秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

知られざるアフリカの角 エリトリア

  • エリトリア

2025.11.17 update

 

国土は小さいながらも、アフリカ大陸一つ分と言える多様な地形と気候を持つエリトリア。イタリア植民地時代の町並みを残す首都アスマラ、月曜市の開かれるケレン、紅海に面し、かつて古代ギリシャやエジプトとの交易で栄えたマッサワなど、エリトリアの主要なみどころを巡ります。

Day1 日本 → アスマラ

トルコのイスタンブールを経由し、夜、エリトリアの首都アスマラに到着。

Day2 アスマラ→ケレン→アスマラ

ケレンの月曜市へ往復観光。

アスマラから北西にバスで2時間半、アンセバ地方の中心都市ケレンはラクダのキャラバン隊や、トルコ様式のモスクも見られ、住民はターバンやカフタンで装い、中東のような雰囲気が漂います。

ケレンの月曜市は、毎週月曜日に開かれ、遠方の村々から3~4日もかけて100頭ものラクダが集まってきます。ラクダと共に、ヤギやヒツジ、コブウシも売られていました。野菜や日用品の露店も並びます。

ケレンの月曜市

活気あふれるケレンの月曜市

コブウシも取引される

その後、大きなバオバブの木の幹の中に聖マリアが祀られているマリアム・デ・アリットを見学しアスマラへ戻ります。

マリアム・デ・アリット

マリアム・デ・アリット

木の幹の中に聖マリアが祀られている

木の幹の中に聖マリアが祀られている

Day3

終日アスマラの市内を巡ります。
アスマラは古来より商業の中心地として栄え、1890年にイタリアの植民地となった際には「第二のローマ」として大規模な都市開発が行われました。イタリアの文化遺産とアフリカの風土が溶け合った独特の魅力を持ちます。

 

・聖マリア・コプト大聖堂

1938年に建てられたエリトリアとヨーロッパが見事に融合した教会。聖母マリアを祭ったエリトリア正教教会で正面の壁画が特に有名です。

聖マリア・コプト大聖堂

聖マリア・コプト大聖堂

・メデルバル

大聖堂から数百メートル北へ足を伸ばすと、メデルバルと呼ばれるリサイクル市場があります。廃材利用によって、あらゆる金属製品が作られています。スパイスや雑貨屋さんもあり、雑然とした中に人々の活気に満ちた生活をのぞくことができました。

リサイクルメタルで作られたお墓用の十字架

リサイクルメタルで作られたお墓用の十字架

・旧エリトリア人市場

続いてスークと呼ばれるメイン・マーケットへ。果物や野菜、骨董品、土産物などあらゆるものが集まっています。

メイン・マーケット

メイン・マーケット

・世界遺産アスマラ・モダニズムの建築群
1935年以降、アスマラでは、当時のイタリア合理主義の手法を応用した大規模な建設計画が実施され、政府庁舎、住宅および商業ビル、教会、モスク、シナゴーグ、映画館、ホテルなどが建てられました。アスマラの都市構造は、20世紀初頭のモダニズム都市計画をアフリカの文脈に適用した優れた事例として高く評価されています。

シネマ・インペロ

アスマラの顔ともなっているシネマ・インペロ  建物正面の文字が印象的

旧エリトリア・ファシスト党本部 「F」の文字が横になっているデザイン

・戦車の墓場
市街地から約2km離れた旧米軍カニュー通信基地跡の近くにある通称「戦車の墓場」は、旧ソ連製や米国製の戦車・軍用車両・対空砲などが積み重ねられています。これらはエリトリア軍が捕獲したものや、エチオピア軍が撤退時に残したもので、独立戦争の激しさを物語っています。

夕食では、コーヒーセレモニーの実演を見学しました。

戦車の墓場

戦車の墓場

コーヒーセレモニーの実演

コーヒーセレモニーの実演

Day4

紅海沿岸の港町マッサワヘと向かいます。くねくねと山道を下り、115kmの道のりです。

紅海に浮かぶダラク諸島の小島にボートで向かいます。ダラク諸島は126の島を持つ群島で、テイグレ、アファ、ダヒリク等を話す人々が住み、昔ながらの漁業や真珠漁、ヤギ・ラクダ飼育などで暮しています。

