秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

オマーンアドベンチャー 砂漠と海と緑のアラビア【前編】

  • オマーン

2024.09.19 update

Day1、Day2 日本 → マスカット

オマーンの首都マスカットに到着。街中ではオマーン人の男性は伝統衣装「ディスターシャ」を着ており、アラビアに来たなぁと実感させてくれます。ターバンがムッサル、帽子がクッマ、典礼用のダガーはハンジャル、杖をアッサと呼びます。外国製の模倣品や斬新な着崩しから守るため、厳格な基準を設けていて違反者には高額の罰金を科すそうです。

オマーン女性の伝統衣装は「アバヤ」と言います。イスラム教徒の女性は自宅で家族と過ごしたり女性同士で過ごす場合には、頭髪を出していてもかまいません。しかし、外出する場合には、黒い布で作られたアバヤで全身をゆったりと覆い、スカーフで頭髪や耳、首などを隠します。アラブ諸国では、ヒジャブ、ブルカ、ニカブ、チャドルなどイスラム女性の服装は様々です。

夕方、ダウ船サンセットクルーズのため、アル・ロウダ・マリーナへ。16時に出港し南へセイリング。猫の形をしている「猫島」、国会の建物、アルブスタン・パレスを見てから、北へ向かい、オールドマスカットにある王宮や、ミラニ&ジャラリ砦、そしてムトラ方面に沈む夕日を眺めました。

ダウ船クルーズを楽しみました

 

Day3 マスカット → アル・ハムラ → ミスファット・アル・アブリーン → ニズワ

朝、オマーン最大にして最も美しいモスクと称されるスルタン・カーブス・グランド・モスクを見学。その後、海沿いを走り、ハジャール山地を西へ抜けてアル・ハムラ村へ。村には1軒の民家を改築した民俗資料館「ベイト・アス・サファー」がオマーンの女性たちによって運営されており、伝統的な暮らしやパフォーマンスを見学しました。その後、オマニコーヒーとナツメヤシが振る舞われました。アラブ圏では必ずよその家にお邪魔すると、まずナツメヤシが振る舞われます。生活環境厳しいアラビア半島では、来訪者にはまず高カロリーのナツメヤシが何世紀も昔から振る舞われています。

オマニコーヒーやホブス(アラブ式パン)やオイル抽出の実演

次に訪れたのはミスファット・アル・アブリーン。世界遺産「オマーンの灌漑システム」であるファラジがで有名な村です。ファラジの起源は紀元前3000年(5000年前)にさかのぼり、イラン系住民の文化から来たと考えられています。ファラジが張り巡らされた村の中を歩きます。果樹園やナツメヤシなど緑が多く美しい村を歩いて満喫し、宿泊地のニズワへ向かいました。

ファラジが広がる村の中を歩きます

 

Day4 ニズワ⇔アル・キタイム(キャニオンハイキング)

アル・キタイムのキャニオンハイキングへ出かけます。深い谷間を歩きましたが、まさに中東のグランドキャニオンと謳われる風景が広がっていました。途中、右手にオマーン最高峰ジュベル・シャムスの南峰を望むことができました。ちなみに、南峰には軍事基地があるため登山することができず、一般的に解放されている場所では北峰が最高峰となります。また、ここ一体、昔の海底が隆起した地形でオフィオライトと呼ばれています。地質学者にはたまらない国のようです。

アラビア半島のグランド・キャニオンを歩きます

 

Day5 ニズワ → ルブ・アル・ハーリー砂漠

午前中はオマーン随一の観光地であるニズワの観光です。週に一度の家畜市が開かれるニズワのスークと要塞を見学しました。スークではお土産にデーツを買う方がたくさんいました。ニズワのデーツはオマーンの中でも有名です。

ニズワフォートでは民族衣装を着た方たちが歌と踊りを披露してくれました

その後、いよいよルブ・アル・ハーリー砂漠へ向かいます。四輪駆動車にて、一路内陸の砂漠地帯へ進んでいきます。長距離移動でしたがどうにか暗くなる前にキャンプに到着。皆さんの協力もあり無事にテントなど設営が完了しました。夕食は砂漠でBBQを楽しみました。

砂漠でBBQを楽しみます

夕食の様子

 

 

 

キーワード

アルゼンチン最北の高原砂漠プーナ
(その2~エルペニョンからアリサロ塩原へ)

2024.08.14 update

ツアーのハイライトの1つであるエルペニョン周辺の観光を終えた後、もう1つのハイライト「トラル・グランデ」へ向かいます。この移動ルートの中も絶景の数々が広がっており、車窓風景や各所展望地からの景色を楽しんでいただける1日です。

