ヒンドゥー教の神々 世界維持神・ヴィシュヌ

ナマステ、西遊インディアです。

インドでは全人口の約80%がヒンドゥー教を信仰しています。ヒンドゥー教はインド国民の暮らし、社会に強烈に根付いており、ヒンドゥー教への知識と理解はインド渡航前にある程度頭に入れておいた方がよい項目の一つです。
今回はそのヒンドゥー教において、シヴァ、ブラフマーと並びヒンドゥー教の三位一体(トリムルティ)の一端を担うヴィシュヌ神についてお話いたします。シヴァ派に次ぐ巨大な信仰勢力となっており、インドを代表する神の一つです。世界の維持神として知られます。

 

ヴィシュヌ・ファミリー
ヴィシュヌ・ファミリー(左下からガルーダ、ヴィシュヌ、臍から生えた蓮に座るブラフマー、ラクシュミー)とナーラダ聖仙(右) (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ヴィシュヌの原型はリグ・ヴェーダの段階で見られ、既にこの時に独立したヴィシュヌを讃える独立した賛歌が5つ編まれています。しかし立ち位置としては雷神インドラの協力者に過ぎない存在でした。

 

しかし、ヒンドゥー教の成立と発展の過程でヴィシュヌはシヴァと同様に各地の土着信仰を取り込んで勢力を拡大していきます。ヴィシュヌ信仰の最大の特徴は化身思想で、各地の神々の神話に対し、それは実はヴィシュヌの化身であった、とすることで各地の神々の物語を取り込んでいきました。この化身を指すサンスクリット語が「アヴァターラ」です。現代インターネット上での自分の分身となるキャラクターを意味する「アバター」の由来となっています。

 

 

■ヴィシュヌの姿・持ち物と家族

ヴィシュヌは4つの手にそれぞれ円盤状の武器チャクラ、力と権力の象徴としての棍棒、笛として使われるほら貝・シャンカ、ヒンドゥー教のシンボルでもある蓮華を持ちます。シャンカはほら貝製の笛で、角笛のように戦争の合図などで使われたものですが、同時に水や女性を象徴するとされ、ヴィシュヌのシンボルの一つとなっています。彫刻や彫金で装飾された美しいシャンカは、シヴァが持つ両面太鼓・ダマルとともに土産物屋でもよく見ることのできる楽器の一つです。

 

(動画:ガンジス川のアールティでシャンカを吹く僧)

 

絵画や彫刻では、9つの頭を持つ蛇・竜王アナンダに寝そべるシーンがよく描かれます。ヴィシュヌの臍からは蓮が伸びており、その花の先からブラフマーが生まれている場面です。ヒンドゥー教のトリムルティの考え方では世界の創造者はブラフマーですが、ヴィシュヌ派の神話ではブラフマーはヴィシュヌから生まれたものであり、ヴィシュヌがより偉大な存在であるとされています。逆にブラフマー派の神話では同様の場面でブラフマーの臍からヴィシュヌが生まれたとするものもあります。

 

アナンダに横たわり原初の海を漂うヴィシュヌ
アナンダに横たわり原初の海を漂うヴィシュヌ。臍から伸びた蓮からはブラフマーが生まれている。(エローラ石窟寺院)

 

妻のラクシュミーは富と幸運の女神であり、日本では吉祥天として日本仏教に取り入れられています。10月末から11月初めに行われるヒンドゥー教の祭典・ディワリはもともとはランカ島から凱旋するラーマ王子を祝う祭りに由来しますが、現代ではラクシュミーを祀る新年の祭りとして、北インドを中心に盛大に祝われています。モチーフとしてはサラスヴァティー、ガネーシャと共に描かれる「ディワリ・ラクシュミー」、2頭の像に水をかけられている「ガジャ・ラクシュミー」という吉祥図が良く見られます。

 

ガジャ・ラクシュミー像(エローラ)
ガジャ・ラクシュミー像(エローラ石窟寺院)。中心のラクシュミーを挟んで両側から象が水をかけている。

 

ヴィシュヌが乗る神鳥ガルーダは、インド国内のみならずインドネシアやミャンマー、タイなどでも信仰され、日本仏教でも迦楼羅天として八部衆の一つとして登場します。ガルーダは母にかけられた呪いを解くために神々の天界へ攻め入って不死の薬・アムリタを手に入れ、風神ヴァーユや神々の王インドラを退け、ヴィシュヌと共に帰還して母の呪いを解く物語で知られています。猛禽、又は人間の体に猛禽の頭と羽をもつ姿をとり、ヴィシュヌの下方、またはヴィシュヌを乗せて飛ぶ姿で描かれます。インドネシアやタイでは国章に用いられており、非常に人気のある神の一つです。

 

ヴィシュヌ(上)を載せて飛ぶガルーダ(下)。(エローラ)
ヴィシュヌ(上)を載せて飛ぶガルーダ(下)。右側に翼の意匠が見える(エローラ)

 

先にも述べました通り、ヴィシュヌ信仰の最大の特徴は化身思想です。ヴィシュヌは世の中の正義が衰え、不正義がはびこる時、様々な化身の形で世の中に現れて正義を回復します。ヴィシュヌ神の10の化身については、また別の記事にて紹介します。

 

Text by Okada

カテゴリ:■その他 , インドの宗教 , インド神話
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ケーララ州の魅力② タッテカッド鳥類保護区 

ナマステ!
西遊インディアです。

ケーララ州の魅力を続々ご紹介! 第2弾は「タッテカッド(Thattekkad)」です。
タッテカッドはコーチン空港から約50km、車で約2時間ほど。
このエリアは生息地の多様性と特有の地形のおかげで、さまざまな動植物が生息しており、特に鳥類に関しては西ガートの固有種が多く見られる場所です!

 

実際に2020年2月にタッテカッドへバードウォッチングに行きましたので、その様子をご案内いたします。

 

タッテカッド鳥類保護区
西ガーツ山脈の麓、ペリヤール川の北に位置している。面積は25㎢。1983年、ケララで最初の鳥類保護区とされた。最も有名な鳥類学者の一人であるサリム・アリは同年、このエリアを調査し、インド半島で最も豊かな鳥の生息地と説明した。保護区では34種の哺乳類、270種の鳥が確認されている。このエリアのベストシーズンは10月から3月です。

 

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サリームアリバードトレイル 入り口
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ガイドとともに出発!

