ラサへの歩き方~祈りの2400km

03c52adb1d36adb2

チベット

ラサへの歩き方~祈りの2400km

 

岡仁波斉   Paths of the Soul

監督:チャン・ヤン
出演:チベット巡礼の旅をする11人の村人たち
配給:ムヴィオラ
日本公開:2016年

2016.6.29

聖なる大地・チベットを包む、
巡礼者たちの小さな祈り

舞台はチベット自治区。東チベット・マルカム県プラ村の人々が1200km離れた聖地・ラサ、そしてさらに1200km先のカイラース山への巡礼の旅に出ます。 それぞれの思いを胸に巡礼に臨む11人は、両手・両膝・額を地面に投げ出して祈る五体投地を何百万回と繰り返しながら、まさに体をすり減らして進んでいきます。

Lhasa_サブ3

五体投地は実際にしばらくやってみるといかに体力を使うかがわかりますが、小学校低学年ぐらいの少女も含む一行は基本的に標高3000m越えの環境で五体投地をひたすら繰り返して、途中4500mを越える峠をも越えて聖地を目指します。

Lhasa_サブ2

この作品の驚くべき点は、実際の村人たち本人が自分たち自身を演じているフィクションであるという点です。出演者たちの敬虔さや、荘厳なチベットの風景といった実質的要素が手伝って、物語はフィクションとドキュメンタリーの境目を足音なく行き来し、観客に手を差し伸べてくれます。

カメラは幾度となく誰が誰だか判別できないくらい遠くからのアングルで、風景に同化させるようなとらえ方で登場人物たちを映します。命の生き死にが人間から近いところで行われている描写も随時はさまりますが、物語は「チベット」という場所を越え、鏡が光を反射するように私たち自身の生活を省みさせてくれます。

Lhasa_サブ4

一般的な感覚からすると、時は過去から未来へと一方向に進み、人生は何かを積み重ねていくもののように感じます。社会生活の中で私たちは何かを身につけたり、経験したり、増やしたりすることに価値を感じがちです。旅の途中で巡礼者たちが祈りながら道端に小石を積み上げる様子が度々映しだされますが、私はその度に彼らの中の何かが削ぎ落とされていくような印象を受け、「減らす」ということの美徳を感じました。積む動きをとらえたシーンで減らす美徳を感じるというのも不思議な話ですが、登場人物たちのちょっとした行為の節々から、彼らが持つ美しい感覚を感じ取ることができます。

Lhasa_サブ6

私自身ラサには数回訪れ、道路脇で五体投地している人やポタラ宮やジョカン(大昭寺)で熱心に祈りを捧げる人を目にして、彼らがそこに至るまでの果てしない旅路を想像していました。この映画は、私がその時知りたかったことに対する一つの答えを見せてくれました。

チベットに興味がある方から、日々の複雑な悩みを単純にみつめなおしてみたい方にオススメです。

7/23(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開。その他全国順次上映。

詳細は公式サイトからご確認ください。

青蔵鉄道で行く チベットの旅

世界最高所を走る青蔵鉄道に乗車し、聖なる都・ラサを目指します。西寧からゴルムドを経由し徐々に標高を上げて青海省・チベット自治区の境にある唐古拉峠(5,072m)を越えると、車窓には7,000m峰のニェンチンタングラ山脈や草原が広がります。列車の旅は、景観をお楽しみいただくだけではなく、ラサへ向かう前の高度順応としても最適です。

聖地カイラス山巡礼とグゲ王国

カイラス山までは世界最高峰チョモランマなどのヒマラヤ山麓を展望しながら向かいます。カイラス山では52kmの巡礼路を徒歩にて一周します。

thumbnail

ラサ

チベット自治区の区都。チベットの政治的・宗教的中心地。 7世紀にチベットを統一した吐蕃王国のソンツェンガンポ王により、チベット(当時は吐蕃王国)の都として定められました。

シアター・プノンペン

7b09bc5633d53445©2014 HANUMAN CO., LTD

HanumanFilms-Logo (2) パンドラ配給

カンボジア

シアター・プノンペン

 

The Last Reel

監督:ソト・クォーリーカー
出演:マー・リネット、ディ・サーベット、ソク・ソトゥン、トゥン・ソーピー、ルオ・モニーほか
日本公開:2016年

2016.6.29

映写機から放たれる未来への光
カンボジア人女性監督による決意の一作

映画の舞台は現代カンボジア。首都・プノンペンは、1970年代のクメール・ルージュ(ポル・ポト派)による恐怖政治の時代を経て、今ではグローバルなダンス音楽が街中に響くようになっています。一方、テレビでは大量虐殺を繰り広げたポル・ポト派の裁判がいまだに続く・・・そうした描写から映画は始まります。