ボートに乗ってダラク諸島へ

ボートに乗ってダラク諸島へ

若者たちで賑わうビーチ沿い

若者たちで賑わうビーチ沿い

その後、かつてエチオピアのハイレ・セラシニ皇帝が使用していた王宮跡を見学。1980年代のエチオピア共産党政権とエリトリア人民解放戦線の戦闘の際に、宮殿は爆破されてしまいました。現在も廃墟のまま保存されています。

王宮跡

王宮跡

夕食はインド式タンドールで焼いたパンと海魚のグリルをいただきました。

海魚のグリル

海魚のグリル

Day5

エリトリア滞在最終日。

午前中、紅海沿いにあった古代都市、アドゥリス遺跡を見学します。ドムト王国とアクスム王国の一部であると考えられている商業都市で、ギリシャとビザンチン帝国とも交易を行っていたといわれています。

旧イタリア銀行、マッサワ戦戦没者追悼公園に立ち寄り、アスマラへ戻ります。深夜の便でイスタンブールへ。

古代アクスム王国の交易都市だったアドゥリス遺跡

古代アクスム王国の交易都市だったアドゥリス遺跡

ズラ村井戸 オスマントルコ時代に造られた井戸が現在も使われています。

ズラ村井戸 オスマントルコ時代に造られた井戸が現在も使われています。

Day6、Day7

航空機を乗り換えて帰国の途につきます。みなさま、お疲れ様でした!

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カリブの真珠 キューバ大横断【後編】

  • キューバ

2025.10.15 update

カリブ海に浮かぶキューバは鮮やかな街並みと革命の歴史が息づく国。キューバの魅力をたっぷり詰め込んだ旅の様子をお伝えします。

Day7 サンティアゴ・デ・クーバ

キューバ第二の都市 サンティアゴ・デ・クーバ

キューバ第二の都市 サンティアゴ・デ・クーバ

この日は、コーヒー農園発祥の地として世界遺産に登録されているグラン・ピエドラへ向かいました。農園主の邸宅も訪問し、器具の説明やかつての奴隷の歴史についての話を伺いました。自然の中のコーヒーショップにも立ち寄りました。

コーヒープランテーション内に残る邸宅

コーヒープランテーション内に残る邸宅

モロ要塞の目の前のレストランにてご昼食後、さらにバスを走らせ、モンカダ兵営博物館、キューバ革命の英雄たちが眠るサンタ・イフィヘニア墓地へ。キューバ革命の指導者フィデル・カストロや、キューバ独立運動の父と呼ばれるホセ・マルティのお墓もありました。30分毎に行われる兵隊の交代式もベストタイミングで見学することができました。

サンタ・イフィヘ二ア墓地

サンタ・イフィヘニア墓地

Day8 サンティアゴ・デ・クーバ→シエゴ・デ・アビラ

この日は400kmを超える大移動日。ひたすらキューバの大地を走り、この日の宿泊地シエゴ・デ・アビラへ。ホテルに着くと、なんと停電でロビーは真っ暗でした。心配しましたが、夕食前に電気がつきました!

Day9 シエゴ・デ・アビラ→サンタクララ→ハバナ

シエゴ・デ・アビラを出発し、チェ・ゲバラゆかりの街、サンタクララへ。

なぜこの町が「チェ・ゲバラの街」と言われるのでしょうか。それはキューバ革命の最終段階で、革命軍の勝利を決定づけた重要な戦いの舞台となった地だったからです。

最初に向かったのはカピーロの丘。もともと、政府軍の砦があったこの場所をゲバラはまず攻撃し革命軍の拠点とし、指揮をとっていたと言われています。

カピーロの丘

カピーロの丘

次に訪れたのは装甲列車襲撃跡。キューバ革命の流れを決定づけたと言われているのが、1958年12月19日の政府軍の装甲列車襲撃でした。ハバナ政府軍の装甲列車がくることを事前にスパイを送り込んで察知していたそうで、この列車を襲撃することで大量の武器を剥奪。数も武力も劣っていた革命軍を勝利に導いたといわれています。装甲列車を襲撃したまさにその場所に記念碑がつくられ、列車が展示されていました。

