秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

インド洋交易によって栄えた海洋文明
スワヒリ文化が息づくザンジバルとキルワの史跡群を訪ねて

  • タンザニア

2014.03.01 update

東アフリカ、インド洋に面した都市に残る知られざる遺跡を求めて2012年よりはじまったタンザニア島嶼部を訪ねるツアー。
中世以降、インド洋交易を舞台に興った都市文明を辿り、スワヒリ地方の魅力に迫ります。

ベリーズ・ATM(アクトゥン・チュニチル・ムクナル)洞窟大冒険
ザンジバルの港を航行するダウ船

 

東アフリカ島嶼部・外来文化と土着文化の融合「スワヒリ文化」


ザンジバル島の市場にて

スワヒリとはアラビア語で「海岸」を意味するサーヒルに由来します。ソマリア南部からモザンビーク北部に 至るベルト状の海岸地域で、約2000kmの範囲を指します。ここでは古くからインド洋を舞台にアラビアや ペルシャ、インドとの交易が、行われてきました。規則的に風向きを変えるモンスーンと海流を利用し、冬季 の11月から2月には北東モンスーンに合わせて西アジア地域から香辛料や乳香が、夏季の4月から9月には 南西モンスーンに合わせてスワヒリ地域から象牙や奴隷、金が帆船(ダウ船)によって運ばれてきました。 人種的にはコイサン系狩猟民とエチオピアから南下したクシ系牧畜民が生活していたところへ、5世紀頃大陸 内部からバントゥー系農耕民が入り、さらに彼らとアラブ人、ペルシャ人商人との通婚で混血化が進み、現在 のスワヒリ人が生まれたと考えられています。このような現地社会と外来の商人との関わりの中でスワヒリ語 に代表される独自の文化が育まれ、12世紀以降スワヒリ文化として開花しました。その後、西欧や東イスラ ム圏、中国における象牙や金の需要の高騰によってスワヒリ地域の交易も刺激を受け、スワヒリ人自身も商業 のために海へ乗り出すようになりました。

黄金の港湾都市・盛衰の歴史「キルワ・キシワニ」

タンザニアの最大都市ダルエスサラームから南へ300kmの洋上にキルワ・キシワニ島はあります。伝説では750年に現在のイラン・シラーズ出身のハッサンという王が兄弟7人でアフリカ東海岸へ七艘のダウ船でやってきて、それぞれキスマユ(ソマリア南部)、モンバサ、ラム(ともにケニア)、マフィア、ザンジバル、キルワ(いずれもタンザニア)、ソファラ(モザンビーク)の海岸に流れ着き、このスワヒリの各都市で強大な王国を築きました。キルワは6番目の王子によってその基礎が築かれたと言われています。12世紀末に現在のジンバブエに繁栄していたモノモタパ王国の産金地帯とソファラを結ぶ交易路を支配し重要な交易都市として発展しました。14世紀には東アフリカ最大の都市として全盛期を迎え、アラブ人の大旅行家イブンバットゥータも1331年に訪れ、「世界で一番美しい整然とした町の一つ。町全体のつくりが上品である」とその旅行記の中で伝えています。 しかし、1500年に来航したポルトガルによってキルワの状況は一変します。ポルトガルの朝貢国となることを拒否したため、ソファラとの金交易の道を遮断されたあと略奪、破壊を受け、徐々に衰退して行きました。1569年に訪れたイエズス会の神父によると「かつては町に人々があふれ繁栄していたが今は貧しく権力も失われてしまった。王というよりは族長と呼ぶ方が似合っている」とその変わり様を伝えています。その後、住民も本土へと移り住み、キルワ・キシワニは荒廃していきました。現在は、木々に埋もれるようにして当時の栄華を伝える遺跡が島に残っています。

