タルパンのアルターロック<祭壇の岩>、インダス河畔の岩刻画

タルパンのアルターロック(Alter Rock)「祭壇の岩」はインダス川北岸の砂地にあります。仏教モチーフより動物を中心としたモチーフが描かれた岩です。この古代シルクロードの魅力に満ちた岩刻画をご紹介します。

古来より多くの旅人が行き来したタルパン。最初にこの場所を選び彫刻をしたのは遊牧民でした。アルターロックの正面の岩面はさまざまな動物、屠殺シーンが描かれ、まさに「祭壇」として使われていたのかもしれません。

 

アルターロック、全景

このアルターロック(Alter Rock)の岩の岩刻画の中でも際立つのが、この「生贄を持つ戦士」の絵。生贄なのか狩猟した動物(多くの資料にはヤギとなっていますが動物好きの私にはアイベックスに見えます)を屠るシーンのようですが、大きなナイフを持つ中央アジア風の人物の姿が大変特徴的です。
この男性の服装は当時の騎馬遊牧民の衣装だと考えられ、紀元前3世紀から紀元後3世紀までイラン高原で栄えた王朝、パルティア(Parthian)の人物ではないかとされています。

パルティアは現在のトルクメニスタンで発祥し、イラン高原を中心に紀元前3世紀から広く西アジアを支配し、その治世末期の紀元20年頃分派し、ゴンドファルネス王によってインド・パルティア王国が建てられました。タキシラも一時都としたインド・パルティアはこのインダス河一帯でも活躍していたのでしょう。

この動物を生贄(または屠る)岩刻画のモチーフは殺生を禁ずる仏教の影響より、中央アジア民族の影響が強かったことが伺えます。

 

前足を45度にまげた、デザイン化された馬(また一角獣)の図です。
このポーズは”Knielauf”と呼ばれる表現で古代ギリシャで飛翔を描く際に見られた表現で、アケメネス朝ペルシャの芸術でも見られます。この馬はたてがみと尾が結ばれまるで弓のように見えます。

 

デザイン化したアイベックスでしょうか。目が円い、ことなるスタイルのイラン的な表現です。

 

角をデザイン化したシカのような生き物と、それを追う2つの尾を持つ生き物の図です。パキスタンで野生動物の観察をしている私には、崖にいるアイベックスを襲うユキヒョウに見えます。面白いのは崖のように見えるギザギザの線の先にヘビの頭があることです。
「これは前にはヘビがいて、後ろにはユキヒョウがいて、さらに狩人と猟犬がいて、行き場を失って困っているアイベックスの図です」と教えてくれた人がいました。
このような波状のようなデザインは南シベリアのアルタイ地方の芸術によく見られる特徴だそうです。

このアルターロックにおいて、イラン的な要素の岩刻画が見られることは、すでにアケメネス朝時代にガンダーラ、タキシラがサトラップであったことから驚くことはありませんが、世界でも有数の山脈地帯を越えた北にある南シベリアのアルタイ地方とこのインダス河畔地域に交流があったことは驚かされます。

 

光背持つ大きな仏陀座像と同じく光背を持つ4つの小さな仏陀座像の図です。どの仏陀像も定印 を結び、その衣装は両肩を隠し、衣紋が平行に優雅に描かれています。このような衣紋はインドでAD320~550年に栄えたグプタ朝で見られるデザインに似ています。同じ岩にアイベックスと思われる生き物が描かれていますが、その動きと方向から先にこのアイベックスが描かれ、その上に仏陀像が描かれたと考えられます。

このアルターロック岩刻画の製作年代ですが、仏教モチーフ以外のものは紀元前1千年期半ばごろのものと推測されています。

 

アルターロックの西側のパネルも岩刻画で覆われてます。

 

インダス河畔の岩刻画の中でもマスターピースとも言えるアルターロック。
繰り返し言い続けていますが、これらの岩絵がダムにより永久に失われることが残念でありません。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

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捨身飼虎(しゃしんしこ)ジャータカ – チラスの岩刻画

インダス川にできる2つのダムのため、永久に失われることになる貴重なシルクロードの遺産、”インダス河畔の岩刻画”について記録しています。

 

「捨身飼虎(しゃしんしこ)」ジャータカをご存じでしょうか。日本では法隆寺所蔵の国宝「玉虫厨子(たまむしずし)」の側面に「捨身飼虎の物語」が描かれています。

チラスのインダス川沿いには、劣化はしているものの、その図を見ることができる岩刻画が残っています。

 

