秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

2021年冬の道東ツアーの様子第2弾です。
今回は羅臼や野付半島の動物たちの様子をお届けします。今年の羅臼は1月は積雪が多く、毎日雪かきが大変だったのですが、2月に入ると落ち着きました。そんな羅臼の海は今年流氷が少なかったのですが、オオワシ、オジロワシを間近で見ることができました!オオワシは冬にしか見ることができません。

オオワシ

 

開翼長は2m以上!

 

オオワシ(右)とオジロワシ(左)

 

シルエットもかっこいい

また、羅臼ではこの時期には珍しくシャチも見ることができました。

突然現れた海の王者にみなさん大興奮でした。

シャチと羅臼町

1月はトドと出逢えるチャンスもあります。

ひょっこり顔出すトドたち

 

続いては野付半島。

ここは日本最大の砂嘴となっており、鳥獣保護区でもあります。

エゾシカやキタキツネなどを見ることができました。

エゾシカ

キタキツネ

 

そして何と言っても今年の道東で話題となったのはこちらのエゾシカでしょう。

国後島とエゾシカ

オス同士が激しいケンカの末、角が絡まり首が折れ、その後なんとか引きちぎったのか、首が角に絡まった状態になっていたエゾシカです。何事もなかったかのように草を食んでいましたが、自然の凄さを感じずにはいられませんでした。

まさにワイルドライフ

 

野生動物を追い求めるツアーは、空振りもあるのが正直なところです。

ただ、まったく予想だにしていなかった出会いもあります!!そんな瞬間に出会えた時の喜びは言葉では言い尽くせません。ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。

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皆様こんにちは。今年の冬の道東ツアーの様子を2回に分けてご紹介させて頂きます。

今回は鶴居村のタンチョウなどを撮影した時の様子をお届けします。

 

北海道の東側にある鶴居村は、釧路湿原に囲まれた小さな村です。夏はカヌーやサイクリング、冬はタンチョウの給餌が行われ、世界中からフォトグラファーが集まります。

 

音羽橋

不凍川の雪裡川に架かる音羽橋には、毎年冬になると多くのフォトグラファーが川で眠るタンチョウを撮影しようと訪れます。今年はコロナの影響で例年よりも人手が少なく、ゆったりと観察することができました。

音羽橋から

寒い日はマイナス25℃を下回るので、徹底的な防寒対策が必要です。

条件が揃えば周囲の木々に霧氷が付くのでとても幻想的な雰囲気になります。

日の出直後

日が昇り、ふと角度を変えて川を見てみると、凍った水蒸気が太陽に反射し、キラキラと輝いていました。

ダイヤモンドダスト

早朝5時過ぎから日の出まで撮影しましたが、後半は手がかじかんできました。

一旦ホテルに戻り朝食を食べ、今度は飛び立つ瞬間を狙います。

給餌が始まると飛び立ってゆく

近くの給餌場で給餌が始まると、その時間に合わせて飛び立ってゆきます。

 

鶴居・伊藤サンクチュアリ

こちらは、伊藤良孝氏(故人)が長年タンチョウの給餌活動を続けてこられた土地を「日本野鳥の会」が引き継ぎ、日本全国から寄せられた募金で建てられた施設です。毎年冬にタンチョウの給餌活動を行っています。

求愛ダンス

この時期はオスとメスの求愛ダンスが盛んに行われます。

最初にオスが「コーッ!」と鳴くと、メスが「カッカッ!」と短く鳴き、舞踏会の様に踊り始めます。

タンチョウの吐く息も白くなる

人だけでなく、タンチョウも吐く息が白くなっていました。

最近は給餌量を調整し、自然な採餌場の保全などに力を入れているそうです。

タンチョウの他にも鶴居村ではエゾフクロウが見られることもあります。

エゾフクロウ

 

つがいでいることも

 

次回は冬の羅臼や野付半島についてお届けします!

 

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「中山道・木曽路を歩く」  後編のツアーレポートです。

鳥居峠への道中から藪原宿を眺める

中山道、鳥居峠越え。道中より、木曽の山々と藪原宿を望む

 

福島宿の福島関所跡

福島関所は東海道の箱根、新居、中山道の碓氷と並ぶ日本四大関所のひとつで、中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まりました。往時を再現した福島関所跡を見学しました。木曽福島はかつて福島宿と呼ばれていました。江戸時代、福島宿は木曽谷の中心地として栄えましたが、昭和2年の大火で、古い町並みはほとんど焼失してしまいました。福島宿を歩き、福島宿の本陣跡も訪れましたが、本陣は明治半ばに壊され、石碑が残るのみとなっています。

