バハイ教の礼拝堂ロータス・テンプル

ナマステ!西遊インディアです。
先日、南デリーにあるロータス・テンプルを訪れてみました。バハイ教という、イスラム系一派のバブ教から発展した新宗教の礼拝堂です。
その名のとおり蓮の花の形をした建築が特徴的で、このインパクトのあるビジュアルに、ガイドブックなどで見覚えがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ロータス・テンプル

「ロータス寺院」「バハーイー寺院」などともよばれますが、正式名称は「Bahá’í House of Worship」といい、デリーメトロのOkhla NSIC駅から徒歩5分ほどの場所にあります。今回は土曜日のお昼に訪問。近くにはカーリー女神を祀ったカルカジ・マンディルというヒンドゥー教寺院があり、参拝する人で行列ができていました。

入口付近はオートリキシャがたくさんいるので、帰りはリキシャも便利です。女性ドライバーの電動オートもありました

– バハイ教とは

1844年成立、イランでバハー・ウッラー(バハ・オラとも)によってひらかれた宗教。国連登録NGO機関として、教育や女性の職業訓練の支援など国際的に活動している団体でもあります。「人類の平和と統一」「宗教と科学の調和」「男女平等」などを原則とし、特定の神様や教義を押し付けるのではなく、異なる信仰や文化を尊重する姿勢を大切にしています。

 

デリーのロータス・テンプルも、「すべての人が信仰・国籍・カースト・性別・民族にかかわらず、並んで祈りを捧げることができる場所」とされています。

実際、リキシャやタクシーのドライバーさん、ガイドさんに「ロータス・テンプルはバハイ教の寺院?」と聞いても、「All religions(すべての宗教)だよ」と答えが返ってくるほど。「誰でも皆がお祈りしてよい場所」という認識が浸透しているようでした。

 

デリーだとわかるアイコニックな場所、ということで観光スポットのように訪れる人も多く、ヒンドゥー教徒と見受けられる人々も寺院を訪れていました。

みんな家族や友達同士で写真を撮り合っていました

– インドとの関係

バハイ教はイラン発祥ですが、インドとの結びつきも深い宗教です。誕生した当初、バブ教(バハイ教の前身)の信者の一部はインドから来ていたため、早くから教義がインド各地に広まったようです。

1872年(明治5年)には、ペルシャのバブ教信者ジャマル・エフェンディがインドを巡り、バハー・ウッラーの教えを広めました。藩王の王族から庶民まで、カーストや宗教を問わず多くの人と交流をもったことで、多様なインド社会でもバハイ教の価値観が受け入れられていきました。20世紀の初頭にはムンバイやデリーにバハイ教徒のコミュニティができ、1923年にはインド全体の統括組織も設立されました。

– 建築の特徴

1986年に完成したロータス・テンプルは、各地にあるバハイ教の礼拝堂の中でも、建築がユニークかつ美しいことで知られています。

設計はイラン出身の建築家ファリブルズ・サバ氏。インド各地の宗教建築を視察した際に、異なる宗教であっても共通して蓮の花が神聖視されていることに注目しました。そこに着想を得て、バハイ教の理念である「純粋さ・シンプルさ・清らかさ」の表現として、開花する蓮の花を模したデザインを採用したのだそうです。

 

建物外部は、27枚(9枚×3層)の花びらを模したパネルで構成され、外側は白大理石で覆われています。大理石は合わせて10,000平方メートル分(サッカーコート1面半くらい)、ギリシャで採掘し、イタリアで加工されたものだそう。礼拝堂を囲む9つのプールは蓮の葉を表現しており、デザイン性だけでなく、夏場には建物を自然に冷却する効果もあるそうです。

礼拝堂の内部はドーム構造になっており、花びらの間から自然光が差し込む設計。一度に最大1300名を収容できます。

礼拝堂を囲むプール

– 見学してきました!