装甲列車襲撃跡

装甲列車襲撃跡

革命広場には、チェ・ゲバラの霊廟と記念碑がありました。

サンタクララ チェ・ゲバラ記念霊廟

サンタクララ チェ・ゲバラ記念霊廟

バスは一路ハバナへ戻ります。

Day10 ハバナ→メキシコ・シティ

いよいよキューバ滞在最終日。そしてヘミングウェイ尽くしの一日でした。まず向かったのは、ヘミングウェイゆかりの町コヒマル。ハバナ郊外の小さな漁村にあるヘミングウェイの胸像や、彼のボート「ピラール号」を係留していた桟橋をご覧いただきました。

再びハバナへ戻り、ヘミングウェイが家を買うまで滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」へ。ヘミングウェイが暮らしていた頃の家具や写真、タイプライター、記念の品などをご覧いただきました。このホテルは現在も営業中で、ヘミングウェイが暮らした部屋以外は、通常の客室として使われているそうです。

ヘミングウェイが滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」

ヘミングウェイが滞在していた「ホテル・アンボス・ムンドス」

そして、最後に訪れたのが彼の暮らした家、ヘミングウェイ博物館です。釣り好きだった彼が愛した、オリジナルの「ピラール号」もご覧いただきました。

ヘミングウェイ博物館

ヘミングウェイ博物館

バスはここからハバナ国際空港へ。いよいよキューバとのお別れです。メキシコ・シティ経由で日本へ帰国します。あっという間でしたが、キューバの歴史や文化、人々の暮らしに触れる濃い時間となりました。ご参加いただいた皆さま、お疲れ様でした!

 

【おまけ】 ここで、キューバで楽しめる名物料理をいくつかご紹介します。

・コングリ Congri
フリホールネグロ(黒豆)を使った炊き込みご飯で、黒豆の色素が抜けて黒紫色に染まります。タマネギのみじん切りやニンニクなども一緒に炊かれていて、豆ご飯のほこほことした味を絶妙に引き立ててくれます。米好きの日本人なら誰もが「美味い」と思うご飯です。

コングリとローストポーク

コングリとローストポーク

・アロス・コン・マリスコス Arroz con Mariscos
魚介と米をサフランで炊き上げたキューバ風パエリア。スペインの影響を受けつつ、現地の食材とやさしい味付けで仕上げられています。スパイスは控えめで、しっとりとした食感です。

アロス・コン・マリスコス

アロス・コン・マリスコス

・モヒート Mojito
日本のバーでもおなじみのモヒートはハバナ生れのカクテルです。16世紀後半から飲まれていた粗野なサトウキビ・リキュール、アグアルディエンタで作った「ドラケ」が、19世紀後半にラムに置き換わり、「モヒート」と名付けられたと言われています。ミントの葉とライムに砂糖を加えてよく潰してから、ラムと炭酸水を混ぜます。

モヒート

モヒート

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カリブの真珠 キューバ大横断【前編】

  • キューバ

2025.09.19 update

カリブ海に浮かぶキューバは鮮やかな街並みと革命の歴史が息づく国。2015年に54年ぶりにアメリカとの外交関係が再開され、関係改善に向けた動きが続いています。今回はキューバの魅力をたっぷり詰め込んだ旅の様子をお伝えします。

Day1、Day2 東京→メキシコシティ→ハバナ

メキシコシティ経由でキューバのハバナへ。まだ暑い日差しの残る昼下がりにハバナに到着しました。

Day3 ハバナ

終日ハバナの市内観光。まずはハバナ市立博物館を見学、その後徒歩でビエハ広場、ラム酒蒸留博物館を訪問しました。サトウキビからラム酒が造られていく様子が見学でき、試飲も楽しみました。
昼食は、ヘミングウェイが通い詰めていたという名店「フロリディータ」にて。ヘミングウェイが大好きだったというダイキリをいただきました。糖尿病を患っていたヘミングウェイは、ダイキリを砂糖抜きにし、ラム酒を通常の2倍入れたものを飲んでいたそうです。

ヘミングウェイの銅像

「フロリディータ」のカウンターにはヘミングウェイの銅像が

「フロリディータ」のダイキリ

「フロリディータ」のダイキリ

続いてモロ要塞へ。モロ要塞は、ハバナ防衛のために築かれたフエルサ要塞、カバーニャ要塞、プンタ要塞とともに世界遺産の構成資産の一つとなっています。

モロ要塞

モロ要塞

その後、カテドラル広場で少々フリータイムを過ごし、クラシックカー乗車体験へ!オープンカーに乗って出発進行!約1時間の周遊ドライブを楽しみました。

オープンカーに乗って出発進行!

