ソンプール・メーラ ①最新版お祭りレポート

満月の前夜、ガンダック川に集まる女性(ソンプール・メーラ)
満月の前夜、ガンダック川に集まる女性(ソンプール・メーラ)

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、ビハール州ソンプールで行われるお祭り「ソンプール・メーラ」を、「原インドの祈り ソンプール・メーラ」のツアーで2025年11月5日訪問した際の最新レポートをお届けします!コロナ禍や近年のインドの変化を経た、現在のソンプールの様子です。

 

▼過去の記事はこちら

  • インドらしい祈りの風景に出会う ソンプール・メーラ
  • ビハール州に関連する記事
  •  

    ソンプール・メーラ 
    Sonpur Mela

    ヒンドゥー暦カルティカ月の満月の日を起点に、約1か月にわたって続く大祭です。満月の日は特に縁起が良いとされ、ガンジス川とガンダック川が合流するソンプールの地に、インド各地から多くの巡礼者が集まります。川沿いのガートや寺院での祈りと、家畜市、露店、遊園地の「信仰・交易・娯楽」が一体となった、インドらしい独特の雰囲気が魅力です。
    ソンプール・メーラは、象・馬・牛・ラクダなどが集まるアジア最大級の家畜市としても有名です。その歴史はB.C.300年頃まで遡り、マウリヤ朝のチャンドラグプタ王がここへ象や馬を買いに来たことが起源と言われています。当時は近隣のハジプールが会場でしたが、ムガル帝国6代皇帝アウラングゼーブの時代に現在のソンプールへ移されたといわれています。
    ※ちなみにガンダック川は、ネパールのムスタン地方を流れるカリ・ガンダキ川と同一水系です。ネパール側(上流)とインド側(下流)で名前が変わります。
    ※ご参考:ビハール州政府のソンプール・メーラ紹介ページ

     

    満月前日の夕方 ソンプール・メーラ会場とガートの下見

    2025年は、お祭りの期間中にビハール州の選挙が急遽行われるというイレギュラーな状況でした。その影響で正式な開会が遅れ、動物市や移動式遊園地エリアはまだ準備段階の様子。(インドではこうした行政判断が急に入ることもあります。記憶に新しいところでは、高額紙幣の廃止が印象深いでしょうか…!)
    また、川の水位が高くボート遊泳が禁止されオレンジの幕が立っていましたが、その分、地上で巡礼者にまじりながら、人々と同じ目線で祈りの様子や寺院の見学をすることができました。

    遊園地のアトラクションも絶賛建設中
    遊園地のアトラクションも絶賛建設中

    移動式トランポリンは6分10ルピー(20円くらい)
    移動式トランポリンは6分10ルピー(20円くらい)

    さて、満月の前日の夕方にさっそく下見にいくと、すでにたくさんの人々が川岸に集まっていました。満月にあわせて前夜から多くの巡礼者が集まりはじめます。
    一度宿に戻り、翌朝日の出前の暗いうちに出発。眠気覚ましに露店で熱いチャイを一杯いただいて、ガートに向かう人々に混ざって参道を歩きます。

    前日の夕方、カーリー・ガートにて
    前日の夕方、カーリー・ガートにて

    ■ カーリー・ガート Kali Ghat

    ソンプールには主なガートが3つあり、それぞれに異なる雰囲気があります。
    最も大きく多くの人が集まるカーリー・ガートは、夜明け前から人の流れが絶えません。グループで集まってバジャン(神様に捧げる歌)を歌う人や暖をとって日の出を待つ人々の姿もありました。

    日の出前から大盛況
    日の出前から大盛況

    巡礼者であふれる参道
    巡礼者であふれる参道

    ガートに向かう家族
    ガートに向かう家族

    バジャンを歌う人たち
    バジャンを歌う人たち

    川岸で暖をとる人々
    川岸で暖をとる人々

    お供え物を売る女性
    お供え物を売る女性

    ガートでは、マリーゴールドの花を手にした人や、小さな素焼きのランプ「ディヤ」に火を灯す人の姿も見られます。川面にディヤを浮かべると、祈りを光とともに流すという意味があるのだそう。
    「ディヤ」に火を灯す人

    大勢でにぎわうカーリー・ガート
    大勢でにぎわうカーリー・ガート

    ■ ノーラッカー・ガート Naulakha Ghat

    2つ目に大きいノーラッカー・ガート。カーリー・ガートからゆっくり歩いて30分弱、こちらは地元の人々が中心の素朴なガートです。ちょうど朝日が川面に反射する美しい時間帯でした。小さな祈りの儀式(プジャ)を行う家族もおり、静かで優しい雰囲気の場所です。
    ちなみにノーラッカーとは、ヒンディー語で直訳すると「90万ルピーのガート」という意味。近くの寺院が90万ルピーかけて建設されたことに由来します。また、ものすごく高価な場所=宝のように大切な場所、というようなニュアンスもあるようです。
    ノーラッカー・ガート

    幸福を祈り額にティカを付け合う女性たち
    幸福を祈り額にティカを付け合う女性たち

    近くの寺院前に置かれていたナンディ(牛)
    近くの寺院前に置かれていたナンディ(牛)

    花とランプのお供えを準備する女性たち
    花とランプのお供えを準備する女性たち

    ■ ハーティ・ガート Hathi Ghat

    最後に、ノーラッカー・ガートからさらにゆっくり歩いて30分弱、鉄橋のたもとにあるハーティ・ガートへ向かいました。かつてはここで象(ハーティ)が水浴びをしていたことからその名が付いたそうです。ここもローカルな雰囲気がただようガートです。
    ハーティ・ガート

    牛のおでこにもティカがつけられていました
    牛のおでこにもティカがつけられていました

    近くの村から来てプジャをしていたご家族
    近くの村から来てプジャをしていたご家族

    滞在には、今回も州政府が運営するツーリスト・テントを利用しました。
    ソンプールは一般的な観光地ではないため、旅行者向けの宿泊施設が少なく、現地に滞在するか、周辺の街から訪れるかによって、見学の流れや時間の使い方も少し変わってきます。
    シーズンのみ設営されるため設備は簡素ですが、室内には蚊帳もあり、天井も高く、見た目以上に窮屈さは感じませんでした。

    ツーリスト・テント
    ツーリスト・テント

    テントの一例。マルチプラグ電源でした
    テントの一例。マルチプラグ電源でした

    発電機があり、ちゃんとお湯もでました!
    発電機があり、ちゃんとお湯もでました!

    夜間は警備スタッフが見回りをしているので安心感がありました。宿泊環境は、コロナ禍以前よりもかなりアップデートされているのではないでしょうか。

     

    今回の訪問では、遊園地などの派手な催しが少なかった分、イベント的な「祭り」というよりも、より信仰行事の側面が際立って見えたように思います。お祭り自体は同じでも、訪れる年によって少しずつ違った雰囲気を感じられるのも、多くの人が集まる巡礼地ならではの魅力だと感じます。

     

    次回は、ソンプールの中心にあるヒンドゥー教寺院、ハリハルナート寺院についてご紹介します。
    シヴァ神とヴィシュヌ神を同じ場所にあわせて祀る、珍しい寺院です!

     

    ※お祭りの情報は2025年11月訪問時のものです。

     

    Photo & Text: Kondo

     


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    ラダックの地熱地帯 プガとチュマタン

    プガの湿地帯

    ジュレー!西遊インディアです。

     

    日本人になじみの深い温泉。インドにも温泉の湧く場所がいくつかあり、マナリ近郊のバシストやマニカランが有名ですが、ラダックにも温泉の湧き出る場所がいくつか存在します。
    今回はそのなかでも、ラダック南東部チャンタン高原、標高4,200mに広がる地熱地帯プガ(Puga)チュマタン(Chumathang)を訪ねたときのレポートです。

    温泉や泥湿池が点在し、それによってつくられたポコポコとした独特の地形など、地球のエネルギーを感じられる場所です。

     

    ・「地熱地帯」とは…

    地球の奥深くにある高温のマグマに、地下にしみこんだ雨や雪解け水が流れ込み、熱せられた水や蒸気が断層や割れ目を通って地表に噴き出します。その結果できるのが、温泉や間欠泉、泥火山などです。
    こうした構造が、ヒマラヤ山脈の地殻変動によって生まれたラダックにも存在しています。さらに、この熱い蒸気を使ってタービンを回すことで電気をつくるのが地熱発電です。

    プガ Puga

    レーからツォモリリ(湖)に向かう途中、分岐点スムドの近くにあるプガ。ポコポコとした地形はラダック東部でチラホラ見かけますが、ここは特に均一・広範囲に広がっていて、遊牧民や谷あいの景観と相まって独特の風景を生み出しています。

    プガ渓谷は標高4,200mほどの高地にあり、気候区分でいうとツンドラ気候に入ります。難しく聞こえますが、簡単にいうと「夏でもあまり暖かくならず、木が育たない草原や湿地が広がる気候」のこと。北極圏に広がるツンドラと似た環境が、ここラダックの高地にも見られるのです。

