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3つのジオパーク探求の旅 山陰海岸&隠岐と”国引きの大地”島根半島のツアーを新たに発表いたしました。ジオパークとは「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいい、太古の昔から現在に至るまでの多様な地質や地形、それらがもたらす多彩な自然を背景にした人々の文化や歴史にふれることができます。今回は、ツアーで訪れる山陰地方の3つのジオパークをご紹介いたします。

 

1.山陰海岸ジオパーク


浦富海岸

 

日本列島が大陸の一部であった時代から日本海が成立し、現在にいたるまで地球の歴史が分布する岩石や地層に残されている山陰海岸ジオパークは、ユネスコ世界ジオパークに指定されています。様々な岩石や地層、多彩な海岸地形、内陸の滝や渓谷など、貴重な景観を見ることができ、それらを生かした特色のある暮らしが営まれています。日本列島が大陸の時代であった頃の花崗岩である「千貫松島」など、特殊な景観をご覧いただけます。

洞門「千貫松島」

 

山陰海岸の地質図

 

 

2.島根半島・宍道湖中海ジオパーク

柱状節理が広がる流門岩(日御崎)

 

約2000万年前に日本海や日本列島が形成される大きな地殻変動が起こり、美しいリアス式海岸の島根半島や国内最大の連結汽水湖の宍道湖・中海が形成されました。約1300年前の古代人も、変化する大地の魅力を出雲国風土記に国引き神話として描きました。その中で、ヤツカミズオミズノミコトという神様が、海の彼方から陸地を引いてきて島根半島ができ、豊かな耕作地の拡大を祝った神話として伝わります。島根半島は天然の巨大な防壁となり、斐伊川水系の土砂を堰き止め、肥沃な平野や入り江、潟湖が形成されていく自然へのイメージや日本海の遠方の国々との交流が盛んな場所として、土地を引く姿に例えたと考えられています。

多古の石柱 宍道湖の夕日

 

 

3.隠岐ユネスコ世界ジオパーク

かぶら杉

ローソク島

 

隠岐ユネスコ世界ジオパークは、島根半島の北40~80kmの日本海に点在する4つの有人島と多数の無人島によって構成されており、今回訪れる島後はこのジオパークに含まれています。日本海と日本列島形成の歴史を記録した岩石をはじめ、環境変動の結果生み出された独自の植生や、隠岐の地史・地理・地質が生み出した自然環境に最適化した文化、日本海の離島という地理によって育まれた歴史などが狭い島の中でコンパクトに見られる、大地と人、人と自然をつなぐジオパークです。

 

 

旅先の候補として選ばれにくい山陰地方ですが、ユニークな海岸地形が生み出した歴史や暮らしは奥深く、特に地質、地層、岩石などがお好きな方はお楽しみいただけると思います。ぜひご参加ください。

 

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九州美景めぐり 4つの瀑布と阿蘇、九重、高千穂 大自然満喫の旅」のツアーでは、心に残る九州の美しい景色や大自然をベストシーズンにお楽しみいただけます。今回は、ツアーで訪れる4つの滝をご紹介いたします。

 

1.鍋ヶ滝(なべがたき)

 

熊本県阿蘇郡小国町にある滝で、小規模ながらも滝を裏側から眺めることができるという珍しい特徴があります。落差は約10mと規模は小さいですが、幅が約20mもあり、カーテンのように幅広く落ちる水が美しい滝です。阿蘇のカルデラを作った約9万年前の巨大噴火でできたとされ、長い年月をかけて今の形になりました。

 

 

2.黄牛(あめうし)の滝

 

大分県竹田市にある落差20mほどの豪快に水しぶきを散らして轟く滝で、かつて龍が住んでいたという伝説が残っています。高さの割に水量が多く、滝つぼのそばまで近づくことができるため、轟音を立てて流れ落ちる圧巻の様子をご覧いただけます。「黄牛」とは、肥後地方(熊本県)に多く見られる飴色をした牛のことです。

 

 

3.原尻(はらじり)の滝

 

日本の滝100選にも選ばれている幅120m、落差20mの滝で、「大分のナイアガラ」とも称されます。田園地帯に突如現れる珍しい光景が特徴的で、9万年前に起きた阿蘇山の大噴火の大火砕流によってもたらされました。下に降りて滝の近くまで行くこともでき、しぶきを感じながら大迫力の光景を堪能できます。