捨身飼虎(しゃしんしこ)ジャータカ Vyaghri-Jataka 

昔、インドに3人の兄弟王子を持つ王様がいました。ある日、王と3人の王子たちは竹林に遊びに行きました。そこで7匹の子虎を連れた母虎と出会いました。親子共々飢えてやせ衰え、餓死寸前でした。3人の王子は深く憐みの心を抱きましたが、二人の王子は「救うことはできない」とその場を立ち去りました。3番目の王子は、「菩薩は慈悲の心でわが身を捧げ、他人を救う。私はこの身を捧げ飢えている虎の親子の命を救おう」と決心しました。王子はその身をゆだね、虎は王子を食べました。この虎の親子の命を救った王子こそが、お釈迦様の前世であった、という物語です。

 

捨身飼虎(しゃしんしこ)ジャータカや法隆寺の「玉虫厨子(たまむしずし)」については各お寺様のホームページなどで詳しく紹介されています。

 

かなり薄くなっていてわかりにくいのですが、下記がこの岩刻画のスケッチ。

 

The Indus – Cradle and Crossroads of Civilizations (Pakistan-German Archeological Research)より

図はこの岩刻画をスケッチしたものですが、横たわる王子と王子を食べようとしている虎のトラの親子、その様子を岩の陰から見ている父王と二人の兄弟王子を現しています。

 

この図のそばに書かれているブラフミー文字の解読により、この図が捨身飼虎(しゃしんしこ)Vyaghri-Jatakaであることも証明されているそうです。

 

「捨身飼虎(しゃしんしこ)」ジャータカの描かれている岩の全面です。中心に大きなストゥーパが描かれています。方形基壇の上に半球状の伏鉢、仏舎利を収めた容器、傘蓋、旗などガンダーラ様式の特徴が伺えます。上部インダス川では5世紀ごろが仏教の最盛期だったと考えられます。

 

残念ながらこの、尊い岩刻画もダムの完成によって失われます。残念、という言葉で片づけられるものではありません。この岩刻画の破壊は1960年代のカラコルムハイウェイの建設から始まり、道の拡張工事の度に破壊されてきました。さらには、一時期仏教のモティーフを好まない人々により上にペンキや石灰が塗られて失われたものもあります。

 

カラコルムハイウェイ沿いのペンキを塗られた岩刻画。中央の「アイベックスを追うユキヒョウ」の図は2020年12月に洗い落としたものです。

 

今回もかぎられた時間の中で塗られた岩刻画を洗う作業をしました。

 

これが現在の岩刻画の状況。右から文殊菩薩、宝冠仏陀とその右横に香炉かランプを持つ信者、ストゥーパが描かれています。三つ葉形のアーチが仏陀の全身を囲んでおり、カシミール様式で描かれています。

 

下記の写真はペンキが塗られる前の図です。

 

The Indus – Cradle and Crossroads of Civilizations (Pakistan-German Archeological Research)より

このパネルのペンキの洗い落とし作業を続けていきます。

この素晴らしい仏教徒の遺産を、ダムに水没する前にぜひ見に来てください。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Site : Chilas, Gilgit-Baltitstan

※記事について:古い書籍をもとに記事を書いています。別の見解や説明も存在するかと思います。勉強したいので是非お知らせくださるとうれしいです。Reference:”Human records on Karakorum Highway” “The Indus, cradle and crossroads of Civilization”

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シャティアールの岩刻画  失われるインダス河畔の岩刻画・シルクロードの遺産

インダス川にできる2つのダムのため、永久に失われることになる貴重なシルクロードの遺産、”インダス河畔の岩刻画”について記録しています。

 

圧巻のストゥーパ描写とインスクリプション、”シャティアールの岩刻画”

 

カラコルムハイウェイから少しそれてインダス川へ下った斜面にあるシャティアールの岩刻画群。インダス川の南岸に位置し、東のダレル谷と西のタンギール谷の間にある、当時の旅人、交易キャラバン、巡礼者にとってとても重要であったことがわかります。仏教以前と考えられる岩刻画から、ガンダーラ全盛期のもの、ポスト・ガンダーラ期と考えられるものまでその図象は多岐にわたります。

まず、一番有名な岩刻画です。これは一般の観光客の方でもバスから降りてみて「あ、すごい」と思っていただける岩刻画です。

 

