秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

聖なるブロモ山と神秘の青き炎イジェン山

  • インドネシア

2026.03.10 update

 

古くから火の神が住むと崇められてきたブロモ山、青き炎を放つ神秘的なイジェン山。インドネシア・ジャワ島の2つの火山を訪れます。

Day1 日本 → ジャカルタ

日本からジャカルタへ。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港は想像以上に規模が大きく、近代的でとてもきれいな空港でした。

本日は空港近くのホテルに宿泊します。

スカルノ・ハッタ国際空港

スカルノ・ハッタ国際空港

Day2 ジャカルタ→スラバヤ→ブロモ

朝の国内線でスラバヤへ。現地のガイドと合流し、インドネシア第2の都市・ブロモへ向かいます。

昼食後、ホテルにチェックイン。ジープに分乗し、ブロモ山のクレーターへ向かいます。

ブロモ山は標高2,329mの活火山で、直径約10 kmのテンゲルカルデラの中にあります。ブロモという名前はヒンドゥー教の神ブラフマーに由来すると言われ、古くからヒンドゥー教が信仰されてきたこの地で人々に崇められてきた山です。

クレーター近くの駐車場でジープを降り、ブロモ山の火口縁まで歩きます。だんだん登り坂になり、最後は200段を超える階段を登りました。

火口を望むクレーターへ登る

火口を望むクレーターへ登る

ブロモ山の噴火口

ブロモ山の噴火口

ガネーシャの祭壇

ガネーシャの祭壇

火口付近より巨大なカルデラ「砂の海」を振り返る

火口付近より巨大なカルデラ「砂の海」を振り返る

Day3 ブロモ→イジェン

ブロモ山と朝日を見るため、深夜2時に出発です!
ジープに乗ってクレーター内の「砂の海」を通り抜け、プナンジャカン展望台へと向かいます。

5時前に展望台へ。太陽が昇り、だんだん明るくなってくると、右手方向にブロモ山や噴煙を上げるジャワ島最高峰スメル山を望むことができました。

イジェン到着後、健康チェックを受けホテルへ。夜中まで束の間の休憩です。

ブロモ山とバトック山、奥に噴煙を上げるスメル山

ブロモ山とバトック山、奥に噴煙を上げるスメル山

Day4 イジェン

0:30にホテルを出発、ツアーのメイン2つ目のイジェン山に挑み、神秘的な青い炎「ブルーファイヤー」の観察を狙います。
ジープで約1時間、スタートポイント(標高約1,900m)に到着。登山スタートです。

最初は平坦な道ですが、どんどん坂が急になっていきます。約2時間かけて山頂付近(約2,300m)に到着。そこから、クレーター内(約2,100m)へと下ります。ガスが充満し、足元も見えづらかったですが、無事にブルーファイヤーのビューポイントに到着です。火口周辺はガスの蒸気がでているため、ゴーグルとガスマスクを着用して観賞します。

ブルーファイヤーのビューポイント

ブルーファイヤーのビューポイント

イジェン火山で見られる青い炎は、、二酸化硫黄や硫化水素などの硫黄を含む火山ガスが高温で噴出し、空気中で燃焼することで青く光る現象です。温度は約600℃にもなるそうです。燃焼して冷えたガスはやがて硫黄として堆積していきます。また、水と反応して火口湖に溶け込むため、pHほぼ0という強酸性の湖が火口のそばに広がっています。

 

日が登ると、青い光は見えなくなり、硫黄の黄色い大地やカルデラ湖が姿を現しました。

鉱夫たちが硫黄の塊を砕き、背中にかつぐ姿も見られました。一度に70kg以上運ぶこともあるそうです。防護具は布マスクのみという過酷な環境です。

硫黄の黄色い大地とカルデラ湖

硫黄の黄色い大地とカルデラ湖

堆積した硫黄を掘り出す鉱夫

堆積した硫黄を掘り出す鉱夫

イジェン山で採掘される硫黄の塊

イジェン山で採掘される硫黄の塊

1時間ほど下り坂を歩き下山。ホテルに戻り休養。
午後、ライステラスのトレッキングへ。ライステラスからジャングル、そして村へと歩きました。

棚田やジャングルの中をトレッキング

棚田やジャングルの中をトレッキング

Day5~Day6 イジェン→カタパン→デンパサール日本 

早いもので帰国の日です。カタパン港からバリ島のギリマヌク港まで、フェリーで移動します。

昼食はリウェタンという、バナナの葉の上にご飯やおかずを並べた伝統的な食事をいただきました。

その後デンパサールの空港へ。深夜のフライトで帰国します。

連日トレッキングを交えた6日間でしたが、インドネシアの活火山をめぐり、大地を踏みしめながら地球のダイナミックさを体感できた旅でした。お疲れ様でした!

