カシミール・マーコール(トゥーシ・シャシャ保護区)

Markhorは日本語でマーコールと発音する、ウシ科ヤギ属の動物でヤギ科で最も体が大きいヤギの仲間。

このマーコールのオスは、動物ファン、いえ「角もの(Horned Animal)ファン」にはたまらない、「角のある動物の王様」「野生ヤギの王様」なのです。

インド西部、中央アジアに生息していますがコア・ゾーンはパキスタンの山岳地帯。一時は密猟などで生息数が減りましたが、2020年現在、コントロールされたトロフィー・ハンティングだけが認められ違法な狩猟が取り締まられた結果、生息数は大きく回復にあるようです。

 

訪れたのはトゥーシ・シャシャ保護区(Tooshi-Shasha Conservancy )。川の対岸にマーコールを見るチャンスがある場所です。

1979年、1,045ヘクタールから始まったトゥーシ保護区は1998年に20,000ヘクタールに拡張され、周囲の7つ村の共同体管理の保護区となりました。狩猟が禁止されている国立公園と違い、管理下の狩猟が認められている保護区です。

狩猟のため野生動物が人をおそれるのが普通のパキスタン。それでもこのトゥーシ・シャシャ保護区では近くで観察することができした。

 

マーコールのオスです。この付近でみられるマーコールは「カシミール・マーコール」と呼ばれる亜種。パキスタンの北部ではギルギット周辺に生息する「アストール・マーコール」とこの「カシミール・マーコール」の2種が見られます。

立派な角のオスです。この季節、雌を求めて標高の低い地域へやってきます。

 

カシミール・マーコールのグループ。普段、雌と若いオスが一緒に群れでいますが、この季節はオスが合流します。

 

オスが降りてきました。

 

近いです。雄の角は最大で160センチ(63インチ)にもなるそうです。ちなみに雌の角は25センチ(10インチ)で小さく、角だけでなく、体の大きさも全然違います。

 

さて、もっと近づいてきたオス。表情が何やら・・・怪しい。

 

口をむいたり、舌を出したり・・・フレーメン反応でしょうか、発情周期にある雌に反応しているようです。

 

繁殖の季節=マーコールの恋の季節は、悲しいことに人間による「ハンティング・シーズン」。大きな角を狙ったハンターが「許可証」をオークションで獲得してやってきます。

 

2020年はコロナのことがあり、オークションで「許可証」は売れたけどハンターが本当に来るかどうかはわからない、と聞いていましたが、私たちが訪れた翌日に外国からハンターが到着しました。20,000ヘクタールのトゥーシ・シャシャ保護区に生息するとされる1,400頭ほど(2015年の調査による)のマーコールのうち、毎年2頭が「トロフィー・ハンティング」として献上されます。

カシミール・マーコールのオークションはUS$9000~10,000からスタートし、一番高値を付けた人が落札します。この収益の8割がコミュニティに還元され、学校・医療などのために使われています。

 

2頭のトロフィー・ハンティングが地元の収益となり、種の保護につながっている・・・これが、現在のパキスタンの「野生」と「人々の暮らし」の共存のひとつの形のようです。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Observation : Dec 2020,  Tooshi-Shasha Conservancy, Chitral, Khyber Paktunkhwa

Special Thanks : KPK Wildlife Department, WWF Pakistan, TOMO Akiyama

カテゴリ:■カイバル・パクトゥンクワ州 > マーコール > チトラル > ◇ パキスタンの野生動物
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カイバル峠 The Khyber Pass 2019

入域許可証の取得が難しい場所の一つが、カイバル峠 Khyber Pass。アフガニスタンの国境トルハム Torkham へと続く道で、旧トライバルエリアに位置します。2018年にカイバル・パクトゥンクワ州へ編入されましたが、今も訪れることが難しい場所の一つです。

 

「カイバル峠」は古くから東西の文化圏を結ぶ交易路として重要な峠でした。国境の山々はスレイマン山脈と呼ばれ、アレキサンダー大王の軍隊、玄奘三蔵が越えた場所です。ムガール朝時代にインドからアフガニスタンのカブールへの幹線道路=グランド・トランク・ロードとして発達し、近代では第一次英ア戦争からパキスタンの独立まで戦場となった場所であり、 独立後はトライバル・エリア=部族地域となっていました。