 

前日に観光を楽しんだ谷間の走行を重ね、高原砂漠プーナ地帯のオアシスであるアントファガスタ・デ・シエラの町を通過後、ベガ・コロラダ(Vega Colorada)というエリアに入ります。

ベガ・コロラダの塩湖「コロラダ湖」
土壌が若干赤く、この辺りは塩湖。時折ヒツジたちが貴重なミネラルを補給するため、
塩湖の塩を舐めにやってきます。

アンデス山脈に並行して延び、5,500m以上の山をいくつも持つ山岳エリアの一部であるカララステ山脈の麓を流れるカララステ川に沿って標高をどんどん上げていきます。

カララステ峡谷の風景
ツアーにおける最高到達地点は、このカララステ峡谷で通過する4,635mとなります。

カララステ峡谷に入ると、黄金色に染まった美しい風景が高山病の不安を吹き飛ばし、周辺で放牧されている愛らしいリャマたちが高山病の不安を癒してくれます。

カララステ峡谷で放牧されているリャマたち
黄金色の植物の正体は「バハ・ブラハ」と呼ばれるイネ科の植物。
標高4,000mに自生する植物で、リャマなどの家畜たちにとっても貴重な食糧となります。

黄金色に染まるカララステ峡谷を通過すると、眼前に「アントファラ塩原(Salar de Antofalla)」の景色が広がります。展望地からは、アンデス山脈を構成する山の1つである標高6,440mの「アントファラ火山(Volcano de Antofalla)」も望むことができます。

アントファラ塩原を望む
「太陽が沈む(死ぬ)場所」という意味を持ち、カタマルカ州の広がる非常に細長い塩原。
現地ガイドさんの説明では長さは163kmに及びます。

その後、アントファラ塩原に沿って走行を重ね、カタマルカ州から再びサルタ州に入ります。州境である峠を越えると、目の前に「アリサロ塩原(Salar de Arizaro)」の景色が広がります。

アルゼンチンとチリの国境付近にある広大なアリサロ塩原を望む
面積は1,800km²。ウユニ塩原(10,582km²)、アタカマ塩原(3,000km²)に次ぐ、
世界で3番目に大きな塩原です。

アリサロ塩原上には、火山活動でできた砂岩の「コノ・デ・アリタ(Cono de Arita)」をご覧いただけます。

コノ・デ・アリタ(Cono de Arita)
あまりに見事な円錐形であることから、昔の人の手で作られたという噂が流れたそうです。

アリサロ塩原上を北上しながら走行し、ツアーにおけるもう1つのハイライトであるトラル・グランデへ向かいます。

トラル・グランデのみどころのレポートは・・・次回へ続く

 

アリサロ塩原上を北上しながら走行し、もう1つのハイライトであるトラル・グランデへ

キーワード

自然豊かな島 タスマニア島 ~ハイキング編~

  • オーストラリア

2024.06.25 update

オーストラリア本土の南に位置するタスマニア島。面積は北海道よりやや小さく、リンゴのような形をしていることからアップルアイランドという別名で親しまれています。オーストラリアの中では比較的降水量も多く、雨の恵みをうけて太古から続く原生林が残されています。そんなタスマニアの大自然を楽しむハイキングコースをご紹介いたします。

 

世界遺産 タスマニア原生地帯(Tasmanian Wilderness)

タスマニア原生地帯はオーストラリア最大の自然保護区のひとつで1982年と1989年に世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたエリアの一つ、クレイドルマウンテン/セントクレア湖国立公園(Cradle Mountain/Lake St. Clair National Park)ではゆったり2連泊し、ゴンドワナ大陸所以の太古の森を歩く2つのルートでハイキングがお楽しみいただけます。

 

ダブ湖周遊トレイルをハイキング(約3時間)

クレイドル国立公園にあるダブ湖を周遊する約6kmのコースです。ハイキングのスタート地点から目の前にはダブ湖に映るクレイドル山の姿が見られます。雄大な姿はこの公園を代表する景色のひとつです。

 


 
クレイドルは揺りかごという意味です。氷河の浸食によって山頂が大きく削られた姿が揺りかごに見えます。湖の周りには他にも氷河期に氷河が削った痕跡が見られます。

 

道中、様々な草花も観察できます。


ピンクマウンテンベリーや南極ブナの木々

 

 

