秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

オマーン -海のシルクロードを渡った乳香-

  • オマーン

2013.08.01 update

古くは古代エジプトのファラオの時代から利用され、現在も宗教儀式や香水の原料として利用されている乳香。古の昔から人類に使われていた記録がある乳香の産地オマーンを訪ね、今も人々の心を捉える乳香の魅力と、海のシルクロードを通って各地に運ばれた乳香の歴史を辿りました

古都ニズワのスーク内を仕切る城門の扉。写真奥に見えている赤い扉は開かれている状態。これが閉じると城とスークが仕切られる。城塞都市ニズワには堅固な城が残る。

古都ニズワのスーク内を仕切る城門の扉。写真奥に見えている赤い扉は開かれている状態。これが閉じると城とスークが仕切られる。城塞都市ニズワには堅固な城が残る。

 

乳香の記録

  新約聖書には、キリスト生誕の際、東方からの三人の博士が乳香、没薬、黄金を貢物として持参したと記述されています。占星術により新しく生まれた王の場所を見つけ、ベツレヘムまでやって来た彼らの貢物の中に、黄金と並ぶ最大級の品・乳香がありました。また8世紀の中国の史書には、アラビアからの乳香が中国に運ばれたという記録が残っています。そして10世紀には、日本にも伝来した記録が残されています。
東方の三博士は、陸のシルクロードを通り、キリストのもとへ乳香を運びました。一方、日本まで伝わった乳香は、海のシルクロードを通り、中国を経由して渡ってきたのです。 では、古くから貴重な交易品として扱われた乳香とは、どういったものなのでしょうか。

ムトラ・スークの乳香屋。オマーン各地のスークでは乳香の専門店が軒を連ねる。どの店も店頭で乳香を実際に燻しており、その一角には甘い乳香の香が漂う。
ムトラ・スークの乳香屋。オマーン各地のスークでは乳香の専門店が軒を連ねる。どの店も店頭で乳香を実際に燻しており、その一角には甘い乳香の香が漂う。
乳香は測り売りが基本。品質により3種類に分けられた乳香は大量に袋に入ったものが並び、人々は自分の気に入った香の乳香を買い求める。
乳香は測り売りが基本。品質により3種類に分けられた乳香は大量に袋に入ったものが並び、人々は自分の気に入った香の乳香を買い求める。
昔ながらのアラブの雰囲気を残すニズワのスーク。日用品のほか、乳香はもちろんスパイスや工芸品などが売られている。このような伝統的な趣きのある路地は、現在はスークの一角に過ぎないが、たくさんの店で賑わう活気溢れる往時のスークに思いを馳せることができる。オマーンの男性は、大人から子供までディスターシャという国民服を着ている。
昔ながらのアラブの雰囲気を残すニズワのスーク。日用品のほか、乳香はもちろんスパイスや工芸品などが売られている。このような伝統的な趣きのある路地は、現在はスークの一角に過ぎないが、たくさんの店で賑わう活気溢れる往時のスークに思いを馳せることができる。オマーンの男性は、大人から子供までディスターシャという国民服を着ている。

乳香の木

 乳香は、カンラン科の樹木、乳香の木から出る樹液を固めたものです。乳香の木の樹皮に傷を付け、滲み出した樹液が固まるのを待ちます。樹液が乾燥し、樹に固まったものを集めます。乳白色、もしくは薄い茶褐色をしており、固まった樹脂を炭の上で燻してその香を楽しみます。私の感想としては、その煙は甘く、そして心をリラックスさせるアロマテラピー作用があるような香りです。

乳香とオマーン

  この乳香の一大産地であるオマーンでは、一般家庭で香として使われており、殺虫作用もあると言われています。オマーン各地のスークでは、乳香専門の店が軒を連ね、店頭で乳香を燻す香が漂っており、多くの人が乳香を買い求める様子を垣間見ることができます。
オマーンは、東アフリカ、インドなどとともに乳香の産地として有名な地ですが、古代から乳香の産地として名を馳せた地でした。オマーン南部、アラビア海に面したサラーラ近郊に残る、紀元前1世紀に遡るホール・リーリ等の都市遺跡から、季節風を利用し、海のシルクロードを伝った海洋交易によって乳香が運び出されたと考えられています。