 

旅人にとってはこの峠の歴史や「中央アジア世界」と「インド世界」を繫ぐ峠としてロマンいっぱいの場所です。

 

 

ペシャワールからカイバル峠へ向かう最初のモニュメントがこの、カイバルゲート Bab-e- Khyber。ペシャワールはただでさえも交通量が多い町でしたが、メインロードの真ん中にトラムができたたことでさらに道が狭くなり、渋滞が深刻な状態です。

 

巨大なシャーガイ・フォート Shagai Fort は 1920年にイギリス軍によって作られた要塞で、現在はパキスタン軍が使用しています。

 

途中、すれ違った学生さんたち。旧トライバルエリアで見る通学風景は新鮮です。

 

カイバル峠の道で両サイドを山に挟まれた一番狭い場所で、戦略上重要な位置となったため、戦争の際には激戦地となりました。アリー・マスジッド(モスク)があり、丘の上にはパキスタン軍の要塞、アリー・マスジッド・フォートAli Masjid Fortがあります。

 

今回一番ショックだったのが、これです。2~5世紀頃のものとされるクシャーナ朝時代のストゥーパのそばに要塞が建てられていました。

 

このストゥーパは ソファラ仏塔 Sphola Stupaと呼ばれるガンダーラの遺跡で、仏塔が3層の基壇の上に乗っていて20世紀初めの発掘では仏像も出土しています。

 

そうしてもうひとつのショックがこの「カイバル鉄道」の線路の無残な姿。国内ツーリズムのために蒸気機関車による「カイバル鉄道」が復活するのではないかと期待していただけに残念です。

 

この鉄道はイギリス統治下の1926年に軍事物資運搬の目的で開通されました。 ペシャワールからランディ・コタールまで34キロ、高低差600メートルの道のりを34のトンネルと92の鉄橋を渡っていくというもので、ここを走る蒸気機関車の旅は観光のハイライトのひとつでした。

 

この地を通過した様々な時代・様々な国の軍隊が、その記念として自分たちの紋章を岩肌に刻んだものだそうです。

 

そしてランディ・コタール Landi Kotal の市場を通過。ここはかつては密輸ビジネスで有名な場所でした。

 

アフガニスタンとの国境を望む峠に位置する、ミチニ・チェックポスト Michni Checkpost , “The Guadians of Khyber Pass”。アフガニスタンを望む展望台があります。

 

ミチニ・チェックポストから望むアフガニスタン国境の景色です。この峠を下ったところに両国のイミグレーション、税関があり、そこを通り抜けるとトルハムです。

 

カイバル峠の情報はこちら (2008年ごろの写真をもとに書いています。昔の写真と比較してみてください)

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : Nov 2019, Khyber Pass, Khyber Pakhtunkhwa

カテゴリ:ペシャワール / カイバル峠 > ■カイバル・パクトゥンクワ州
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ランディ・コタルの市場

ランディ・コタル Landi Kotal はペシャワールからアフガニスタン国境トルハムへ向かう途中にある小さな町。旧トライバル・エリア(連邦直轄部族地域、Federally Administered Tribal Areas / FATA )に位置し、かつては「密輸バザール」でその名を馳せました。アフガニスタンとパキスタンの間で行われる密輸品、電化製品・車の部品から武器、麻薬までそろう市場。初めて訪れた1992年ごろは普通にチョコ状のハシシが店頭にならんでいて驚いたものです。

今は「密輸バザール」のステイタスは消え、田舎のパシュトゥーンの部族が集まる普通の市場です。

 

「ハロー、ハロー」と声をかけてくれる八百屋さん。

 

外人が通るとものすごい注目です、昔のパキスタンを思い出します。

 

同行のパシュトゥーンの警官が、ランディ・コタルのドンバ羊を食べさせたい、と肉屋へ。お尻の大きなドンバ羊の油はこの地域の人々のご馳走です。

 

肉の部位を買って、炭火焼に。

 

ランディ・コタルのドンバ羊のランチ。この地域の緑茶カフア・ティー Kahwa Tea とともに!