 

 

4.真名井(まない)の滝

 

断崖がそそり立つ峡谷、高千穂峡にある日本の滝百選にも選ばれた名瀑。約17mの高さから水面に落ちる様は高千穂峡を象徴する風景です。天孫降臨の際、この地に水がなかったので、 天村雲命(アメノムラクモノミコト)という神様が水種を移した「天真名井」から湧き出る水が水源の滝と伝えられています。

 

 

夏のベストシーズンを迎える九州の高原地帯。各所で溶岩トンネル探検や熱気球フライトなども楽しみながら、美しく壮大な大自然をご体感ください。

 

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2021年6月初旬に同行した、大峯奥駆道の後編です。

眺めのいい稜線歩き

吉野から前鬼までは既に歩かれている方や、前編の主な山々(山上ヶ岳、八経ヶ岳、
釈迦ヶ岳)には既に登っている方など、様々な想いとともにご参加いただきました。

近鉄・大和上市駅に集合後、タクシーにて国道169号線を約70kmの道のり。
吉野川、伯母谷川沿いに南下し、新伯母峯トンネル(全長約2km弱)をくぐり抜け、
左手(東側)に大台ヶ原がある台高山脈、右手(西側)に和佐又山や山上ヶ岳を
抱く大峯山脈に挟まれながら、北山川沿いに南下し、
川上村から上北山村、下北山村へと入ります。

青が美しい北山川

池原貯水池沿いにある前鬼口から国道169号線を逸れ、前鬼川沿いに林道を北上。
途中、不動七重の滝の展望地にて写真ストップ。日本の滝百選にも選ばれ、
総落差は160m以上ともいわれている。迫力満載です。
近年キャニオニングも盛んになってきたという前鬼川は、上流にダムなどの人工的な
施設がほとんどなく、自然なままの美しい水が流れています。
「前鬼ブルー」という異名もあるほど、緑の様な青の様な色味も印象的でした。

日本の滝百選の「不動七重の滝」 総落差は160m以上。

到着すると早速61代目の五鬼助義之さんがお出迎えです。
お風呂後、自家製味噌の美味しいお味噌汁をはじめ、夕食をたらふくに食べて就寝zzZ

前鬼に唯一残る宿坊・小仲坊

前鬼での夕食。お味噌汁が美味!

前鬼で偶然に出逢った青岸渡寺の修験者

法螺貝を吹く修験者

■トレッキング①(前鬼→持経ノ宿)
29番靡の前鬼山から開始。
宿坊(小仲坊)横から登り始め、五鬼熊、五鬼童の住居跡を経て、
ストレッチや衣服調整を加えながらズンズン進みます。

まもなく853段の階段が開始。
木製の梯子は乾いていて滑ることもなく、順調に標高を稼いでいきます。

標高差650m(前鬼~太古の辻)には853段の階段が続く

一歩一歩、延々と続く階段を登る

多少のザレ場や乗越、鎖場を難なく通過し、太古の辻(1,450m)へ到達。
朝一番から今日一番の核心部、お疲れ様でした!

前鬼から太古ノ辻へ向かう

所要は、3時間弱みていたので、想定通りです。
ここにも33番靡の二ツ石(別名:背比べ石)があり、北と南の奥駆道の境界です。

33番靡の二ツ石(別名:背比べ石)

ここからは、小さなピークを幾つも越えてゆきます。その数なんと9つ!
32番靡・蘇莫岳(1,521m)、石楠花岳(1,472m)、天狗山(1,537m)、27番靡・奥守岳、
26番靡・子守岳(地蔵岳;1,464m)、25番靡・般若岳(希望者はピストンで登頂)、
24番靡・涅槃岳(1,376m)、証誠無漏岳(1,301m;しょじょうむろう)、
阿須迦利岳(1,251m;あすかり)です。

32番靡・蘇莫岳(1,521m)

石楠花岳(1,472m)

27番靡・奥守岳

26番靡・子守岳(地蔵岳;1,464m)