Okhla NSIC駅から徒歩約5分、入口ゲートから整備された遊歩道を流れに沿って歩くと、蓮の花のような建物が見えてきます。

礼拝堂の手前右側に半地下のような建物があり、インフォメーションセンターになっています。ロータス・テンプルの構造がわかるジオラマ、バハイ教の教義や歴史を解説するパネル、海外にある礼拝堂の写真などを展示。ボリュームはコンパクトなので、ぐるっと見て回って10~15分ほどでした。
撮影禁止のため写真はありませんが、日本語を含む多言語のパンフレットが置かれており、書籍の販売コーナーもありました。

日本語リーフレットと引用句ブック

ブックには展示の引用句が

流れに沿って階段をのぼり、ぐるっと礼拝堂の入口まで進んでいきます。途中で靴を脱ぐところがあるので、無料で借りられる靴袋に入れて持ち歩きます。よく掃除されているのか、そこまで靴下は汚れませんでした。

 

礼拝堂の内部は、入場者数を制限しながら見学者に開放している方式です。入口に一定の人数が集まるまで待ち、簡単な説明があったのち、中を自由に見学できます。入場前の説明は基本はヒンディー語ですが、必要に応じて英語でも説明してくれます。

 

堂内では写真撮影や私語は禁止。静かな空間で椅子に座って、思い思いにお祈りや瞑想をすることができます。

今回は土曜日のお昼に訪れましたが、1日4回行われるという祈祷の時間を外していたためか、比較的空いていて落ち着いた雰囲気でした。興味のある方は、祈祷の時間に合わせて見学することもできるそうです。

 

インフォメーションセンターと礼拝堂、両方を見学して、滞在時間は全体で40分ほどでした。礼拝堂の中に入らず、外観だけ見学することもできます。個人的には、先にインフォメーションセンターで情報を知ってから、礼拝堂の見学をするのがおすすめです!

 

■基本情報メモ
・開館時間:8:30〜18:00(4月〜9月)/8:30〜17:00(10月〜3月)
・休館日:月曜日
・祈祷の時間:10:00、12:00、15:00、17:00(各回約15分)
・入場無料
・アクセス:デリーメトロ・マゼンタ線「Okhla NSIC」駅より徒歩約5分

 

 

※寺院の情報は2025年6月訪問時のものです。

参考:Bahá’í House of Worship公式サイト

 

Photo & Text: Kondo

 


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デリーで会えるジャガンナート神

寺院に祀られたジャガンナート三神

ナマステ!西遊インディアです。

今年も、オリッサ州プリーで開催されるヒンドゥー教のお祭りラタ・ヤートラ(Ratha Yatra)の日が近づいてきました。
今年の開催日は2025年6月27日。ラタ・ヤートラは、クリシュナ神の化身であるジャガンナート神に捧げるお祭りで、毎年、インドの太陰暦におけるアーシャーダ月(現代の6〜7月)のうち、シュクラ・パクシャという新月から満月へと月が満ちる期間に盛大に祝われます!

巨大な山車に乗ったジャガンナート神と、その兄・妹の神様の像が、プリーのジャガンナート寺院から町を練り歩き、インドでも最も賑やかで有名な行事のひとつ。
そのお祭りにちなんで、前回紹介したホーズ・カース(Hauz Khas)遺跡と同じエリアにあるジャガンナート寺院(Jagannath Mandir)を訪れた際の様子をまとめてみました!

 

ジャガンナート寺院の入口

オリッサ州の伝統的な建築様式を取り入れた、白い塔門が美しい寺院。寺院上部のシカラ(塔)は漆喰仕上げの彫刻で飾られていて、層状に積み重ねられたトウモロコシのようなフォルムと渦巻き状の形は、かつてオリッサで栄えた王国カリンガの古典様式が感じられるものです。
入口には、寺院を護る象に乗ったシンハ(獅子)の像が立ち、門の上部には花飾りや鈴が吊るされていて、お祭りの日にはさらに華やかに装飾されるそうです。

 

ジャガンナート三兄妹

寺院の内部には、左から兄のバラバドラ(バララーマ)、妹のスバドラー、ジャガンナート神の三神像が並び、きらびやかな装飾とともに祀られています。

去年の7月に訪れたときは日曜の13時頃。はじめは扉が閉まっていましたが、ちょうどお昼のプラサード(お供物)を捧げるダルシャン(ご神体の拝観)の時間になったようで、神像を拝むことができました。

 

ご神体を拝む人々でぎゅうぎゅうです

寺院の中はたくさんの参拝者で賑わっていました。
現地の方に聞くと、1日に数回ダルシャンの時間が設けられており、それ以外の時間帯は扉が閉じられているそうです。

 

そもそも、ジャガンナート神(Jagannath)とはどんな神様かというと、「宇宙の主」「世界の守護者」という意味をもつ、ヒンドゥー教の神様のうちのひとつ。
もともとはオリッサ地方で信仰されていた土着の神様でしたが、ヒンドゥー教にとりこまれ、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナ神と同一視され信仰されています。

ジャガンナート寺院(プリー/オリッサ州)