 

それにしても女性には一人も出会いませんでした。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : Oct 2019, Landi Kotal, Khyber-Pakhtumkhwa

 

カテゴリ:ペシャワール / カイバル峠 > ■カイバル・パクトゥンクワ州
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(動画)スワート渓谷で出会った、気になるしっぽの羊たち

スワート渓谷で撮影した羊たちの動画です。

車で移動していたら次々と出会う、羊を連れて移動する人々。パキスタンの風物詩とも言える光景。

 

気になるしっぽの羊 Sheep in swat valley (Pakistan) | 西遊旅行

ヘンナで染められた尻尾はかなり気になります。

このエリアはパシュトゥーの人たちのエリア。彼ら独特のオシャレ表現です。

 

いろんなしっぽの羊

そしてこちらは尻尾の長い羊、短い羊などさまざま。

尻尾がなくお尻がハート形に膨らんでるのがドゥンバ羊です。お尻に脂肪がたまるタイプの羊で、パキスタン人のご馳走羊。ペシャワールのナマック・マンディという肉専門食堂街はドゥンバ料理で有名です。

 

そしてついでに毛をかられた羊・・・
毛が無いと、悲しい感じになります。

 

気になる羊のお尻ついでにこちらも。これはパキスタンから北に国境を越え、中国のカシュガルの家畜市でとったドゥンバ羊です。ウィグルの人たちもドゥンバ羊が好きなようです。

 

 

スワート渓谷もずいぶん変わりました。2019年秋には立派な道も延長されました。車道で出会った羊たち行進する風景が続いていますように。

 

Video/photo  & Text : Mariko SAWADA

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ガンダーラに見る東西文明の融合(ペシャワール博物館)

ギリシャ、西アジア、ペルシャ(イラン)、インドなど様々な文明・美術の影響を受け、それを取り入れたガンダーラ美術。ガンダーラ地方に最初にギリシャ文明をもたらしたのは紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東方遠征で、ここにギリシャ文明とオリエント文明が融合した「ヘレニズム文明」が生まれます。

 

ガンダーラ美術が最盛期を迎えるのはそのもっと後の時代、紀元後1~5世紀のクシャン朝の時代です。西洋からの文明とインドで生まれた仏教が出会い、仏像が生まれ、その中で西洋の神々や意匠がガンダーラ仏教美術の中に取り込まれました。

 

この片岩の彫像は、ガンダーラ美術に現れたギリシャの神アトラスです。

 

アトラス神はギリシャ神話で世界の西のはてで天空を支える神です。ガンダーラにおいてはストゥーパや仏像の台座を支えています。ギリシャの神が仏教の世界観を支えている・・・なんともロマンチックな話です。

 

こちらはケンタウロス、ギリシャ神話に現れる半人半馬の怪獣です。上半身は人間、下半身は馬の前足、後ろはトリトン(ポセイドンの子で半人半魚の神)のように魚の尾びれが渦巻き状に表されています。

ケンタウロスやトリトンのモティーフは建物の角を飾ったと思われる直角三角形のパネルによく表れます。

 

こちらは手に金剛杵(ヴァジュラ)を握る執金剛(ヴァジュラ・パーニ)。その起源はギリシャ神話の英雄ヘラクレス。困っている王たちをその怪力で助けたヘラクレスは、ガンダーラ世界では常に釈迦の脇にいる守護神として描かれてます。

ガンダーラのヘラクレスが金剛杵(ヴァジュラ)を持っているの対し、ギリシャのヘラクレスは棍棒を持っているものが多く見られます。

 

これは花綱模様。波状に展開する花綱を若い青年がかかえているモティーフで、ギリシャ・ローマを起源としますがガンダーラでも大いに流行りました。

花綱の上がったところをキューピッドが背負い、下がった所には葡萄の房やリボンが装飾されています。

 

ハーリーティーとパーンチカです。ハーリーティーとは鬼子母神のこと。

人の子をさらう人食い鬼だったハーリーティー。釈迦により子供を奪われて苦しむ親の気持ちを知り、我が子も他人の子も愛すようになり「子供の守護神」となりました。また、ハーリーティーは500人とも1,000人とも言う多産だったため「安産の守護神」ともされ、「多産」のシンボルでもある柘榴(ざくろ)の花を髪につけています。