    地面がぽこぽこと盛り上がって見えるのは、地下で水や氷が凍ったりとけたりをくり返すことが大きな理由だそう。さらにプガの場合は、地下の熱によって湯気や熱湯が噴き出すため、ユニークな景観をつくり出しています。

    近付いてくると、硫黄のにおいと白い塩が見えてきます

    訪れたのは6月下旬。湿地の奥へ歩いてみました。

     

    独特の地形
    窪みにちょこんと座っていました。子どものヤクでしょうか

    途中で川のようになっている箇所を渡る必要があり、膝下まで水に浸かって進むと、熱湯が噴き出すポイントにたどり着きます。

    遠くに遊牧民の子どもたちが遊ぶ姿も

    思い切って入ると、冷たすぎず気持ちいいです!
    触ってみると結構熱く、水しぶきでも体感45℃くらいはありそうでした

    足元は泥にハマると膝まで沈むほど。周囲にはピカ(ナキウサギ)や羊、渡り鳥の姿もあり、自然観察の場としても楽しめました。

    渡り鳥の姿も。奥に見えるのは遊牧民のテントでしょうか

     

    近くのテントにはアムチ(チベット伝統医学のお医者さん)がいて、症状を伝えると湯治が必要かどうかを診断してくれるのだそう。

    ここはインド初の地熱発電計画が進められている場所でもあり、調査によると地下2〜8kmには200〜260℃の高温層があり、理論上は2メガワット(一般家庭100軒分をまかなえる規模)の発電も可能とされているようです。

    プガの湿地帯近くにて

    ゆくゆくはレーへ電力を送る構想もあるそうで、課題は様々あるようですが、インドのエネルギー分野で注目を集めている地でもあります。

     

    チュマタン Chumathang

    レーからツォモリリ方面へ向かう道で、ウプシからマヘ橋へ向かう途中、標高3,950mの場所にあるチュマタン温泉。硫黄を含んだ熱湯が地面から湧き出し、川辺に湯気を立てています。荒涼とした山岳地帯の長距離移動の中、一息つける休憩スポットでもあります。

    小さな商店などもあり、バイカーやドライバーさんたちの休憩ポイントでもあります
    気泡が上がる水面
    湯気があがる温泉

    インダス川のほとりで、地中から湧き出す硫黄を含んだこの温泉は、古くからリラクゼーションや湯治に利用され、皮膚病や関節痛に効能があるとされてきました。ここも、アムチの診断を受けた人が湯治にくるそうです。

    温泉水で洗いもの中
    近くに流れるインダス川

     

    プガの訪問には、濡れても良い靴(マリンシューズのようなものがあればベスト。裸足で芝生に直にふれるのも気持ちいいです)と、裾をまくれる服装または半ズボンがいいです。泥に思いっきりハマることもあるので、替えのズボンや靴下があると安心。
     

    ラダックのなかでも、まだ外国人観光客のそう多くないプガ。ツォモリリを訪ねる方、地質や自然に興味がある方、自然がつくり出すちょっと不思議な景観にご興味のある方には、おすすめしたいスポットです。


    ※情報は2025年6月訪問時のものです。
     
    参考:
    ・『Ladakh: Crossroads of High Asia』ジャネット・リズヴィ(Oxford University Press, 1998年)
    ・「Exploring and Exploiting Geothermal Resources of India: Case Study of Puga Geothermal Field, Ladakh」Society of Petroleum Geophysicists, India(2023年)
    ・「ONGC、インド初の地熱発電プロジェクトがラダック・プガ谷で現実味を帯びる」Indian Masterminds(2023年記事)
    ・「ラダック・プガ谷の地熱プロジェクト、期待と環境懸念のはざまで」Scroll.in(2023年記事)など
     
    Photo & Text: Kondo

     


     
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    バハイ教の礼拝堂ロータス・テンプル

    ナマステ!西遊インディアです。
    先日、南デリーにあるロータス・テンプルを訪れてみました。バハイ教という、イスラム系一派のバブ教から発展した新宗教の礼拝堂です。
    その名のとおり蓮の花の形をした建築が特徴的で、このインパクトのあるビジュアルに、ガイドブックなどで見覚えがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

    ロータス・テンプル

    「ロータス寺院」「バハーイー寺院」などともよばれますが、正式名称は「Bahá’í House of Worship」といい、デリーメトロのOkhla NSIC駅から徒歩5分ほどの場所にあります。今回は土曜日のお昼に訪問。近くにはカーリー女神を祀ったカルカジ・マンディルというヒンドゥー教寺院があり、参拝する人で行列ができていました。

    入口付近はオートリキシャがたくさんいるので、帰りはリキシャも便利です。女性ドライバーの電動オートもありました

    – バハイ教とは

    1844年成立、イランでバハー・ウッラー(バハ・オラとも)によってひらかれた宗教。国連登録NGO機関として、教育や女性の職業訓練の支援など国際的に活動している団体でもあります。「人類の平和と統一」「宗教と科学の調和」「男女平等」などを原則とし、特定の神様や教義を押し付けるのではなく、異なる信仰や文化を尊重する姿勢を大切にしています。

     

    デリーのロータス・テンプルも、「すべての人が信仰・国籍・カースト・性別・民族にかかわらず、並んで祈りを捧げることができる場所」とされています。

    実際、リキシャやタクシーのドライバーさん、ガイドさんに「ロータス・テンプルはバハイ教の寺院?」と聞いても、「All religions(すべての宗教)だよ」と答えが返ってくるほど。「誰でも皆がお祈りしてよい場所」という認識が浸透しているようでした。

     

    デリーだとわかるアイコニックな場所、ということで観光スポットのように訪れる人も多く、ヒンドゥー教徒と見受けられる人々も寺院を訪れていました。

    みんな家族や友達同士で写真を撮り合っていました

    – インドとの関係

    バハイ教はイラン発祥ですが、インドとの結びつきも深い宗教です。誕生した当初、バブ教(バハイ教の前身)の信者の一部はインドから来ていたため、早くから教義がインド各地に広まったようです。

    1872年(明治5年)には、ペルシャのバブ教信者ジャマル・エフェンディがインドを巡り、バハー・ウッラーの教えを広めました。藩王の王族から庶民まで、カーストや宗教を問わず多くの人と交流をもったことで、多様なインド社会でもバハイ教の価値観が受け入れられていきました。20世紀の初頭にはムンバイやデリーにバハイ教徒のコミュニティができ、1923年にはインド全体の統括組織も設立されました。

    – 建築の特徴

    1986年に完成したロータス・テンプルは、各地にあるバハイ教の礼拝堂の中でも、建築がユニークかつ美しいことで知られています。

    設計はイラン出身の建築家ファリブルズ・サバ氏。インド各地の宗教建築を視察した際に、異なる宗教であっても共通して蓮の花が神聖視されていることに注目しました。そこに着想を得て、バハイ教の理念である「純粋さ・シンプルさ・清らかさ」の表現として、開花する蓮の花を模したデザインを採用したのだそうです。

     

    建物外部は、27枚(9枚×3層)の花びらを模したパネルで構成され、外側は白大理石で覆われています。大理石は合わせて10,000平方メートル分(サッカーコート1面半くらい)、ギリシャで採掘し、イタリアで加工されたものだそう。礼拝堂を囲む9つのプールは蓮の葉を表現しており、デザイン性だけでなく、夏場には建物を自然に冷却する効果もあるそうです。

    礼拝堂の内部はドーム構造になっており、花びらの間から自然光が差し込む設計。一度に最大1300名を収容できます。

    礼拝堂を囲むプール

    – 見学してきました!

    Okhla NSIC駅から徒歩約5分、入口ゲートから整備された遊歩道を流れに沿って歩くと、蓮の花のような建物が見えてきます。

    礼拝堂の手前右側に半地下のような建物があり、インフォメーションセンターになっています。ロータス・テンプルの構造がわかるジオラマ、バハイ教の教義や歴史を解説するパネル、海外にある礼拝堂の写真などを展示。ボリュームはコンパクトなので、ぐるっと見て回って10~15分ほどでした。
    撮影禁止のため写真はありませんが、日本語を含む多言語のパンフレットが置かれており、書籍の販売コーナーもありました。

    日本語リーフレットと引用句ブック

    ブックには展示の引用句が

    流れに沿って階段をのぼり、ぐるっと礼拝堂の入口まで進んでいきます。途中で靴を脱ぐところがあるので、無料で借りられる靴袋に入れて持ち歩きます。よく掃除されているのか、そこまで靴下は汚れませんでした。

     

    礼拝堂の内部は、入場者数を制限しながら見学者に開放している方式です。入口に一定の人数が集まるまで待ち、簡単な説明があったのち、中を自由に見学できます。入場前の説明は基本はヒンディー語ですが、必要に応じて英語でも説明してくれます。

     

    堂内では写真撮影や私語は禁止。静かな空間で椅子に座って、思い思いにお祈りや瞑想をすることができます。

    今回は土曜日のお昼に訪れましたが、1日4回行われるという祈祷の時間を外していたためか、比較的空いていて落ち着いた雰囲気でした。興味のある方は、祈祷の時間に合わせて見学することもできるそうです。

     

    インフォメーションセンターと礼拝堂、両方を見学して、滞在時間は全体で40分ほどでした。礼拝堂の中に入らず、外観だけ見学することもできます。個人的には、先にインフォメーションセンターで情報を知ってから、礼拝堂の見学をするのがおすすめです!