平坦な道のりで道も整備されており、問題はないのですが、枝が出ているところもあるので、よく気を付け進んでいきます。

 

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インドオオリス

入って少しすると、インドオオリス (Indian giant squirrel) に出会いました!
とても大きく、頭から尻尾の先までで1メートルほど。尻尾が重そうに見えましたが、流石リスですね。機敏に木を登っていました。

 

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パラダイスフライキャッチャー

こちらは、パラダイスフライキャッチャー (Paradise flycatcher) のオス。
尾羽が長いのがオスの特徴です。

 

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セイロンガマグチヨタカ

セイロンガマグチヨタカ(Sri Lanka frogmouth)は固有種ではないですが、生息地は西ガーツとスリランカだけ。なお夜行性のため、日中見つけるのは難しいのですが、ガイドのShyamさんは素早く見つけてくれました!
英語でFrogmouthというように、カエルみたいな顔をしています。もっと近くで見たかったのですが、叶わず…またリベンジしたいです!

写真は取れませんでしたが、約1時間の散策中、西ガーツで一番大きいキツツキ(White-bellied woodpecker)、パラダイスフライキャッチャー (Paradise flycatcher) メス、カワセミ(Kingfisher)も観察できました。

 

翌日の早朝、車にてウルランタニ(Urulanthanni )へ。
こちらは保護区ではないのですが、固有種が多くみられる特別なエリアでとのことです。7時に到着し、散策を開始しました。

 

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この開けたエリアに、40分ほどの滞在しましたが、たくさんの鳥を観察しました。固有種としてはミドリワカケインコ (Malabar parakeet)、マラバルバーベット (Malabar Barbet)、ヒノドヒヨドリ (Flame-throated bulbul) に出会えました。

 

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ミドリワカケインコ (Malabar parakeet)
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マラバルバーベット (Malabar Barbet)
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ヒノドヒヨドリ (Flame-throated bulbul)
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ヒイロサンショウクイ (Orange minivet) メス
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ヒイロサンショウクイ (Orange minivet) オス

この他、キゴシタイヨウチョウ (Crimson sunbird)、クロオウチュウ(Drongo)なども観察しました。

タッテカッド鳥類保護区のサリームアリバードトレイルもウルランタニも、滞在時間は短かったのですが、それでもいろいろな種類の鳥を観察することができました。固有種も多く確認でき、バードウォッチャーなら心も躍るエリア間違いなしです。

なお、両エリアともに、木が高いため、鳥を観測できる位置も高く、カメラは超望遠レンズが必須です。

 

コーチンからタッテカッドは約2時間で移動できるので、デリーから1泊2日でのバードウォッチングツアーも可能です。
是非お気軽にご相談ください。

先日紹介した、アレッピーのハウスボートツアーとの組み合わせも可能です!

 

 

 

Text : Saiyu India

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インドの口琴:モールシン!

ナマステ!
前回の音楽ネタに関連して、今回は一つの楽器を紹介します。

インドの口琴・モールシンです!

 

 

 

モールシンと呼ばれるこの楽器、日本語では口琴と呼ばれますが、珍しい楽器のためあまり一般的ではありません。楽器を歯に押し当てて中央の弁を指ではじき、その振動を口の中で共鳴させて音を出すという、なんとも不思議な楽器です。

 

日本では江戸時代に江戸で大流行したという記録が残されていますが、現在ではほとんど知られていません。北海道ではアイヌ民族の竹製口琴・ムックリが知られています。通常日本で口琴の音を耳にする機会はあまりありませんが、テレビ番組の効果音などで稀に用いられることもあり、テレビアニメ「ド根性ガエル」の主題歌の中でもビヨーンというその独特の音が使われています。

 

さてこの口琴、ルーツは非常に古く、つい昨年中国で4000年前の骨製の口琴が出土し最古のものと考えられています。日本でも埼玉県で平安時代の金属製口琴が出土しており、金属製の口琴としては世界最古級のものと考えられます。

 

 

埼玉県さいたま市 氷川神社東遺跡出土の平安時代の口琴
埼玉県さいたま市 氷川神社東遺跡出土の平安時代の口琴(画像出典:さいたま市教育委員会)

口琴は東は日本から西はイタリアのシチリア島まで、ユーラシア大陸の多くの地域に存在しており、中央アジアからシベリア、またインド・パキスタン地域で現在でも広く演奏されています。その中でも音楽的に最も発展しているのがインドの口琴・モールシンです。

 

世界の様々な口琴左からロシア、トルクメニスタン、タジキスタン、日本(アイヌのムックリ)
世界の様々な口琴:左からロシア、トルクメニスタン、タジキスタン、日本(アイヌのムックリ)

 

多くの地域に分布する口琴ですが、インド、また中央アジアやシベリアの一部を除いては伝統的な楽器として演奏がされている場所は少なくなってしまいました。中央アジアやシベリアにおいては、ほとんどの場合単純に音楽的というよりは宗教的な用具として用いられており、多くの場合は口琴単体で演奏されています。対して、インドの場合モールシンはリズム楽器として他の楽器とともに演奏され、非常に独特な使われ方をしています。

 

インドではラジャスタン地方と南インドの楽器として知られ、ラジャスタンのものはモルチャン、南インドのものはモールシンと呼ばれます。南インド古典音楽の中で用いられるものが特に有名です。インドは南北で音楽の伝統も異なり、南インド音楽は複雑なリズム体系がその大きな特徴の一つです。両面太鼓のムリタンガムや、打楽器として調音された素焼きの壺太鼓・ガタムなどとあわせ、複雑なパズルのようなリズム体系の中でソロの演奏を回して行きます。最後に全員でリズムをあわせての演奏は、まさにパズルのピースがはまったような気持ちよさ!

