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天空からの招待状

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台湾

天空からの招待状

 

看見台湾

監督:チー・ポーリン
出演:西島秀俊(日本語版ナレーション)、ウー・ニエンジェン(オリジナルナレーション)
日本公開:2014年

2016.10.19

全編空撮!
上から台湾を見て、内から自分の心を探る

高い場所に来て街の景観を眺めるという経験は、海外だけではなく国内の旅行でもおそらく一度はどなたもされたことがあるかと思います。また、飛行機で窓側を必ずリクエストされる方は、空から景色を見ることの醍醐味を既にご存知でしょう。

街並みや自然をじっくりと眺める…その時に何を思うかは人それぞれですが、日常における些細な悩みや、何か案じていることがある時に心が晴れるような気持ちになったことがある方は多いのではないかと思います。

この映画を監督したチー・ポーリン監督は長年にわたり航空写真家として活躍してきて、誰よりも台湾の国土のことを知り、そして台湾を愛する人物です。初監督作品にもかかわらず約90分全編空撮という前代未聞の形で、台湾の国土から全世界に問題を投げかけるドキュメンタリーを撮ることに成功しました。

日本人にとって懐かしくなってしまうような田園風景、雄大な山(玉山・雪山の素晴らしい映像もたっぷりと含まれています)や海の景観、農作業から都会の人々の営みまで…3年かけて地道に撮影したという映像は数々の奇跡的な光景がおさめられています。一方、気候変動・エネルギー問題・ごみ問題・山地住宅開発などによる環境破壊など、目を背けたく成るような台湾社会の憂慮も、美しい光景を見つめてきた視線と同じままで見つめていきます。この映画に映し出される映像は、さながら神の視線を体現しているかのようです。

『天空からの招待状』は台湾では2013年の年間興行ランキング第3位になるなど大ヒットを記録しましたが、この作品の原題は『看見台湾』というタイトルです。言葉のリズムなど詩的な理由もあるということですが、ただ「見」るだけでなく、「看る」と「見る」という二つの言葉を重ねることで、鑑賞者の心の中をも映し出そうとしているようにも思えます。鳥になったような気分で台湾を眺めて、何が自分の心に思い浮かんでくるか楽しみにご覧ください。

 

台湾最高峰・玉山(3,952m)と
第二の高峰・雪山(3,886m)登頂

台湾五岳の最高峰・玉山と第二の高峰・雪山を登頂するよくばりコース。主峰を含む11連峰の見事な山容の玉山、対照的に、尾根上に広がる草原や森など変化に富んだルートを歩く雪山。どちらも台湾の山旅を十分に満喫できるトレッキングコースです。

彷徨える河

彷徨える河_表_チラシ©Ciudad Lunar Producciones

配給: トレノバ、ディレクターズ・ユニブ

コロンビア

彷徨える河

 

El abrazo de la serpiente

監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイブート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレスほか
日本公開:2016年

2016.10.5

「コロンビア人も知らないコロンビア」で 交錯する2人の来訪者の記憶

舞台は20世紀初頭コロンビア・アマゾン川流域。ドイツの探検家・テオの病気を治すために、先住民・カラマカテの案内でヤクルナという聖なる植物を探し求める旅が始まります。

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数十年後、テオの著作をもとにヤクルナを求めて同じ地に訪れたアメリカの植物学者・エヴァンが年老いたカラマカテと出会います。カラマカテは昔の記憶を失いかけていましたが、エヴァンの旅に同行することで少しずつ過去の出来事を思い出していきます…

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植民地としてのコロンビアの歴史もストーリーに大きく関わっていますが、物語の源泉をじっと見つめると、「記憶」あるいは「知識」というテーマが潜んでいることがわかってきます。老年になり記憶を失ったカラマカテは、自身のことを「チュジャチャキ 」と呼びます。おそらく先住民の言葉かと思われますが、写真に映った人物のことを指したり、字幕では「無の存在」と訳されています。そして、シーロ・ゲーラ監督は、会話の中で巧みにカラマカテと欧米人の時間軸の違いを描き出していきます。

