秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

日本海側の記録的大寒波がきていた2020年、年末。

丁度、その日本海側の旅である「津軽鉄道ストーブ列車と秘境ランプの宿」のコースへ添乗した際の様子と訪問した各所をご紹介いたします。このコースでは東北三大半島である男鹿半島、津軽半島、下北半島、それぞれの最端へも訪問します。各地の絶景、秘境感ある宿、人気列車にも乗車し冬ならではの東北を味わいます。

まずは秋田駅にご集合いただき吹雪の中、東北三大半島の一つ男鹿半島へ。

 

男鹿半島

秋田県北西部にある日本海に突き出た半島で男鹿国定公園もあり、面積8,156haと男鹿市の総面積のおよそ1/3に相当し、寒風山、男鹿三山に加えて奇岩と絶景が続く男鹿半島の海岸部を主な範囲です。西部に男鹿三山(真山:(565m)と本山(715m)、毛無山(けなしやま(617m))があります。

 

真山神社

景行天皇の代理人であった、武内宿禰(タケシウチノスクネ)が北陸地方の視察のため男鹿半島へ訪れた際に、涌出山(現在の男鹿真山・男鹿本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵命(ニニギノミコト)・武甕槌命(タケミカヅチ)を祀ったのが始まりとされています。毎年2月の第二金曜日・第二土曜日・第二日曜日には「なまはげ柴灯祭り」として真山神社を会場に開催される。今では冬の五大雪祭りの一つとしても知られています。

真山神社

なまはげ館・伝承館

なまはげは秋田県の男鹿半島にある男鹿市、山本郡三種町、潟上市の一部において見られる伝統的な民俗行事。200年以上の歴史があり、「男鹿のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「来訪神:仮面/仮装の神々」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されています。

男鹿伝承館の学習講座

男鹿真山伝承館は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。ここでは、民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることができなかったナマハゲ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。想像以上の迫力ある実演に子供が泣きわめくのも理解できます。

また隣接するなまはげ館では男鹿市内各地で実際に使われていた150枚を超える多種多様なナマハゲ面を見る事ができます。

男鹿各地のなまはげの面

男鹿各地のなまはげ面

なまはげ4つの起源

なまはげの呼び名の由来は冬に囲炉裏にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷ができることがあって“それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「アマハゲ」 「アマメハギ」 「ナモミハギ」「なまはげ」などと呼ばれるようになったそうです。家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりします。また、なまはげが面白いのは起源とも言えます。

あなたはどの起源を信じますか?

 

なまはげの由来1:山の神説

男鹿は、海の上から見ると海に浮かぶ山に見えます。この山は、村人の生活を守護してくれる「山の神」が鎮座するところとして大切にされてきました。その山の神の使者がなまはげであるという説。

 

なまはげの由来2:武帝5鬼説

およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わり、武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになり困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。

 

なまはげの由来3:異邦人説

昔、外国船が難破してその乗組員が男鹿に流れ着きました。彼らは山奥に住み着き、冬になると人里に下りてきては物乞いをし、盗みをしました。その者たちの形相が鬼のように見えたことから、なまはげの由来となったという説です。

 

なまはげの由来4:修験者説

真山・本山は昔、「お山」と呼ばれていたそうです。そのお山は山伏の修行の場となっていて、多くの修験者が山に入り修行していました。修験者たちは、時々里に下りてきて家々をまわり祈祷などの儀式を行ったそうですが、そのことがなまはげの由来となったという説です。

 

入道崎

男鹿半島の西北端、日本海の荒波の波食によって築かれ、落差30mもある荒々しい海岸です。男鹿国定公園の一角でもあります。寒風山より産出される安山岩でできた、北緯40度ラインのモニュメントがあります。このモニュメントは、入道崎が北緯40度に位置することから1990年に建立された記念碑です。 1898年に建造された入道埼灯台があり、白黒対称の縞模様が一際目を引く岬のシンボルとなっています。海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれています。

入道崎の北緯40度のモニュメント

五能線沿いのジオスポット千畳敷海岸

人気列車の「リゾートしらかみ」が走る、五能線沿いをバスで走ります。この日はあいにくの天気でしたが日本海側と線路沿いの道路を専用車で走ります。また、1792年に発生したした寛政の西津軽地震(M6.9~M7.1)によって、地盤が隆起してできた岩浜、千畳敷海岸にも立ち寄ります。千畳敷の名前の由来は物珍しがった当時の津軽藩の殿様が、千畳の畳を敷いて宴会を開いたことからこの名が付いたとされています。

 

鶴の舞橋

鶴の舞橋は平成6年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられました。青森県産「ひば」1等材を使用しているそうで、全長300メートルもの三連太鼓橋は緩やかなアーチをしており、鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとなっています。岩木山を背景にした舞橋は鶴が空に舞う姿に見えると言われています。また、鶴の舞橋は日本一“長い木”の橋ということで、長生き、長寿の橋とされています。

