秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

まるごとラオス
古都ルアンパバーンからシーパンドーンへ

  • ラオス

2025.08.25 update

ゆったりとした時が流れる東南アジアの楽園・ラオス。
9日間でまるごと北部から南部へと、悠久のメコンが育んだ大自然や遺跡を巡ります。

Day1 日本 → ヴィエンチャン

ベトナムのホーチミンで航空機を乗り換えて、ラオスの首都ヴィエンチャンへ。

Day2 ヴィエンチャン → ルアンパバーン

ヴィエンチャンから国内線に乗り、ラオスの古都ルアンパバーンへと向かいます。
昼食後、ルアンパバーン市内の観光へ。

・王宮博物館

かつての王の住まいや、パバーン仏が安置されています。街の名前「ルアンパバーン」は、「黄金のパバーン仏」という意味で、14 世紀にクメール王朝(現カンボジア)から贈られたこの黄金の仏像が由来なのだそう。

国立博物館としても知られる王宮博物館

国立博物館としても知られる王宮博物館

・ワット・マイ

国立博物館の隣に隣接し、ルアンパバーンで最も美しいと称される寺院です。1960年代に制作された、インドの叙事詩「ラーマヤナ」を描いた黄金のレリーフがみどころです。

ワット・マイ

ワット・マイ

・ワット・シェントン

世界遺産ルアンパバーンを象徴する寺院。かつては王の戴冠式が行われるなど、聖地として存続してきました。

ワット・シェントン本堂に描かれた黄金の木

ワット・シェントン本堂に描かれた黄金の木

Day3 ルアンパバーン滞在

この日は、エレファント・トレッキングからスタート。
象たちはとても穏やかで、のんびりとしたお散歩でした。険しい森の中を抜け、メコン川に到着。
貸し切り船に乗り、メコン川クルーズをしながら、4000 体もの仏像が納められているパクウ洞窟へ。

エレファント・トレッキングでメコン川へ

エレファント・トレッキングでメコン川へ

大小さまざまな仏像は人々が祈りを込めて持ち込んだものだそう

大小さまざまな仏像は人々が祈りを込めて持ち込んだものだそう

船を下り向かったサンコーン村では、手漉き紙と織物の2つの工房を見学しました。

手漉き紙の工房を見学

手漉き紙の工房を見学

カフェで休憩後、プーシの丘へ。
約328段の階段をのぼった丘の頂上からは、メコン川とナムカーン川の間にあるルアンパバーンの町を一望できます。

プーシの丘から眺める夕日とルアンパ バーンの街

プーシの丘から眺める夕日とルアンパ バーンの街

夕食後、シーサワンウォン通りで毎日開かれるモン族のナイトマーケットへ。
衣類や民芸品のほか、狭い路地を入ると飲食店の屋台もありました。

日没後に開かれるモン族のナイトマーケット

日没後に開かれるモン族のナイトマーケット

装飾がかわいい僧鉢

かわいい装飾の僧鉢

Day4 ルアンパバーン → ヴィエンチャン

ホテルを早朝出発し、日の出前の時間の托鉢の見学へ向かいました。
竹籠に入ったもち米としゃもじ、肩掛け布パービアンが用意され、僧の列が来るのを待ちます。

お坊さんたちの歩くスピード意外に早く、もち米を渡すタイミングがなかなか難しい…!

お坊さんたちの歩くスピード意外に早く、もち米を渡すタイミングがなかなか難しい…!

少年僧たち

托鉢に向かう前の少年僧たち

午後はフリータイムをお楽しみいただきました。

Day5 ルアンパバーン → パクセ → シーパンドーン

国内線でパクセへ向かい、バスで約3 時間。
この日のメイン、コーン・パペンの滝へ向かいました。

乾季で水量は少なめだったはずですが、ダイナミックな滝を見ることができました。
滝幅は10,783mで世界1位。ギネス世界記録でも認定されています。

メコン川の滝 コーンパペンの滝

メコン川の滝 コーンパペンの滝

その後、シーパンドーンへ移動しました。

Day6 シーパンドーン滞在

この日は世界遺産のワット・プー遺跡とワット博物館の見学です。

・ワット・プー遺跡

ワット・プーは、かつてこの地を支配していたチャンパーサック王国の中心地であり、それ以前はクメール(アンコール)王朝の重要な聖地でもありました。元々この地には、ベトナム中部で栄えたチャンパー王国とは異なる勢力が存在しており、ワット・プーは古代クメール文化の影響を強く受けたヒンドゥー教の神殿として建てられました。緑深い丘の中腹には、シヴァ神に捧げられたヒンドゥー教神殿の遺構が今も残り、かつての栄華を物語っています。