子守岳でランチ

登っては下り、登っては下りを繰り返しますが、振り返れば北奥駆道の名所、
40番靡・釈迦ヶ岳(1,800m)と42番靡・孔雀岳(1,779m)&43番靡・仏生ヶ岳(1,805m)の
特徴的な山容が離れていくことが分かり、進んでいることを実感できます。

振り返れば最奥に北奥駆道の名所、40番靡・釈迦ヶ岳(左:1,800m)と42番靡・孔雀岳(右:1,779m)&43番靡・仏生ヶ岳(右:1,805m)の山容

涅槃岳直下の急登

24番靡・涅槃岳(1,376m)

証誠無漏岳から阿須迦利岳へは、急な鎖場があったものの軽快に通過し、
15時過ぎに22番靡・持経ノ宿に到着。不動堂が建てられています。
快適な山小屋は広々と使うことができました。
水場は林道を400m下ったところにあり、川沿いの蛇口からドボドボと出ています。

22番靡・持経ノ宿の小屋

持経ノ宿にある水場

■トレッキング②(前鬼→持経ノ宿)

おはようサンライズ!
本日は半日行程のため、朝食後、ゆったり目な出発です。
エスケープルートになる池郷林道は昨年の土砂崩れの為に以前通行止めです。
その林道沿いに延びるルートを進みます。

21番靡・平治ノ宿で休憩。ここも立派な避難小屋(無人小屋)です。
水場はルートを外れて悪路を下った箇所にあり、この時期はしっかり出ていました。

21番靡・平治ノ宿

平治ノ宿の内部

その後、転法輪岳(1,282m)、倶利伽羅岳(1,252m)を連続登頂した後、
行仙岳(1,227m)への登り途中にある20番靡・怒田宿跡へ。
そこから階段状の直登をつめれば電波塔の立つ頂上へ。
展望もよく、北側には釈迦ヶ岳(1,800m)も見えました!

19番靡・行仙岳(1,227m)

行仙岳から遠くに釈迦ヶ岳(1,800m)を望む

昼食後、約30分の下りで行仙宿へ到着。

当ツアーで一番の設備が整う行仙宿の山小屋

午後は時間があったので、ティータイム♪

夕食前に往復30分強かかる水場へと水汲みへ。
秋より水量が少なかったものの、無事確保。

夕食をしっかり食べて、明日へのエネルギー充電完了です!

行仙宿の水場(往復30分強)

行仙宿にて

■トレッキング③(持経ノ宿→行仙ノ宿)

本日は、核心部を越えてゆく一日です。
十津川温泉も皆様の身体を癒すべく、待っています。

まずは18番靡・笠捨山(1,352m;別名は仙ヶ岳)へ。
前衛峰もあり約1時間40分かかりましたが、西峰に到達。ここから一気に下り始めます。

18番靡・笠捨山(1,352m;別名は仙ヶ岳)

槍ヶ岳を前方に望む鉄塔地点にて、ヘルメットを装着しストックをザックにしまいます。
ここから約1時間30分が核心部です。
まずは17番靡・槍ヶ岳まで急登(ピークは細い悪路のため踏まず)。
靡の標識のある鞍部を経て、お地蔵さんが安置されている地蔵岳(1,250m)へ。

地蔵岳(1,250m)への登り

地蔵岳(1,250m)山頂

ここから6mほどの長い鎖場の下りが2本続きます。
一人一人慎重に下っていただきましたが、風雨がなかったことも幸いし無事に通過。

地蔵岳からの下り①

地蔵岳からの下り②

地蔵岳からの下り③

地蔵岳からの下り④

地蔵岳からの下り⑤

16番靡・四阿ノ宿でヘルメット解除です。お疲れ様でした!!
その後、続けざまに15番靡・菊ヶ池、14番靡・拝み返し、13番靡・香精山(11122m)、
ずんずん下り12番靡・古屋ノ宿跡へ。

11番靡・如意宝珠岳(736m)を登頂し、蜘蛛ノ口(別名:岩ノ口)を通過し、稚児ノ森へ。
この辺から林道に沿う形のルートになっていきます。

杉林をゆく

11番靡・如意宝珠岳(736m)