海のシルクロード

  アケメネス朝の時代にすでに、アラビア海からインドへの探検が行われていたほか、ローマ帝国は海のシルクロードを使ってインドと交易を行っていました。インドで産出された宝石はローマに渡り、インドでは今もローマ時代の貨幣が見つかっています。7世紀になると、ダウ船を利用したアラビアやペルシャのイスラム商人が海洋交易を広げ、中国にも拠点を持つようになります。この頃、乳香は中国へと伝わり、反対に中国からは絹や陶器が西へと運ばれました。特に、重量があり壊れやすい陶器は、海のシルクロードを船で運ばれて行ったのです。その後日本へは、東南アジアからの白檀などの香木に加え、香として使われた乳香が伝わるようになります。
現在のオマーンでは、今でも乳香の木の栽培が行われ、オマーン国内のみならず、海外へと輸出されています。乳香は、世界各地で様々な宗教儀式の際に香として利用されているほか、香水の原料としても利用されています。
オマーンを訪ね、この地が乳香の海のシルクロードへの出発地であり、また長い歴史の中で日本まで伝わったことに思いを馳せることができました。スークに漂う乳香の香りの中、アラビア海を渡って同じ香りが日本にも漂ったことを思うと、感慨深いものがあります。
皆さまもぜひ、オマーンで乳香と海のシルクロードの歴史にふれてみてください。

 樹皮に傷をつけた所から樹液がしみ出す。空気にふれると固まり、乳白色〜橙色の涙滴状の塊となる。この様子が乳香という名の由来である。
樹皮に傷をつけた所から樹液がしみ出す。空気にふれると固まり、乳白色〜橙色の涙滴状の塊となる。この様子が乳香という名の由来である。
多くは炭で焚いて香として用いる。薬としても用いられ、鎮痛、止血などの効能があるとされる。また、唾液分泌の促進やリラクゼーションのために乳香樹脂をガムのように噛む地域もある。
多くは炭で焚いて香として用いる。薬としても用いられ、鎮痛、止血などの効能があるとされる。また、唾液分泌の促進やリラクゼーションのために乳香樹脂をガムのように噛む地域もある。
アラブらしい工芸品が並ぶオマーンのスーク。装飾の美しいアラビック・ポッドは日用品としてオマーンの人々に使われている。
アラブらしい工芸品が並ぶオマーンのスーク。装飾の美しいアラビック・ポッドは日用品としてオマーンの人々に使われている。

ムザンダム半島 −ホルムズの絶景−

オマーンは、アラビア半島南部に突き出たムサンダム半島を飛び地にしています。対岸のイランを挟むホルムズ海峡に面し、雄大なフィヨルド地形が広がっています。ペルシャ湾の出口を押さえる海の要綱として、大航海時代には、ポルトガルやペルシャなどに占領された歴史を持ちますが、現在は美しい海岸線やダイビングの名所として知られています。峻険な岩山が複雑に入り組んだリアス式海岸となっており、紺碧の海と褐色の大地の入り組んだ地形の絶景をご覧いただけます。ツアーでは、ハッサブに連泊し、かつて海のシルクロードでの海洋交易に利用された昔ながらの「ダウ船」に乗船。クルーズで海上からの眺めもお楽しみいただくことができます。アラビアのフィヨルドで、絶景とともに往時の交易に思いを馳せてみませんか。

フィヨルド地形の残るムサンダム半島
フィヨルド地形の残るムサンダム半島
褐色の大地が作る海岸線
褐色の大地が作る海岸線
ダウ船に乗船
ダウ船に乗船

関連ツアーのご紹介

オマーン 乳香の道とホルムズの絶景ムサンダム半島

オマーン 乳香の道とホルムズの絶景ムサンダム半島

オマーンからアラブ首長国連邦へ。古の乳香の産地、オマーン。海のシルクロードへと積み出された乳香の歴史を訪ね、 陸路、フィヨルドの残るムサンダム半島へ抜ける9日間の旅。

