ニヤ(尼雅)
Niyaタクラマカン砂漠、崑崙山脈の間に位置する西域南道沿いに栄えたオアシス都市。 民豊(ニヤ)の町から約100kmの砂漠の中に位置し、東西7km、南北25km、175平方キロメートルの範囲に仏塔を中心として、寺院や住居、果樹園、貯水池、墓地跡が残ります。 「漢書・西域伝」に記載されている「精絶国」の一部とされていて、紀元前1世紀に栄え、尼雅河の流れが変わってしまったため紀元4世紀には滅びたとされています。
タクラマカン砂漠、崑崙山脈の間に位置する西域南道沿いに栄えたオアシス都市。 民豊(ニヤ)の町から約100kmの砂漠の中に位置し、東西7km、南北25km、175平方キロメートルの範囲に仏塔を中心として、寺院や住居、果樹園、貯水池、墓地跡が残ります。 「漢書・西域伝」に記載されている「精絶国」の一部とされていて、紀元前1世紀に栄え、尼雅河の流れが変わってしまったため紀元4世紀には滅びたとされています。
尼雅遺跡は1901年スタインによって発見されました。その後、1906年、1913年、1931年と計4回に渡り調査が行われ、多くの遺構・遺物が発見されました。中でも大量のインドの古代文字・カロシュティー文書発見は非常に重要で、これにより古代の西域南道諸国の実態があきらかになりました。その後、1980年に中国とNHK取材班との共同で遺跡が取材に訪れ、その後、日中共同調査隊によって1988年から1997年まで調査研究が行われました。
N1:住居跡
N2:胡楊の柱が残る住居跡
N3:扉や柱が残る住居跡
N4:広い敷地の貴族の住居跡
N5:最大の寺院跡
N5:最大の寺院跡
仏塔
古橋
枯れたかつての河床
59MN1:墓地跡に残る人骨
59MN1:墓地跡に残る人骨
葡萄の木
葡萄園の垣根尼雅遺跡と同じ様式の住宅建築が残るウイグル族の村。尼雅遺跡への道中、最後の村。おいしいメロンが有名です。
カパクアスカン村
カパクアスカン村マザールとはウイグル語で「墓地」の意味。イマム・ジャファールサディクという回教指導者がホータンの異教徒と戦って何百人もの殉職者を出したとされる地でイスラム教徒の巡礼地となっています。
大マザール
大マザール砂嵐に会う確率が少なく、天候が安定する10月は、タクラマカン砂漠への旅のベストシーズン。西域南道沿いには黄葉した胡楊が見られる時期でもあります。


尼雅遺跡へは、起伏の大きな砂丘を越えねばならぬため、砂漠専用車(砂漠の石油探索のために特別につくられた車)で向かいます。
砂漠の中を行く
砂漠専用車の内部尼雅遺跡の道中はタクラマカン砂漠でキャンプ。西遊旅行の尼雅遺跡への旅では、仏塔を展望するキャンプ地に泊まります。専属のコックさんがバラエティ豊かな食事を準備し、砂漠の冒険旅行を出来る限り快適に過ごせる様に工夫しています。
食堂テント
食事の一例、ギョウザ
砂漠の中のテント泊