南極ブナはかつて南極に生えていた為、名付けられた植物です。この木の化石が南極半島で見つかっています。南極ブナにも2種類あり、常緑と落葉樹で、落葉の南極ブナは、南米のパタゴニアエリア、オーストラリア・タスマニア、ニュージーランド南部にしか生息していません。この南極ブナが、大陸移動説を証明するきっかけになった要因の1つとされています。

 

キングビリー・トラックのハイキング(約45分)

このハイキングルートは湿って暗いレインフォレスト(冷温帯雨林)、太古の森を歩きます。タスマニア固有の4種の針葉樹のうち、キングビリーパインが多くみられます。鬱蒼とした苔に覆われた神秘的な景色が広がっています。

レインフォレストが山火事に会うと、その後に復活するのは先ずユーカリの森で、レインフォレストが復活するには少なくとも400年以上の年月がかかると言われています。

 

 

樹齢1500年以上といわれるキングビリーパイン。腐りにくい性質のため、タスマニアの銘木ヒューオンパインと同様、昔は船を建造する材料として使われていました。

木々や岩が苔に覆われ、神秘的な雰囲気を感じることができるハイキングルートです。

キーワード

世界最高地点を走行する青蔵鉄道の旅

  • 中国

2024.05.09 update

 

旅好きなら一度は憧れる、列車の旅。

チベットの聖地ラサへと向かう青蔵鉄道についてご紹介。

 

青蔵鉄道とは

青蔵鉄道は北京、上海、成都、広州などの大都市とチベットの都、ラサを繋いでいます。2006年7月に開業し、世界で最も高い場所を走る寝台列車で「天空列車」とも呼ばれています。ちなみに青蔵鉄道の名前の由来は「青」が青海省、「蔵」は中国語でチベットを意味します。少し酸素は薄いですが列車の中は設備も充実しており列車の中は暖かい。標高5072mにも達する場所へ鉄道に乗り、まさに秘境ともいえるような場所の景色を車窓から眺められてしまう。そんな夢のような列車が青蔵鉄道なのです。

青蔵鉄道の列車

 

<青蔵鉄道5つの世界一>

①世界最高所にレールを引く鉄道 全長は1,142km

②世界最高所のトンネル風火山トンネル全長 1,386m 標高4,905m

③世界最高所、最長のトンネル 崑崙山トンネル全長 1,686m 標高4,600m

④世界最高所の駅 タングラ駅 標高5,072m

⑤世界最高所の鉄橋  三岔河大橋 標高3,800m 全長690.19m

 

まずは、西寧駅に到着

西寧駅は立派で大きい。北京、上海、成都といった大都市とチベットを結ぶジャンクション駅です。まず駅の入り口でパスポートと列車のチケットを提示し、その後荷物チェックがあります。水などは持ち込みが可能ですが、ハサミ、フルーツナイフ等の刃物類、時には爪切りさえセキュリティーチェックに引っかかってしまうことがあるので持参はあまりお勧めできません。スルーしてもらえれば問題はないですが引っかかると全て駅に入る前に没収となってしまいます。

西寧駅構内

 

無事にセキュリティチェックを終え、私たちは改札近くの椅子に座り改札が開くのを待っていました。ホーム内への改札口で列を作る人もいますが「硬座(こうざ)」と呼ばれる普通車の乗車客が殆どです。

今回、私たちは「軟臥(なんが)」と呼ばれる一等寝台なので駅構内にある電光掲示板で時間を確認しながらその間に最終荷物の入れ替えや最終準備をしておくと乗車後スムーズ。私達は前日に用意をしていましたが列車内ではスーツケースを開くスペースが無いため、事前に洗面具、タオル、列車内用スリッパ、懐中電灯、水筒、一泊分の洋服、お手洗い用のティッシュ等をひとまとめに用意しておく必要があります。いよいよ、改札前で再度チケットのチェックを受けてホーム内へ。

西寧駅改札口

 

西寧駅のホーム

西寧から拉薩までの青蔵鉄道の列車

 

各車両のドアの前には制服を着た担当の車掌さんが出迎えてくれます。

ホーム内、列車の写真を撮影し列車内へ。

 

いよいよ、青蔵鉄道に乗車!

