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スリランカみどころガイド

シギリヤと文化三角地帯

Sigiriya & Cultural Triangle

スリランカの島の中央部にある、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの三都市を結んだ三角形の内側は“文化三角地帯”とよばれるエリア。スリランカ一の観光地である世界遺産「シギリヤ・ロック」をはじめ、世界有数の遺跡群が集中する場所として知られています。この三都市は、古代から続いた歴代のシンハラ王朝が築いた都でした。初めは北のアヌラーダプラに都を置いていましたが、インドからの侵略を受けて南下を余儀なくされ、南東のポロンナルワへ移動。そしてシンハラ王朝最後の都となったキャンディへと遷都しました。遺跡群は、その規模や歴史的・芸術的価値はもちろんのこと、ほとんどが現在も祈りの対象となっており、そのような例は世界でも少ないことから非常に重要な意味をもつとされています。

シギリヤ/ Sigiriya

ジャングルの中に突如として姿を現す岩山。スリランカ随一の観光地、世界遺産シギリヤです。平坦な頂上まで岩壁が垂直に立ちはだかっているように見え、「シギリヤ・ロック」とよばれています。かつてこの岩山の頂上に、カーシャパ一世という王子が建てた王宮がありました。カーシャパ一世は王になるために父親を殺して王宮を築きました。長男であったにも関わらず、なぜ実父を殺す必要があったのか。それにはこんな理由がありました。カーシャパ一世には、腹違いの弟モッガラーナがいました。カーシャパ一世の母親は平民でしたが、弟の母親は王族出身。そのため、弟に王位継承権を奪われるのではと恐れていました。のちにカーシャパ一世は、軍隊を率いて戦いを挑んできたモッガラーナに敗れ、自ら喉を掻き切り命を絶ちました。戦いの後、モッガラーナは王宮を仏教僧に寄進して修験場としました。シギリヤ・ロックの頂上には今も王宮跡が残り、登って見学することができます。頂上からは周囲を360度見渡すことができ、遠くのダンブッラの岩山まで見えます。が、聞こえてくるのは風の音ばかり。まるで王の孤独感が伝わってくるような静寂に包まれています。

シギリヤ・ロック
シギリヤ・ロック みどころ&見学の流れ

【1】水の広場
メインゲートから進むと、王の沐浴場と「ドライ・シーズン・パレス」とよばれる水の広場があります。まっすぐ庭園の道を進むと、岩山の麓に着きます。 水の広場と庭園
【2】シギリヤ・レディ
岩山の入口から徒歩で階段を20分ほど登ると、中腹の岸壁に「シギリヤ・レディ」とよばれる18人の美女を描いたフレスコ画があります。5世紀に描かれたものだといわれています。 シギリヤ・レディ
【3】ライオン・テラス
さらに上がると、煉瓦と漆喰でライオンの前足の形を作った「ライオン・テラス」という宮殿の入口があります。かつて巨大なライオン像が建っていたのではないかと考えられています。 ライオン・テラス
【4】頂上の王宮跡
岩肌にへばりつくように伸びる細くて急な階段を登りきると、頂上に到着!1.6haの広さがあり、沐浴場、見張り台などの遺跡が残ります。雨どいが付いていたり、当時の治水・建築技術の高さがうかがえます。 頂上の王宮跡

ダンブッラ/ Dambulla

スリランカ中部マータレ県の都市、ダンブッラにはスリランカ最大の石窟寺院があります。寺院がある岩山の別名は「ランギリ」で「黄金色に輝く」という意味。そのため「黄金寺院」ともよばれています。寺院は紀元前一世紀頃、シンハラ王朝のワラガムバーフ王によって造られたもの。タミル軍の侵略によって、当時の首都アヌラーダプラから追放されたときに、王は高さ200m近くあるこの切り立った岩山の洞窟に身を隠しました。のちに王座を奪還した王が、自らの命を救ってくれた洞窟に感謝の意を込めて仏教寺院を創建したのが始まりです。
石窟は、最も古い第1窟から1915年に作られた第5窟まで順番に並んでいます。第1窟「神々の王の寺」というデーワ・ラージャ・ヴィハーラには、寺院最大の仏像である全長約14mの涅槃仏があります。全身を黄金色に染められているのに、足の裏だけ真っ赤なのが特徴です。第2窟マハー・ラージャ・ヴィハーラは「偉大な王の寺」の意味。偉大な王とはワラガムバーフ王のことを指し、洞内には彼の像のほか、56体もの仏像が安置されています。壁や天井一面に描かれた見事な壁画は最大のみどころです。また、洞内奥の中央部に置かれた壺には天井から湧き水が滴り落ちていて、壺の水は決して空になることがないといわれています。ちなみにダンブッラとは「水の湧き出る岩」という意味で、この第2窟が地名の由来になっています。第3窟マハー・アルト・ヴィハーラ「偉大な新しい寺」には全長9mの寝仏をはじめとする合計57体の仏像があります。第4窟のパッツィーマ・ヴィハーラ「3人の王の寺」は、規模は小さいながらも入ると目の前に座禅を組んだ仏像が鎮座し、天井は色鮮やかな仏画で埋め尽くされています。一番新しい第5窟デワナ・アルト・ヴィハーラは1915年に作られ、こちらも内部には壁画が描かれています。

