、平らな箇所に出ました。緩やかに傾斜のついた広場のような景色になり、そのまま正面に向けて進んでいくと、コルとなっている場所まで出ます。

岩場を抜けたあと、崖に取り付きます

正面のコルへ

 

そこからは、登山口から見て尾根の裏側の岩場を進みます。傾斜はまたきつくなってきました。石がごろごろとしており、滑りやすいので、気をつけて登って行きました。奥まで進むと、頂上に続く尾根に出ます。振り返ると遥か下の登山口にとまっている四輪駆動車が見えました。ここまで来ればあと一息。目の前の頂上を目指して、大岩を縫うように歩を進めます。あと15分ほどです。

尾根の裏側

あと一息!

 

ヨルダン最高地点となる頂上に到着しました。頂上は岩がごろごろとしており、ヨルダン国旗が立てられていました。 黒・白・緑・赤の、周辺国家でも見られる汎アラブ色を採用しています。赤は、ヨルダンの王家であるハシェミット家も表しています。登山開始から2時間、汗をかいて登ってきた後の360度の絶景は最高でした。1854mとはいえ最高峰。周りの山々を下に見下ろす素晴らしい景色が広がっていました。

頂上からの360度の眺め

ヨルダン国旗

 
南を向けばサウジアラビアがすぐそこに見えます。頂上の南約2.5kmに直線の国境が走っているので、目と鼻の先です。サウジアラビア側の建造物も望めます。

サウジアラビア側

 

急な傾斜と滑りやすい地面に気をつけながら下っていきます。登って降りて約4時間の気持ち良いトレッキングでした。

 

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崑崙山脈6,000m峰 玉珠峰登頂

  • 中国

2020.06.01 update

世界最高所を走る鉄道として知られる中国の世界遺産「青蔵鉄道」。車窓からは壮大な風景が広がり、2006年の開通以来多くの観光客を楽しませてきました。
この列車から眺める車窓の風景に「玉珠峰」という万年雪をかぶる美しい名峰(6,178m)があります。

 

玉珠峰は、中国から中央アジアまで東西3,000kmにもおよぶ崑崙山脈に属しており、現地にはその見事な山容を讃えるように、山名そのままの駅が存在します(残念ながら降車はできません)。

 

そのように一般には“眺めて”楽しむ山ですが、やはり見事な山ほど登りたくなるのが山人というもの。今回は5名のお客様をお連れして無事に全員登頂してまいりました。

中国に入国すると、登山の拠点となるゴルムド(標高2,800m)の町へ向かいます。ゴルムドの意味は、モンゴル語で“河川の集まる土地”。チベット高原のツァイダム盆地中南部に位置しています。

 

玉珠峰はこの町の南南西にあり、B.C.は玉珠峰の南麓に設けられています。町からB.C.までは車で直接行くことができ、距離は約200kmです。半日の移動で到着できるので、万が一登山中にトラブルが生じても迅速に町へ戻ることが可能です。しかし、B.C.は5,050mの標高があり、町からの標高差は約2,200mにもなるため、いきなり向かえば高い確率で高山病にかかることが予想されます。そのため、事前に付近の標高の高い場所に訪れる順応日を設けてから望みます。

 

※今回は、始めにチベット自治区のラサ(3,600m)と付近の約4,700m地点に訪れてから、鉄道を使ってゴルムドまでやってきました。

 

■玉珠峰登山 1日目

崑崙峠を過ぎ、東に向かってオフロードを小一時間進むとB.C.に到着します。玉珠峰が目の前に聳え立ち、目標はわかりやすく、皆さん心が引き締まります。

バスの車窓より、B.C.直前にて

登山ガイド達と合流して挨拶を交わしたら、この日は周辺を散策して順応に努めます。

キッチンテントとダイニングテント

テントは全てスタッフが事前に設営します。B.C.では2人で1張。マットレスの厚さは充分です。

丘の上からB.C.を見下ろす

 

■玉珠峰 登山2日目

こちらの登山協会の方針では、基本的に朝食は9時から摂ります。日の出は7時前頃。

明るくなってから朝食までに時間が空きます。他の山の感覚だと7時には朝食を食べて、9時頃からは行動を始めたいところですが、何しろB.C.は標高が5,050mと高く寒い環境なので、日が中天に差し掛かるタイミングで本格的な行動を始めることになるのです。なお、日の入りは20時30分を過ぎた頃なので行動を急ぐ必要もありません。

 

待機時間は長く感じるかもしれませんが、この時間を高所順応として寛いだり散歩をする時間にあてれば有意義です。

B.C.周辺に咲くアズマギク等の高山植物

サウスレア(トウヒレンの仲間)の一種

 

運よくチベットギツネに遭遇しました。この一匹だけ時々見かけるとのこと。

本日は高所順応を意識しつつ、アイゼン歩行、ユマールの実践等、雪上での動き方のチェックをしました。午前中は装備の確認。午後から実践練習の流れです。下界でいくら問題なく使えても、ここの環境で思うように身体を動かせないといけません。

西南氷河末端にて、アイゼン歩行とユマール動作の確認をします。

■玉珠峰登山 3日目

さて、次の日はC1(5,600m)へ向かいます。

氷河が溶けて流れる小川を何度か越えると尾根に取り付き、じわじわと尾根の付け根に向かって高度を上げていきます。

ここから尾根に取り付きます。

標高5,450mくらい。B.C.からここまでのルートが見える。

C1まであと少し。

C1(5,600m)に到着。頂上にはすぐ行けそうに見えますがそう甘くはありません。この時点では風は弱かったのですが、だんだんと強風に変化しました。

C1では3人1張。狭さはあるかもしれないが、テント内が暖かくなります。 ここでは-20度にもなりえるので保温が重要です。

 

■玉珠峰登山 4日目

さて、いよいよ登頂日。夜はあまりの強風の音に何度か目が覚めましたが概ね眠ることができました。皆様も同じような感覚だったり、寝たような寝ていないようなといった感想でした。しかし、おかげさまで頭痛・吐き気等の重い症状はありません。

 

オートミール等の簡単な朝食を食べて、風がある程度おさまるまで待機します。いよいよ良いタイミングが来たらゆっくりと、しかし素早くアイゼンを装着して出発します。

 

暗闇の中ヘッドライトで足下を照らしながら一歩ずつ進み、時々深呼吸する時間を取って息を整えつつ再び足を繰り出します。傾斜はだんだんと高くなっていきますが、順調に進んでいます。例え一歩が小さくなったとしても、このまま歩を進められる限り問題ありません。(ただし中国の安全規制は厳しく、1時間遅れてしまうようなスピードになってしまうと途中で下山を命じられる可能性が高いです。)

そして、斜度が約40度といわれる5,900m地点では設置ロープにユマールを通して登ります。ロープが想定より柔らかかった為に扱いづらい面がありました。しかし安全の為、踏ん張って対応しました。

そして・・・眼前に壁のように伸びていた急斜面を登りきると頂上です!途中体調不良になった方もいらっしゃいましたが、全員崑崙山脈6,000mの頂に立つことができました!頂上は想像していたより平べったい空間があり、やや奥にタルチョが掲げられているポイントがありました。

振り返れば、白銀の足下以外は延々と荒野が広がっており、日本はもちろん、ヒマラヤでも見ないような光景がありました!

その後慎重に下山します。C1で一旦服装調整をして休んだ後、B.C.まで来た道を戻りました。

 

下山後、登山協会の方やポーター達スタッフの出迎えを受けて喜びを分かち合いました。

 

たった今登ってきたばかりの頂を見上げながら飲むコーヒーは格別の味でした。

 

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