玉置神社に近づくと林道沿いに歩く

玉置山(別名:沖見岳(1,077m)に登頂。景色は優れなかったものの、ホッと一息。
下ること約20分で10番靡・玉置神社へ。

玉置山(別名:沖見岳(1,077m)の山頂

玉置神社の社務所

玉置神社の本殿

センリョウ科のフタリシズカ

玉置神社の夫婦杉

観光後、車に揺られる事30分でホテルへ到着。
食事の前後でお風呂にも浸かりアイシングしつつお肌もツルツルに♪泉質最高です。
お食事も美味しく、たっぷりとご堪能いただきました。

■トレッキング④(行仙ノ宿→熊野本宮大社)

朝の雲海が朝日に輝きながら十津川村を美しく包み込んでいます。

雲海に包まれる十津川温泉郷

 

まずは大森山(1,078m)までの急登が続きます。

登頂後は、時にロープも張られた急な坂をズンズン下って、8番靡・岸の宿へ。

その後、痩せ尾根を進み、7番靡・五大尊岳北峰(825m)、南峰を登頂。
遂に木々の間から眼下に熊野川を拝むことができるようになってきました!

7番靡・五大尊岳北峰(825m)

熊野川が見えてきました

本日の行程の中間地点、6番靡・金剛多和へ。多和は垰とも表記されます。

6番靡・金剛多和

5番靡・大黒天神岳(574m)を登頂。最後まで小刻みなアップ&ダウンが続きます。
4番靡・水吹越山を通過すると、いよいよ残すは1番靡・熊野本宮大社のみです。
※3番靡は熊野速玉大社、2番靡は熊野那智大社です。

5番靡・大黒天神岳(574m)

“目を見張る”大きさの名物・めはり弁当

4番靡・吹越山

最後のひと踏ん張り。七越峰(262m)を越え、とうとう熊野川の川岸に辿り着きました!

最後の渡渉「濡れ草鞋の入堂」を目指しましたが、水位と水量を判断させていただき、
控えさせていただき、備崎橋経由で迂回し、大斎原の大鳥居をくぐり、熊野本宮大社へ。

(理想的には…)冷たい水に身と心を清めてから本宮の神域に入る渡渉「濡れ草鞋の入堂」を目指す

備崎大橋経由で迂回する

熊野本宮大社へ参拝

各々秘めたる想いを胸に参拝を終え、バス停前で解散。
長時間が連日にわたるトレッキング、お疲れ様でした!

眼下に大斎原、熊野本宮大社を望む

眺めのいい稜線歩き

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~前編その①より・・・~
大阪支社トレッキング担当の楠です。
つづいて、行者還小屋以降についてご紹介いたします。

コケの緑と森の深さを感じさせる幾重に重なる稜線美

■トレッキング④(行者還小屋→弥山小屋)
本日は半日行程です。
57番靡・一の垰(たわ);多和とも書く)を経て、バイケイソウの群落を進みます。
見上げるとシロヤシオが咲き誇っています。

シロヤシオ(白八汐)、別名ゴヨウツツジ、マツハダ。

有毒性のあるバイケイソウの群落を進む

弁天の森にある56番靡・石休の宿、55番靡・講婆世(こうばせ)の宿へ。
さて、ここから弥山小屋まで、木製ハシゴを含めた登りがひたすらに続きます。

弥山小屋へと続く長い木製の階段を登る

無事弥山小屋へ到着。54番靡・弥山神社と役行者堂を参拝して小屋へ入りました。

小屋は快適そのもので、乾燥室、お部屋の暖房、食堂のお菓子やカップラーメン、
アルコールに綺麗なトイレ。シャワー以外は何でも揃っていました。

弥山小屋の部屋の一例

弥山小屋の清潔な食堂

■トレッキング⑤(弥山小屋→八経ヶ岳→楊子ヶ宿小屋)
午後から回復の見込みがある天気予報に従って、出発予定をズラしました。
余裕のある行程の大切さを身に染みます。

近畿地方最高峰の八経ヶ岳(1,915m)へ向け出発。
雨足はまだ収まってはいませんが、弱くなることを想定しつつ進みます。
鞍部にはオオヤマレンゲの群落があり、7月が開花シーズン(寿命は4-5日程度!)につき
5月は咲いてはいませんでしたが、防鹿柵が設けられ保護されていました。