  • キルワ・キシワニの金曜モスク跡
  • ソンゴ・ムナラに残る遺跡
  • ポルトガル要塞

アラブの伝統を色濃く残す旧市街ストーンタウンが残る
ザンジバルとマスカットオマーン

ポルトガルの後にスワヒリ地域にやってきたのはマスカットオマーンです。インド洋仏領諸島でサトウキビプランテーション経営が始まり、また西アフリカで奴隷交易の取り締まりが厳しくなるなかで、喜望峰を越えて東アフリカまで来るようになった奴隷交易の拡大・需要を受け、18世紀のスルタン、サイイド・ザイードは1840年にその拠点を本国からザンジバル島に移します。奴隷交易が廃止された後もオマーン人商人によってクローブ(丁子)が導入され、現在まで続く重要な外貨獲得源となりました。ザイードが珊瑚石の壁で建設したストーンタウンの街並みは現在ユネスコの世界遺産として登録され、オマーン人による支配時代の宮殿跡やイギリス統治時代の教会などが残ります。


  • オマーンの影響が残る扉

  • ザンジバルの旧市街

【キルワでの滞在】マングローブ林に眠る宮殿跡

キルワの滞在中は、キルワ・キシワニ島とソンゴ・ムナラ島の二つをボートで巡ります。なかでも、キルワ・キシワニ島には、ポルトガル要塞からさらにマングローブ林の狭い水路を進むと、外洋まで見渡せる位置に宮殿跡が残っています。フスニクブワ(大きな城の意)宮殿跡は14世紀のスルタン・スレイマンによって建てられたもので、当時訪れたイブン・バットゥータもここでスルタンに謁見したといわれます。宮殿中庭のプールはマムルーク朝エジプトで流行していたもの、円錐形のドームはイランやアナトリア地方、テント型のドームはセルジューク朝時代の北イラクやトルコ、ペルシャの影響がみられるもので、インド洋交易がもたらしたキルワの栄華を見てとることができます。 ソンゴ・ムナラ島の遺跡にはスルタンの暮らした宮殿とモスク跡が残っています。現在は押し寄せる波やマングローブの気根、バオバブの密林に侵食されほとんどが廃墟と化してしまっていますが、モスクにはメッカの方角を示す精緻なミフラブ(聖龕)があり、スワヒリに定着したイスラム教徒の敬虔な信仰を今に伝えています。修復活動、研究が続けられていますが未だに多くに謎に包まれています。

  • マングローブ林をボートで進む
  • ソンゴ・ムナラのモスク跡
  • キルワ・キシワニの宮殿跡

【ザンジバルでの滞在】旧市街の散策や美しい海辺の魅力

滞在中は旧市街のストーンタウンに連泊。史跡以外にもこの地に生まれたイギリスのロックヴォーカリスト・フレディマーキュリーの家や、元奴隷市場があった広場に建つカテドラル、奴隷が幽閉されていた場所、またザンビアのタンガニーカ湖畔で息を引き取った著名な探検家リビングストンゆかりの十字架など、ザンジバルの歴史を彩る数々の名所をじっくりと見学します。このほか、ザンジバル名産のスパイスや新鮮な魚介類を売る活気ある市場の散策をお楽しみいただきます。ザンジバル島東海岸のパジェのビーチにも連泊し、新鮮なシーフード料理やインド洋を望む快適なホテルでのゆったりとした時間をお楽しみください。ご希望の方はスパイス農園やドルフィンスイムにもオプションでご案内することができます。


  • 美しいインド洋

  • ザンジバルの旧市街

関連ツアーのご紹介

キルワの史跡群とザンジバルの休日

東アフリカ地域で名を馳せた黄金の港湾都市・キルワ島、石造りの街並みのストーンタウンと美しいビーチを誇るザンジバル島。3都市で連泊、ザンジバルでは世界遺産ストーンタウン内のホテルに宿泊。

花の桃源郷フンザを歩く

  • パキスタン

2014.03.01 update

カラコルムの懐深くにある「最後の秘境」、「桃源郷」と謳われるフンザ。
雪山に抱かれた早春の桃源郷には、杏やアーモンドや桃の花が咲きほこり長い冬が終わると、春には畑仕事が始まり人々の喜びに満ちた季節が始まります。そんな年に一度、桃色に染まるフンザの里山を毎日歩き、カラコルムの峰々の展望とフンザの人々とのふれあい、他にも、フンザの郷土料理やフンザの伝統舞踊などを通じてフンザの奥深さを感じていただきました。