     

    ■基本情報メモ
    ・開館時間:8:30〜18:00(4月〜9月)/8:30〜17:00(10月〜3月)
    ・休館日:月曜日
    ・祈祷の時間:10:00、12:00、15:00、17:00(各回約15分)
    ・入場無料
    ・アクセス:デリーメトロ・マゼンタ線「Okhla NSIC」駅より徒歩約5分

     

     

    ※寺院の情報は2025年6月訪問時のものです。

    参考:Bahá’í House of Worship公式サイト

     

    Photo & Text: Kondo

     


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    デリーで会えるジャガンナート神

    寺院に祀られたジャガンナート三神

    ナマステ!西遊インディアです。

    今年も、オリッサ州プリーで開催されるヒンドゥー教のお祭りラタ・ヤートラ(Ratha Yatra)の日が近づいてきました。
    今年の開催日は2025年6月27日。ラタ・ヤートラは、クリシュナ神の化身であるジャガンナート神に捧げるお祭りで、毎年、インドの太陰暦におけるアーシャーダ月(現代の6〜7月)のうち、シュクラ・パクシャという新月から満月へと月が満ちる期間に盛大に祝われます!

    巨大な山車に乗ったジャガンナート神と、その兄・妹の神様の像が、プリーのジャガンナート寺院から町を練り歩き、インドでも最も賑やかで有名な行事のひとつ。
    そのお祭りにちなんで、前回紹介したホーズ・カース(Hauz Khas)遺跡と同じエリアにあるジャガンナート寺院(Jagannath Mandir)を訪れた際の様子をまとめてみました!

     

    ジャガンナート寺院の入口

    オリッサ州の伝統的な建築様式を取り入れた、白い塔門が美しい寺院。寺院上部のシカラ(塔)は漆喰仕上げの彫刻で飾られていて、層状に積み重ねられたトウモロコシのようなフォルムと渦巻き状の形は、かつてオリッサで栄えた王国カリンガの古典様式が感じられるものです。
    入口には、寺院を護る象に乗ったシンハ(獅子)の像が立ち、門の上部には花飾りや鈴が吊るされていて、お祭りの日にはさらに華やかに装飾されるそうです。

     

    ジャガンナート三兄妹

    寺院の内部には、左から兄のバラバドラ(バララーマ)、妹のスバドラー、ジャガンナート神の三神像が並び、きらびやかな装飾とともに祀られています。

    去年の7月に訪れたときは日曜の13時頃。はじめは扉が閉まっていましたが、ちょうどお昼のプラサード(お供物)を捧げるダルシャン(ご神体の拝観)の時間になったようで、神像を拝むことができました。

     

    ご神体を拝む人々でぎゅうぎゅうです

    寺院の中はたくさんの参拝者で賑わっていました。
    現地の方に聞くと、1日に数回ダルシャンの時間が設けられており、それ以外の時間帯は扉が閉じられているそうです。

     

    そもそも、ジャガンナート神(Jagannath)とはどんな神様かというと、「宇宙の主」「世界の守護者」という意味をもつ、ヒンドゥー教の神様のうちのひとつ。
    もともとはオリッサ地方で信仰されていた土着の神様でしたが、ヒンドゥー教にとりこまれ、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナ神と同一視され信仰されています。

    ジャガンナート寺院(プリー/オリッサ州)

    プリーのジャガンナート寺院は、ヒンドゥー教における四大巡礼地「チャール・ダーム(Char Dham)」のひとつに数えられています。
    ちなみに他の3つは、北のバドリナート、南のラーメーシュワラム、西のドワルカです。

     

    オリッサ州ブバネーシュワルに祭られているインドセンダンの木を塗装したジャガンナートの像 Krupasindhu Muduli, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

    ジャガンナート神の特徴はなんといっても、そのユニークなビジュアルです!
    丸い大きな目と丸太の柱のような体は、他のヒンドゥーの神々とはまったく違うもので、一度見たら忘れられないインパクト(日本人からすると、キャラクターのような親しみやすい雰囲気も?)があります。

     

    このジャガンナート神の独特な姿には、ある伝説が残されています。
    ある時、クリシュナ神の遺骨を納めた木製の像を作るため、オディシャの王が職人ヴィシュヴァカルマンに依頼しましたが、彼が依頼を受ける条件として「完成まで絶対にのぞかないこと」という約束をしました。しかし、王(または王妃)は、作るのを失敗していないか、好奇心に負けてのぞいてしまいます。すると職人は姿を消し、未完成のままの像が残っていた…というお話です。
    現在のジャガンナート神の像に手足がないのは、この伝説に由来しているともいわれています。

    とはいえ、この話は後から作られたという説もあり、もともとはこの地域で古くから信仰されてきた土着神であったとも考えられています。

     

    ラタ・ヤートラ当日は、プリーの様子が毎年ライブ配信されています。
    こちらは2024年の配信ですが、山車を曳く人々の熱気(と、ものすごい数の人々!)が画面越しにも伝わってきます!なんでも、この山車にひかれて亡くなると、ヴィシュヌの天国ヴァイクンタへ行けるといい、昔は山車の前にとびこむ人もいたそうです。

    今年もおそらく同様の配信があると思いますので、ご興味のある方はチェックしてみるとおもしろいかもしれません。

     

    デリーのジャガンナート寺院でも、ラタ・ヤートラの当日には山車を曳くお祭りが催されるとのこと。
    オリッサ州からデリーに移り住んだ人々によって支えられているそうで、ラタ・ヤートラの雰囲気を感じられる場となっています。

     

    デリーにいながらにしてオリッサの文化にふれることができる、ホーズ・カースのジャガンナート寺院。
    ラタ・ヤートラの時期にあわせて訪れてみるのもおすすめです!

     

    <おまけ>
    デリーの手工芸品マーケット「Dilli Haat」のオリッサ州のブースで、ミニサイズのジャガンナート神三兄妹の置物を見つけました。デリーでもこうした民芸品を通じて、ジャガンナート神に出会えるのもなんだかうれしいですね!

     

    ※寺院の情報は2024年7月訪問時のものです。

    参考:Jagannath Mandir Hauz Khas公式サイト、INDIA TODAY、「インド神話入門」(長谷川明)など

     

    Photo & Text: Kondo

     


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    デリーに残る13世紀の遺跡 ホーズ・カース

    マドラサ(神学校)の北塔(ホーズ・カース)

    ナマステ!西遊インディアです。
     
    歴代イスラーム王朝の都が置かれた歴史から、多くの遺跡が存在するデリー。
    デリーにある3つの世界遺産はすべてイスラーム王朝時代に築かれたものであり、その歴史を物語っています。
    今回は、世界遺産でないためフィーチャーされることが少ないながらも、貴重な13世紀の遺構が残る「ホーズ・カース」遺跡群をご紹介します。
     
    オールド・デリーの南、サウスデリーに残る13世紀の遺跡群ホーズ・カース(Hauz Khas Complex/हौज़ खास)。カタカナではハウズ・カース、ハウツ・カズのように表記されることも多いですが、ホーズ・カースが現地の発音に近い気がします。
    入場料は外国人料金250ルピーで、通常8:00~19:00に見学できます。デリーメトロのマゼンタ&イエロー線「Hauz Khas」駅からオートリキシャで10分くらい。周辺は高級ブティックやカフェ、レストランが立ち並ぶおしゃれなショッピングエリアとしても定着しています。
     
    車で15分の場所には、同じくデリー=スルターン朝の13世紀に建てられた世界遺産の塔、クトゥブ・ミーナールがあります。

    クトゥブ・ミーナール

    クトゥブ・ミーナールは、デリー=スルターン朝のなかでも、1206年に始まる奴隷王朝の創始者クトゥブッディーン・アイバクが建てたものですが、ホーズ・カースはその後の1290年から始まるハルジー朝時代に建てられたもの。
    ハルジー朝第3代スルターンのアラーウッディーン・ハルジー(1296-1316)が貯水池として造営しました。
     
    ホーズ・カースとは、ペルシャ語由来でTank(貯水槽、もしくは湖)を表す「Hauz」と、Royal(王室の)を意味する「Khas」を合わせた意味。“王室の貯水湖”のようなイメージでしょうか。
    貯水湖は最大で50ヘクタール(東京ドーム約10.5個分)もの広さに及んだそう。
    貯水湖