鞍部から登り返し、無事登頂!
役行者が第3生の骸骨が持っていた利剣を埋めたことから八剣山との別名もあり、
法華経八品を収めたことから51番靡・八経ヶ岳とも呼ばれています。

近畿最高峰・八経ヶ岳(1,915m)の頂

雨足は弱くなりつつも、風は依然強く吹いています。
酸性雨、鹿の食害等により立ち枯れた木々は風を防いでくれるはずもなく、
南西からの風が体に突き当たります。

立ち枯れた木々を縫うように歩く

先へと進み、ルート上からピストンで50番靡・明星ヶ岳(1,894m)を登頂。
その先、49番靡・菊の窟(きくのいわや)を経て、48番靡・禅師の森へ。
この辺りは10-15分間隔で靡が点在しています。

47番靡・五鈷嶺(ごこのみね ; 1,694m)は巻きます。
46番靡・舟の垰(たわ)、45番靡・七面山を経て、44番靡楊子ヶ宿小屋(1,594m)へ。

こちらも貸し切り状態ではあり幸運でしたが、玄関先が水浸し…。
しかしその水も夜には土壌に染み込まれていき安心しました。
枯れやすいとされる水場は今回は勿論問題はなく、徒歩3分の位置に恵まれた水場が!

倒木が多々見られる道中

2階建ての楊子ヶ宿小屋の外観

■トレッキング⑥(楊子ヶ宿小屋→釈迦ヶ岳→前鬼)
さて、前編の最終日です。早出早着を心掛けます。雨は完璧にあがりました!
まずは1時間弱で43番靡・仏生ヶ岳(1,805m)へ。ルート上からピストンで向かいます。
その先、鳥の水でミネラルたっぷりの水で喉を潤し、42番靡・孔雀岳(1,779m)へ。

水場が乏しい区間において有難い鳥の水(水場)

孔雀岳(1,779m)付近の孔雀覗(のぞき)より眼下を覗き込む

この先に、仏の世界観を表した曼荼羅世界の金剛界(吉野~)、胎蔵界(~熊野)の
両部分け(両峯分け)がございます。真言密教の影響で両部思想となっているそうです。
「生-死-再生の過程を体験する修行が峰入り」です。

ヘルメットを着用し、ストックはザックにしまい(両手を空けて)臨みます。
大日経を納めて空になった石鉢を置いたといわれる41番靡・空鉢岳(くうはちだけ)へ。
巨岩・弥勒岩、杖捨ての岩場、馬の瀬を経て、急登を重ねて、ようやく、

お釈迦様がいらっしゃる40番靡・釈迦ヶ岳(1,800m)へ登頂。

空鉢岳を越えたところにある金剛蔵王権現の像と碑伝(ひで)

40番靡・釈迦ヶ岳(1,800m)のお釈迦様

下りを開始。釈迦ヶ岳付近は流石に人気もあり、登山者とすれ違います。
岩壁の穴をくぐる行が行われていたという39番靡・都津門(とつもん;極楽の東門)
まで下ると、前方には赤ヤシオに染まった大日岳が出迎えてくれました!

39番靡・都津門(とつもん;極楽の東門)

アカヤシオに染まる大日岳(1,568m)を望む絶景地

アカヤシオに染まる大日岳(1,568m)

アカヤシオ(赤八汐)、別名アカギツツジ

その後、更に下り本山派修験の灌頂道場38番靡・深仙宿へ。
ここは役行者がお亡くなりになる(又は日本を去る)前の法時の後、
前鬼と後鬼に、大峯山に修行にくる人をお守りせよと告げ、髭を剃り落とした地です。

38番靡・深仙宿

深仙宿にある髭塚

その髭を鬼たちは大事に埋めて塚を作ったとされています。
香精水が岩壁から湧き出ており、この聖水で峰中灌頂(聖水を頭に注ぎ仏菩薩と
結縁したり法脈を継承する儀礼)が行われたといいます。

37番靡・聖天の森を経て、36番靡・五角仙を巻き、35番靡・大日岳(1,568m)を巻き、
太古の辻にある33番靡・二つ石へ。

深仙宿からの登り返し

奥駈道の南北境界点にあたる太古の辻(1,450m)

さて、ここから853段の滑りやすい木製階段を含め、下っていきます。
途中、ガレ場やクサリ場もあり嫌らしいルートも出てきますが、
新緑やコケの緑、アセビ(馬酔木)、シャクナゲに癒されながら、
順調に下ります。標高差約650m。

緊張が続く滑りやすい計853段の階段の下降

前鬼へ続く853段の階段を進む

前鬼に下るルートも楽なルートばかりではない

5月中旬はシャクナゲが咲き誇るシーズン

二つ岩で休憩後、ゆっくりと下り、遂に29番靡・前鬼山へ到着!