ベリーズ・ATM(アクトゥン・チュニチル・ムクナル)洞窟大冒険

  • ベリーズ

2013.08.01 update

ベリーズ・ATM(アクトゥン・チュニチル・ムクナル)洞窟大冒険



世界有数のカルスト地形を誇る中米ユカタン半島。この半島には、多くの鍾乳洞やセノーテが数多く点在しています。かつて、この地域に住んでいたマヤの人々にとって、それらは冥界への入口であり、信仰の対象であり、そして、儀式を執り行う舞台でした。熱帯雨林が色濃く残るカリブの小国ベリーズには、当時のマヤの人々の痕跡が残る手つかずの鍾乳洞がいまだに数多く遺されています。

ATM洞窟とは

 石灰岩質の大地広がるユカタン半島。その付け根にあるベリーズには、今もなお熱帯雨林に隠された鍾乳洞が数多く遺されています。その中でも、探検家になったかのような大冒険を体験できる、とっておきの洞窟をご紹介いたします。
ベリーズ・シティから約2時間、ちょうどベリーズの中央部に位置する鍾乳洞『アクトゥン・チュニチル・ムクナル洞窟』。舌を噛みそうな名前のこの洞窟は、頭文字をとって通称『ATM洞窟』と呼ばれ、ベリーズを訪れる旅人たちにとって隠れた人気スポットとなりつつあります。
人気の秘密は、この洞窟にマヤ文明の生贄の儀式の遺構が残されているからだけではありません。真っ暗闇の鍾乳洞の中を、自分のヘッドライトの明かりだけを頼りに進んでいき、時には地下水脈の中を泳ぎ、時には自分の背丈以上の壁をよじ登って、さらに奥へ奥へと進んでいく。このこと自体が、かつてこの地を訪れたであろう探検家の追体験ともいうべき内容なのです。ここでしかできない大冒険を、ご紹介したいと思います。

洞窟の中のご紹介

まず洞窟にたどり着くまでがすでに冒険です。車を降りてからジャングルの中を歩くこと45分、途中3回川を歩いて越え(1)、ようやく鍾乳洞の入口にたどり着くのです。
中に入る前に、入口では皆様にヘルメットやヘッドランプを着用していただきます。ご希望の方は救命胴衣も着けていただき、いざ鍾乳洞の中へ。
鍾乳洞の入口は地下水脈の出口となっていて、一部足のつかないところもありますが、ここを泳いで渡ります(2)
中に入ってからも、一部足の着かないところを泳いだり、岩山をよじ登ったりしながら先へと進みます(3)
途中、ヘッドライトで暗闇に浮かび上がる鍾乳石は、まるで無数の宝石をちりばめたかのようにキラキラ光り、鍾乳石が上下から生える不思議な光景の中を進むと、まるで自分が探検家になったかのような気分です(4)
最後の梯子を上ると、その奥には生贄として捧げられた少年の骨が静かに永遠の眠りについています(5)。驚くことに、この骸骨は通常の人間の骨より太く見えますが、これは雨季に洞窟内に流れ込む雨水の石灰質が、長い年月の間に骨の周りにゆっくりと沈着していったからです。

洞窟に入ってから出てくるまで約3~4時間。洞窟内で見ることができる骸骨や出土品もとても貴重なものですが、このATM洞窟の醍醐味は、やはり、かつてマヤの遺跡と財宝を探してこの地を冒険した探検家たちの気分を味わえる、という点に尽きます。いつまでこの洞窟が観光客に公開されているかはわかりません。考古学的にも大変興味深いこの洞窟探検に、ぜひご一緒してみませんか。

ATM1
ATM2
ATM3
ATM4
ATM5

ベリーズのみどころ
翠のカリブ海と新緑の熱帯雨林の出会う国

  • 美しい大自然を体感
    洞窟探検のほかにも、シュノーケリング、ダイビング、マナティの観察、野鳥の観察など、大自然を楽しむ体験型の旅を楽しめるのがベリーズです。 美しい海を体感(c)BPRPシュノーケリングで美しい海を体感(c)BPRP
  • 人気No.1のブルーホール
    ベリーズの代名詞ともいうべきブルーホール。カリブの海にぽっかりあいた大きな穴を、海からも空からもご覧いただくことができます。

    ブルーホール(c)BPRPブルーホール(c)BPRP

  • 古代マヤ文明の痕跡を辿る
    カラコル、ラマナイ、シュナントゥニッチ、カル・ペチなど、あまり知られてはいませんがベリーズにも重要なマヤの遺跡が数多く眠ります。