    敷地内には案内板があり、わかりやすいです

    ホーズ・カースはハルジー朝の都城址シリの一部で、大きな貯水池はシリの住民に水を供給するために建設されたと考えられています。乾季の間、王族たちがお城で必要な水を十分に確保できるほどの規模だったといいます。
     
    敷地内は柵がないところも多く、壁面を近くで見たり、回廊部分に入ってみたり、裏にまわったりと、自由に見学できます。(市民やカップルの憩いの場のような雰囲気もあるので、物陰に入るとたまに人がいてびっくりすることも…!)
    敷地内は柵がないところもあり、自由に見学できます

    市民の憩いの場のような雰囲気

    マドラサの回廊

    貯水池の南東側にある遺跡群のエリアには、後のトゥグルク朝スルターンであるフィールーズ・シャー・トゥグルク(1351-1388)が14世紀につくったマドラサ(神学校)や、要塞、モスク、墓廟、居住区などがあります。
     
    3つのドームがつながった珍しい造りのパビリオン

    庭園にあるドーム構造をもつパビリオン(Assembly Hall)は、さまざまな形とサイズがあり用途は不明ですが、碑文によるとお墓であると推測されています。ただ、現在はお墓の痕跡はありません。その大きさと形状から、集会場のような役割があったとも考えられています。

    フィールーズ・シャーの墓の南側にあるパビリオン

    フィールーズ・シャーの墓の南側向かいにある、8本の柱を持つ小さなチャトリ(インド・イスラーム様式の建築で、ドームが載った東屋のような建物)も印象的です。
     
    このホーズ・カース遺跡群のなかでもっとも重要とされる建物は、フィールーズ・シャーの墓廟です。
    南側の入口の碑文には、1508年にローディー朝のシカンダル・ローディーの命令で建物の修理が行われたことが残されています。
    フィールーズ・シャーの墓廟

    トゥグルク朝3代目のスルターンとして1388年まで統治したフィールーズ・シャーは、内政を重視した行政改革を行い、人々から人気がある王様だったそうです。妻はヒンドゥー教徒の女性、信頼する宰相もヒンドゥー教からの改宗者だったそうで、ヒンドゥー教徒に一定の理解を示した宥和政策をとっていました。また、都市・灌漑施設などのインフラ拡充、税制改革、罪人に対しても残酷な処罰を廃止したりして、イスラーム政権の安定を図りました。
     
    フィールーズ・シャーが亡くなったのは1388年でしたが、1354年の生前に、マドラサと同時に自分の墓廟を建てました。
    大きさは13.5m×13.5m、マドラサの北棟・西棟の接続点にあり、ドームの頂上は建物全体で一番高い場所になっています。部屋の中央にあるお墓はフィールーズ・シャーのもので、他の大理石のお墓はおそらく彼の息子と孫のものとみられます。
     
    通常ツアーで訪問することは少ない場所ですが、見応えは十分。クトゥブ・ミーナールの見学やホーズ・カース・ヴィレッジでのショッピングと合わせて、日差しの強くない日に訪れてみるのもおすすめです!

    マドラサの遺構

     
    ※入場料などの情報は、2024年7月訪問時のものです。
     
    Photo & Text: Kondo
     


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    レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ

    ジュレー!西遊インディアです。
    ラダックを旅する人ならほぼ必ず利用するレーの空港。正式名称は「クショク・バクラ・リンポチェ空港」といいます。はじめて知ったときから、そのちょっと長くて不思議な響きが耳に残っていました。
     
    今回は、ラダック旅における空の玄関口、レー空港の正式名称となっている高僧クショク・バクラ・リンポチェについてとりあげてみます。
     
    ■もくじ
    1.空の玄関口 レー空港
    2.クショク・バクラ・リンポチェとは?
    3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯
    4.ゆかりの場所

    1. 空の玄関口 レー空港

    デリーから飛行機で約1時間。ラダック連邦直轄領のほぼ中央、中心都市レーの標高約3,256mに位置するレー空港(Kushok Bakula Rimpochee Airport, Leh)。
    インドで最も標高の高い空港で民間機も発着しますが、1961年に軍用滑走路として開設されたインド空軍の軍用飛行場でもあります。

    スピトゥク僧院から遠望したレー空港の滑走路

    ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた山間部にあるため、離着陸のアプローチが困難な空港のひとつ。そのかわり、それと同時に山岳風景が美しい場所です。
     
    インドの軍事施設は撮影禁止のため建物を近くから撮った写真はありませんが、従来の平家づくりの建物に加えて拡張工事が進んでおり、ゆくゆくはもう少し大きくなりそうです。
     
    空港の周辺には小高い岩山の上に建つスピトゥク僧院があり、飛行場からも遠望することができます。
    空港の名前は、そのスピトゥク僧院の座主をつとめたクショク・バクラ・リンポチェ19世にちなんで付けられました。スピトゥク僧院の座主は、代々バクラ・リンポチェがつとめています。

    スピトゥク僧院

    2.クショク・バクラ・リンポチェとは?

    仏陀の16人の阿羅漢(十六羅漢)のうちの1人で、9番目の阿羅漢である、バクラ(諾距羅・なくら)の転生とされる高僧です。(仏教では輪廻転生が信じられています。)
    ちなみに阿羅漢とは、悟りに達した高僧のこと。十六羅漢とは、お釈迦様が亡くなる(涅槃に入る)ときに、後を託された16人の高僧たちのことです。慶友と賓頭盧(または、迦葉と軍徒鉢歎)を加えて十八羅漢とする場合もあります。
    バクラ・リンポチェは、マングースを抱いている姿で描かれることが多いです。

    パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

    現在は、ヌブラ渓谷のキャガール村で2005年に生まれた20世が、ダライラマ14世によって認定されています。現在は南インドで修行されているのだそう。
     
    先代のバクラ・リンポチェ19世は、高僧としての宗教的な奉仕で知られているだけでなく、インド独立後のラダックで最も尊敬される宗教的・政治的な指導者で、いわゆる土地の名士のような存在でもありました。

    3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯

    先日逝去されたマンモハン・シン元首相も「現代ラダックの設計者」と称したという、バクラ・リンポチェ19世。常に人々の分裂が起こらないように努め、ラダックの人々のアイデンティティが保たれることを望んでいたと、多くの人々が言葉を残しています。
    なぜ、そのように人々から尊敬を集め、インド政府からも篤い信頼を受けるようになったのでしょうか。その経緯をインド独立の時代背景とともにたどってみます。
     

    スピトゥク僧院に置かれていたバクラ・リンポチェ19世の写真

    1918年に、ラダックのマト村で王族に生まれたバクラ・リンポチェ19世。ダライ・ラマ13世によって転生者であると認められました。1949年、31歳のときに当時の首相ジャワハルラール・ネルーに説得されて公職につくまで、政治とは無縁でした。

    のどかなマト村

    英領インド時代、かつてジャンムー・カシミール州は一つの藩王国でしたが、第二次世界大戦後の1947年にインド・パキスタンが独立する際に、どちらの国へ帰属するかを決められることになりました。
    住民の多くはイスラム教徒でしたが、藩王自身はヒンドゥー教徒であったこともあり、独立を希望。それが認められずなかなか状況が定まらないところ、1947年からパキスタン側の部族民が、ゆさぶりをかけてジャンムー・カシミール州を襲撃。
    部族が州都のシュリーナガルまで迫ってきたため、危機に瀕した藩王はインドに援軍を頼みました。そこで当時のネルー首相は、暫定的にでもカシミールがインドに帰属すると表明するのであれば、インド領としてインド軍を派遣すると答えます。
    やむなくして、藩王はインドへの帰属を決めました。これが第一次印パ戦争の発端であり、今日までつづいているカシミール問題のはじまりです。
     
    ちなみに、帰属問題を残したまま分離・独立を迎えた藩王国は、カシミールと、ハイデラバード(テランガーナ州)、ジュナーガル(グジャラート州)の3つでした。ハイデラバードは武力でインドに迫られた藩王がインドへの帰属に応じ、ジュナーガルはイスラム教徒だった藩王がパキスタンに逃避して、インドに統合されることになりました。
     
    その後、1949年7月にネルー首相がラダック(旧ジャンムー・カシミール州)を訪問。ラダックが宗教上の理由で分裂しないよう、高僧であるバクラ・リンポチェに、地域の人々のために活動してほしいと指導者として抜擢します。
    そうしてバクラ・リンポチェは、ラダックにおける政治活動はもちろん、学校を設立し、伝統的な価値観とともに教育を受け入れるよう近代教育を奨励。
    またラダックだけでなく、全国で福祉や少数民族の権利について多くの問題に取り組み、指定カーストや指定部族、少数民族などマイノリティの人々の意見を擁護しました。
    そのような熱意ある行動は、ラダックの人々がこれまでの暮らしや文化、仏教への信仰を維持する上でも重要でした。インド独立初期におけるラダックとインドとの関係をうまく保ち、ラダック人の民族的アイデンティティが失われることなのないよう、地域を守ることにつながったのです。
     