聖池(バライ)の間に伸びる参道

聖池(バライ)の間に伸びる参道

本堂へと続く歩廊

本堂へと続く歩廊

ワット・プー遺跡 本堂跡

ワット・プー遺跡 本堂跡

Day7 シーパンドーン → ヴィエンチャン

朝、少し早起きしてパクセ市場を見学。地元の方々の生活ぶりが垣間見られました。

食肉、魚、果物に野菜などの食材が並ぶパクセ市場

食肉、魚、果物に野菜などの食材が並ぶパクセ市場

国内線に乗りヴィエンチャンへ戻ります。

Day8~9  ヴィエンチャン → ハノイ → 日本

ラオス滞在最終日になりました。出発まで、ヴィエンチャンのみどころを巡ります。

・パトゥーサイ

パリの凱旋門を模して建てられた戦没者慰霊塔。周囲にはヤシの木が生い茂り、アジアらしい雰囲気が漂っています。

パリの凱旋門を模して建てられたパトゥーサイ

パリの凱旋門を模して建てられたパトゥーサイ

・タート・ルアン

16世紀にヴィエンチャンが都に定められた際、セーターティラート王の命により建てられました。仏舎利が収められた高さ45m黄金の塔は、 ヴィエンチャンのシンボルにもなっています。

タート・ルアン寺

タート・ルアン

・ワット・シーサケート

1818 年に建立されたヴィエンチャン最古の寺院。市内で唯一、建立当時の姿を保っていることで知られます。本堂には2,052体の仏像が並び、回廊には3,420体の仏像が小さな穴に安置されています。

ワット・シーサケート 回廊の仏像

ワット・シーサケート 回廊の仏像

・ワット・ホーパケオ

1565 年にセーターティラート王が建立した寺院。首都をビエンチャンへと遷都した際に、旧王都からエメラルド仏が移されました。シャム(タイ)の侵入により破壊され、エメラルド仏はバンコクに持ち去られてしまいました。1936 年にフランスによって再建され、現在は博物館として各地から集められた仏像などが展示されています。

ワット・ホーパケオ

ワット・ホーパケオ

いよいよラオスともお別れです。ハノイ経由で帰国の途につきます。

短いながらも、ラオスの風景や人々、残された歴史に向き合えた旅でした。ご一緒いただいた皆さま、お疲れさまでした。

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茶馬古道をゆく 大理・麗江からシャングリラへ

  • 中国

2025.08.04 update

「もうひとつのシルクロード」茶馬古道

 

中国・雲南省にある「もうひとつのシルクロード」茶馬古道を訪ねて。交易の宿場町が点在し、かつて隊商が歩んだいにしえのルートを、大理から麗江、シャングリラへと辿ります。

Day1~2 東京 → 昆明 →大理

昼過ぎのフライトで東京を出発、夜に昆明へ到着。市内で一泊します。翌朝、2020年にできた中国高速鉄道で大理へと向かいます。列車は揺れも少なく快適でした。

大理駅から大型バスに乗車し、喜州(きしゅう)へ。喜州には、かつて茶馬古道の交易で巨万の富を得た白(ペー)族の商人たちが建てた屋敷跡が点在しています。

白族の屋敷跡が残る喜州

白族の屋敷跡が残る喜州

次に向かったのは、藍染めで知られる周城(しゅうじょう)。この地域では、藍の絞り染めが受け継がれており、訪れた藍染工房では、日本の沖縄本島でも栽培されている「リュウキュウアイ」を原料に藍染をしていました。

