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中山道の宿場町を訪ねて 後編

  • 日本

2021.04.01 update

「中山道の宿場町を訪ねて」  後編のツアーレポートです。

妻籠宿、寺下の町並み

妻籠宿、寺下の古い町並み

 

妻籠宿(つまごじゅく)

福島関所跡のある福島宿から、西に五つの宿場町を進むと、妻籠宿に到着します。江戸時代の妻籠宿は、奈良井宿などの宿場町と並び、多くの旅人たちで賑わいました。その後、明治以後の交通改革により、妻籠宿は宿場町としての機能を失い、戦後は高度経済成長の波を受け、若者たちの外部流出によって過疎化し、衰退の一途にあったそうです。地元案内人の説明では、同じ頃、妻籠宿のお隣りの馬籠宿が、島崎藤村を押して観光客を誘致し始めており、観光客の足を妻籠宿でも止めたいと、昭和43年より県の助成金などを利用して、妻籠宿の古い町並み保存を開始。これは日本全国に先駆けての古い町並み保存運動のスタートだったそうです。

妻籠宿、歴史資料館

保存前の妻籠宿の町並み(南木曽博物館(歴史資料館)蔵)

妻籠宿、寺下の町並み

町並み保存後、現在の妻籠宿の様子

 

経済成長に伴い日本全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、妻籠宿はいち早く地域を挙げて古い町並み保存運動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地のひとつに選ばれました。
妻籠宿は昭和の名作映画「座頭市」の撮影場所にもなりました。現在でも変わらない古い町並みに、地元の方々のたゆまぬ努力を感じました。

妻籠宿、座頭市の撮影場所

映画「座頭市」、妻籠宿での撮影時の様子

妻籠宿

現在の様子。妻籠宿の松代屋は江戸時代1804年創業といわれる200年以上前の旅館です

 

引き続き、現地案内人の説明を聞きながら、ゆっくり歩いて妻籠宿を見学しました。
妻籠宿本陣は大名や公家が宿泊した宿泊施設です。街道の喧騒を避けるために、少し奥まった位置に建てられました。往時の設計図をもとに、平成7年に復元された建物だそうです。代々、島崎氏が本陣と庄屋を勤め、最後の当主は島崎藤村の実兄でした。

妻籠宿本陣

大名・公家が宿泊した妻籠宿本陣

 

一方、こちらは庶民が宿泊した木賃宿、上嵯峨屋です。江戸時代の庶民たちは、自分で米を蒸して乾燥させた糒(ほしいい)または干し飯という、現代でいうアルファ米のようなインスタント食品を持参して、宿で湯を沸かして戻して食べていました。その薪代が宿代になったので、木賃宿と呼ぶそうです。上嵯峨屋の入口には、薪が積まれていました。

妻籠宿、上嵯峨屋

庶民が宿泊した木賃宿、上嵯峨屋

 

江戸時代の中山道は、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用され、将軍家に嫁ぐ姫宮たちの大通行に使われたため、「姫街道」とも呼ばれました。14代将軍・徳川家茂に嫁いだ皇女和宮の大行列も中山道を通行し、妻籠宿の歴史博物館には、和宮から拝領した車付長持(くるまつきながもち)も展示されています。

車付長持

和宮から拝領した車付長持(南木曽博物館(歴史資料館)蔵)

 

往時の町並みが今に残る妻籠宿。昔の旅人たちに思いを馳せながら、宿場町の散策を楽しみました。

 妻籠宿_

妻籠宿の散策を楽しみました

 

馬籠宿(まごめじゅく)

妻籠宿から馬籠峠を越えると馬籠宿に到着します。馬籠宿はかつては長野県木曽郡山口村でしたが、2005年の越県合併により、岐阜県中津川市に編入されました。ほかの宿場町と同様、江戸時代から多くの旅人たちで賑わいました。私たちは馬籠宿の水車から見学をスタートしました。

馬籠宿、水車

馬籠宿の水車

馬籠宿のちょうど真ん中には、藤村記念館があります。1882年、明治の文豪・島崎藤村は馬籠宿本陣の家に生まれました。かつての馬籠宿本陣跡、彼の生家は、現在は島崎藤村の記念館として一般公開されています。

馬籠宿、藤村記念館

馬籠宿本陣跡である藤村記念館

 

馬籠宿本陣の母屋は明治時代の大火で焼失してしまいましたが、隠居所だけは焼け残りました。島崎藤村の幼少時の勉強部屋として使われた建物だそうです。

馬籠宿、藤村記念館

藤村記念館の隠居所。江戸時代の建物で、島崎藤村の勉強部屋でした

 

島崎藤村の代表作「夜明け前」は、生まれ故郷の馬籠宿を舞台に、藤村の父親をモデルにした小説で、「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まります。馬籠宿の展望台まで行くと、木曽山脈の恵那山(標高2,191m)の展望が広がります。馬籠宿が木曽の山の中にある宿場町であることがわかります。

馬籠宿

馬籠宿を散策。奥には山々が見えます

馬籠陣馬上展望広場

馬籠宿の展望台より、木曽山脈の恵那山(標高2,191m)を望む

馬籠宿

馬籠宿の酒屋。木曽路の雰囲気が溢れています

 

草津宿(くさつじゅく)

旅の最後は、滋賀県草津市、かつての草津宿を訪れました。草津宿は中山道と東海道が合流・分岐する宿場町で、昔から交通の要衝として栄えました。草津市在住の地元案内人の話では、滋賀県草津市は京都や大阪へも電車一本で通勤できるため、現在では関西圏で働く人のベッドタウンになっているそうです。
これまでの奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿などの宿場町では見かけなかったマンションなどの高層ビルも目立ちます。かつての中山道、東海道の旧街道も、地元案内人に紹介してもらいましたが、看板や石碑などはあるものの、すっかり現代の町並みに変わっていました。

旧中山道

草津市・草津宿、旧中山道の様子

旧中山道・旧東海道の分岐点

中山道と東海道の分岐点を示すマンホール。奥には石碑も建てられています

 

草津宿の最大の見所は、大名や公家などが休泊した草津宿本陣です。これまで訪れた宿場町の本陣は復元されたものか焼失しましたが、草津宿の本陣は江戸時代の姿を保ったまま残っています。現在、日本全国に残る本陣の中でも最大規模のものだそうで、国の史跡に指定されており、見応えがありました。草津宿本陣に休泊した、忠臣蔵の浅野内匠頭や吉良上野介、天璋院篤姫、皇女和宮、新撰組の土方歳三、最後の将軍・徳川慶喜、歴史に残る人物たちの展示もありました。

草津宿本陣

草津宿本陣の外観

草津宿本陣の内部

草津宿本陣の内部。かなり広い本陣でした

 

草津宿の見学後、草津駅に戻り、解散。帰路につきました。
自宅に戻って改めて中山道の旅を振り返ると、現代から江戸時代に行ってまた現代に戻ってくる、タイムトリップは誇張表現ではなかったように思います。そんな不思議な感覚のあった旅行でした。

江戸時代の姿を色濃く残す、中山道の宿場町を訪ねる旅。中山道の山道も歩いてみたいという方は、「中山道・木曽路を歩く」もお勧めです。

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