プリーのジャガンナート寺院は、ヒンドゥー教における四大巡礼地「チャール・ダーム(Char Dham)」のひとつに数えられています。
ちなみに他の3つは、北のバドリナート、南のラーメーシュワラム、西のドワルカです。

 

オリッサ州ブバネーシュワルに祭られているインドセンダンの木を塗装したジャガンナートの像 Krupasindhu Muduli, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ジャガンナート神の特徴はなんといっても、そのユニークなビジュアルです!
丸い大きな目と丸太の柱のような体は、他のヒンドゥーの神々とはまったく違うもので、一度見たら忘れられないインパクト(日本人からすると、キャラクターのような親しみやすい雰囲気も?)があります。

 

このジャガンナート神の独特な姿には、ある伝説が残されています。
ある時、クリシュナ神の遺骨を納めた木製の像を作るため、オディシャの王が職人ヴィシュヴァカルマンに依頼しましたが、彼が依頼を受ける条件として「完成まで絶対にのぞかないこと」という約束をしました。しかし、王(または王妃)は、作るのを失敗していないか、好奇心に負けてのぞいてしまいます。すると職人は姿を消し、未完成のままの像が残っていた…というお話です。
現在のジャガンナート神の像に手足がないのは、この伝説に由来しているともいわれています。

とはいえ、この話は後から作られたという説もあり、もともとはこの地域で古くから信仰されてきた土着神であったとも考えられています。

 

ラタ・ヤートラ当日は、プリーの様子が毎年ライブ配信されています。
こちらは2024年の配信ですが、山車を曳く人々の熱気(と、ものすごい数の人々!)が画面越しにも伝わってきます!なんでも、この山車にひかれて亡くなると、ヴィシュヌの天国ヴァイクンタへ行けるといい、昔は山車の前にとびこむ人もいたそうです。

今年もおそらく同様の配信があると思いますので、ご興味のある方はチェックしてみるとおもしろいかもしれません。

 

デリーのジャガンナート寺院でも、ラタ・ヤートラの当日には山車を曳くお祭りが催されるとのこと。
オリッサ州からデリーに移り住んだ人々によって支えられているそうで、ラタ・ヤートラの雰囲気を感じられる場となっています。

 

デリーにいながらにしてオリッサの文化にふれることができる、ホーズ・カースのジャガンナート寺院。
ラタ・ヤートラの時期にあわせて訪れてみるのもおすすめです!

 

<おまけ>
デリーの手工芸品マーケット「Dilli Haat」のオリッサ州のブースで、ミニサイズのジャガンナート神三兄妹の置物を見つけました。デリーでもこうした民芸品を通じて、ジャガンナート神に出会えるのもなんだかうれしいですね!

 

※寺院の情報は2024年7月訪問時のものです。

参考:Jagannath Mandir Hauz Khas公式サイト、INDIA TODAY、「インド神話入門」(長谷川明)など

 

Photo & Text: Kondo

 


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シュラバナベルゴラのジャイナ教寺院

巨大なゴマテシュワラ像

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、南インドの特別企画ツアーで訪れたジャイナ教寺院をご紹介します。
 
なじみのない方も多いと思いますが、ジャイナ教は仏教と同じ頃に生まれた、インド発祥の宗教のひとつです。

■ジャイナ教とは
インド発祥の宗教といえば仏教が思い浮かびますが、ジャイナ教も仏教と同時期頃に生まれたインド発祥の宗教です。紀元前6~5世紀に生まれ、開祖はマハーヴィーラ。仏教におけるブッダと同じ時代に生きた人だといわれています。
教えの特徴としては、徹底した苦行、禁欲、不殺生の実践を重んじることで知られます。5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)をもち、不所有の考えをベースに商業で成功した商人たちの寄進によって、見事な寺院がたくさん建てられているのも特徴です。
とくに、生きものを傷つけない「アーヒンサー」という戒律は重要視されていて、宗派によっては空気中の小さな生物も殺さないように、マスクのような白い小さな布で口を覆う人もいます。
ジャイナ教では、今私たちが存在している宇宙的時間軸において、24人の救済者(ティールタンカラ)が出現したと考えられています。そのうちの最後の一人が、開祖であるマハーヴィーラだとされています。
 

『カルパ・スートラ』より「マハーヴィーラの誕生」(一部分)、14世紀第4四半世紀

Mahavira マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)座像(15世紀)