 

現代的な音楽の中でこのように口琴が他の楽器とあわせて演奏されることはありますが、伝統音楽の中でこれだけリズムや奏法が確立している口琴はインドのモールシンだけかもしれません。

 

なかなか現物を見る機会はありませんが、お土産屋などではごく稀に売っていることもありますので、珍しいお土産として買ってみるのも面白いかもしれません。

 

Text by Okada

 

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北インド古典音楽

近年、インド映画などを通して耳にする機会も多くなったインド音楽。中でも古典音楽はインド国外でも愛好家が多く、日本でも多くのインド音楽イベントがあり、またプロの日本人奏者が活躍しています。

 

インド古典音楽は主に北インドのヒンドゥスターニー音楽と南インドのカルナーティック音楽に分かれますが、今回の記事では主に北インド古典音楽について紹介していきます。

 

 

ハルモニウム(左)とドーラク(両面太鼓、右)の演奏(ラジャスタン)
ハルモニウム(手漕ぎオルガン、左)とドーラク(両面太鼓、右)の演奏 (ラジャスタンのホテルにて)

 

■北インド古典音楽の成立

いわゆる「インド古典音楽」の成立は、インド各地で継承されてきた様々な芸能を取り入れて発展させた16世紀のムガル帝国の時代でした。インド各地、またペルシア世界や中央アジア世界との関係も深かったムガル帝国では、各地からの客人と音楽を共有するため、宗教的・言語的に異なる相手にも理解されやすいように宮廷音楽として文化が開いていきました。そのためインド古典音楽では明確な歌詞がうたわれる部分は少なく、「あぁ~」と声を伸ばしたり、音階やリズムを口ずさんで歌い上げたりするものがほとんどとなっており、インド音楽の大きな特徴となっています。

 

土地や宗教、民族によっても大きくバリエーションのあるインド音楽ですが、16世紀のムガル帝国の宮廷音楽を引き継いだ北インドの古典音楽はもともと演劇に付随するもので、音楽として単体で楽しまれるものというよりは演劇とセットで考えられました。現在では音楽単体でも楽しまれるようになり、インド国内外へ大きく広がりを見せています。

 

■北インド古典音楽の特徴

インド音楽のもっとも特徴的なものは「ラーガ」と呼ばれる概念の存在です。西洋音楽に対応して音階(スケール)、あるいは旋法(モード)として捉えられることがありますが、実際のラーガはもっと多くの要素を含んでおり、インド音楽の懐の深さを生んでいると言えます。

 

実際のラーガはその一つ一つが、音階・旋法に定められるような音の上下行や、一つ一つの音の扱い方や特徴的な旋律(テーマ)・音の運びなどに加え、そのラーガで表現すべき感情、そのラーガを演奏する時間帯・季節などを要素として持っています。インド音楽には数千のラーガが存在すると言われますが、正確な数は誰にも分りません。

 

インド音楽の演奏の際には、このラーガという概念に加え、「ターラ」と呼ばれるリズムに関する決まりに則って、即興での演奏が行われます。そのため同じ奏者・同じラーガであっても一回一回異なる音楽が生まれ、それがインド音楽の魅力にもなっています。

 

他にも様々な特徴のあるインド古典音楽ですが、大きな特徴の一つはドローン音と呼ばれるものです。これは演奏中にそのBGMの様に背後で一貫して流れる基準音のことで、タンプーラという専用の弦楽器を用いて、蜂の羽音のような独特な音を奏でています。メインとなる弦とその共鳴弦の響き、また弦を微妙に触れさせて独特の音を出す「ジャワリ」の機構など、楽器自体に独自の工夫がされています。ジャワリは日本の三味線でいうところの「サワリ」にあたり、三味線の成立自体もインドの楽器からの影響が強いと考えられています。

 

インド音楽でメインとなるのは声楽、つまり歌ですが、弦楽器や管楽器がこのポジションを担うことも多くあります。冒頭でも紹介した弦楽器のシタールは日本でも有名なもので、7本のメインの弦に加え沢山の共鳴弦が張られ、メインの弦の振動に共鳴して深みのある音を奏でています。また管楽器としてはクリシュナ神のシンボルでもある竹製の横笛:バーンスリーなどが用いられます。

 

バーンスリーを携えるクリシュナ神
バーンスリーを携えるクリシュナ神(出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

また、メインの歌を支えるリズム楽器。2つの太鼓をセットで使うタブラという太鼓が日本でも多く知られています。木製・金属製の胴に皮を張った楽器ですが、皮の中央に鉄粉や穀物の粉から作られたスヤヒと呼ばれるものが塗られており、独特の倍音を生んでいます。その他、両面太鼓のパッカワージもよく用いられるリズム楽器です。

 

インドの様々な打楽器(インド国立博物館)
インドの様々な打楽器(インド国立博物館)

 

楽団は基本的にはこのような旋律・伴奏・リズムの3つから構成されますが、他にも有名なのは弦楽器のシタールです。北インドの代表的な楽器であり、ビートルズが楽曲に用いるなど広く知られています。

 

タブラ(左)とシタール(右)による演奏
タブラ(左)とシタール(右)による演奏

 

他にも手でふいごを操って音を出すオルガンのハルモニウム、また日本から伝わった大正琴(インドではバンショーと呼ばれる)…など様々な楽器が加わっていきます。インドの音楽で用いられる伝統的な楽器は非常に種類が多く、地域ごとに様々な楽器が用いられます。ラーガに則っていれば、新しい楽器を積極的に取り入れるのもインド音楽の特徴です。バイオリンやエレキベースなどが用いられる場合もあります。

 

今回は北インドの古典音楽を紹介しましたが、北インドと南インドでは大きくスタイルが異なっています。イスラム勢力の影響が少なかった南インドでは土着的な音楽伝統が色濃く残り、北インドのヒンドゥスターニー音楽に対してカルナティック音楽と呼ばれ、複雑なリズム体系に則ったスタイルで、素焼きの壺でできた太鼓:ガタム、金属の弁の振動を口で共鳴させる口琴:モールシン、トカゲ皮製のフレームドラム:ガンジーラ等、楽器も独特のものが使われます。

 

南インドの金属製口琴:モールシン
南インドの金属製口琴:モールシン

 

 

基本的なテーマに則りながら、即興で演奏が行われるインド音楽ではやはり生演奏を見たいものです。複雑なリズムを奏でる中、最後にピタリと一致する瞬間には鳥肌が立ちそうになるほど。なかなか生演奏に立ち会える機会は少ないですが、ホテルやレストラン、時には街頭で楽団に出会うこともあります。一度体験すると癖になるような魅力を持つのがインド音楽です。

 

■インド音楽と西洋音楽

インド音楽は、根本的にいわゆる西洋音楽とは全く異なりながら、西洋の楽器や音楽を取り入れて今もなお発展し続けています。また、西洋音楽側もインド音楽に出会い、大きな影響を受けています。1950年代以降、インド音楽を西洋世界に広めた第一人者とも呼べる音楽家がラヴィ・シャンカールです。

 