このハーリーティー、ギリシャの女神のようですよね、ギリシャの運命の女神テュケーです。

 

ガンダーラに現れる柱のスタイルは、アカンサスの葉の柱頭をしたギリシャのコリント様式のものが一般的です。が、この写真のものはガンダーラで見られる別のスタイルのもの。

 

2頭のこぶ牛を背中合せに配置し、その真ん中に獅子(と思われる)の頭があるデザインです。これは古代ペルシャ(イラン)の柱頭のスタイルでペルセポリスの遺跡などで見ることができるスタイルです。

 

そしてこの動物は獅子、ライオンです。ライオンというとアフリカの動物と思われるかもしれませんが、当時のパキスタンには「アジアライオン」が生息していました。

 

メソポタミアの遺跡に描かれた「ライオン狩り」のレリーフ、イランのペルセポリスの遺跡に描かれたライオンが有名ですが、これはガンダーラ美術で表現されたライオン。

 

このアジアライオン、イラク、イラン、パキスタンでは絶滅してしまいましたが今もインドのグジャラート州、ササンギルの森に暮らしています。その数、500頭!

 

Photo & text : Mariko SAWADA

(Photos are from a trip in Feb 2020)

Location :  Peshawar Museum, Peshawar, Khyber Pakhtunkhwa

参考図書:パキスタンのガンダーラ遺跡と博物館を訪問する方にお勧めの一冊!「ガンダーラ美術の見方」監修:奈良康明監修、著:山田樹人著、写真:高倉一太(里文出版)、「ガンダーラの美神と仏たち、その源流と本質」著:樋口隆康(NHKブックス)

アジアライオン(インドライオン)に関する記事はこちら

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ペシャワール博物館 Peshawar Museum

ガンダーラに関する収蔵品では断トツのペシャワール博物館。展示品のほとんどがガンダーラ美術に関するもので仏伝図のパネルや装飾の数々を見ていると時間がたりなくなる博物館です。

 

他の博物館と同じく、イギリス領インド帝国時代にさかのぼる博物館で1907年にヴィクトリア女王を記念する「ヴィクトリアホール」として建てられました。

 

ペシャワール博物館のメインホールです。このメインホールと入り口から入って左側のギャラリーにガンダーラの作品が展示されています。

 

スワートを中心とする遺跡から出土した、僧院やストゥーパの基壇や壁を飾ったであろう彫刻を施した片岩のパネルが展示されています。仏陀の前世の物語(ジャータカ物語)と仏陀の一生です。あまりにもたくさんの展示があり、同じシーンでも作風が異なるのでぜひ、博物館でゆっくりご覧になってください。

 

「誕生」のパネルです。中心にいるのがマーヤー夫人で右手を挙げて木につかまり、その右わき腹から太子が上半身を出しています。インドラ神がそれを受け止め、その後ろでブラフマン神が祝福しています。

 

「仏陀の一生」のパネルは白い象が夢に現れる托胎霊夢から始まり、出家、苦行、降魔成道、梵天勧請、初転法輪、舎衛城の奇跡、入滅、そして火葬と八舎利分配まで続きます。

 

仏陀の前世の物語(ジャータカ物語)の中でもガンダーラで大変人気があったのが燃燈仏授記(ディーパンカラ本生)です。

 

”燃燈仏が町にやってくると聞いた敬虔な青年メーガ(前世の釈尊)は、敬意を表そうとして散華(花をまき散らして仏に供養すること)のために花を買おうとしますが、国王が花を買い占めていたので買うことができません。そこに通りかかった乙女から蓮華の花を5本買いました。燃燈仏が現れたのでメーガは花を投げかけたところ、その花は地上に落ちず、仏の頭の上にとまりました。その奇跡に打たれたメーガはぬかるみで仏の御足が汚れないように自分の長い髪を投げ出します。燃燈仏はメーガを祝福し「お前は未来に悟りを開いて仏陀になるであろう」と予言しました。”

 

パネル下左寄りに髪の毛を投げ出す青年、メーガの姿があります。

 