桃色に染まるフンザの里山桃色に染まるフンザの里山

春のフンザ

フンザは「桃源郷」と謳われ、「長寿の里」として知られています。いつ訪れても素晴らしいフンザですが、春の杏、アーモンドの花や秋の紅・黄葉は有名で、四季折々の美しさがあります。その中でも春のフンザはまさに花の桃源郷という言葉がぴったりのシーズンです。

花咲く桃源郷フンザを歩く

フンザの名峰群と杏の花々
フンザの名峰群と杏の花々

カラコルムハイウェイを北上し、フンザに近づいてくると、白とピンクの世界が広がってきます。今回は、贅沢にも中心地カリマバードに4泊、山の展望が美しいドゥイカル村で1泊しカリマバードや近くの村々をのんびり散策します。カリマバードからは、お花だけではなく、ラカポシ(7,788m)をはじめ、ウルタルⅠ、Ⅱ(7,388m)、ディラン(7,257m)、シスパーレ(7,611m)、フンザピーク、レディーフィンガーなどといった高峰群が聳え、ピンクの花と白い山のコントラストがとても美しいです。
カリマバードの村や郊外をハイキングし、花や山のベストポイントで写真撮影を楽しんだりしているとフンザの人々と自然に会話が始まり、気づいたらいつも素敵な笑顔に囲まれていました。他にも、カリマバードから約2時間行ったところにあるホーパル氷河で、皆さん初めての氷河ハイキングに挑戦されていました。日中歩くため、アイゼンやピッケルも必要なく、氷河の冷たい風から身を守るため、しっかりとした防寒と、トレッキングシューズのみで楽しめます。また、好展望地のドゥイカルへのハイキングでは、違った角度からフンザの村や、山の展望を望みます。もちろん、ドゥイカルでは山の展望が自慢のホテルに宿泊し、そこからは、夕日、朝日に輝く高峰群を心ゆくまでご堪能できる贅沢なロケーションでした。

  • ホーパル氷河ハイキング
    ホーパル氷河ハイキング
  • ドゥイカルへの道から眺めるバルチット城
    ドゥイカルへの道から眺めるバルチット城

長寿の里フンザ

今回の滞在では、お花見、観光、ハイキングのみでなく、お食事も大変充実していました。実は、フンザは、エクアドルのビルカバンバ、ロシアのコーカサス地方と並び、「世界三大長寿の里」と言われていて地元で取れる、果実、小麦、乳製品を使った素朴なフンザの郷土料理は私たち日本人でも美味しく安心して食べられる味でした。また、天気の良い日のお昼には、アンズの木の下で絨毯を敷き、ピクニックランチを楽しみ至福のひと時を過ごしました。

  • フンザ風ミートパイ・チャプシュロ
    フンザ風ミートパイ・チャプシュロ
  • 手打ちうどん・ダウド
    手打ちうどん・ダウド

何度も訪れているフンザですが、5日間滞在することで普段の旅行とは違った一面が見えてきます。毎年3月下旬から4月中旬にアンズやアーモンドや桃の花が咲き、最も美しい季節を迎えます。次のお花見は少し気分を変えて、花の桃源郷フンザで楽んでみてはいかがでしょうか。

関連ツアーのご紹介

花の桃源郷フンザを歩く

〈ハイキングコース〉杏の里に5泊滞在、雪山に抱かれた桃源郷を「歩いて」体感!!年に一度桃色に染まるフンザの谷のお花見とハイキングを楽しむ滞在型プラン。

エベレスト山群大展望
ゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越え

  • ネパール

2014.03.01 update

生活道であるエベレスト街道を離れ、知る人とぞ知る隠れた大展望地ゴーキョ・ピーク(5,360m)滞在と
ネパール三大峠の一つであるレンジョ・パス(5,340m)を越える旅へ

ゴーキョピークから望む、エベレスト、ローツェ、マカルーゴーキョピークから望む、エベレスト、ローツェ、マカルー

エベレスト街道の玄関口、ルクラのエドモンド・ヒラリー空港に降り立ち、山岳民族シェルパの里ナムチェバザールを目指すところまではエベレスト街道沿いに行きますが、エベレスト街道最奥部カラパタール方面との分岐であるサナサを左折すると、今まで外国人トレッカーで賑わっていたエベレスト街道とは雰囲気もうって変わり、他のネパールトレッキングにはない独特の雰囲気に包まれます。
ゴーキョピークまでの道のりは決して楽ではないのですが、他の5,000m級のピークを目指すコースとは違い、ナムチェバザールに2泊後、半日行程で徐々に高度を上げていくので、高度順応をし易く、少しでもゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越えをスムーズに達成できるよう配慮した日程になっております。