    ラマナイ遺跡ラマナイ遺跡

関連ツアーのご紹介

ベリーズ

翠のカリブ海と深緑の熱帯雨林の出逢う国。ベリーズ最大の見どころブルーホールは海と空からアプローチ。熱帯雨林ハイキングと洞窟スイムで辿りつくことが許されるATM洞窟も。

メソアメリカ4ヶ国周遊 マヤ世界を巡る旅

中米のマヤ遺跡を代表するチチェン・イツァ、ティカル、キリグア、コパンを始め9ヶ所のマヤ遺跡へ。ベリーズではオプショナルでブルーホール遊覧飛行もお楽しみいただけます。

中米7ヶ国 パン・アメリカン・ハイウェイ縦断の旅

移りゆく景色を眺めながら、6つの国境を陸路で越える。パナマ運河、古代マヤ遺跡、熱帯雨林のジャングルと動植物、コロニアル様式の街並み。パナマからベリーズまで縦断。

バングラデシュ ベンガルの大地を水と共に生きる

  • バングラデシュ

2013.08.01 update

バングラデシュ -ベンガルの大地を水と共に生きる-

 

バングラデシュ Bangladesh

 インド亜大陸の東端に位置するバングラデシュ。ガンジス川、ジャムナ川、メグナ川の3本の川と無数の支流が国全体を潤しながらベンガル湾にそそぎこみ、毎年起こる洪水では国土の約3分の1が水に浸かります。人々はその洪水を災害ではなく自然の恵みとして共存し暮らしてきました。バングラデシュは1971年に東インド(現パキスタン・イスラム共和国)から分離・独立した比較的新しい国です。一方、この地には紀元前から仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の王朝が順に栄え、互いに影響しあいながら築き上げられた豊かな文化が息づいています。

  雨季になると国内だけでなくインド側からも大水が流れ込み、標高差が少ないデルタ地帯の大地は、しばしば洪水に見舞われます。およそ10年に一度おこる大洪水は「ボンナ」と呼ばれ恐れられていますが、それ以外の定期的な洪水は「ボンナ」と区別して「ボルシャ」と呼ばれ、肥沃な土や魚を運ぶ豊かな自然の恵みとされています。

バングラデシュの主な産業は農業。米などの穀物のほか、イギリス統治時代からの輸出品であるジュートやインド藍、紅茶も作られています。人口は世界7位、都市国家を除くと人口密度の高さは世界一となります。この国を旅していると、いたるところで働く人々の笑顔と出会うことができます。国民の83%はイスラム教徒ですが、他のイスラム教国と比べて外で働く女性の姿を多く見かけます。有名なグラミン銀行の支援で自立する農村女性も多く、村を訪れると女性たちに大歓迎されます。

日本では「貧しい国」と言ったイメージが付きまとうバングラデシュですが、詩人タゴールが「我が黄金のベンガルよ」と讃えた豊かな大地や美しい農村風景、人々の笑顔こそが一番の魅力なのではないでしょうか。

大地が隆起したあと、風と雨による浸食によって削られた大地が
モングラ付近の川沿いにて
モングラ付近の川沿いにて
乾燥させたジュートを運ぶ
乾燥させたジュートを運ぶ
バングラデシュの農村にて
バングラデシュの農村にて

世界自然遺産 シュンドルボン国立公園
世界最大のマングローブ地帯

バングラデシュの南西部に広がる、世界自然遺産シュンドルボン国立公園。バングラデシュとインドの西ベンガル州にまたがる世界最大の広大なマングローブ地帯には、ベンガル・タイガーやガンジス・カワイルカなど希少な野生動物が暮らしています。
マングローブの森は人々にも豊かな恵みを与えています。毎年4月から5月は蜂蜜採りのシーズン。この時季はベンガル・タイガーが凶暴になる繁殖期にあたり、男たちは命がけで森に分け入り蜂蜜を採ります。その際、蜂の巣を全て採ってしまうことはせず、必ず3分の1を蜂のために残します。
シュンドルボンの伝統的な漁は「カワウソ漁」。訓練したカワウソが漁師のかけた網に魚を追います。シュンドルボンの森の間を巡る水路を船で行くと、伝統漁を生業にして暮らす人々の村や漁に出る小舟とすれ違います。