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カラマカテは侵略者によって村を滅ぼされた中で唯一の生き残った男で、記憶をバトンタッチする相手がいません。この映画の原題は「大蛇の抱擁」という意味だそうですが、記憶を受渡す相手がいないカラマカテを、アマゾンの大自然が包み込んだというのがチュジャチャキという言葉の本質ではないかと思います。つまり、一個人の記憶がなくなるということはごく自然なことである、という考え方を示しているのではないかということです。

自分の記憶が確実に失われていることに当惑しているカラマカテは、知識を伝達することを目的とした植物学者・エヴァンに共鳴するかのように旅に同行したいと自分の意志で申し出ます。

何かを得るということは、何かを失うことになるかもしれない…そうした疑念を抱くかのように、訪問者たちはカラマカテと仲良く旅をするというよりはお互い背中合わせのような状態で、不思議な間柄のまま旅をしていきます。

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この映画の大きな見どころの一つは、老年のカラマカテが実際にオカイナ族という民族の最後の一人であるアントニオ・ボリバル・サルバドールによって演じられていることです。物語もドイツの民族学者テオドール・コッホ=グリュンベルクとアメリカの生物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテスの実際の手記を元に構成されていますが、製作陣が先住民の人々に協力を請い説き伏せるまでの学者並みの努力は敬服に値します。

コロンビアやアマゾンに興味がある方、ジャングルの奥深くまで冒険に出た気分になってみたい方に特にオススメです。

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『彷徨える河』は2016年10月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。

詳細は公式サイトからご確認ください。

黄金郷コロンビア

オリノコ源流域に隠された虹色に輝く川カーニョ・クリスタレスと黄金郷伝説の残るコロンビアのみどころを巡る9日間の旅。植民地時代の面影を今に残す世界遺産カルタヘナも訪問。

みかんの丘

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ジョージア

みかんの丘

 

Mandarinebi

監督:ザザ・ウルシャゼ
出演:レムビット・ウルフサク、エルモ・ニュガネンほか
日本公開:2016年

2016.10.5

ジョージアとアブハジアから
ミカンのように鮮やかな色の未来を願って

ジョージアから独立を主張しているアブハジアに、100年以上前からエストニア人が住む集落があります。ジョージアとアブハジアの間で紛争が勃発しても、ミカンを栽培するイヴォとマルゴスはそこに残っていました。ある日、戦闘で負傷した2人の兵士を家の中で介抱することになります。1人はチェチェン兵のアハメド、もう1人はジョージア兵のニカです。アブハジアを支援するチェチェン人とジョージア人は、紛争の敵同士で本来ならばすぐにでも殺しあう関係ですが、イヴォの家では決して殺しあいはしないというルールが取り決められます。その中で、アハメドとニカの考え方も変わっていきます。

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旧ソ連諸国の政治状況はとても複雑ですが、日本人である私たちは逆に客観的にその状況を見れるかもしれません。アブハジアにいるエストニア人、ムスリムのチェチェン人、キリスト教徒のジョージア人…私たちには簡単に見分けることはできません。

時々私は「関係ある」ことと「関係ない」ことは何が違うのかと考えることがあり、この映画を見て再度そのことについて思い出しました。たとえばジョージアに旅したことがあれば、このアブハジア紛争問題は比較的身近な問題に感じるでしょう。シリアに行ったことがあればシリア紛争について人よりアンテナを張れるでしょう。しかし、多くの日本人にとってはアブハジア紛争やシリア紛争の前により身近な事柄があります。「関係ない」ことはどのようにすれば「関係ある」ことになるのでしょうか。

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そうしたことを監督も考えているように私には思えました。『みかんの丘』は立場の異なる兵士から戦場を奪い、ただの人間にした時に互いの関係はどのように変化するかということが描かれています。監督はアブハジア問題を世間に知らせるということよりもも、アブハジア問題を通じて「人間とは何か」という普遍的な大きなテーマを描くことを目指しているのではないかと思いました。監督が大ファンだという黒澤明監督さながらのヒューマニズムに溢れた描写が濃密に散りばめられた作品です。

『みかんの丘』は9/17より岩波ホールほかにてロードショー中。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。

 