そしてこの博物館の重要な展示物のひとつが「仏陀苦行像、断食する仏陀像」です。ラホールのものに比べると失われた部分が多いのですが、浮き上がる血管や助骨は大変リアリスティックです。

 

太子樹下観耕像(初めての瞑想)。

 

太子が木の下で畑仕事を見ていると、鍬で掘り返した土から虫がでてきて、それを小鳥が食べて、その鳥を大きな鷲が食べてしまいます。命のはかなさを感じ、後に出家・成道に至るきっかけとなった出来事です。

台座には春初めての観耕式の図が彫刻されています。見えにくいですが台座の右側には2頭立てで畑を耕す牛が描かれています。

 

そしてペシャワール博物館と言えば、シャージ・キ・デリー出土のカニシカ王の舎利容器。

 

クシャン朝時代のガンダーラの冬の都はプルシャプラ、現在のペシャワールです。ここで唯一発見された遺跡がシャージ・キ・デリーで、カニシカ大塔として知られています。この遺跡から舎利容器が見つかり、カロシュティ文字で「カニシカ王の元年にカニシカ寺に奉献された」と記されており、伝説のストゥーパが実在したことを裏付ける発見となった舎利容器です。

 

で、これはホンモノか?ネット情報に載っている写真とはかけ離れるものなので、レプリカですね。

 

ペシャワール博物館は2階建てです。2階はカイバル・パクトゥンクワ州 Khyber Pakhtunkhwa の民族の展示です。特にカラーシャ族の木像ガンダウ(死んだ男性の記憶、どんな貢献、功績があったかを偲ぶために作られる像)は立派なものはカラーシャの谷でも見られなくなっていますので貴重な収蔵品です。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

(Photos are from a trip in Feb2020)

Location : Peshawar Museum, Peshawar, Khyber Pakhtunkhwa

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タフティバーイ – ガンダーラ仏教寺院

ガンダーラの遺跡にはタキシラのシルカップのような都市遺跡と人里離れた山中にある仏教寺院があります。その仏教寺院の代表的なものがタフティバーイ Takht-i-Bahi。日本語の読み方がいろいろあり、タフテ・バヒーだったり、タフティ・バイだったりします。ペシャワールから北西に80キロ、マルダーンの町から15キロのところにあるガンダーラの山岳仏教寺院で、早くから調査され保存状態の良い遺跡です。

 

紀元後1~7世紀に栄えた仏教寺院遺跡で、ガンダーラ美術はクシャーナ朝で最盛期を迎えます。この時代の(冬の)都はプルシャプラ、現在のペシャワールでした。

 

タフティバーイの仏教遺跡は平地から150mほど登った山の上に築かれました。入口からよく整備された階段を上っていくと遺跡の入り口、奉献塔区の入口へと到着します。

 

入口の遺跡の壁の写真です。上部は修復していないガンダーラ時代の壁、白いラインから下は修復されたもので、『A.S.I 1946』と刻まれています。A.S.I.とはインド考古調査局 (Archaeological Survey of India)のことで、時代はインドとパキスタンが分離独立する前の1946年、イギリス領インド帝国時代に考古学チームによって発掘と修復が行われました。

 

タフティバーイの遺跡は主塔院区(メインストゥーパ)、奉献塔群区、僧院区、瞑想室、その他の建物からなるガンダーラ仏教寺院の構成をよく残しています。

 

歩いてきて最初に到着するのがこの奉献塔群区。南の主塔院区と北の僧院区の間にある一画で35基の奉献ストゥーパが並んでいました。今は基壇部のみが残されています。基壇部にはギリシャ風の柱が装飾されています。

 

奉献塔群区

35基の奉献ストゥーパのうち2基が円形基壇で残りは方形基壇です。

 

僧院区です。中庭を囲んで15の小房があり、各房にはランプを置いた壁龕があり、一部は2階建てだったことがわかります。中庭の端には台所跡もあります。

 

主塔院区(メインストゥーパ)です。階段を上ったら広場がありそこにメインストゥーパの6.2m平方の方形基壇があります。このストゥーパの3面も祠堂が並び、龕室にはストゥッコの彫像が置かれていました。

 

主塔院区への階段の近くの祠堂。3面に壁龕が施されています。ストゥッコ(化粧漆喰)の彫像で覆われていたのでしょう。

 