主人公の女子大生・ソポンはふと入った映画館「シアター・プノンペン」で流れている作品に自分の母が出演していることを発見します。その作品『長い家路』はポル・ポト派による作品処分を切り抜けた貴重な作品で、母の美しい姿にソポンは魅了されますが、フィルムの最後の一巻が欠けていることを映写技師から聞きます。そして、ソポンは病床の母のために物語の結末を自分で完成させたいと思うようになります。

ソボンの熱意は徐々にまわりの人々の感情や人生を動かしていきますが、その原動力となっているのはカンボジアの過去をみつめる監督自身の眼差しの強さに他なりません。自国の目を背けたくなるような歴史をしっかりとみつめ、一体何が起きたのか、これからの世代に何を伝えられるのかということを必死で模索しているエネルギーが映画から伝わってきます。

私自身、クメール・ルージュによる惨劇を世界史の授業で学ぶ知識以外で実感した出来事があります。Dengue Feverという2000年代アメリカのカンボジアン・サイケデリック音楽バンドがきっかけで知った人気女性歌手パン・ロン(劇中でもうっすらと似たような曲が流れています)がポル・ポト時代に粛清されたと知ったことです。パン・ロンの曲を聞くと50・60年代当時のにぎやかな雰囲気がそのまま私の耳に響いてきましたが、何の罪もない彼女の身にあった悲劇を知った時、まるで曲が何か重要なものを置き去りにした状態で鳴っているように聞こえました。ソボンもきっと未完の映画から何か抜け落ちたイメージを受け取って、それを必死で埋めようとしているのだと終始共感しながら鑑賞しました。

プノンペン  メイン写真

監督のソト・クォーリーカーはこれから東京国際映画祭製作のオムニバス映画への参加も決まっている注目の新人女性監督です。映画の冒頭から「おそらくこの作品は女性が撮ったのだな」とわかる独特の瑞々しいタッチで物語が描かれます。期待の女性監督の情熱を体感したい方、カンボジアの今と過去を見つめてみたい方にオススメの作品です。

7月2日(土)より岩波ホールにて公開
以後、全国順次公開予定。

その他詳細は公式サイトからご確認ください。

ハノイからプノンペンへ陸路で繋ぐ
アジアハイウェイ1号線を行く

2015年1月に開通した橋を利用しベトナムからカンボジアへ。7つの世界遺産も訪問。

大クメール周遊

クメール王朝の歴史を紐解くゆとりある遺跡探訪の旅。シェムリアップに5連泊・こだわりのホテルに滞在。

プノンペン

カンボジアの首都。フランス植民地時代の美しい建物が残り、「東洋のパリ」とも称される。カンボジア国王の居住地・カンボジア王宮には、今も国王一家が暮らす。

独裁者と小さな孫

91p3QXJvJyL._SL1500_

ジョージア

独裁者と小さな孫

 

The President

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリほか
日本公開:2015年

2016.6.15

現代国際社会への示唆に満ちた
生々しいフィクション

今からそう昔でも未来でもないある日、地球上のどこかにあってもおかしくないないある独裁国家で突如クーデターが起きます。キューバのカストロ議長のように軍服を着こなす独裁者は孫(おそらく6歳ぐらいの少年)と宮殿を逃げ出し、民家に身を隠したり変装したりしながら逃走します。独裁者はその旅路の最中、自分の行った統治の結果を見ることになります。はたして独裁者、そしてその孫は何を思いどのような運命が彼らを待っているのでしょうか…

監督はイランの巨匠モフセン・マフマルバフ。イラク戦争・アラブの春・シリア騒乱などの国際問題を連想させつつも明らかに架空の世界と分かるタッチで進んでいく物語から、世界的巨匠の実力を伺い知れます。主人公たちが住居を追われてあてもなくさまようというストーリーは、監督自身も自由な表現を求めてイランを出てロンドン・パリを拠点に映画を作っているという事実も反映されているように思えます。

冒頭で独裁者が孫を楽しませるために街全体の電気をつけたり消したりしますが、撮影地はジョージアの首都・トビリシです。行ったことがなければまずどこだかはすぐにはわからないような、不思議な雰囲気を醸し出しています。日本人にはまだまだなじみのないジョージアの光景に、映画開始直後から引き込まれることでしょう。 コーカサス地方で撮影された映画を見てみたい方、映画の持つフィクションの力を体感したい方にオススメの映画です。

 

コーカサス3ヶ国周遊

広大な自然に流れる民族往来の歴史を、コンパクトな日程で訪ねます。
複雑な歴史を歩んできた3ヶ国の見どころを凝縮。美しい高原の湖セヴァン湖やコーカサス山麓に広がる大自然もお楽しみいただきます。

民族の十字路 大コーカサス紀行

シルクロードの交差点コーカサス地方へ。見どころの多いジョージアには計8泊滞在。独特の建築や文化が残る上スヴァネティ地方や、トルコ国境に近いヴァルジアの洞窟都市も訪問。