絞り染めの作業をする白族の女性たち

絞り染めの作業をする白族の女性たち

その後、大理古城へ。南詔国時代の799年に築かれ、大理国の都として発展。現在も6kmの城壁と復興路を中心に歴史ある街並みが残ります。大理古城隣接のホテルにて2連泊します。

大理古城

大理古城

Day3 大理(諾鄧村)

本日は大理郊外の諾鄧村(だくとうそん)を訪問します。諾鄧村は、南詔国時代(7〜10世紀初頭)の文献にも登場する、歴史ある山間の村です。村の外れには、かつてミャンマー方面へと続いた茶馬古道が通り、今でも馬やロバが交通・運搬手段として使われています。塩の生産を支えた塩井戸跡や、古民家を見学しながら、石段の道を散策しました。
その後、大理古城へ戻ります。

諾鄧村の山門

諾鄧村の山門

諾鄧村で作られているハム

諾鄧村で作られているハム

Day4 大理 → 沙渓古鎮 → 麗江

大理を離れ麗江へ。一路「茶馬古道」を北上します。途中、茶馬古道の古い建築群が現存している沙渓古鎮(さけいこちん)に立ち寄ります。かつてはチベットの漢方薬や馬・毛皮と、雲南のお茶や塩が取引される重要な交易拠点でした。今も古い建物群が当時の姿を伝えています。

沙渓古鎮の広場

沙渓古鎮の広場

昼食後、いざ麗江へ!
麗江は標高約2,400mの高原都市で、納西(ナシ)族を中心に多民族が共に暮らす街。古くから茶馬古道の要衝として栄え、交易と文化の交流地として発展してきました。
麗江古城の旧市街を散策。石畳の小道を歩きながら、街の風情をゆっくり味わいます。プーアール茶の試飲も楽しみました。

麗江古城の旧市街を散策

麗江古城の旧市街を散策

プーアール茶の試飲

プーアール茶の試飲

メインストリートから外れた四方街には、トンパ文字で書かれた壁や石橋などがありました。トンパ文字は、現在も使われている世界で唯一の象形文字で、文字数は、1400以上あると言われています。

世界で唯一の象形文字「トンパ文字」

世界で唯一の象形文字「トンパ文字」

黒龍潭公園から望む玉龍雪山

黒龍潭公園から望む玉龍雪山

Day5 麗江→ 宝山石頭城

本日は宝山石頭城(ほうざんせきとうじょう)を訪ねます。途中、束河古鎮(そっかこちん)に立ち寄りました。麗江の旧市街と同年の1997年に世界遺産に登録された村です。メインストリートにはおしゃれなカフェやお土産やさんが並び賑わっていますが、一本横道にそれると、細い裏道や小さな畑などがあり、素朴な風景に出会えます。

束河古鎮の細い路地

束河古鎮の細い路地

その後バスに乗り、どんどん高度を上げ、山岳地帯のくねくね道を走っていくと、段崖絶壁の岩上に築かれた要塞村、宝山石頭城に到着!村では今も昔ながらの生活を営む人々の様子を窺うことができ、まるで別の時代に迷い込んだような気持ちになります。馬に1泊2日の荷物を預けて、慎重に石の階段を上り下りし、民宿に到着しました。

岩山の斜面に沿って広がる宝山石頭城の要塞村

岩山の斜面に沿って広がる宝山石頭城の要塞村

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

Day6 宝山石塔城 → シャングリラ

宝山石塔城の上流、虎跳峡(こちょうきょう)へ向かいます。玉龍雪山(5,596m)と哈巴雪山(5,395m)に挟まれた谷を、長江上流の金沙江が削り出して生まれた谷。「虎跳峡」の名前は、昔、虎がこの峡谷をひと跳びで飛び越えたという伝説に由来しています。果たして本当に虎が飛び越えられたのか……そう信じたくなるほどの自然の迫力がありました。