    バクラ・リンポチェは、自分が指導者であるとは主張していませんでしたが、チベット難民がインドに初めて到着したときの支援活動によって、チベットの人々からも高僧として、また人権活動家としても非常に尊敬されたそうです。
    ちなみに、バクラ・リンポチェは駐モンゴル・インド大使も務めており、仏教徒の多い二国間の関係を強化することにも貢献されました。
     
    ダライ・ラマ14世にとっての親しい友人でもあり、仏法の献身的な擁護者であったバクラ・リンポチェ。2003年11月4日に、デリーで生涯を終えました。
     

    1957年1月21日カルカッタを訪問中のダライ・ラマ14世とバクラ・リンポチェ19世(ダライ・ラマ14世の右) – Public Domain, Wikimedia Commons

    このような経緯で、現在のラダックの礎を築くキーパーソンとなったバクラ・リンポチェ19世。教育と社会の改革、宗教と文化の保護に力を注ぎ、ラダックの発展と近代インドに残した貢献を称えるため、バクラ・リンポチェが亡くなった後の2005年に、レー空港はリンポチェの名を冠する名称に変更されました。
     
    ラダックと世界をつなぎ伝統に根ざして進歩するという、バクラ・リンポチェ19世のビジョンを象徴するようなレーの空港。バクラ・リンポチェの生涯の功績と、ラダックの人々のために行動してきた熱意を思い起こさせるものとして存在しています。

    4.ゆかりの場所

    バクラ・リンポチェ19世の写真はラダックの僧院のお堂などで目にすることができますが、バクラ・リンポチェにとくにゆかりのある場所をいくつかピックアップしてご紹介します。
     
    ■スピトゥク僧院 Spitok Gompa
    一説には、11世紀にグゲ王国の王によって建立されたといわれています。15世紀前半、当時の王がゲルク派の開祖ツォンカパからの使者を受け入れ、スピトゥク僧院はラダック初のゲルク派の僧院となりました。その後、お堂の修復・拡張が行われ、立体的で複雑な構造になっています。
    11世紀につくられたという部分で唯一残っているのが、最上階にあるゴンカンです。ここにはパルデンラモ(吉祥天女)がご本尊として祀られており、仏教徒のみならずヒンドゥー教徒も訪れるといいます。
    この僧院の座主は、先にお伝えしたとおりバクラ・リンポチェで、お堂に19世と20世の写真が飾られていました。
    そしてこの僧院の特徴は何といっても、空港が一望できる絶好の場所にあることです。

    スピトゥク僧院からの眺め

    お堂に飾られていたバクラ・リンポチェ19世の絵と20世の写真

    ■シャンカール僧院 Sankar Gompa
    20世紀初頭、バクラ・リンポチェ19世によって創建されたゲルク派の僧院。
    本堂には、ドゥカル(白傘蓋仏母)の像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから悪魔を遮る意味となりました。顔・手・脚がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。
    白傘蓋仏母像は見られる機会が少ないのですが、レー近郊だとシャンカール僧院、レー王宮、ザンスカールではランドゥン僧院、リンシェ僧院でお目にかかることができました。

    シャンカール僧院のドゥカル像

    ■ザンラ旧王宮 Zangla Palace
    ラダックのさらに奥、ザンスカールの地に残る旧ザンラ王宮。18世バクラ・リンポチェは、ザンラ王宮で生まれました。
    18世バクラ・リンポチェのストゥーパ(仏塔)は、旧王宮のすぐそばにあります。
    18世バクラ・リンポチェが亡くなった後、宮殿の前で火葬され、後にストゥーパが建てられました。そのストゥーパの状態が劣化した後、村全体にバクラ・リンポチェの祝福が届くよう、丘の上にあるこの場所に移されたのだそうです。

    ザンスカールのザンラ旧王宮に立つバクラ・リンポチェのストゥーパ(左)

    小高い岩山の上に残るザンラ旧王宮

    ■その他
    ザンスカールのパドゥム僧院、トンデ僧院のドゥカンにも、バクラ・リンポチェの壁画が描かれています。

    パドゥム僧院からの眺め

    パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

    トンデ僧院

    トンデ僧院のお堂の内部。19世バクラ・リンポチェの写真が

    ラダックの玄関口である、レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ。
    僧院を見学した際に、祭壇に飾られているバクラ・リンポチェの写真や、マングースを抱いている高僧の壁画に出会ったら、現在もラダックがラダックらしくある歴史的背景に想いを馳せてみると、より理解が深まるかもしれません。
     
    ※僧院や空港の情報は、2024年7月訪問時のものです。
     
    参考:『インド,ラダックにおける仏教ナショナリズムの始まり』名古屋学院大学/宮坂清(2014年)、INDIA TODAY、インド首相官邸Webサイト、日本総研RIM 環太平洋ビジネス情報 1998年7月No.42『南アジア緊張の火種・カシミール問題を考える』、新纂浄土宗大辞典など
     
    Photo & Text: Kondo
     


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    チャンディーガル建築さんぽ ④ロック・ガーデンと近郊の見どころ

    廃材を使ったロック・ガーデン

    ナマステ!西遊インディアです。
    今回はチャンディーガル建築さんぽ、その4。これで一旦このシリーズはおしまいです。
    これまでご紹介したル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレゆかりの場所にくわえて訪れたい、ロック・ガーデン(ネック・チャンド彫刻庭園)を中心に、ローズガーデンなどチャンディーガルと近郊の見どころスポットを、写真をたっぷり使ってご紹介します。
     
    ■もくじ
    1.ロックガーデン(ネック・チャンド彫刻庭園)
    2.ザキール・フセイン・ローズガーデン
    おまけ:カングラ・フォート

    1. ロックガーデン Nek Chand Saini’s Rock Garden

    キャピトル・コンプレックスと同じセクター1にあるユニークな彫刻庭園。40エーカー(東京ドーム約3.5個分)の広大な庭園は、装飾、彫刻まですべてリサイクルされた廃材で作られています。
    近年だと、Netflix映画「Shershaah」(2021年)のロケ地になったことでも知られています。

    入ってすぐの小路。タイルやお皿などの廃材で装飾されています。MVではここをシッダールト・マルホトラとキアラ・アドヴァニが歩いています

    入場料は大人30ルピー、子供10ルピー。外国人料金だと一人100ルピーです。
    アスレチックのようでもあるので、小さなお子様と一緒に家族で訪れるのも楽しそうです。
     
    学校の遠足でしょうか。学生たちがたくさんいました

    シティツアーのような団体もいて賑やかでした!

    ネック・チャンド氏。2015年に90歳で逝去されました

    庭園名の「ネック・チャンド」とは、この庭園をつくったネック・チャンド・サイニ(Nek Chand Saini)氏のこと。
    1957年から50年以上にわたり、長い時間をかけてできあがった庭園です。
    不思議な造形物であふれたこの庭園のなりたちには、ちょっとおもしろいエピソードがあります。
     


    壁に近づいてよく見ると、瓶などの廃材が使われているのがわかります

    コルビュジエの指揮によってモダンな街の建設が進んでいたチャンディーガル。
    当時、ネック・チャンド氏は道路検査官として働いていたそうで、建設工事によって発生した大量の廃材に興味をもつようになります。そのうち、陶器やタイル、ガラスの欠片などを拾い集めるようになり、やがてそれらを使って人や動物の彫刻を作り始めました。

    公会堂のような場所

    ここも近づいて見てみると、元の廃材の模様などが見えておもしろいです!

