秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

エチオピアみどころガイド

アクスム

Aksum

紀元前10世紀、イスラエルのソロモン王とイエメンのシバの女王の間に生まれたメネリク1世がエチオピアに渡り、現在のアクスムを中心とする国が興りました。その後、紀元前5世紀にアクスム王国が建国され、アクスムはその都として一大栄華を築くこととなります。4世紀、エザナ王の治世に王国は最盛期を迎え、また同時期にコプト派のキリスト教が伝来し、王国はキリスト教国となりました。当時、ゲエズ語と呼ばれる独自の言語が使われ、現在でもエチオピア正教の古い聖書にその文字を見ることができます。エチオピアではメネリク1世がエチオピアに渡る際に、十戒を刻んだ石版を納めた「契約の箱(アーク)」をソロモン王から授かり、このアクスムへと持ち帰ったと伝えられています。現在でもこの契約の箱は「シオンの聖マリア教会」に保管されていると信じられています。

アクスムのみどころ一覧

シオンの聖マリア教会/ Church of Our Lady Mary of Zion

最初にこの教会が建てられたのはエザナ王がキリスト教に改宗した4世紀頃で、建物はシリアの影響を大きく受けています。教会の内部には前庭があり、その後ろに至聖所があります。この教会は女人禁制で、男性しか入ることができません。伝説によると、メネリク1世がソロモン王から授かった十戒の石版を収めた契約の箱(アーク)をエチオピアに持ち帰ったとされ、現在はこのアクスムのシオンの聖マリア教会に収められていると言われています。

古いシオンの聖マリア教会外観
4世紀の教会跡
契約の箱が保管される場所
新しいシオンの聖マリア教会

シバの女王の神殿跡/ Queen of Sheba's Palace

紀元前10世紀、現在のイエメンからエチオピアを支配していたシバの女王の宮殿があったとされる遺跡。建物の遺構は3,250k㎡にも及ぶ広大なもので、後にこの上に、キリスト教徒の王の宮殿が建てられたと考えられています。

デブレブラハンセラシエ教会外観

オベリスク/ Obelisk

紀元4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられるオベリスク(石柱)がアクスムには数多く残っています。このオベリスクの目的ははっきりと分かっていませんが、古代のアクスムの支配者達が亡くなった際の墓石ではないかと考えられています。アクスムで2番目の大きさを誇ったオベリスクは、高さ約25m。1937年イタリアの支配時代にムッソリーニの軍隊によってイタリアに持ち去られてましたが、2005年にアクスムに返還されました。このオベリスクはエザナ王のオベリスクと呼ばれ、現在はアクスムのシンボルとなっています。最大のオベリスクは高さ約33m。建設途中に倒れてしまったと考えられ、立ったままであれば世界最大のオベリスクとなっていました。

地下に残るお墓
イタリアから返還されたオベリスク
オベリスクが立ち並ぶ広場
崩れたオベリスク
PAGE TOP