カタパン港からバリ島までフェリーで移動

カタパン港からバリ島までフェリーで移動

リウェタン

インドネシアの伝統料理 リウェタン

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二千年来の古道を訪ねて─ 
蜀桟道とコノテガシワの並木道

  • 中国

2026.01.29 update

「蜀」「桟道」「道」という言葉の響きに引かれ、二千年の歴史を刻んできた古道をこの足で歩いてみたい。そんな思いを胸に、久々に「蜀道」を目指す旅が始まりました。

 

成田から成都までは6時間弱。思いのほか短いフライトで到着します。かつて北京や上海で乗り継いでいた時代を思えば、ぐっと身近になった印象です。翌朝は高速鉄道で北へ向かいます。都市の高層ビル群を抜けると、車窓は次第に農村風景へと変わっていきます。現代のスピード感のある移動と、これから歩く二千年の古道。その対比が、この旅の魅力を静かに際立たせてくれます。

 

最初に訪れるのは、嘉陵江の断崖に沿って造られた「明月峡桟道」です。岩肌に貼り付くように続く道は、龍が身をくねらせているかのように見えます。現在の桟道は補強されていますが、ここに道を通さなければ北へも南へも進めなかったという地形の厳しさは、実際に立ってみると一目でわかります。足元の木道の隙間から覗く深い谷。ゆったりと流れる川。その静けさの中で、かつてここを行き交った兵や旅人の気配が重なって感じられました。

嘉陵江の断崖に造られた明月峡古桟道

嘉陵江の断崖に造られた明月峡古桟道

宿泊地は、三国志の舞台として知られる昭化古城です。城壁に囲まれた町の中では、観光地化が進みつつも、今なお人びとの生活が息づいています。夕方になると観光客が引き、路地には日常の時間が戻ってきます。城内に泊まることで、町のリズムそのものを感じられた気がしました。

提灯が灯る夜の昭化古城

日が暮れ提灯が灯る昭化古城を散策

いよいよ蜀道を歩く日々が始まります。天雄関へと続く登り、石畳と土の道、尾根に出たときの開放感。途中、コノテガシワの大木が道しるべのように現れます。中国語で「柏」と呼ばれるこの木は、古来、旅人や兵を守る存在として植えられてきたといいます。並木道に入ると音が消え、聞こえるのは足音と鳥の声だけになります。時間がゆっくりと後ろへ引き戻されていくような感覚でした。

いよいよ蜀道へ

いよいよ蜀道へ

剣門関では、蜀道のクライマックスとも言える風景が待っていました。断崖絶壁に取り付く道を進み、やがて現れる「天梯峡桟道」。視界の先で道が消え、左下へと木道が落ちていく瞬間、思わず息をのみます。写真で見たことのある風景の中を、自分が歩いている。その実感が、疲れを忘れさせてくれます。この日は急な登りと長い下りを含め、かなりの距離を歩きました。それでも不思議と足取りは軽く、達成感が疲労感を上回るとは、こういうことなのだろうと感じました。

天梯峡桟道

天へと続く梯子のような「天梯峡桟道」

旅の後半は、翠雲廊と呼ばれる柏の並木道を歩きます。とりわけ大きな木々が守られ、石畳とともに古道の雰囲気を色濃く残している区間です。ここでは観光地らしさが薄れ、畑へ向かう地元の人びととすれ違うだけでした。蜀道が「遺跡」ではなく、今も使われ続ける道であることを実感する瞬間でもあります。

見事な柏並木がつづく静かな古道

最終日までに歩いた距離は、6日間でおよそ80km。柏並木と石畳、断崖に架かる桟道を歩き切りました。蜀道は、ただ古いだけの道ではありません。時代が変わっても、人が歩き、使い、残そうとしてきた道です。足に残る痛みさえ、旅の余韻のように心地よく感じられました。

樹齢2000年の柏の木

樹齢2000年の柏の木

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高山植物の宝庫!「四姑娘山」

  • 中国

2025.12.15 update

花咲く夏の四姑娘山麓

今回は、中国の数ある大自然のなかから「四姑娘山(スーグーニャンシャン)」についてご紹介します。

中国・四川省にそびえる四姑娘山は、四つの高峰からなる山岳群で、希少な高山植物の宝庫として知られています。その多様な植生を求め、国内外から多くの人々が訪れます。

四姑娘山は、ヒマラヤの東側に位置し、

・四姑娘山(6,250m)
・三姑娘山(5,664m)
・二姑娘山(5,279m)
・大姑娘山(5,038m)