  • シュンドルの木
    シュンドルボンの名前の由来となったシュンドルの木(下)と呼吸根(左)。干潟ではシオマネキやムツゴロウなどが暮らしています。干潟に暮らすシオマネキ干潟に暮らすシオマネキ
    シュンドルの木シュンドルの木
  • カワウソ漁
    伝統的なカワウソ漁の様子。日本の鵜飼いと似ていますが、カワウソは魚を飲み込むのではなく網に追い込みます。 

    カワウソ漁の様子カワウソ漁の様子
    カワウソカワウソ

  • マングローブに生きる漁師と樵の村
    村の片隅には土着の女神「バンビビ」を祀る小さな社が造られています。漁師や樵は仕事の前にこの社を訪れ、女神に安全と仕事の成功を祈ります。
    「バンビビ」と祀る社「バンビビ」を祀る社
    マングローブに生きる樵マングローブに生きる樵

石のない大地で発展した砂が織り成す芸術
バングラデシュのテラコッタ彫刻園

大河のデルタ地帯にあるバングラデシュ。川が運ぶ豊かな土砂はレンガ作りに適しており、他の建築素材に比べて度重なる洪水にも強いことから、現在残る歴史的な建築物の多くはレンガで造られています。そのレンガの建築物を飾るのが「テラコッタパネル」。粘土が乾かないうちに素早く彫刻を施して焼くテラコッタパネルは、十分に時間をかけて作られる石や木の彫刻に比べて素朴で味わい深く、その赤茶色の肌が豊かなベンガルの大地に映えます。バングラデシュの文化は、仏教やヒンドゥー教、イスラム教の文化がおおらかに混ざりあって形成されたため、彫刻にもその影響が見てとれます。

仏教遺跡パハルプール
インド亜大陸最大の仏教遺跡パハルプール。僧院が造られた8〜9世紀、仏教がタントリズム期にあったため、その装飾にはヒンドゥーの神々も描かれています。

仏教遺跡パハルプール
仏教遺跡パハルプールのレリーフ
プティアのヒンドゥー寺院
19世紀に建造されたプティアのヒンドゥー寺院。イスラムのムガール帝国時代に造られたため、ヒンドゥーの寺院でありなが
らイスラムの影響を受けた彫刻が見られます。ここにはムガール帝国時代の狩猟の様子がいきいきと描かれています。

プティアのヒンドゥー寺院<
プティアのヒンドゥー寺院のレリーフ

関連ツアーのご紹介

黄金のベンガル バングラデシュ

黄金のベンガル バングラデシュ

豊かな北部と世界最大のマングローブ、美しい月夜のシュンドルボンの森へ。マングローブ、多様な遺跡群、喧噪の街並み… 豊かな農村風景とベンガルの大地に生きる人々に出会う。

バングラデシュを撮る

バングラデシュを撮る

美しくたくましいバングラデシュの姿をゆっくり撮影する季節限定の写真撮影特別企画。11月、12月は畑一面を黄色のカラシ菜の花が埋め尽くし、稲穂が輝く米の収穫の季節。

バングラデシュ テキスタイル紀行

バングラデシュ テキスタイル紀行

「黄金のベンガル」豊かな大地に息づく手仕事と出会い、体験する旅。計4回のワークショップでノクシカタや草木染めなどの手仕事を体験。

精霊の土地 マナスル 日本登頂隊の軌跡を辿る

  • ネパール

2013.08.01 update

シムシャール・パミール SIMSHAL PAMIR ~カラコルム“地図の空白地帯” にヤクとともに生きる~
サマ上部より望むマナスルとエメラルドグリーンの湖水を湛える氷河湖

マナスル

「精霊の土地」を意味する世界第8位峰マナスル(8,163m)。南に延びる稜線上にはピーク29 (7,871m)、ヒマール・チュリ(7,893m)の巨峰が並び、合わせてマナスル三山と呼ばれています。1956年の日本隊による初登頂の快挙のニュースや映画「マナスルに立つ」は、国民を熱狂させ、子供たちに大きな夢を与えました。この頃から日本での登山ブームが始まったと言えるでしょう。あれから57年、今回は当時の夢と希望を間近で感じていただく、初登頂隊の軌跡を辿るルートをご紹介いたします。