コーカサス3ヶ国周遊

広大な自然に流れる民族往来の歴史を、コンパクトな日程で訪ねます。
複雑な歴史を歩んできた3ヶ国の見どころを凝縮。美しい高原の湖セヴァン湖やコーカサス山麓に広がる大自然もお楽しみいただきます。

民族の十字路 大コーカサス紀行

シルクロードの交差点コーカサス地方へ。見どころの多いジョージアには計8泊滞在。独特の建築や文化が残る上スヴァネティ地方や、トルコ国境に近いヴァルジアの洞窟都市も訪問。

とうもろこしの島

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ジョージア

とうもろこしの島

 

Simindis Kundzuli

監督:ギオルギ・オヴァシュヴィリ
出演:イルヤス・サルマン、マリアム・ブトゥリシュヴィリほか
日本公開:2016年

2016.9.28

中洲に浮かぶ平和への意志
知られざるアブハジア紛争の行く末

コーカサス山脈から黒海へ流れるエングリ川に、毎年雪解けとともに肥沃な土が運ばれ中洲ができ、その場所で冬の貴重な食料となるとうもろこしが育てられる…という導入から映画は始まります。

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『とうもろこしの島』はジョージアと、ジョージアから独立を主張するアブハジアの間の川という舞台設定で、両親を亡くした孫娘と老人がとうもろこしを育てていく様子がほぼセリフ無しで語られていきます。

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アブハジアという地名を聞いて何かを連想できる日本人はそうそういないかと思います(私も今回この映画を見た後で調べて初めて知りました)。普遍性を重視したいという監督の意志で最終的に12ヶ国の合作で作りあげられたこの映画は、むしろアブハジアのことを何も知らないで見たほうが強烈な印象が残るかもしれません。のどかな日常が実は戦争の暗い影に覆われていたということが映画が進むに連れて徐々に明らかになっていきます。

この映画はセリフが本来必要かと思われるところでひたすら黙って物語が進むので、セリフが発された時には少しドキリとします。その数少ないセリフはもちろん周到に計画されているはずですが、私はそのセリフから「意志」というキーワードが思い浮かべました。

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「あたり前のことがあたり前にできる」ということは、日本にいるとなかなか享受しにくい幸福かもしれません。日常的なことであっても、何かをしようという意志があって、それが達成できるということは幸福なことです。

自然は時に人間に牙を剥き、そうした人間の自由を奪います。なぜ地震がくるのか、なぜ津波が街を飲み込むのか…「なぜ?」といくら思いを巡らせても自然は答えてくれません。しかし、戦争はその「なぜ?」という問いの矛先を何かに向けることができてしまいます。国家への怒りが個人に、個人への怒りが国家に向かいかねません。アブハジア紛争は今現在も続いているといいますが、負の意志の連鎖が続いてしまわないように願うばかりです。

『とうもろこしの島』は岩波ホールほかにて9/17からロードショー中、その他詳細は公式HP よりご確認ください。

コーカサス3ヶ国周遊

広大な自然に流れる民族往来の歴史を、コンパクトな日程で訪ねます。
複雑な歴史を歩んできた3ヶ国の見どころを凝縮。美しい高原の湖セヴァン湖やコーカサス山麓に広がる大自然もお楽しみいただきます。

民族の十字路 大コーカサス紀行

シルクロードの交差点コーカサス地方へ。見どころの多いジョージアには計8泊滞在。独特の建築や文化が残る上スヴァネティ地方や、トルコ国境に近いヴァルジアの洞窟都市も訪問。

チャーリー

B2 _ポスター_入稿配給・宣伝:CELLOID JAPAN & DOZO Films

(C)Charlie the Malayalam Film, DOZO Films & Celluloid Japan

インド

チャーリー

 

Charlie

監督:マーティン・プラーカット
出演:ドゥルカル・サルマーン、パールワティほか
日本公開:2016年

2016.9.21

海から山までかけ巡る マジカル・ミステリー・ツアー in 南インド

主人公はインドのシリコンバレーといわれているバンガロールに住む女性アーティスト・テッサ。うまくいっているように見えてどこか物足りない日々を送っていたテッサは、実家に戻った時に親が勝手に縁談を進めていたことで一気に旅心に火がつき、アラビア海に面する港街・コーチンへと旅立ちます。