 
インド南部、カルナータカ州の州都バンガロールに次ぐ大きな都市であるマイソールから約80km。車で約2時間走ると、シュラバナベルゴラ(シュラバナベラゴラ)Shravanabelagola の町に到着します。シュラバナベルゴラは大きな町ではありませんが、ジャイナ教の人々にとっては南インドにおける最大の聖地。町にはヴィンディヤギリ Vindhyagiri 、チャンドラギリ Chandragiri の2つの大きな岩山があります。
 

ヴィンディヤギリから望むチャンドラギリの丘

高い方のヴィンディヤギリの丘(約143m)の頂上には寺院があり、約18mの巨大なゴマテシュワラ像が立ちます。
 

Photo by Hasenläufer (original:Matthew Logelin) – This photo shows the lord bahubali statue from a different view.(2017) / CC BY 3.0

この頂上寺院では12年に一度、マスタカービシェーカ Mahamastakabhisheka というお祭が行われ、信者たちが像の上から神聖なギーやミルクを注ぐことで知られます(次回は2030年に開催予定)。
 

12年に1度、牛乳や香辛料などがゴマテーシュワラ像にかけられる様子
Photo by Matthew Logelin – Offerings poured over the Jain Lord Bahubali, the world’s largest monolithic statue.(2006) / CC BY 2.0

 

伝説によると、寺院の創建は紀元前3世紀までさかのぼります。当時この地域を治めていたのはマウリヤ朝のチャンドラグプタ王。その王が師と崇める、ジャイナ教の第6代教団長・聖典伝承者のバグワン・バドラワーフ Bhagwan Bhadrabahu とともに、この地にやってきたのがはじまりといわれています。

 

寺院へとつづく脇道を進むと、岩のふもとの周囲に小さな寺院がいくつかあり、門前町のようになっています。寺院入口には土産物売りの人に加え、寺院は靴を脱いで登るので靴下売りの人もいました。頂上にある寺院へ参拝するには、ここで靴を預けて裸足になり、645段の階段をひたすら登ります。

寺院の入口につづく脇道
裸足でひたすら登ります。けっこう傾斜があります!日影がないので暑い日は水分補給をお忘れなく。12月頭でも汗だくになりました

階段を登っていると、途中からデカン高原のパノラマが広がります。頂上からも見晴らしが良いため、地元の人の中ではバンガロールからの週末のお出かけスポットとしても人気があるそうです。私たちが訪れた日も土曜日で、学生の友達グループでにぎわっていました。

岩山の頂上は広場のようになっていて見晴らしもいいです。

頂上からの見晴らし。シュラバナベルゴラの町とデカン高原の緑が広がります

ここでゴール…かと思いきや、巨像がある本殿は、ここからさらに右奥につづく階段をのぼった先。もうひと踏ん張りして、本殿に到着しました。

さらに奥へと階段がつづきます

本殿の外観

本殿についたら、中を右繞(うにょう:時計回りで寺院内を参拝すること)しました。
中を進むと中庭のような広場があり、そこに「バーフバリ」ともよばれる巨大なゴマテシュワラ像が立っています。

巨大なゴマテシュワラ像

この像は、なんとひとつの大きな花崗岩からつくられているのだとか!10世紀に西ガンガ朝の大臣であったチャームンダラーヤの命を受けて建てられたことが、古いカンナダ語の碑文からわかっています。

 

寺院の入口に彫刻(上)と、内部に古い碑文(下)がありました

寺院内部に祀られているゴンマテーシュワラ像

巨像が作られた「バーフバリ」は、一番初めの救済者(ティールタンカラ)である「リシャパ」の子供と伝えられていて、本来の名前は「ゴンマテーシュワラ」といいます。ゴンマテーシュワラは兄弟間の闘いに勝利した経緯から、その異名としてバーフバリ(バーフ:前腕、バリ(バリン):力が強い=強い腕をもつもの)とも呼ばれます。
 
ゴンマテーシュワラが一年間ヨガの修行で微動だにしなかったことで、体に蔦が巻き付いて足元には蟻塚までできたという伝説があり、バーフバリの巨像はその姿を表現しています。
なぜ裸体の姿かというと、ジャイナ教の教えで物を所有することを拒む「無所有」が美徳とされる面があるため、衣類は身に着けず裸で瞑想を続けている様を表しています。

現在、ジャイナ教徒はインドの人口の約0.4%ほどしかいませんが、白衣派・裸で修行をする派閥とも多くの分派が派生しており、白衣派の人々はグジャラートやラジャスタンなどインドの西側、裸の派閥は南インドを中心に現代もつづいています。
 