静寂に包まれたゴーキョピークへ

エベレスト街道との分岐を過ぎた後、モン・ラというアマダブラムとタウツェの好展望地へ向かいます。モン・ラに一泊した後、静かな樹林帯を歩みドーレ村へと向かい、ドーレ村から山腹のトラバース道をゆっくり登ると、樹林帯の中から突如として眼前にチョ・オユーが姿を現します。世界第6位の高峰チョー・オユー(8,201m)は、ネパールと中国(チベット自治区)の国境にあり、チベット語で「トルコ石の女神」をと呼ばれています。8,000m峰の中では比較的に登り易いとされ、近年ではエベレスト遠征の前に高度順応として登頂される事も多い山です。チョー・オユーを望みながら北へ進路を取り、この日は谷間に開けた牧草地のマッツェルモへ泊まります。
翌日はマッツェルモからゴジュンバ氷河末端モレーンを進んで行きます。ネパールとチベット国境のゴジュンバカン(7743m)から流れ出るこの氷河は、チョー・オユーの南麓を流れ、幅1km長さ16kmに達するネパール最大の氷河です。ゴジュンバ氷河末端モレーン越え、ゴーキョ・ピーク麓から流れる3つの湖を越えると、いよいよゴーキョに到着です。

8000m峰4座の大展望地 ゴーキョ・ピーク登頂

ロッジ手前のドゥードゥ・ポカリの湖畔を少し回りこんだ後、一歩一歩ピークに向けて進んでいきます。標高が上がるにつれ、息が苦しくなっていくので山腹で何度も休憩を取ります。標高はすでに5,000m近く。眼下に見下ろすゴーキョのロッジはどんどん遠ざかり、碧き水をたたえる氷河湖の全景を望めます。 タルチョはためくピークに到着すると、ゴーキョ・ピークの北には、世界第6位峰チョー・オユーや北東に聳える世界最高峰のエベレスト、その東隣には世界第4位の峰ローツェ(8,516m) が聳えています。より東に目を移すと左右均衡の取れたピラミダルな山容の世界第5位の秀峰マカルー(8,462m)の展望が広がります。他のネパールトレッキングでは見ることができない360度の大展望にアクセントを加える名峰たちも素晴らしく、そして眼下に見下ろすゴーキョの象徴、氷河湖ドゥードゥ・ポカリの碧き湖面は神々の頂の白味をさらに引き立てます 眼前に臨む荒々しいゴジュンバ氷河は、まるで我々がいる世界と神々が棲む世界との唯一無二最後の境界線のようです。

ネパール三大峠の一つ、レンジョ・パスを越える

ネパールに存在する、三つ峠(チョラ・ラ、コンマ・ラ、レンジョ・ラ)の中でも、特に景色が美しいと謳われるレンジョパスを越える日、当ツアーにおいての最大の見所であり関門でもあります。ゴーキョのロッジを出発し、ゴーキョピーク山麓のドゥードポカリを時計回りに巻くように緩やかな登りを進むと、レンジョ・パスの急登の取り付きへと到着します。その後はザレ場、ガレ場の急登を登り、そしてレンジョパスの頂上からはゴーキョ・ピークに勝る圧巻の絶景が広がります。まさに神々から与えられた試練を乗り越えた者のみが展望を許される絶景です。

  • レンジョ・パスへの急登の取り付き
  • レンジョラからの景色

ネパール・トレッキングのベストシーズンは10月~12月、2月~4月までの秋期~春期までと言われています。 10月~12月はネパールの秋晴れが続き、晴天率が高く高峰群の展望をするには最も良い時期です。また2月~4月は秋に比べると晴天率は高くないものの、高峰群に映える残雪が幻想的に見える季節となっています。 是非、ベストシーズンに訪れてみてはいかがでしょうか。