 

軌跡を歩き始める

 トレッキングの拠点は、かつては旧王朝の発祥の地ゴロカからでしたが、現在は車道が伸びておりオフロードの山道を通り、アルガート・バザールまで乗り入れることができます。標高は約500mと低く、バナナの木が生い茂る亜熱帯の景観の中、汗だくになりながらの歩き始めです。前方にはガネッシュ・ヒマールの展望。ガネッシュ・ヒマールB.C.へも同じルートとなります。約2週間の行程の内、序盤の5・6日はブリ・ガンダキ(川)の深いV字谷の中、河原と高巻きの道の繰り返しで、その間ヒマラヤの展望はほとんど無い我慢のルート。しかし、宿泊地となる道中の素朴な村と生活、子供たちの笑顔に癒されます。そして、ありがたいのはビールが買えること。高山病の心配が無い序盤の行程はキャンプ地到着後に飲む、川で冷やしたビールが暑さで疲れた体に浸み渡ります。これらの村にはロッジもありますが、エベレスト街道などと比べると簡素なものが多く、まだまだテント泊のトレッキングの方が快適です。

グルン族とチベット

先に進むにつれ徐々にカンニ(仏塔門)やチョルテン(仏塔)が増えてきてチベット仏教色が強くなってきます。道中出会うほとんどの人がネパールの山間部に住むグルン族を名乗りますが、チベット国境に近くなるにつれ明らかに彼らの顔や服装はチベット人のものに変わってきます。それは、彼らがかつてヒマラヤを越えてチベットからやってきたルーツがあり、ネパール人として生活するためにグルン族を名乗っているのだそうです。

マナスルの麓ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がり
マナスルの麓ローで出会った子どもたち。
チベットとの繋がりを感じずにはいられない。
ローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
ローより望むマナスル。
手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠からはネムジュンなど7,000m峰が顔を出す。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠を越えるとネムジュンなどアンナプルナ山群の7,000m峰が顔を出す。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃 え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。

マナスルの展望地へ

いよいよヒマラヤの展望が開けるのはロー(3,180m)へと向かう日。ローに近づくにつれナイケ・ピーク、マナスル北峰(7,157m)、そして待望のマナスル(8,163m)が顔を出します。キャンプ地はローの集落を抜けた先のゴンパ近くがマナスル展望の抜群のロケーションです。朝日に焼けるマナスルは息を呑む美しさ・・・。

さらに先を進む

ローからサマ(3,520m)へは展望の良いホンサンホ・ゴンパに寄り道するルートが正解。サマからはマナスルのピーク部分しか見えないので、さらに上部に進むか、ゴンパに登りグルン族とチベットマナスルの展望地へさらに先を進むローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。ローよりに望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がりを感じずにはいられない。氷河湖に行くのがベストビューポイントとなります。
サマを過ぎると一旦マナスルは見えなくなり、流域最奥の集落ソムドゥ(3,876m)で一泊し、ラルキャ・ラ越えのベースキャンプとなるダラムサラ(4,460m)へと向かいます。この道中では日本隊が初登頂したマナスル北東面を展望することができます。

ラルキャ・ラ越え

極寒のキャンプ地を早朝の暗い内に出発。ラルキャ氷河上の長い緩やかな登りを行き、このルート上の最高地点ラルキャ・ラ(5.135m)を越えてビムタン(3,590m)へ。ビムタンからの下りもマナスル西壁~南西壁を眺めながらの絶景ルートです。日本隊もこのルートを下山しました。
ルートはダラパニ(1,860m)にてアンナプルナ外周、トロンパス越えのルートに合流。マルシャンディ川沿いにジャガット(1,300m)まで下り、トレッキングは終了。ここから陸路でカトマンズへと戻ります。

マナスルの誘い

57年前、日本中を歓喜の渦に巻き込んだマナスル登頂の快挙。日本隊の軌跡を辿り、彼らも眺めた、姿を変えてゆく美しいマナスルの全容を、見に行きませんか。

Column – 登山史

日本山岳会52年の偵察の後、53年春の第1次隊は7,750m地点で敗退。54年の第2次隊は山麓住民の阻止に会い撤退。満を持した56年春の第3次隊、5月9日に遂に今西寿雄隊員とシェルパのギャルツェン・ノルブによって初登頂に成功。マナスルは日本人によって登られた最初の8,000m峰となりました。71年春には日本のマナスル西壁登攀隊が、バリエーション・ルートからの第2登に成功。第3登はラインホルト・メスナーによる南西壁からの単独行。74年春には日本女性マナスル登山隊が通常ルートより女性による8,000m峰初登頂に成功しました。