Tbilisi

トビリシ

クラ川に面したジョージア(グルジア)の首都。ペルシャ系、トルコ系、モンゴル系と様々な民族の侵略を受けて来た歴史を持ちます。市内を一望できる丘の上にはジョージア正教のメテヒ教会が建ち、旧市街の中にも数多くの教会やシナゴーグが建っています。

ラッチョ・ドローム

latcho drom

インド・トルコ・エジプト・フランス・スペイン

ラッチョ・ドローム

 

Latcho Drom

監督:トニー・ガトリフ
出演:タラフ・ドゥ・ハイ・ドゥークス、チャボロ・シュミットほか
日本公開:2001年

2016.6.8

流浪の民たちの道筋を辿る旅へ思わず出たくなる、至幸の映像詩

自身がロマ(北インドのロマニ系に由来するジプシー)のルーツを持つアルジェリア生まれのトニー・ガトリフ監督は『ガッジョ・ディーロ』『トランシルヴァニア』など他にも多くのロマに関する映画を撮っていますが、その中でも特に代表作と言われているのが本作『ラッチョ・ドローム』です。題名はロマ語で「良い旅を」という意味で、映画はロマが元々住んでいたと言われるインド北西部のラジャスタンからスタートし、スロヴァキア、トルコ、ハンガリー、エジプト、南フランスなどを経て最終的にスペイン・アンダルシア地方にたどり着きます。各地で奏でられる音楽をひたすら映し出すというドキュメンタリーに近いタッチで描かれていますが、本作がドキュメンタリーと必ずしも言い切れないのは、その土地土地の日常の様子や街の音、そして音楽に聞き入る人々が醸しだす熱気が力強い物語を紡いでいる点にあります。特にジョニー・デップが「世界一好きなバンド」と公言しているルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスが地元のクレジャニ村で老若男女を巻き込んで演奏する風景や、ジプシー・スウィングの大御所チャボロ・シュミットが南フランスのサント・マリードゥ・ラ・メールの祭りの中で演奏する映像は圧巻です。私自身、この映画の影響でルーマニア・ハンガリー・ポーランド・南フランス・トルコなどを旅しました。

ジプシー音楽を知ってみたいという方、一気に魅力的な場所を多く見れるのでどこに旅行に行こうか考えていらっしゃる方におすすめの1本です。

thumbnail

イスタンブール

ビザンツからオスマンまで、帝国の興亡を見つめてきた街。ボスポラス海峡を隔て、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。首都はアンカラに遷都されましたが、現在でもトルコの文化、商業の中心です。

子供の情景

kodomonojyoukei

アフガニスタン

子供の情景

 

بودا از شرم فرو ریخت‎,

監督:ハナ・マフマルバフ
出演:ニクバクト・ノルーズほか
日本公開:2009年

2016.6.1

若きイランの女性監督がどうしても伝えたかったアフガニスタンの姿

舞台はアフガニスタンのバーミヤン。アフガニスタンでロケが行われた映画はそもそもあまりないのではないかと思いますが、その中でも2001年にターリバーンによって仏像が爆破されたバーミヤンで撮影されたのはおそらくこの映画ぐらいでしょう。

6歳の少女・バクタイは学校に行きたいと言って家を飛び出し、小さな旅が始まります。なんとかノートを手に入れて学校に向かうものの、途中でターリバーンを真似て戦争ごっこをする少年たちに巻き込まれてしまいます。映画公開当時まだ10代だったハナ・マフマルバフ監督は、少女の視点で見た世界の端々の美しさを描くと同時に、アフガニスタンが抱えている社会問題の深刻さ・複雑さを表現しています。監督はどのように演出したのか定かではありませんが、邦題の示す通り製作陣は「子供の情景」に入り込むことに徹して、キャストの子ども・大人たちに自由に演技をさせたのでしょう。重いテーマを背負いながらも、登場人物たちのとても自然で作為がない立ち振舞が映画を見やすくしています。

劇中に多くの比喩が登場しますが、ターリバーンによって破壊された仏像があった空洞もひとつの大きな比喩でしょう。何が無くなったのか、そして空洞をこれからどのように埋めていくのか。そうした比喩が込められているように思えます。この作品の原題は『Buddha Collapsed out of Shame(ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた)』ですが、アフガン内戦も9.11も仏像の爆破も、子どもたちには何の責任もありません。バクタイの年齢が2001年に生まれたか生まれていないかぐらいの6歳であるというのも、偶然かもしれませんが題名に大きな関わりがあるように思えます。

子どもの純粋さに触れてみたいという方から、じっくりと国際情勢について考えてみたいという方、教育の機会が与えられていない国の子どもたちについて考えてみたいという方まで広くおすすめできる訴求力に溢れた映画です。