乗車しまずはスーツケースを荷物置き場の一角に。ひとまとめにしておいた一泊分の用意と貴重品を持ってそれぞれの部屋へ。乗車して部屋に到着してからチケットは車掌さんに預け引換証を代わりに貰います。部屋は二段ベッド二つの4人部屋です。部屋は清潔感があり快適に過ごせそうな車内です。それぞれの部屋に枕、布団は勿論のことポット、ごみ箱、お盆、机があり机の下にはコンセント、それぞれのベッドに灯りと高山病対策の酸素吸入口があります。

列車内の洗面所

列車内のお手洗い

軟臥寝台列車の通路

 

私達が乗車した列車は5号車と6号車で7号車が食堂車になっています。車両ごとの間に、給湯器、洗面所、お手洗いがあり、5号車側は和式、6号車側は洋式になっています。お手洗い内には日本のように備え付けのトイレットペーパーは無いので自身で用意が必要です。19時半、定刻通りに西寧駅を出発します!世界の屋根を目指して西に進みます。マンション住宅街の灯りが見えますが1時間もすれば別世界となります。列車の外は既に暗く景色はこの日見る事が出来ませんがその代わり天気が良ければ素晴らしい満点の星空を車窓から見る事が出来ます。この日は運がよく天の川も見る事ができました。

 

夜中の2時頃に列車が25分間のみゴルムド駅でディーゼル機関車連結の為、停車します。青蔵鉄道は全45駅(有人8駅)からなり停車する駅はわずかです。このタイミングを狙い希望の方のみでゴルムド駅停車時にこの連結を見に行くことになりました。2時前には皆さん暖かい恰好で準備をしいざ、列車外へ。無事写真に収めて、寒いのですぐ列車内へ。因みにNJ2型の機関車には2パターン存在し上部が白色の2トーンカラーと緑1色のものがありますが白色が高地の紫外線に耐えられない為、今後は緑1色の列車になるとかならないとか。また、このゴルムド駅標高2829mより酸素吸入が始まります。

ゴルムド駅での連結作業

 

酸素吸入口はそれぞれのベッド横にありますがチューブは車掌さんに貰いに行く必要があります。体調不良の方はその時はおらずこの日はゆっくりとお休みいただきました。

 

青蔵鉄道乗車2日目

翌日、朝の8時から食堂車にて朝食です。大皿で中華料理を何品かオーダー。お粥などもあり日本人にとってもありがたい朝食です。注意が必要なのはお箸は食堂車に用意がありますが、取り皿やコップなどがないため日本から持参したものを利用していただきました。私が訪れたのは年末ですが朝日は丁度、8時。車窓右側に綺麗な朝日と長江の源流でもある標高4547mのトト河を見る事ができます。

車窓からの朝日

 

朝食後は各自自由に列車内で車窓からの風景を楽しんで頂きます。10時過ぎには最高所のタングラ駅、12時ごろアムド駅を通過するとツォナ湖が見えてきます。駅の停車は殆どなく最高所のタングラ駅の看板も撮影するのにカメラを持ち、待ち構えての撮影。タングラ駅ではタングラ峠に建つ石碑も見る事ができました。

タングラ峠の駅舎

 

部屋の外の通路にも折り畳みの椅子とコンセントがあり自由に使用することが出来ます。車内は暖かく快適で列車の窓ガラスも二重構造のおかげで曇ることもなく、綺麗な景色を見ながらそれもこんな高所にいることが出来ることを有難く思えてきました。車内では時折、車内販売の女性がやってきてヤクのヨーグルトやジャーキー、青蔵鉄道のはがきセットなども売っています。

列車内の食堂車

 

調理されるプランターに植わったままの野菜

 

昼食も食堂車で頂きます。人数が多いため私たちは事前に予約をしていました。驚いたのは列車内での野菜の保存方法。プランターに植わったままでこれを調理場へと運んでいました。確かに野菜の中華料理がおいしい。味はどれも日本人好みの味付けで美味しく頂きました。

 

車窓からの風景

 

16時頃、車窓左側から7162mのニンチェンタンラ山脈が見えました。ここを通るといよいよ聖地ラサに近くなっきたことを実感します。お手洗いは到着の約1時間前に使用が出来なくなってしまうため準備をして到着を待ちわびます。ラサの南側に流れるキチュ川を渡り速度を落としトンネルに入ります。このトンネルを抜けるとそろそろラサ駅へ到着。飽きずに車窓の右側を見ていると小さくくポタラ宮を見る事ができます。

 

聖地ラサへ到着

いよいよ最終地点の聖地ラサへ到着です。荷物を各自持ってラサ駅に降りたちます。暖かそうな民族衣装を着こんだ人たち、出稼ぎに来たのか荷物を沢山持った若い青年、伝統的な巡礼作法である右肩だけ上着を脱いだ女性など、たくさんの人々で駅のホームが賑わいます。残念ながらラサ駅では列車の写真撮影は可能ですが駅構内の写真は撮ることができません。

 