大きな岩の中心には、ベルをたくさんつけた繊細な描写がなされた大きなストゥーパ、左には「シビ王ジャータカ」を描いた図、右には奉献ストゥーパが描かれています。岩の左側には、このストゥーパの建立者の名前がカロシュティー文字で刻まれ5世紀ごろのものであることがわかっています。ストゥーパと奉献ストゥーパの間にはブラフミー文字とソグド文字で人物の名前が刻まれています。

 

メインストゥーパの三段の階段の両側には中央アジア風の衣装を着た信者が描かれています。この階段は4つの「階段のモチーフ」で飾られた台座へと続きます。2本の柱が梁をささえ、ドーム状のストゥーパが載っています。ベルは梁、ストゥーパ、龕にもつけられています。ストゥーパの上には傘蓋が載せられ、旗が両側にはためき、まるでアーチのように描写されています。ベルは傘蓋にもつけられ、この岩刻画を他のストゥーパとは違う、斬新なものにしています。

 

メインストゥーパの右側にある奉献ストゥーパは4段の階段が高い基壇へと続き、三角形のストゥーパ、その上に傘蓋、そして旗がうねってたなびいてる様が描かれています。メインストゥーパとは異なるスタイルのものです。

 

この左側の図は、「シビ王ジャータカ」が描かれています。

 

シビ王ジャータカについて

(ジャータカはお釈迦様が誕生される前のお話です)シビ王という心やさしい王がいました。シビ王のところに鷹に追われた鳩が飛んで来て、命ごいをしました。そこに鷹がやってきて、鷹は王様に「私は何日も食べておらず、鳩を食べないと死んでしまいます。あなたは鳩と私の命のどちらが大切だと思っているのか」と問いました。そこでシビ王は鷹の命も大切だと思い、自分の足の肉を鳩と同じ重さに切り取り天秤の上に置きました。しかし鳩の方が重かったので、再び肉を切り取って置きましたが釣り合いません。シビ王は深く考え、自分の体を天秤に乗せると釣り合ったのです。王様は鷹に「どうぞ私を食べて元気になって下さい」と言いました。シビ王は自らの命を鷹に与ることで鳩の命を救おうとしました。シビ王の心を知った鷹は帝釈天の姿で表れ、シビ王の行動を「あなたは将来仏陀になるでしょう」と敬いました。

※「シビ王ジャータカ」「シビ王と鷹と鳩」は様々なお寺さまのWEBサイトで詳しく紹介されています。ぜひ検索なさってください。

 

この岩刻画では、仏陀が洞窟の中に座し、「鳩」を手にしています。右に描かれている人物は天秤を持っています。この天秤にのっているものは鳩の命を救うために切り取られたシビ王の肉です。鳩を抱く仏陀の下には信者が両側に描かれています。

 

以上がメインストゥーパの説明ですが、シャティアールには他にも、特徴的で貴重な岩刻画がたくさん残されています。

 

ストゥーパの反対側の岩に描かれているもので、右側がヤントラ Yantra、左下がラビリンス Labyrinthとされている図象です。

これは ゾグド人のタムガです。タムガ Tamgaは、古代ユーラシア大陸の遊牧民やその影響を受けた文化圏で使用されていた紋章のようなものです。岩刻画では下記の写真のように現れます。

 

トール ( Thor ) の岩刻画にはサマルカンドの町のタムガが発見されてるそうです。

 

これはとても見えにくいのですが、中央に杯のようなものを持つ人物像がわかりますでしょうか?

祭壇の前で儀式をしているソグド人とされる岩刻画です。ソグド人なので拝火壇でしょうか。

 

 

最後に、この地を行き来した人々が描いた動物たちを紹介します。インダス川上流部やギルギット川、フンザ川流域の岩刻画はアイベックスが中心でユキヒョウやマーコールも見られますが、ここではフタコブラクダ、アジアゾウの姿が。シルクロードのキャラバンはとってもロマンですし、ゾウの描写はインドが近くなったことを感じさせます。初めてゾウを見た中央アジアの旅人はそれは驚いたことでしょう。

下記の図象以外もラクダやゾウに見える岩刻画が何点かありましたが、確実そうなものだけここにあげました。

 

フタコブラクダ の岩刻画  Petroglyph of Bactrian Camel
ガンと思われる鳥の岩刻画   Petroglyph of Goose
ゾウの岩刻画   Petroglyph of Asian Elephant
フタコブラクダ の岩刻画  Petroglyph of Bactrian Camel