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ヒッチハイクをしてたどり着いたコーチンのアパートで、テッサは不思議な漫画を見つけますが、気になるところで漫画は終わってしまっています。漫画を描いたという元住人のチャーリーを探す中で、テッサは様々な人々と出会っていきます。

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新しい場所に行くということだけでなく、ゆったりとした時間の中で自分の日常をじっくり見つめなおすことも旅の醍醐味かと思います。

人生が何かしらの形で停滞するということは、できれば起こってほしくありませんが、ある意味そうした行き詰まりは人生の魅力ともいえるのではないかと私はこの作品を見て感じました。インド映画らしい軽快なテンポでテッサは移動していきますが、新しい場所に移動していくというよりも、自分の頭のなかをぐるぐるまわっていくような印象で物語は進んでいきます。

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本作はケララ州の公用語マラヤーラム語で製作された作品(マラヤーラム語作品の日本でのロードショーは初!)で、「ボリウッド映画」ならぬ「モリウッド映画」と言われているそうですが、多少は踊りと歌が入るところはやはりインド映画です。現実と非現実がボリウッド映画よりも少しひかえめな形で融合していて、テッサの頭のなかをのぞいて思索によりそうようなムードで、自由を追い求める旅に観客を一緒に案内してくれます。

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また、映画の中に押し付けがましくない形でケララ州の文化・風習が織り交ぜられています。カエルのような強烈な顔のカタカリダンス役者、南インドの男性が日常的に着るスカートのような腰巻き・ルンギ、異なる宗教が共存している様子、爽やかな海辺や紅茶園など観光的な魅力も描かれています。

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マラヤーラム語映画界を数十年に渡り牽引してきたスターの息子という経歴を持つイケメン、ドゥルカル・サルマーン演じるチャーリーの飄々とした人物像も見どころです。

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映画は10/1よりキネカ大森他でロードショー。その他詳細は公式HPをご確認ください。

楽園の南インド

ベンガル湾に面した壮大なマハーバリプラムの遺跡群、南インドの信仰の中心象徴ともいえるマドゥライのミナークシ寺院、ハウスボートのバックウォータークルーズ、コロニアルなコチ、そしてニルギリ鉄道まで南インドを満喫していただきます。

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コーチン(コチ)

ケララ州にある観光客に人気の都市。特に見所としておすすめなのは、フォート・コーチンとマッタンチェリー地区。古くから香辛料貿易としてヨーロッパ人の来訪も多く、教会やユダヤ人地区など異国情緒が溢れます。

アクト・オブ・キリング

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インドネシア

アクト・オブ・キリング

 

The Act of Killing

監督: ジョシュア・オッペンハイマー
出演:ハーマン・コト、 モハマッド・ユスフ・カラ、 ハジ・アニフ、 ハジ・マーズキ、 ラマット・シャーほか
日本公開:2014年

2016.9.14

虐殺の実行者が虐殺を再現する
前代未聞のドキュメンタリー

1965年に9月30日事件と呼ばれる虐殺がインドネシアで起きました。スカルノ政権に対する軍事クーデターが勃発し、その最中で大勢の共産主義者が殺され100万人を超える犠牲者が出たと言われています。監督のジョシュア・オッペンハイマーは、はじめ生存者たちの話を聞くドキュメンタリーを製作しようとしていましたが、軍の妨害によって中断せざるをえなくなった時に発想を転換してあるアイデアを思いつきました。

それは、実際に虐殺を行ったギャングたちに、自分たちが行った虐殺を再現して演じてもらうという大胆で勇敢なアイデアです。9月30日事件の実行者である軍の人々は、虐殺を行った後も権力を利用して国民的英雄として何不自由ない裕福な暮らしてきました。彼らに虐殺を演じてもらうことを通じて、9月30日事件の真実に手を伸ばそうというのが監督の意図です。

フィクション・ドキュメンタリーに関わらず、他のどの映画にもないこの映画の力強さは、どこまで演出がなされているのか錯乱して段々わからなくなってくる、うねるような独特な物語のリズムにあります。