    1957年には森を切り開いて庭園を造り、集めた廃材で作った彫刻やオブジェを並べ始めます。ですが、当時それは違法行為だったので、人目を盗んでコッソリつくっていたのだそう。毎日のように仕事が終わったら自転車で森に行き、夜から早朝まで創作を続けたのだとか。すごい情熱です。
     

    学生さんが楽しそうにブランコで遊んでいました

    それから18年ものあいだ秘密で造られていた庭園ですが、1975年、ついに当局に知られてしまいます。
    その頃にはなんと、12エーカー(東京ドーム約1個分)の広さに。何百体ものオブジェが並ぶ立派な庭園になっていました。
    違法行為が明るみになったことにより、役人たちは政府の土地を不法に占拠していたネック・チャンド氏を追い出そうとします。ネック・チャンド氏は公務員としての職を失うおそれがあり、また、ここまで造りあげた庭園も壊されてしまう可能性がありました。
     

    しかし、初代チャンディーガル連邦直轄地の主任委員であり、市の景観整備に尽力したランダワ氏は違法行為よりもその特異性と芸術性に着目。
    ランダワ氏の支援もあり、その存在価値が市の文化財として認定され、ネック・チャンド氏はあらためて庭園の建設監理担当に任命されることとなりました。
    こうして、ネック・チャンド氏は正式に庭園造りに取り組めるようになり、さらには市が50人のスタッフを雇い、造園作業に動員できるようになりました。
     
    このことは新聞でも報じられ、当時の新聞記事がチャンディーガルの建築博物館に展示されています。
     

    よく見ると、バングルでしょうか。カラフルできれいです

    一見シュール(?)に見えなくもないですが、じっくり見てみるとなんとも言えないユニークな表情をしている人形たち。ほんのり微笑んでいるようにも見え、なんだかだんだん愛着が湧いてきます。

    庭園は1976年に正式に一般公開されました。
    以来、長年にわたりチャンディガールの芸術と文化のシンボル的存在として愛されています。

    2. ザキール・フセイン・ローズガーデン Zakir Hussain Rose Garden

    第3代大統領ザキール・フセイン・カーン氏にちなみ、上述のランダワ氏によって名付けられたバラ園。1967年に設立されました。
    30エーカーという広大な敷地に、1600種、5万本以上のバラが咲きます。

    入口から庭園までの道。たまに入場料が必要だと声をかけてくる人がいるので注意です

    開花のピークは3月頃で、その頃になると美しい花壇には色とりどりのバラが咲きます。毎年2月から3月にかけて開催されるバラ祭りでは、多くの人でにぎわうそうです。
    市内中心部からアクセスしやすいので、地元の人々がピクニックを楽しんだりする憩いの場として利用されています。

    訪れた2月初頭は開花にはまだ少し早かったですが、ささやかにピンクのバラが咲いていました

    コルビュジエの建築スポット巡りの小休憩に、おやつを買ってのんびりするのもよさそうです。

    おまけ:カングラ・フォート Kangra Fort

    ヒマーチャル・プラデーシュ州カングラ地区にある歴史ある要塞跡。チャンディーガルから約230km、ダラムサラから約20kmの位置にあります。
    もはやチャンディーガルと言うよりはダラムサラ近郊と言った方が正確ですが、チャンディーガル/ダラムサラを両方訪問される方に、寄り道スポットとしてご紹介です。

    丘の上に建つカングラ・フォート

    砦は、ダウラダール山脈の麓にある2つの川(マンジー川とバンガンガ川)に挟まれた丘の上に立っています。
    周辺を見下ろすことができる丘の上にあり、天然のお堀に囲まれているため防御力が高く、難攻不落の城ともいわれていました。
     
    ラージプート族のカトック王朝から、ムガル帝国、シク教徒の指導者、イギリス軍守備隊の占領、そして現在まで、この地の歴史的変遷を物語る城塞遺跡です。
    正確な起源は不明ですが、地元の言い伝えによると、紀元前に遡るジャイナ教寺院とバラモン教寺院が砦内に現存する、ヒマーチャル・プラデシュで最古の城塞遺跡とされています。
     
    近くの丘の頂上には、グルカ戦争(1814-1816年)のネパール軍将軍にして国民的英雄であるバダ・アマル・シンによって建てられたと伝わるジャヤンティ・マタ寺院が見えます。寺院に行く方法はトレッキングのみだそうです。
    ジャヤンティ・マタ寺院

    城塞の中は見学することができ、入場料は外国人料金でも250ルピー(現地料金20ルピー)とお手頃。
    ダラムサラからチャンディーガルへの車移動などの際に、気軽に立ち寄ることができます。
    史跡としてもおもしろいですが、ダウラダール山麓の2つの川に挟まれた丘の上に立っているので、周辺を見渡すのも気持ちがいい見晴らしスポットです。

    カングラ・フォートを望む道路近くにいたハヌマーン・ラングールの家族。緑が多く生き物も暮らしています

    コルビュジエによってデザインされた、街全体が建築のオープン・ミュージアムのようなチャンディーガルの都市。
    他の都市と比べると街並みが整然としているので「インドらしくないインド」と称されることもありますが、チャンディーガルの成立や都市計画のバックグラウンドを知ると、現代インドを形づくる重要な存在であることがわかります。
    (もちろん、いわゆる「混沌としたインド」から少し離れてゆっくりできる場所でもありますが…!)
     
    ※2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
     
    参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式サイトなど
     
    Photo & Text: Kondo
     


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    チャンディーガル建築さんぽ ③ル・コルビュジエ・センターと政府博物館・美術館

    チャンディーガル政府博物館・美術館の展示室

    ナマステ!西遊インディアです。
     
    チャンディーガル建築さんぽ、その3。
    今回は、コルビュジエによる都市計画の軌跡を中心に展示するル・コルビュジエ・センター、パンジャーブ州やハリヤナ州の出土品や彫刻、細密画などを展示する政府博物館・美術館をご紹介します。

     
    ■もくじ
    1.ル・コルビュジエ・センター
    2.チャンディーガル政府博物館・美術館

    1. ル・コルビュジエ・センター Le Corbusier Centre

    コルビュジエのチャンディーガルに関連する資料などを展示した、いわばチャンディーガル版コルビュジエ・ミュージアム。建築博物館、展示ホール、アート・ギャラリーの3つで構成されていますが、ボリュームはそこまで多くないので、じっくり見学するのでなければ30分~1時間くらいですべて見てまわることができます。
     

    コルビュジエ・センターの入口

    場所はキャピトル・コンプレックスのあるセクター1から車で約10分の、セクター19にあります。歩くのには距離があるので、車での訪問がおすすめです。
     
    程よく日差しの差し込む廊下の左右に、展示室があります

    設計もコルビュジエ自身によってなされたもので、デザイン哲学の特徴であるシンプルさ、機能性、ミニマリズムの原則が反映されています。
     



    コルビュジエが描いたスケッチや、設計プロセスを示した図面、写真、模型などの展示に加え、街の歴史と文化的な背景を解説する資料を見ることもできます。
     
    コルビュジエは東西南北にまっすぐに並んだ街路をもつインダス文明の都市計画パターンにインスピレーションを受けたともいわれますが、実際にセクター17の商業施設の地下には5000年前のハラッパ期の集落の遺跡が眠っているそうです。地下4m前後からその遺物が発見されたので、発掘作業が行われました。
    都市計画の工事のときに見つかったハラッパ期の遺物の展示

    当時撮影されたコルビュジエの写真なども展示されています

    都市計画に携わった経緯などの背景も含めて、当時のコルビュジエの仕事ぶりを垣間見ることができる場所。
    コルビュジエはもちろん、建築やチャンディーガルの街の歴史に興味がある方にはおすすめです。
     
    中庭にはモデュロールの模型が

    2. 政府博物館・美術館 Government Museum and Art Gallery

    チャンディーガル政府博物館・美術館 外観

    街の中心部セクター10に位置する博物館&美術館。
    既視感を覚える方もいらっしゃるかと思いますが、東京、上野の国立西洋美術館と同様、この建物はル・コルビュジエ(こちらはピエール・ジャンヌレも一緒に)によって設計され、1968年に完成しました。
    コルビジェが設計した3つの美術館のうちの1つで、他の2つはアーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館と東京の国立西洋美術館です。
     
    キャピトル・コンプレックスのあるセクター1から車で5分、ル・コルビュジエ・センターからは8分ほど。同じ敷地内に、前回ご紹介した建築博物館があります。※建築博物館については「チャンディーガル建築さんぽ【番外編】ピエール・ジャンヌレ」をご覧ください。
     
    1階はピロティ、中に入り受付を済ませるとスロープがあり、コルビュジエの5原則がここにもしっかり反映されています。モダニズム建築の建物自体を含めて、丸ごと博物館!といった感じです。
     


    館内では、古代インダス文明から現代まで幅広い時代の芸術作品、彫刻、工芸品を見ることができます。
    展示内容をざっくり分けると、インド国内やネパール、チベットで見つかった仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の銅像、芸術作品のコレクション(細密画、現代美術)、考古学的遺物(ハリヤナ州・パンジャーブ州で発掘された彫刻など)の3つが主体となっています。
     
    また、インド・パキスタン分離独立の際にラホール博物館から寄贈された600点以上のガンダーラ彫刻が収蔵されていて、コルカタのインド博物館に次いで国内で2番目に多くのガンダーラ彫刻コレクションを所有しているのも特徴です。
    展示物が多くそこそこボリュームもあるので、1時間~1時間半ほどあると落ち着いて見学できます。
     

    銅像展示セクション

    16世紀の弥勒菩薩像(チベット)

    ハリヤナ州Jagadhari近郊のSugh村で見つかったテラコッタ。ここにはアショーカ王が建てた仏教僧院があったと伝えられており、紀元前600年頃~紀元後300年頃までとみられる遺跡が発掘されています。貨幣とテラコッタが豊富で、テラコッタはそのほとんどが人間を形どったものだそう。
    紀元前2世紀、ハリヤナ州Jagadhari近郊で見つかったもの