関連ツアーのご紹介

エベレスト山群大展望 ゴーキョ・ピーク登頂とレンジョ・パス越え

エベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユー、8,000m峰四座展望。レンジョ・パスを越えロールワリン山群までを一望。氷河湖の美しいゴーキョに3連泊。

スパンティーク遠征隊 7,027mの頂に立つ

  • パキスタン

2014.03.01 update

2014年7月23日深夜1時、満天の星空の下アタック開始。
黎明の寒気に耐えて歩を進め、9時5分に女性のお客様とワジッド氏、次いで9時43分に男性のお客様と楠が登頂を果たしました

スパンティーク
僧侶達によるチャム(マスク・ダンス)
チョゴルンマ氷河を望む絶景が広がるスパンティークB C にて

第一高度順応

2014年7月、私たちは昨年の視察を経て、二人のお客様と共にスパンティークの登頂に挑みました。起点となるアランドゥ村から3日かけて氷河を遡り、ベースキャンプ(以下BC)に辿り着いたのが10日のこと。クレバスの多い氷河行にはジャンプや迂回を強いられましたが、無事到着し人心地がつきました。BCは、カラコルム山域中でも最美とされるチョゴルンマ氷河を望む好展望地。周囲には名立たる名峰が聳え立ち、氷河崩落や雪崩の轟音の響きと高山植物の香りに包まれ、五感が研ぎ澄まされていきました。
12日、ガレ場や雪面の急登を経て、南東稜上のキャンプ1(以下C1)を設営。スパンティークを正面に望み、士気が高まります。この先は高所テント泊。雪から水を作り、飲食に用います。行動体力、防衛力や精神力をを含めたいわゆる”山の力”が求められる世界です。

第二高度順応

標高の上げ下げを繰り返しながら体を順応させていきます。14日、一旦降りたBCから再び同ルートでC1へ。翌15日、南東稜線上をC2へ向かいます。両端が切れ落ちた箇所ではロープで互いを確保しながら登ります。写真撮影や僅かな休憩、用を足す時でさえも全員で立ち止まらねばなりません。スパンティークとの距離は更に縮まり、迫力を増すその山容に畏怖の念さえ覚えました。16日、先のルートに固定ロープを張りに行く高所ポーター達を見送り、我々はBCへと戻ります。この環境では特に高所ポーターの力は重要です。視察時と同じメンバーが揃ったため、息の合ったチームワークが見事でした。

第三高度順応からアタック

4日に渡る悪天候のサイクルをBCに留まり凌ぎます。この停滞期に極力ストレスを感じぬよう過ごすことが大切です。天候が安定し、いよいよ頂を目指して出発。C1、C2までのルートは軽い足取りで進み、22日、核心部のC3へのルートに挑みます。スパンティークの前峰にあたる尖った雪峰に、他隊と協力して張った固定ロープ約550m。これを頼りに斜度およそ40度の雪面をユマーリング。背後に広がるカラコルム山脈の大展望の中に、ここまでの足跡を辿ることができます。世界第二位峰K2(8,611m)もはっきりと目にすることができました。
C3では軽い頭痛を感じ、水分補給と深呼吸を何度も何度も繰り返しました。呼吸が浅くならぬよう敢えて深く眠りにつかずに迎えた23日深夜1時、満を持して登頂アタックを開始。お客様の体調も良好。緊急用の酸素ボンベ、携帯加圧装置、衛星電話。万が一の態勢も整っています。危惧していた雪質も膝丈のラッセルを強いられた程度でした。
力強い高所ポーター達に導かれ天候さえも味方につけ、一歩一歩自分を信じて登ります。未明に風が強まり体を芯まで冷やしました。手足の末端部の感覚が失われそうになるのを叩いて必死に防ぎます。しかし、空が白み神秘的に輝き出す山群の姿に心を奪われると、寒さに動かぬはずの指先が何度もシャッターを切っていました。
待ちわびた太陽の光を全身で浴びることができたのは7時頃。一気に身体の隅々まで生気が染み渡っていくのが分かります。前方に目をやると、女性のお客様は遥か先を着々と登り頂上間近に。ワジッド氏がそれに続きます。男性のお客様も粘り強
く足を運んでいます。