ラヴィ・シャンカール(1920-2012)はバラナシ出身のシタール奏者です。1940年代からインド国内で高く評価され、また1950年代以降は積極的に海外での演奏、西洋の音楽家との交流を行いました。クラシック楽団に参加し、ビートルズのジョージ・ハリスンにシタールを教え、ジャズではジョン・コルトレーンに教えを請われるなど、多岐にわたるジャンルの音楽家と交流しています。西洋音楽とインド音楽の出会いを生んだ音楽家であり、当時の西洋の音楽シーンに大きな刺激を与えた存在です。

 

ビートルズの1965年のアルバムRubber Soulの中のNorwegian Wood (This Bird Has Flown)ではインド古典楽器のシタールがロックミュージックとしては初めて使われ、大きな反響を呼びました。この翌年にジョージ・ハリスンはラヴィと出会い、ラヴィを師としてシタールを学んでいます。ビートルズではこれ以降もシタールを利用した楽曲が作られています。

 

 

 

Text by Okada

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ⑤

ナマステ! 西遊インディアです。

エローラ石窟寺院群について、前回は第1~12窟の仏教窟を紹介しました。

今回はエローラの目玉!カイラーサナータ寺院をはじめとするヒンドゥー教窟、ジャイナ教窟についてご紹介します。

 

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エローラ 第16窟 カイラーサナータ寺院 正面出口

やはりエローラといえば第16窟のカイラーサナータ寺院。こちらの見学にじっくり時間を割きたい方が多いと思います。

 

エローラ石窟寺院群は第13~29窟がヒンドゥー教窟です。開窟年代は、6~9世紀で、インドで仏教の勢いが減退していくなか、代わってヒンドゥー教が勢力を増してきた頃です。

ヒンドゥー教窟は全部で17窟ありますが、仏教窟と違って特徴的なのが全てがチャイティヤ窟(僧院)であることです。仏教窟のように、僧房は併設されておりません。

 

それではエローラの最大の見どころ・第16窟のご紹介です。カイラサナータはヒンドゥー教の破壊の神であるシヴァの寺院であり、シヴァの住まいとして考えられているカイラス山の姿を現しています。間口46m・奥行80m・高さ34mの巨大な寺院は全て岩体を掘り下げて作られており、世界最大の石彫建築です。その完成には1世紀以上の歳月が費やされたと考えられています。当時のインド人の寿命が30~35歳であったことを踏まえると、何世代にも渡る一大事業であったことが分かります。巨大な寺院そのものの迫力に加え、随所に施された神々の彫刻はまさに圧巻です。

 

 

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エローラ 第16窟 カイラーサナータ寺院 横から眺める
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エローラ 第16窟 ラクシュミー像
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エローラ 第16窟 ドゥルガー神

門を入るとまず正面にヴィシュヌの妻ラクシュミー。2頭の像が左右から水をかける「ガジャーラクシュミー」という吉祥をあらわす姿です。右手にはシヴァの妻パールヴァティの化身で力の象徴であるドゥルガー、左手にはシヴァの息子ガネーシャの彫像が私たちを迎え入れます。ちなみにガネーシャは物事の始まりを司る神でもあり、多くの寺院で門番として入り口に描かれています。現代でもお店やホテルの入り口にガネーシャ像を置いている場面を見たことのある方もいるのではないでしょうか。

 

ガネーシャ像
16窟 ガネーシャ像

寺院の外壁、またそれを取り囲む回廊にも様々な神話や、「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」のインド二大叙事詩のシーンが丁寧に彫刻されています。寺院本体に施された彫像は本来は彩色されていたものもあり、一部にその基層となる漆喰が残されてるのも見ることができます。

 

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エローラ 16窟 細かく施された浮彫はマハーバーラタのシーンを表す
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16窟 ラーマーヤナの浮彫り
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16窟 本殿外部
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16窟 本殿を支える象たち

 

寺院内部、手前にはシヴァの乗り物である牡牛・ナンディーのための寺院(ナンディー堂)があります。そしてその奥に位置するのが本殿です。
本尊には、本尊であるシヴァリンガが安置されています。リンガは男性の象徴であり、同様に女性の象徴であるヨーニの上に置かれ、お香や乳、香油などが捧げられています。現在では観光地として世界的に人気のある寺院ですが、ここでは多くの敬虔な巡礼者たちが祈りを捧げています。

 

本殿のシヴァリンガ
16窟 本尊のシヴァリンガ

カイラーサナータ寺院の内部見学が終わりましたら、寺院横の小道より坂を上がり、カイラーサナータ寺院が見下ろせるポイントまで移動することをおすすめします(※雨期は、通行不可となっていますのでご注意ください。また、2019年冬現在、後ろまで回り込むルートは閉鎖されています)。
上から見下ろすと、カイラーサナータ寺院のその大きさを改めて実感するとともに、掘り出した石の途方もない量に言葉を失います。

 

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16窟を上から見下ろす
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16窟 僧院の天井にも美しい浮彫が施されています

 

第16窟・カイラーサナータ寺院は、その大きさ、内部の造りの精巧さ、浮彫彫刻の美しさ等、全てのポイントにおいて現代では再現不可能な、まさに偉業と呼べるにふさわしいものではないでしょうか。

 

最後に、ジャイナ教石窟群の紹介です。
エコバスに乗って5分程移動すると、ジャイナ教の寺院が見えてきます。ジャイナ教寺院群は一番北側にあり、ヒンドゥー教窟とは約1キロ程離れています。開屈は9世紀頃で、当時この地を治めていた王がジャイナ教を保護していたため、ジャイナ教の寺院も造られることになりました。

 

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ジャイナ教石窟群 遠景

 

インド全国的にジャイナ教寺院は僅かしかなく、エローラの寺院は貴重な資料となっています。ジャイナ教と聞くと不殺・不所持をはじめ簡素な生活を思い浮かべますが、そのイメージを一変させるような精緻できらびやかな内部装飾には驚かされます。それまでの仏教、ヒンドゥー教窟と比べて最も装飾が細かく美しい石窟です。

 

ジャイナ教ではその24代にわたる修行者の像が信仰の対象となっています。ヒンドゥー教の神々と比べ動きが少なく、直立したままの聖者像が多いです。また、ジャイナ教の教えである「無所有」を象徴する裸体で表現されています。

 

 

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エローラ 第32窟 正面入り口
第32窟のジャイナ教寺院
エローラ 第32窟 ジャイナ教寺院
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第32窟 柱の透かし彫りがなんとも豪華な印象

 

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第32窟 獅子に乗る女神像

 

 

アジャンタとエローラの石窟寺院を数回に渡って紹介してきました。アジャンタとエローラは、インドの宝です! ぜひ訪問して、実物をご覧になっていただきたいと思います。

 