虎跳峡

虎跳峡

再び標高を上げて、一路シャングリラへ!
体を高山に慣らしていただくために、早めにホテル到着しゆっくりと体を休めます。

Day7 シャングリラ → 松賛林寺・独克宗古城 → 昆明

旅もいよいよ終盤です。朝食後、雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺へ。松賛林寺は、ラサのポタラ宮を模しているため、「小ポタラ」とも呼ばれています。正面入り口から約200段の階段をゆっくりと深呼吸しながら登ります。メインの3つのお堂をお参りしました。

雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺

雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺

お香の準備をする僧侶たち

お香の準備をする僧侶たち

お寺の周囲の旧市街を散策、チベット族のお宅を訪問し、バター茶やチベタンブレッド、ヤクのヨーグルト、ツァンパ(こがし麦の粉とバター茶を混ぜてこねたもの)など、チベットの食を体験しました。

チベットの食を体験

チベットの食を体験

その後、シャングリラの独克宗古城(どくこくそうこじょう)へ。古城という名前ですが2014年に火災で焼けてしまい、数年前に再建されたばかりの新しいエリアとなっています。
最後にシャングリラ博物館を訪問後、シャングリラ駅へ。高速鉄道にて昆明へと戻ります。

独克宗古城を散策

独克宗古城を散策

Day8 昆明 → 東京

昆明から早朝の便で東京へ戻ります。

もう一つのシルクロード「茶馬古道」をたどり、伝統的な暮らしや文化、美しい景観にふれました。とくに、この地に暮らす人々のたくましい姿には心を打たれました。悠久の歴史を抱く中国の魅力をまたひとつ知ることができました。

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バングラデシュ テキスタイル紀行【後編】

  • バングラデシュ

2025.07.15 update

Day4 ラジシャヒ

刺繍体験3 ヶ所目はモバルクプール村です。村の民家に到着すると、お庭に女性たちが集まってきて、刺繍をしはじめました。「ノクシカタ」には様々な種類があり、デザイン、縫い方は特に決まりはないようです。だからこそ個性が溢れるノクシカタができるのだなと感じました。

夢中で刺繍をする村の女性たち

夢中で刺繍をする村の女性たち

ランチ後はラジシャヒの町に戻り、シルク工房へ。蚕を育てているところから、繭から糸を紡ぐところ、糸をボビンに写し、織り機で織るところまでの流れを見学しました。

繭をつむぐ女性

繭をつむぐ女性

Day5 ラジシャヒ → タンガイル

ラジシャヒからタンガイルへ移動します。途中、インドの手ぬぐい、ガムチャの工房を見学します。村では染色された色とりどりの糸が干されていて綺麗でした。

色とりどりの糸が干される

色とりどりの糸が干される

ガムチャの緯糸

ガムチャの緯糸

タンガイル着後、ジャカード織りのサリー工房を訪問。

タンガイル地方北部は、綿花の栽培に適しており、昔から織物の産地でした。中でもタンガイル・サリーははっきりしたコントラストの色合いにシンプルな模様が織り込また優美なデザインで、バングラデシュだけでなくインドでも広く知られています。

ジャカード織りを見学

ジャカード織りを見学

タンガイル・サリー

タンガイル・サリー

Day6&7 タンガイル → ダッカ

あっという間に最終日。今日は染め体験です。一人一枚お配りしたストールを糸で絞ったり、木の板で挟んだりいろいろな技法で染めていきます。染料はインド藍。媒染が入らず、酸素に触れることで色が定着します。

板で締めた布を藍で染めていく

板で締めた布を藍で染めていく

続いてはブロックプリント体験。好きな判を選び、スカーフに押していきます。顔料は赤、青、黄色の 3 色。こちらも皆さん素敵な作品となりました。

ブロックプリント体験

ブロックプリント体験

いろいろな模様の木版たち!

いろいろな模様の木版たち!