オープンカーに乗って出発進行!

途中、革命広場に立ち寄りました。この広場でメーデーなどの集会が開かれるそうで、多いときには数十万人が集まるそうです。広場の周囲には政府の建物が建っています。内務省の壁には、キューバ革命の中心人物の一人、チェ・ゲバラの肖像、情報通信省の壁には、同じく革命の中心人物だったカミーロ・シンフエゴスが描かれていました。

革命広場 内務省ビル チェ・ゲバラの肖像

革命広場 内務省ビル チェ・ゲバラの肖像

Day4 ハバナ→シエンフエゴス→トリ二ダ

キューバの中部にある世界遺産の街シエンフエゴスへ。「百の火」という意味を持つシエンフエゴスは、別名「南の真珠」とも呼ばれ、美しい海と街並みが自慢の街です。もともとはスペインの植民地でしたが、フランス系の移民により街がつくられたそうで、独特な文化が発展していきました。

シエンフエゴスの街並み

シエンフエゴスの街並み

昼食後、一路、トリニダへ。サトウキビ農園主の邸宅を改装したカンテーロ博物館やサンティシマ教会の外観を見学後、自由時間を設け露店をのぞいたり、散策したりと思い思いにお過ごしいただきました。

トリニダの街角にて

トリニダの街角にて

Day5 トリニダ→サンクティ・スピリトゥス→カマグエイ

朝ホテルを出発しマナカイスナガへ。「マナカ」と「スナガ」という、富豪の2家族の苗字が名前になっているこの塔は、かつて奴隷の見張り塔でした。

マナカイスナガの塔からの眺め

マナカイスナガの塔からの眺め

「トラピチェ」と呼ばれるサトウキビの絞り器

「トラピチェ」と呼ばれるサトウキビの絞り器が展示されていました

その後、サンクティ・スピリトゥスへ。ヤヤボ川にかかる有名なヤヤボ橋、青と白の縞模様が印象的なマヨール教会(バロキアル・マヨール・デル・サンクティ・スピリティス教会)も見学しました。

青と白の縞模様が印象的なマヨール教会

青と白の縞模様が印象的なマヨール教会

その後、カマグエイへ。ここからビジタクシーと呼ばれる2人乗りの人力車で、カマグエイの4つの広場(エルカルメン教会広場、Teatro Principal前、メルセデス教会広場、イグナシオ・グラモンテ広場)を巡りました。

ビジタクシーに乗ってカマグエイの街を散策

ビジタクシーに乗ってカマグエイの街を散策

Day6 カマグエイ→バヤモ→サンティアゴ・デ・クーバ

朝ホテルを出発、バヤモへ向かいます。バヤモはキューバ建国の父ともいわれるセスペデスの生まれ故郷です。セスペデスの生家を見学しました。

その後、コブレの聖母教会へ。この教会は、ヘミングウェイの「老人と海」にも登場する教会です。キリスト教徒でない方にとっても大切な教会で、何かお願いごとがあるとここへ来てお祈りし、そして願いが叶うとお礼参りに来るのだそうです。ヘミングウェイもここにノーベル賞のメダルを寄贈したのだとか。

コブレの聖母教会

コブレの聖母教会

寄贈されたたくさんのメダルが展示されている

寄贈されたメダルが展示されていました

さらにバスを走らせ、次の宿泊地サンティアゴ・デ・クーバへ到着。夕食は生演奏を聞きながらお楽しみいただきました。

キューバの生演奏を楽しみました

キューバの生演奏を楽しみました

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まるごとラオス
古都ルアンパバーンからシーパンドーンへ

  • ラオス

2025.08.25 update

ゆったりとした時が流れる東南アジアの楽園・ラオス。
9日間でまるごと北部から南部へと、悠久のメコンが育んだ大自然や遺跡を巡ります。

Day1 日本 → ヴィエンチャン

ベトナムのホーチミンで航空機を乗り換えて、ラオスの首都ヴィエンチャンへ。

Day2 ヴィエンチャン → ルアンパバーン

ヴィエンチャンから国内線に乗り、ラオスの古都ルアンパバーンへと向かいます。
昼食後、ルアンパバーン市内の観光へ。

・王宮博物館

かつての王の住まいや、パバーン仏が安置されています。街の名前「ルアンパバーン」は、「黄金のパバーン仏」という意味で、14 世紀にクメール王朝(現カンボジア)から贈られたこの黄金の仏像が由来なのだそう。