このシリーズの冒頭で書きました通り、アジャンタ、エローラ有するデカン高原にはこのような素晴らしい石窟がまだまだありますので、またの機会に紹介したいと思います。

 

 

 

 

Text  by    Hashimoto,  Okada
Photo  by Saiyu Travel

 

 

 

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ④

ナマステ!!
インドの宝、アジャンタ・エローラを紹介するシリーズ、その④です。

過去のご紹介記事はこちら!
アジャンタ・エローラ①
アジャンタ・エローラ②
アジャンタ・エローラ③

 

■エローラ石窟

カイラサナータ寺院
エローラ石窟 第16窟 カイラサナータ寺院

 

オーランガバードから30Kmほど離れたところにある小さな村のひとつエローラ村。ここに世界的に有名な石窟寺院群が残っており、エローラ石窟といわれています。
エローラには、全部で34の石窟があり、6世紀から10世紀の間に造られました。仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の寺院や僧院・僧坊などから構成されています。

 

1~12窟    :仏教寺院。石窟寺院群の南端
13~29窟 :ヒンドゥー教寺院。中央に位置する
30~34窟 :ジャイナ教寺院。北端

 

30~34窟のみ少し離れた場所に位置しておりますが、基本的には全ての石窟は近接している上に作られた時期も重なっています。当時インドではお互いの宗教に対して非常に寛容であったことが分かります。

 

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エローラ石窟 第1-6窟 遠景

まずは、仏教窟からご紹介します。仏教窟は全部で12窟あり、第10窟以外は全て僧院(ヴィハーラ)窟です。

 

石窟群の最南端に位置する第1窟は、僧院というよりは穀物や食料を貯蔵していた場所と考えられています。

 

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エローラ 第1窟 仏教窟 入口
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エローラ 第2窟 仏教窟 入口

第2窟も僧院址です。内部の回廊には多くの仏像が並んでおり、柱の装飾も細かく施されています。

第3-4窟は未完成です。エローラ石窟寺院の仏教パートは7-8世紀ごろの、インドでの仏教が衰退へと向かっている時期の開窟であったこともあり、未完成であったり作業途中である部分も多いです。

 

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エローラ 第5窟 僧院址

7世紀に開窟された第5窟は、奥行き53.28m、幅36.63mと非常に広く、エローラでも最大の室内面積をもつ僧院です。巨大な柱には、かつては美しい装飾画が施されていたといいます。この僧院址は、かつては講堂、僧侶たちの食事場所、そして宗教的な儀式の際に使われていました。

 

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エローラ 第7-8窟 仏教窟

 

第10窟は仏教のチャイティヤ(礼拝堂)建築の最高峰とも呼ばれ、ストゥーパを覆うように配置された仏像や細かい内部装飾が特徴です。2階建てですが吹き抜けの様になっています。造りは外観だけではなく音響効果も考えられており、祈りの声が深く響き渡る様に設計されています。

ガイドと一緒に訪問した際はガイドにお経の一説を詠むようリクエストしてみてください。声の響き方にきっと驚かれると思います!

 

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エローラ 第10窟 仏教窟
第10窟のストゥーパと仏陀
エローラ石窟 第10窟 本尊は、ストゥーパに仏陀が取り込まれているかたち
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エローラ 第10窟 入口正面 バルコニーから中の仏塔を見おろすことができます
Ajanta-Ellora
エローラ 第11窟 仏教窟

第11窟は僧院址で、なんと3階建てです。1~2階は僧房、3階は講堂として作られています。石窟の開削は上部から始まるため、通常の建築とは逆方向に、上から下へ向かって作業が進んでいきます。講堂と僧院という性格の違いはあるものの、開窟資金や資源の豊富だった初期に作業が行われた上階は精密に作られ、下の階へ行くにつれて装飾が減りシンプルな造りになっており、その変遷は見ていて面白いです。

第12窟も第11窟と同じ3階建ての造りの僧院址です。こちらは、全体的に非常にシンプルな造りとなっています。

 

 

エローラ石窟寺院群ですが、その入り口のほとんどが西側を向いています。そのため、エローラ訪問は日差しが内部まで差し込む午後の訪問がおすすめです(エローラ石窟はアジャンタとは異なり内部に照明は設置されていません)。ただ、酷暑期の訪問だと午後2-3時頃は一番暑い時間帯…。観光中の体力を考えて午前中の涼しい時間帯の訪問でもいいかもしれません。

 

 

次回の記事ではエローラの目玉・ヒンドゥー教窟をご紹介します!

 

 

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イギリス植民地時代の首都コルカタ

ナマステ!!西遊インディアの岡田です。

今回は古くイギリス植民地時代の首都であり、現在では東インドの中心都市となっている、コルカタをご紹介します。

 

コルカタはバングラデシュと国境を接する西ベンガル州の州都です。ガンジス川の支流の一つであるフグリー川沿いに街が広がっており、都市圏人口ではインド3位ですが、市域での人口密度はインド1位の巨大都市です。

 

1640年にイギリスが商館を建て活動を開始した時点では、ここは3つの村が水辺に点在する程度の未開地でした。このうちの一つ・カーリカタ村の名をとって、イギリス時代からはカルカッタと呼ばれるようになります。イギリスは西海岸のボンベイ(現ムンバイ)、東海岸のマドラス(現チェンナイ)とカルカッタを中心に商館を要塞化し、さらに1757年にはプラッシーの戦いでベンガル太守とフランスを退けてインド貿易を独占。カルカッタはイギリスのインド統治の中心となり、イギリスはここを拠点にインドの侵略を進めていくこととなります。

 

カルカッタは、都市化とともに文化の成熟・教育の充実が進み、アジア初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールを輩出しています。またインド人の知識階層の集う場ともなり、民族運動の発信地としても機能していきます。

 

1911年、カルカッタでの民族運動の煽りを受けイギリスの拠点がデリーへ移されましたが、その後も経済的には発展を続けました。インド独立後はパキスタンとの分離による政治的・経済的な影響を受け他の都市圏に抜かれていきますが、現在でも東インドに置いてはその中心であり、最大の都市であることは変わりません。

 

 

■カーリー寺院

カーリーガート
カーリーガート

神々とアスラ(悪魔)の戦いの中でシヴァ、ヴィシュヌ、アグニ等の神の怒りから軍神の女神:ドゥルガーが生まれますが、アスラへの怒りによってドゥルガーの額から生まれた戦闘の女神がカーリーです。争いと血を好み、手に生首を掴み腰に切り取った敵の手足を提げるという荒々しい姿で知られています。