個性豊かな藍染とブロックプリントの作品

個性豊かな藍染とブロックプリントの作品

 

ランチは村で採れたお米や野菜が使われたベンガル料理をいただきました。

野菜のカレーがおいしいベンガル料理

野菜のカレーがおいしいベンガル料理

村とお別れし、ダッカへ向けて出発です。ダッカへの移動は3 時間弱。日が変わってから、深夜の便で日本へ帰ります。7日間、お疲れ様でした。

 

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バングラデシュ テキスタイル紀行【前編】

  • バングラデシュ

2025.06.25 update

Day1 日本 → ダッカ

日本から香港経由でダッカへ。機内はバングラデシュの方々でほぼ満席、そして空港外には見渡す限り人!人!人!早速バングラデシュに来たと感じました。明日から訪れる村ではどんなテキスタイルに出会えるでしょうか、楽しみです。

Day2 ダッカ → ジョソール

朝、ジャムダニ織りで有名なルポシ村へ。ジャムダニ織りの製作過程を見学しました。工房には織り機が並んでいて、 2 人1組で制作しています。

手前がベテラン、奥がアシスタント。

手前がベテラン、奥がアシスタント。

ジャムダニ織

ジャムダニ織

ジャムダニ織とは、白のモスリン(極細の手紡ぎ糸で織られた綿織物)に縫取織で文様を表した布。刺繍をするように花の模様などを織り込みます。文様を表す緯糸は、織幅いっぱいに通さず、文様の部分のみで織り返します。この織り方はインドのベンガル地方とバングラデシュで技術が継承されており、バングラデシュでは経糸に絹が使われています。
織りの見学後、工房裏で糊付けの様子も見学しました。ルポシ村を後にし、ダッカ市内でランチ後、ジョソールへ移動します。

ジャムダニ織の糊付け

ジャムダニ織の糊付け

Day3 ジョソール → ラジシャヒ

今日はワークショップの初日です!まずはジッコルガサ村へ向かいます。家の軒先で村の女性たちがゴザを引き、準備をしてくれていました。枠と布、針が配られ、ノクシカタの刺繍体験。あらかじめデザインが写されている布に刺繍を施していきます。村の人々もたくさん集まってきて、ギャラリーの多い中での体験となりました。

たくさんの人に見守られながら刺繍体験

たくさんの人に見守られながら刺繍体験

デザインに沿って刺繍をしていく

デザインに沿って刺繍をしていく

大作も見せていただきました。

大作も見せていただきました。

美しい孔雀の刺繍

美しい孔雀の刺繍

ベンガル語で「ノクシ」はデザイン、「カタ」は布という意味があります。もともとは使い古したサリーなどの布を何枚も重ねて縫い合わせ、布団カバーや肌かけとして再利用するという発想から生まれたもの。現代でも村では伝統的な刺繍が母から娘へと受け継がれています。母親は自分の娘が結婚する際の嫁入り道具として、ノクシカタを持たせます。結婚後は故郷にはあまり戻れないため、ノクシカタを見て母を思い出す、母と娘を繋ぐ役割もしてきました。

ジッコルガサ村での体験後、フダラジャプール村へ向かい再び刺繍体験。
ここでもたくさんの作品も見せていただきました。

フダラジャプール村にて

フダラジャプール村にて

午後はひたすらラジシャヒの街を目指します。
道中はレンガ工房、田園やバナナ畑など、のどかな風景が広がっていました。

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中原の歴史探訪 雲崗と龍門

  • 中国

2025.06.12 update

雲崗石窟 第20窟 曇曜五窟の如来坐像

雲崗石窟 第20窟 曇曜五窟の如来坐像

敦煌の莫高窟とともに中国三大石窟に数えられる雲崗石窟と龍門石窟。どちらも北魏時代から建造が始まりました。魏から唐のこの時期、中国の仏像様式は、袈裟が肩にかかり耳たぶが長くなるなど、西域風から中国風に変化し、時代ごとに異なる石窟や仏像を楽しむことができます。当時の栄華を物語る石窟群の規模と素晴らしさは圧巻です。

 

雲崗石窟を訪ね大同へ

遼金時代の伽藍がほぼ完全な形で残る善化寺

遼金時代の伽藍がほぼ完全な形で残る善化寺

大同の町は山西省の北部、万里の長城の内側50kmの地点にあり、北方防衛の重要な拠点でした。漠民族対北方の遊牧民族の争いがこの地で繰り返されてきました。398年に鮮卑族の拓跛氏が北魏を建て、その都は大同(当時平城)に置かれ、大同は中国北部の政治・経済・文化の中心地として栄えました。やがて495年、孝文帝の時代に洛陽に遷都しますが、その間の100年間繁栄を極めました。