列車で通ってきた標高に比べると高さはたいしたことないですがそれでも標高3658mのラサ。ここからチベットの旅が始まります。まだまだ旅の序盤であったことを忘れてしまいそうになる程、満足度の高い青蔵鉄道。生涯に一度は青蔵鉄道に乗って聖地を目指す旅をしてみてはいかがでしょうか。

 

キーワード

タジキスタン第2の都市 ホジャンド

  • タジキスタン

2024.03.04 update

日本では暖かい日が続き、春らしい気候になる4月。シルクロードの国々はいよいよベストシーズンを迎えます。今回は、タジキスタン第2の都市である「ホジャンド」についてご紹介させていただきます。

ツアーでは、ウズベキスタンから陸路で国境を越え、古来からシルクロードの要衝として栄えたホジャンドに入ります。ホジャンドではまず、活気あふれる市場「パンジシャンベ・バザール」を訪れます。

 

 

パンジシャンベ・バザール

 

「パンジシャンベ」とは「週の5日目=木曜日(イスラム教では日曜日から数えます)」という意味。活気あふれるバザール内には様々な食材が売られています。市場では、肉、乾燥ヨーグルト(丸い形のスルト)、ナッツ、スパイスなどが所狭しと並べられている風景に圧倒されながら、見学をお楽しみいただきます。

精肉店で、冷蔵庫を使わずに販売している様子が目に留まりました。売られている肉はそのまま外に出されています。

むきだしの肉が並ぶ

「冷蔵庫に入れていると新鮮な肉ではない」と思われるため、このような販売方法を取っているそうです。日本では腐ってしまうからと避けてしまう方法でしょうが、国が変われば風習が変わり、考え方や販売方法も変わるのですね。

バザールの前には「シャイフ・ムスリヒディン・モスク」があります。

シャイフ・ムスリヒディン・モスク

長い名前ですが、「シャイフ」は宗教上の集団の長を意味する尊称、「ムスリ」は助言という意味。彼は7歳のときに、中国の進行からホジャンドの町を救いました。「宗教の助言を与えた人」という名をもつこのモスクは、2000年に建てられたそうです。のんびりとしたバザールの見学後は、シルダリア川の展望ポイントにて写真タイム。展望所には中央アジアで活躍した英雄たちの像が並んでいました。

英雄たちの像が並ぶ展望所

2006年にオープンした博物館にも訪問。この博物館のすぐ裏手には、アレキサンダー大王の最果ての都“アレキサンドリア・エスハータ”の地に建てられた砦跡もあります。

砦跡

紀元前329年、アレキサンドロス3世がギリシャ人の入植地を建設。“アレキサンドリア・エスハータ(最果てのアレキサンドリア)”とよび、シルダリア川北方のスキタイへの砦としたといわれています。「エスハータ」とは「東」という意味で、1950年代から調査が行われ、30年後にようやく紀元前4世紀の城砦跡が発見されました。
博物館の内部では、石器時代から現代に至るまでタジキスタンの歴史が年代ごとに展示されていました。なかでも一番印象的なのが、地下階に展示されている「アレキサンドリア大王の生涯の大理石画」。彼はスピタメネス率いるソグド人たちの抵抗に非常に苦戦します。弱冠20歳で父フィリッポス2世の跡を継ぎ、ギリシャの王として、そしてペルシャの王として大帝国を築きます。しかしその後、部下の士気の低下によりインド遠征を諦め、帰路のバビロンで亡くなったといわれています。若き大王はまだ32歳でした。

見学を終えたら、町を流れるシルダリア川を眺めながらホテルに向かいます。

悠然と流れるシルダリア川

シルダリア川は天山山脈の2か所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンを通過して北西へ流れ、北アラル海に注ぎます。全長2,212kmのうちタジキスタン国内には197kmが流れているそうです。
紀元前3世紀のギリシャ人はこの川を「ヤクサルテス(穏やかな水)」とよび、8世紀のアラブ人は「サイフン(美しい平和な水)」、13世紀のモンゴル人は「シルダリア(穏やかな川)」とよびました。時代ごとに名前は変わっていきましたが、どの時代を通じても同じ意味をもつ言葉でよばれていました。

ホジャンドは、古い歴史と現代に生きる人々の活気を感じられる町のひとつです。「タジキスタンとテルメズの遺産」のツアーでは、タジキスタンの世界遺産である「サラズムの遺跡」にも足をのばします。次回の旅先の候補として、ぜひタジキスタンを選択肢に検討されてみはいかがでしょうか。

キーワード
PAGE TOP