何度行っても新しい発見があるシャティアールの岩刻画です。

 

ところで岩刻画のあるサイトから眺める村は、水没による補償金目当てで急ピッチで建てられた住居でいっぱいです。古の岩壁画のまわりの環境もずいぶん変わってしまいました。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

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インダス印章に描かれた生き物、モヘンジョダロ

インダス印章 、このデザインを好きな方はきいと多いことでしょう。私たちの会社Indus Caravan(西遊旅行パキスタン店)のロゴも、このインダス印象を参考にして作ったのです。

インダス印章は、インダス文明の時代に作られた印章で、正方形で凍石(ソープストーン、 Steatite)製のものが多く、片面2~5センチ、メインモチーフに一角獣や牛などの生き物とインダス文字が刻まれています。

 

代表的なモチーフはこのコブ牛。「インダス牛」とよく呼んでいますが、神々しく描かれています。

この印章を押した封泥の跡も見つかってることから、この用途は「はんこ」であったようです。メソポタミア、アラビア半島の遺跡から出土した印章からこのインダス印章のモチーフや文字が見つかりました。このことはインダス文明の都市とメソポタミア、湾岸の都市との間の交易を示し、考古学ファンのロマンをかきたてました。

さて、私は動物が大好きです。モヘンジョダロ博物館の展示品から見つけた「インダス印章に現れた生き物たち」を集めてみました。

 

実在しない生き物も描かれます。一角獣(ユニコーン)は人気のモチーフだったようです。一角獣の前にあるのは香炉でしょうか。

 

印章にはインダス文字が2~5個描かれることが多く、この文字は解読されていない謎の文字です。

 

これは一角獣、牛、ガゼルまたはアイベックスと思われる動物の頭を持つ生き物。ドキドキしますね!

 

この鎧に覆われた体、サイです。パキスタンには現在サイはいませんが(絶滅)、大昔は生息してたそうです。

インド亜大陸全体でもサイ(インドサイ Indian rhinoceros)が生息しているのはインド北東部のカジランガ国立公園とネパール・タライ平原のチトワン国立公園くらいです。隣国のブータン、バングラディシュからも絶滅してしまいました。

 

インドサイの印章。

 

ゾウの印象です。アジアゾウ Asian Elephant はパキスタンでは絶滅してしまいましたが、昔は西アジアまで分布していたそうです。

 

これは、きっとトラですね。ベンガルトラ Bengal Tiger は現在のパキスタンにはいませんが、かつてはインダス渓谷に沿って生息していたそうです。

 

これも、きっとトラですね。

 

印章以外に、土器に描かれてるアイベックスも見つけました。立派な角のシンドアイベックス思われます。

モヘンジョダロ博物館、このインダス印章のコーナーは本当に素敵です ♪

 

Photo & text : Mariko SAWADA

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モヘンジョダロ Mohenjodaro (2)

2022年の夏に起こった洪水被害の後のモヘンジョダロ遺跡。その最盛期は紀元前2500年~1800年の間で最大4万人の人が暮らしたと想像される都市遺跡ですが、何らかの理由で衰退しました。インダスの流れが変わった、異民族の侵入など、いろんな説がありますが、2022年の洪水でもこの都市は被害を受けました。

 

Photography by Yuka Fujimot, Oct 2022

洪水被害を受けた場所の復旧作業が行われていました。

 

修復用の煉瓦を運ぶロバ車。紀元前2000年前のインダス文明の都市では既に規格化された焼煉瓦が使用されていました。インダス文明の都市ではメソポタミア文明や黄河文明と比べて速い時代に焼き煉瓦が導入されていました。現在もモヘンジョダロ周辺の農村で焼き煉瓦を作っている作業を見かけます。インダス文明時代と同じ焼き煉瓦造りが続いています。

 

レンガで作られた分厚い壁の家屋と家屋の間の通り(DKエリア)。

 

市街地だったとされるDKエリアには「貴族の家」だったと想像される建物があります。この煙突のように見えるのは「井戸」で家の2階から水を汲むことができたと言います。

 

城塞区と呼ばれるSDエリアの下水システム。

 

この下水にはカバーもしてあったそうです。

 