福島関所跡

福島関所跡

木曽福島の木曽川

木曽福島を流れる木曽川。山のふもとに福島関所跡があります

福島宿の本陣跡

福島宿の本陣跡。わずかに石碑が残るのみでした

 

藪原宿(やぶはらじゅく)から鳥居峠を越えて奈良井宿(ならいじゅく)へ

木曽福島(福島宿)の後は、藪原へ。着後、かつての宿場町、藪原宿(やぶはらじゅく)を歩きました。藪原宿は、江戸時代から300年近い歴史を持つ「お六櫛」の産地で、お六櫛の店が目立ちました。江戸時代末期、皇女和宮も宿泊したという藪原宿の本陣は、今はもう残されていません。

藪原宿

藪原宿を歩く

藪原宿のお六櫛屋

藪原宿、お六櫛(おろくぐし)の店

藪原宿の本陣跡

藪原宿の本陣跡

 

藪原宿を歩いていくと、次第に坂道になり、中山道の山道に入ります。山道をゆっくり上り、鳥居峠(1,197m)を目指しました。鳥居峠の手前には、御嶽神社があります。天気の良い日には、御嶽神社から御嶽山(おんたけさん、標高3,067m)が展望できるそうです。戦国時代、木曽義元が御嶽山に戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てたことから、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれています。

藪原宿から鳥居峠へ

山道をゆっくり上り、鳥居峠(1,197m)へ

御嶽神社

御岳神社には鳥居峠の名前の由来となった鳥居がありました

鳥居峠

鳥居峠(1,197m)。地元団体が設置した石碑が建てられています

鳥居峠から奈良井宿へ

鳥居峠からは山道をゆっくり下り、奈良井宿へ

 

鳥居峠(1,197m)越えは、江戸時代の旅人たちにとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所と聞いていましたが、実際に歩いてみると、普段からハイキングをされている方なら、どなたでも無理なく歩ける山道でした。地元案内人の話では、鳥居峠まで散歩に行く地元の方も多いそうです。江戸時代の雰囲気の残る、中山道ハイキングを楽しみました。

奈良井宿に到着

奈良井宿に到着

 

すっきりしない天気だった鳥居峠(1,197m)越えでしたが、翌日は天気に恵まれ、奈良井宿の宿場町歩きを楽しみました。

奈良井宿

翌日、快晴下の奈良井宿。山の中腹にあるのが、鳥居峠(1,197m)です

 

中山道・木曽路の魅力が凝縮された、ゆったりウォーキング&ハイキング・ツアーでした。江戸時代の姿を色濃く残す、中山道の宿場町の滞在も楽しみながら、中山道の山道も是非一度歩いてみてはいかがでしょうか。再訪もお勧めです。

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今春、好評いただいたツアー「中山道・木曽路を歩く」。その様子をご紹介します。

馬籠陣馬上展望広場

「木曾路はすべて山の中である」。馬籠宿の展望台より、木曽山脈の恵那山(標高2,191m)を望む

 

草津宿(くさつじゅく)

旅の始まりは、滋賀県草津市、かつての草津宿です。草津宿は東海道と中山道が合流・分岐する宿場町で、昔から交通の要衝として栄えました。京都の三条大橋から始まる東海道は、ここ草津宿で中山道と分岐します。旧東海道沿いに位置する草津宿本陣、東海道と中山道の分岐点に立つ、追分道標(おいわけどうひょう)などを見学して、木曽路の西端に位置する馬籠宿に向かいました。

草津宿本陣

草津宿本陣と旧東海道

草津の道標

東海道と中山道の分岐点に立つ、追分道標。左に進むと中山道、右に進むと東海道です

 

馬籠宿(まごめじゅく)から馬籠峠を越えて妻籠宿(つまごじゅく)へ

馬籠宿は文豪・島崎藤村の出身地で、かつては長野県木曽郡山口村でしたが、2005年の越県合併により、岐阜県中津川市に編入されました。馬籠宿の水車からスタートし、馬籠宿の坂道を上り、馬籠峠を目指しました。

馬籠宿、水車小屋

馬籠宿の水車から歩き始めました

中山道ハイキング(馬籠宿→馬籠峠)

馬籠峠まで上りが続きます

馬籠峠

馬籠峠(標高790m)に到着

 

馬籠峠(標高790m)から妻籠宿まではゆるやかに下ります。途中、一石栃立場茶屋(いちこくとち たてばちゃや)にて休憩。管理をされている地元の方の話では、江戸中期の古い建物で、建物の劣化を防ぐため、中山道を歩く現代の旅人たちに、無料で休憩スペースを提供しているそうです。

一石栃立場茶屋

一石栃立場茶屋の外観

一石栃立場茶屋

一石栃立場茶屋の内部。江戸中期の建物です

 