そして、頂へ。遂に成し遂げた登頂。これまでの苦労が報われる瞬間。パーティーは団結して力を尽くしましたが、誰より頑張っていたのはお客様自身に違いありません。本当におめでとうございます。360度の大展望と薄い空気に身を委ね、自分自身にもささやかな拍手を送りました。頂から望む故郷のナガール地方に祈りを捧げ涙を流したワジッド氏の姿が今も心に残ります。今回改めて感じたのは、共に登頂を果たした人数に乗じて喜びは何倍にもなると言うことです。この気持ちをより多くの方々と分かち合いたい、そんな想いを胸に、これからも皆様の挑戦の一助となれることを願っています。

カラコルムの名峰スパンティーク / SPANTIK

その美しい山容から世界の登山家に愛され数多の名を持つスパンティーク。100 年を遡る氷河探査の時代より、ゴールデン・パリ(金色の妖精)、イェングツ・サール(北部の谷の名が由来)、ゲニッシュ・キッシュ(金色の山)、ピラミッド・ピークなどの異名を取り、現在は朝夕に 光り輝く姿を例えてゴールデン・ピーク、そして土着の名、スパンティークと呼ばれています。
この山の試登は、1902年にアメリカのワークマン夫妻により氷河源頭探査を経て行われました。そして1955年、カール・クラマー率いる西ドイツ隊が南東稜より初登頂を果たします。一方、北西面に立ちはだかる大岩壁ゴールデン・ピラー(標高差約2,000m、平均斜度約70 度)は、1987 年にイギリスのミック・ファウラーとビクター・ソンダースによって初登攀され、2000年にスロベニアのマルコ・プレゼリが第2登。そしてこの初登ラインの第3登は、2009年にGIRI GIRI BOYS(佐藤裕介氏、一村文隆氏、天野和明氏)が5日間26 ピッチを経て果たしています。

眼前に広がるカラコルム山脈の大展望
眼前に広がるカラコルム山脈の大展望

隊員プロフィール / PROFILE

藤倉 歌都代氏(71歳)
埼玉出身の自称・野生人。大怪我に見舞われてもなお登り続けるチャレンジャー。
川原 康司氏(53歳)
広島出身の勤人。4年前に弊社で登ったキリマンジャロで山に目覚める。
ワジッド氏
山岳料理人。日本料理は勿論、イタリア、メキシコ料理にも定評有。
※その他、愉快な高所ポーター、チェアマン・アリ氏、フィダ・アリ氏、アシュラフ氏

ザンスカール最深部
断崖に建つ白亜の僧坊 プクタル・ゴンパをゆく

  • インド

2014.02.01 update

海の深さにも負けないほど青い空の下、荒々しく切り立つ絶壁。その崖の中央には洞窟がぽっかりと口を開け、周囲に無数の伽藍がべったりと張りつきます。
少し視線をあげた洞窟のちょうど真上には、まるでこの地を見守るかのように、立派なヒマラヤ杉が根を下ろしています。今もなお車道が整備されず、往復4日のトレッキングという時間と体力をかけてこそ辿り着けるこの僧院。数知れぬ僧院が存在するザンスカールの中でもプクタル・ゴンパは訪れる人の心を強く魅了する圧倒的な存在感を持っています。
厳しい環境下で、今もなお続く信仰のかたち。その神秘的ともいえる魅力に迫ります。

断崖に張りつくように建つプクタル・ゴンパ
断崖に張りつくように建つプクタル・ゴンパ

ザンスカール最奥を目指す ~プクタル・ゴンパへの道~

ヒマラヤ山中の奥地の谷間に位置するザンスカール地方は、万年雪を抱く高峰に囲まれ、一年の半分は雪で峠が閉ざされます。プクタル・ゴンパはザンスカールの中心地パドゥムより、さらに奥地へ進んだところにあります。地元の人の足ならパドゥムより歩いて1〜2日、私たちのような外国人はパドゥムをジープで出発し、車で行ける最終地点ドルゾンから1泊2日のトレッキングでゴンパを目指します。
トレッキングのルートは、アップダウンを繰り返しながらツァラプ川沿いに続きます。この道は地元の人々にとって生活道です。道中の村の人々がこの道を歩いてパドゥムまで仕事に行ったり、馬を率いて物資や食料の調達へ行きます。そのため道を歩いていると、何度も地元の人々とすれ違います。彼らと出会うと「ジュレー!(こんにちは)」と挨拶。彼らも、日に焼けた赤いほっぺの顔をくしゃっとさせ、満面の笑みで「ジュレー!」と返してくれます。どことなく私たち日本人と似たその顔つきにほっとし、息を切らして坂を登ってきた疲れも忘れてしまいます。
ザンスカールの風景も私たちを楽しませてくれます。前方の壮大な雪をかぶったヒマラヤの山々、ツァラプ川対岸の村に広がる田畑、足元に可憐に咲く高山植物。その中でもひときわ目を引くのがブルーポピー。人目を避けるかのように、岩陰にひっそりと咲く姿を見ると、「幻の花」や「ヒマラヤの女王」と呼ばれる理由が分かる気がします。