の四つの峰からなり、パンダを虎から守って命を落とした四人姉妹の伝説から“女神の山”として人々の信仰を集めてきました。

山頂部は一年を通して雪に覆われ、この辺り一帯ではケシ、アツモリソウ、エーデルワイス、キンバイソウやシオガマの仲間など多くの高山植物を見ることができます。

エーデルワイス

四姑娘山の観光地区は、四姑娘山、双橋溝、長坪溝、海子溝、巴朗山の五つからなります。
「四姑娘山麓フラワーハイキング」のツアーでは、長坪溝と海子溝を中心に、花を眺めながらのハイキングを楽しみます。「花の四姑娘山トレッキングと大姑娘山登頂」では、長坪溝と、更に標高の高い、大姑娘山でのフラワーハイキングをお楽しみいただけます。

海子溝

主峰の南東側に広がる、草地の多い渓谷です。山上には「海子」と呼ばれる湖が点在し、今回は四姑娘山を望む鍋荘坪までハイキングしました。ウスユキソウをはじめ、多くの高山植物が咲き誇り、天候にも恵まれ、四姑娘山の雄姿を望むことができました。

鍋荘坪には仏塔があり、チベット仏教の祭りが毎年開かれているそうです

長坪溝

主峰の西側に広がる、森林に覆われた急峻な渓谷です。入口付近にはラマ寺の遺跡が残り、そこから枯樹灘まで歩きました。枯樹灘は、水没林が見られる浅瀬で、河床には立ち枯れた木々が残されています。遊歩道沿いには、多様な高山植物が見られます。

長坪溝から四姑娘山を望む

双橋溝

長坪溝の西側に位置する、氷河浸食によって形成された渓谷です。両側には岩峰が切り立ち、奥の紅杉林まで自動車道が通じています。ツアーではグリーンバスを利用し、途中下車しながらフラワーウォッチングを行いました。どこを歩いても、ヨーロッパ・アルプスを思わせる雄大な景観が広がります。

四姑娘山麓をゆったりとハイキング

夏の高山植物だけでなく、秋には紅葉や黄葉も美しい四姑娘山。
大自然の景観と豊かな植生を求めて、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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知られざるアフリカの角 エリトリア

  • エリトリア

2025.11.17 update

 

国土は小さいながらも、アフリカ大陸一つ分と言える多様な地形と気候を持つエリトリア。イタリア植民地時代の町並みを残す首都アスマラ、月曜市の開かれるケレン、紅海に面し、かつて古代ギリシャやエジプトとの交易で栄えたマッサワなど、エリトリアの主要なみどころを巡ります。

Day1 日本 → アスマラ

トルコのイスタンブールを経由し、夜、エリトリアの首都アスマラに到着。

Day2 アスマラ→ケレン→アスマラ

ケレンの月曜市へ往復観光。

アスマラから北西にバスで2時間半、アンセバ地方の中心都市ケレンはラクダのキャラバン隊や、トルコ様式のモスクも見られ、住民はターバンやカフタンで装い、中東のような雰囲気が漂います。

ケレンの月曜市は、毎週月曜日に開かれ、遠方の村々から3~4日もかけて100頭ものラクダが集まってきます。ラクダと共に、ヤギやヒツジ、コブウシも売られていました。野菜や日用品の露店も並びます。

ケレンの月曜市

活気あふれるケレンの月曜市

コブウシも取引される

その後、大きなバオバブの木の幹の中に聖マリアが祀られているマリアム・デ・アリットを見学しアスマラへ戻ります。

マリアム・デ・アリット

マリアム・デ・アリット

木の幹の中に聖マリアが祀られている

木の幹の中に聖マリアが祀られている

Day3

終日アスマラの市内を巡ります。
アスマラは古来より商業の中心地として栄え、1890年にイタリアの植民地となった際には「第二のローマ」として大規模な都市開発が行われました。イタリアの文化遺産とアフリカの風土が溶け合った独特の魅力を持ちます。

 

・聖マリア・コプト大聖堂

1938年に建てられたエリトリアとヨーロッパが見事に融合した教会。聖母マリアを祭ったエリトリア正教教会で正面の壁画が特に有名です。

聖マリア・コプト大聖堂

聖マリア・コプト大聖堂

・メデルバル

大聖堂から数百メートル北へ足を伸ばすと、メデルバルと呼ばれるリサイクル市場があります。廃材利用によって、あらゆる金属製品が作られています。スパイスや雑貨屋さんもあり、雑然とした中に人々の活気に満ちた生活をのぞくことができました。