基本的にこの映画はドキュメンタリーなので、目の前で起こっていることをありのままに映し出すことを一番の目的にしているかと思います。しかし「ギャングたちに過去を演じてもらう」というしかけをしている以上は、監督の演出が少なからず入っているはずです。過去を誇りに思っているギャングたちが、嬉々として自分が過去に行ったことを語る様子が映しだされますが、段々とどこまでがありのままで、どこまでが演技(アクト)なのかわからなくなってきます。そうした鑑賞者の戸惑いは、出演者のギャングたちの心に直結しています。段々とギャングたち自身も、過去に自分がどれだけとんでもないことをしでかしたのか、自覚して混乱してくるという奇跡的な映像が収録されています。

旅先では、虐殺の地に訪れることもあるかと思います。私もアウシュヴィッツに訪れた時には、誰がどのように間違ったらこんな悲劇が起きてしまうのかと考えこんでしまいました。「悪」とは何か、「狂気」とは何か…『アクト・オブ・キリング』はそうしたことをつきつめて考えてみる大きなきっかけとなる映画です。

白い風船

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イラン

白い風船

 

رنگ خدا‎

監督: ジャファール・パナヒ
出演:アイーダ・モハマッドカーニ、モフセン・カリフィほか
日本公開:1996年

2016.9.7

7歳のテヘランっ子がお金をなくすと、イラン社会に風が吹く?

イランの映画には子どもが主人公の名作が多いですが、この『白い風船』 は可愛らしい女の子の主人公(素人とは思えない堂々とした演技!)や、シンプルで見やすい展開のため記憶に残りやすい作品です。

イスラーム暦の年明けをあと数時間で迎えようとしているテヘランで、7歳の女の子・ラジェが新年のお祝いのためにお気に入りの金魚がどうしても買いたいと母親にねだります。なんとかお金をもらったものの、ラジェはそれを落としてしまったり、大人の都合に巻き込まれたりしてなかなか金魚が手に入りません…

一見単純なストーリーの中に、稼ぎに苦労している大人たち、お金がなくて田舎に帰れない兵隊、アフガン難民の少年などが特に説明もなくひょっこりと登場し、ラジェとの関わりの中で巧みに社会問題が描かれていきます。イランではイスラム革命後から文化イスラム指導省が映画上映の可否を判断する規則が設けられ、どんなテーマでも映画の中で描けるというわけではありません。

実際、ジャファール・パナヒ監督は映画を撮り続ける中で2010年に反政府活動をしたということで逮捕され、6年間の実刑とイラン国内における20年間の活動禁止を言い渡されました。その後『これは映画ではない』というなんとも矛盾したタイトルの映画を自らiPhoneで撮影した動画で作り上げました。新作はテヘランを走るタクシー(監督は現在タクシー運転手をしているそうです)の中だけで物語が展開する『タクシー』で、日本での公開が待たれています。

ジャファール・パナヒ監督や、先日惜しくも亡くなった巨匠アッバース・キアロスタミ(この作品では脚本を担当)は、この映画の中で子どもの住んでいる社会問題を溶け込ませるようにしてストーリーを展開させ、制限を逆手に取ってストーリーとは別に映画が何かをささやいているような謎めかしい雰囲気を生んでいます。タイトルの『白い風船』も、映画を見ているうちに忘れてしまいそうな形で登場しますが、一体そこにどのような意味がこめられているのか、いかようにも解釈ができる描き方にご注目ください。

イランの新年(お昼に年が明けます)の様子やテヘランの市井の人の暮らしぶりを見てみたいという方から、タイトルに隠された謎を解いてみたいという方にオススメの1本です。

ペルシャ歴史紀行

精緻を極めたタイル装飾に美しいレリーフ、数々の王朝の栄華を物語る都の跡。かつてのオリエント世界の中心として君臨したペルシャの歴史を辿る、イランの旅の決定版。

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テヘラン

イランの北西部に位置する同国の首都。エルブルース山脈の麓に広がるこの街は、全人口の10%に当たる人々が生活する大都市です。近代的な建物やモスク、道路に溢れかえる車の数、バザールなどの人々の活気など満ち溢れたエネルギーを肌で感じることが出来る街です。

映画よ、さようなら

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配給: Action Inc.