 

カーリーの姿で人気があるのは夫であるシヴァを踏みつぶしながら踊るシーン。流血してもその血から分身を生んで無限に増え続ける力を持つラクタヴィージャというアスラとの戦いを終えた後の勝利のダンスのシーンです。カーリーはラクタヴィージャの血を全て飲み込むことでアスラを倒し、歓喜して踊り始めますが、あまりにも激しい踊りによって大地が砕けてしまいそうになったためシヴァがその衝撃を和らげるためにカーリーに踏まれているという場面です。やがて夫を踏みつけていることに気づいたカーリーは我に返り踊りを止めたので大地は砕けずに済んだ、という神話が伝えられています。

 

コルカタのカーリー寺院ではカーリーへの犠牲礼拝が盛んで、現在でも毎日のようにヤギを犠牲に捧げています。ヒンドゥー教徒以外は寺院内部へ入ることは出来ませんが、運が良ければ柵越しに犠牲の儀式を見ることができます。

 

■花市場

花市場
花市場

血を好むカーリーへ捧げるための赤いハイビスカス、ヒンドゥー教で好まれるオレンジ(サフラン)色のマリーゴールド等多くの生花が取引される広大な市場です。いつも多くの人でごった返しており、海岸沿いの湿った空気とともにコルカタの街の熱気を感じる場所です。コルカタ港に繋がるフグリー川に沿って広がっており、川辺のガートでは沐浴する人の姿も見られます。ここからフグリー橋を越えて行くハウラー橋はコルカタのシンボルにもなっています。

 

■インド博物館

インド博物館
インド博物館

植民地時代の1817年に開館したインド最古の博物館です。バールフットの塔門や仏舎利、また豊富な仏教・ヒンドゥー教の彫刻群などに加え、絵画や絹織物、動植物などの展示も充実しています。さらに収蔵品は5万点を越え、1日では巡りきれないほどの見応えのある博物館です。

 

バールフットの塔門
バールフットの塔門

 

■マザー・テレサ・ハウス

マザー・テレサの彫像
マザー・テレサの彫像

1929年からインドで活動したマザー・テレサ。コルカタでは1948年から1997年まで活動を行っており、彼女が晩年を過ごした場所は今でも修道女たちの活動の場として利用されています。マザー・テレサの廟もここに置かれており、現在でも多くのキリスト教徒が巡礼に訪れます。建物の一部は展示室として公開されており、マザー・テレサの活動の記録や生前に使っていた様々な道具が展示されている他、実際に彼女が暮らしていた部屋も公開されています。

 

 

カテゴリ:■インド東部・極東部 , インドの街紹介 , コルカタ , 西ベンガル州
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バーブルの生涯とムガル帝国建国

ムガル帝国」は、北インドを観光中、1日に一度ならず何度も何度もガイドの口から出てくるワードの一つです。

 

インドはイギリス植民地として支配下に置かれるまで、ムガル帝国によって支配されてきました。その支配力は常にインド全域に渡っていたものではありませんでしたが、特に北インドにおいては、広く諸勢力を支配下に置き、北インドは長い間ムガル帝国の基礎・拠点となってきました。

 

デリー、アグラを中心とする北インドエリアでは帝国の統治下において、インド・イスラーム文化が華開き、現代にも多くの遺産が受け継がれ、大切にされています。

 

今回は、その「ムガル帝国」建国までの歴史と、創立者であるバーブルについて紹介します。

 

バーブル(左)と息子フマユーン(右)
バーブル(左)と息子フマユーン(右) (出典:間野 英二 著 「バーブル―ムガル帝国の創設者 」山川出版社 2013年)

■生誕とサマルカンド奪還の野望

1483年、バーブルは現在のウズベキスタン東部に位置するフェルガナ地方にティムール朝の王子として生まれました。

父親は14世紀末に中央アジアに覇権を唱えたティムールの血、母親はモンゴル帝国のチンギス・ハンの血を継いでおり、バーブルは輝かしい出自であったと言えます(バーブル自体はティムールの5代目の子孫でした)。
フェルガナの領主の息子として育ったバーブルですが、1494年、父親の突然の事故死により、僅か12歳でフェルガナの領主となります。

 

当時サマルカンドを都としていたティムール帝国(1370-1507)は既に凋落の一途を辿っていました。諸勢力がサマルカンド獲得を巡って攻防を続けていましたが、バーブルもこの攻防に参加し、ティムール帝国の再興をもくろみます。

バーブルは1497年には従兄のバイスィングル、1500年にはウズベク系のシャイバーニー朝、また1511年には再度シャイバーニー朝を破って計3回のサマルカンド入城を果たしましたが、どれも短命政権に終わり、サマルカンドを後にすることとなりました。

 

現在のサマルカンド レギスタン広場
現在のサマルカンド  レギスタン広場(正面の神学校はティムール朝第4代君主ウルグ・ベクによって建てられました)

 

■インド支配への道

3度にわたるサマルカンド支配に失敗したバーブルは、サマルカンドから南部へと路線を変更します。アフガニスタンのカーブルに最初の拠点を築いたバーブルは、同じくアフガニスタンのカンダハール、パキスタンのペシャワール、そしてインドのパンジャーブへと進軍し、徐々にインド方面へ目を向けるようになっていきました。
1520年にはタジキスタン南部のバダフシャンを占領し、2年後の1522年にはさらに南下してカンダハールを占領。カーブルを拠点として、インド方面へと支配力を広げていきます。

 

また、バーブルはインドへ6度に渡って遠征を繰り返しています。カブールは大帝国の都としては十分な土地ではなく、始めは単に財貨の略奪を主目的としてインドへの遠征を行っていました。北西インドでは10世紀頃からイスラーム勢力の侵入が激しくなってきますが、このような財貨の略奪を目的とした遠征は当時としても珍しいことではなかったようです。

 

しかしインドへの遠征の中でバーブルはその豊かさに驚き、次第にインドを拠点とした建国を目指すようになります。徐々に力を増したバーブルは、当時の北インドのイスラーム勢力の内部抗争を好機とみて本格的な侵攻へ向かいます。1526年、第6次の遠征で、バーブルはデリーから北西に約90kmのパーニ―パットにてローディー朝を破り、デリー・アグラヘ入城。ここから、単なる略奪ではなく、インドに拠点を置いての本格的な支配へと移行していきます。

