秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

シルクロードみどころガイド

西域南道

Southwestern route

タクラマカン砂漠の南、崑崙山脈の北に位置するキャラバン隊や商人が往来した西域南道沿いにはかつてのオアシス都市の遺跡が今なお残されています。

インジージャ/ Yengisar

カシュガルから南に車で約1時間半のところにある刃物作りで有名な町。人々は刃物を買いに中国全土からこの町にやって来ます。 町のいたるところに刃物を売るお店があります。 キーホルダーになっている小さなナイフから、柄の部分に奇麗な飾りが施されているもの、動物の肉を捌くための大きな包丁まで様々な種類の刃物が売られています。

ヤルカンド/ Yarkant

漢代にはオアシス都市国家である莎車国があった町。マルコ・ポーロ(1254-1324)の東方見聞録にも登場し、また16~17世紀にかけて栄えたヤルカンド・ハン国時代には都が置かれていました。 現在の人口はカシュガル地区では一番多い約65万人です。人口の大多数がウイグル族で、町のモスクからは敬虔なイスラム教徒のお祈りの声が聞こえてきます。

ゴールデン・モスク
アンマニシャハン霊廟
ヤルカンド・ハン国歴代王の墓

ホータン/ Hotan

ホータンはタクラマカン砂漠と、その南を東西に延びる崑崙山脈とに挟まれたシルクロード上のオアシス都市。ホータン王国(ウテン国)は西暦56年から1006年の間に存在した仏教王国で、法顕や玄奘などの中国僧も訪れています。その後11世紀始めにイスラムの侵攻を受けてその支配下に入ってから住民もイスラム化してきました。 またホータン北方のタクラマカン砂漠にあるダンダンウィリク遺跡で、ホータン王に嫁いで来た中国の王女が、髪の中に蚕の卵を隠していたと見られる壁画が発見されていることから、中国以外で絹が生産された初めての場所とされています。
マリクワト遺跡にて

新疆の綿

新疆ウイグル自治区では1990年代から綿花の栽培に力をいれてきました。現在、国内最大の綿花生産地になり、栽培面積、生産量など中国一になっています。 10月から11月にかけての秋は綿花の収穫時期。最盛期には子供たちも学校をお休みして収穫のお手伝いします。

ニヤ/ Niya

民豊の町は小さく町自体に見所はありませんが、郊外には漢代の西域三十六国のひとつ「精絶国」の遺跡・尼雅遺跡が残る他、タクラマカン砂漠を縦断する「砂漠公路」への基点となります。

尼雅(ニヤ)遺跡
民豊の北約100キロのタクラマカン砂漠の中にあります。遺跡は南北に25キロ、東西に7キロに渡り散在しています。高さ6mの仏塔をはじめ、住居址、古代橋、果樹園、工房跡、墓地などが残っています。ニヤ遺跡は1901年、イギリスの探検家スタインによって発見されました。多数のカロシュティー文書が出土され、後漢の時代には楼蘭の属国であったことや、3世紀にはこの都市が放棄されたことや、インド・ガンダーラ地方のタキシラからの移住民がいたことなどがわかっています。

チェルチェン/ Charchan

崑崙山脈、アルチン山脈の北麓、チェルチェン河の水源とするオアシス都市。 チェルチェン県は面積14万平方kmと中国の中でも2番目の大きさの県。広い県ですが、45%は山地、17%は砂漠。ウイグル族が多く住んでいて、全人口の約77%を占めます。

ザホンルク24号墳墓展示室。1985年以降の発掘で169基の墳墓が発見されています。24号基は2600年前の14人の家族墳墓が発掘された当時の様子で展示されています。
ラリケック遺跡(且末故城)3000年前の町の遺跡 ザホンルク墳墓はラリケックの町の人たちの墓地だったと推測されます 砂漠に廃墟が点在する不思議な景色が見られます。

チャルクリク(若羌)と米蘭遺跡/ Charkhlik & Miran

甘粛省、青海省と接する面積20万平方kmと中国で最大の大きさの県。 ロプノール、楼蘭遺跡や米蘭遺跡もチャルクリク県の砂漠内に位置します。

米蘭遺跡
チャルクリクから北東に80km。楼蘭王国(ゼン善国)の都城址とも言われています。イギリスの探検家スタインによって1907年に発見され、唐代の都城址や寺院跡、仏塔、住居跡などが現在も残されています。米蘭を最も有名にした有翼天使像の壁画は、ヘレニズム文化の影響が見られ、キリスト経の天使像の起源だとも言われています。寺院からはギリシャ・ローマ風のフレスコ画やガンダーラ美術に通じる仏伝図なども発見され、東西の文物が行き来する中継点であったことがわかります。

中国で最大の大きさの県にあるチャルクリク
若羌郊外に残る米蘭遺跡の仏塔
仏塔と僧院跡
要塞の壁はギョリュウの枝と泥で固められている
吐蕃の城砦
米蘭遺跡
米蘭遺跡(有翼天子像)
PAGE TOP