ウルグアイ

映画よ、さようなら

 

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監督:フェデリコ・ベイロー
出演:ホルヘ・ヘリネック、マヌエル・マルティネス・カリルほか
日本公開:2016年

2016.8.31

一つの時代が終わり、何かが始まる・・・ モンテビデオ純情物語

「世界一貧しい大統領」ことムヒカ大統領のユニークさで、ウルグアイという国は日本でも大きな注目を集めました。63分のモノクロームで、シンプルなタッチで淡々と一人の中年男性の落胆と希望を描いていくフェデリコ・ベイロー監督の眼差しも、私にとってウルグアイの新たな一面の発見となりました。

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舞台はウルグアイの首都・モンテビデオ。映画を愛する人々が集うシネマテーク(フィルムライブラリー)に勤める主人公・ホルヘは勤続25年のスタッフで、毎日を映画に捧げてきた男です。物語はいつもの調子でアイスランド映画特集を組もうとしているシーンで幕を開けますが、営利事業としてのシネマテークの運営が危機的状況となり、館の存続に暗雲が立ち込めてきます。

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ウルグアイの映画を見たのは『ウイスキー』に続いて2本目ですが、この映画を見たことで、遠く離れたほとんど知識もないウルグアイという国により興味がわきました。日本人が家族や近しい間柄の人と会話する時のような独特の会話の間や、人とある程度の距離を保ち相手にいつも気使っているようなキャラクターにとても親近感がわき、途中からこの映画の国籍を全く意識せずに鑑賞していました。

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村上春樹の「ノルウェイの森」で、登場人物の一人は父親がウルグアイに行ってしまったという嘘をつき、ウルグアイの道はロバの糞だらけだという妄想を主人公に話します。勝手に話を語れるだけ日本とウルグアイは距離が離れていることを象徴した一節かと思いますが、ホルヘたちはシネマテークで遠く離れた日本の映画を今までたくさん上映してきて、それを見た観客たちの心にも何かしらの思いが残ったのだろうと、映画を見ながら遠く離れたウルグアイの映画館の中の出来事を想像しました。

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映画が終わっても、人生は続いていく・・・そう物語るように、ホルヘにとって必ずしもハッピーな展開ばかりを映画は用意していませんが、悲しい中にもどこからか希望の光が差し込んでいるような温かい映画です。

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『映画よ、さようなら』は、9月3日から名古屋シネマテークにて、10月29日から下高井戸シネマにて上映。

その他詳細は、公式サイトからご確認ください。

 

ウルグアイとパラグアイ

みどころの多い南米の国々の中で忘れられがちな二つの小国、ウルグアイとパラグアイ。スペイン・ポルトガルの覇権争いの舞台となったコロニアの街や、南米のキリスト教カトリック伝播の文化的背景を象徴するトリニダー遺跡を訪れ、南米の歴史・文化に触れます。

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チリ

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監督: パブロ・ラライン
出演:ガエル・ガルシア・ベルナルほか
日本公開:2012年

2016.8.24

No Future!
革命を生み出した、肯定的な「ノー」

チリで15年間に渡りアメリカの傀儡であったピノチェト。「捨てられた」という形容詞がつくこともしばしばあるピノチェト独裁政権下の1988年の設定で物語が展開していきます。この年、ピノチェトの任期延長の是非を問う国民投票が行われました。希望を失いかけていた反対派の国民を一致団結させ、政権を奪うべく立ち上がらせたのはテレビで放送された選挙キャンペーンでした。この実際の出来事が、反対派(NO派)の中心人物である才能あふれる若き広告マン・レネを主人公に描かれていきますが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』でチェ・ゲバラに扮したイケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナルがレネを演じます。

YES派が一日中キャンペーンを放送できるのに対し、NO派は一日に15分のみしか放送が許されていないという絶望的な状況の中でも、レネは冷静に考えを深めていきます。そして、窮状を訴えるシリアスさより、笑いや歌によってチリの未来を感じさせるイメージを生み出すほうが人々の眠っている闘志を沸き立たせるに違いないと提案し、画期的な広告を展開していきます。