 

第一次パーニーパットの戦い
第一次パーニーパットの戦い(画像出典:パーニーパット県公式Webサイト)

 

若くから各地を転々とし建国の野望を秘めていたバーブルは、43歳にしてようやくムガル帝国の建立に至りました。「ムガル」とは、ペルシャ語でモンゴルを意味する語が変化したもの。バーブルがティムールの子孫であり、モンゴル系の血統を継いでいることに由来しています。実際はムガル帝国という名は自称していたものではなく、自称としてはヒンドゥスターン(ペルシャ語で「インダス川の土地」を意味)と名乗っていたようです。

 

当初はデリーとアグラ周辺を支配する小国に過ぎなかったムガル帝国ですが、バーブルは息子で後に第2代ムガル皇帝となるフマユーンとともに、ガンジス川沿いに東方のビハール、そしてベンガル地方へ遠征を繰り返して勝利を治め、インドでの支配基盤を整えていきました。

 

■バーブルの最期

1530年、病に倒れ遠征から帰ったフマユーンのため、バーブルは自らの命を捧げてフマユーンの回復を祈る儀式を行います。フマユーンは無事回復しますが、それからほどなくした1530年12月26日、バーブルはアグラにてその47年の生涯を閉じました。

 

諸国を遍歴し、ムガル帝国の建立後も僅か4年でその生涯を終えたバーブル。文学と書物を愛し、詩人でもあった彼は、その自伝を『バーブル・ナーマ』(バーブルの書)として書き記しており、まさに波乱万丈の生涯を窺い知ることができます。

 

バーブル・ナーマ
バーブル・ナーマの一部

 

バーブルは、自らの死後は初めて自分が拠点としたアフガニスタンのカーブルに葬ることを遺言として残していました。しかし、バーブル死後の戦乱のためにカーブルへの埋葬は叶わず、まずはヤムナー川沿いのラーム・バーグ庭園に葬られることとなります。バーブルの治世は僅か4年でしたが、このラーム・バーグ庭園はその中でバーブルが命じて建造した数少ない建築物でした。

 

その後、バーブルの棺はカーブルに移され、現在にまで伝えられています。

 

 

バーブルの墓
バーブルの墓(アフガニスタン カーブル)

 

Text by Okada

カテゴリ:■インド北部 , インドの偉人
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ダージリン④:ヘリテージホテル ・ウィンダメア

ナマステ、西遊インディアです!

ダージリンはインド国内外から多数の観光客が訪れる一大観光地となり、現地には多数の宿泊施設が建ち並ぶようになりました。全室ヒマラヤビュー、街の中心地にある、リーズナブル、コロニアル風…等々、様々なこだわりやポイントを打ち出したホテルがあり、選択肢は幅広いです。

 

そんなダージリンでの宿泊ですが、今回は弊社スタッフ一押し「ウィンダメア・ホテル(Windamere Hotel )」について紹介します。

 

Daejeeling
ホテル・ウィンダメアへ!
Darjeeling
コロニアルロイヤルスイーツ ベッドルーム Windamere WEBサイトより

 

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メインハウス内にある暖炉のあるコモンルーム クリスマス前だったのでお部屋は装飾されていました!

 

 

■歴史

ダージリンは、19世紀インドを植民地にしていたイギリスの統治下におかれ、在印英国人の避暑地・学校の街として開発されました。また、今となっては紅茶の最高峰として世界に知られるダージリンティーも、この時代に栽培が始まっています。そんな中、イギリス人の紅茶農園主人の邸宅として1841年に建てられたのがこのホテルの始まりです。後に改築され、1930年代からホテルとしての経営が始まりました。当時の調度品、雰囲気をそのまま残し、サービスもイギリス統治時代のまま受け継がれています。

その後増築もされ、敷地内にはメインハウスの他に、コテージタイプの棟も建てられました。

 

 

Darjeeling
ホテルのコテージ部分

 

 

■ウィンダメア・ホテルでの宿泊

ホテルが位置するのは、ダージリンのランドマークともいえるオブザーバトリーヒル。見晴らしが大変よく、中庭にはルーフトップへの階段も設置されていて、晴れていればヒマラヤ山脈を見渡すこともできます。
ウィンダメアホテルの敷地面積は結構広く、整備されたお庭も広がっていますので、晴れていればお散歩も楽しめます。

街の中心まで徒歩圏ですが、高台にあるため一日中大変静か。静かにゆったりとくつろぐことが出来ます。

 

Darjeeling
12月はマリーゴールドがきれいに咲いていました

 

Darjeeling
見晴らしの良い中庭

ウィンダメアホテルは、イギリス植民地時代の雰囲気をたっぷり残しておりますが、その一助になっているのがホテル内の調度品や設備品の数々。特にお部屋の暖炉が素敵でした。ダージリンは標高があるため朝・夜は冷え込みますが、空調はありません。代わりに、各部屋には暖炉が設置されており、スタッフが火をくべて温めてくれます。

訪問したのは12月でしたが、この暖炉のおかげで朝まで一度も寒さを感じることなく休むことができました。各お部屋は天井が高く、結構な広さがありますが、暖炉の威力ってすごいな…と実感。

 

Darjeeling
暖炉に火を灯してくれました
客室の暖炉の一例

 

 

■ハイティー

ダージリンに来たのであれば美味しい紅茶を味わいたいですよね。ウィンダメアホテルでは、毎日夕方ごろに宿泊ゲスト用にハイティーのサービスがあります。使用されている紅茶は、キャッスルトンという紅茶農園のセカンドフラッシュ。とても香り高い紅茶です。

アフタヌーンティーのメニューは、野菜のサンドイッチ、ビスケットケーキ、クッキー、等々。もちろんハイティーには欠かせないスコーンもあります。ジャムやクロテッドクリームを添えていただきます。

 

英国の雰囲気漂うウィンダメア・バーでゆっくりソファに腰掛けていただくも良いですし、晴れていればテラスで、ダージリンの澄んだ空気とともにダージリンティーを味わいながら過ごすのも素敵です。

 

焼き菓子を提供してくれます
Darjeeling
ウィンダメア・バー
Darjeeling
ウィンダメアの紅茶はホテルで購入可能です!