国立博物館としても知られる王宮博物館

国立博物館としても知られる王宮博物館

・ワット・マイ

国立博物館の隣に隣接し、ルアンパバーンで最も美しいと称される寺院です。1960年代に制作された、インドの叙事詩「ラーマヤナ」を描いた黄金のレリーフがみどころです。

ワット・マイ

ワット・マイ

・ワット・シェントン

世界遺産ルアンパバーンを象徴する寺院。かつては王の戴冠式が行われるなど、聖地として存続してきました。

ワット・シェントン本堂に描かれた黄金の木

ワット・シェントン本堂に描かれた黄金の木

Day3 ルアンパバーン滞在

この日は、エレファント・トレッキングからスタート。
象たちはとても穏やかで、のんびりとしたお散歩でした。険しい森の中を抜け、メコン川に到着。
貸し切り船に乗り、メコン川クルーズをしながら、4000 体もの仏像が納められているパクウ洞窟へ。

エレファント・トレッキングでメコン川へ

エレファント・トレッキングでメコン川へ

大小さまざまな仏像は人々が祈りを込めて持ち込んだものだそう

大小さまざまな仏像は人々が祈りを込めて持ち込んだものだそう

船を下り向かったサンコーン村では、手漉き紙と織物の2つの工房を見学しました。

手漉き紙の工房を見学

手漉き紙の工房を見学

カフェで休憩後、プーシの丘へ。
約328段の階段をのぼった丘の頂上からは、メコン川とナムカーン川の間にあるルアンパバーンの町を一望できます。

プーシの丘から眺める夕日とルアンパ バーンの街

プーシの丘から眺める夕日とルアンパ バーンの街

夕食後、シーサワンウォン通りで毎日開かれるモン族のナイトマーケットへ。
衣類や民芸品のほか、狭い路地を入ると飲食店の屋台もありました。

日没後に開かれるモン族のナイトマーケット

日没後に開かれるモン族のナイトマーケット

装飾がかわいい僧鉢

かわいい装飾の僧鉢

Day4 ルアンパバーン → ヴィエンチャン

ホテルを早朝出発し、日の出前の時間の托鉢の見学へ向かいました。
竹籠に入ったもち米としゃもじ、肩掛け布パービアンが用意され、僧の列が来るのを待ちます。

お坊さんたちの歩くスピード意外に早く、もち米を渡すタイミングがなかなか難しい…!

お坊さんたちの歩くスピード意外に早く、もち米を渡すタイミングがなかなか難しい…!

少年僧たち

托鉢に向かう前の少年僧たち

午後はフリータイムをお楽しみいただきました。

Day5 ルアンパバーン → パクセ → シーパンドーン

国内線でパクセへ向かい、バスで約3 時間。
この日のメイン、コーン・パペンの滝へ向かいました。

乾季で水量は少なめだったはずですが、ダイナミックな滝を見ることができました。
滝幅は10,783mで世界1位。ギネス世界記録でも認定されています。

メコン川の滝 コーンパペンの滝

メコン川の滝 コーンパペンの滝

その後、シーパンドーンへ移動しました。

Day6 シーパンドーン滞在

この日は世界遺産のワット・プー遺跡とワット博物館の見学です。

・ワット・プー遺跡

ワット・プーは、かつてこの地を支配していたチャンパーサック王国の中心地であり、それ以前はクメール(アンコール)王朝の重要な聖地でもありました。元々この地には、ベトナム中部で栄えたチャンパー王国とは異なる勢力が存在しており、ワット・プーは古代クメール文化の影響を強く受けたヒンドゥー教の神殿として建てられました。緑深い丘の中腹には、シヴァ神に捧げられたヒンドゥー教神殿の遺構が今も残り、かつての栄華を物語っています。