    女神と見られるテラコッタ。細かなあしらいに目を奪われます

    順路にしたがって進んでいくと、ガンダーラ様式の仏像などを展示するセクションへ。
    ガンダーラ様式の仏像セクション

    Lower Monastery, Nathuの2世紀頃の弥勒菩薩。ガンダーラ様式で、上のチベットの弥勒菩薩との違いは歴然です

    同じフロアの奥には、細密画と現代アートのセクションがあります。
    細密画セクション

    ここは絵画だけでなく、カシミールの19世紀の写本や、小さな紙に書かれたジャイナ教のマンダラなども展示されています。
    こちらは、ジャイナ教における24人の救済者・祖師ティルータンカラを描いたもの。500円玉くらいの大きさに、24人目のティルータンカラであるChauvisa(ヴァルダマーナ/マハーヴィーラ)を中心に描かれています。
    24人のティルータンカラ

    この18世紀初頭の細密画は、ジャイプルの王ジャイ・シン1世の宮廷詩人ビハーリー・ラール(Bihari Lal)がまとめた700句の恋愛詩集のサタサイ(SatSai、ササイ、サトサイ)の一場面。ヴィシュヌ信仰からクリシュナ信仰へと通じ、詩集の大部分はクリシュナとラーダーの恋愛を表現したものです。
    18世紀初頭の細密画

    他にも、18世紀に描かれたヒンドゥー教の神様の絵や、パンジャーブの日常を切り取ったものなどがありおもしろいです。
    ハリハラ(ヴィシュヌ神とシヴァ神の合体神)と、それぞれの妻であるラクシュミー、パールヴァティ

    1875年にパンジャーブで描かれた、ブロックプリントをする人

    コルビュジエによってデザインされたチャンディーガルの都市。
    コルビュジエ・センターだけでなく政府博物館の建物自体もそのデザインの一部で、さらにそこにはチャンディーガルおよびインドの歴史を物語る遺物があり…。街全体がミュージアムのようだなとも感じます。
     
    ※2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
     
    参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式サイトなど
     
    Photo & Text: Kondo
     


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    チャンディーガル建築さんぽ 
    【番外編】ピエール・ジャンヌレ

    チャンディーガル建築博物館に展示されているジャンヌレの椅子

    ナマステ!西遊インディアです。

    今回は、チャンディーガル建築さんぽの番外編。ル・コルビュジエとともにチャンディーガル都市計画を成功させた立役者の一人である、建築家ピエール・ジャンヌレについての記事です。

    近年、日本のインテリア業界でも「プロジェクト・チャンディーガル」の家具シリーズが人気を博し、注目を集めるピエール・ジャンヌレ。
    都市計画の際につくられた家具が展示されている建築博物館と、実際にジャンヌレが暮らした邸宅を改装したジャンヌレ博物館もあわせてご紹介します。

    ■もくじ
    1. コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ
    2. チャンディーガル建築博物館
    3. ピエール・ジャンヌレ博物館

    1.コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ

    Casa le roche, CC BY-SA 3.0,Wikimedia Commons

    1896年、スイスのジュネーヴに生まれたピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret(1896年3月22日-1967年12月4日)。ル・コルビュジエの従兄弟にあたります。
    ジュネーヴの美術学校で建築を学んだのち、パリに移住し、1922年にエドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とアトリエ事務所を設立。コルビュジエの重要なパートナーとして、建築実務を担当しました。
    その信頼関係の強さは、コルビュジエがチャンディーガルの都市計画を引き受ける際に、ジャンヌレを現地監督とすることを条件にするほど。それほどジャンヌレはコルビュジエにとって重要な存在でした。
    ちなみにチャンディーガルの都市の中でジャンヌレが製作した代表的な建造物は、パンジャブ大学のガンディー・バワン、セクター17のバスターミナル、マウントビューホテルなどがあります。

    スクナ湖でボートに乗るコルビュジエとジャンヌレ AmitojSingh1, CC BY-SA 4.0, Wikimedia commons

    ジャンヌレと家具

    ジャンヌレは建築だけでなく、家具の設計も行いました。コルビュジエと共同することもあれば、独立して制作したものもあります。
    なかでも、ここ10年ほどで脚光を浴びているのが、ジャンヌレがチャンディーガル都市計画のプロジェクトと一緒にデザインした、椅子をはじめとした家具。
    大学や裁判所など、都市計画で造られた建物に設置するために製作されたのもで、現在も裁判所内にはジャンヌレのデザインした椅子が置かれています。

    建築博物館に展示されるジャンヌレの椅子

    当時は、まだ工業化が進んでいなかったインド。数千脚以上も製作する必要があったため、チャンディーガルを含め、各地で現地製作チームの職人たちがジャンヌレ(ジャンヌレがリーダーを務めた製作チーム)の作成した図面から、手作業で家具を作ることになりました。

    現地のさまざまな工房の職人が製作できるよう、図面と大まかなアドバイスだけで実現可能なデザインを考案。留め具を使わないシンプルな技術が用いられ、素材には、昔からよく流通していて入手が簡単だったチーク、サトウキビなど地元の素材が利用されました。

    チャンディーガル建築博物館に展示されている、ジャンヌレデザインのデスクと椅子

    これらの家具は販売用ではなく、プロジェクトで建造する官公庁などに置くためのものだったこともあり、必ずしも図面通りである必要はなく、それぞれ現場の状況判断でアレンジしても構わなかったそうです。そのため同じ図面を元にしていても、様々なバリエーションが存在します。
    こうした経緯で、元来あるインドの伝統的な手工芸とジャンヌレのデザインが掛け合わされたことによって、現代においても愛されるモダンな作品が生まれました。

    しかし、1990年代には、老朽化のためスクラップとして投げ売りされたり、廃棄されていたこともありました。現在では信じられないような状況です。
    そこに目をつけたのがパリのギャラリー。収集を始め、展示会等を開いたことにより影響力のあるクリエイターの目にとまり、世界中から注目を集めることになりました。
    2015年にはインドの工房が復刻版製作プロジェクトをはじめ、その優れたデザイン性が広く知られることに。今ではオークションで高値で取引されたり、日本でもジャンヌレの家具を集めた展覧会が開かれるほどの人気があります。

    チャンディーガル・プロジェクトのメンバー写真(中央がコルビュジエ、左隣のその隣、白いスーツがジャンヌレ/チャンディーガル建築博物館)

    2.建築博物館 Chandigarh Architecture Museum

    実際にジャンヌレの家具が見られる場所を訪れてみました。
    まずは、チャンディーガル都市計画の軌跡を中心に展示する建築博物館。
    博物館や美術館があつまるセクター10の、政府博物館・美術館(The Government Museum & Art Gallery)と同じ敷地内にあります。

    チャンディーガル建築博物館の入口

    入館料10ルピー、カメラ持ち込み代は10ルピー。
    キャピトルコンプレックスの立法議会棟などと同様、貴重品以外のバッグは入口の棚に預けます。

    中には、チャンディーガル都市計画の設計図や模型、当時の写真に加え、ジャンヌレの椅子の様々なバリエーションも展示されていました。

    座り心地を体感してみたい気もしますが、貴重な展示物なので座るのは禁止です。

    3.ピエール・ジャンヌレ博物館 Pierre Jeanneret Museum

    次に、ピエール・ジャンヌレの暮らした邸宅をミュージアムとして開放しているピエール・ジャンヌレ博物館(Maison Jeanneret)。
    こちらはキャピトルコンプレックス近くのセクター5、都市計画でつくられた人工湖のスクナ湖のそばの住宅地にあります。

    メゾン・ジャンヌレ(ピエール・ジャンヌレ博物館)

    入館料20ルピー、カメラ持ち込み代は30ルピー。
    建物に入る前にレセプションで手続きをして、中を見学します。

    内部には写真や手紙の展示、そしてめったに見ることのできないジャンヌレ私物の木製家具などを通して、ジャンヌレがインドで過ごした時間と創作のプロセスを垣間見ることができます。

    椅子のミニチュア展示も

    3階建てのうち、2階までは博物館、3階は宿泊施設として改装され、なんと予約をすれば実際に宿泊することもできます。


    インドを去る1965年まで、ジャンヌレは実際にこの邸宅で暮らしていました。

    裏庭から見た建物。目のような形をした窓は外からみるとこんな感じです

    ジャンヌレは都市計画が始まってからチャンディーガルに移り住み、コルビュジエがプロジェクトを去った後も、この地に留まり約14年間暮らしました。そこでチャンディーガルのチーフ・アーキテクトとして、またインドの近代建築の発展に寄与したのち、1965年に病気のためインドを離れ、1967年に死去。
    ジャンヌレの遺言により、遺灰は遺族によってスクナ湖に散骨されたそうです。

    天才でありながらもコルビュジエの影に徹したジャンヌレですが、今なおその功績を称えて保存される建築物や彼の軌跡から、チャンディーガルに対する思い入れと繋がりの深さが伝わってきます。