石窟の入口
石窟寺院の内部

アヌラーダプラ/ Anuradhapura

スリランカ最古の聖都といわれる町、アヌラーダプラ。今から約2400年前、パンドゥカーバヤ王により国の首都として定められ、その後に仏教や政治の中心として栄えました。その象徴が、町のあちこちに点在するダーガバ(仏塔)。遺跡巡りをするために、国内の観光客だけでなく世界中から多くの人々が訪れます。スリランカの人口の約7割を占める仏教徒のシンハラ人にとって、アヌラーダプラは聖地であり、特別な存在。スリランカを知るためには、アヌラーダプラの遺跡巡りは必須!といっても過言ではないかもしれません。

スリー・マハー菩提樹

アヌラーダプラを聖地として強く位置付けているのがスリー・マハー菩提樹の存在。紀元前3世紀にインドのアショーカ王の王妃が、仏陀が悟りを開いたとされているインドのブッダガヤの菩提樹の分木を運び、当時のアヌラダープラ王であるデーワーナンピヤ・ティッサが植樹したものといわれています。多くの巡礼者が供物をし、一心に祈りを捧げていきます。

多くの巡礼者が祈りを捧げる菩提樹
イスルムニヤ精舎

岩肌に作られた小寺院イスルムニヤ精舎、通称「ロック・テンプル」では涅槃仏が見られます。また、本堂脇の宝物殿には「The Lovers」と名付けられた恋人たちの像があり、一説によるとカーストの違うサーリヤ王子と恋人のマーラをかたどったものと伝えられています。

本堂内の涅槃仏
ムーンストーン

かつて王妃の建物であったクイーンズ・パビリオンには、スリランカで最も美しいと賞賛されるムーンストーン(通常、建物入口の階段の下に置かれる半円形の石版)があります。ポロンナルワのムーンストーンには3種類の動物が描かれているのに対し、こちらは牛を含めて4種類の動物と鳥、花が刻まれ輪廻転生を表しています。これは、ポロンナルワ時代にはヒンドゥー教が伝わっているためで、ヒンドゥーの神のひとつでもある牛が死を象徴するということで、ムーンストーンから外されたから。このことから、アヌラーダプラのものはそれ以前に作られたものであることがわかります。

輪廻を表すムーンストーン
アバヤギリ大塔

スリランカの大乗仏教の総本山として隆盛を誇っていたのが、アバヤギリ大塔です。現存するダーガバの中で一番高い75mの大塔で、紀元前1世紀当時は110mもあったといわれています。アバヤギリ大塔の近くには、木々に囲まれたサマーディ仏像があります。見る者全てに安らぎを与えてくれるような、穏やかで柔和な表情をしています。

スリランカ三大仏塔のひとつ
ルワンウェリ・サーヤ大塔

アヌラーダプラのシンボルとされているのが、真っ白で巨大なルワンウェリ・サーヤ大塔です。紀元前2世紀にドゥッタガーマニ王によって作られた僧院跡で、遺跡地区の中心に建っています。