「クッチ」の荷造りの様子。女性が中心であるため、小さな子供も参加します。
日本隊の登頂ルートが分かるマナスル北東面

関連ツアーのご紹介

マナスル山群完全一周トレッキング

マナスルの好展望地サマからラルキャ・ラ越え。テント泊でマナスル山群を完全一周。日本登山隊初登頂の軌跡を辿る、浪漫あふれる山旅

遺跡を読む クメール遺跡が紡ぐ、悠久の物語

  • カンボジア

2013.08.01 update

802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が聖なるクーレン山で転輪聖王として即位しました。現在のカンボジア・シェムリアップを中心に、タイ、ラオス、ベトナムにかけて強大な勢力を誇った、クメール王朝誕生の瞬間でした。やがて1431年にタイのアユタヤ朝によって王都・アンコールが陥落しクメール王朝は滅亡、インドシナは激動の歴史の流れに飲み込まれていきます。かつて600年以上に渡り繁栄を極めたクメール王朝の遺した壮麗な建築群も、次第に密林の中に埋もれて行きました。アンコールワットをはじめとするクメール遺跡群が、フランス人学者のアンリ・ムオの手によって広くヨーロッパ世界に知られるようになったのはわずか150年前のことです。一旦は歴史の流れに埋没しながらも、再び光を取り戻したクメールの遺跡達。長い時を経て、遺跡は私達に往時の栄華を語りかけます。密な彫刻の細部に迫り、大規模な石造建築に感嘆する。遺跡が紡ぐ物語を紐解きに旅へ出かけませんか。

密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)

宗教と神々

  クメール王朝下では、ヒンドゥー教の神々と国家の構造は密接な関係にありました。「転輪聖王」の即位から始まったクメール王朝ではヒンドゥー教が国教とされ、ヒンドゥー教の思想の下に政治と宗教が密接に結びつき、神官としてバラモンが大きな権力を握っていました。その後、時代の変遷とともにヒンドゥー教と仏教の両方を受容する素地ができていったことは、「クメールの覇者」として王国最大の版図を誇った熱心な仏教徒・ジャヤヴァルマン7世などの仏教を篤く信仰していた諸王の存在、イサーン地方のピマーイ、アンコールトムのバイヨン寺院といった仏教とヒンドゥー教の混合寺院の存在からも明らかです。しかし、後の第23代目の王・ジャヤヴァルマン8世の治世に激しい廃仏運動が行われたこと、ジャヤヴァルマン7世の治世も依然として王宮内ではバラモンが勢力を誇っていたことからも、クメール王朝の宗教の主流はあくまでヒンドゥー教であったと考えられるでしょう。
また、クメール王朝以前より存在した「王の神格化」思想はヒンドゥー教の枠組みの中で王をシヴァ神、ヴィシュヌ神と同一視するという主潮をもたらすと同時に、王権の絶対的な集中を支えることとなりました。そのため、クメール王朝期にはシヴァ神、

ヴィシュヌ神を祀る寺院が数多く建立され、先述の二神のほかにもヒンドゥーの神々が寺院に彩りをそえるかのごとく、建築を飾っています。

アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)
混沌の海にたゆたう龍王アナンタの背の上で、ヴィシュヌが横たわっています。ヴィシュヌのへそから蓮華の花が生え、その中から創造神のブラフマーが、ブラフマーの額から破壊神であるシヴァが誕生したと言われる天地創造の神話です。このモチーフは広く好まれて用いられており、各所のまぐさ石や破風で、アナンタの背で眠るヴィシュヌの姿と出会うことができます。アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)