モヘンジョダロを代表するSDエリアの光景です。「沐浴地」と考えらるプール、そこからの排水システム。都市遺跡の上にガンダーラ時代の仏塔が載っている、非常にゴージャスな、ロマンたっぷりの光景です。

 

この沐浴地のプールの壁を防水加工していたというビチューメン(歴青)。モヘンジョダロ博物館に展示されてます。

 

さて、最近のマイブームは夕陽のモヘンジョダロ。

 

夕陽の都市遺跡。今年は水害の影響で、遺跡の向こうに、水浸しの畑が光って見えました。

 

Photo & text : Mariko Sawada

Visit : Nov 2022, Mohenjodaro, Sindh

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インダス河沿いに残る失われゆく岩絵④ ゴナールファーム

インダス河畔に残る岩絵のご紹介の最後は、ゴナールファーム(GONAR FARM)です。チラスからカラコルムハイウェイを東に1時間程走り、車を降りてさらに30分程歩いて到着する村の外れに、岩絵が点在してます。まさに、知る人ぞ知る岩絵です。

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵① カラコルムハイウェイ沿い

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵② タルパン

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵③ シャティアール

 

岩だらけの道を歩いてゴナールファームへ

行きは軽い登りで、最後は村の畑の中も歩いていくと到着です。

 

巨大な仏陀の岩絵

村外れの開けた場所の大きな岩に、沢山の岩絵が残っていました。

 

仏塔の岩絵と背後の山々

後ろは峻険な山並みです。

 

遠くに見えるインダス河の支流と岩絵

この場所が不思議なのは、インダス河から少し離れた場所にあることです。かつて人々が渡河をしていたインダス河が流れを変えたのか、それとも元々河から離れた場所に人が集まった場所があったのか、想像を掻き立てながら岩絵を見て回ります。

 

保存状態がよい仏陀の姿

ゴナールファームの岩絵の特徴は、何と言ってもその保存状態の良さです。訪れる人が少ないためか、鮮明な岩絵ばかりでした。この仏陀も、微笑んでいるような表情、組んだ手、袈裟のひだが良く分かります。

 

鮮明に残る仏塔の岩絵

岩絵はほとんどが仏教に関する絵で、仏塔の絵も沢山残っています。

 

植物と手形

足元の岩に描かれたこの仏塔も、踏みつける人が少ないため鮮明な状態で残っています。

仏教以外の絵もいくつか残っており、これは植物と手形の絵です。

 

足元の岩に描かれた仏塔

今までご紹介してきた岩絵は、2027年までにダム建設によりダムの底に沈む運命にあります。いくつかの岩絵は政府によって移設、保存される予定ですが、5万点を越えるそのほとんどは水没してしまいます。シルクロードを行き交った人々の営みや思い、信仰も刻まれたこれらの岩絵が、消えゆく前に少しでも多くの人の目に焼き付いて残ることを、願ってやみません。

 

Photo & text : Koji YAMADA

Visit  : Nov 2021, Gonar Farm, Gilgit-Baltistan

 

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インダス河沿いに残る失われゆく岩絵③ シャティアール

今回の岩絵は、シャティアール(Shatial)の岩絵です。一般のフンザを訪れるツアーでも訪問する場所で、巨大な仏塔の岩絵があることから「仏教サイト」として知られるシャティアール。時間をかけてゆっくり見学したところ、仏塔以外にも様々な珍しい絵が描かれているのがわかりました。

最新の記事:シャティアールの岩刻画 失われるインダス河畔の岩刻画・シルクロードの遺産 をご覧ください(2023年6月UP)

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵① カラコルムハイウェイ沿い

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵② タルパン

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵④ ゴナールファーム

 

シャティアールの仏塔の岩絵

この場所もまた、古来からインダス川を渡るポイントだったため、仏教徒以外も、商人、巡礼者、旅人がここを通過し、色々なものを刻んでいきました。珍しい岩絵の数々をご紹介いたします。

 

右手を上げた人物

この右手を上げた人物は、一見すると怒って手を上げているように見えますが、顔の後ろに丸い光背が描かれていることから、仏陀なのかもしれません。

 

これは卍を表しています。法輪と共に仏教のシンボルです。

 

三又

これは三又です。武具として使われたのか、宗教的なシンボルなのか、農業用なのか想像を搔立てられますが、いずれにしても古来から使われていたものです。

 

刻まれた文字

絵だけではなく、様々な文字も刻まれています。カロシュティ文字、ソグド文字、アラム文字等が見つかっているとのことです。

何であるか判別できないものもありました。

 