近年きれいに塗りなおされた純白の大塔

ポロンナルワ/ Polonnaruwa

ポロンナルワは、1017年から1255年までシンハラ王朝の首都があった場所。当時はアジア有数の仏教都市として栄えており、遠くタイやビルマからも僧たちが巡礼に訪れました。現在は小さな都市となったポロンナルワですが、旧市街の城壁内には遺跡群などが集まり、当時の栄華を伝えています。遺跡群があるのは、巨大な人工の貯水池のほとり。まるで海のように大きい貯水池は「パラークラマ・サムドラ」と呼ばれていて、今も人々の生活に欠かせないものとして利用されています。古代都市ポロンナルワは1982年に世界遺産に登録されており、スリランカ随一の考古学上の史跡として維持されています。13世紀の壁画が残る寺院や、蓮の花の形をした沐浴場の遺跡、タミル人が建てたお寺や、インド文化の影響を受けたヒンドゥー遺跡なども残り、シンハラ王朝史の治世と盛衰を物語る貴重な遺跡となっています。

クワドラングル
ポロンナルワの遺跡群の中心に集まる11の建築物。当時のポロンナルワにおける仏教の中心地で仏歯寺があった場所です。なかでも一番大きく目をひくのが「ワタダーゲ」という円形の仏塔。四方の入口にはそれぞれムーンストーンとガードストーンがあり原形をよくとどめています。ワタダーゲ円形仏塔
ガル・ヴィハーラ
瞑想をしている座仏像(高さ4.6m)、腕を組み佇む立仏像(7m)、穏やかな表情で横たわる涅槃像(全長14m)があります。ポロンナルワ遺跡の大傑作といわれる釈迦涅槃像、立像、ふたつの座像の四石像は必見です。ガル・ヴィハーラの涅槃像
ポトグル・ヴィハーラ
貯水池に面した広い道路から林を抜けたところに、4つのダーガバに囲まれたドーム状の建物があります。ここはかつて図書館だったと考えられていた場所で、仏教経典が保管されていたそうです。仏典などの朗唱が行われたとされる
石立像
ポトグル・ヴィハーラから100m、白い岩に彫られた立像はスリランカの旧Rs.10紙幣に印刷されているお馴染みの像。一般的には、ポロンナルワに君臨した王のうち最も繁栄したパラークラマ・バーフ一世の肖像といわれています。髭を蓄えた精悍な顔つき
宮殿跡
パラークラマ・バーフ一世の重厚なレンガ造りの宮殿跡。7階建だったと考えられており、50もの部屋の他に閣議場もあったといわれ、後に王位を継いだニッサンカ・マーラ王子の沐浴場などからもかつての壮大さが想像できます。現在は3階部分までの壁が残る

ミヒンタレー/ Mihintale

スリランカで最初に仏教が伝えられたとされる聖地。紀元前247年、インドから仏教流布のためにアショーカ王の息子マヒンダがミヒンタレーを訪れていました。当時のアヌラーダプラの王デーワナンピ ヤ・ティッサは、山の神デーウァが変身した鹿に導かれて、マヒンダに遭遇しました。王はマヒンダと問答の末、仏教に帰依しました。ミヒンタレーの地名は、このマヒンダにちなんで名付けられたものです。普段は静かな稲作の村ですが、仏教伝来の日と伝えられている毎年6~7月にかけての満月のポソンポーヤの祭りには、岩山の頂上から満月を拝もうと、国中から何千人もの人々が集まります。

インビテーション・ロックからの眺め
【ミヒンタレーのみどころ】

ミヒンタレー考古学博物館
ティッサ王とマヒンダの出会いの場面や、ここから発掘された陶磁器、像などの展示がされています。マハー・サーヤ大塔への階段を上る麓にあります。
カンタカ・チャイッテヤ
紀元前60年頃に建てられたといわれている、高さ12m、周囲130mの仏塔。動物を彫り込んだガードストーンに四方を囲まれています。
シンハ・ポクナ と ナーガ・ポクナ
ポクナとは、昔の沐浴場のこと。沐浴場の跡地にライオンとコブラの美しい彫刻があり、スリランカ彫刻の傑作ともいわれます。
食堂跡と会議場跡
僧たちの食堂と会議場だった場所。米やカレーを入れていたと考えられている巨大な石櫃(せきひつ)や、僧院の規則について書かれたふたつの石版が残っています。シンハ・ポクナから上ったところにあります。
マハー・サーヤ大塔
丘の頂上にあるミヒンタレー最大の仏塔。天気がよければ、アヌラーダプラまで見渡すことができます。塔の南側にはマヒンダの墓があり、マヒンダの遺骨が納められているといわれています。
アムバスタレー大塔
ミヒンタレーの遺跡群の中心で、アヌラーダプラの王とマヒンダが出会った場所。大塔の西側には、マヒンダが王を待つ間に瞑想していたという巨岩「インビテーション・ロック」があります。
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