太古ノ辻から前鬼に下るルートの中間地点にある二つ岩(別名:両童子岩)

新緑に包まれながら前鬼へ下る

前鬼手前の渡渉

853段の階段。雨が降ればコケと相まって非常に滑る

61代目の五鬼助義之さんが今も大切に守る小仲坊の宿坊をはじめ、
行者堂や母屋を眼前に感動の瞬間です。
夕食前にお風呂に入り、自家製のお味噌から作った美味しいお味噌汁を頂きました。

自家製のお味噌汁が特に美味

29番靡・前鬼山の行者堂にて(昼)

29番靡・前鬼山の行者堂にて(夜)

本当にお疲れ様でした!!

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大阪支社トレッキング担当の楠です。

今回は、春に歩いた大峯奥駈道(吉野~前鬼)の様子をご紹介いたします。

大峯奥駈道は、修験道の根本道場である金峯山寺などがある奈良吉野山と

熊野三山を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行場として開かれた道。
1,000m~1,900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう古道を
指します。修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が8世紀初頭に開いたと
されています。主稜線沿いに75の靡(なびき)と呼ばれる行場(霊場)があり、
修行を行いながら回ります。熊野本宮から吉野に向かう順峯(1→75)、逆に吉野から
熊野本宮に向かう逆峯(75→1)とがあり、それぞれ主宰する宗派が異なります。

このコースは逆峯で歩き、前編では前鬼山の29番まで、可能な限り丁寧に歩きます。

奥まった山々をテント又は避難小屋を利用しながら縦走するが故、個人装備

(昼食、寝袋、食器類 等)は自身で運ばなければならず(共同装備:朝食/夕食/燃料 等は

スタッフが運ぶ)、軽量化は徹底して行うように、事前にご案内差し上げました。

5月中旬にも関わらず史上最速の近畿地方梅雨到来、そんなニュースが舞い飛ぶ中の
出発となりました。

近鉄・吉野駅に集合し、徒歩にて73番靡の吉野山へ。
「吉野なる 銅の鳥居に手をかけて 弥陀の浄土に 入るぞうれしき」

日本三大鳥居の1つ、吉野山の銅(かね)の鳥居

役行者には前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)という鬼の弟子がおり、後鬼の子孫が住む
洞川温泉エリアの工場で作られる陀羅尼助(薬)について案内後、金峯山寺へ。
国宝である仁王門(修理中)と蔵王堂(3体のご本尊は開帳時期注意)を拝観後、宿へ。

こんな飴もトレッキング中の人気者になりました

吉野山の国宝・金峯山寺蔵王堂

吉水神社の役行者と前鬼(左)・後鬼(右)の像

夕食のカモ鍋をたらふくに食べ、お風呂にゆったりと浸かり、就寝zzZ
翌朝からいよいよトレッキング開始です!

カモ鍋に舌鼓する

■トレッキング①(吉野→二蔵宿小屋)
まずは舗装道を上りたっぷり汗を搔きながら72番靡の水分(みくまり)神社を参拝。
「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を
集めているそうで、豊臣秀吉もこの地を訪れて祈願し、子の秀頼を授かったそうです。

水分神社の内部の様子

その後、71番靡の金峰神社(金精大明神)を参拝。
吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀っています。

吉野の地主神を祀る金峰神社

その下部に、源義経が隠れたという伝説がある蹴抜塔があります。
義経が敵に襲われて隠れ、追手が来たときに天井を蹴破って出たとされるが、
本来は「気抜け」で、音によりたまげさせて気を抜く事で疑死を表す行為と
解釈もできるそうです。
「吉野なる 深山の奥のかくれ塔 本来空の 住みかなりけれ」