謎の物体

これは爪のある三本の指のように見ますが、植物でしょうか。

 

ナーガもしくは拝火壇

これはナーガのように見えますが、炎が燃えている姿のようにも見えるので、拝火壇という説もあるそうです。

 

仮面を被った人

これは角が付いた丸い仮面を被った人です。スカートのような衣装も印象的でした。

動物も沢山描かれていました。

 

ラクダの顔

駱駝はやはり、シルクロードを行き来した旅人の重要な動物だったのでしょう。

 

インドの象も、ここまで来ていたんでしょうか。

 

 

小さな絵でしたが、レイヨウのような動物も描かれていました。シャティアールには、古来の人々が使ったもの、見たもの、そして信仰したもの、様々なものが岩絵に刻まれて残されていました。岩絵を見ているだけで、古き時代のシルクロードの喧噪に触れた気持ちになりました。

 

Photo & text : Koji YAMADA

Visit : Nov 2021, Shatial, Khyber Pakhtunkhwa

 

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インダス河沿いに残る、失われゆく岩絵② タルパン

今回のインダス河沿いの岩絵はタルパン (THARPAN)の岩絵です。チラスからカラコルムハイウェイを東に走り、橋を渡ってインダス河を渡りタルパンロードという道にそった場所が岩絵のある場所です。ここは川原の面積が大変広いので岩絵が広範囲に渡って残っており、点在する岩も巨大なため様々な岩絵が描かれています。

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵① カラコルムハイウェイ沿い

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵③ シャティアール

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵③ ゴナールファーム

仏塔が描かれた岩

 

推測ですが、ここは川原が広いので昔はインダス河の渡河ための人々の一大集結場で、様々な人々が沢山集まった場所だったと思われます。仏教徒が多かったため、仏教に関する岩絵が多いのですが、シャープな直線を用いた大きく立派な仏塔が多く残っています。

 

旗をなびかせたチベット様式の仏塔

 

仏陀は線のみで描かれたものが多く、繊細な装飾はあまり見られませんでした。

 

左手に数珠を持った仏陀像

仏教関係以外の岩絵も、目を見張るものばかりで大変興味深いものが残っていました。

 

天秤のようなものを持つ人物

これは、仏塔と一緒に天秤のようなものを持つ人物です。仏塔を建立した労働者なのでしょうか。

 

アイベックスと円

この絵は、アイベックスと太陽のような円が描かれています。考古学者のガイドさんの説明では、この円は狩猟に使う「わな」を描いたものとのこと。様々な民族の一大集結場だったためか、際立った様相の人物像も残っています。
下は、ペルシャ風の衣装を纏った人物です。

 

ペルシャ風の衣装を纏った人物

ペルシャ風で描かれた動物の岩絵も残っていました。

 

ペルシャ風の画風で描かれた動物

大きな円だけで描かれた目が、ペルセポリスのレリーフと共通します。

 

ペルセポリスのアパダナの獅子と雄牛のレリーフ

そしてタルパンで一番目を引いたのが、このパルティア人と思われる人物像でした。

 

パルティア人と思われる人物像

現在のトルクメニスタンで発祥し、紀元前3世紀から広く西アジアを支配したパルティアは、その治世末期の紀元20年頃分派し、ゴンドファルネス王によってインド・パルティア王国が建てられました。タキシラも一時都としたインド・パルティアはこのインダス河一帯でも活躍していたのです。下は、テヘラン考古博物館に収蔵されているパルティア人の像です。つばの付いたヘルメットのような物を被っている姿が岩絵と共通します。

 

テヘラン考古博物館のパルティア人の像

また、右手に獲物、左手に剣を持つ姿も、西アジアで古くから使われたデザインです。
この写真は、テヘラン考古博物館所蔵のアゼルバイジャン地方で出土した紀元前1000年期の銅皿です。中心に、両手に獲物を持った人物が配されています。また、大きな円形の回りを20の小さな円が取り巻く「連珠紋」のデザインの原型でもあります。

 

テヘラン考古博物館所蔵の銅皿

この写真も、テヘラン考古博物館に所蔵されている青銅器時代のジーロフト文化のソープストーン製の器です。両手に巨大なサソリを持っています。これらのデザインと、インダス河沿いの岩絵のデザインが共通していることにも、大変驚きました。

 