リサイクルメタルで作られたお墓用の十字架

リサイクルメタルで作られたお墓用の十字架

・旧エリトリア人市場

続いてスークと呼ばれるメイン・マーケットへ。果物や野菜、骨董品、土産物などあらゆるものが集まっています。

メイン・マーケット

メイン・マーケット

・世界遺産アスマラ・モダニズムの建築群
1935年以降、アスマラでは、当時のイタリア合理主義の手法を応用した大規模な建設計画が実施され、政府庁舎、住宅および商業ビル、教会、モスク、シナゴーグ、映画館、ホテルなどが建てられました。アスマラの都市構造は、20世紀初頭のモダニズム都市計画をアフリカの文脈に適用した優れた事例として高く評価されています。

シネマ・インペロ

アスマラの顔ともなっているシネマ・インペロ  建物正面の文字が印象的

旧エリトリア・ファシスト党本部 「F」の文字が横になっているデザイン

・戦車の墓場
市街地から約2km離れた旧米軍カニュー通信基地跡の近くにある通称「戦車の墓場」は、旧ソ連製や米国製の戦車・軍用車両・対空砲などが積み重ねられています。これらはエリトリア軍が捕獲したものや、エチオピア軍が撤退時に残したもので、独立戦争の激しさを物語っています。

夕食では、コーヒーセレモニーの実演を見学しました。

戦車の墓場

戦車の墓場

コーヒーセレモニーの実演

コーヒーセレモニーの実演

Day4

紅海沿岸の港町マッサワヘと向かいます。くねくねと山道を下り、115kmの道のりです。

紅海に浮かぶダラク諸島の小島にボートで向かいます。ダラク諸島は126の島を持つ群島で、テイグレ、アファ、ダヒリク等を話す人々が住み、昔ながらの漁業や真珠漁、ヤギ・ラクダ飼育などで暮しています。

ボートに乗ってダラク諸島へ

ボートに乗ってダラク諸島へ

若者たちで賑わうビーチ沿い

若者たちで賑わうビーチ沿い

その後、かつてエチオピアのハイレ・セラシニ皇帝が使用していた王宮跡を見学。1980年代のエチオピア共産党政権とエリトリア人民解放戦線の戦闘の際に、宮殿は爆破されてしまいました。現在も廃墟のまま保存されています。

王宮跡

王宮跡

夕食はインド式タンドールで焼いたパンと海魚のグリルをいただきました。

海魚のグリル

海魚のグリル

Day5

エリトリア滞在最終日。

午前中、紅海沿いにあった古代都市、アドゥリス遺跡を見学します。ドムト王国とアクスム王国の一部であると考えられている商業都市で、ギリシャとビザンチン帝国とも交易を行っていたといわれています。

旧イタリア銀行、マッサワ戦戦没者追悼公園に立ち寄り、アスマラへ戻ります。深夜の便でイスタンブールへ。

古代アクスム王国の交易都市だったアドゥリス遺跡

古代アクスム王国の交易都市だったアドゥリス遺跡

ズラ村井戸 オスマントルコ時代に造られた井戸が現在も使われています。

ズラ村井戸 オスマントルコ時代に造られた井戸が現在も使われています。

Day6、Day7

航空機を乗り換えて帰国の途につきます。みなさま、お疲れ様でした!

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カリブの真珠 キューバ大横断【後編】

  • キューバ

2025.10.15 update

カリブ海に浮かぶキューバは鮮やかな街並みと革命の歴史が息づく国。キューバの魅力をたっぷり詰め込んだ旅の様子をお伝えします。

Day7 サンティアゴ・デ・クーバ

キューバ第二の都市 サンティアゴ・デ・クーバ

キューバ第二の都市 サンティアゴ・デ・クーバ

この日は、コーヒー農園発祥の地として世界遺産に登録されているグラン・ピエドラへ向かいました。農園主の邸宅も訪問し、器具の説明やかつての奴隷の歴史についての話を伺いました。自然の中のコーヒーショップにも立ち寄りました。

コーヒープランテーション内に残る邸宅

コーヒープランテーション内に残る邸宅

モロ要塞の目の前のレストランにてご昼食後、さらにバスを走らせ、モンカダ兵営博物館、キューバ革命の英雄たちが眠るサンタ・イフィヘニア墓地へ。キューバ革命の指導者フィデル・カストロや、キューバ独立運動の父と呼ばれるホセ・マルティのお墓もありました。30分毎に行われる兵隊の交代式もベストタイミングで見学することができました。

サンタ・イフィヘ二ア墓地

サンタ・イフィヘニア墓地

Day8 サンティアゴ・デ・クーバ→シエゴ・デ・アビラ

この日は400kmを超える大移動日。ひたすらキューバの大地を走り、この日の宿泊地シエゴ・デ・アビラへ。ホテルに着くと、なんと停電でロビーは真っ暗でした。心配しましたが、夕食前に電気がつきました!