シュラバナベルゴラは、インドでも有数の数多く石碑が集まる場所。ジャイナ教が始まって以来2500年以上の間、文化・芸術・建築などジャイナ教の人々に親しまれ、今なおその歴史がつづいています。
 

 

寺院内の柱や門に彫られた装飾もおもしろいです

 
■ひとくちメモ
ジャイナ教寺院の場合、5色の旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

 
Text & Photo: Kondo
 


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ヒンドゥー教の神・シヴァ神とリンガ信仰

ナマステ! 西遊インディアです。

ヒンドゥー教の三柱の主神の一つであるシヴァ。インド国内で圧倒的な人気を誇る神として無数の寺院が奉じられており、ヒンドゥー教の一つのシンボルともいえる存在です。

 

シヴァ・ファミリー 左からガネーシャ、シヴァ、パールヴァティ、スカンダ
シヴァ・ファミリー 左からガネーシャ、シヴァ、パールヴァティ、スカンダ (出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
踊るシヴァ(ナタラージャ)の像
踊るシヴァ(ナタラージャ)の像

今でこそ主神となったシヴァですが、アーリア人の『リグ・ヴェーダ』の中ではモンスーンの神・ルドラの別称とされ、神々というよりはアスラ(神に対しての悪魔)としてとらえられており、現在のような大きな力を持つ存在ではありませんでした。

モンスーン(暴風雨)による破壊と雨の恵みという2面性は後のシヴァに引き継がれ、アーリア人のインド進出後は土着のドラヴィダ系の神を吸収してシヴァ像が形作られていきます。現在の立ち位置は仏教やジャイナ教の勢力の拡大に対抗して行われたヒンドゥー教の再編成の中で徐々に土着信仰を吸収する中で生まれたものです。そのため、シヴァは元来の破壊と創造以外にも多くの事物を司るものとされ、またそれ自体が土着の神のヒンドゥー教化であるパフラヴィーやドゥルガーなどの女神を妻とすることで多くの神の領域を受け持っています。

 

そして、シヴァ信仰の最大の特徴となるのがリンガ信仰です。シヴァ寺院の奥の本殿には必ずシヴァリンガが置かれており、礼拝者たちが香油やミルク、花、灯明などを捧げています。

 

ムンバイ:エレファンタ島のシヴァ寺院のリンガ
ムンバイ・エレファンタ島のシヴァ寺院のリンガ

シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガと、リンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨーニから構成されますが、これは男女の合一を示すと考えられ、男女の神が一つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。シヴァリンガが置かれる寺院の内部は即ち女性の胎内であることを示しています。シヴァを象徴する存在でもあり、シヴァ派のヒンドゥー教徒たちは寺院だけではなく自宅でも小さなシヴァリンガを祀って礼拝をすることもあるそうです。

 

男根崇拝は世界各地にみられるものですが、アーリア人はそれを野蛮なものとして忌避していたことが『ヴェーダ』から読み取れます。しかし土地に根付いていた非アーリア的/ドラヴィダ的な宗教要素が復活してくるにつれ、リンガ信仰はシヴァ信仰と結びつき大きく発展していきました。いわばアーリア系とドラヴィダ系の信仰を結ぶ懸け橋のような存在として、シヴァ信仰は大きく広がっていったと考えられます。

 

リンガ信仰の発生を示すこんな神話として、伝えられる神話があります。

 


ヴィシュヌが原初の混沌の海を漂っていた時、光と共にブラフマーが生まれた。自分こそが世界の創造者であると主張して引かない2神が言い合っていると、突如閃光を放って巨大なリンガが現れた。2神はこのリンガの果てを見届けた者がより偉大な神であると認めることに合意し、ブラフマーは鳥となって空へ、ヴィシュヌは猪となって水中へ、上下それぞれの果てを目指した。しかしリンガは果てしなく続いており、2神は諦めて戻ってきた。するとリンガの中から三叉戟を手にしたシヴァが現れた。シヴァはヴィシュヌもブラフマーも自分から生まれた者であり、3神は本来同一の存在であると説いた。

 


 

ヒンドゥー教では宗派によって神話の内容やその主役が入れ替わりますが、シヴァが世界の創造主であるとするこの神話はもちろんシヴァ派のもの。他の宗派の神話では、それぞれの主神が世界の創造主であることを示す神話(これも様々なバリエーションがありますが…)が存在します。

 

毒を飲んだシヴァは、ニーラカンタ(青黒い頸)と呼ばれるように(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