  • ゴンパ麓の道に続くストゥーパ
    ゴンパ麓の道に続くストゥーパ
  • 岩陰に咲くブルーポピー
    岩陰に咲くブルーポピー
  • ツァラプ川沿いを歩きゴンパを目指す
    ツァラプ川沿いを歩きゴンパを目指す
  • 朝、お祈り前の読経の練習を行う少年僧たち
    朝、お祈り前の読経の練習を行う少年僧たち

プクタル・ゴンパに残る伝説 ~ジャンセム・シェラブザンポと白いねずみ~

プクタル・ゴンパの持つ神秘性はその容貌だけではありません。言い伝えによれば、この地に伝わる歴史は2500年以上も前にさかのぼります。当時はまだ僧院はなく、小さな洞窟だけがありました。「十六羅漢」と呼ばれるお釈迦様の優れた16人の弟子のうち3人がその洞窟で瞑想し、ここで仏教を広めたと言われています。

その後もこの洞窟には多くの高僧が訪れました。チベット仏教の開祖パドマサンバヴァ、カギュ派開祖の1人ミラレパ、偉大な翻訳官リンチェンサンポなど、チベット文化圏を訪れたことがあれば一度は耳にしたことのある高僧が名を連ねます。これは伝説にすぎないかもしれませんが、そう言い伝えられるほどに人々がこの僧院に特別な魅力
を感じていることは、確かではないでしょうか。  僧院部分が建立されたのは15世紀初頭と言われます。建立したのはジャンセム・シェラブザンポ。チベット仏教最大宗派ゲルク派の開祖ツォンカパの弟子です。僧院建立にまつわる言い伝えは諸説がありますが、地元の人に聞いた伝説の1つをご紹介します。

「プクタル・ゴンパ建立にまつわる伝説」

シェラブザンポは旅をしながら各地に僧院を作り、チベット仏教の教えを説いていました。共に旅していたのが白いねずみ。彼らはザンスカールまでやってくると、僧院を作りました。しかし白いねずみはいつもあちらこちらへ駆け回り、落ち着かない様子でした。そこでシェラブザンポはその地を離れ、旅を続けました。辿り着いたのが今のプクタルゴンパのある場所。到着するやいなや、白いねずみが近くの茂みに飛び込みました。そして安心したかのようにそこにとどまっていたのです。それを見たシェラブザンポはこの場所こそが神聖な地だと確信し、プクタルゴンパを建てました。その後シェラブザンポは不思議な力を発揮し、洞窟の奥には湧き水が流れ、乾いた洞窟の上にヒマラヤ杉の木が育ち、洞窟自体も大きくなりました。

この湧き水やヒマラヤ杉は今も残り、神聖なものとして崇められています。そして洞窟内部には彼のストゥーパが安置されています。  ザンスカールの大自然と篤い信仰が息づくプクタル・ゴンパ。古から神聖視されてきたこの場所は、今では地元の人のみならず、私たち訪れる人々の心をも魅了する神秘の力を秘めている。

  • 伝説の洞窟とその上に育つヒマラヤ杉
    伝説の洞窟とその上に育つヒマラヤ杉
  • 法螺貝を吹き、お祈りの時間を告げる
    法螺貝を吹き、お祈りの時間を告げる
  • プクタル・ゴンパのゴンカン(護法堂)
    プクタル・ゴンパのゴンカン(護法堂)
  • プクタル・ゴンパより望む
    プクタル・ゴンパより望む
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