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くじらびと

8963294def009790(C)Bon Ishikawa

インドネシア

くじらびと

 

Lamafa

監督:石川梵
出演:ラマレラ村の人々
日本公開:2021年

2021.9.15

「村の命運は 鯨が決める」―自然優位な流れの中で生きるインドネシアの漁村民たち

インドネシアの小さな島にある人口1500人のラマレラ村。住民たちは互いの和を何よりも大切にし、自然の恵みに感謝の祈りを捧げ、言い伝えを守りながら生きている。

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その中で、「ラマファ」と呼ばれるクジラの銛打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。彼らは手造りの小さな舟と銛1本で、命を懸けて巨大なマッコウクジラやマンタに挑む。

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「クジラが10頭獲れれば 1年過ごすだけの稼ぎとなる」というサイクルの中で暮らすラマレラ村の人々の生き方は、利便性・経済発展を軸に生きる人々とは全く異なる、非論理と畏怖心を基盤にしている。それゆえに、村でどんなに悲しい出来事起きようとも、伝承の力を借りて一丸となって対処していく・・・

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本作の舞台となるラマレラ村は、以前「旅と映画」でご紹介した『世界でいちばん美しい村』(2015年ネパール大震災震源地の村のドキュメンタリー)を監督された石川梵さんが、ライフワークとして約30年前から通い続けてきた場所です。

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メインの撮影はコロナ前の2017年から2019年までですが、30年前のフッテージが不自然さゼロで引用されるシーンもあり、監督が長い時間をかけて被写体と築いてきた信頼関係が映画全編に浸透しています。

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話がそれるようですが、私はここ数年で(子どもを2人育てるようになってから)、食事の際の食器の並べ方・食べ物の食べ方に異様にこだわるようになりました。以前はあまりそういうことは気にしませんでしたし、むしろ小さい頃から高校ぐらいまで両親から食事マナーに関して怒られっぱなしでした。今は、5歳になっておしゃべりになってきた娘から聞かれる「何でそんなふうに食べなければいけないの?」「何でそう置かなきゃいけないの?」というような質問に答えを返す立場となりましたが、「食べ物は“物”じゃなくて“命”なんだから それを感じるためだよ」とか「肘つくな」「足組むな」「いただきます/ごちそうさま言った?」と、毎日のように言っています。

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幼稚園児には難しいかもしれないのですが、分からなくてもいいので、呪文のように言い聞かせています(いつかその意味を分かってくれるときが来るといいのですが。。。)

『くじらびと』に話を戻しますが、劇中で村人たちが語る「漁の最中きたない言葉は使ってはいけない」とか「漁の前日は喧嘩してはいけない」とか「銛を刺すときは狙う箇所だけ見て 決してクジラの目は見るな」という、都会人からすれば非論理的で因果関係も特定できなさそうな伝承のひとつひとつが、前述のように娘の教育に試行錯誤している私にとっては、とても響きました。

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思うに、「こうすれば こうなる」というような「確実さの担保」が、世の中の価値判断において重視されすぎているのです。私は「どうなるか皆目見当がつかない物事」に極力熱を注ぎたいと日々思っているのですが、映画の企画にしても、他分野の話を聞くにつけても、そういったスタンスというのは世の中であまりウェルカムではないようです。

「確実さ」のサイドにいたほうが楽なので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、私はどうしてもその流れの中に居続けることができません(おそらく秘境旅行・冒険旅行を好まれる西遊旅行のお客さまにはこの考えを理解して頂きやすいと、勝手ながら予想しています)。そういう意味で、ラマレラ村の人々が言い伝えを拠り所にして不確実さの中を力強く突き進んでいく様子を本作で観て、生活環境は全く違いますが、ある種の親近感を私は感じました。

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私は生まれ変わりでもしない限り、ラマレラ村の人々のような暮らし方をすることは無いと思います。しかし彼らのように、ギュッと身が詰まっている瑞々しい果実のような、規律・思想・言葉・作法を持った人物 になりたいという憧れがあります。これから折にふれて私の頭の中には、ラマレラ村の人々の表情や言葉の響きがフラッシュバックすることと思います。

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リーダーシップ論あり、教育・精神・家族論ありの『くじらびと』は、9/3(金)より新宿ピカデリー他にて全国公開中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

アクト・オブ・キリング

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インドネシア

アクト・オブ・キリング

 

The Act of Killing

監督: ジョシュア・オッペンハイマー
出演:ハーマン・コト、 モハマッド・ユスフ・カラ、 ハジ・アニフ、 ハジ・マーズキ、 ラマット・シャーほか
日本公開:2014年

2016.9.14

虐殺の実行者が虐殺を再現する
前代未聞のドキュメンタリー

1965年に9月30日事件と呼ばれる虐殺がインドネシアで起きました。スカルノ政権に対する軍事クーデターが勃発し、その最中で大勢の共産主義者が殺され100万人を超える犠牲者が出たと言われています。監督のジョシュア・オッペンハイマーは、はじめ生存者たちの話を聞くドキュメンタリーを製作しようとしていましたが、軍の妨害によって中断せざるをえなくなった時に発想を転換してあるアイデアを思いつきました。

それは、実際に虐殺を行ったギャングたちに、自分たちが行った虐殺を再現して演じてもらうという大胆で勇敢なアイデアです。9月30日事件の実行者である軍の人々は、虐殺を行った後も権力を利用して国民的英雄として何不自由ない裕福な暮らしてきました。彼らに虐殺を演じてもらうことを通じて、9月30日事件の真実に手を伸ばそうというのが監督の意図です。

フィクション・ドキュメンタリーに関わらず、他のどの映画にもないこの映画の力強さは、どこまで演出がなされているのか錯乱して段々わからなくなってくる、うねるような独特な物語のリズムにあります。

基本的にこの映画はドキュメンタリーなので、目の前で起こっていることをありのままに映し出すことを一番の目的にしているかと思います。しかし「ギャングたちに過去を演じてもらう」というしかけをしている以上は、監督の演出が少なからず入っているはずです。過去を誇りに思っているギャングたちが、嬉々として自分が過去に行ったことを語る様子が映しだされますが、段々とどこまでがありのままで、どこまでが演技(アクト)なのかわからなくなってきます。そうした鑑賞者の戸惑いは、出演者のギャングたちの心に直結しています。段々とギャングたち自身も、過去に自分がどれだけとんでもないことをしでかしたのか、自覚して混乱してくるという奇跡的な映像が収録されています。

旅先では、虐殺の地に訪れることもあるかと思います。私もアウシュヴィッツに訪れた時には、誰がどのように間違ったらこんな悲劇が起きてしまうのかと考えこんでしまいました。「悪」とは何か、「狂気」とは何か…『アクト・オブ・キリング』はそうしたことをつきつめて考えてみる大きなきっかけとなる映画です。