瞑想室と考えられる地下室。小房は真っ暗ですが、明るい広場へもつながっています。

 

そしてここは、管理人さんの部屋。奉献塔区の一部を保存もしながら生活をしていました。

 

管理人さんの暮らす奉献塔区の基壇部。ストゥッコのアカンサスの葉の柱頭。ところどころ彩色が残っていました。

 

さらに山を登るとタフティバイの遺跡とその下に町を見下ろす展望台へ出ます。周りにはまだたくさんの建築物の跡が見られ、タフティバーイが巨大な仏教寺院であったことが想像されます。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Location : Takht-i-Bhai, Mardan, Khyber-Pakhtunkhwa

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(お客様から届いたvlog) Safe? Discovering the heart of Pakistan!

今年の2月パキスタンを訪問したスイス&メキシコ人カップルのルーカスとパトリシア。グランドトランクロードに沿って旅したラホールからペシャワール、そしてイギリス領インド帝国時代に作られた鉄道の旅を紹介。スペイン語ナレーション・英語字幕ですが、ツーリストから見たパキスタンの旅、ご覧ください。

 

Safe? Discovering the heart of Pakistan!

 

ペシャワールからインダス河畔の町ローリまでの車窓風景、駅の様子は貴重な情報です。
ムガール時代、イギリス領インド帝国時代、そして現代までの「パキスタンの歴史とホスピタリティー」にふれるVlogです。

 

Text : Mariko SAWADA

Special Thanks to SUMMERMATTER DIAZ ENRIQUETA PATRICIA.
Please visit her web site : https://elpadiro.ch/

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”王の道” グランド・トランク・ロードの果て

首都イスラマバードからペシャワールへ向かうとき、「モーターウェイにする?GTロードにする?」と聞かれます。この“GTロード、グランド・トランク・ロード Grand Trunk Road”こそ、古のムガール帝国時代の大幹線、「王の道」。もちろん、いまや近代的な普通のアスファルト道ですが、実に深い歴史を持つ道です。

そもそも「王の道」=グランド・トランク・ロードは16世紀、一時的にムガル帝国に取って代わったアフガン系王朝のシェール・シャーが道を整備して作り始めた壮大な一大ネットワーク。スール朝の短い治世にはアグラから彼の出身地と言われるビハール(インド)までの道をまず完成させ、やがて東は現バングラデッシュに位置するソナルガオン、西はパキスタンのムルタンまで整備されました。その後、再びムガル帝国に引き継がれ、ムガール帝国全土、東は現バングラデッシュのチッタゴンの港から西はカイバル峠を越えてアフガニスタンのカブールまで拡張され広大な帝国を発展させました。
この「王の道」は英領インドの時代に再び整備されます。カルカッタからイギリスが三回の侵略占領で植民地化できなかったアフガニスタンの手前、ペシャワールまでの区間を含む、カルカッタ~ペシャワールの区間です。この時に“Grand Trunk Road グランド・トランク・ロード”と名づけられ、整備されていきました。

現在も“グランド・トランク・ロード”として栄えた時代の名残が各地に残されています。

 

ムガル帝国時代の石畳

イスラマバード郊外に残るムガル帝国時代の“王の道”の石畳。現代のGTロードの脇に保存されています。石畳にはここを行きかった馬車の車輪で磨り減った跡も。

 

ラホール城(世界遺産)

ムガル帝国の古都、ラホール。ムガル帝国時代にもともとあった城の上に多くの建物が建築されました。メインゲートとなるAlamgiri Gateの夜の写真です。シャー・ジャハーンの時代に作られた豪華絢爛なシャーシ・マハル<鏡の間>は当時のムガル帝国の繁栄が偲ばれます。

 

ロータス・フォート(世界遺産)

シェール・シャーが“王の道”上に作った砦。シェール・シャーにとってはペシャワール~ラホールへ至る道を守る重要な要塞でした。

 

キャラバンサライ

ペシャワールのオールド・バザールの中には隊商が行きかった時代のキャラバンサライが残されています。かつてこの道を多くの商人が行き来し、広大なムガル帝国、その後の植民地時代を支えました。ペシャワールは中央アジア・インドからの商品にあふれ栄えていたことでしょう。