馬籠峠から妻籠宿の区間は、中山道の山道の中でも特に、江戸時代の面影がよく残されており、往時の山歩きを楽しみました。妻籠宿に奥まった場所に位置する大妻籠(おおつまご)を経て、妻籠宿に到着しました。

中山道ハイキング

山道をゆるやかに下り、妻籠宿へ

中山道ハイキング

江戸時代の雰囲気が残る、中山道の山道をゆっくり歩きました

大妻籠

古い民家が軒を並べる大妻籠(おおつまご)

妻籠宿

無事、妻籠宿に到着

 

妻籠宿を見学した後は、福島関所があった木曽福島(福島宿)に向かいました。
後編では木曽福島(福島宿)、藪原宿、鳥居峠越え、奈良井宿をご紹介します。

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今回は「壱岐と対馬~実りの島と国境を巡る~」の対馬編をご案内します。

対馬

対馬は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています。韓国までは直線距離で49.5キロに位置し、まさしく「国境の島」です。

壱岐は平たんな地が多いのですが、それに比べ対馬は平地が少なく、島土の約89%が山地であり、各地に原生林が残されています。島の中央にはリアス式海岸・浅茅(あそう)湾が広がり、海岸線の総延長は915キロに及びます。

対馬へは壱岐から高速船にて約1時間で到着。博多港からだと壱岐を経由し約2時間です。

 

清水山城跡

清水山城三の丸から

対馬藩の城下町、厳原(いづはら)の背後に控える清水山城跡は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の年である天正19年(1591)に構築したといわれています。出兵の一大拠点であった肥前名護屋城(佐賀県唐津市)から壱岐・勝本城、朝鮮半島・釜山につながる重要な軍事的中継点でした。清水山の尾根沿いに、東西約500mにわたって一ノ丸(本丸)・二ノ丸・三ノ丸が並び、斜面を這う石垣により結ばれています。厳原の町並みや厳原港を一望できる総石垣の山城です。

万松院

韓国から送られた三具足

百雁木

 

元和元年(1615年)に対馬藩を治めていた宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段を上がると、宗家一族の墓所である御霊屋(おたまや)があり、巨大な墓がずらりと立ち並んでいます。その規模は大大名なみの規模で、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

万関橋

浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。

和多津美神社

古くから竜宮伝説の残るこの神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮です。海に向かって並ぶ5つある鳥居(うち2つが海中 にたちますが2020年の台風により1つは海中に倒れています)が印象的です。

烏帽子岳展望台

烏帽子岳(標高176m)は、対馬の中央に広がる浅茅湾の北岸に位置し、360度をぐるりと見渡せる展望台です。階段を上りきった先には複雑な入り江と無数の島々がおりなすリアス式海岸の景観を一望できます。対馬の島内が森林ということがここからだとよくわかります。

韓国展望所

韓国まで約50㎞の至近距離にある上対馬町は、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望むことができます。展望台は韓国のパゴダがモデルになっています。

かすんでいて私は韓国を見ることはできませんでしたが…。

※2021年秋のツアーでは千俵薪山にご案内します。こちらも条件が良い日には韓国まで望むことができます。

椎根の石屋根倉庫群

この石屋根の建物は対馬にしかなく、対馬の中でもどこでも見られるわけではありません。人家には使用せず、衣類の櫃と穀類の俵等が格納されていたそうです。人家の火災等から小屋だけは残るように配慮され、人家と小屋は離して建てられています。今でも実際に倉庫として利用されているものもあります。

浅茅湾クルーズ

マグロの養殖いかだ

海から見た和多都美神社

長板湾から約1時間半浅茅湾をクルーズします。長板浦を出発し、日本でも有数のマグロや真珠の養殖いかだを通り和多津美神社へ。前日に陸から見た和多都美神社を海から眺めることができます。また、浅茅湾のリアス式海岸の様子を見ることができます。

※2021年の秋コースでは、1300年ほど前に築かれた金田城跡を海から眺めるコースへご案内します。

 

対馬の食事

対馬では対馬名物の「石焼」をご賞味いただきます。対馬で採れた石英斑岩という溶岩を火で焼き、その上に野菜や新鮮な魚介を乗せていただく郷土料理なのですが、もとは地元の漁師さん達がとれたての魚介類をたき火に入れた石の上で焼いたのが始まりと言われています。

とんちゃん定食

また、昼食ではとんちゃんという醤油や味噌をベースとした、ニンニク・ゴマ油・みりんなど数種類の調味料で作られたタレに豚の肩ロース肉を漬け込んだ、お隣韓国の焼肉文化も取り込んだ対馬ならでは国境の味です。

 

壱岐、対馬各島2連泊ですので、ゆっくり歴史や自然、地元の食事をお楽しみいただけることでしょう。

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