テヘラン考古博物館所蔵のジーロフトからの出土品

次の写真は、このパルティア人が描かれた岩を遠くから撮った写真です。

 

様々な絵が描かれた岩

写真中央下にパルティア人、その左にペルシャ風の動物が描かれていますが、パルティア人の右側の側面には仏陀と四人の従者が描かれています。

 

仏陀と四人の従者

インド・パルティアでは仏教も信奉されていたので、これらの岩絵が描かれた時代はほぼ同時期と思われます。ただ、同じ岩に色々な画風で民族や宗教、動物が描かれていることは、このタルパンが様々な人々の一大集結場であり、まさにシルクロードを体現する場所だったことを教えてくれました。この場所が、ダム湖の底に沈むと思うと、悲しまずにはいられません。

 

Photo & text : Koji YAMADA

Visit : Nov 2021, Tharpan, Gilgit-Baltistan

 

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インダス河沿いに残る、失われゆく岩絵① カラコルム・ハイウェイ沿い 

2021年11月に訪れたインダス河沿いに残る岩絵の数々を、数回に分けてご紹介します。

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵② タルパン

インダス河沿いに残る失われゆく岩絵③ シャティアール

インダス河沿いに残る、失われゆく岩絵④ ゴナールファーム

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パキスタン北部、シャティアールからフンザにかけてのインダス河畔には、5万点を越えると言われる岩絵が残っています。これらの岩絵が残る場所は、かつてのシルクロード上でインダス川を渡河した場所であり、インダス川の水位が下がるまで滞在する間に、各地からの巡礼者、商人、旅人が刻んだものです。その多くは仏教に関する岩絵が多いのですが、仏教がこの地を通過する以前から刻まれたアイベックスやユキヒョウなどの動物や民族などのモチーフの他、カローシュティー文字、ソグド文字、ブラーフミー文字などの言語が刻まれています。

 

インダス河に架かる橋

通常のフンザなどへ行く観光ツアーでは移動時間の制限もあり、カラコルムハイウェイ上でバスを停めてゆっくり岩絵を見学する時間が取れません。昨年11月に訪れた視察ツアーではチラスに連泊して岩絵をゆっくり見学する時間を取り調査。「普段通過していたカラコルムハイウェイ沿いに、こんなに沢山の岩絵があったのか」と驚かされました。写真はチラスから20分程カラコルムハイウェイを西に走ったフドル(HUDUR)にあったものです。

 

風になびくを巻いた仏塔の岩絵

フドル以外にも仏塔の岩絵は数多く見られ、クシャン朝時代の仏教最盛期に様々な地から多くの仏教徒がこの地を行き交ったことがわかります。

 

広げた両手に物を持つ人物

左手に武具、右手に獲物の動物を持った人物。人物を正面向きに描き、広げた両手に物をもつデザインは、古くから西アジアで使われていたデザインです。

フドルから10分程東に走ったギチ (GICHI)には、仏教徒が多く滞在したのか、仏塔の岩絵が多く残っていました。

 

ギチの仏塔①
ギチの仏塔②

ギチからさらに10分程東に走った所にあるのがオシバット (OSHIBAT)。バスを降りてすぐに絵が描かれた岩が沢山転がっていましたが、どれも興味深いものばかり。

 

右下にアイベックスが描かれた岩

右下に長い角を持ったアイベックスと、それを追いかけた狩人でしょうか左に躍動感のある人物が描かれています。

 

手形と足形が描かれた岩

インダス河の渡河を待つ長い間に描かれたただの落書きか、呪術的な意味があるか、定かではありません。

 

ギリシャ人と思われる人物が描かれた岩

何かの道具と思われるものと一緒に描かれたこの人物は、ギリシャ人風の髪型で、ギリシャ風の画法で描かれています。

 

ギリシャ人の顔と思われる岩絵

真横に向いた顔、大きく強調された目、なびく長髪は、下のアレキサンダー大王の姿と共通するものがあります。

 

アレキサンダー大王のモザイク

ブーケファラスに跨るアレキサンダー大王のモザイク(ソグド州立博物館 タジキスタン ホジャンド)。

最後の写真は、チラスで宿泊したシャングリラホテルからバスで5分のところにある岩絵で、フンザなどの一般観光ツアーでも時々見学する岩絵です。ゆっくり見学すると、かなり繊細に描かれた仏塔だったことがわかりました。

 