ちなみにシヴァ神は中央アジア、東南アジア、そして日本にも広まり諸宗教に取り入れられています。日本の七福神の1人である大黒天は、シヴァから発展した神格であると考えられており、財と幸運の神として人気です。

シヴァ神のエピソードその他は、またの記事でご紹介いたします。

 


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ヴィシュヌの化身① マツヤ(魚)と大洪水神話

ナマステ!
前回、ヒンドゥー教3大神のひとり・ヴィシュヌ神についてご紹介しました。
世界維持神・ヴィシュヌ

ヴィシュヌ神は、古代インドの聖典リグ・ヴェーダではインドラの協力者として登場する程度の存在でしたが、ヒンドゥー教の成立・発展の過程で各地の神々を化身として取り込み、主神の一つとなりました。ヴィシュヌ神の化身の数はヴィシュヌ派内でもいくつか考え方がありますが、もっとも一般的な主流の考えでは全部で10の化身が存在するとされています。

 

■ヴィシュヌの10の化身

1.マツヤ(魚)
2.クールマ(亀)
3.ヴァラーハ(猪)
4.ナラシンハ(人獅子)
5.ヴァーマナ(矮人)
6.パラシュラーマ
7.クリシュナ
8.ラーマ
9.ブッダ
10.カルキ

 

今回より、10の化身とそれにまつわる物語を何回かに分けてご紹介していきます。また、ヒンドゥー教の神話に登場する様々な用語や登場人物についても解説していきます。

 

1)マツヤ(魚)

大洪水を予言した魚の姿。次のような神話が伝えられています。

 


聖仙サティヤヴラタが河で祭祀を行っていると、一匹の魚が手のひらに飛び乗った。サティヤヴラタが魚を河へ戻そうとすると、魚は他の大きな魚に食べられないように保護してほしいと言う。サティヤヴラタは魚を連れて帰り壺に入れて飼い始めたものの、日ごとにどんどん大きくなる魚をとうとう飼いきれなくなり、海へと戻そうとする。

 

魚は「7日後に大洪水が来る。私が船を用意するから、すべての生物と植物の種、7人の聖仙を集めて待て」と告げてサティヤヴラタと別れるが、7日後にサティヤヴラタが指示通りに生物を集めて待つと予言通りに大洪水がやってきた。金色の巨大な体で現れた魚はサティヤヴラタ達を乗せた船に大蛇・ヴァースキを結び付け、ヒマラヤまで船を引っ張り助けた。

 


魚(マツヤ)の化身像
魚(マツヤ)の化身像(出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)
魚(マツヤ)の化身
魚(マツヤ)の化身 (出典:長谷川 明 著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

巨大な魚として登場するヴィシュヌは、ノアの箱舟に通ずるようなこの大洪水神話において、聖仙を救う存在として描かれます。ここで登場するヴァースキは蛇王(ナーガ・ラージャ)のひとつ。神話上ではヴィシュヌの乗るガルーダの母親の姉妹・カドゥルーが1000のナーガ(竜/蛇)を生み、ヴァースキはそのうちの一つ、ガルーダとは従兄弟に当たる存在です。蛇王ヴァースキは次に紹介するクールマの神話にも登場します。

 

また、聖仙はサンスクリット語では「リシ」と呼ばれ、厳しい修行によって時に神々をも凌駕するほどの力を持つ仙人を指します。神々の世界と人間の世界の中間の存在として、ヒンドゥー教の神話では重要な役割を与えられています。

ヴィシュヌによって全人類を滅ぼした大洪水から助けられた聖仙サティヤヴラタは、洪水後に人類の始祖となり、「マヌ」という称号を与えられたとされます。

 

ノアの箱舟で知られるように、大洪水神話はメソポタミア・ギリシア世界を始め、アジア沿海部や太平洋沿岸の南北アメリカ大陸にも類例のある神話です。メソポタミアをその起源とする説もありますが、これはメソポタミアでの神話は文字史料として残されている物語が多いために研究が進んでいるだけだという指摘もあります。実際の起源がどこにあるのかに関しては史料に乏しく、憶測の域を出ません。

 

アララト山
トルコ東端に位置するアララト山。ノアの箱舟が漂着した地とされています。

 

紀元前1500年頃に中央アジアからインドへ移住したアーリア人ですが、その際に集団の一部はメソポタミアへ向かっています。世界各地に点在する洪水神話の中でもメソポタミアとインドのストーリーは共通性が高いことが指摘されており、中央アジアを故地とする両者はある時期まで共通した神話のストーリーを持っていたと考えられます。

 

Text by Okada

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