この映画で特に印象的なのは、実際の記録映像と映画のために撮影された映像の区別が段々とつかなくなってくることです。本作の撮影で使用されたカメラは1983年型イケガミ・チューブ・カメラ(池上通信機 撮像管カメラ)というカメラだそうで、最初は何かの物語というよりも、当時のドキュメンタリー番組のような雰囲気で映画がスタートしていきます。

実際、当時のアーカイブ映像も混じっているのですが、映画の撮影も80 年代当時の映像の質感や色で徹底的に撮影されていて、画面の縦横比も一昔のテレビのサイズである4:3(現在のワイドテレビは16:9)に合わせてあります。少し物語としては単調に感じる映画序盤の流れは、段々と80年代にタイムスリップしていくことを実感するための気遣いあるスピードなのでしょう。

現在のチリの土台になった歴史的出来事を、レネが提案した広告のように気軽な形でこの映画は追体験させてくれますが、劇中で非常に重要な人物を本人が演じていたり、レネのモデルになった人物がある役を演じたりしています。どの役なのかぜひ想像しながら見てみてください。

ビッグ・シティ

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インド

ビッグ・シティ

 

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監督:サタジット・レイ
出演:マドビ・ムカージー、アニル・チャタージーほか
日本公開:1976年

2016.8.17

美しいモノクロームに彩られた、
品性漂うインド映画

舞台は1953年、東がバングラデシュと接するインド・西ベンガル州の州都・コルカタです。

主人公のアラチは、銀行員である夫のシュプラトが稼ぎに苦しんでいるのを見かねて働きに出ることを決意します。主婦が働くということに不賛成なシュブラトの父の制止を振り切って、編み機を売って回る仕事にアラチは励みます。そして、会社の社長にも認められるほどの才能をアラチは発揮していきます。夫としてのプライドから段々とシュブラトはアラチに不満を抱くようになり、二人の関係に変化が生じてきますが、不運なことにシュブラトの銀行が倒産してしまいます…

監督のサタジット・レイはアジアの偉大な監督の一人として世界中に認知されていますが、日本の巨匠でたとえると黒澤明と小津安二郎の魅力を兼ね備えたような監督です。

この映画がつくられた1960年代前半のインドにおいては、女性は家を守り外では働かないという考え方がまだまだ揺るぎないものだったといいます。そうした時代に女性が積極的に仕事をして家の大黒柱になるという、ある種タブーに触れるようなストーリーを描きダイナミックな問題提起をするあたりは、原水爆問題に真っ向から立ち向かう黒澤明のスタイルのようです。

また、長らく英国統治下にあった大都会・コルカタは、1947年のインド・パキスタンの分離独立やインド・パキスタン戦争による大量の難民の流入により大規模スラムが発生しましたが、サタジット・レイはそうした貧困(主人公たちのレベルのではなく、もっと低層のレベルの意味での)については一切言及せずに、主人公のアラチの努力や女性としての品性に焦点をあてることに徹しています。この辺りは、キャリアのある時点から戦後の荒廃をあえて描かずに浮世離れした優雅なドラマを撮り、フレームの中の細かな美術ひとつひとつ、セリフの喋り方、細かな動作まで全てに品を求めた小津安二郎のようなスタンスを感じます。

サタジット・レイの鋭い洞察が反映されたこの映画は、時代を越えて「生きるとは何か」という普遍的なメッセージを私たちに訴えかけてきます。英領インド時代を感じさせるコルカタの街の雰囲気や、強い女性が活躍する映画を見たいという方に特にオススメの映画です。

ナマステ・インディア大周遊

文化と自然をたっぷり楽しむインド。15の世界遺産を巡り、ランタンボール国立公園でのサファリとケオラデオ国立公園の野鳥の観察も楽しむ。

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コルカタ

西ベンガル州の州都。イギリス統治時代は「カルカッタ」の名称で知られていました。この町を訪れると混沌とした熱気、町の雑踏を肌で感じることができるでしょう。