 

雲崗石窟

雲崗石窟は、武州川の北岸の断崖につくられた石窟寺院。大小合わせて254の洞窟が東西約1㎞にわたって続き、内部には51,000体以上の仏像が刻まれています。中国仏教美術最大の遺産で、2001年に世界遺産に登録されました。

北魏では太武帝の廃仏の後、文成帝が仏教を復興させました。文成帝は僧曇曜を総監督に命じ、460年から494年の孝文帝の遷都までの間、雲崗石窟の建造が行われました。背景には、廃仏の憂き目を再び味わうことがないよう、容易に破壊されない仏像、つまり石仏を作ろうという曇曜の提案があったといいます。

第5窟 高さ17mの黄金の釈迦牟尼坐像

第5窟 高さ17mの黄金の釈迦牟尼坐像

初期の5窟(第16~20窟)が完成したのは465年頃で、これらは曇曜五窟とよばれています。それぞれの石窟に北魏の皇帝5人を模した5体の大仏が鎮座しています。仏像には、インドのガンダーラ美術・グプタ様式美術の影響も色濃く見られ、ガンダーラ美術の伝搬を伝える重要な史跡となっています。

第18窟 千仏袈裟

第18窟 千仏袈裟 袈裟には小さな仏像が多数彫りこまれている

第20窟 曇曜五窟の如来坐像

第20窟 曇曜五窟の如来坐像

 

明代の城郭都市平遙古城

城壁に囲まれた城郭都市がほぼ完全な形で残る、中国でも稀有な古都、平遙。古い民家や邸宅など明代・清代の街並が当時のまま残り、古き良き時代の風情が色濃く漂います。清代末期、平遥は金融都市として繁栄し、「晋商」といわれる山西商人はここを拠点として中国全土や海外に進出していきました。中国で最初の銀行「日昇昌」も平遥で誕生しました。徒歩での散策で、飾らない庶民の暮らしぶりや、昔と変わらぬ活気ある町の雰囲気を実感できます。

平遙古城を散策

平遙古城を散策

 

平遙より洛陽へ

平遙より黄河を渡り、洛陽へ。華北を統ーした北朝の北魏ははじめ平城を都としていましたが、漢化政策を進めた孝文帝は 中原を抑えるため494年に 洛陽に遷都しました。これにより龍門石窟の造営が本格化しました。

黄河を渡り洛陽へ

黄河を渡り洛陽へ

 

龍門石窟

河南省洛陽市の南にある伊河沿いに位置する石窟。北魏時代から唐にわたり400年以上の歳月をかけて完成されました。石灰岩の岸壁に全長7kmの長さにわたり 石仏が刻まれています。石窟の数は2345、仏像数は11万を超えます。代表的な石仏である奉先寺洞の盧舎那仏は高さ約17mにもおよびます。

南北1kmにわたって掘られた龍門石窟

南北1kmにわたって掘られた龍門石窟

西山石窟

西山石窟 小さな穴1つ1つにも仏像が彫られています。

盧舎那大仏を擁する奉先寺洞(龍門石窟)

盧舎那大仏を擁する奉先寺洞

龍門石窟のハイライトである盧舎那仏は675年に完成。後に奈良・東大寺の大仏の手本になったともいわれています。盧舎那仏の左右には、釈迦の弟子である迦葉と阿難、さらに文殊菩薩、普賢菩薩、力士像が配置されています。

高さ約17mの盧舎那仏

高さ約17mの盧舎那仏

 

雲崗と龍門、2つの石窟に刻まれた仏像たちは、時代の変遷を映し出しながら、今なおその姿を保ち続けています。悠久の歴史の中で紡がれてきた遺跡を肌で感じ、その荘厳な景色には圧倒されるばかりでした。如来坐像や盧舎那仏の美しい表情が、今も心に焼き付いています。

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