聖池(バライ)の間に伸びる参道

聖池(バライ)の間に伸びる参道

本堂へと続く歩廊

本堂へと続く歩廊

ワット・プー遺跡 本堂跡

ワット・プー遺跡 本堂跡

Day7 シーパンドーン → ヴィエンチャン

朝、少し早起きしてパクセ市場を見学。地元の方々の生活ぶりが垣間見られました。

食肉、魚、果物に野菜などの食材が並ぶパクセ市場

食肉、魚、果物に野菜などの食材が並ぶパクセ市場

国内線に乗りヴィエンチャンへ戻ります。

Day8~9  ヴィエンチャン → ハノイ → 日本

ラオス滞在最終日になりました。出発まで、ヴィエンチャンのみどころを巡ります。

・パトゥーサイ

パリの凱旋門を模して建てられた戦没者慰霊塔。周囲にはヤシの木が生い茂り、アジアらしい雰囲気が漂っています。

パリの凱旋門を模して建てられたパトゥーサイ

パリの凱旋門を模して建てられたパトゥーサイ

・タート・ルアン

16世紀にヴィエンチャンが都に定められた際、セーターティラート王の命により建てられました。仏舎利が収められた高さ45m黄金の塔は、 ヴィエンチャンのシンボルにもなっています。

タート・ルアン寺

タート・ルアン

・ワット・シーサケート

1818 年に建立されたヴィエンチャン最古の寺院。市内で唯一、建立当時の姿を保っていることで知られます。本堂には2,052体の仏像が並び、回廊には3,420体の仏像が小さな穴に安置されています。

ワット・シーサケート 回廊の仏像

ワット・シーサケート 回廊の仏像

・ワット・ホーパケオ

1565 年にセーターティラート王が建立した寺院。首都をビエンチャンへと遷都した際に、旧王都からエメラルド仏が移されました。シャム(タイ)の侵入により破壊され、エメラルド仏はバンコクに持ち去られてしまいました。1936 年にフランスによって再建され、現在は博物館として各地から集められた仏像などが展示されています。

ワット・ホーパケオ

ワット・ホーパケオ

いよいよラオスともお別れです。ハノイ経由で帰国の途につきます。

短いながらも、ラオスの風景や人々、残された歴史に向き合えた旅でした。ご一緒いただいた皆さま、お疲れさまでした。

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茶馬古道をゆく 大理・麗江からシャングリラへ

  • 中国

2025.08.04 update

「もうひとつのシルクロード」茶馬古道

 

中国・雲南省にある「もうひとつのシルクロード」茶馬古道を訪ねて。交易の宿場町が点在し、かつて隊商が歩んだいにしえのルートを、大理から麗江、シャングリラへと辿ります。

Day1~2 東京 → 昆明 →大理

昼過ぎのフライトで東京を出発、夜に昆明へ到着。市内で一泊します。翌朝、2020年にできた中国高速鉄道で大理へと向かいます。列車は揺れも少なく快適でした。

大理駅から大型バスに乗車し、喜州(きしゅう)へ。喜州には、かつて茶馬古道の交易で巨万の富を得た白(ペー)族の商人たちが建てた屋敷跡が点在しています。

白族の屋敷跡が残る喜州

白族の屋敷跡が残る喜州

次に向かったのは、藍染めで知られる周城(しゅうじょう)。この地域では、藍の絞り染めが受け継がれており、訪れた藍染工房では、日本の沖縄本島でも栽培されている「リュウキュウアイ」を原料に藍染をしていました。

絞り染めの作業をする白族の女性たち

絞り染めの作業をする白族の女性たち

その後、大理古城へ。南詔国時代の799年に築かれ、大理国の都として発展。現在も6kmの城壁と復興路を中心に歴史ある街並みが残ります。大理古城隣接のホテルにて2連泊します。

大理古城

大理古城

Day3 大理(諾鄧村)

本日は大理郊外の諾鄧村(だくとうそん)を訪問します。諾鄧村は、南詔国時代(7〜10世紀初頭)の文献にも登場する、歴史ある山間の村です。村の外れには、かつてミャンマー方面へと続いた茶馬古道が通り、今でも馬やロバが交通・運搬手段として使われています。塩の生産を支えた塩井戸跡や、古民家を見学しながら、石段の道を散策しました。
その後、大理古城へ戻ります。

諾鄧村の山門

諾鄧村の山門

諾鄧村で作られているハム

諾鄧村で作られているハム

Day4 大理 → 沙渓古鎮 → 麗江

大理を離れ麗江へ。一路「茶馬古道」を北上します。途中、茶馬古道の古い建築群が現存している沙渓古鎮(さけいこちん)に立ち寄ります。かつてはチベットの漢方薬や馬・毛皮と、雲南のお茶や塩が取引される重要な交易拠点でした。今も古い建物群が当時の姿を伝えています。