 

■食事

食事は、ダイニングルームでいただきます。キャンドルの明かりだけで灯されている夕食は、雰囲気たっぷりでまるでタイムスリップをしたよう。コンチネンタル料理とインド料理を楽しむことが出来ます。

 

ダイニングルーム  蝋燭が灯されロマンティックな雰囲気
サーブしてくれました
朝食の例 ダージリンティーと一緒に

 

 

ウィンダメア・ホテルでは、インドの他の場所ではなかなか体験できない優雅な時間を過ごすことが出来ます。

伝統的なホテルに滞在する特別な週末はいかがでしょうか。

 

 

 

 

≪西遊インディアのツアーの紹介≫

■世界遺産トイ・トレインに乗車 ヒマラヤと紅茶の里ダージリン2泊3日 英語ガイド同行

 

 

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ダージリン③ 世界遺産 ダージリン・ヒマラヤ鉄道

ナマステ、西遊インディアです!
ダージリンを紹介する第3回目の記事では、「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」を紹介します。

「インドの山岳鉄道群」として、インド国内3か所の鉄道が世界遺産登録されていますが、ダージリン・ヒマラヤ鉄道はその中でも1番初めに登録された、アジア最古の登山鉄道です。

  

■ダージリン・ヒマラヤ鉄道とは?

トイ・トレインという愛称で知られるダージリン・ヒマラヤ鉄道は、西ベンガル州の交通の要衝であるシリグリのニュー・ジャルパーイーグリー駅から、ダージリン駅までの約88Km、高低差2000mをつなぐ登山鉄道です。

ダージリン・ヒマラヤ鉄道は、1999年に世界遺産に登録されましたが、その後、南インドのニルギリ山岳鉄道(2005年登録)、カールカー・シムラー鉄道(2008年登録)も追加となり、現在は世界遺産「インドの山岳鉄道群」として登録されております。

ダージリン・ヒマラヤ鉄道は、鉄道における世界遺産としては世界で2番目の登録でした(1番目はオーストリアのゼメリング鉄道です)。

 

 

ダージリン・ヒマラヤ鉄道

 

■開通に至るまで

1879年、紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るためにイギリス人が建設を開始しました。レール幅を610mmとかなり狭くなっておりますが、これは現地に既に存在していた山道や地形を流用しやすいようにしたためです。

 

機関部分には小回りの利く小型タンク機関車を採用しました。トンネルを掘ってレールを敷くとコストがかかってしまうため、山間を縫うように路線を設定しました。そのため全行程の約70%がカーブ区間となっています。イギリス産業革命により発明された当時の最新技術を駆使して造ったと言われています。

 

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レール幅61センチ! なんとも可愛らしい!

蒸気機関車は、イギリスのグラスゴー製で、最も古いもので130年、最も新しいもので120年経っているとのこと(いずれにしても古いですね)。

お客様用の車両は、1車両約40席ほどですが、古い機関車であまりパワーが無いので、2両までしか牽引できません。

実際に乗ってみると、古い機関車がよいしょ、よいしょと一生懸命坂道を登っていく感じが、なんとも応援したくなります。

 

 

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100年以上使われている蒸気機関
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ダージリン・ヒマラヤ鉄道の車両

 

 

■トイトレインに乗ってみよう!

ダージリン・ヒマラヤ鉄道は本来始発駅から乗車すると7時間程かかりますが、観光客用に、ダージリンから出発する「JOY RIDE」という列車が走っています。このJOY RIDEに乗れば、ダージリン駅からグーム駅までの往復2時間の乗車を楽しむことが出来ます(ご希望であれば片道のみの利用でグーム下車も可能です)。

グーム駅は、標高2,258mと、世界で2番目に標高が高い場所に位置する駅です。

 

ダージリン駅

ちなみにこのJOY RIDEの列車チケットを予約の際に、蒸気機関か、ディーゼルかは予め分かるようになっておりますが、蒸気機関車はよく調子が悪くなり、メンテナンスに入ることもしばしば。そのため折角蒸気機関で予約が取れていても、当日ディーゼルが来た…ということも少なくありません。乗車日当日は、ダージリン駅で蒸気機関が目の前に登場するまでは油断できませんのでご注意ください。

 

乗車していよいよ出発!

 

Darjeeling
街中を走るダージリン・ヒマラヤ鉄道
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街中に敷かれているトイトレインの線路。

 

蒸気機関車は大量の煙と灰を吐き出しながら、ダージリン駅からグーム駅までの8kmを時速約10kmでゆっくりと走っていきます。

駅を出発して前半は、ダージリンの街中を走ります。線路ぎりぎりまで家や商店が建てられていますので、ぶら下がっている売店のスナックや洗濯物にも手が届きそうな距離です。時速10キロというゆっくりなスピードですので、車はもちろん、途中自転車にも追い抜かれました。

こうして人力に近いスピードで、地元の人々の生活風景の一部を見ることが出来るのは他の世界遺産登録されているニルギリ鉄道、カルカ・シムラ鉄道にはなく、独特の面白さがあります。

煙を上げて走っていく間、窓が開いている車内には煙の匂いが漂い、煤が顔にあたり少し黒くなっている人もいました。日本ではなかなか珍しくなってきた機関車の旅、やっぱりいいものですね。

 

列車は街を抜け、標高を上げながら走っていきます。どんどん緑が多くなってきました。

 

 

Darjeeling
グーム駅に向けて走っていきます

 

グーム駅に到着する手前、バタシア・ループで10分程停車します。バタシアは、ネパール語で「風が強い」という意味があり、実際に風の強い場所のようです。ループとは、急こう配の坂を登る際に、高度調整をするために大きく円を描くように線路が回る所のこと。このバタシア・ループは、数か所あるループの中で最も美しいとされている所です。

 

Daejeeling
バタシアループ
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バタシアループの広場。いいお天気でヒマラヤの展望もバッチリ
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グルカ兵戦没記念碑

バタシア・ループはちょっとした広場となっており、ネパールの山岳民族から構成されるグルカ兵の慰霊碑も建てられています。

 

そして天候に恵まれれば、カンチェンジュンガとトイ・トレインのツーショットをカメラに収めることもできます!

 

Darjeeling
白く美しいヒマラヤと青い空と黄色いマリーゴールドの花と鉄道

 

世界遺産の鉄道に乗って、一味違うダージリンの街並み、ヒマラヤの展望を味わってみてはいかがでしょうか。

鉄道好きな方は、ぜひ「インドの山岳鉄道群」の3つ制覇を目指してみてください!

 

Darjeeling

 

 

≪西遊インディアのツアー紹介≫

世界遺産トイ・トレインに乗車 ヒマラヤと紅茶の里ダージリン2泊3日 英語ガイド同行

 

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