岩絵の上に描かれた仏塔
繊細な画法で描かれた仏陀と仏塔

これら全ての岩絵は、2027年までにダム建設によりダムの底に沈む運命にあります。いくつかの岩絵は移設、保存される予定ですが、5万点を越えるそのほとんどは水没してしまいます。失われゆく貴重な岩絵をご紹介していきたいと思います。

 

Photo & text : Koji YAMADA

Visit : Nov 2021, Chilas area, Gilgit-Baltistan

 

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カテゴリ:インダス河畔の岩刻画 > ■ギルギット・バルティスタン州 > カラコルム・ハイウェイ
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カタスラージ寺院 Katas Raj Temple、パキスタンのヒンドゥー寺院

パキスタン・イスラム共和国には意外とヒンドゥー教の巡礼地があります。以前にご紹介したバロチスタン州のナニ・マンディールチャンドラグプ泥火山もそうですが、1947年にインドとパキスタンが分離独立するまでは同じ国(イギリス領インド帝国)でパキスタンにも多くのヒンドゥー教徒が暮らしていました。

カタスラージ寺院はパンジャブ州のソルトレンジ(塩の山脈)のポトハル高原にある、ヒンドゥー寺院コンプレックスです。アムリトクンド Amrit Kundと呼ばれる聖なる池の周りにいくつかの寺院が建てられています。アムリトクンドの水は大変美しく、神話ではシヴァ伸が最初の妻サティが死んだ時に流した涙でできたとされています。

 

Baradari パビリオンから見たAmrit Kund

2005年、インドの副首相L.K.アドヴァニ氏が訪れ、その時のカタスラージ寺院の朽ち果てた姿を嘆いたと言います。それを受け、パキスタン政府は2006年から聖なる池の清掃や建物の修復が行いました。ところが2012年、せっかくきれいになった池の水位が下がってしまいました。近くにあるセメント会社の採掘が原因とわかり大きな裁判となりました。水位は少しは回復したものの、以前のようには戻っていません。

 

 

Amrit KundのそばにあるBaradari(パビリオン)の天井は修復が行われていました。植物模様が描かれていますが、この修復はとてもイスラム風ですね。

 

聖なる池のそばにはシヴァ神を祀るシヴァ寺院がありました。司祭は「コロナで巡礼者は減ったが、次のシヴァラトリ祭にはパキスタン国内の多くの巡礼者が来ることを期待している」と。

 

コンプレックスの1つ、ハヌマーン寺院の内部。一部、古い壁画が残っています。

 

インド神話 「ラーマーヤナ」の一場面と思われる壁画。猿の軍隊が描かれているようです。顔の部分が削られていました。

 

ハヌマーン寺院の内部壁画のガネーシャ。

 

修復されたラマチャンドラ寺院 Shree Rama Chandra Temple。ただし、内部は荒れたままでした。

 

ラマチャンドラ寺院 Shree Rama Chandra Templeの2階部分に残る壁画。とってもインド的な壁画です。

 

ヒンドゥー寺院コンプレックスにはハリ・シング Hari Singh のハヴェリ Haveli があります。ハリ・シングはジャンムー・カシミール藩王国の最後の君主で、1947年の10月26日、印パ分離独立の後にジャンムー・カシミールのインドへの帰属を決めた人です。支配層はヒンドゥー教徒、住民の大多数はイスラム教徒というジャンムー・カシミールにおいて、帰属を決めるのは大変難しい決断でしたが、パキスタン軍が侵攻してきたためインドへの帰属を決意しました。

建物は中庭があるシンプルなもので、修復作業が行われていました。

 

コンプレックスの丘の一番上にあるのがサトガラ寺院 Sat Ghara Temple。石造の重厚な建築物です。

 

サトガラ寺院から丘を下る途中にあるのが「仏塔」跡です。「そうなの?」と疑問に思ったのですが、イギリスの考古学者アレキサンダー・カニンガムによる調査が行われており、紀元前3世紀のアショカ王の時代の仏塔ではないかとのことでした。カタスラージのヒンドゥー寺院群はガンダーラ文化が衰退した後、7~10世紀にヒンドゥー文化が栄えた時代に建築されました。

寺院群は自分たちで散策することもできますが、入り口でガイドをお願いすると鍵で閉められている寺院の内部も見学することができます。ぜひガイドをつけて見学しましょう!

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : Jan 2022, Chakwal, Punjab

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