Day9 シエゴ・デ・アビラ→サンタクララ→ハバナ

シエゴ・デ・アビラを出発し、チェ・ゲバラゆかりの街、サンタクララへ。

なぜこの町が「チェ・ゲバラの街」と言われるのでしょうか。それはキューバ革命の最終段階で、革命軍の勝利を決定づけた重要な戦いの舞台となった地だったからです。

最初に向かったのはカピーロの丘。もともと、政府軍の砦があったこの場所をゲバラはまず攻撃し革命軍の拠点とし、指揮をとっていたと言われています。

カピーロの丘

カピーロの丘

次に訪れたのは装甲列車襲撃跡。キューバ革命の流れを決定づけたと言われているのが、1958年12月19日の政府軍の装甲列車襲撃でした。ハバナ政府軍の装甲列車がくることを事前にスパイを送り込んで察知していたそうで、この列車を襲撃することで大量の武器を剥奪。数も武力も劣っていた革命軍を勝利に導いたといわれています。装甲列車を襲撃したまさにその場所に記念碑がつくられ、列車が展示されていました。

装甲列車襲撃跡

装甲列車襲撃跡

革命広場には、チェ・ゲバラの霊廟と記念碑がありました。

サンタクララ チェ・ゲバラ記念霊廟

サンタクララ チェ・ゲバラ記念霊廟

バスは一路ハバナへ戻ります。

Day10 ハバナ→メキシコ・シティ

いよいよキューバ滞在最終日。そしてヘミングウェイ尽くしの一日でした。まず向かったのは、ヘミングウェイゆかりの町コヒマル。ハバナ郊外の小さな漁村にあるヘミングウェイの胸像や、彼のボート「ピラール号」を係留していた桟橋をご覧いただきました。

再びハバナへ戻り、ヘミングウェイが家を買うまで滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」へ。ヘミングウェイが暮らしていた頃の家具や写真、タイプライター、記念の品などをご覧いただきました。このホテルは現在も営業中で、ヘミングウェイが暮らした部屋以外は、通常の客室として使われているそうです。

ヘミングウェイが滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」

ヘミングウェイが滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」

そして、最後に訪れたのが彼の暮らした家、ヘミングウェイ博物館です。釣り好きだった彼が愛した、オリジナルの「ピラール号」もご覧いただきました。

ヘミングウェイ博物館

ヘミングウェイ博物館

バスはここからハバナ国際空港へ。いよいよキューバとのお別れです。メキシコ・シティ経由で日本へ帰国します。あっという間でしたが、キューバの歴史や文化、人々の暮らしに触れる濃い時間となりました。ご参加いただいた皆さま、お疲れ様でした!

 

【おまけ】 ここで、キューバで楽しめる名物料理をいくつかご紹介します。

・コングリ Congri
フリホールネグロ(黒豆)を使った炊き込みご飯で、黒豆の色素が抜けて黒紫色に染まります。タマネギのみじん切りやニンニクなども一緒に炊かれていて、豆ご飯のほこほことした味を絶妙に引き立ててくれます。米好きの日本人なら誰もが「美味い」と思うご飯です。

コングリとローストポーク

コングリとローストポーク

・アロス・コン・マリスコス Arroz con Mariscos
魚介と米をサフランで炊き上げたキューバ風パエリア。スペインの影響を受けつつ、現地の食材とやさしい味付けで仕上げられています。スパイスは控えめで、しっとりとした食感です。

アロス・コン・マリスコス

アロス・コン・マリスコス

・モヒート Mojito
日本のバーでもおなじみのモヒートはハバナ生れのカクテルです。16世紀後半から飲まれていた粗野なサトウキビ・リキュール、アグアルディエンタで作った「ドラケ」が、19世紀後半にラムに置き換わり、「モヒート」と名付けられたと言われています。ミントの葉とライムに砂糖を加えてよく潰してから、ラムと炭酸水を混ぜます。

モヒート

モヒート

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