神話

クメール遺跡を読み解く上で、ヒンドゥー神話は先述の神々の個性を際立たせる非常に重要なファクターです。ヒンドゥー神話はその名の通りヒンドゥー教の神々の神話であり、その数は神々の数以上に膨大で多く、内容も複雑です。クメール遺跡では、ヒンドゥーの神々はただその姿としてだけではなく、神話の一幕の登場人物として描かれることが多くあります。数ある神話の中でも、ヒンドゥー教の天地創世神話で不老不死の薬「アムリタ」を作るために神々が大海をかき回す「乳海撹拌」や、コーサラ国のラーマ王子の活躍を描いた「ラーマーヤナ」を引用したレリーフは多くの遺跡で目にすることができます。クメール遺跡のまぐさ石や破風、寺院の回廊には、華やかな神話の世界が広がります。

シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
大叙事詩・ラーマーヤナの一説で、ラーマ王子の妃であるシータが、その美しさに魅せられた魔王ラーヴァナによって今まさにランカー島に連れ去られようという瞬間を描いています。この後、ラーマ王子軍とラーヴァナ率いる魔王軍の間で繰り広げられる戦闘へと続くこととなる非常に重要な場面です。シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
乳海撹拌(アンコールワット)
不老不死の薬「アムリタ」を生み出すべく、大亀・クールマの上ではヴィシュヌがマンダラ山の上で乳海撹拌の指揮を執っています。水中の魚が攪拌に巻き込まれ、粉々になってしまった様子まで細かく描かれています。乳海撹拌(アンコールワット)

歴史

  遺跡を彩るのは、神々の姿だけではありません。王都・アンコールトムの中心部に、クメール王朝の護国寺として、ジャヤヴァルマン7世によって建立された仏教寺院・バイヨンがあります。中央祠堂を囲むように配置された観世音菩薩の微笑みをたたえた四面仏塔が印象的ですが、注目すべきは第一回廊に広がる圧巻のレリーフ群です。この第一回廊には、クメール王朝と敵対関係にあったチャンパとの戦いの様子や、食事や商売の取引、ゲームに興じる人々など市井の暮らしを描いた親近感のあるレリーフが寺院の外周を彩ります。バイヨンのレリーフは往時の風土、文化を知る上での資料としても非常に重要な意味を持っています。

生贄の水牛(バイヨン)
ヒンドゥー教では牛は神聖な動物ですが、水牛は全く異なる「悪魔の化身」であると考えられています。そのために選ばれたのか、生贄として水牛が木に縛りつけられている様子が描かれています。また、水牛の血を飲むと力が漲るという呪術的な考え方もあったようです。生贄の水牛(バイヨン)
闘犬(バイヨン)
闘犬に興じる男たちの様子が描かれています。現在もカンボジアで見られる闘鶏と並び、闘犬も娯楽として広く親しまれていましたが、現代では消滅した文化です。闘犬(バイヨン)

にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)
厳しい表情をしたクメール軍、チャンパ軍の兵士が睨み合っています。クメール兵が、チャンパ兵の背中に槍を突き立てていることから、戦況はクメール軍に有利な状況であることが推測できます。にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)

チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)
チャンパとの戦いに向かうクメール軍の様子です。坊主で頭が大きく、がっちりとした体形の歩兵はクメール軍の兵士達。中心には立派な牙を持つ象の姿も描かれています。象は古くから物資の運搬や戦闘そのものに適していると戦いの場面で重宝されており、クメール軍においても例外ではありませんでした。
チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)

未だ残る謎に迫る

白象の伝説が残るタイ東北部の町・スリンから、カンボジア国境へ向けて南下すると密林に佇むタームアン遺跡群に到着します。施療院、宿駅の遺跡とあわせて残るタームアン・トムは、カンボジアとの国境上に残る、シヴァ神を祀る寺院です。遺跡内にはタイ、カンボジア両軍の兵士が対峙していますが、さほど国境最前線といった緊張感はなく、のどかな雰囲気が漂います。特筆すべきは、祠堂内に残されたまぐさ石。時の神・カーラとおぼしき彫刻が、彫刻途中の中途半端な状態で残されています。神殿の外部ではなく、内部の祠堂入口という神殿建築において大変重要な位置を占めるまぐさ石の彫刻が、途中の段階で残されているレリーフは大変珍しく、神殿建築を担っていた人々に一体何が起こったのか、見る者の想像を掻き立てます。
彫りかけのカーラ
彫りかけのカーラ

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