雪景色が綺麗な鶴の舞橋

津軽半島

津軽半島の最北端は龍飛崎(竜飛崎)と呼ばれています。北岸の西端に位置し、北岸の東端の高野崎との間に三厩湾があります。龍飛崎から東南東に向かって津軽山地と呼ばれる山脈が続き、さらに西岸を南に進むと、十三湖という内潟があり、そこから南の海岸は七里長浜と呼ばれる。この内陸には、田光沼・平滝沼・ベンセ湿原などの湖沼が数多く存在し、海岸沿いは砂地とアカマツなどの針葉樹による小高い防風林の屏風山が半島付け根まで続きます。また、人気のあるストーブ列車や太宰治の出生地である斜陽館もあります。

龍飛崎

津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬。津軽国定公園の一部。名前はアイヌ語のタム・パ(刀の上端)からの転訛で、「突き出た地」の意味だという説があり、タムパを”龍が飛ぶ”と当て字したといわれています。周辺は灯台を中心に遊歩道となっており、天気のよい日には津軽海峡を挟んだ北海道の松前半島や海峡を行き交う船舶が見渡せます。石川さゆりさんのヒット曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞の一節に唄われていることでも知られています。また、国道で唯一の階段と歩道で構成された階段国道もあります。

 

ストーブ列車

津軽鉄道は青森県の奥津軽を走る、総距離約20.7kmのローカル線。津軽半島の玄関口・五所川原市から太宰治の出身地・金木駅などを経由して、中泊町までをつなぐ日本最北端の私鉄です。客車を温める昔懐かしいダルマストーブや津軽弁のアテンダントによる心温まるおもてなしに、鉄道ファンのみならず国内・海外の観光客からも人気の列車です。ストーブ列車は昭和11年に始まりました。現在は例年12月1日~3月31日の冬期間に、一日3往復のみ運行しています。

雪を掻き分けて走るストーブ列車の車体

青荷温泉ランプの宿

開湯 昭和4年、秘境青荷渓谷の渓流沿いに本館と3棟のはなれが散在する青荷温泉は、 ランプの宿として知られる、風情のあるお宿です。四つのお風呂「健六の湯」 「露天風呂」 「本館内湯」「滝見の湯」もお楽しみいただけます。宿内の電気はランプの灯りのみ。電波がなくコンセントもありません。不便を楽しみ、都会の喧騒を忘れ静かなどこか懐かしい雰囲気を味わえます。

囲炉裏を囲う夕食の焼き魚

ランプの宿と早朝の雪景色

夏泊半島ハクチョウの渡来地

夏泊の地名はアイヌ語の「ネトゥトマリ」に由来すると考えられている。 隣接する平内もアイヌ語の「ピラナイ」で崖の下の沢を意味します。この地域は比較的近世までアイヌ人が住んでいたと考えられています。また、国の特別天然記念物「小湊のハクチョウおよびその渡来地」に指定されている浅所海岸があります。冬(10月中旬~3月下旬まで)は700~800羽ほどのシベリア方面より渡来した白鳥を見ることができます。

雪上で休憩するハクチョウ

下北半島

青森県の北部にある鉞状の半島の事で8市町村から成り立っています。周囲を陸奥湾・津軽海峡・太平洋に囲まれているので大間のマグロや風間浦村のアンコウ、横浜町のナマコなどの海の幸が豊富な他、極寒の地に生きる馬の寒立馬、脇野沢村の北限のニホンザルなど多くの動物、恐山や仏ヶ浦など多くの観光スポットが存在します。

仏ヶ浦

仏ヶ浦は地元では霊場恐山からみて浄土がある方角とされる西側に位置することから、昔から死者があの世に旅立つとき、もしくはこの世に戻ってくるときに立ち寄る所といわれ、今でも海岸に点在するお地蔵様や奇岩へご詠歌を奉納する風習が「仏ヶ浦まつり」として残っています。白緑色の凝灰岩が約2kmにわたって連なる奇岩。様々な造形が見られます。明治の文人・大町桂月は、この自然の演出した姿に驚嘆し、「神のわざ鬼の手作り仏宇陀人の世ならぬところなりけり」と詠んだほどです。

「如来の首」と言われる奇岩

大きな奇岩の間を散策

仏ヶ浦を後に本州最北端の大間崎へ訪れ、このコースの締めくくりでは大間のマグロ丼をご堪能いただきます。お客様にも大変好評でした!東北は毎食でてくるご飯が美味しい!地元の名物料理を味わえるのも旅の魅力ですよね。

大間のマグロ丼

 

気温はマイナスになり凍える寒さですがこの時期でしか見れない東北最果ての絶景に出会える旅になります。また、レトロな人気列車、ストーブ列車は3月末の冬季限定ですので、気になられた方は早速、下記から詳細をご覧ください。

是非ご参加をお待ちしております!

 

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