    市民の憩いの場になっているのどかなスクナ湖

    ※入館料などの情報は2024年2月訪問時のものです。ご訪問の際は最新情報をご確認ください。
     
    参考:チャンディーガル州政府公式サイト、建築博物館及びジャンヌレ博物館展示物
     
    Photo & Text: Kondo
     


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    チャンディーガル建築さんぽ ②世界遺産キャピトル・コンプレックス(後編)

    影の塔と奥に見える立法議会棟

    ナマステ!西遊インディアです。
    今回はチャンディーガル建築さんぽその2。コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる、世界遺産「キャピトルコン・プレックス」紹介の後編です。街の歴史、高等裁判所、オープンハンド・モニュメントにつづき、キャピトル・コンプレックスと、市街地で見られるゆかりの建築物をご紹介します。

     
    ■もくじ
    1. キャピトル・コンプレックス(後編)
    – 影の塔
    – 行政庁舎
    – 立法議会棟
    2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

    1. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex (後編)

    影の塔 La Tour des Ombres
    高等裁判所の対面に位置する「影の塔」。ル・コルビュジエは、太陽の動きが人間の生活に及ぼす影響を重要視していました。それが顕著に見てとれるのが「影の塔」で、太陽の動きと、太陽の光がどのように影を落とすかを入念に研究した上で設計されています。

    影の塔 La Tour des Ombres

    「影の塔」には壁がなく、コンクリートのパネルを組んだ風通しの良いつくり。太陽光の入らない北側は開放されていて、他の3面はブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)で覆われています。驚くのは、これだけ隙間があるのに、構造物の中は太陽光が遮られて暑さが和らぐこと。影の塔は、一年、一日を通して、すべての角度から太陽光を遮れるよう考えられたブリーズ・ソレイユの実験的な建築物でした。コルビュジエの没後に完成したものですが、建築デザインによって太陽光を制御するコルビュジエの理論が詰め込まれたモニュメントです。
    影の塔 内観

     
    ちなみに、前回の記事でご紹介した高等裁判所から影の塔へ向かう途中にも、2つのモニュメントがあります。
    ひとつは、陰の塔の近くにある「幾何学の丘」(The Geometric Hill)。建設廃材で作ったという小さな丘の上部は芝生で覆われていて、基部の斜面には24時間の太陽の動きを描いた抽象的なレリーフがあります。人間の活動を支配する、と考えられた光と闇のバランスを図に模したもので、Path of the Sun(太陽の道)ともよばれます。アート作品のひとつとして、また大通りから議事堂を遮る視覚的な障壁としての役割もあるそうです。

    幾何学の丘 The Geometric Hill

    もうひとつは、殉教者記念碑(Martyr’s Memorial)
    国会議事堂のすぐ右手にあるモニュメントで、この記念碑は、インドの自由闘争に命を捧げたすべての人々を称えたもの。傾斜したコンクリートの壁と、分割統治中に命を落とした人々の犠牲と殉教を描いた彫刻群によって形成されています。記念碑は正方形の囲いから構成され、スロープを登ると囲いの中には、横たわる男性、蛇、ライオンの像があります。スロープの壁とコンクリートの囲いには、インドの宇宙観のシンボルである車輪「ダラムチャクラ」と、幸福・吉祥の印としてよく使われる卐「スワスティカ」(太陽の動きと人間の一生、そしてそれらが人間に与える影響を表しているとも)が描かれています。

    殉教者記念碑

    行政庁舎 Secretariat
    1953~1959年にかけて建設された行政庁舎。事務局棟の役割をもち、市内にある他のモニュメントの中で最も高く、大きい建造物です。8階建てのコンクリート・スラブ(コンクリート製の板)でできており、中央にある彫刻が施された2階建ての柱廊(吹き抜けの廊下)が特徴的。閣僚の執務室があるのもこの建物です。日によっては、内部と屋上庭園を見学できることもあり、屋上からはセクター1の景色を望むことができます。

    行政庁舎

     
    立法議会棟 Vidhan Sabha
    ミニ見学ツアーでは最後の見学場所にあたる立法議会議事堂。南東端、高等裁判所に面して建ち、まずはじめに目がいくのは、なんといっても屋根から突き出るような円柱型のクーポラ(ドーム状の円屋根)でしょう。
    その左にはハリヤナ立法府を収容するピラミッド型の塔、そして牛の角を模したというユニークな雨樋、それを支える柱廊は、たとえ建築の知識がなくても印象に残るユニークな形状です。
    立法議会棟 正面外観

    柱廊の壁面にあるドアには、コルビュジエ自身が描いたキュビズムの壁画があります。コルビュジエはネルー首相に、新しいインドと近代的なビジョンを表現するためにどんなシンボルを描くか相談しましたが、ネルー首相はコルビュジエに自ら考案するよう託したそうです。

    コルビュジエがデザインした扉

    鮮やかに彩られた扉は上下半分ずつ分かれており、上半分には、人間と宇宙との関係(夏至、月食、春分など)が描かれ、下半分には動物や自然の姿が描かれています。砂漠は、地球本来の秩序を、緑はエデンの園を表しているのだそう。川、木、雄牛、亀、蛇なども描かれ、扉の中央にある「知恵の樹」には果実が実っています。
    コルビュジエのサイン

    コンクリートを20世紀の溶けた岩(溶岩)と表現したコルビュジエ。コンクリートの柱の側面には、コルビュジエの理論を象徴する「モデュロール・マン」(人体の寸法に黄金比やフィボナッチ数列を当てはめたル・コルビュジエ独自の尺度)も。コルビュジエがスケッチした図案を木片に彫刻し、型枠にコンクリートを流し込んだもの。
    「モデュロール・マン」のレリーフ

    柱廊にも様々な建築技巧があり、見ていて楽しいです

    立法議会棟の左側から回り込み、内部の見学へ。左側面の角度から建物を見ると、雨樋がくるんと反り返ったような牛の角を模しているのがわかります。
    左側から見た立法議会棟

    サイドの採光も工夫がなされています

    建物内部の見学は、カメラやスマホ、バッグなどの持ち込みは禁止されているため、お財布やパスポート以外はすべて受付に預けていきます。
    写真でお伝えできないのが残念ですが、内部は、無機質な外観からは想像できない自由なつくりで、コルビュジエらしいスロープと柱で構成された抜けのある造り。それぞれの部屋が集まった一つの村のようにも思え、建物の固定観念を覆されるような空間です。
    なかでも特筆すべきなのは議場。ホールに円形のフォルムが採用されており、厚さ15cmの双曲面シェルでつくられています。ドームのような天井にあしらわれた雲をイメージしたモニュメントはコットンとメタルで作られており、パンジャーブでとれた素材を使っているそうです。
     
    ▼内観(下記、チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

    ▼議場の内観

    立法議会棟を見学したら、ミニツアーは終了。所要時間は1時間半ほどでした。

    2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

    街全体がデザインされているため、セクター1だけでなく街なかのお散歩中にも、コルビュジエやチャンディーガル都市計画ゆかりの場所に出会えます。
     
    ■都市計画でつくられた人工湖「スクナ湖」
    ル・コルビジェの従兄弟であり、右腕でもあったピエール・ジャンヌレ。都市の建設から成長を見守り続け、チャンディーガルの街を愛したジャンヌレ本人の遺言により、彼の遺灰はこのスクナ湖に散骨されました。

    スクナ湖。市民の憩いの場

    ■セクター17

    セクター17の広場

    ショッピングモールや映画館のあるセクター17の広場。コルビュジエが行ったのはレイアウトのみとされていますが、広場の中心には噴水のモニュメントがあり、チャンディーガルの都市プロジェクトに深く関わった建築家の一人であるM.N.シャルマによって設計されたものです。
    「新たな夜明け」の象徴ともいわれる、雄鶏のモニュメント

     
    同じくセクター17にある映画館、ニーラム・シネマ(Neelam Cinema)は、チャンディーガルに最初に建てられた3つの劇場のうちのひとつ。ル・コルビュジエと従兄弟のピエール・ジャンヌレの指導のもと、建築家アディティヤ・プラカシュが設計したものです。
    ニーラム・シネマ

    ▼レトロな劇場の内観(チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

    ほかにも、ピエール・ジャンヌレが蓮の形をイメージして建築した講堂「ガンディー・バワン」など、ゆかりの地が各所で見られます。
     
    コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」と街の歴史、ゆかりの見どころのご紹介でした。

    その3以降では、博物館と建築に焦点をあてて、ル・コルビュジェ・センター、政府博物館・美術館、建築博物館、そして昨今、世界中のオークションで椅子などの家具が取引され人気を博している、ピエール・ジャンヌレのミュージアムについてご紹介します!

     
    ※ミニツアーの内容は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
     
    参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式Facebook
     
    Photo & Text: Kondo
     


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