役行者も修行をしたといわれる蹴抜塔

70番靡の愛染の宿(安禅蔵王堂跡)の跡地を経て、旧・女人結界のあった碑を
左折し青根ヶ峰(858m)へ登頂。
この後、小さなピークを含め、幾つも丁寧に経由していくこととなります。

昼食(名物・柿の葉寿司!)を頂き、69番靡・二蔵宿小屋(百丁茶屋跡)へ。

立派なもので、毛布や調理器具類もデポされていました。
水場は乏しい水量でしたが、無事カレーを召し上がっていただき、就寝zzZ。

昼食は保存もきく柿の葉寿司で空腹を満たす

二蔵宿小屋の外観

二蔵宿小屋の内部の様子

■トレッキング②(二蔵宿小屋→山上ヶ岳→小笹の宿)
ミヤマトリカブトが生えている急坂を登り、大天井ヶ岳(1,439m)へ。

秋に紫の花を咲かすミヤマトリカブトの葉

そこから一気に五番関まで下ります。
五番関には現・女人結界門があり、ここから女性陣は洞川温泉へ下ってゆきます
(翌日は、女人大峯の稲村ヶ岳(1,726m)へ登頂し、翌々日に弥山の小屋で再会)。

男性と女性はここで別隊に分かれる

男性陣は、そのまま前進し、68番靡にあたる浄心門(洞辻)の茶屋で休憩。
陀羅尼助茶屋から先、表行場の名所である油こぼし、鐘掛岩、西の覗を経て

宿坊群の横を通過しつつ、67番靡・大峯山寺を参拝。
「鐘掛と 問ふて尋ねて来てみれば 九穴の蔵王を 下にこそ見れ」
途中、頭は吉野、尾は熊野に繋がるといわれる役行者が修行をしたお亀石も経由。
「お亀石 踏むな叩くな杖つくな よけて通れよ 旅の新客」

陀羅尼助茶屋

手と足のホールドを確認しながら慎重に登る

お亀石

約300mの高度差を西の覗から覗きこむ

山上ヶ岳(1,719m)の頂にある湧出岩を見学。
役行者が大峯山をご開山の時、この山頂に於いて、社会と衆生を守護くださるご本尊を
祈請されたところ、先ず釈迦如来が、次いで千手観音・弥勒菩薩が現れたといいます。
しかし末世剛悪・混迷しきった世間や人心を救うにはあまりにも優しすぎるとして、
さらに祈りを重ね一千日のご修行の末、最後に忿怒身をもった金剛蔵王大権現が

ご出現下さった、と伝わっています。

金剛蔵王権現を役行者が感得した山上ヶ岳頂上の湧出岩

66番靡の小笹の宿へ。ここには役行者の第6生の骸骨があるといわれています
(役行者は生まれ変わること7度の第7生だったとのこと)。
避難小屋は扉が壊れていましたが、貸切状態。沢の隣に位置し、水は豊富にございます。

小笹ノ宿小屋の外観

■トレッキング③(小笹の宿→行者還小屋)
翌朝、65番靡・阿弥陀ヶ森で女人結界から出ることとなります。その先10分下ると、
64番靡・脇の宿(跡)があり、ここから63番靡普賢岳(小&大)への登りが開始です。

満開のツクシシャクナゲが出迎えてくれました。視覚を潤しながら無事登頂!

雨に打たれつつもシャクナゲに癒されながら登る

ここから岩場を下り、笹原にある水太覗、その先の61番靡・弥勒岳、

国見岳(1,655m)はともにザックを道中にデポして、ピストンで頂上を踏みました。
60番靡の稚児泊(ちごどまり)を経て、緑が美しいコケの森を進み、七つ池へ。

苔生す森の美しさも魅力

急登やクサリ場を登り59番靡・七曜岳(1,584m)に登頂。

滑りやすい腐りかけの木の梯子を慎重に下りあと一息で小屋です。
58番靡・行者還(行者岳;1,547m)もピストンで踏みました。

鎖を掴み、木の根で滑らない様に慎重に下る

脆い木製ハシゴを滑り落ちない様に下る

シャクナゲが咲く行者還岳

行者還小屋へ到着すると、再び貸し切り状態で広々と使えたことで、テントを始め、
様々衣類や装備も乾かすこともできました。

行者還小屋の内部の様子

 

~前編その②へ続く・・・~

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