沙渓古鎮の広場

沙渓古鎮の広場

昼食後、いざ麗江へ!
麗江は標高約2,400mの高原都市で、納西(ナシ)族を中心に多民族が共に暮らす街。古くから茶馬古道の要衝として栄え、交易と文化の交流地として発展してきました。
麗江古城の旧市街を散策。石畳の小道を歩きながら、街の風情をゆっくり味わいます。プーアール茶の試飲も楽しみました。

麗江古城の旧市街を散策

麗江古城の旧市街を散策

プーアール茶の試飲

プーアール茶の試飲

メインストリートから外れた四方街には、トンパ文字で書かれた壁や石橋などがありました。トンパ文字は、現在も使われている世界で唯一の象形文字で、文字数は、1400以上あると言われています。

世界で唯一の象形文字「トンパ文字」

世界で唯一の象形文字「トンパ文字」

黒龍潭公園から望む玉龍雪山

黒龍潭公園から望む玉龍雪山

Day5 麗江→ 宝山石頭城

本日は宝山石頭城(ほうざんせきとうじょう)を訪ねます。途中、束河古鎮(そっかこちん)に立ち寄りました。麗江の旧市街と同年の1997年に世界遺産に登録された村です。メインストリートにはおしゃれなカフェやお土産やさんが並び賑わっていますが、一本横道にそれると、細い裏道や小さな畑などがあり、素朴な風景に出会えます。

束河古鎮の細い路地

束河古鎮の細い路地

その後バスに乗り、どんどん高度を上げ、山岳地帯のくねくね道を走っていくと、段崖絶壁の岩上に築かれた要塞村、宝山石頭城に到着!村では今も昔ながらの生活を営む人々の様子を窺うことができ、まるで別の時代に迷い込んだような気持ちになります。馬に1泊2日の荷物を預けて、慎重に石の階段を上り下りし、民宿に到着しました。

岩山の斜面に沿って広がる宝山石頭城の要塞村

岩山の斜面に沿って広がる宝山石頭城の要塞村

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

昔ながらの生活を営む納西族の人々とすれ違う

Day6 宝山石塔城 → シャングリラ

宝山石塔城の上流、虎跳峡(こちょうきょう)へ向かいます。玉龍雪山(5,596m)と哈巴雪山(5,395m)に挟まれた谷を、長江上流の金沙江が削り出して生まれた谷。「虎跳峡」の名前は、昔、虎がこの峡谷をひと跳びで飛び越えたという伝説に由来しています。果たして本当に虎が飛び越えられたのか……そう信じたくなるほどの自然の迫力がありました。

虎跳峡

虎跳峡

再び標高を上げて、一路シャングリラへ!
体を高山に慣らしていただくために、早めにホテル到着しゆっくりと体を休めます。

Day7 シャングリラ → 松賛林寺・独克宗古城 → 昆明

旅もいよいよ終盤です。朝食後、雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺へ。松賛林寺は、ラサのポタラ宮を模しているため、「小ポタラ」とも呼ばれています。正面入り口から約200段の階段をゆっくりと深呼吸しながら登ります。メインの3つのお堂をお参りしました。

雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺

雲南省最大のチベット寺院・松賛林寺

お香の準備をする僧侶たち

お香の準備をする僧侶たち

お寺の周囲の旧市街を散策、チベット族のお宅を訪問し、バター茶やチベタンブレッド、ヤクのヨーグルト、ツァンパ(こがし麦の粉とバター茶を混ぜてこねたもの)など、チベットの食を体験しました。

チベットの食を体験

チベットの食を体験

その後、シャングリラの独克宗古城(どくこくそうこじょう)へ。古城という名前ですが2014年に火災で焼けてしまい、数年前に再建されたばかりの新しいエリアとなっています。
最後にシャングリラ博物館を訪問後、シャングリラ駅へ。高速鉄道にて昆明へと戻ります。

独克宗古城を散策

独克宗古城を散策

Day8 昆明 → 東京

昆明から早朝の便で東京へ戻ります。

もう一つのシルクロード「茶馬古道」をたどり、伝統的な暮らしや文化、美しい景観にふれました。とくに、この地に暮らす人々のたくましい姿には心を打たれました。悠久の歴史を抱く中国の魅力をまたひとつ知ることができました。

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