 

カイバルゲート

ペシャワールからカイバル峠に向かう途中にあるゲートであり記念碑です。道路脇にはジャムルードフォートという砦があり、もともとあった古い要塞の上に1823年に侵攻してきたシク教徒によって建てられた城です。中央アジアと南アジアを分けるカイバル峠の手前で、さまざまの民族の攻防の歴史を見てきた場所です。そしてカイバル峠を越えると、トルハムの国境がありアフガニスタンへと「グランド・トランク・ロード」は続きます。

 

バーブルの墓

ムガル帝国の第一皇帝はバーブル。中央アジア出身で、カブールに最初の拠点を置き、ここからパンジャーブ平野へ、そしてインドを征服し1526年、アグラでムガル帝国初代皇帝に即位しました。そのわずか4年後、バーブルはアグラで亡くなっています。彼は愛したカブールの地に墓標を持つことを願い、その後の戦乱で遅れたものの、家族によってカブールに墓が作られました。(写真はバーブル庭園修復中の時のもので、今はムガル帝国当時の墓を再現した美しいものになっています)

 

アフガンの戦後、訪れたバーブルの墓は荒れ果ててまさにムガル帝国の戦乱の歴史を思い起こさせる状態でした。アガハーン財団のプロジェクトにより“バーブル庭園”の中に美しく再建され、“王の道”の始まりであり、“グランド・トランク・ロード”の終着の地であった町、カブールを見守っています。

 

冬のカブール、バーブル帝の墓のあるバーブル庭園より

 

Photo & text : Mariko SAWADA

※カブールとカイバルゲートの写真は2006年の撮影であり現状が異なっていることがあります。その他の写真は2018年~2020年のものです。

※この記事は2011年6月にupしたブログ「サラームパキスタン」を加筆・訂正したものです。

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秋のカラーシャの谷

数年ぶりにカラーシャ族の暮らす谷、ボンボレット村を訪問しました。10月の半ばは色づく木々、トウモロコシの収穫の光景、大変美しい季節です。

 

2019年10月16日にRoyal Couple、英国のウィリアム王子夫妻がカラーシャの谷を訪問し伝統舞踊を楽しむ姿がニュースやSNSに流れ、一般のパキスタン人の会話に「ロイヤルカップル」「カラーシャ」という言葉が溢れました。

 

カラーシャ族について カラーシャ族の宗教について

 

幹線道路から橋を渡り、アユンの村へ。昔と変わりません。細い路地、昔ながらのパキスタンの村の景色を残すアユンの村を通過します。そして、ボンボレット村とランブール村の分岐点へ。

 

ボンボレット村への未舗装の道も昔と変わりません。相変わらず2台の小型の車がすれ違える場所も限られた道です。

 

ボンボレット村に入ってくと、その変化にちょっと驚きました。カラーシャ族の民族衣装を着た女性たちと同じくらいの数のシャルワールカミースを着た女性たち。そして、ゲストハウスの数の多さ。伝統的な建物はどこにいったの?

パキスタン国内観光客の増加に伴い宿泊施設が不足し、この数年でゲストハウスが突然増えました。経営者の多くは谷の外部の人だといいます。建築スタイルがカラーシャの谷の雰囲気に合うようなゲストハウスだったらいいのに、と思いました。

 

トウモロコシ畑の間の道を歩き知人の家を訪ねました。カラーシャ族の子供たち。

 

カラーシャ族の女子の制服姿です。以前に比べ、スカーフをまとう女の子が増えていました。

 

一歩メインロードから入ると、カラーシャ族の美しい姿と出会うことができました。

 

トウモロコシ畑で収穫する両親のまわりで遊ぶ子供たち。

 

変化は誰にも止めることはできませんが、この美しい光景が、ずっと続くことを願います。

 

カラーシャの谷からの帰り、アユンの村を見渡す場所から望むティリチミール Tirich Mir。ヒンドゥークシュ最高峰ティリチミール 7,708m が夕日を浴びていました。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

Visit : Oct 2019, Bomboret Village, Kalash Valley, Khyber Pakhtunkhwa

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